渡部秀清さんからのメールを3回にわたって掲載します。1番目は、東京「君が代」訴訟口頭弁論の報告です。
教師は権力の手先になることは許されない
本日(8月2日)午前中、東京地裁で、<東京「君が代」裁判・三次訴訟>の第13回口頭弁論がありました。本日は学者の意見書提出の確認と今後の日程調整が主でした。
意見書としては、巻美矢紀・千葉大学教授(憲法学)の『国歌起立斉唱訴訟における問題の本質~公教育における公権力の内在的限界~』というものが提出されました。
巻教授はその中で、「職務命令」によって<炙り出された真の目的>として、次のように述べています。
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・・起立斉唱を式次第に組み入れることは、生徒との関係では 強制ではないとしても、生徒に同調圧力を生じさせる。 さらに学校生活における「指導」者である教師が一律に 起立斉唱することは、同調圧力を高める。それは「指導」ではなく、生徒の判断を介在させない「刷り込み」である。
・・・・この真の目的から、それに付随する目的も炙り出される。それは刷り込み式愛国心教育を阻害する教員を炙り出す「踏み絵」であり、定期的に行われる入学式により処分の累積が予測されることから、最終的には阻害教員の排除をも狙うシステムであり、裏を返せば、教師に教育行政の単なる手足として盲目的服従を迫り、公権力の内在的限界の逸脱に対する歯止めを掘り下げるシステムとして、まさに合理的なのである。
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そして、<「教育者としての思想・良心」の本質>として次のように述べています。
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刷り込み式愛国心教育は、公教育における公権力の内在的限界を超えるものと解されることから、教師は、公権力の媒介となることを不作為により拒否し、内在的限界を超える公権力の行使に歯止めをかけようとしたものである。
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この意見書は、
最高裁判決(職務命令は間接的制約はあるが合法)を批判し、明確に「日の丸・君が代」強制の真の目的とそれに抵抗する教師たちの闘いを明らかにしたものとして画期的なものと言えるでしょう。
報告会では、原告をはじめ参加者からも、この間の「実教社版日本史教科書排除」、「麻生副総理のナチス発言」、「憲法改悪での「日・君」尊重義務」、などが語られ、「日・君」強制がいまや日本社会全体の問題になりつつあることが明らかになったと思います。
次回は10月11日(金)15:00~ 527号