肺癌と疑われていたあの頃、すべてが大きな意味を持っていた。
実は、ゴンザの横浜マラソン出場や花見の頃は、
ちょうど『肺癌であろう』と言われていた時期なのだが。
そのことを知っていた友人たちは、
各自が、仕事にプライベートにと忙しい中、連日駆けつけてくれ、
一種、異様な活気を持って、私たち夫婦を励ましてくれていた。
ゴンザの同級生である彼らは、ゴンザに対するのと同じように、
常に私に気さくに優しく接してくれているが、
その時も何くれとなく親切にしてくれては、
笑いやユーモアも交え、支えてくれたものだ。
「これが最後なのかな」と、友人M君主催の屋形船から見た桜。
私の好物を携えて、毎日のように様子を見に来てくれたTさん。
家族ぐるみで「助けられることがあればなんでも言ってくれ」と、
そばにいて励ましてくれたY家。
息子のYTは、マラソン観戦中、
咳き込む私の背中を優しくさすり続けてくれては、
「大丈夫?」と、気遣ってくれた。
その母のYちゃんは、中国出身だが、私を『日本のお姉ちゃん』だと。
Mくんはただでさえ少ない睡眠時間を削って様子を見に来てくれた。
他にも、Kさん、Sちゃん、Nさん、Hさん、Kちゃん、Mちゃん、Cちゃん、Hちゃん。
同級生たちだけではなく、励まして下さったたくさんの人たち。
今回の『肺癌騒ぎ』の中で、
私は、多くの不安や苦しさに晒されもしたが、
同時に多くのことを学んだ。
これまで、自分がどれだけ恵まれた環境にいたか。
健康がどれだけの宝なのか...
どれだけ自分が幸せか。
『人間嫌い』を自称する、偏屈で狭量な私が、
たくさんの人に囲まれ、優しくして頂くのは、
本当に申し訳なく、心苦しい限りだが、
考えれば、だからこそ、この『騒動』は、私の身に降りかかったのかもしれない。
忘れっぽく、傲慢な私に、『その感謝を、いつまでも忘れないように』と。
癌と言われ、蓋ならぬ、胸を開いてみたら、
あらまあびっくり、寄生虫騒動。
吸ちゃんとはもうすぐお別れだけど、
大事なものは、いつもココにある。
この胸に棲む、吸ちゃんが教えてくれた、たくさんのこと。
3つの傷跡と共に、ずっと残る。
みんなみんなありがとう。
...そして吸ちゃん。
退治しなくちゃならなくて、本当にごめんね。
吸ちゃん退治、いよいよ始まりました。
世の中には、今も病と闘う人がたくさんいて、
その、誰もの家族や友人が、それぞれ、完治と幸せを祈っている。
みんなが、私にしてくれたのと同じように。
明日も、あなたの家族や友人が、笑顔でありますように。
私も、心から祈っています。
ねぇ、吸ちゃん。