放浪のページ別冊ブログ

キャンプ・ツーリングに林道ツーリング。スキーや食べ歩きも。ホームページや巡礼と芸術の別ブログもあります。左下のリンクで。

芽登温泉周辺の林道 芽登川林道 芽登糠南林道 坊主山林道

2024年02月22日 18時02分41秒 | バイク・旅の話題


2023年12月10日。ポツンと一軒家というテレビ番組で、北海道にある芽登温泉がとりあげられていた。芽登温泉のまわりには林道がはしっているから、この地域は何度もおとずれている。しかしタイミングがあわなくて温泉にははいれていない。ここは長年の宿題になっている、いつかつかってみたい温泉なのだ。



上の地図は林道ツーリングガイドブックから転載した。芽登温泉周辺の林道はまよいつつ走破している。入口はみつからないし、ミスコースも連発した。スムーズに走れたことはないのだ。



2017年の北海道ツーリングではじめて芽登糠南林道にむかった。最初は上士幌から国道273号線を北上し、道道486号線にはいって芽登川林道にアクセスしようとした。しかし林道の入口がみつけられず、道道88号線の芽登温泉の入口、当初の予定の反対側から林道にはいった。上の画像がその入口だ。



道道から芽登温泉までは幅広のジャリ道だ。



温泉をすぎると道はせまくなり、路面は草が生えるようになる。通行量はほとんどないようだ。



林道ツーリングガイドブックによると、林道の出口まで12、3キロとある。入口からの走行距離が12キロになったのでそろそろ出口かとおもっていると、通行止めにでてしまった。



つきあたりは『南クマネシリ岳登山口入口』とあり、道は右にまがってつづいているが、ロープで閉鎖されていた。ここまできてルートをまちがえていたことにきづく。ヒグマのでそうな深山にひとりでいるから、すぐにもバイクで引き返したいが、冷静になれと自分に言い聞かせて、林道ツーリングガイドブックでルートを確認する。すると芽登温泉をすぎて糠南ダムで左折するのを見おとしていた。なんてことだ。凡ミスである。焦っていたのだがつとめて慎重にUターンした。



糠南ダムまで引き返してみると、丁字路があり、ルートはこちらのようだ。上の画像の奥からもどってきて、左がただしいルートである。



ここには巨岩の滝の案内もある。その入口をとおってきたが、滝は林道から笹薮の中の道をあるいた先にあるから、熊がこわくてとてもゆけないとかんじられた。この時点で時刻は16時になっており、夕刻のヒグマの活動が活発化する時間に山の中にゆくのは賢明でないから、下山することにした。



翌日。リベンジにやってきた。昨日まちがえた丁字路にはいって山をのぼってゆくと、深ジャリのものすごい激坂となった。こんな道はすすみたくないと思うが、急坂の途中でバイクをとめるわけにはいかない。斜度がおちつくまでがんばるしかないと走り続けると、左にゆく支線があり、坊主山林道と看板がでていた。



やがて上りはゆるやかになった。そのまますすむと丁字路にでた。



上の画像の奥からやってきた。丁字は左にゆくのである。



丁字路を左におれてゆくと5キロほどで鹿よけゲートがあり、そこをぬけると道道486号線にでた。



2019年は道道486号線からアクセスし、温泉にはいろうとした。



芽登川林道の案内がたっている。距離は約10キロだ。



林道にはいってゆくとすぐに鹿よけゲートがある。



この時は路面に砂利がはいっていた。



林道は芽登川にそってゆく。



なんだかおかしな感じになった。5キロほどで丁字にでるはずなのに8キロほど走ったのにみつからないし、山が深くなってきた。これはおかしいと引き返す。



分岐はひとつあったが工事現場にむかう道だ。



もどってみると丁字路を見落としていた。



丁字には芽登糠南林道の看板がたつ。



林道脇にたっていたこの看板に気をとられて丁字を見のがしたのだ。



芽登糠南林道にはいってゆくとかなりの急坂だ。砂利も深い。前回反対方向から来たときにはかんじなかったが、きつい上りだった。



そしてこの先に激坂の下りがあるぞとみがまえてゆくが、たいしたことはない。



どうやら上りは急に感じられやすく、下りは逆にゆるやかに見えるようだ。



ミスコースをしつつ芽登温泉に到着したが営業時間の前だった。



風呂は10時半からでこのとき9時前だったと記憶する。



気のみじかい私はそんなにまっていられず、また来ればいいさと走りだしたのだ。



あれから5年がたってしまった。



いつか芽登温泉につかりたいとおもっている。勝手知ったる林道をとおって。
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スズキ歴史館 

2023年10月28日 18時32分20秒 | バイク・旅の話題


静岡県浜松市にあるスズキ歴史館をたずねた。場所はスズキ本社の前だ。エントランスでは刀やハヤブサがむかえてくれる。



1991年にパリダカを走ったDRーZ。DRビックをベースにしたレーサーか。



1980年に鈴鹿8耐で優勝したGS1000R。



チーム・ヨシムラスズキでライダーはクロスビーとクーリー。



さまざまなレーサーたち。



RGB500の2ストレーサー。上のモニターでは、長く眠っていたRGBを復活させたドキュメントをながしていた。



ジムニーのカットモデル。



生産ラインの紹介。



浜松が生んだ、スズキやホンダ、河合楽器などの創業者の紹介。



初期のバイク。



車たち。



車やバイクは大量に展示されている。



GT750。今あらためて見るとカッコイイ。



GS400。シンプルでいい。



ジムニー。奥にアルト。



サンパチ。



マメタンにミニクロ。



オフロード・バイクのコーナー。



ハスラー400。2ストの400だ。私は走っているTS400は見たことがない。



GS750。これもオートバイらしくてよい。



DR400にインパルス。



DRビック。



そして私の乗っているDR650RSと兄弟車のDR600が展示されていた。



私のDRとフレームやサス、タンクなどは共通だ。



このバイクを見ることができてよかった。



当日は30年ぶりに会った、学生時代のバイク仲間と見学した。スズキ歴史館は完全予約制だ。入場は無料。見ているとスズキのバイクや車がほしくなってくる。
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本田宗一郎ものづくり伝承館

2023年10月23日 17時42分36秒 | バイク・旅の話題


静岡県浜松市二俣にある本田宗一郎ものづくり伝承館をたずねた。



館内には昭和の名車がならんでいる。ドリーム号だ。



NOP法人が運営しているが、入場料はなんと無料だ。



1954年ドリーム4E型。



ホンダのF1マシーンの写真の前に原動機つき自転車。



リトルホンダ。



ホンダといえばスーパーカブ。私も年をとったらこれに乗ろうとおもっている。



1949年。ホンダC型。ものづくり伝承館は月・火・年末年始が休み。10時から16時半までだ。2階建ての小じんまりとした博物館である。



ものづくり伝承館のあとは静岡の人気レストラン、さわやかで夕食をとった。



看板メニューのおにぎりハンバーグ200グラムとビールを注文する。



さわやかのハンバーグは、ステーキを細かくきざんで丸めたような、肉のかたまりのような一品だ。牛肉100パーセントでつなぎはないから、かたくてジューシーさはない。私はふわふわの肉汁があふれるハンバーグがすきだな。
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へーベルハウスのCMにエルシノア

2023年07月28日 17時38分06秒 | バイク・旅の話題

へーベルハウスのHPより


先日ツィッターをみていて広告に目をひかれた。へーベルハウスの宣伝なのだが、ガレージにオフロード・バイクがとまっているのだ。この見慣れないバイクはなんだろう?


へーベルハウスのHPより


へーベルハウスのガレージライフをたのしもう、ガレージライフのすすめ、というガレージつき住宅の宣伝である。上の写真でバイクはホンダのエルシノアだとわかった。50年くらい前のモデルだから、よくこんなマニアックな単車をみつけてきたなと感心した。しかも新車のようにきれいだ。


