プラハには物乞いが多く、
あちこちでその姿を見かけた。
特に、観光名所であるカレル橋には、左右に、
等間隔で、頭を地面に擦り付けた物乞いたちが、
並んでいたものだ。
彼らの大半は若く、帽子を被り、
また、傍らには大抵、犬を伴っている。
おそらく犬好きの観光客から、
「可哀想な犬の餌代に」と、
幾ばくかの小銭を恵んでもらうためなのだろう。
確かに、いかにも健康そうな働き盛りの男が平伏すだけより、
それこそ『犬を餌に』同情を買う方が効率はよさそうだ。
晩秋のプラハは寒く、石造りの橋に平伏すのは、
さぞかし身体が冷えることだろうが、
個人的にはそんな苦労をするぐらいなら、
手っ取り早く働きゃいいのに、とは思う。
が、
そこはそれ、現地の失業率も知りはしないし、
軽々にものを言うべきではないのかもしれず。
ただ、私の印象に強く残ったのは、
物乞いたちの傍らで身体を休める『相棒』が、
必ず暖かそうな布で包んで貰ったり、
敷物を与えられ、暢気に眠っていたりしたことである。
彼らは、決して飢えた風でなく、どの子もしっかりした肉付きで、
毛艶もよかった。
顔つきは和やかで、その風情は、
愛情をたっぷりかけられた、どこかのペットと変わらない。
目にした動物が不幸そうではないというのは、
無責任な立場からしても、心安らぐものである。
観光客が行き交う中で、
自身は何も敷かず、深々と冷たい石造りの橋に平伏す物乞いたちの影に。
ある時、現地の子供たちがその姿を真似して見せては写真を撮り、
囃し立てて笑った。
子供とは残酷で正直なものだ。
犬たちは静かに、主人の側に寄り添う。
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