不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Stivali per camminare serenamente nella pioggia

2011-02-16 18:22:42 | 日記・エッセイ・コラム

11月の帰国のときに
友人に指摘されて改めて実感した「足のむくみ」。
日本滞在中に集中マッサージ治療で
なんとかむくみを取ってもらって
イタリアに戻ってきてからも
今まで以上に気にかけて
自分でマッサージしたり足湯をしたり。

もともと母親譲りの骨太で
さらに中学・高校と
下半身を鍛えに鍛えた青春時代だったので
ほかの女性に比べると結構がっちりした下半身。
その上、むくんでいたこともあって
どんなにがんばっても
私の足に合うブーツが見つからないまま20年近く経過。

もうブーツを履くのも諦めていたんですけどね。

むくみが取れた分、
少しだけふくらはぎのあたりがすっきりしました。
そして先月
友人とひょんなことで出かけることになったアウトレットで
友人が悩みに悩んで購入を諦めた
レインブーツを
じゃぁ買ってみるかぁと思って購入。
安かったのでね。

MCS(マルボロ・クラシックス)のレインブーツ。
実はマルボロ・クラシックのシャツが
いつも可愛いなぁと思いながら
ショーウィンドーを見ていたので
テイスト的には私の好みなんだと思います。

Mcs
レインブーツなので甲の部分はゴム。
足首から上はウール。

購入してからなかなか雨が降らなかったので
履く機会もなかったんだけど、
雨が降ったので、本日初おろし。

履き慣れないので、
ロボットみたいな歩き方している気がするけど、
確かに暖かいねぇ、ブーツって(笑)。
これなら雨が降ってもご機嫌でいられるかもね。

友人にはスカートに合わせろといわれましたが、
ワードローブは変わってないので、
いつものようにだぶだぶジーンズの下に合わせたよ。
つまりブーツを履いているかどうかは
本人しかわからないのだ(爆)。


L'Archivio della Bellezza

2011-02-15 19:52:38 | アート・文化

1890年に北イタリアのブルジョア階級に生まれた
Roberto Longhi(ロベルト・ロンギ)は
教養のある両親にも恵まれ、
特に小学校の教員であった母親が
3人の実子の子育てに専念してからは
家庭できちんと教育を受けた人で
幼少のころからレベルの高い文化に触れていた人でもあります。
故郷Alba(アルバ)の自宅の近所の教会に所蔵されていた
la Madonna di Barnaba da Modena
(バルナバ・ダ・モデナの聖母子像)や
アルバ市庁舎にあるil Concertino di Mattia Preti
(マッティア・プレーティの小コンサート)などの作品に触れて育ち、
美術への関心を高めたといわれています。
トリノ大学では卒業論文で
カラヴァッジョをテーマにし1911年に卒業。
生涯カラヴァッジョ研究の第一人者でもあり続けました。
その後活動の拠点をローマへ移し、美術史の研究を続けます。
時代の先端を行く画家たちとの交流も深く、
ボローニャ、フィレンツェの大学で教鞭もとり
またイタリアに数多くある美術専門誌
「La Voce」 「L'Arte」 「La Critica d'Arte」などの
出版にも関わった人物で
1900年代のイタリアを代表する重要な美術史研究家の一人。
1951年にミラノで初めてのカラヴァッジョ展を
実現させたのも彼でした。
1970年にフィレンツェで生涯を終えており、
遺言に従い彼の名を冠する財団がフィレンツェ郊外に設立され
彼の所有だったすべての芸術作品はここに寄付されています。


そのロンギ氏が1953年に各出版社での利用を目的に、
絵画、フレスコ画、彫刻などの芸術作品を写真に収めて
アーカイヴしていくことに取り組み、
フィレンツェに設立されたScala社が
そのアーカイヴを元にして投資・拡張し、
徐々に商業ベースにのせていって完成したものが
現在の世界最大の美術品アーカイブと称される
Scalagroupの膨大な美術作品のアーカイヴです。
アナログ、デジタルをあわせると
そのデータは500,000点にも上るといわれ、
スカラグループは現在も世界60カ国以上に
デジタルデータ化されたアーカイヴ・データを提供しています。