へーベルハウスのHPより


エルシノアを上から見たところ。タンクがオレンジとシルバーに塗り分けられている。そうだ、こんなだった。


へーベルハウスのHPより


ガレージには2台のバイクがとまっている。もう1台のオンロード・バイクはなんだろう?ツインのモデルのようだ。2気筒ならヤマハかカワサキか。それよりも人物の左にトレーナーが吊ってあるが、エルシノアの文字がはいっている。このトレーナー、昔ホンダが販売していた記憶がある。エルシノアのタンクのオレンジが胴部分で腕は黒になっていたはずだ。バイクも古いけどこのトレーナーもよくのこっていたな。すごいとおもう。それともこれはレプリカなのだろうか。トレーナーは50年ももたないよね。


へーベルハウスのHPより


オンロード・バイクは何なのかなかなかわからない。


へーベルハウスのHPより


と思うと、デスクの奥に古いロードバイク(自転車)があってこちらも気になる。


へーベルハウスのHPより


バイクの後部がみえるが車種は特定できない。大きなツールボックスがマニアらしさを演出している。


へーベルハウスのHPより


最後にこの写真である。タンクやシート、サイドカバーなどがカスタムされているが、ホイールはヤマハのものではなかろうか。そしてエンジンのカムカバーの特徴から、XS650だとおもわれる。アメリカン・モデルのXS650スペシャルがキャスト・ホイールだったのではないか。アメリカンのXSをカフェ・レーサー風にしたくて、タンクやサイドカバーを交換したのかなと想像したりした。

それにしてもこのへーベルハウスの広告は凝っている。誰が(どこの会社が)プロデュースしたのだろう。気になる。
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スーパーカブではじまってカブでおわる

2023年04月03日 21時45分05秒 | バイク・旅の話題

     
ホンダのHPより


あがりのバイクはなににするか、という話題がある。人生で最後にのるオートバイはなにか、という話だ。すると、ホーク11だとか、ハーレーだ、などという的外れな答えがでていて、鼻白むことがある。そうではないだろう。あがりのバイクはカブなのだ。

人生最後のバイクは大型バイクだと言う人は、30か40くらいの若い人なのではなかろうか。この方たちはいくつまでバイクにのるつもりなのだろう。50か60くらいでバイクをおりるつもりなのか。そうではあるまい。バイク乗りは体がきくかぎり、オートバイにのりたいとおもっているはずだ。

私は生きていれば、80でも、可能なら90になってもオートバイにのっていたいとおもっている。そんな年になって大型バイクにのれるのか。のれるわけがない。あたりまえのことだが、人間は老いておとろえるのである。

大型バイクをあがりのモデルだと考える若い人は、老いたら人間がどうなるのか、想像もつかないし、そもそも考えたこともないのだろう。今の自分の心身の状態で、これがあがりのバイクにちょうどいいだろうとおもうわけだ。80や90になったときの体の状態を想像することは、たぶん若いとできないのだろう。


ホンダのHPより


年をとってゆくと、まず車にのれなくなるだろう。車体感覚がとらえられなくなって、視力もおとろえ、反射神経もわるくなる。事故をおこして、誰かに危害をくわえてはならないとかんじ、自動車からおりることになるのだろう。しかし、バイクはその先でもまだのれるだろう。体力がおちても、目がわるくなっても、車幅や前後長のみじかいオートバイならのれるはずだ。

それでも年とともに大型バイクにはのれなくなり、小型のバイクに移行するだろう。小型のオートバイでゆっくり走るなら、かなりおとろえても、人を怪我させるようなことにはならないのではないか。アクシデントがあっても、自分が傷つくだけですむのではなかろうか。それがあがりのバイクになるわけだ。


ホンダのHPより

私がはじめてのったバイクは、友人宅にあったスーパーカブ50だった。16のときのことだ。カブは原付だったが、そのパワーにおどろいたものだった。そんな人はおおいのではなかろうか。はじめてのバイクはカブでなくとも、スクーターなどの原付、というパターンだ。

釣りのことばに、フナにはじまってフナにおわる、というものがある。魚釣りは、家のすぐ近くでできるフナ釣りからはじまり、その後は磯釣りや船釣り、大物釣りなど、様々な方向に発展してゆく。海外に遠征することもあるかもしれない。しかし年をとって体がきかなくなったら、また自宅近くの川でフナをつって、釣り人生をおえるということである。

