おかしなことにはおかしいと声をあげることがこんなにも難しい時代、でもだからこそ声をあげていきたいものです。
2013年1月26日(日)に、「頭ごなしに押し付け、型にはめようとする風潮がある今、あなたはどうしますか」と題して、長野県中川村の村長、曽我逸郎さん(写真)の講演会があった。(『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会』学習会 報告はレイバーネットに掲載済み)。講演を聞いて、安倍政権復活後の重い空気の中に、元気を吹き込んでもらったように感じた。曽我さんは、この国を作るのは、わたしたち民衆であり、おかしいことはおかしいと率直に言いながら、議論のなかから新しい方向性を目指すべきだと語った。日本の戦後民主主義はこんなもんだったのかと意気消沈してはいられない。原発問題、沖縄の新たな米軍基地問題、そして、「日の丸・君が代」強制の教育問題、それぞれの場から声を上げていく地道な活動が、本当に必要な時が来たのだと思う。講演のテープを文章化したのでぜひご覧ください。(光本敏子)
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曽我逸郎講演録(2013/1/26)前編
皆さんこんにちは。こんな大きなお部屋で、こんな多くの方に来ていただいてドキドキしています。ありがとうございます。カメラより前に来ていただけると、もっと満員感も増して、わぁたくさんの人だなって感じで、レイバーネットさんがインターネットにアップしてくださるということで、よろしければ前の方に来ていただければと思います。
根津さんからお誘いをいただいたんですけれども、わりと気安く、はい、はいと答えてしまったんですが、根津さんも河原井さんも教育の現場で、子供たちと一緒に問題を考えていくということをしていかねばならないと、真摯な思いでずうっと闘ってという言い方が一番正しいと思いますけど、がんばってこられたということでございます。それに対して、私の方は、去年、議会の方で質問をいただいて、それの受け答えをネットに載せたら、新聞とかで取り上げていただいて、少し話題になった、本当にポッと出の者で、こんなところでみなさんにお話するのは心苦しい部分もあるんですけれども、立場の違ういろんな考え方をぶつけたり、すり合わせたりすることで、みんなの考えが深まっていくということなので、私のお話することも、少しでも役だてばうれしいかなと思いますので、聞いていただければと思います。
中川村というところはどこかってことですが、今日もバスで来たんですけども、中央道が便利です。JR、鉄道は不便なところです。飯田行きに乗ると、中央道をずっと山梨県を超えて長野県に入って、諏訪湖のところで二又に分かれて、中央道は名古屋に南の方に行くのですが、南の方に少し下がったところです。車だったら中川村まで3時間ぐらいで来ていただけるんではないかと思います。
「日本で最も一番美しい村連合」というのがあるんですけど、それにも加盟しているんです。来ていただいて、美しいかどうかを検査していただいて合格をいただかないと入れないという格調高い連合なんです。その一員でもありまして、その地域の良さを生かして持続可能な村づくりをしていかなければならない、そういう考え方の村の一つです。りんごとか果物のおいしいところなので、来ていただけたらありがたいです。中央アルプスと南アルプスと両方が見えて、天竜川が流れていて、冬でも里には雪がない、白い山が夏ぐらいまで、残雪が見えるという恵まれた場所です。
私自身のこともお話しておきます。1955年に生まれました。生まれたのは長崎県の対馬というところですが、バルチック艦隊が沈んだところであるし、元寇で来たところだし、倭寇が攻めていったところだし、そういう国境の島、朝鮮半島まですぐそば、うちの母親なんかは釜山に映画を観に行ったりしたこともあったと言っていましたし、島のちょっと高いところからは、朝鮮半島の灯りが見えるところでございます。
