神通川を越えて四方西岩瀬の海岸に行ってみました。けっこう深い松林が続くなかを神通川近くまで行くと冨山火力発電所の煙突が聳えています。そこから海岸に出て見ました。
さらに、八重津浜海水浴場へ行ってみました。 (明日に続きます)
(1)深い松林が続く、行く先に火力発電所の煙突。
(2)北電富山火力発電所の煙突。
(3)そこの松林に「彦助浜」の説明板がありましたが、ほとんど読めません。
(4)帰って「彦助浜」をネットで探したら平成13年に建てられたその説明板の写真がありました。それを借ります。
西岩瀬漁民と東岩瀬漁民どうしの漁場争いで、加賀藩・富山藩の役人の前で西岩瀬の彦助がきちんと弁明ができず、富山藩士は加賀藩士から恥辱を受けた。富山藩は彦助の首をはねて本家加賀藩に対する償いとした。人びとはそれを哀れみ「彦助の河原」「彦助の浜」と名づけたという。
(5)海岸に出て東を見ると、目前に神通川が流れ(河口)、その向こう赤灯台と白灯台の間が富山港の港口になっています。
(6)海岸の西の空、秋の空です。
(7)西岩瀬の海岸風景、奥に火力発電所の煙突が2本見えます。(北電新湊火力発電所と新港火力発電所)
(8)一続きの浜の奥にズームすると、八重洲浜海水浴場が見えます。
(9)八重洲浜海水浴場に来ました。夏の賑わいからは遠く静かな浜辺です。
(10)一瞬びっくり! 水着の女性。ロシア人の女性らしい、お腹が大きくて日光浴に来ているようでした。
(11)子どもを連れてゆっくり日光浴を楽しんでいる風です。気温は27℃前後ですが、海からはやや涼しすぎる風が吹いていました。
昔富山へ着た頃、岩瀬浜で5月まだオーバーを着ている人もいる中で、水着姿で歩いているロシア女性を見てびっくりしたことがありました。
(明日に続きます)
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(1)深い松林が続く、行く先に火力発電所の煙突。
(2)北電富山火力発電所の煙突。
(3)そこの松林に「彦助浜」の説明板がありましたが、ほとんど読めません。
(4)帰って「彦助浜」をネットで探したら平成13年に建てられたその説明板の写真がありました。それを借ります。
西岩瀬漁民と東岩瀬漁民どうしの漁場争いで、加賀藩・富山藩の役人の前で西岩瀬の彦助がきちんと弁明ができず、富山藩士は加賀藩士から恥辱を受けた。富山藩は彦助の首をはねて本家加賀藩に対する償いとした。人びとはそれを哀れみ「彦助の河原」「彦助の浜」と名づけたという。
(5)海岸に出て東を見ると、目前に神通川が流れ(河口)、その向こう赤灯台と白灯台の間が富山港の港口になっています。
(6)海岸の西の空、秋の空です。
(7)西岩瀬の海岸風景、奥に火力発電所の煙突が2本見えます。(北電新湊火力発電所と新港火力発電所)
(8)一続きの浜の奥にズームすると、八重洲浜海水浴場が見えます。
(9)八重洲浜海水浴場に来ました。夏の賑わいからは遠く静かな浜辺です。
(10)一瞬びっくり! 水着の女性。ロシア人の女性らしい、お腹が大きくて日光浴に来ているようでした。
(11)子どもを連れてゆっくり日光浴を楽しんでいる風です。気温は27℃前後ですが、海からはやや涼しすぎる風が吹いていました。
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