フィレンツェの隣町Bagno a Ripoliに
ほかの各種工場と並んでScalagroupの本社があり
データベースの保管庫としてだけでなく
出版社としての機能も果たしています。


最近では芸術作品と最新テクノロジーとの融合にも
積極的に取り組み
スマートフォンや電子書籍リーダー機器用の
アプリケーションなどの開発も行っており、
既に世に出回っているものもあるので
ご存知の方も多いかもしれません。


芸術作品や建築は
実物を観ることによって個々人が
それぞれの感性で大きな影響を受けるのは
どの時代になっても変わらないと思いますが、
デジタル化されて世界のどこにいても
高解像の実物に触れることができるようになるのも
決して悪いことではないような気がします。
そしてそんな試みがフィレンツェ郊外で進められているのも
ちょっとだけ嬉しかったりします。


Bukubuku Koukan VI edizione a Firenze

2011-02-09 20:20:40 | bkbk

前日に会場となるCuculiaから電話で
「急で申し訳ないけど、
重要な政治家の著作発表会の予定がはいちゃったので」
とういうことで
通常19:30開始のところを30分遅らせての開催になりました。

4-5人でまったり開催になるかなぁと思っていたので
私の気分も最初っからリラックスしすぎ(笑)。
しかもなぜかまだ火曜日だというのに
疲れが溜まっていてふらふら気分でした。
そんなわけでろくに写真撮影もせず、
撮った写真は手ぶれしており(爆)、
自分のプレゼンもよく思い出せません。

結局5名+同伴1名の参加者で
途中帰国書籍処分で参加1名+同伴1名。

今回私が持っていったのは
「冬」:北都物語
「初笑い」:放送禁止落語大全
「女流作家エッセイ」:旅好き、もの好き、暮らし好き

このうち2冊はプレゼンしているうちに
皆さんに「なんか読みたくなぁい」といわれてしまうような
とんでもないプレゼンでした(笑)。
というのは
「北都物語」は不倫の物語でそれ自体は珍しくもないし
気にもしないし、
若い女性があっけらかんとしているので
読後感は決して悪くないけれど、
全体的にもちろん男性の目線で書かれており
それに納得できないというしこりが
未だ私の中に残っているからであり、
「旅好き、もの好き、暮らし好き」については
ものに固執しない私には理解できない部分があったのと
読み進めるにつれて
なに、自慢話ですか?と突っ込みたくなる部分が
あまりに多すぎたので
どうしてもそういう感じでプレゼンしちゃったのね。

まぁ、正直な感想でもあるんだけど。

今回出てきた中にもやっぱり読みたい本は色々ありましたが、
自宅にも山積みになっている本があるし、
きっとまたいつかどこかで巡り合えるだろうと思って
他の方に大半はお譲りして
一冊厳選(?)で杉本彩の「官能小説家」をゲットしてきました。

第6回ブクブク交換会@フィレンツェに
持ち寄られた本はこちらでチェックできます。

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皆さんのプレゼンを聞いていると
それぞれがどこに思い入れがあって、
なにに重点を置いているのか垣間見ることができて
とても興味深いです。
そしてやっぱり自分じゃ選ばない本が色々出てくるので
新しい発見もいっぱい。

会場がごたごたしていて、ようやく出てきたご飯。
豆のせいなのか、思いっきりお腹にたまりました。
ごちそうさま。

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Dscf9945_2
そしてすっぱかったけど美味しかった
ベリーベリードリンク。
もちろんノンアルコールですけど
すっきりしていて実はすっぱいのにお替りしたくなりましたな。

次回は復活祭明けの4月後半かな?


Museo ferroviario nazionale

2011-02-08 18:48:11 | アート・文化

フィレンツェのVia San Galloにある
Palazzo Fenzi(フェンツィ宮殿)は
現在もフィレンツェ大学文学部の校舎として利用されています。
もともとはMarucelli(マルチェッリ家)の所有だった宮殿ですが
マルチェッリ一族が途絶えたときに売りに出され
当時羽振りのよかった銀行家・実業家である
Emanuele Fenzi(エマヌエレ・フェンツィ)が購入。
この建物の正面大扉の上には
今もフェンツィ家の紋章が付いているのですが、
蒸気機関車が描かれています。
大学に通っていたころ、
毎日その扉を通るたびにそれが気になっていて
受講授業の終わりに教授に尋ねたら
フィレンツェとリヴォルノ港をつなぐ鉄道を敷くときに
フェンツィがその建設権を落札し出資していることを記念して
蒸気機関車がつけられているのだと教えてくれました。
そのときにそのフィレンツェ-リヴォルノ間を繋ぐ鉄道は
イタリアで建設された最初の鉄道のうちの
ひとつだということも知りました。
フェンツィが落札したのは1838年ですが、
建設は40年代で、まずリヴォルノ-ピサが1844年に完成、
最終的にエンポリ-フィレンツェが完成し
全線開通したのは1848年。


