超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">ヘルマン・ヘッセと個性化の激痛</span>

2013-07-10 16:34:03 | 無題

最近暇を見てヘッセのエッセイを読んでいる。
今読んでいるのは「わがままこそ最高の美徳」である。
子どもの心という自伝的小説のなかで、ヘッセは子どもの罪悪感や父性への反発や移ろい易い気分をちょうど今感じているかのようにありありと事細かな描写で再現して見せるのだった。
続く自伝的エッセイと手紙には仰天してしまった。逃亡を繰り返したヘッセがサナトリウムに監禁されていたとは驚きである。そこでヘッセは家族を呪い、父を呪い、社会を呪い、信仰を呪う手紙を父親に何通も書くのである。ヘッセは詩人になりたかったが、その辺の小僧が詩人になれはしないという厚い世間の壁にぶち当たるのである。
ヘッセは書いている。学校とは個性的な人間を憎み、個性の芽を摘み、社会の鋳型に押し込めるためにある。けれども結局は学校や教師に目の敵にされた個性的な人物が、摩耗に耐えて文化を豊かにし、後世にまで残る仕事をするのである。そうすると学校は過去のひどい仕打ちも忘れて教科書で個性的な人物の書いた文章を事もなげに教えるのである。
「わがままこそ最高の美徳」という題を読んでご機嫌なことを言うおっさんだと思って気軽に手に取ったこの本であるが、この題の示すことは凄絶で言語を絶する。
苦労なく暮らしてきた人が、それでいいんだよと気楽に言っている本ではない。わがままとは自分の個性をどんなに抵抗が強くても押し通すことであり、たとえば詩人の魂を守るための凄絶な戦いである。
私が子どものころは何よりも協調性が重視され、不揃いが問題視される時代だったが、最近では子どもの個性を伸ばそう、色んな経験をさせようという風潮に様変わりした。
けれども個性とはそんなに生易しく育つものではないのである。なりたい自分になることは、世間の軽蔑と偏見と抑圧との壮絶な戦いである。サナトリウムでヘッセが父親に書いた呪いの手紙を一度でも目にしたならば、安易に子どもの個性を伸ばそうとは恐ろしくて言えない世界である。
子どもの個性を伸ばすのは結構だが、じぶんの子どもが演劇人になりたいとか、舞踏家になりたいとか、詩人になりたいといったときに、ためらわず個性を伸ばさせるだけの覚悟と器量がじぶんにはあるのかが問われる話である。
そうしたすべての問題をひっくるめて「わがままこそ最高の美徳」と言える大人は、数少ないが称賛に値する人々である。まことに奥深い本である。
少年が詩人になると決めたとき聖痕が裂け激痛が走る



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする