ゴンザと一緒に電車で買い物に行った帰り、最寄駅の改札を出ると子供達の声がした。
「猫貰ってくれませんか~?」「仔猫いりませんか~?」
ふと見ると中学生くらいの女の子4人が、目が開いたばかりの仔猫を4匹、ダンボール脇で抱いて座り込んでいる。聞けば、近くの河原に4匹固まっていた仔猫だとかで、彼女たちは「捨てられていた」との判断をしたらしい。一瞬私も野良猫の子供の可能性を考えたが、彼女達いわく、それはとても目立つ場所だったというので、やはり心無い人間に捨てられたものなのかもしれない。
なんだかこの駅前でこうするまでに起こったであろう出来事を想像すると可哀想で詳しいことまでは聞けなかったが、おそらく心優しい彼女達が見るに見かねて仔猫たちを連れて帰ったところ、親に叱られ、引き取ってくれる人間を探している、そんなところだろう。
おそらく誰でも、子供の頃にはそんな経験をした記憶があるに違いない。
しかし、私も行きがかり上少しだけは経緯を聞いたものの、我が家にはすでにもう2匹の猫達がいるしで、この仔猫たちを飼ってあげられるわけでもないし.....
と、一匹の仔猫がウンチをし始めた。
よく見れば、慌てる女の子達の手にはスポイトが握られていたが、そのそばに牛乳のパックが置いてあるところをみると、どうやら仔猫専用のミルクではなく、それを与えているらしい。牛乳の成分の1部を分解出来ない仔猫がお腹を壊したとみえる。
私が、仔猫には仔猫専用のミルクを与えなければならない事を知っているか彼女達に尋ねたところ、答えはこうだった。
「知っているけど...あれって1000円ぐらいするんだもん」
私とゴンザは、仔猫用のミルクを彼女達に寄付しようと即座に決めた。
そこで、階下の犬猫病院で聞いてみたところ、代用できるものがあるとのことだったので売って欲しいとお願いすると......先生がどうしたのかと訊ねてきたので、私は今見てきたことを正直に話した。そして最後に「可哀想になっちゃって」と言うと、先生はこう答えた。
「可哀想だと思うんなら、4匹全部飼ってあげればいいじゃん」
「そういう風に無責任に拾ったりするから大変な事になるんだよ」
と。
私は、「そうできればいいんですけど、そうもいかないからせめてミルクだけでも。だいたい子供達が悪いわけじゃなくて元々は誰か仔猫を捨てた人がいるわけでしょ。そんなの見たら子供達は拾ってきちゃいますよ。私にも覚えがあります」
そう言いながら、、自分のしている事にも、先生の言う事にも、何より仔猫を捨てた人間の行為にも、憤慨を覚えた。
何より、私が「可哀想だ」と思ったのは、もちろん仔猫もであるが、この女の子たちのことでもあり、何故なら彼女らがこれからどうにもならないことがあると知るかもしれないこと、親に叱られ、仔猫たちを可哀想に思い、流す涙があるだろうことを思ったからだ。それは誰にも覚えがある、子供の頃に経験する、一生記憶から消えない胸の痛みだ。
結局先生は無料でミルクを提供してくれ(お金は受け取って貰えなかった)、お腹を壊している仔猫に寄生虫がいるといけないからと、ウンチを少し採ってくるように、と綿棒をくれた。そして、仔猫を育てた記憶がはるか遠い私に、強制排尿の必要性を思い出させてくれた(仔猫は自力で排尿排便出来ない。母猫に舌で刺激してもらい、なめとってもらう)。
そこで、私とゴンザはすぐに駅にとって返し、子供達にミルクを渡して、仔猫たちにおしっこをさせた。ティッシュで刺激してやると、仔猫たちはそれぞれ大量に排尿したから、おそらくお腹はパンパンに張って苦しかったことだろう。私は子供達にも同じ作業をさせ、4匹全部に排尿させると、採取したウンチを持ち再び病院へと足を運んだ。そして検査の結果を待つ間、ゴンザを病院に残し、階上の自宅へと戻る。仔猫たちの下に敷く、ペットシーツを取りに行くためと、どうしても仔猫たちの引き取り手が見つからなかった時に連絡すべき動物愛護協会の電話番号を控えるためだ。
そして再び階下に戻ると先生にお礼を言い、再び駅に向かった。
幸い、仔猫に寄生虫がいなかったところを見ると、やはり親は飼い猫だろう。
なぜなら、野良猫の子であるちびくんにも、捨て猫らしかったちゃあこにも、拾ってきた当初は寄生虫がいたからだ。先生によれば仔猫が小さすぎて回虫の卵が孵っていない可能性もあるそうだが、仔猫の体は.....綺麗だった。
私とゴンザは、健気に駅で頑張る女の子達に冷たいジュースを差し入れ、仔猫のお腹に虫はいなかったこと、きちんと排便排尿をさせなければいけないこと、どうしても引き取り手が見つからなかった場合は動物愛護協会に電話で相談する事、とを伝え、あわせてそこの電話番号を手渡した。
そして「頑張ってね」とも。
何を頑張ればいいのか、本当は私にもわからない。何かを出来たようでいて、何も出来ていない、大人になりきれていない私には。
先生が言うように中途半端な同情など、きっと事態をややこしくするだけで、子供達のためにも、仔猫のためにも、世の中のためにもならないのだろう。
けれど。
今の私に出来る事といえば、それぐらいしかなかったのだ。
そうだ。
人が自分に出来る事をして、少しずつ力を合わせれば.....