1800年代前半にイタリア各地で
鉄道建設が始まっていたということになります。
そのうちのひとつで実際に最古の鉄道といわれるのは
意外にもNapoli(ナポリ)-Portici(ポルティチ)間。
現状の南北差から考えると
北イタリアで初の鉄道が敷かれていると考えがちですが、
統一前のイタリアは南部に王国があり繁栄を誇っていたのです。


Re Ferdinando II di Borbone
(両シチリア国王ブルボン家フェルディナンド2世)の命によって
建設されたナポリ-ポルティチ間の鉄道開通は1839年10月3日。


1860年のイタリア統一運動中に
シチリア攻撃のために編成されたガリバルディの率いる千人隊と、
ヴィットリオ・エマヌエーレ二世とカヴール率いるピエモンテーゼ軍が
そして両シチリア王国を倒し
1860年9月7日にナポリに入ったときに
ガリバルディは騎馬隊ではなく
ブルボン家が建設した鉄道を利用したのです。
イタリア統一のシンボル的な場所でもあるのです。


この鉄道路線はナポリ近郊の通勤・通学のために
現在も現役で利用されていますが、
この沿線のPietrarsaにはかつてイタリア統一のころには
イタリアでも最大を誇った鉄道製造・修復工場があり
1853年には600人を超える工員が従事していたといわれますが
その後統一イタリア政府は工場縮小を試みます。
やがて最後の蒸気機関車が引退すると
この工場も閉鎖されてしまいました。


その跡地に国立鉄道博物館があります。
1989年に建設され2007年に一部改装された博物館は
敷地面積36,000平方メートル、建面積14,000平方メートルで
十数台の機関車、客車、車両などをはじめ
鉄道マニアが喜ぶような展示物が数多く保管されています。
古い郵便貨車や犯罪人を収監して運んだ車両、
ファシズム時代のディーゼルカー、
サヴォイア王国の王家のメンバーが使ったという
ダマスク織の壁に金で覆われた天井の絢爛豪華な客車もあります。


しかし、実際にはあまり知られていないうえに
開館時間が短すぎることなどもあり
イタリア国内でも人気のない博物館のひとつ。
年間入館者数は16000人で
そのうち半数は修学旅行や社会科見学の学生。


イタリア統一150年記念に訪れてみたい博物館です。


Il Museo Nazionale Ferroviario di Pietrarsa
開館時間: 平日 8:30-13:30
休館日:土・日・祝日
入場料:5,00ユーロ
インフォメーション: +39-081-472003
アクセス:ナポリからサレルノ行きの列車で
Pietrarsa-S.Giorgio A Cremano駅で下車。


Anello con la forma di chihuahua

2011-02-06 00:28:58 | インポート

Anello con la forma di chihuahua
先月半ばに遊びにきていた友人の
お気に入りのお店にくっついて行き、
たまたま見つけたごっつい指輪。

その時はシルバーがなかったので、オーダーしておいた。
10日くらいでできると言ってたので、
今日レイラを連れて寄ってみた。

フォームはできていたけど、
瞳が入ってなかったので、
悩んだけどグリーンの石を入れてもらって夕方引き取りに。

本当ならピンシャーにして欲しかったけど、
チワワの方が丸みがあって指輪にはいいのかも??
まぁ、似てるし。

ごっついので、この指輪はめたら手袋ははめられない。
これつけてスーパーに買い物行ったら、
袋詰めする時に結構引っかかって邪魔だったけど。

でもキーボード打つときは
見ながらなんかニコニコしちゃう。

ただの自己満足だけど、
とても可愛いので、すっかり気に入りました。
もちろんビリーって名付けたよ。