物心つく前に滋賀県に移りました。高校生の時に浅間山荘事件があったんです。膳所(ぜぜ)高校という甲子園にも出たこともあるんですが、高校ではノンポリで何にもないところだったんですが、大学に入ってから活動に急にのめりこむ先輩が多かったのか、浅間山荘事件で総括した側にもされた側にも、両方結構な人数の先輩がいたということで、高校の先生方が心配して、テレビをじっと見ておられたのが印象に残っています。
大学に入った年がサイゴン陥落の年、ベトナム戦争が終わった年です。私自身は禅寺に通っていた時です。大学には、まだヘルメットが多かったです。赤いヘルメットが多かった。旧ブント系、わかる人は解るのかもしれませんけども。それが、一年ぐらいたつと消えてしまって、代わりに手かざしをする、いわゆる新興宗教的な方が増えていった。一番決定的だったのは、大学4年の時だったと思いますが、中国とベトナムが国境紛争というか、戦争したというので、私の周りの熱心に社会問題とか世界はどうあるべきかを考えていた人たちが、もうどう考えたらいいか解らない、世界のプロレタリーアートはみな友達だ、仲間だと思ってたのに、何で中国とベトナムが国境紛争になったのか、それで考えがまとまらなくなって、それに内ゲバ事件とかいろんなことがあって、学生の社会を変えていこうという運動が急速に下火になって行きました。そのかわりに新興宗教とか、都会から田舎に行って自然に近い暮らしをしよう、自然に帰ろうって、若い人の気持ちがダーッと移り変わっていく、その変わっていく境目のあたりにいたのではないかと思います。先輩とかは、世界同時革命とか理想に燃えて闘えた時代だけど、私の時は、その辺が崩れちゃって瓦礫になったところで、何をしたらいいのかというのがすごく悩ましい、やるべき目的が見つからないという青春時代を送りました。それで禅寺に行ったりしていたんですけども。
ひょんなことから広告の会社に入って、大阪、香港、ちょうど返還直前の香港だったので非常に刺激的でしたけどもそれから大阪それから名古屋ときて、2002年に会社を辞めました。
長野県の中川村に、先に家族は住んでいたんですけども、会社を辞めてそこに住むようになりました。そうすると、市町村合併問題があって、暇そうだから手伝えって言われましてね、ビラ配りぐらいしますよって。せっかくこんな素晴らしい、いいとこがいっぱいあるのに、それを生かさないまま合併してしまうのはもったいないなと思って、お手伝いしていたんです。その時は、地方交付税という国から地方維持のために分配される交付税がどんどん減らされていくという中で、前の村長さんは合併しないとやっていけないというようなことを、ずっと主張しておられた。それが合併しないことになって、すぐに村長選があって、前の村長さんも立たれたし、「何とか自立で頑張って行けるんじゃないか」って言ってた我々からも、誰か出さにゃいけんやろとなって、いろいろ当たったけども、それぞれ事情があっていきなり言われても困るという中で、あの人もダメこの人もダメってなって、やっぱり暇な人がおるなということで、私が立つってことになりました。
今日お呼びいただいたきっかけになったのは、去年の6月に村の定例議会、市町村というのは3、6、9、12月と年4回定例議会があります。いろいろなことをそこで議員の皆さん方にご説明してOKをもらったり、だめだと言われたりするんですけども、一般質問というのがありまして、議員の皆さん方が好きなことを質問する時間があるんです。ある一人の方が、村長は学校とかの儀式のときに、みんな壇上に上がりきったとこで、真ん中にある国旗とかに礼をして、律儀にそういうことをするのがあるわけですけども、「村長は礼をしとらんように見受けられる、何か考えがあるのか」という質問をいただきました。それまで何も言っていなくて、ただ、そういうのをするのはいやだなって思っていたので、しなかったんです。国歌斉唱っていうのがあるんですが、私は、根津さんとか皆さんのように根性が据わってなくて、立つのは立つんですが、口パクでもなくて、歌ってなくて、地元のケーブルテレビがなめていくんですが、その時も〝うーん〟ってやっていて、こちらからは何も言わずにそうしていただけなんですけども、議員の方からそういう質問をいただきました。それについて答弁した中身を、ホームページに掲出したところ、思いがけず話題になって、最初は東京新聞だったかな、それから朝日新聞が少し大きく扱ってくれまして、週刊金曜日とかいろいろなところで、話題にしていただきました。
