5月16日から夫と二人でイギリスへ行っていました。
12、13、14日と染めを追い込みでやり、15日はカルチャースクール講師、翌16日に早朝から
成田空港へ向かいBA機で出発しました。
今回はメインがお見舞い、旅行は付属です。
義妹(夫の妹)がイギリス人と結婚して”イギリスの人”になっています。
歳の離れた人と結婚して、そのダンナさんのピーターがもう永くはないと知りました。
「せめて生きているうちに会いたい」という夫に付き合って春のうちにいってきたのです。
どんな病状なのか、よく知らずに行ったのですが、誰が誰だか認識もできず、
ただ寝てるだけ、呼吸をしているだけという状態に、少し驚きました。
この世からあの世に旅立つ架け橋のホスピスのような施設にいて、
寝ていた彼は、義妹に起こされて、うっすらと目を開け私たちを見ましたが
見ているようで見ていない・・そんな瞳でした。
義妹が「T(夫の名) and M(私の名)」と耳元で大きな声で言うと、一瞬大きく目を開けた
・・ような気がしました。
夫は「澄んだ瞳」と称しましたが、私はすべてを達観したような瞳のような気がしました。
義妹が大きな声でいろいろしゃべると「シャラップ!」と大声で叫んだので驚きましたが、
あとは何も言いませんでした。
義妹が「もう帰りましょう」というので帰ることにしましたが、
私が 彼の手に手を重ね「this is M(私の名). See you again 」と耳元でいうと
重ねられた手をほどき、私の手を強い力で握ったので、私は心が揺すぶられました。
実は何もかもわかっているんじゃないかと、ふと思いました。
部屋を出るとき、顔をこちらに向けて見ていましたから、何度も手を振って別れました。
もう、会うことはないのだろうなと思い、ショックな別れでした。
その後に、市街に出て、明日からのスコットランド旅行のために旅行社に行きました。
その時は何も言わない義妹でしたが、夜に3人でワインを飲みながら、様々な話をしたときに
「私は毎日会いに行くけど、まっすぐ目を見られないのよ」としんみり言うのです。
ピーターはもう3年ほど前から様子がおかしかったそうです。
病院では、それほどひどくないけど認知症に向かっていると言われたそうです。
その前に動脈瘤の手術をしたり、頭に水が溜まる小頭症になったり の後遺症で
少しずつ自力で考えられなくなっていったようです。
そのピーターは「体が動かなくなっても施設に入れないでほしい。自宅においてほしい。
どうにもならないときは殺してくれ」と言っていたそうです。
「でも、私は手に負えないからと施設に入れてしまった。きっと恨んでいると思う」
そう言う義妹の肩を抱いて「そんなことはないよ。穏やかな顔だったもの」と言いましたが
義妹は「ううん、違う」と言い続けました。
夫も私も、それ以上は言えませんでしたが、あとで夫は「殺してくれなんて卑怯だよな」と
言っていました。
救われるのは子供が3人いることです。
成人して、それぞれ自立しているので一緒に住んではいませんが、
親孝行で、両親のことを、特にこんな状況の母親を大切に思っているようです。
私たちは翌日から3泊4日のスコットランド旅行をしましたが、
せめて、敬愛する兄と時間を忘れて楽しめたらと思いました。
義妹の家で
庭の白樺の木。この木に会いたかったんだなぁ!
大きくなっていて驚きました。
庭の隅にある”山小屋”
ここは子供たちが小さかったとき、週末に友達が来てワイワイ過ごしていました。
今でも使えるそうです。
サン・ルーム
みんなでワインを飲んだり、ティーを飲んだり、楽しい記憶があります。
今は寂しく太陽だけが注いでいました。
それに会いたかった黒のラブラドールのガンディが私が行くのを待たずに
数日前に病死していたことも寂しかったです。
楽しい旅行記ではなく、出だしがこんな衝撃的なものですが、
明日からは初めてのスコットランド旅行記を、楽しく私なりに書きたいと思っています。