いや。きっとどうにもならないことだってあるのだろう。
でもやっぱり。やっぱり......
いや、やめておこう。
結局やはり私には、何も...出来なかったのだから。
そう、何も出来なかったのだから。
「猫貰ってくれませんか~?」「仔猫いりませんか~?」
ふと見ると中学生くらいの女の子4人が、目が開いたばかりの仔猫を4匹、ダンボール脇で抱いて座り込んでいる。聞けば、近くの河原に4匹固まっていた仔猫だとかで、彼女たちは「捨てられていた」との判断をしたらしい。一瞬私も野良猫の子供の可能性を考えたが、彼女達いわく、それはとても目立つ場所だったというので、やはり心無い人間に捨てられたものなのかもしれない。
なんだかこの駅前でこうするまでに起こったであろう出来事を想像すると可哀想で詳しいことまでは聞けなかったが、おそらく心優しい彼女達が見るに見かねて仔猫たちを連れて帰ったところ、親に叱られ、引き取ってくれる人間を探している、そんなところだろう。
おそらく誰でも、子供の頃にはそんな経験をした記憶があるに違いない。
しかし、私も行きがかり上少しだけは経緯を聞いたものの、我が家にはすでにもう2匹の猫達がいるしで、この仔猫たちを飼ってあげられるわけでもないし.....
と、一匹の仔猫がウンチをし始めた。
よく見れば、慌てる女の子達の手にはスポイトが握られていたが、そのそばに牛乳のパックが置いてあるところをみると、どうやら仔猫専用のミルクではなく、それを与えているらしい。牛乳の成分の1部を分解出来ない仔猫がお腹を壊したとみえる。
私が、仔猫には仔猫専用のミルクを与えなければならない事を知っているか彼女達に尋ねたところ、答えはこうだった。
「知っているけど...あれって1000円ぐらいするんだもん」
私とゴンザは、仔猫用のミルクを彼女達に寄付しようと即座に決めた。
そこで、階下の犬猫病院で聞いてみたところ、代用できるものがあるとのことだったので売って欲しいとお願いすると......先生がどうしたのかと訊ねてきたので、私は今見てきたことを正直に話した。そして最後に「可哀想になっちゃって」と言うと、先生はこう答えた。
「可哀想だと思うんなら、4匹全部飼ってあげればいいじゃん」
「そういう風に無責任に拾ったりするから大変な事になるんだよ」
と。
私は、「そうできればいいんですけど、そうもいかないからせめてミルクだけでも。だいたい子供達が悪いわけじゃなくて元々は誰か仔猫を捨てた人がいるわけでしょ。そんなの見たら子供達は拾ってきちゃいますよ。私にも覚えがあります」
そう言いながら、、自分のしている事にも、先生の言う事にも、何より仔猫を捨てた人間の行為にも、憤慨を覚えた。
何より、私が「可哀想だ」と思ったのは、もちろん仔猫もであるが、この女の子たちのことでもあり、何故なら彼女らがこれからどうにもならないことがあると知るかもしれないこと、親に叱られ、仔猫たちを可哀想に思い、流す涙があるだろうことを思ったからだ。それは誰にも覚えがある、子供の頃に経験する、一生記憶から消えない胸の痛みだ。
結局先生は無料でミルクを提供してくれ(お金は受け取って貰えなかった)、お腹を壊している仔猫に寄生虫がいるといけないからと、ウンチを少し採ってくるように、と綿棒をくれた。そして、仔猫を育てた記憶がはるか遠い私に、強制排尿の必要性を思い出させてくれた(仔猫は自力で排尿排便出来ない。母猫に舌で刺激してもらい、なめとってもらう)。
そこで、私とゴンザはすぐに駅にとって返し、子供達にミルクを渡して、仔猫たちにおしっこをさせた。ティッシュで刺激してやると、仔猫たちはそれぞれ大量に排尿したから、おそらくお腹はパンパンに張って苦しかったことだろう。私は子供達にも同じ作業をさせ、4匹全部に排尿させると、採取したウンチを持ち再び病院へと足を運んだ。そして検査の結果を待つ間、ゴンザを病院に残し、階上の自宅へと戻る。仔猫たちの下に敷く、ペットシーツを取りに行くためと、どうしても仔猫たちの引き取り手が見つからなかった時に連絡すべき動物愛護協会の電話番号を控えるためだ。
そして再び階下に戻ると先生にお礼を言い、再び駅に向かった。
幸い、仔猫に寄生虫がいなかったところを見ると、やはり親は飼い猫だろう。
なぜなら、野良猫の子であるちびくんにも、捨て猫らしかったちゃあこにも、拾ってきた当初は寄生虫がいたからだ。先生によれば仔猫が小さすぎて回虫の卵が孵っていない可能性もあるそうだが、仔猫の体は.....綺麗だった。
私とゴンザは、健気に駅で頑張る女の子達に冷たいジュースを差し入れ、仔猫のお腹に虫はいなかったこと、きちんと排便排尿をさせなければいけないこと、どうしても引き取り手が見つからなかった場合は動物愛護協会に電話で相談する事、とを伝え、あわせてそこの電話番号を手渡した。
そして「頑張ってね」とも。
何を頑張ればいいのか、本当は私にもわからない。何かを出来たようでいて、何も出来ていない、大人になりきれていない私には。
先生が言うように中途半端な同情など、きっと事態をややこしくするだけで、子供達のためにも、仔猫のためにも、世の中のためにもならないのだろう。
けれど。
今の私に出来る事といえば、それぐらいしかなかったのだ。
そうだ。
人が自分に出来る事をして、少しずつ力を合わせれば.....
いや。きっとどうにもならないことだってあるのだろう。
でもやっぱり。やっぱり......
いや、やめておこう。
結局やはり私には、何も...出来なかったのだから。
そう、何も出来なかったのだから。
新たな命を言祝いでいる一方で、
どうしても減りませんね、
シーズン後の子猫や子犬の行く末……
三者三様の思いのどれも、
おそらく
間違っていないので。
捨てられたらしい子猫を助けてあげたい。
手を貸したいけれど、できることには限りがある。
今後に責任を持てないなら、手を出すべきではない。
人の数だけ思いがあり、かみ合わない時に
哀しみが生まれます。
生まれた命の先行きが、
どうか明るいものでありますように……
私がその場に居合わせたら、
きっとerima様のようなアドバイスは……
できないと思います。
多分、通り過ぎて見なかったふりをするのでは…
そして、家に帰り着いて心が傷付いたようなふりを
しそうな気がします。
とことん卑怯ですね。
その時はマンション住まいのため飼ってあげる事が出来ず、erimaさんのように子猫用のミルクを与え、産まれてすぐだったのか目が開けられないほど目が固まっていたのでお湯を持ってきて拭いてあげて、排尿させて秋だったので寒くないようにボロキレで覆ってあげておきました。。。
目を開ける前は汚らしい子猫も目を開けさせたらとっても可愛くて。。。
欲しかったけどグッと我慢。。。
手入れを終えて私達がやった事を書いた手紙を置いて、子猫に別れを告げて買い物へ行きました。。。
買い物が終わっても何か気になって公園に行ったらほんの一時間しか経ってないのに誰かが持って行ってくれたようでう。。。
ホッとしました。。。
今頃は大きくなって4匹楽しく暮らしている事でしょう。。。
その頃今のこの家に住んでいたら、きっと4匹全部引き取ったのに。。。
タイミングが悪かったようですね。。。
思いません
それぞれの思いの上での行動・・・
本当に正しい「答え」は出てこないと思います
大切な事って人それぞれですもの
私もその仔猫ちゃんの幸せを祈るしかできないけど・・・
無責任に『飼い主』を放棄するのだけは
止めて欲しい
みんな『あなた』(飼い主)しか
頼る人がいないんですよ・・・
こんな光景を目にしたのは何度目だろう。
無責任に「命」を捨てる精神構造ってどんなだろう。
罪のない仔猫の姿、子供達の善意を見るたびに思います。
たぶん私も。
傷ついたふりをしている...それが本当のところかも
しれません。
そして、見て見ぬふりをした事だってあったのです。
t-cat様がご自分を卑怯だと仰るのなら、私も同じです。
ただ、この仔猫たちの未来が明るくあって欲しいと、
子供達も、先生も、私も、t-cat様も、皆様も、
皆がそう思っている事だけは事実。
たぶん、仔猫を捨てた人間以外は。
いや...もしかしたら。
捨てた人間も身勝手な理屈で「幸せになってね」
なんていっているのかもしれませんね。
もしその場を目撃したら、息の根を止めてやりたい
ですが。
どうしても理解できないのは、助成金等の補助が
あるにも関わらず、
「動物本来の本能と機能を奪うのは可哀想だから」
という理由で去勢、避妊をしない飼い主の多さです。
生まれた命は彼らの「可哀想」には入らないようですね。
たとえ昨日私が見た仔猫に家族が見つかっても、
また同じ事が繰り返される。
それが現実なのでしょう。
