夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「6月13日という日」

2024年06月13日 08時00分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
人食いバクテリア。。。。。
恐ろしい感染症ですね。
2023年1年間で東京では141人感染していましたが、今年は半年で147人が感染しています。死亡率が30%だそうですから死者も増加しているのでしょう。
外国ではだいぶ前からこの感染症のニュースが出ていましたが原因等は判明していないようです。溶連菌の一種らしいですが、溶連菌はどこにでもありますから変位しているのかもしれません。
小さな怪我から感染するらしいですが、最近は土いじりもゴム手袋をしています。どこからどう感染するかわからないというのが怖いですね。
やはり感染が重症化するかしないかは免疫なのかもしれない。人食いバクテリアだけではなくいろいろな感染症が増えています。食う物は食って頑張るしかない。しかしこれが庶民にはできずらくなっているのが日本です。

≪過去の記事≫

【2004年】
ある方の掲示板で漱石の「こころ」が話題になっている。
明治になり、小説の発展があったが、ただの読み物としての小説からの発展の中で、漱石が「文学論」を書き、ひとつの芸術としての文学小説の形が作られた一翼は漱石にあると思う。同時に、漱石の友人としての正岡子規による俳句の芸術性のひとつの形も現れて漱石を含むサロンのようなものができたと思う。
短歌でも石川啄木などの歌人が新しい短歌の形を作ろうとしたのか?
短歌はまったくわからないのですが、このところ、掲示板では石川啄木や俵万智の話題が出てきているし、川上さんの「物語が、始まる」の解説がおもしろいと思ったら、それは穂村さんという歌人だと教えていただき、まったくの偶然で、夏生さんの「つれづれノート12」を読んでいたら、穂村さんの作品の感想が出ていた。また、桝野さんという歌人を知ることになり、その方が夏生さんのファンだと。。。。
なんか、短歌というものが僕の周りを囲んでいるような気がして、上に書いたことが単なる偶然なのか、短歌が僕を呼んでいるのか。。。。。
これも何かの縁かもしれないので少し読みたい。
現代の詩という世界では、夏生さんはどのような位置にあるのかとなると、そうは高い評価は得ていないようである。しかし、ひとつの詩の形を作ったことは確かなのかもしれない。短歌では俵万智さんのデビュー当時の話題は、単価をまるで知らない僕でも衝撃を受けた。これも短歌という世界では新しい形を作ったのかもしれない。
枡野さんや穂村さんも新しい形の歌人だろう。
夏雄さんや俵さんたちのような歌人、これを明治の頃の大文学者と対比するつもりはないが、僕の心情としては古い殻を破った新しいものを作り上げようとする試みは評価する。後はそれが本物かどうかを判断する目である。何も新しくて話題性があるからいいというものではないし、現代の小説化も同じで衝撃的だからいいというものではない。
僕のようなものにできるのは、まずは自分を信じてまずは好きか嫌いかだけである。。。
栃木県の太平山に紫陽花を見に行きました。
まだ早かったです。今月の下旬ぐらいかな?
神社ではお払いの儀式をやっていました。宮司から教えていただいた祝詞のような言葉を唱えながら丸い輪の中を通りました。これから半年(夏の暑さ)元気で過ごすことができるそうです。なんとなく節分の夏バージョンです。茶屋では縁起物の焼き鳥と玉子焼きも食べたし、この夏は元気に乗り越えられると思います。

【2005年】
週間天気予報は大きくはずれて晴れでした。
梅雨に入ったら雨がなくなった(笑)
でも、こういう天気予報のはずれは、なんとなく得した気分です。
ベランダの鉢植えのアマリリスが咲いています。植物というのはすごい生命力です。数年ほったらかしにしていたのですが、妻がかわいそうに思ったのか水をやったら大きな花が咲きました。今年こそは植え替えをと思っていたのですが、忘れていました。今年は植え替えようと思います。

【2006年】
サッカー。。。1-3でしたかぁ。
朝起きてテレビを観てがっくり。この後の試合は、もっと厳しいと思いますが頑張って欲しいです。
一時女子高生の間にあんなに流行っていたルーズソックス。今はほとんど見なくなりましたが、今日見ました。。。。それも鼻ピアスをして茶髪。
今もこれまでと同じ格好を通しているなんて、冷やかすつもりではなくて本心として根性があるなぁと思いました。

