友人の近況を知り、心が悲しみで溢れそうです。
我がマンションはメゾネット形式で、滅多に他人と出会うことはありません。
下手をすると隣りの人とも何カ月も出会いません。
そこが良くて30年前に買ったのですが、エントランスがオートマチックでもないので、
他人に出会わないということは不用心でもあるのです。
入居したときに、何が起こるか分からない、せめて隣人とは心を通じておこうと思って
ベランダ隣りのお宅の奥さまと仲良くしていました。年齢も同じくらいです。
隣人と言っても、訪れるのには遠回りをしなければ玄関に行けません。
そんな変わったマンションで暮らし、年数が経って、娘さんが結婚したときに
住まいを譲って2,3駅先のマンションに引っ越されました。
そのときにお住まいを見せていただくために1度だけ訪れ、楽しい話を交わしました。
それから、ここ数年後に彼女は またこの近くに越してこられたのです。
お嬢さんの近くに来たかったのか、それは判りませんが
ピンポ~ンと来て「また遊んでくださいね」と笑顔で話され、私もそのつもりでした。
ですが、その後は機会が無くて1度も会うことはなく、最近、どうしていらっしゃるのか、
季節も良くなってお茶でも如何?と思って、「何時ころ電話したらいいかしら?」と
今は隣家の奥さまになった彼女のお嬢さんにベランダ越しに伺ったのです。
最初は「お母さま お元気?」「はい、元気です」から始まった会話ですが、
どうも歯切れが悪いのです。
そして言いにくそうに「これは秘密にしてください。実は母は認知症になって・・・」
はっ?驚く言葉を聞きました。
だって、私より若いんですよ。
ある時「ここはどこ?私はどこに居るんだろ」が出たそうです。
でも、特におかしなことはなく、「友人と話をすると妙な顔をされる。ヘンなことを言ってるのね私」
となり、引きこもってしまったということです。
自尊心が強いのでしょう。繊細でもあったのです。
今は犬の散歩だけが日課となり、だんな様と過ごすだけの日常とか。
子供たちだって、ウチと同じ年頃で、まだまだ見守ってやらなきゃならないし、だいいち
4人いるお孫さんの成長を見る楽しみだってあるんですよ。
お嬢さんは「よその方とお茶や食事をするようなことは、もうできないです」とおっしゃる。
愚痴を言い合ったり、映画に行ったり、音楽会にも一緒に行きました。
あの楽しい時間を持つことはもうできないんでしょうか。
そう思うと、心は悲しみでいっぱいです。寂しいです。
それとともに、もっと交流を深めていたら、そんな風にはならなかったのか、と
私自身を責める気持ちもあります。
聞くところによると、認知症状が出て、引きこもるようになると、一層症状が悪化する
とも聞きます。哀しいなぁ。
人間は生まれて生きて老いていきます。
私にも、いつかそのような症状が出たら・・・考えると怖いです。
子供には迷惑を掛けたくもないし、先のこと考えても仕方ないですね。
今始まった事ではなく、遠い祖先の時代からところてん式に老いてきたわけですからね。
でもね、ニャンコちゃんと一緒の間は大丈夫!
何かあれば、人一倍の心配もしてくれるでしょう(笑)
昨日まで元気だったのに、突然なくなられたり、
脳の病気なら、一瞬で別人のようになったりすることもあります。
そのたび割り切れぬ思いになりますが、
いつわが身になるやもしれません。
ただ悔いの無いよう、生き抜くしかありませんね。
同い年の友人が認知症になると俄然怖いですね。
歳が行ってから、引っ越しするのは認知症になったりして良くないと聞いた事があります。
こういうお話を伺うと、考えさせられます。
私はいずれ引っ越す時は、老人ホームかな。
それまで、何事も前向きに考えて生活しなければと思ってます。
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もう、お友達とはおしゃべりできないのかしら。
でも、会いたいですよね。
先の事を心配しても仕方がありませんね。みっく・じゃが様はあんなに緻密な織や製図?をなされているから大丈夫ですよ。気を強く持って生きましょう。
わかるんですけどね。
寂しくて悲しくて衝撃的な出来事でした。
やっぱり”今”が大事ですね。
今したいことは絶対する!
今までもそうしてきたけど(笑)
TANAKAさんは、いつも冷静に見ていらっしゃいますよね。
悔いなく。。。ですよね。
自分の場合はそれでいくとして、進むことを止めた友はどうしていらっしゃるのか・・
寂しく思います。
お付き合いもないと聞いていました。
お子さんも独立してしまうと、寂しいですよね。
また、ここに戻って来ても、お付き合いする人もいなかったのかもしれません。
他人とコンタクトを取るということは、大事なことなんですね。
忙しいとか愚痴ったりすることもありますが、
実はそれこそが生きてる証拠かもしれません。
わたしは人付き合いがどちらかというと苦手なのですが、それは家族と一緒にいるから平気なのであって、もし独りだったらどうなんだろう?どうするだろう?
認知症、ということばの重さを改めて思いました。みっく・じゃがさんのお友だちはどうしていらっしゃるのでしょうか。会えないなんて寂しいですよね…。
なんとか 認知症にならないで元気に過ごしたいとは みんなが願うことで
今の中高年はずいぶん健康に気を遣うので 年齢より若い人が多いそうです。
でも ほんのちょっとのきっかけで 陥る可能性は みんな持っていることなんですよね。
その方のご主人も 自分だけを頼りに過ごす奥様の見守りで 大変だと思います。
心が痛みます。
ジムで筋トレに励んだり、することがいっぱあって
休みたい、などと思っていますが、これらが無くなった時、
することがなくなってこうなるんでしょうか?
考えてみたら、彼女は物静かで控えめな方です。
積極的に動いたりしたことは見たことがない気がします。
お嬢さんの話を聞いて、こちらから声をかけるのは
遠慮しなければならないと思いました。
こんなことは考えてもみませんでしたね。
身近な年下の人がこんなことになるなんてね。
私の周りには、親が認知症で看病している人は結構います。
でも、それは、けっこうな年齢で、仕方ないかも、
ということが多くて、
自分より少し年下の人というのはまだなかったです。
”ほんのちょっとのきっかけ”というのは、転がっているんですね。
いろんなことを見直して、生活を加減しようかと思っていましたが、
挑戦できる間は頑張ろうと思い始めました。
心と頭は病んでも、体が丈夫な限りは
永い時間が続いていくんでしょう。
夫婦というのは大変だなぁと思います。