フナと川をたとえとしてつかっているが、海の近くの人なら、堤防で釣れるアジやイワシにでもなるだろう。山間の人なら山女になるのかもしれない。自宅のちかくではじまり、またそこにもどったおわるということである。バイクならカブやスクーターなどの原付ではじまり、そこにもどって終わるということなのだ。


ホンダのHPより


私はDR650のキックがふめなくなったら、セルつきのバイクにかえるとおもう。DRのエンジンをかけるにはかなりの力がいるのだ。そして大型バイクにはのれないとかんじたら、カブをあがりのバイクとしてえらぶつもりだ。カブはクロス・カブやハンター・カブではなくて、オーソドックスなモデルがいい。

バイクは、スーパーカブではじまりカブでおわる。小型バイクではじまり、小さなモデルでおわる。あがりのバイクはカブ、小型バイクなのである。

バイクはカブにはじまってカブでおわる。
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1983年カニの家の追憶

2022年10月17日 17時30分52秒 | バイク・旅の話題


1983年 帯広ユースの朝の集合写真

HPやブログに1980年代の旅の記録を書いていると、それについてメールをいただくことがある。昨年、私と同じように80年代に北海道を旅されたSさんという方からおたよりをいただいた。Sさんは周遊券とヒッチハイクで旅をされたそうだ。私の古い放浪の記録をよんでなつかしんでくれているとのこと。その後の私の2001年の北海道ツーリングでは、あまりにも観光地化されてしまった神威岬や、たてかえられた札幌駅を惜しむ記述がある。Sさんも北海道の変貌や発展について私とおなじようなことを感じていらっしゃるようだ。そのSさんからのメールをここに転載させていただいて、神威岬や札幌駅のことなどにふれたいとおもう。そしてSさんのかかれれている、1983年のカニの家についての文章も紹介したいとおもうのだ。



1983年 函館のユース・北星荘の朝。

以下Sさんのメールを抜粋。

ーー『1983年北海道ツーリング』には、懐かしい場所の記述も出てくるのですが、昨今の開陽台の変わりぶりと、『2001年ツーリング』の神威岬と札幌駅の変化には、読んでいて心に来るものがありますね。
私の記憶の開陽台は何もない丘の上に粗末な八角形の展望台があっただけの場所。神威岬は手彫りのトンネルを通って、風の吹き抜ける草むす土手の上から神の岩を眺める場所。札幌駅は色とりどりの寝袋と自転車とバイクが壁沿いにずらりと並び、いつ行っても若い旅人が集まっている場所。ーー

念仏トンネル 昔日の神威岬

1980年代の札幌駅での野宿風景

ーー私はもう30年以上も北海道には足を踏み入れておりません。バブルを挟んで人の心も変わり、その後、地域経済を支えていた北海道拓殖銀行もなくなり、かの地がどのように変わってしまったのか?
かつての想い出が、かの地の今の姿で上書きされるのではないか、という漠然とした不安を持っています。ーー

ーー「地元の方は近代的な施設と発展を望んでいる」というのは、学生の時からよく見ていた現象です。結論から言えば私たち旅人は土地の利害関係者ではないので、口を出すべきではありません。そして田舎の人には、残念ながら手が加わっていない自然の大切さは分かりません。利害関係者が選択したのなら、我々がどう思おうと失われるのは仕方のないことなのです。そのはかなさを前提に、私たちはその時間のその場所を旅していたということなのだと思います。ーー

そのSさんが書いた帯広のカニの家を追憶する文章がある。それがあるのはカニの家OB会公式ホームページで、カニの家の歴史を記録するために運営されているそうだ。

カニの家 Sさんの文章

カニの家OB会公式ページ


私はカニの家にとまったことはないのだが、当時のようすをつたえる貴重な文章だとおもう。Sさんの作品にはもっと素敵なものもあるのだが、それはある方のブログにのっているので、転載するのははばかられる。いずれにしても追憶はあまく、せつない。



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ゆるキャン なでしこの歩いた道

2022年06月27日 20時27分10秒 | バイク・旅の話題


2022年の5月。静岡に旅行した際に東名高速の富士川SAに立ち寄った。売店を見ていると『ゆるキャン』のコーナーがある。ゆるキャンとは女子高生がキャンプをするアニメだ。作中で私も何度も利用したキャンプ場、野田山健康緑地公園が登場するのだが、それについての展示まであった。



野田山健康緑地公園は富士川SAの北の山の中にあるのだが、道が狭くて車でゆくはかなりきびしい。西にある蒲原からのルートのほうが道はよいが、いずれにしても行くのはたいへんだ。そこをゆるキャンの登場人物のなでしこが、ソロキャンをするために歩いてゆくシーンがあるのである。そのルートの解説があった。これって聖地化してる?