たくさん反響もあったんですけども、ほとんどは賛成というか、共感というかそういうのがほとんどでした。メールは2~300来たと思いますし、お手紙はもう少し少なかったと思いますが来ました。電話は少なかったんですが、共感賛同を寄せていただいた中には、割と教員関係の方の比率が高かったのかもしれません。特に関西が独特な読み方をされたらしくって、関西からいろんな反響が多かったです。
一つ面白かったのは、大阪弁の女性の方から、私は滋賀県で育っているので、イメージを再現できるかもしれませんのでやってみます。反対というのはほとんど電話なんですよね。賛成とか共感とかはメールかお手紙で来る。このことを合理的に論理的になかなか書けないのかもしれないですね。この問題について、感情的にわぁっとしか書けないのかもしれないですね。そこまで深読みするのはどうか、わかりませんが。反対は電話で、非常に少なかったです。で、どんなおばちゃんだったかというと、「もしもし町長さん」「いえ、村長ですけども」「村長?まあどうでもいいわ、そんなの。聞いていると、私の応援している人の足、やんわり引っ張っているらしいけど、どういうことでんのん?」から始まって、「私は前々からやっていて、今回は質問されたから答えただけで、何か狙いがあってやっているわけではございませんけども」「そうは言うてもね」といろいろお話されて、「電話で聞いても残らないから、お手紙でもメールでもいいから文章で書いてくださいませんか。そうすると、村のホームページで掲出して、ほかの人とかにも見ていただいて、なるほどなと思う人もいるだろうし、全然違うなと思う人もいるだろうし」ってネットでさらすというんでしょうけども、「こんな考え方の人もいるんですよ、皆さん」みたいなふうな形で書いていただけたらうれしいなって言ったら、「そんな面倒くさいことしていられるかいな。もうええわ、やめてくださいよ。許しませんからね。」ガチャって切れたんですけどね。名前おっしゃらなかったんで、応援している人か誰のことかわからないんですけど。多分あの方かなって思いながら。そんな関係で、特に関西は特別な反応があったような気がしています。
ほかの電話で、結構これは私とは真反対だなと。私がなぜ反対しているのかということをあまり話してなかったですけど、根津さんも本で書いていらっしゃった通り、しっかりなぜかということを自分で考えて結論を出す、結論を出さなくても、問題意識を持って自分で考えるということが必要なんだけども、それをさせない。日本人だったら礼をしろとか、こういう場では礼をするのが大人だ、みたいな、子どもにもさせるんですけども、日本人なら当然だ、なぜ当然なのかを問わないままに押し付けるっていうのは嫌だし、日本をいい国にしていくためにはですね、みんなでどんな国がいいのか議論をしなくちゃいけない。問題点はどこにあるのか、どう改善するのかという話をやっていかなくちゃいけないと思うんですけども、それをさせないことになるんではないかと思っておるんですけども。
ある方、この方は男性の割と高齢の方だったんですけども、某保守系の国会議員の後援会の役員をなさっているということだったんでけども、先ほど申し上げたような私の考え方というのを申し上げたら、こんな風な論理展開をおっしゃいました。どんなことおっしゃったかというと、「みんなで意見を出し合って、批判しあったり、意見を聞きあって考えるというのは、直接民主主義で、幼稚で愚かだ」とおっしゃったんです。直接民主主義というのはあたっていると思うんです。この方は直接民主主義は幼稚で愚かな考えだと思っていらっしゃるんですよね。「世の中の人たちは、社会がどうあるべきか、とか、どうなったらいいか、とか、国をどうしていこうか、とか、そもそも興味がないんだ」とおっしゃる。「興味があったとしても、知識がないからろくな答えは出せないんだ」と、その方はおっしゃる。「民主主義というのは多数決だ、少数意見というのは所詮多数になれない意見に過ぎない。多数をとった政治のプロが上意下達で大衆を統治する、それが政治である」と、その方はおっしゃった。そう思ってる人は多いと思うんですけど、その方は明確にそうおっしゃいました。