【2007年】
昨日は、谷川岳の方へドライブに行ってきました。
ずっと雨や雲の多い天気でしたが、昨日ははれて空気も澄んでいました。谷川岳ロープウェイそしてリフトに乗り、谷川だけが間近に見えるところまで登りましたが、まだ残雪の残る姿が青い空に浮き出るようにきれいでした。
そういえば、スキーでリフトもだいぶ乗っていますが、下りのリフトというものに乗ったのは初めてじゃないかな。登るときは勾配を見上げているので怖くはないのですが、下りはこの勾配を降りるわけで、高所恐怖症の僕としては、ただ座っているようなリフトですから恐ろしいこと。。。。握り棒にしっかりとしがみついてしまいました。
春蝉?海抜のあんなに高いところに蝉が鳴いていました。カナカナカナカナ。。。。というのか、なんとなく蛙の鳴き声のようでもあり、初めて聞いたのでびっくりしました。
11日の日記に書いた電車の中でしゃべり続けるおばちゃん二人連れ。
今朝も一緒でしたが、今朝は一人?電車が来るまでにはまだ数分あったのでもうすぐ来るのかなと思っていたけど来ませんでした。相方のいないおばちゃん。。。寂しそうでしたが、すぐのほかのおばちゃんを捕まえてしゃべり始めていました。1両となりに非難、、、ハハハ
今夜はイカ大根を煮たのですが、味付けが濃すぎてしまった。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
俳句は詩である。
詩は文学の中に含まれるでしょうし、文学は。。。。芸術に含まれる。
絵・音楽・舞踏そして物語や詩(歌)というものが古代の人間の中にまずは生まれたのではないかな。これらは生活の中の喜怒哀楽の表現であり後には宗教と深く結びつく。狩の獲物の絵を描き、簡単な打楽器のリズムに体を動かし、いつしかそのリズムに詩がつけられる。踊り歌い疲れたら老人が自分たち部族の祖先や英雄の物語を始める。炎を見つめながら。。。。。
これらはまだ芸術と呼べるものではないかもしれないが、芸術というものを広い意味で考えてみると、人は生きるために活動をするがそれを労働の時間とするならその他の時間には寝て起きて休息をして食事をして子供を育てて。。。。そういう生活という時間が存在する。そしてもう一つ精神活動がある。絵を描いたり歌ったり踊ったり物語や詩を話したり。この精神活動は、どうしても人が生きていく上で動物としては生きていくうえでどうしても欠かせないものではない。しかし人はこういう精神活動を求める。娯楽といえば娯楽だが、ただ楽しむのではない何かがその中にある。それが精神活動であり。芸術の芽生えということになる。
労働と生活という生きていくうえに欠かせないものからはなれた時間の中の精神活動。これが芸術というものの原初の姿ではないかな。
その発展の中に、ある特別に優れた人間が出てきたり、芸術が芸術らしく発展していく。そして分業の形で狩や農作業などの労働から切り離された職業としての芸術家ともいうべき人間が出てくる。
文字による古事記のような歴史書が生まれる以前は、それぞれの国や部族の中で口伝えで自分たちの歴史や王の歴史を伝えていたらしい。そして神話も。このようなものはある意味物語のように話を伝えて入ったでしょうし、それを抒情詩という感情を入れた物語にもなっていたかもしれない。

梅酢がだいぶあがってきました。
まだ梅干の香ではなくてフルーティーな梅の香が強くなっています。あまりにもよい香で色もオレンジ色になり一つ食べたくなってしまいます。青梅ではないので食べても大丈夫なはずだと思うのですがどうなんでしょ?でもしょっぱいフルーツというのも。。。。。でも食べてみたい!(笑)
もう少し梅酢があがってきたら赤紫蘇を入れなくてはならないのですが今年はまだ見かけません。去年は梅と一緒にスーパーでも並んでいたのですが今年は不作なのでしょうか?もしかして、今年は梅自体が不作で店頭にもあまり並んでいないので赤紫蘇も出荷を抑えているのでしょうか?困ったなぁ。。。塩もみしてビニール袋に入った赤紫蘇は見かけましたが、手作りにこだわるとすればやはり生の葉っぱを自分で手もみしたいものです。もうしばらくスーパーで探してみよう。。。
先日2年物の梅干が終わってしまったので、去年漬けた梅干を食べ始めました。大粒の梅干。ご飯2杯は食べられます。これから夏本番に向けて梅干が食卓に並ぶ回数も増えると思います。
らっきょもそろそろ浅漬けとして食べられます。
梅干とは全然関係がないのですが、バンマツリの花が一輪咲きました。青紫のきれいな花。。。。。鼻を近づけたらよい香が!!まだ小さな木ですからそうはたくさん花はつけないと思うのですがこれも楽しみです。
九州方面は入梅らしいですね。関東もすぐに入梅だと思います。うっとうしい季節ですが、楽しみがあれば雨もまた楽し!
今年はアジサイも久しぶりに見にいこう。。。。。。
仙台のウインナー・市場・牛タン!!グルメ日帰り旅行も。。。。。ムフフフ