野田山健康緑地公園は山の上にあるキャンプ場だ。以前は無料の野営場だったが、現在は有料となっているようだ。私は2016年と2018年に利用したが、当時は富士市の林業課に電話をして予約をした。



水が飲めないことと、火をつかうのは炊事棟だけというルールがあった。火事があったからのようだ。じっさいに野営場の下草が広範囲にこげているのをみたことがある。



そして作中でなでしこも見ているが、夜景がきれいなところだ。眼下には富士市と田子の浦を見下ろすことができる。



いつかまたたずねたいと思ってたのだが、聖地となっているのなら、大混雑しているのだろうか。2016年の記録は『2016年11月野田山緑地公園キャンプツーリング1』。2018年は『2018静岡キャンプツーリングの1』をどうぞ。
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昔のユースホステル・ハンドブックはタイムマシーン

2022年06月16日 18時34分32秒 | バイク・旅の話題


本棚を整理していると、1978年版のユースホステル・ハンドブックがでてきた。財団法人ユース・ホステル協会が発行したガイドブックだ。この本、当時の旅好きな若者はみんなもっていたのではなかろうか。



ハンドブックには往時のようすがのっている。この本をよんでいると瞬時に若いころの記憶がよみがえった。



1981年に自転車旅で旭川ユースにとまった。こんな、辛い、旅なんか、もういやだ、旅を終わろう、汽車にのろう。ユースではさとう宗幸のうたう北海道ユースホステルの歌、『旅の終り』がエンドレスでかかっていた(歌詞の一部だけ記憶していたのだが、ネットで調べたら歌の名前や歌手までわかった。私はさとう宗幸がうたっているとおもったがちがっていたのかもしれない。)。ソロで自転車旅をしていた私は、若さゆえに休むこともせずにペダルを踏み込んでしまった。先へさきへと。朝から夕方まで。当然サイクリングはくるしいものになって、この歌とおなじ心境だった。そのころの札幌駅での野宿風景は『1980年代の札幌駅での野宿風景』をどうぞ。



当時はトムラウシにユースがあったのだ。そして帯広ユース。



1983年のバイク・ツーリングで利用した。朝の集合写真。当時はホステラー(宿泊者をこう呼んだ)やヘルパーさんがあつまって毎度写真大会をやったものだった。



函館の北星荘。この頃からユースで酒がのめるようになった。同じく1983年のツーリングだ。そのときのようすは『1983年の北海道バイク・ツーリング』をどうぞ。



夜バイクの宿泊者だけで函館山にいって夜景をみた。帰りに競争になり、ショートカットして勝利したことを思い出す。



尻屋崎ユース。北星荘の翌日に日本一周中の青年ととまった。その彼と日本縦断ライダーのエピソードは『日本縦断ライダーと日本一周ライダー』をどうぞ。



高校生のときに自転車でたずねた茨城県の筑波山荘。規律がきびしかった。



埼玉県の鎌北湖ユース。友人が土曜日だけステーキがでると聞き込んできて、ランドナーをつらねてでかけた。ミーティングなどがやけにたのしかったことだけをおぼえていて、食事の印象はのこっていない。



大学受験がおわり、発表までのあいだにサイクリングをした伊豆のかえりに真鶴ユースを利用した。伊豆では伊東ユースと下田ユースにとまった。この後浪人が決定するのである。