政治のプロというのは、政治で食べている人、政治でお金を稼いでいる人なんだなって、専門家かもしれませんけど、私はそういう見方もできると思ったし、そんな多数をとったものが統治する考え方というのは、今の日本の政治、何人寝返ったとかですね、どこの会派を抱き込んだとか、数の取り合いみたいなそんな話ばっかりでして、じゃあどうするのかという政策の話じゃなくて、エー…政局? 何人になりましたとか、何人とりましたとか、そんな話ばかりになるのは、多数になることで統治するという考え方で、どういう国にするのかということを、少数意見とも闘いながら国のあり方を考えていく、という発想があまりないんじゃないかなと感じました。そういう形で多数をとった者が統治する。「市町村長の役割というのは、国の統治に従属して住民を統治する。大きな統治があって、小さな統治があって、その間にある小っちゃな統治だから、国の方針に従わず、逆らっている村長は次の選挙で必ず落選させてやる、落選して恥をかきたくなかったら出馬を辞めろ」というふうにおっしゃったんです。
今度もうすぐ、実は選挙があるんですけども、4月かな。次の選挙があるんですが。その時はどうしようかなって。最初に申しあげたようなたまたまなことで、瓢箪から駒みたいなことで暇そうな人がってことで始まって、それなら一期やりますって、それが二期になっていたんで、もうそろそろ村のこともよく知っている考えの深い人に出てもらった方がいいのかなって思いもあったんですけど、ちょっとそんな風に言われちゃったもんですから、エーっとか思って、それから今度の国政選挙でもあぁいう結果になったし、もう一期、やらにゃいかんのかなってことで、もう一期やることになったんですけど。もう一期やるきっかけを与えていただいたのが、その方のお言葉だったのかなっていう風に思います。
この方はメールできたんですけども、「国旗を敬うのは万国共通どこの国でもそうなんだ」と、「国旗は国民を象徴しているのだから、国民を敬うことだから、国旗にも礼を尽くすべきではないのか」という、ある意味それなりの筋の通ったお話だったんですけども、その方の書いた、ちょっとふくらましてますけど、誰もが必ず万国共通のルールで、国旗に対しては礼を尽くさねばいけない、それが和になるとその方はおしゃったんです。まぁどちらかというと右寄りの方だと思ったんで、日本がもし中国領になったら、日本人が中国の少数民族になったら、中国の一つになったら、あなたは五星紅旗を敬うべきだと主張するのかと、もう少し身近なことでいうと、チベットの方々が今いろいろ抵抗しているけども、チベットの人も抵抗せずに、中国のあれに礼を尽くし、そして和をもたらすべきという風に主張するんですか、そうじゃないと一貫性がないでしょう、それぞれ国に対する思いがあって、いろんな人がいるわけだから、一人一人の考え方を大事にすべきじゃないのかと申しあげて、メールに書いて、その後の議論っていうのはなかったんですけども、多分納得していただけたじゃないかと思います。
和ということについて言いますと、今話題になっています自民党の、憲法の変更の草案の前文にも和ということは書いてあります。そこだけ抜き書きしてきたんですけど、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って、自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を建設する」って書いてあります。この和というのは、非常にみんな素敵なものっていうふうに言うんですけども、和を主張する人っていうのは、たいてい上の人が下の人に対して言うんですよね。和っていうのは、「国体の本義」っていう文部省が昭和12年出したのがあるんですね。