※引き続き、引き続き、秋原葉月さんのブログAfternoon Cafeから掲載させていただきました。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1096.html
2012年版自民党憲法改正案批判~(3)基本的人権の尊重
ここで一番の注目は「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に書き換えられた事だと思います(2005年度版からそう)。
自民党は9条改正と並んでこれだけはどうしても譲れないんじゃないでしょうか。
<自民党憲法改正草案に反対する意見書(自由法曹団)>
http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2012/120823_01.pdf
第4 基本的人権の制限と統治機構の全面的改変
1 基本的人権の大幅な制限
(1)公益・公の秩序による広範な人権制限
現行憲法は、「公共の福祉」による人権制約が存することを定める(12
条後段、13条後段、22条1項、29条2項)。これは、人権相互の矛盾
・衝突を調整する原理と解されている。したがって、社会公共の利益という
ような抽象的な価値を根拠に人権を制約することは許されず、その制約が許
される程度も、人権の性質に応じて厳格な審査基準や緩やかな審査基準で判
断される。これに対し、自民党草案は、「公共の福祉」をいずれも「公益及び
公の秩序」に置き換える(草案12条後段、草案13条後段、草案29条2項)。
「公共の福祉」とは異なり、抽象的な価値を根拠に人権を制限することが許
されることになり、明治憲法下の法律の留保と同じ結果となりかねない。
(2)表現の自由・政治活動の規制
とりわけ表現の自由については、わざわざ「公益及び公の秩序を害するこ
とを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認
められない。」(草案21条2項)と規定する念の入れようであり、草案の
狙いが国民の知る権利や言論・政治活動の規制にあることが明らかである。
さらに政党を法律で規制する(草案64条の2)。「政党法」は、戦後の
日本において、体制批判政党や少数政党を排除するために、支配勢力による
制定策動が繰り返されてきた。例えば、中曽根内閣のもとで1983年5月
に登場した自民党「政党法要綱」(吉村試案)では、①体制変革を目指す政
党の否定、②政党承認要件として一定割合以上の得票又は35人以上の国会
議員、有権者10万人以上の連署が必要、③政党の出版物の提出義務、④政
党助成金、⑤規制違反に対する処罰を内容としていた。草案の狙いが、自民
党草案が狙う国家体制を批判する勢力の排除にあることは明らかである。
(3)社会権の切捨て
公務員の労働基本権について法律で全部又は一部を制限することを明記し
て公務労働者の労働運動を抑圧する(草案28条2項)。
また、財政の健全性を特に規定して(草案83条2項)、これを口実とし
た社会保障費削減・生存権の切捨てに道を開くものとなっている。
(4)人権保障とは異質な「家族」規定
自民党草案は、家族の尊重と相互扶助義務を原則とする(草案24条1項)。
個人の尊重(現行憲法13条前段)を確保しようとする人権保障制度とは全
く異質のものである。この規定は、1つには、戦前の「家」による国民生活
統制の復活を狙うものである。もう1つには、最近の生活保護バッシングと
扶養義務者の扶養を強制しようとする動きに見られるように、国の生存権保
障を後退させて家族に責任を押し付ける狙いを持つものである。
(5)他党派の改憲案
立ち上がれ日本「大綱案」は、「国の安全」「公の秩序」「国民の健康また
は道徳その他の公共の利益」を人権制約原理とすること、政党を規制対象と
位置づけること、家族の価値を人権規定に置くこと、財政収支均衡規定を置
くとしている点において、自民党草案と全く同じといえる。
みんなの党「考え方」も、政党規定を新設するとしている。
(6)基本的人権の否定
各党の改憲案とも、表現の自由を中心として、基本的人権を公益の名のも
とに大幅に制限するものであって、法律によっても侵されない基本的人権、
という原理を否定するものである。
(引用ここまで・強調は私)
自民党は、世界の歴史が市民革命以降確立してきた天賦人権思想を否定しています。
人は生まれながらにして自由平等であり、人権は国家によっても不当に奪うことは出来ないというのが天賦人権思想です。
これと逆の思想が、市民革命以前の中世封建時代や戦前の日本です。
戦前の国民は、統治権を総攬する現人神である天皇に仕える「臣民」であり、大日本帝国憲法は皇国史観とは相容れない天賦人権思想を歯牙にもかけませんでした。
「臣民の権利」は国家が恩恵として与えた物にすぎず、その権利はいくらでも法律で制限することが出来たのです。
大日本帝国憲法を見てみましょう。
第二章で臣民権利義務が定められています(ちなみにこの章では先に臣民の義務が定められていてその後で権利が定められているところが帝国憲法の性質を表していますね)
第22条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
第25条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ
第28条日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第29条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
このように、国民は法律が許容した範囲内でしか種々の権利が認められませんでした(これを法律の留保と言います)臣民の権利は立法によっていかようにも制限することが出来ました。
治安維持法、国家総動員法等々の治安立法で、国民の自由、とりわけ思想信条の自由や表現の自由はゼロの状態になり、天皇や政府や軍部を批判しようものなら激しく弾圧され、殺されることも珍しくありませんでした。
改正案は「公益及び公の秩序に反しない限り」人権は尊重される、としています。これは国や公共の利益、安寧秩序に反しない範囲内で人権を認める、ということで、国や公共の利益、公の秩序とされるものが常に個人の人権より優先されてしまいます。国家が帝国憲法の「法律の留保」と同様、国家が好きなだけ人権制限を行えます。
ですから「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に替えたのは天賦人権思想の否定なのです。恐ろしいですね。
天賦人権思想は近代憲法の本質であり根本規範ですからこれを否定することは不可能で、もし強行するならばそれはクーデターに匹敵すると思います。
このありえないような暴挙は改正案を手がけた人物が先走ったのでしょうか?