【2011年】ツイッターつぶやき
八王子方面に用事がありましたので久しぶりに道の駅によってきました。東京では唯一の道の駅です。
関東もだいぶ放射能汚染の実態が明らかになってきていますが、野菜や牧草などの汚染は怖いです。八王子あたりはどうなんでしょ?東京は東の方では高い放射線量がありますが、八王子あたりはまだよいのでしょうか?北関東や茨城千葉の野菜よりは少しは安心できるかなと思い野菜を買ってきました。今夜は大根の煮つけ。。。。久しぶりのダイコンでした。
この道の駅も地元の野菜や牛乳、ハム類など物産が並べられているので楽しいです。
こちらの道の駅の楽しみは食堂。。。。。。
麺類が主体ですがおいしいです。今日は「完熟トマトうどん」
スープには大きく切られたトマトがたっぷりでチーズもかかっていたよう。。。イタリアンです。でもやはりスープの味付けは和風かな?そこにしこしこしたうどんが入っています。冷製と温かいものがありましたが今日は冷製。おいしかったです。お近くを通ることがありましたら昼食に絶対お勧めです。僕の行った道の駅の食堂としては1,2位かな。
小さな道の駅ですが平日にもかかわらず活気がありました。

【2012年】ツイッターつぶやき
今日の朝日新聞「社説」に「増税先行批判は筋違い」と題するものがあった。
一体改革の中身は、消費税による国の借金に頼る社会保障費の改善と、子育て支援だとし、この2点において民主・自民の合意を求めている。その他も後記恒例医療制度や最低年金などは二党間の恨みつらみの遺恨試合だとして公約関連の政策は切り離して議論すべきだと。
国民も国の借金体質の改善や子育て支援を望んでいるが、そのために社会保障費の確保=消費税とは思っていない。なのに上の論法は社会保障の財源=消費税として固定をしてしまっている。もちろん震災復興資金の絡みも出てきてこれには法人税減税の先送りと所得増税を充てるとした議論もあった。しかしこの間の無駄をなくす事業仕分けもうまくいかず、最近の「国も痛みを」も公務員給与だけがクローズアップされるだけである。アメリカの大統領選に向けて日本と同じような企業利益優先の政策と富裕者層への増税などからの社会保障の財源づくりという共和党と民主党の政策論争も日本にはない。日本は共和党路線だけの二大政党が政局国会でもめているだけである。
もう一度「税」と社会保障の一体改革という言葉を思い描いてもらいたい。「消費税」と社会保障の一体改革ではないのである。
社会保障も年金だけの議論ではなくなっている。生活保護の問題も大きくなってきている。たしか自民党案では最低年金7万円はやめて生活保護でという論理もあるが、その生活保護自体も減らしていく。実際にタレントの不正受給の件を大きく取り上げながらこの生活保護が受けづらくなる傾向が出ている。若い人の年金負担が大きいと言っても、支える中間層が減って国会ではこの中間層の定義を年収200万円から千数百万円だなどというわけのわからない大臣答弁が出たり、このような中間層の理解で年金を支えるどころか自分の年金積立さえままならないわけである。
一方では企業のだぶついた資金が金融商品や国債に回っている。
企業の社会的役割の再構築が必要で、その第一歩に法人税があるだろう。そして民間の労働条件や賃金そして雇用形態の問題の解決も迫られている。
こういう中に所得の再配分としての税の役割を考え直さねばならないだろう。これも注所得層600万から800万円程度しぼむ中間層から低所得層へ回すなどという呆れた再配分が出ている。
今の社会全体の矛盾の中に税の問題もあるし社会保障の問題もあるわけです。ですから「消費増税と社会保障の一体改革」ではなくて「税と社会保障の一体化効く」を支店を取り戻す必要があるでしょう。
消費増税先行批判は筋違いではないのです。
消費税と社会保障がセットになれば、社会保障の充実は必ず消費増税と固定されるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