キャラバン・シューズの宣伝。



ユースでねむるときにはスリーピング・シーツを使用することになっていた。これが面倒くさかった。



予約はがきの書き方。



1983年には伊勢や和歌山にもツーリングにでかけた。その際に大津ユースにとまった。琵琶湖毎日マラソンの前日で、レースに参加するという方と話をした。その方は一般参加の選手だったが、3時間ほどで完走すると言うので、それはすごいですね、と話したことをおぼえている。ユースにとまってマラソンにでるというのは当時としては当たり前のことだが、今となればものすごくストイックだ。



高校生のときに能登半島から京都をまわるサイクリングにでた。その際に京都のユース松三を利用した。そこのばあさんがどこから来たのかと問うので、答えると、車は走っているのか? と言う。京都よりもたくさん走っているとこたえると鼻でわらわれた。学のないばあさんだった。



小西六(現在はコニカ)のカメラ・フイルムの宣伝。キャラクターは欽ちゃん。商品はサクラカラーだ。



東亜国内航空の宣伝。TDAは日本エアシステムに社名変更したのちにJALと合併した。その後はJALは倒産してしまったから、先のことはわからないものである。現在のJALは再出発会社だ。



北海道のページをくっていると養老牛青年の家をみつけた。その地図に開陽台育成牧場とある。ここが現在の開陽台だろうか。



そして北海道ユースの歌・旅の終りの宣伝もあった。歌手名は青木清とある。ネットで検索してみると、この曲をきくことができた。山名敏晴という人もうたっている。ただ私はさとう宗幸の歌をきいたとおもうのだ。さとう氏の声は特徴的だし、青木氏と山名氏の歌もきいてみたが、この声ではなかったとかんじている。しかし昔のユースホステル・ガイドブックはタイムマシーンだ。読んでいると、高校生や大学生にもどってしまう。
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かんぬき、ではなく、かんばつ

2022年03月31日 18時19分27秒 | バイク・旅の話題


このところ気になっていることばがある。貫通している林道のことを、かんぬき、と呼ぶことだ。漢字では『完抜』とかく。これを、かんぬき、とよんでいるのだが、かんばつ、のまちがいだ。kanbatsu

貫通している林道、行き止まりではなく、通り抜けられる林道を、完抜林道(かんばつりんどう)とよんでいた。これは林業関係者のことばか、道路整備者の用語だったとおもわれる。40年ほど前のバイク雑誌には、完抜林道、ということばが、林道の紹介記事によくつかわれていた。そこにルビなどふってなかったが、だれも、かんぬき、というよみかたはしていなかった。



それが最近、ツィッターでかんぬき林道をはしってきた、とか、かんぬきしてきた、かんぬけしてきた、のようにつかう例が散見される。漢字のよみかたには音読み(中国読み)と訓読み(日本語読み)がある。漢字の熟語は音音読み、訓訓読みとそろえてよむものである。音訓読みの、かん+ぬき、ではおかしい。かん+ばつ、の音音読みだ。完成は、かんなり、ではなく、かんせい。完走は、かんはしり、ではなく、かんそう、だ。

ウェブ雑誌の記事にも、かんぬき、ということばをつかうライターがでてきたので、とても気になっている。

かんぬき、ではなく、かんばつ、だ。
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2021キャンプと車中泊のまとめ

2022年01月12日 18時14分22秒 | バイク・旅の話題


2021年のキャンプと車中泊についてふりかえってみた。何十年もなかったことだが、2021年はキャンプはしなかった。ホームページの副題に『ひたすらキャンプ・ツーリング』とつけているくらいキャンプがすきなのだが、現在はキャンプ・ブームで、野営場は大混雑しているから避けたのである。キャンプ場にいる全員が焚き火をしているのも、前回のキャンプ・ブームのときに、皆がコールマンのツー・バーナーでビーフシチューをつくっていた光景とだぶって見える。はやりものにのってやっている人間がいなくなるまで、キャンプはひかえるつもりなのだ。



一方で車中泊は29泊した。車中泊も流行のきざしがみえるが、このまま沈静化してほしいとおもう。



車中泊はバイクをつんでいったトランポ・ツーリングが13泊。



トランポでゆくと雨も暑さも関係ないからとても快適である。



スキーが9泊。



そして家内との旅行が7泊である。約1ヵ月間ハイエースに寝泊りしたのであった。



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