例えばこちらに改正案を手がけたと言われる西田昌司氏に関するこんなツイート
自民党の改憲案を作ってる西田議員は、「そもそも国民に主権があることがおかしい」(原文ママ)と、朝生で言ってましたね。
片山さつき氏のツイート
2012年12月7日@katayama_s 徴兵制は考えていないでしょう。奴隷的拘束条文にしても、誤解を招く内容です。憲法は国家の最高法規です。ですから、改正は国の方向性を決める重大な意味を持ちます。ならば、誤解されるような表現・内容は避けるべきです。政権政党になるのですから、しっかりして下さい。
@taiyonokokoro50国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!
しかしこれは西田氏や片山氏の個人的見解ではなく、驚く無かれ、自分党の公式見解なのです。
自民党の日本国憲法改正案Q&A(pdfファイル)にこうあります。
Q2 今回の「日本国憲法改正案」のポイントや議論の経緯について、説明してください
答 今回の草案では、日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。
もしこれがドイツならば自民党はたちまち非合法組織との認定が下されるでしょう
こんな政党が公党として存在でき、しかも次期選挙で第一党になりそうだという現実を私はなんと言っていいのか・・・やはり「日本終了のお知らせ」と言うしかない気がします。
改正案12条を見てみると「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」という文言があります。よく耳にする、人権の性質を全く理解できていない噴飯物の常套句です。
権利と義務はバーターではありません。
人権は人間である以上アプリオリに備わっているもの、何かと引き替えにお上から与えてもらう賜物ではないのです。
日本という国は人権についていまだに基本的な正しい理解ができないおバカであると憲法で宣言してるようなものですね。
この文言からは「納税や勤労の義務を果たせないホームレスや生活保護受給者に人権などない」という昨今のトンデモな考えに容易に行き着きます。
また、13条を見てみると、現憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。」とされていますが改正案では「人として尊重される。」になっています。
「個人として尊重」「人として尊重」
一文字だけの小さな違いですが、「個人として尊重される」というのは個人主義思想を表す定型句なのです。
一人一人みな違っていていいのだし、ありのままを尊重されるべきだという個人主義思想(個人主義と利己主義は違う)は天賦人権思想とは切っても切り離せません。
しかし、国家>個人、集団>個人、と全体主義的な指向のある自民党は個人主義思想はお気に召さないのでしょう。「人としての尊厳」という表現に変えることによって、個人主義思想を捨て、これからは集団>個人という考え方で逝きます、という意思表示をしているのだと思います。
個々の条文について水島朝穂教授が細かく突っ込んでいらっしゃいますので拝借して一つ一つ見ていきたいともいます。引用先はこちらになります(全文はリンク先でどうぞ)。
また、こちらのサイトで条文を見比べながらお読みくださるとわかりやすいかと思います。
<14条 法の下の平等>
次に、14条の「法の下の平等」の差別列挙事由にある、人種、信条、性別、社会的身分または門地の5つに、「障害の有無」を新たに付け加えたことである。この点はどう評価すべきだろうか。英国の障害者差別禁止法理に詳しい杉山有沙氏(早大院社学研究科)によれば、単なる「障害」ならまだしも、ここで「障害の有無」としたことには疑問がある。障害には、(1)障害者が本人で負う不利(身体的、知的、精神的機能障害による障害)と、(2)社会的責任で生じる不利(社会から生ずる障害)の二種類があるが、国家が差別禁止の脈絡で緩和・解消を求められるのは(2)の場面に限定される。(1)については社会福祉による支援の問題となる。それゆえ、「憲法改正草案」の「障害の有無」という表現は、この両者の区別を曖昧にするものであり、しかも、14条にいう「人種」や「信条」などの差別列挙事由とは次元を異にし、同列に並べるのは妥当ではないということになる。
<15条 外国人参政権>
外国人の参政権については、これを国と地方のすべての段階で排除すべく、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする15条1項を、「主権を有する国民の権利」と書き換え、同3項の「成年者による普通選挙」も「日本国籍を有する成年者による普通選挙」に変更するとともに、地方自治体の住民による首長・議員の直接選挙の規定(93条2項)まで、「地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する」と改めている。外国人の地方参政権を憲法レヴェルで完全に遮断する狙いが見て取れよう。