朝日新聞13面の「オピニオン」に「安倍政権 メディアの立ち位置」と題された記事がある。3人の方が意見をお書きになっているが、その中に適菜さんという方の「ポピュリズムの批判が先」という意見がある。
「ポピュリズムとは民主化の異称」という定義が出てきますが、本当にポピュリズムと民主主義は同じようなものでしょうか?
国民の声を反映する政治は民主主義です。しかしポピュリズムとは違うものでしょう。国民の声といっても様々なものがある。政治に対していろいろと考えてその中身を批判したり賛同したりしてそれを意見として述べることもあれば、中身の議論ではなくて感情や情などによって時には激しく政治批判をしてそれを政治的な判断としてしまうものもある。先の国民の声の反映は政治的民主主義でしょう。そして後の国民の声を反映するというのがポピュリズムでしょう。
ですから民主主義とポピュリズムは違うのです。
マスコミの立ち位置は、民主主義としての国民の声を取り上げることですし、その声と国家への批判的な報道(常に検証すること)を結びつけることにあるでしょう。以前朝日新聞の記事にたしか国民の視点と国の視点そしてその中での記者の視点とは何かと問いかけたものがありましたが、記者の視点とは正確な情報を流すこととその情報に対しての国民の声を民主主義的な視点かそれともポピュリズム的な視点化を判断しながらその情報を分析して報道することにあるのではないでしょうか。
適菜さんはこの民主主義とポピュリズムを一緒にしてしまっているのではないでしょうか?
この中でマスコミは「安倍政権批判よりも、日本の最大権力である有権者こそ批判の対象にすべきです」とする。国民の声という民主主義を発達させるものとポピュリズムを一緒のものとしてしまいこのようなマスコミの批判対象を有権者(国民)に向けるというのは危険でもあります。
また、政治家を選んだのは国民自身だからその責任は国民にあるといった月並みな意見も書かれていますが、忘れてはいけないのは国民は政治家に白紙委任状を渡したのではないという事です。政治家の公約破りは多く見受けられますし、多くの事柄には公約にないこともあります。ですからその都度国民はチェックをしながら声を上げなければならないのです。そしてそれと結びつくのがマスコミの立ち位置なのです。選挙権自体が民主主義ではない。常に動く政治を感情や情というポピュリズム的に見るだけではなくて、国民は考えることが大切ですしその考えたことを声にすることが大切なのです。それを取り上げる中に世論形成としてのマスコミの役割があります。こうしたものが発展していくこと自体が民主主義の発展なのです。ポピュリズムは逆に政治家やマスコミも利用することがあります。その意味においてマスコミはポピュリズムを批判しなければならないというだけです。
適菜さんは橋下市長を批判していますが、なぜかポピュリズム批判を含めて選挙自体が民主主義であるといった論理(批判するなら次の選挙で落とすのが民主主義であるような)が適菜さんと符合するところがあります。

【2014年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから。
「限定正社員」賃金は正社員の8~9割…指針案(読売新聞) - Y!ニュース。。。年収1000万以下の残業代ゼロを引っ込めたと思ったら今度は限定正社員。。。
春闘の賃上げや一部業種での時間給の上昇を見て賃金面でも景気の回復の材料が出ているといわれるが、残業代ゼロや限定正社員のように政府は次から次へと賃下げの行動を起こす。この矛盾をどう見て景気の回復というのか?残業代ゼロや限定正社員が一度はいれば改悪が待っている。。。
人件費削減と路線の再編で経営改善(大阪市バス)。。。日本の企業などの多くはこういった経営改善や生産性を考えていると見たほうがよいだろう。
その現れが残業代ゼロや限定正社員の導入なんです。