これは、和を称賛している、和を推奨しているというものなんですけど。それも抜き読みをしますと、「おのおのの集団には、上に立つものがおり、下に働くものがある。それらおのおのが分を守ることによって集団の和は得られる。分を守ることはおのおのの有する位置において、定まった職分を最も忠実に務めることであって、それによって上は下に助けられ、下は上に愛される」云々と、あるいは「国の和が実現されるためにも国民各々がその分を尽くし、分を高揚するほかはない。身分の高い者低い者、富んだ者貧しい者、朝野公使(民間とお役所)、その他、農工商と互いに自己に執着して対立を事とせず、一に和をもって本とすべきである」と、和というのは分を守るということと常に一体なんですよね。お百姓さんはお百姓の仕事だけしとけと、それだけ集中してやれと、要するに、統治する側とされる側があって、統治される側は統治する側にとやかく言うなと、従っておれというのが、和の仕組み。上に立つものに黙って従え、ああじゃこうじゃ言うなっていうのが、和の発想だと思います。これが、今回の自民党の憲法改正案の前文の中にそれが出ているんだと思います。
それからもう一つ、さきに批判的なことばかり言って恐縮なんですけども、いろいろご意見を聞いているとですね、ちゃんとルールに従って礼を尽くせとおっしゃる方々は、なかなか、これが大事だから守れということは言えてないんですね。そのことは、根津さんも、なぜそうしなければいけないのか再三聞いたけども、納得のいく明快な答えは聞けなかったって本に書いていらっしゃったけど、多分、今でもそうだと思います。私の場合どんなことがあったかというと、すごい早口の女性なんですが、国旗に礼を尽くすのは世界の常識だというほかに、「君が代」の「君」は天皇のことではないと、「友達」のことだと、「友達」を称える言葉なんだから歌うべきではないのかというふうにおっしゃいました。「大君」が天皇のことであって「君」は友達だ。確かに「君が代」は古今和歌集にあって、元々の歌われ方というのは、村の顔役みたいな人が子どものお祝いとか、結婚式をする時に、来た方がそれを称えるために、「君が代は」とその庄屋さんのことを、その主(あるじ)を称えるために歌われていたというのが歴史みたいですけど。もともとは天皇ではなかったのかもしれませんが、それが明治になってからは、明らかに天皇の歌として使われてきたというのは間違いないし、真剣に歌っている方はそういうつもりで歌っていらっしゃるだろうし、にもかかわらず、それは友達の歌なんだからというのは、まじめにそう思っていらっしゃる方には非常に失礼な言い方ではないかなと感じました。
それから、先ほどの国会議員の後援会の方も、村長は国の方針に従って自ら範を示さなければならない、心の中で舌を出していても構わんとおっしゃる、それでも構わんからともかく礼をしろと、それが村長の務めだというふうに。大事だからやれというんじゃないんですよね、これは素晴らしいものなんだからなぜ敬わないんだ、こんな素晴らしさがなぜわからないんだ、というふうにはならない。
ちょっと違う話ですけども、村のホームページにも書いていますけども、靖国神社の問題とかで、自分のお兄さん、お父さんとかが合祀されているのは嫌だから、お兄さん、お父さん、あるいは夫を合祀から解放してほしいというような訴訟がされていますよね。それで、来た中のお手紙には、亡くなった方の名前が書かれている霊示簿、霊示簿は紙だと、紙になんだから気にしなければいいじゃないかとおっしゃる方もいらっしゃる、それもまた、すごい失礼な、本当に靖国神社に神として納められているのをありがたいと感じていらっしゃる方もいらっしゃると思うんですけども、そういう人に対してものすごく失礼な言い方だと思う。本当に支離滅裂な感じがします。気持ちの部分で敬うとか、納得して理解しろというんじゃなくて、気持ちはどうでもいいから外面だけ合わせろという雰囲気がすごく感じるんですよね。それは統治上、そうじゃなくちゃ困るというのが本音のところじゃないかなと想像するところでございます。