<18条「奴隷的拘束j削除>については前エントリ-に書きました。
<20条 政教分離原則>
政教分離原則(20条)の相対化を定着させる意図も明確である。「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」として、国と地方公共団体の宗教的活動の制限を緩和しようとしている。最高裁の津地鎮祭訴訟判決以来の「目的・効果基準」も、かかる改正が行われるならば不要となるだろう。
<21条 表現の自由>
「憲法改正草案」では権利の相対化も著しく、特に憲法21条の表現の自由については、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」については禁止される。政府批判や「公」のベールに包まれた問題の批判や暴露もあるだろうが、憲法に「公益」「公の秩序」が入れられれば、政府の恣意的解釈の余地は広がり、表現の自由はますますやせ細ったものになっていくだろう。
<22条 居住、移転、職業選択の自由>
「公共の福祉」概念をもともと含む憲法の2カ条について、まず22条の「居住、移転、職業選択の自由」については「公共の福祉」を削除する一方、29条の財産権制限については、「公共の福祉」の代わりに「公益及び公の秩序」を入れた。「公共の福祉」と異なり、「公益」「公秩序」と言えば解釈の余地はなく、制限側にとってハードルは著しく低くなる。
<24条>
憲法24条の家族のありようについても、婚姻の成立が「両性の合意のみ」を条件としていたのに、「のみ」を削除する一方、「家族は、互いに助け合わなければならない」という形で、国家が家族の内部のありように介入する余地を認めている。
<新設25条の2~25条の4>
国の環境保全の責務(25条の2)は、すでに法律にも規定されている緩い責務規定のコピペとも言える意味のないものになっている。加えて、自民党「新憲法草案」にはなかった「国民と協力して」の一文を挿入することにより、国家の責務がさらに相対化されている。
国家の介入のチャンネルを拡大する機能を果たすのは、在外国民の保護の規定である(25条の3)。在外国民の保護は昔から外務省の仕事である(外務省設置法4条9号)。外国の「緊急事態」の際の邦人保護を憲法に書き込む必要はない。
犯罪被害者の「人権」という規定(25条の4)も入った。「新憲法草案」の方では犯罪被害者の「権利」としていたのに、今回は「犯罪被害者の人権」というミスリードをしている。そもそも憲法の刑事手続上の人権は「加害者の人権」ではない。刑事手続上の人権は、強力な国家権力から個人を守るために存在するのであって、たまたま犯罪の疑いをかけられたすべての個人が対象となる。そこに「被害者の人権」という言葉が入ることは、この仕組みに混乱をもたらす。被害者の権利は、関連法律を充実させて、しっかり保障していくことが大切なのである。
新しい人権条項を設けることは意味がありません。全て現行憲法で保障済みだからです。
これは「人権に配慮してますよ」とポーズでしかないように思います。
<36条 拷問と残虐刑の禁止>
拷問と残虐刑の禁止(36条)については、「絶対にこれを禁ずる」から、単なる「禁止する」に後退させている。テロや人質事件に際して、やむを得ず拷問も行うことを想定していると言えよう。
「絶対に」という文言が入れられたのは、戦前の激しい弾圧で拷問死もあったことへの強い反省です。
それでも拷問に近いような取り調べで冤罪がいくつもおきました。
<28条 公務員の労働基本権>
憲法28条は、団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)のいわゆる労働3権を保障しているが、今回の改憲草案は、第2項を新たにおこして、「公務員については、…法律の定めるところにより、前項に規定する権利(団結権など労働3権)の全部又は一部を制限することができる」としている。これは、公務員の労働3権について、「全部制限」を含む状況に置くことを意味する。
公務員にももっと労働基本権を認めるべきであるという国連の委員会の改善勧告にわざわざ逆行する規定です。
「人権尊重原理」は国民主権原理や平和主義原理の礎ともなる原理中の原理です。
憲法改正というとつい9条ばかりに目がいきがちになりますが、「(大)日本(帝国)を 取り戻す」のにこの人権原理否定は要の役割を果たすと思います。