一部業種などの時間給の賃上げ傾向は労働力人口の減少とブラック企業なども含めた労働条件の悪さなどにより労働力が集まらないところからきていて、社会全体の景気の回復による賃上げ傾向ではない。春闘の賃上げも一部の大企業や正社員に対する管制の賃上げでした。
企業や政府の関心事はやはり生産が拡大して労働力が不足をするといったものではない生産の量は同じの中での労働力人工の相対的な減少の中での労働力不足そしてその中での労働力の需給関係から来る賃上げ傾向でしょう。これをどのように抑えるかが企業の関心事でもあり今の自民党政治の課題となっている。
ですから上に書いた大阪市営バスの例のように「人件費削減と路線の再編で経営改善」という誤った生産性の向上に向かっているというのが実情でしょう。
高齢者や女性の労働力と外国人労働者の労働力という安い労働力の確保を至上命令とする。この意味において政府は賃上げを抑えようとしている。
しかし総理大臣も政府も日銀もニコニコしながら賃金は上がっているとして景気の回復に自信を表明する。しかし反面では上のように賃上げを抑える政策を矢継ぎ早に行う。成長戦略としての労働の規制緩和です。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「梅雨で嫌なことは?」
梅雨の嫌いなところはと問われれば多くの人が雨と答えるでしょう。
日本は四季があった夏と冬との温度差も40度ほどある。雨季があって乾季もある程度ある。
大雪が降って台風が来て最近ではゲリラ雷雨や竜巻まで頻繁に起きる。
四季それぞれに嫌なところがありますね。
その中で夏の嫌なところは湿度の高さと梅雨の雨。。。。
でも、いやなところでもある高湿度や雨も、時々涼しい夜風を心地よく感じるも高湿度の蒸し暑さあってのこと。梅雨の雨もアジサイにしっとりと降る雨のように緑や花の美しさを引き立たせます。
四季があることによることで嫌だと思うことがあるのですが、その嫌なところがあるからこそ楽しい気持ちや癒しもである。そして俳句などを通して詩的にもなる。
大体から人の一生自体がそうは楽しいことばかりが続くわけではなくて、嫌だとか苦しいとか感じながらもその中の一瞬に楽しみや喜びを感じるものです。
自然災害となれば死んだり財産を失ったりするわけですから悲しいですね。。。。しかし人は時間の流れに乗らざるを得なく、笑い顔も取り戻す。時間の流れには四季がある。。。。。その中に笑顔も取り戻す。
東京も、昨日梅雨入りのようでした。どんよりした曇り空と小雨。花の手入れをしながら空を眺めました。

「経済学が虫をする貨幣の回転(2)」の続きのようなものです。
ロイターに「企業の利益剰余金390兆円、経済の停滞要因に」という記事があった。企業利益の拡大は一つの経済の状態を示す。それは表面だけを見れば経済の好転を現すが、実は根っこは枯れていることがある。企業は貨幣を資本に転嫁しなければ企業は窒息状態に陥るのである。400兆円もの貨幣が滞留し、それは金融商品に流れているのでしょうが、企業利益が本業よりも金融商品での利益割合を増加させる。
貨幣が資本に転嫁されねばならないのだが、この資本とは何か?不変資本と可変資本である。設備投資の増加と雇用や賃上げによる労働者への賃金である。現在の日本企業の状態を見ると、設備投資も賃上げも微々たるものである。そしてこのことが日本経済を好循環に向かわすことができない要因であることは政府も認めるところである。ここから政府日銀も経済の好循環に対してずっと『道半ば』という言葉でごまかしている。ロイター記事の表題にあるように企業の利益余剰金が「経済の停滞要因」なのである。
これまで何回となくこのブログでデフレ不況からの脱却は貨幣量ではなくて貨幣の回転速度を上げることであると書いてきた。このことが今回のロイター記事での分析と一致をした。
日銀は量的緩和を捨てていない。政府は税金を公共事業にまわそうとしている。国家財政はさらに厳しさを増して日銀の信用悪貨まで言われはじめている。政府日銀は共倒れである。
政府も企業もこれまで生産性向上を労働者からの搾取増に考えていた。日本の賃上げ状態や雇用(非正規や女性高齢者労働力)は失われた20年から出口が見えない状態になっている。
経済学は貨幣の回転を無視をしてはならない。

