卒業式の季節が始まりました。
大阪府教育委員会は、3月1日までの府立高校卒業式において、国歌斉唱時「不起立」であった教職員の数を、明日3月4日に公表するとしています。
2011年6月、いわゆる「君が代起立斉唱強制条例」が制定され、2度目の卒業式です。府教委は、躍起になって「不起立」セロを目指しています。
確かに、条例制定後、職務命令が発出され、また、2012年4月に制定された、いわゆる「君が代処分条例」では3度の不起立で免職としていることから、「君が代」強制に反対であってもそれを「不起立」という形で示すことは、ひじょうに困難になっています。教員とて生活者です。いかに理不尽なことをされても、誰もが生活を捨ててそれに立ち向かっていくことはできません。
このような、橋下維新体制のもとの、全教職員に職務命令を発するという異常なまでの教育委員会の遣り方には強い怒りを覚えます。これではまるで札束(と言っても、生活に充てる真っ当な賃金ですが)で顔を引っ叩き、金(生活費のことです。くれぐれも)が欲しければ、言うことを聞けといわんばかりです。これはいわば禁じ手です。この汚い遣り方によって生活を抱えた多くの教職員は、理不尽であると思いながらも従わざるを得ません。
しかし、どうしてもそれができない教員がいるのです。
教員以外の多くの市民の方々には、どうして、そこまで、たかがウタではないかと思われるでしょう。
私たち教員は、学校に「君が代」が強制されることについて、毎年のように議論を重ねてきました。巷では、戦争が忘れられ、日本の戦争責任の所在も忘れ去られていっても、教員はそれを忘れるわけにはいかなかったのです。戦前、戦時下、教育がどのような役割を担わされてきたかを考えると、教員は、教え子が戦争に駆り出されるような事態には、ひときわ敏感にならざるを得ないのです。何より自分の手を汚すわけにはいかないのです。
3月1日卒業式、私は国歌斉唱時「不起立」でした。再任用を拒否され、改めて教育委員会が徹底的に「君が代」不起立教員を学校から排除しようとしている強い意思で動いていることを痛感しました。(教育委員会もやらされているにすぎませんが)
なぜ、根絶やしにしょうとするのか?そんな教師がいれば、生徒に指導できないからです。つまり、教育委員会を介して行われている「君が代」処分の目的は。子どもたちにこそ「君が代」を斉唱させることにあるのです。
教員が100パーセント「君が代」起立斉唱するようになれば、次に子どもたちに歌わせるのはいとも簡単なことです。それはなにも強制などしなくとも教員の「指導」によって行われるのですから。
私は、この状況にひじょうに大きな危機感を覚えます。
折しも、3月1日毎日新聞(朝刊)に府教育受諾中原徹氏インタビュー記事が載っていました。
(4月の入学式では)すでに職務命令も対応マニュアルも出ていて僕がいじれないが、現状は斉唱についてごまかすのが暗黙の了解にようになっているように感じる。暗黙のルールが許されるなら行政なんて信用できないのでは。
来春の卒業式からは、いよいよ斉唱が強制されることになりそうです。
「君が代」が国家のシンボルなら、「君が代」不起立は、戦争への道をますます足を速め進みだした国家への不服従と言えます。そして、それは戦争ばかりではなく競争原理の強化により共生を妨げようとする教育改革への異議申し立てでもあります。弱者をますます弱者に追い込み、しかも自尊心を奪うことによって異議申し立てすらできない人間に仕立てあげようとしているあらゆる教育改革に対しこれからも異議申し立てを行っていきたいと思います。
辻谷博子