猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

変わる光と変わらぬ光。

2021年04月09日 10時52分27秒 | 東海道五十三次

 

柔らかく光を映すものたち。

 

旧東海道で写真を撮ろうと、

のどかな田園風景にカメラを向ければ、

そこには必ず、現代的なものが写りこむ。

 

電線、電柱、ガードレール、

重機にパイロン、ビニールシート。

 

勝手に往時を偲び『たがり』ながら、

「邪魔だなぁ」などと、

様々にアングルを変えれば、

いつも、日射しに反射する、

キラキラしたものの存在に気が付く。

 

【赤坂宿】にある『大橋屋』さんは、無料公開されているかつての旅籠。

建物を寄贈された方からの条件は、

「出来得る限り現代的なものを置かないこと」だったそう。

運営されている自治体共に、本当に凄い。

 

 

あれは車のフロントガラス。

 

そして民家の窓ガラス。

 

何かしら、大きく、固そうな鉄骨たち。

 

工場の施設?

 

ショーウィンドウ?

 

ああ、そうだ。

 

何かが違うと思う『根っこ』。

 

きっと昔は、こんな風に硬い光は、

なかったに違いないのだ。

 

紙と木と布と、石と少しの金属で、

何もかも出来ていた時代には、

およそこんな風に、キラキラするものは、

刃物をのぞいては、

なかったのではないか、と。

 

【有松】は宿場ではないものの、これまで歩いてきた中で、

最も面影を残す場所のひとつ。

のれんに見られるように、『有松しぼり』で栄えた町。

 

 

水は形を変えるものだから、

反射をしても、柔らかいだろう。

 

おそらく鏡すら、当時の素材じゃ、

映す光を優しくしたはず。

 

...なのに。

なのに。

 

新しい時代は硬い。

 

...私たちが望んだものは。

 

旧東海道の顔は様々。

豊橋はブラックサンダーのご当地!

 

 

安全安心、便利で清潔。

 

食べるものに溢れ、

あっという間に移動も出来る。

 

新しい疫病のせいで時間が出来て、

歩いてみたら、

見え、聞こえ、感じること。

 

溢れる光の中で、想像してみる。

 

「硬い光のない世界はどんなだったろう?」

 

便利でも清潔でもなかっただろうけど、

美しかったろうな。

 

街道脇に据えられた、

解説板の浮世絵の中。

 

旅人は暢気に、ユーモラスに憩う。

 

顔はいろいろ変わっても、そこはいつも『人の暮らす場所』

この旅もたくさんの人と出会い、親切にして頂き、

益々、「おかげさまで」が、日焼けした身に沁みる。

まだまだ続きます。

(※写真は順不同です)

 

 


あらわれる。

2021年04月04日 11時06分14秒 | 東海道五十三次

 

いつだったか...

前夜の大雨に洗われ、輝く松の葉。

街道脇の松並木は、開発に伴い、伐採されたり、病気にやられたり。

しかし、ここにきてようやく、大事にされ、新しい木を植える動きも。

 

静岡県の人はとにかく人懐こい!

歩いていると、次々に声をかけられ、

「歩いているならあそこを見ていってよ!」

「この先にうまい店があるから食べていきなさい!」

と、こんなご時世にあっても、とてもご親切。

地元と東海道に、とても誇りを持っていらっしゃるのだな。

『東海道ルネッサンス』という文字も度々見かける。

(東京にも、看板や解説がチラホラありますよ!)

静岡の皆さん、ありがとうございました!

 


チラリズムがキモ。 〜旧東海道歩き〜

2021年03月31日 23時59分38秒 | 東海道五十三次

 

 

三島を出て、わずか10分程度で早くも鰻屋に引っかかる(笑)

あまりにもいい匂いだったもんだから@桜家

 

 

「人は富士山だけでは頑張れない」

 

そう思ったのは、初めてである。

旧東海道歩きも三島を越えて、

まずは美味い鰻に舌鼓を打ったはいいが、

その後の景色の単調さに...。

 

いや、富士山はよく見える。

 

なんなら丸ごと、大開放。

 

角度を変えつつ、陽も当たりつつ。

 

そりゃあもう美しい!

