不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Il Pianoforte di Einstein

2011-02-01 19:38:59 | アート・文化

物理も音楽もあまり得意ではない私とは遠い世界の人、
アインシュタイン(Albert Einstein)。
ドイツ生まれのユダヤ人であり、
ユダヤ人国家建設運動「シオニズム」支援者でもあり
それゆえ第二次大戦中のユダヤ迫害を逃れて
アメリカに亡命しています。


父親の事業の失敗で
1894年からアインシュタイン家はミラノに移住、
一時的にイタリアにも暮らしており、
そうした流れもあって
1920年ころには妹Maya(マヤ)は
夫(Paul Winteler)とともに
フィレンツェ郊外(Sesto Fiorentino)の
丘陵地帯に引っ越してきています。
自然に囲まれた穏やかな居館には当時
ドイツ人の芸術家や研究者、文化人が集い
またユダヤ人の出入りもかなり多かったといわれています。
1930年代初めにはアインシュタイン本人も訪れ
その際に妹にピアノを贈呈しています。


1938年にイタリアにも
ユダヤ迫害を加熱させる法律が導入されると
マヤは兄を頼ってアメリカに渡らざるを得なくなり、
かの地で1949年に亡くなっています。
アメリカへ渡る前にマヤは思い出のピアノを友人である
Hans Joachim Staude(ハンス・ジョアキン・スタウデ)に託しています。
思い出のBluthner(ブリュートナー)のピアノは
現在その娘Angela Staude Terzani女史の所有で
今もまだフィレンツェの丘陵地帯で
その音色を弾き継いでいるそうです。


アインシュタインの従兄弟である
Robert Einstein(ロバート・アインシュタイン)も
トスカーナのRignano sull'Arno(リニャーノ・スル・アルノ)で
家族と暮らしていましたが、
やはり第二次世界大戦中のユダヤ迫害に遭い
1944年8月3日には妻と2人の娘が命を落としています。
彼らの暮らしたリニャーノの邸宅(Villa di Focardo)で
翌年ロバートは自ら命を絶っています。


幼いころに両親を亡くし叔父であるロバートに育てられた
Lorenza Mazzetti(ロレンツェ・マッツェッティ)は
リニャーノの邸宅での幼少期の思い出を
Il Cielo Cadeという著作に残しています。
この著作のタイトルを冠した展覧会が
現在フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿で開催されています。
マッツェッティの絵画作品80点と
ロバート・アインシュタイン一家の写真、書簡などを通して
イタリアでのユダヤ迫害に触れるよい機会になると思います。


Il cielo cade (La Strage di Focardo)
会場: Palazzo Medici Riccardi(メディチ・リッカルディ宮殿)
     Via Cavour 3 フィレンツェ
会期: 2011年2月9日まで
休館日:土・日・水曜日
開館時間: 10:00-12:00、16:00-19:00
入場料: 無料(同展覧会部分のみ)

アインシュタインってヴァイオリンもピアノも嗜んだのですね。
そして1922年には奈良でもピアノを弾いているそうで。

そういえば、フィレンツェには
幼少のモーツァルトが弾いたというピアノも
Poggio Imperialeに残っていましたよねぇ。