毎年 立春の翌日からお雛さまを飾ります
前にも書いたことがありますが、お雛さまは私にとって姉のものでした。
誰のうちでも女の姉妹それぞれにお雛さまを持たせることはないと思います。
家のものであって、自分のものではないことを寂しく思っていた私が
人一倍『人形』に執着するのは、このせいかもしれません。人形大好き
娘が生まれて、初節句に親王飾りというお雛さまを買えたことは
自分の事のように嬉しかったのを覚えています。
それでも”自分だけのお雛さま”にこだわって、金沢に旅をしたときに
「これは一点モノですよ」の言葉につられて買ってしまったのがこれです。
お雛さまが貝の上に座っているんです。
両方で貝合わせができる、つまりこの二体は常に二つで一つということです。
その意味も嬉しく、立って6cmに過ぎませんが、この縮緬の雛人形が可愛らしくて大事にしています。
さて、
昨日 2月4日立春の日は 私が生まれたときから、ずーっと誕生日です。
もうずっと誕生日だからと言っても嬉しいということもなく「また来たか」程度です。
考えてみたら、子供の頃も、若い時も 誕生日だからと祝われたことがなかったです。
結婚して子供が生まれて、初めて『誕生日を祝う』ことをやったのではないかしら?
子供二人と夫婦、1年4回のバースデー・パーティーをずっと続けてきました。
息子が結婚独立して、それが3人分になり、昨年娘が結婚して家を出たので
今年から夫婦二人だけのバースデーパーティーになるので、いっそ止めようかと思っていました。
ずっと「おめでとう」と言われても「喜ぶような歳でもないし」などと言っておりましたし。
が、
スポーツジムで新しくできたお友達から「お誕生日おめでとうございますぅ」と
フラワーアレンジメントをいただいたとき、驚きとともに喜びが心の中に広がりました。
聞けば、華道師範の免許を持ちつつ、アレンジメントもしているそうです。
思いがけないプレゼントに、多少慌ててしまいました。
ジムからの帰り道、このお花を胸に抱えて嬉しくて
「そうよ、こんな歳だって、誕生日を祝わなきゃ!」の想いが広がりました。
それに、いつもお米や野菜を送ってくれる滋賀県・米原に住む友人が
地酒を3本も送ってくれていたのです。
新鮮な野菜とともに日本酒が入っていて、手紙には「もうすぐ誕生日ですね」と
書かれていました。これだって誕生日を祝ってくれているんだわと思ったのです。
夫からはそういう言葉をもらっていませんが、気持ちはあるんでしょう(?)。
というわけで、昨夜は少しばかりのパーティー料理を作りました。
手前にあるのは米原で雪の下に埋めておいた長ネギを送っていただいたので
ごま油で炒めて塩を振りかけただけですが、甘くて美味しかったです。
赤いのは赤かぶの酢漬けしたものですが、この赤かぶも米原産です。
お酒も美味しくて、日本酒とスパークリングワイン、絶品でした!
ただネ、これで 料理は自分で作るのではなく、作ってもらったものなら、もっと嬉しかった
けど、それは無理ですね。
これからも 誕生日は祝います
ここで、皆さまから 私の誕生日に対する姿勢に
深い愛情のこもったお言葉をいただき、ひとつひとつ
肯いています。
歳を重ねる喜びをかみしめられる人間に成長した気がしています。ホントよ。
改めて、ありがとうございます。
素敵なタイトルだと思いましたよ( ̄∇ ̄”)
それも立春とは!
春が立つ日に生を受けるとは
梅か蕗の薹の妖精みたいじゃないですか。
息子の幼稚園時代のママ友は
私が34の時
手遅れの膵臓癌で
四人の子供を残して
42才でなくなってしまいました
彼女はどんなにしても43
より年を取れなくて
あっという間に
すごく尊敬していた彼女より年上になってしまって、
43才より年を重ねる事のめでたさを思うんですよ。
あんた!ちゃんと喜びなさいよっ?!
ワタシもう、年取れないんだからねっ!
