超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">ヘルマン・ヘッセの身も凍る孤独</span>

2013-07-17 19:49:41 | 無題

昨日はフェドセーエフのチャイコフスキーの2番聞く。フェドセーエフのチャイコフスキーの四番未聴。
昨日中公クラシックスの荘子上下注文する。今日届くはずなのだが、まだ来ない。今日も集中的な読書の抜き書きのあと、ヘッセの「わがままこそ最高の美徳」を読む。
第一次世界大戦が終わって戸惑う若者たちの前に、ニーチェのツァラトゥストラが現れ、自分自身であることを学べ、両親から自由になれ、世界の改革に期待を寄せるな、孤独の中で生きることを学べ、ツァラトゥストラに盲従するなと高らかに述べ伝える話をヘッセは書く。現代の寓話。ツァラトゥストラはここではニーチェではなくヘッセの分身。
そのあとヘッセはペルシャのキュロス王に勝った、マッサゲダイ族の案内人との会話を書く。
マッサゲダイ族の案内人の若者はヘロドトスのマッサゲダイ族の記述に神経質で、自民族の進歩に誇りを持ち、キリスト教の受容を誇らしげに語る。本当の会話なのかはわからない。多分、ヘッセの創作なのだろう。
この本を読んでいると、ヘッセがいかに孤独を友とし、自分自身であろうと気遣い、同時代に対して内向型の生き方の可能性を説き、詩人として、作家として、絵描きとして生きようと決心し、苦難の道を歩んできたことがわかる。
ヘッセは個性化について書いた「デミアン」と孤独な探求について書いた「シッダールタ」は別物ではなく、互いに同じことを別の側面から掘り下げた作品だと断言している。進化論を勇気ある者たちのジャンプの例として出すのはどうかと思うが、ヘッセが真に自分自身として生きることを信条とし、そのために世間と距離が生じても構わないと公然と言うのは勇気が要る発言である。
ヘッセは自分自身であれと若者に言うが、社会でしかるべき位置を築けとも言う。内向的でありながら、現実的な社会での位置にも配慮する厳しい助言である。
けれども最終的には、好きな絵を描き、好きな文章を書いてそのうえお金も頂こうとは随分虫がいい話だと自分に釘を刺すことも忘れない。ヘッセの言うわがままがいかに内容豊かなものか、本を読み進めるたびに実感する。
ヘッセは他人の個性を殺すことは殺人に等しいと、汝、殺すなかれを主題にしたエッセイで述べている。
世間の殺人的な偏見や抑圧に耐えて自分を押し通すことに徹したヘッセは痛々しいがある意味で幸運である。作家や詩人になれなかった無数の無名の人々の声なき声に、むろんヘッセも気が付いていたに違いない。
群衆に自分自身であれと説くヘルマン・ヘッセの身も凍る孤独



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