折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

名古屋城見物・本丸御殿

2020年11月08日 | 名古屋城



名古屋城二之丸庭園




名古屋城の菊花大会を見に行き急に思い付いて本丸御殿を見ることにしました。本丸御殿へ行く途中で公開中だった隅櫓へ寄り道、とても見学などと言える見方ではなくて見物です。それから再建された本丸御殿へ。

「尾張藩主の住居であり藩の政庁として1615年、徳川家康の命によって建てられました。昭和5年には天守閣と共に国宝となりましたが昭和20年の空襲により焼失。・・・古写真、実測図、文献が多数残りそれに基づいて忠実な復元を実現、400年の時を超えて築城当時のまま・・・」パンフレットより。
空襲が激しくなった昭和20年3月、襖絵、天井絵など取り外せるものは城内の乃木倉庫に保管されて焼失を免れました。いつ空襲があるかもしれない中を国宝の御殿から襖や天井絵を外して運び出した当時の人は偉かったと思います。この倉庫は明治の初めに煉瓦の上に漆喰を塗って火薬庫として作られたため焼けずに持ちこたえたました。建設当時名古屋鎮台に赴任していた乃木希典の名をとって乃木倉庫と呼ばれています。今回の復元では天井絵も襖絵も模写されて御殿に使われています。平成21年から復元工事が始まり平成30年に完成(天井絵の模写は継続中)




二之丸広場



公開され始めた頃は、まだ工事中だったこともあり参観者も多くて舞台装置の中をぞろぞろ歩いているだけのようであまり良い印象ではありませんでした。それからも御殿で日本刺繍の展覧会が開かれた時にも行きましたが、展覧会だけ見て帰って来た気がします。
それが最近知人から「ずいぶん広くなって変わったよ」と聞いて今回行ってみるとたしかにいくつもの建物が完成して、御殿らしくなっていました。

入る前にビデオで注意事項を聞き、靴を脱いで上がります。厚手の靴下以外はスリッパに履き替えます。私は年中木綿のソックスなのでそのままで。出来上がった当初はスリッパ無し、養生シートも無しで若い方は素足の方も多くて白木の床をペタペタ歩いていたそうです。それを見た檜専門の材木屋だった姉はビックリ。白木の床を素足で歩けば脂で汚れます。その時は畳にシートを掛けていたとかで「畳は張り替えられるけど、床板は張り替えられないでしょう。職員は分かってない」と、早速市に要望書を出すと市の対応も早くスリッパ500足を用意したとすぐ報告があったとは、姉の自慢話の一つです。そして今回私が気になったのは三代将軍家光公の上洛に合わせて増設されたという御成御殿の廊下のキズ、その一部に養生シートが施されておらずいくつもの丸い凹みがあるのです。「あらまぁ」と見ていると杖を突いたシニアさんが来られます。杖・・・この方の杖の先には土が付いたままで先端に滑り止めのゴムもないし、カバーをしなくてもいいのかしら。このままだとしたら全体の養生シートを外したらその下にはポコポコ凹みがあるのかも、などとちょっと心配な目で見てました。
自分でお城や市に要望書を出す勇気はないので姉に電話です。「うん、わかった。それはいかんねぇ。」この後はどうなるか・・・杖を使用する方にも建物の保護も両立できる方法で改善されるとよいのですが。


見てきた本丸御殿は立派でした。ここまで出来るなら天守閣も木造での再建は夢ではないのかもしれないと思えます。模写された絵は襖にはめられると出来た当初のきらびやかさを見せてくれますし、欄間の彫刻や襖絵の豪華さは実際に見て見ると迫力があります。なかでも柱や襖の金具の豪華さに惹かれました。「すごーい!」としか言葉が出て来ないのが残念です。
復元・・・にせもの、といった気持ちも少しはありましたが、こうした所で伝統の技法が使われ技術が伝わることも必要な事なのだろうと思いました。

上御膳所では「こんなきれいな所で火を焚いて、何を煮炊きしたんだろうか?」などと想像しながら楽しく見物して帰りました。




再建された天守閣と本丸御殿・天守閣は取り壊される予定



焼失前の写真


上洛殿


襖の釘隠し


柱の釘隠し


襖の引手


武将隊 加藤清正も足軽もマスク

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