【2018年】ツイッターつぶやき
キンギョソウもだいぶ弱ってきましたので花屋さんでフェアリースター(SANTORY FLOWERS)という極小のニチニチソウを買ってきました。
去年から気になっていた花です。
ニチニチソウですから葉っぱも花もニチニチソウそのものなのですが、花が1.5センチほどの小さな花です。
ホワイトとミルキーピンクを買ってきましたが二つ並べてプランタに植えたら、夜も窓からこぼれる光ですごくきれいです。
ニチニチソウと言えば先日他の花屋さんに耐寒性があり冬も葉を落とさないニチニチソウというのがありました。これも興味があります。今度一つ買ってきて今年の冬を越させてみようと思います。
ベランダも少しづつ夏模様・・・・・・

川上弘美さんの「東京日記 「ステキ」排斥。」が更新されました。
昔喫茶店に行くと、親父が小さな鍋に冷めたコーヒーを入れ温めなおした苦いばかりのコーヒーを出していた。今もこうした喫茶店があるのかな。。。。。お世辞にも「ステキ」な喫茶店ではなかった。。。。
川上さんの東京日記を読んだらこの喫茶店を思い出してしまった。
たしかに小鍋一つあれば便利なもので大概のことはできる。
さすがに川上さんは小鍋で温めなおしはしていませんよね?
しかし小鍋でお湯を沸かして珈琲をドリップするとき、お湯が鍋を伝わらないだろうか?コーヒーカップの周りがお湯でビシャビシャに!(笑)
素敵な生活というものは僕もだいぶ昔に捨てています。
だから素敵なおじさまにはなれない。
でも、川上さんは素敵な作品をたくさんおかきになっているので素敵なおばさまかも・・・・・

【2019年】ツイッターつぶやき
以前このブログに利益は従業員には還元しないというものを書きましたが、日本は異常な状態です。
以下ツイッターから
経済の好転によって消費増税10%は行われるはずだったが、ポイントだとかよくわからない手当てをしないと無理になっている。
アベノミクスと日銀の異次元緩和がなぜ失敗をしたか?
それは内需の拡大に結び付かなかったためで、それが国内の設備投資を促さなかったからでしょう。
むしろ日本は国民生活を低下させることが生産性をあげることに結びついている。バイトなどの低賃金労働を使って利益を上げてセレブな生活。。。。
このようなものが当たり前になっている社会になった。
政治面でも交負担低福祉傾向に。
この中で格差社会と貧困と中間層の減少により矛盾は広がる。
GDPに占める個人消費は経済に大きな影響を及ぼす。
個人消費が伸びない中であらゆる援助のもとに輸出が増えても経済の好転はないでしょう。
チャイナ・ネットによると中国では「2018年の中国の経済成長に対する消費の貢献率は76.2%に達し、内需は中国の経済成長を牽引する主要なエンジンとなった」(引用)と総括をし、今後も内需拡大に力を入れていくらしい。
中国も急激な経済成長の中で都市と農村などの格差が大きくなっているでしょう。しかし内需拡大によりこの格差を是正するとともに量より質の個人消費を目指すとされる。これが今後の経済成長のエネルギーなるという。
一方でアメリカにおいても民間主導でベーシックインカムの効果について本格的な実験をするという。
ロイターによると、
アメリカでも1%99%という格差社会に国民の怒りがデモになった。アメリカ経済は保護主義となっていく中で内需の拡大がカギとなるでしょう。
ヨーロッパにおいては社会民主主義の力が一定程度影響を持っている。
以上の連続ツイートから見えてくるのは日本の異常さです。

【2020年】ツイッターつぶやき
息子からステーキ肉をもらいました。
九州の黒毛和牛です。

100グラムほどのステーキ肉が3枚入ってましたが、サーロイン、赤身肉、脂が多い肉(カルビーみたい)それぞれ味わいが違うので人さらに盛り付けて家族で食いました。
ステーキソースは、オリーブオイルでニンニクスライスを香ばしく焼いてその油でステーキを焼きますが、ステーキを焼き終わったこのフライパンに水を少々、さ、みりん、砂糖、しょうゆを入れて少し煮詰めてカリッとしたニンニクを戻します。
純和風です。。。
そういえば、ステーキソースというのは醤油風味が多いですよね?
そもそもステーキソースをかけるというのは日本風なのでしょうか?
柔らかくておいしかったです。