哀しいことですけれど。
誰もがこういった経験に対して身に覚えがあるというのは、それだけ捨てられる小さな命が多いということに繋がるのですね。ミント様が見かけ、助けた仔猫たちが、覆ってもらった布で暖をとり、拭いてもらった瞼から覗く瞳の可愛らしさで、新しい家族を見つけて幸せになってくれているであろうことを、私も祈っています。きっとミント様の書かれたお手紙が、とても良い人に読まれ、4匹は今幸せ一杯なのだと。
そのときの状況で、人に出来る事は大きく変わり、「ああ、あのときこんな風だったら」と思う事って人生において本当に多いです。やはりその時出来ることをそれぞれがする、現実に何かに対峙したときはそれしかないような気がします。
そして、動物と一緒に暮らすからには、それぞれがきちんと責任を持つ。それさえ守れればこんな悲劇は生まれないんですけどね...。
「自分がしなくても誰かがしてくれるだろう」
「きっと良い人がどうにかしてくれるだろう」
たぶん仔猫を捨てた人はそう思っていたのでしょう。
それは仔猫の問題だけではなく、この世に溢れる
種々の問題の根本ですね。
しも1様の仰る通り、正しい答えは出ないけれど、
この「誰かがしてくれるだろう」という理屈だけは
間違っている。
それは間違いないですよね。
これがわが子だったら。
うちの猫だったら。
猫と共に暮らしている者にとっては本当に心の痛む
「捨て猫」という行為。
けれど、わが子が1番大事で、出来る事にも限りが
ある、という矛盾を私が抱えているのも事実です。
哀しいですね。
そして...。無責任に「飼い主」を放棄した人間は、
どんな家族を持ち、どんな生き方をしているのでしょう。
想像もつきませんが、そんな人がこの世には沢山いる。
そう思うと、ますます哀しいですね...。
この後子猫たちは、幸せになれたのでしょうか?心配です・・・
うちの猫クラウディーは、ロンドンのバタシーという所にある「バタシードッグアンドキャットホーム」という不要犬、猫救済センターに行って貰い受けてきました。不幸な事に望まれなくなった猫や、犬たちの新しいオーナーを探す為の施設で、次の新しいオーナーが見つかるまでは天寿をまっとうするまで面倒を見て、新しいオーナーが見つかると避妊手術、注射、マイクロチップの埋め込みまでしてくれて五千円ほどで引き受ける事が出来ます。新しいオーナーになる為にはスタッフとの個人面談もあり、持ち家か、新たに出産する予定の人が家族にいるかなどなど、あらゆる質問に答え、スタッフがオーケーした人だけが貰い受けることができます。
沢山の需要もあり、供給量もありますがこのような施設があらゆる所にあり、システムとして、上手く運用されています。
このような施設があったら、この不幸な子猫たちも、そして、子供達もそして、あなたもこんなつらい思いをしなくてすんだのにと辛い気持ちでいっぱいです。
早く日本にもこのような動物の立場に立って一緒に暮らしていけるようなシステムが出来る事を願ってやみません。
私に出来る事が、なにかあるのか今日は考えてみます。
さて。犬や猫と一緒に暮らす者にとって、不幸になってゆく彼らの仲間を目にすることはとてもつらい事です。過熱してゆくペットブームを横目に見ながら、年間にこの国で「処分」されてゆく60万匹の犬や猫の生まれてきた意味を、どう考えればいいのかわからないのです。
このログで書いた猫達は、今でも保護してくれた少女の家で新しい家族が見つかるのを待っているようで、このログを書いた数日後、仔猫の里親を見つけるために張り紙をしている少女達に再会しました。その時に彼女らが言った「あの仔猫、もう歩くようになったんです!あの時はありがとうございました」という、私の気持ちを慮っての言葉、輝く瞳が忘れられません。
n208hh様の仰るとおり、充実した施設、犬や猫を買ったり貰い受ける際の法整備はわが国に絶対必要でしょう。そしてやはり、1人1人が命について真摯に考えること。それが何かを少ずつ変えてくれると信じたいです。
なんだか、私のブログに来ていただいたせいでn208hh様にまでつらい思いをさせてしまったようで申し訳ないですが、これに懲りず、またお時間がありましたら遊びにいらしてくださいね。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。