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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

7・21全国ネット会議報告記ー渡部通信より

2018-07-24 10:40:56 | 渡部通信
2018年7月21日、「日の丸・君が代」強制反対全国ネット会議が開催されました。東京をはじめ全国からの参加者を迎え、現在の「君が代」裁判状況に対する怒りは会場に満ち溢れていました。その怒りから、どうやって運動を進めていくか、私たちは決して諦めることなく知恵を出し合い日本社会の至る所にはびこる「忖度」価値を打ち破って行きたいと思います。渡部秀清さんが、いち早く会議の様子をまとめてくださっていますので、転載します。


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7月21日、大阪にて、「ひのきみ全国ネット」全国会議が開かれ
東京、大阪などからこの間の「君が尾」裁判に関わった原告など28名が参加し、
この間の大阪や東京での判決についての検討が行われました。
その中で、明らかになったのは、一言で言えば、
この間の「日・君」裁判は、もはや、憲法で定めてある
「良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」
裁判ではなく、裁判の名にも値しない「アベ忖度裁判」
に成り下がったという事でした。

7月19日に出された「再雇用2次裁判」の逆転判決では、
これまでの「一審」、「二審」の判決を全く顧みることなく否定し、
まだやってもいないことを取り上げ、
 「被上告人らを再任用職員等として採用した場合に被上告人らが
 同様の非違行為に及ぶおそれがあることを否定し難いものと見ることも、
 必ずしも不合理であるということはできない」とまで述べ、
 不合格にしたのは「著しく合理性を欠くもの」ではなかったとしています。
これに対し、参加者からは「戦前の予防拘禁と同じだ」、
「共謀罪と同じだ」などの声が上がりました。
しかも、第一法廷の裁判官5人の中には、
アベ友の山口厚、加計学園元監査の木澤克之が入っています。

また、この間の大阪地裁の内藤判決や、大阪高裁の稲葉判決(再任用拒否)
などもきわめて反動的なものでしたが、後者についての報告では、
次のように述べられていました。(主に骨組みです。< >は判決文から)
 1、「規律・秩序保持」の名のもとに、個人の思想」を裁いた判決
   <・・かかる職務命令違反は、他の非違行為とは異なり、
   その反復、継続が予想され得る、ものであり、
   非違行為として軽視することはできない。>
   <自らの主義主張を優先することに重きを置き、
   上司の指導、命令等に従う姿勢に乏もしく、・・・
   学校の規律や秩序の保持の観点から問題がある・・>
  まさに、「日・君」強制が学校の第一の規律や秩序になってきているのです。
  そして、それに従順でない教員は教壇に立たせないという事です。

 2、大阪の特異な状況ー「国旗国歌条例」も「職員基本条例」も合憲!?
   (詳細は略)

 3、平等原則違反に対する判断
  (1)再任用における非違行為の重要性は、処分の重さとは関係しない?
    判決では、体罰や飲酒運転で停職1~6ヶ月のものも
    再任用で採用していることを認めながら、
    戒告処分にすぎない被処分者らの再任用拒否について、
    次のように述べています。
    <職員であるときの非違行為に対する処分の軽重と、
     採用にあたっての過去の非違行為に対する評価とはそれぞれの目的に
     応じた異なる基準になることは何ら不当なことではない。>
    行政の開き直りをそのまま認めているわけです。
    「日・君」は特別(神聖不可侵)なのである、ということでしょう。
 (2)違憲・違法な「意向確認書」による選考は、
    結果の如何を問わず違憲・違法!
    「意向確認書」(「もう不起立はしない」と確認する書類)についても、
    判決では、
     <(意向確認書の)文言中の『今後、入学式や卒業式等における
     国歌斉唱時の起立斉唱を含む』との記述は、抽象的な内容ではなく、
     府教委として確認したい具体的遵守事項が端的に記載されているものであり、
     これが他の戒告処分等と比べて恣意的な扱いであるとか、
     平等を害するものとはいえない。>
    などと述べています。しかし、この「意向確認書」が
    「現代版踏み絵」(思想弾圧)であることは明らかです。
    だから、大阪の商工労働部は「厚生労働省が定める
    『公正選考に反する14項目』に抵触する」と指摘しました。
    そして、大阪府教委自身もその後、「意向確認書」から
    こっそりと『今後、入学式や卒業式等における国歌斉唱時の起立斉唱を含む』
    という文言を削除しているのです。
    にもかかわらず、このような判決を出しています。
    これこそ「教育勅語」礼賛の「アベ忖度裁判」以外の何物でもありません。

 4、「処分」は存在しなくとも、再任用合格取り消しは正当で、
   賠償も認めない?
   原告のYさんの「戒告」処分は、人事委員会で取り消されています。
   しかし、Yさんの再任用合格取り消しはそのまま是認されました。
   それに対し判決は分かりにくい言い訳を述べています。
   <職務命令に違反した事実や、その後の事情聴取における態度という
   客観的な事実までもが存在しなかったことになるものでなく、ひいては、
   当該事実を考慮することができなくなろというものではない。>
   もはや、裁判の体をなしていません。
   すべては「日・君」に忠実かどうかだけが基準です。
   しかし、「国民主権」の国で「天皇主権の歌」を強制し、
   それに従わなかったからと言って罰する、
   そして、それを権力の意を「忖度」し、裁判所が是認する。
   これほど、理不尽なことがあるでしょうか。
   また、果たして日本の人々はこのような理不尽なことを
   いつまでも許しておくでしょうか。

その後、会議では、「国際人権規約」についてのレポートがあり、
⓵「10・23通達」について自由権規約委員会から
 二つの質問が日本政府に出されたこと。
 (その中には、「教員に対しては経済的制裁が加えられている」
 ことについて説明してほしいとの質問があった。)
②大阪府の「国旗国歌条例」(2011年)「職員基本条例」(2012年)を
 も訴えてはどうか、ということ。
などが話されました。
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先日紹介した『紫禁城の黄昏』を読むと、
辛亥革命後の中国の人々も
清王朝(皇帝)に相当愛着を持っていたことが分かる。
そして、クーデタ騒ぎなどもあった。
多くの人々は清王朝(満州族)に強制された弁髪を
中国古来のものだとまで考えていた。
ところが、英国の家庭教師に影響を受けた宣統帝が、
自ら弁髪を切り落とすと、あっという間に朝廷では弁髪がなくなり、
残ったのは皇帝の老師(先生)たち3人だけになったという。

日本でも、おそらくそれと似たようなことが起きてくるだろう。
<なぜ、主権者の自分たちが「天皇主権」の歌を強制され、
ひどい目に合わされなければならないのだ>、と。

物事は、
「窮すれば変ず、変ずれば通じ、通ずれば久し」(易経)、である。
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