 

...のは間違いないのだが。

 

いかんせん、 歩く者の両サイド。

 

ひたすら住宅街が続くのだ。

 

かな~り長い、住宅街が。

 

 

旅人にはなぜか、少し心細い風と景色。

 

 

...そして側溝。

 

穴の空いた蓋がついた側溝が、

もう、ただただ、歩く者の足に、

地味~にダメージを与えてくる。

 

もはや箱根より難所?と思えるほどに(笑)

 

歩き続けて、

「精神を削られる」と感じたのは、

あれが初めてである。

 

地形から?

吹き抜ける風の強さも

関係したかもしれないが。

 

かつては賑わったであろう道も、時代と共にか、所々こんな光景も。

 

あ、いや。

 

誤解されると困るから言うが、

お住まいの方には、

とても素晴らしい環境だとは思う。

 

少し道を外れさえすれば、

もっと大きな、新しい街道が通り、

不便も何もなく生活出来るのだろうし、

何より美しく壮大な富士山が、

いつも目の前にあるのだ。

 

だが、旅人には...

 

その壮大さが恨めしい(笑)

 

あの、箱根を降りる際の、

 

「わあ~♪富士山が見える!!」

 

という『はしゃぎっぷり』はどこへやら。

 

やはりチラリズムというのは、

トキメキという点において、

いつも不可欠な要素らしい。

 

実際、その『難所』を通り抜け、

再び薩埵峠あたりでチラリ富士が見えた時は、

大喜びしたし(爆)

 

富士川を渡る橋上からの富士は最高だったし。

 

結局は見る人の心?見よ!富士川橋上からの富士の美しさを!

 

 

もはや、どんどん進んで、今や富士山など、

少しも見えなくなってしまった

旧東海道歩きの旅ではあるが。

 

これまでのところは、

実は『変わらぬ景色』が、

旅人には一番の『難所』なのではないか、

と思っている次第である。

 

 


天下の険がよく出来ている件。

2021年03月13日 02時49分08秒 | 東海道五十三次

 

旧東海道は、長い歴史と現代化の中を潜り抜け。

 

 

旧東海道歩きをしていて感心するのは、

歩く上でそれが、

本当によく出来ている道であるというコトである。

 

もちろん時代の変遷により、

多少、道や坂が付け替えられたり、

舗装がされたりの変化はあるだろうが、

高低差や、難所の抜けかた等、

本当にあらゆる意味で、

誰もが歩くことの出来る道であるのだなぁ、と、

感心せずにはいられない。

   

それは長い歴史の中で、

人々が積み上げた

『データ』に基づく改良の成果でもあるのだろうが、

それにしたって重機も何もない時代に、

あれだけの道筋をつけてゆくのは、

まあどれほどの苦労だったろうと、

驚嘆することしきりである。

 

『天下の険』の呼び声高い、箱根の山も、

登る前にはなかなかびびっていたはずが、

通り抜ければ「あれ?もうてっぺん!?」

といった風だったし、

往時の機能はとうに失ったとしても、

今尚、面影を残す宿場町は、

本当に絶妙なタイミングで目の前に現れ、

史跡や痕跡を眺めつつの、適度な休息をくれた。

 

すなわち、昔の旅人なら、

どれほどこの宿場の存在が有難かったか...

 

そういうことに尽きると思う。

 

...歩いてみれば。

 

箱根の杉並木は、旅人に木陰を与えようと、

徳川幕府が整備させたものだそうである。

 

なるほど、実際、晴れた日には、

(実際、我々が歩いた日も)

その必要性が嫌というほどわかる。

 

箱根の山は天下の険。

 

されど、天下の険は、

殊の外、よく出来ている件。

 

旧東海道歩きはまだまだ続く。

 

昼猶闇き杉の並木。