不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Galileo ed il Cannocchiale

2009-07-07 10:07:23 | アート・文化

1564年にピサに生まれ、
1642年にフィレンツェ郊外のアルチェートリ(Arcetri)で
亡くなったGalileo Galilei(ガリレオ・ガリレイ)。

2009年はガリレオが望遠鏡を発明してから
400年目にあたり世界天文年であり
イタリアでは彼の活躍した
3つの都市(フィレンツェ、ピサ、パドヴァ)で
それぞれ展覧会が開催されています。

ガリレオは周知の通り、16世紀に活躍した天文学者ですが
当時の学者が分野を問わず
幅広くその才能を発揮していたように
彼も天文学者、数学者、哲学者、物理学者と
様々な顔を持っていました。
近代科学の祖としてもよく知られています。
望遠鏡の発明とそれを使った天文観察で名を馳せました。

彼はコペルニクスの提唱した地動説を是認し、
分析と統合を元にした実証的方法を重んじ
自然哲学を否定したため
宗教裁判にかけられ、教会から異端思想者とされます。
自説の撤回を教会から求められたものの、
それに反したため
1633年以降、晩年は隔離されて生涯を終えています。

望遠鏡の発明者といわれていますが、正確には改良者。
彼の時代までにレンズの発明がなされ、
1600年代初頭にはオランダで
初めてレンズを使った望遠鏡が製作されています。
ガリレオはこのことを知っており、
実際にそのモデルを入手していたとも言われ
それを元に自身の経験に基づく改良を重ね、
最終的に非常に精度の高い望遠鏡を製作しました。
1609年の春に完成した望遠鏡は
8月25日付けでヴェネツィア政府に献じられ
そこでガリレオの発明として高く評価されたことから
彼が望遠鏡の発明者といわれるようになったのです。
この「発明」により、彼はヴェネツィア政府から給料倍増、
終身教授の褒美を得ています。

この望遠鏡を使って、月面観察、銀河の構成観察を行い
詳細な研究を残しています。
また1610年には木星の4衛星を発見し、自書にて発表。
この書籍を望遠鏡とともに
フィレンツェのコジモ2世に献上しています。
メディチ家のコジモ2世はガリレオの弟子でもあったことから
ガリレオはこの4衛星をメディチ家に捧げています。
彼のこの行為は経済的な援助を目的としたものであると同時に
自身の研究・思想がやがて
ヴァチカンから追及されることを十分承知していたために、
権力的な後ろ盾を確保する必要があったからだといわれています。

メディチ家は1610年6月5日付けで
ガリレオをピサの名誉教授として任命し
7月10日にサインをし
9月にはガリレオはパドヴァからフィレンツェに異動しています。
この際、コジモ2世はガリレオが実際に教壇に立つことを強制せず、
自由に研究を続けるようにと非常に寛大な対応をしています。

1611年にローマに召還され、自説を発表した後は
やはり神の存在自体を否定しかねないと懸念した
ヴァチカンから強く責められ、自説撤回を求められます。
もちろんガリレオ自身は亡くなるまで自説を曲げず、
メディチ家の保護の下
フィレンツェの自宅にこもり研究を続け生涯を閉じました。

フィレンツェで行われているガリレオ展は
古代エジプトからガリレオの時代までの
天文学の歴史を中心に組まれ
科学と宗教の関係の移り変わりがわかるようになっています。
ガリレオが製作したとされる望遠鏡とともに
まるで聖遺物のように仕立てられた
ガリレオの指も展示されています。

Dscf6362

Galileo
Immagini dell'universo dall'antichita' al telescopio
会場:Palazzo Strozzi(ストロッツィ宮殿)フィレンツェ
会期:2009年8月31日まで
開館時間:9:00-20:00(木曜日のみ23:00まで)
入場料:10,00ユーロ

ちょっと細かいものが多かったり、マニアックだったりするので
なんとなく観てしまうとつまらない展覧会ですが
じっくりオーディオガードとか聞きながら観ると
思った以上に勉強になります。
時間かけて行きたい展覧会としてお勧め。