って怒られそうで
盛大に喜ぶ事にしています
おめでとうございます。
これからもお健やかに
( ̄∇ ̄)ノシ
hokutoさんも同じですか。
私はどんな人形も好きで、人形劇まで好きです(笑)。
「歳を重ね、健康で誕生日を無事迎えられることに感謝する日」ですか、
そうですね!とってもいいことを知りました。
ありがとうございました。
今年は忘れられて・・・それは残念でした(笑)
お誕生日おめでとうございます。
誕生日は中年になり友人が亡くなってきたりしてから、健康で誕生日を無事迎えられることに生かされていることを感じてうれしい日と思って感謝しています。
誕生日は夫と外食し、ご馳走になっていましたが、今年は黙っていたら忘れていました。
次男家族は毎年忘れずに家族でかわるがわるおめでとうコールをくれます。やっぱりうれしいものですよね。
何歳になっても祝ってもらえるのはありがたいこと、
林檎さんに言われると納得します。
あなたには、もう祝ってもらうダンナさまとお母さまが旅立たれたんですものね。
これからは自分で祝いましょうよ。
お二人とも、天国から祝ってくださっているんじゃありませんか?
「オオそうか、暑い日に生まれたんだったなぁ」でおしまい、(笑)
いいリアクションですね。あっはは
夫は誰のパーティーであろうとも、そういう雰囲気が好きなのです。
なんだかおめでたいことがあるのは浮き浮きするんでしょう。
でも、ようちゃんばあばさんがおっしゃることは
「さすがだぁ」と思わせられました。
私は感謝が足りませんね。
各家庭で、いろんな育児方針があるものなんですね。
私も自分の子供にはバースデー・パーティーをして来ました。
ケーキも手づくりで、かなり自己満足なところもありました。
そのことは息子とは話したことはありませんが、
娘が、結婚しても私の誕生日にプレゼントを贈ってくれるのは、
覚えていて喜びのイベントだったと思ってくれているからだと思います。
産んでくれたことに感謝する日ということでしょうね。
そんな殊勝な気持ちも持ち合わせていない私は
そう思ったこともありません。
『自分で祝う、これしかない』というお言葉、納得です。
お人形は大好きで、女の子が生まれたときは嬉しかったです。
でも自分にも買っています(笑)
お誕生日おめでとうございます。
何歳になっても、祝って頂けるのは嬉しいですよね。
ご主人様も、口には出さなくっても一緒に祝えることを喜んでいらっしゃるでしょう。
羨ましい限りです。
私は元旦生まれで、母と夫が祝ってくれてましたが、二人とも3年前に他界しましたので。
わたしは 8月30日生まれなのですが 子供時代は いつも夏休みなので
友達から「おめでとう」と言われる機会がなかったです。
家でも 特に 誕生日だから何かお祝いをすることもなく
「きょう 私の誕生日よ・・」
「オオそうか~暑い日に 生まれたんだったなあ」
それでおしまいでした。
そういう時代だったのかな。
自分で 自分のためにごちそうを作り…でもご主人が 一緒に祝ってくださる
それが 幸せです。
また新しい一年が、素晴らしいものになりますように!!
いろいろおいしそうでいいですね!さすがです~。
わたしの子どもの頃は、母親の育児方針でクリスマスもお誕生日もお年玉も一切ありませんでした。
あまりのつまらなさに、歳の離れた弟にはバイト代とかであげてました。
家庭を持ったら、絶対イベントは大事にしようと決めて、子どもたちが小さいうちは楽しく過ごせたのでよかったです(^^♪今はプレゼントくらいですが…。
大人になってから母の日とか要求されましたがなんか意味わかんないですよね~(^^;
長々すみません(^^;
うなずいたり、笑ったりして読ませて頂きました。
主人にプレゼントを期待しても、お金は私が管理しているし、
おめでとうと言われても、「なにが?」てな感じですね。
なので自分で祝う!!これしかありません。
私は5月生まれなので、誕生日祝いでなく
お嫁さんからは、母の日のプレゼントが届きます。
ささやかなものでも嬉しいですね。
お人形は私も大好きなんです。
子供の頃貧しくて買って貰えなかったので、
ひたすら自分で作っていました。
それが今に至っているようです。
最近は作ることも無くなりましたが。。