みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

オウム・サリン事件、あの日の私

2018-07-06 14:29:22 | 日記

今朝、驚くニュースをテレビで観ました。

オウム事件の関係者・7人が処刑されたというのです。

思い起こせば1995年でした。

あの日、カルチャー教室へ向かっていた私は私鉄を降りたターミナル駅で

騒然とした動きと『現在無差別テロのため、電車は止まっています』の張り紙を見て

驚きました。

無差別テロって、最近また左翼が力を付けたというの?という疑問でした。

『無差別テロ』で思い起こすのは学生時代のあの運動しか思い起こせなかったのです。

そう思いながら教室に着くと「先生、大変ですよ。霞が関あたりでガスが撒かれ

人がいっぱい死んでいるんですって」と生徒さんたちが騒いでいました。

誰が?何の目的で?という騒ぎになりましたが、私には確信のようなものが出てきて

「それはやっぱりアレでしょう。オウム真理教ですよ、きっと」と言っていました。

この世の中、そんな騒ぎを起こすのは、それしか考えられませんでした。

 

時系列を忘れてしまいましたが、

その前に 夜遅く長野で『ガス事故』が発生しました。

大騒ぎの中、ガスではなく何らかの薬剤が撒かれたというニュースが出ました。

そして、それはある家の庭から発生し、奥さんを殺そうとしたと

ご主人が逮捕もされたのです。

ところが、時間が経つにつれてサリンという人工の化学物質を気体化して

地方裁判所の官舎へ向けたのだと分かったのです。

なぜそんなことが・・というと、

その地方裁判所でオウム関連の裁判が開かれていて、それを阻止するための蛮行だったのです。

ご主人が誤認逮捕されたお宅の奥さんは今も被害に苦しんでいるし

信州大学の学生も亡くなりました。

そんな身勝手なオウム真理教ならやりかねない地下鉄の事件でした。

 

その後の逮捕劇はご承知のことですが、

死刑制度があるわが国では当然のこと、死刑です。

刑が確定してから、処刑までが長すぎます。

法律では死刑確定から6ヵ月で刑を執行しなければならなことになっているのに

この23年という長さは被害者の方々にとってはどんな年月だったでしょう。

一度に7人死刑執行というのは例がないとのことですが、

法務省と法務大臣は現政権が存在しているうちにやらなければならないことだったでしょう。

ニュースでは一度に7人死刑執行というのは諸外国から批判が起こるだろうと言っていますが、

死刑制度があることは近代国家ではないという批判は勝手にすればいいのです。

近代国家でなくても結構! 人の命を絶った者は死を持って償うのは当然です。

 

オウム事件の後、「この団体に破防法を適用するかどうか」という議論の時、

時の審査会は「どんな時も破防法という愚ろかな法を施行するべきではない」

という結論に達しました。

左翼崩れの方々らしい思考能力ですが、そうしていれば、現在の亜流に

惑わされることはなかったと思います。

この後も麻原死刑囚の遺体を奪還とか、収監されていた拘置所を

聖地などとさせるようなことがないようにと願います。

 

 

 


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6 コメント

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やっとですね (やっほ)
2018-07-06 15:50:31
話題がかぶりました。
わたしはニュースだけでしたが、みっくさんの方が身につまされた事件だったのですね。
はじめからオームが引き起こした事件と踏んだみっくさんは流石です。
わたしはサティアンなる場所にカナリアを先頭に警察部隊が踏み込んだ時初めてオームだったんだと思いました。
「オウムにカナリア持って洒落?」とも思ったものです。

やっと死刑が執行された。しかも周到な計画のもとでの執行のようですね。
これで被害者ご家族も一段落されたことでしょう。

死刑反対論者の声があがるでしょうか?
興味深いところですね。
テレビの箱の中で ”ぐじぐじゅ” 言うだけでしょうか。
それとも大ぴらに異論を唱えるのだろうか。
返信する
やっほさま (みっく・じゃが)
2018-07-06 16:17:27
かぶってしまってすみません。
こんなことを引き起こす前、街頭で選挙活動をしている時から
激しい団体でした。
宗教から政治にかかわっていける、
それは創価学会と同じになれると思ったのでしょうが、そうはいきませんでした。
選挙で惨敗した時の悔しそうな様子を思い出します。

カナリアを持って入ったときは、北海道の炭鉱事故のときに
同じようにするのを子供ときに見たので、
万一の毒のことを考えているんだなと思いました。
カナリアはたまりませんね。

大量の死刑は、いわゆる人権派という人たちが
何か言うかもしれませんね。
返信する
Unknown (茉那)
2018-07-06 18:02:10
坂本弁護士殺害事件の時にきちんと対処していれば地下鉄事件は起きなかっただろうと言われていますが、すべて後付けの話ですね。

松本の事件の時は冤罪まで出ました。
河野さんは警察に連れて行かれる前にまだ幼い子供を前にして「おとうさんは犯人ではない。お父さんがいない間このようにして過ごしていくように」と通帳などを並べて話したといいますが、なんと立派な父親かと涙したことを思い出しています。

上九一色村は今はないそうですがカナリヤの籠を先頭にしてサティアンに入って行った捜査員たちの姿は鮮明に覚えています。
麻原彰晃はなかなか見つからなかったのにたまたま休憩していた捜査員が偶然隠れ部屋を見つけたとのことで、劇的な結末でした。
しかしそれから今日まではずいぶん長かったですね。
返信する
この日本は いや 世界は (RIN)
2018-07-06 19:26:40
殺した側が あまりにも 守られすぎると思います、

チャールズブロンソンがニューヨークの地下鉄で 絡んできた男をピストルで撃ち、「女は2度決断する」で夫と子供を爆弾テロで亡くした女が 逃げた男女を自爆で殺す、
よく分かります、
返信する
茉那さま (みっく・じゃが)
2018-07-07 15:53:18
大きな事件でしたね。
私の周りでは被害者がいませんが、
突然の悲劇に見舞われた方やご家族の心情を思うと心が痛みます。
よくもまぁと今になってもこんな事件を起こした麻原には怒りを覚えます。

今、分派で信仰している若者の中には
かっての事件を知らないものもいるのでしょう。
昨夜、長野の松本で被害を受けて亡くなった息子さんを思って
「犯人たちは22歳の息子の人生を越えて生きてきたんだなと思うと
たまりません」というお母さんの言葉が印象的でした。
返信する
RINさま (みっく・じゃが)
2018-07-07 15:58:28
死刑判決から15年だそうです。
今朝の新聞で事件を指揮した検察官が
麻原が「助かるには方法は一つだということですね」と
言ったそうで、精神を病んでいる風を装うのだろうと思っていたら
やっぱりそうでしたという記事が載っていました。
卑怯者なんですね。
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