【2021年】ツイッターつぶやき
レジ袋が有料化になりどのくらいたつのか。。。。。
コンビニに立ち寄る機会が多いですがそのためにいつもエコバックを持ち歩く習慣はなかなかできませんなぁ。。。。
スーパーにはエコバックを持っていきますが、最近はコロナ騒ぎで3日分ぐらいの買い物をしますからレジ袋を買うのがバカらしい。でも、エコバックの中には必ず1枚は古いレジ袋を入れておきます。葉野菜やパンなど軽いものはそのレジ袋に入れて重いものはエコバックに。
しかし。。。。
エコバックと言っても石油製品を使っていますからプラスチックごみに変わりはない。
プラスチックごみがレジ袋からエコバックに変わっただけです。レジ袋有料化で買うたぼにむかっとするのですが、だからと言ってビニール製のエコバックも高いですからなぁ。。。。。
それならばレジ袋を数回使っていたほうが良いのかもしれません。使いまわしのレジ袋がエコバック。。。。。
来たなく汚くなったらゴミ袋として最後は可燃ごみへ。
布製のエコバックも使っています。手で持つ部分が太い帯状の紐ですから重いものを入れても手のひらがいたくない。それでふと思うのですが、スーパーで持ちやすく丈夫なレジ袋を売ったらどうでしょう?これも立派な簡易的なエコバックになるでしょう。
使い捨てのゴミであるレジ袋を有料で買うからムカッとするわけですから持ちやすくて使いまわしの出来レジ袋ならそうはムカッと来ない。
それにしてもレジ袋有料化はプラスチックごみの減量が目的と言われていますが、有料化にすればむかつくからエコバックにするという論理にまたむかつきます。レジ袋を買わなくなってもエコバック測っているんですから。

【2022年】ツイッターつぶやき
いろいろなニュースを見ていると、例えば優れたスポーツ選手などが出るとその選手を中心にして金が動きはじめます。この金の動きを現す「経済効果」という言葉がはやりました。
何もこのようなスポーツ選手でなくても一人一人の人間の「経済効果」という物差しがつくられます。
この物差しによって生活水準が決まってしまう。
どのくらいの金が稼げるか。金が中心となります。
金が中心というものは、金が金を産む仕組みと勘違いされるようになる。金が投資によってその金が金を産む。実体経済が落ち込んでも株などの投資によってねずみ講のように金が金を産む仕組みが出来上がる。もちろんねずみ講のようなものですからどんどん金が追加されなければ金が金を産むことはない。
年金積立金まで国が取り上げて投資に向ける。岸田さんは貯金を投資に向けろと言い出す。詐欺的に資産を増加させるからと安請け合いをする。アベノミクスの失敗を隠すためのただ一つの成果だといわれたのか株価です。
今は景気が過熱することはなくなっています。実体経済は落ち込んでいますから。ですから産業の過熱によるバブルもないしバブルの崩壊もない。しかし加熱した金融はバブルの崩壊を招くでしょう。実体経済を支える産業よりも金融資本が膨れ上がる。
恐慌への最終段階です。
中国の実体経済の発展そして加熱でのバブル崩壊が言われてきましたが、たしかに不動産バブルはあったでしょうが中国は生活全般での平等化と貧困を少なくする経済政策を同時に作っている。投資的な経済の危うさもあるが、内需という実体経済の構築もある。それに対する先進国は、貧富の差も大きくなるばかりで実体経済(内需)の発展がない。内需の発展は貨幣額と勘違いされてアメリカではインフレが止まらない。一方日本はさらに貧富の差を広げるしかなくなっている。その中での金融バブルです。このバブルは実体経済から離れていることから冷たいバブルと考えていいでしょう。しかし冷たいバブルでも崩壊はする。

【2023年】ツイッターつぶやき
コロナが再拡大しているようです。
1週間で2万2千(全国)に。
社会的規制は第5類に分類されましたからほぼゼロです。どうにかいろいろ批判されても国民がマスクや消毒で感染防止を続けているのが実態でしょう。外国人観光客も戻ってきていますから感染もすすむ要因かもしれません。
高齢者はワクチンが無料ですが、若い人たちは有償なのでしょうか?
第五類になったとしてもコロナウィルスに変わりがないのですから感染拡大は避けられないでしょう。
この3年間インフルエンザにも罹りませんでしたし、風邪もひかなかった。これはコロナウィルスへの予防があったからだと思います。そういえばインフルエンザも多くなっていますね。
感染拡大がクラスターにもなりつつあります。どこかの小学校でクラスターが発生しています。
ワクチン接種がまた呼び掛けられるでしょうが、ワクチンでは防ぎきれないでしょう。

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