放浪のページ別冊ブログ

キャンプ・ツーリングに林道ツーリング。スキーや食べ歩きも。ホームページや巡礼と芸術の別ブログもあります。左下のリンクで。

2024ビワイチ4

2024年06月06日 16時31分48秒 | サイクリング

ビワイチ、2日目の午後。昼食後に国道303号線で小さいがきついピークをこえ、県道557号線におれて琵琶湖の北端の大浦にむかうと、リヤ・タイヤから、ゴットン、ゴットンと嫌な振動がでだした。チューブラー・タイヤはリムに接着剤でとめてある。それが賤ケ岳のくだりではずれたのだろうとおもって点検すると、やはりタイヤがずれてしまっていた。

タイヤが進行方向にずれて、エア・バルブがひっぱられて歪みがでたのだ。さっそくタイヤをリムにはりなおそうとしたが、接着剤が古くてきいていない。しかも接着につかうリム・セメントをわすれてきてしまった。修理をすることはできず、このままゆくほかない。このあとはずっとゴットン、ゴットンとやりながら走ることになった。

湖北ではお祭りをやっていた。神輿がでて、裸の男たちがかつぎ、羽織袴の世話人たちがついている。良いものを見させてもらった。

湖北は人も車もすくなく、風景もすばらしい。

湖水の透明度もたかく、清々しかった。ただアップダウンがありきつくもあった。

マキノサニービーチにやってきた。高校2年のときに、能登半島から京都をまわったサイクリングの際にキャンプした地である。そのころは施設はほとんどなく、湖沿いに野営場があるだけだった。今は建物がたっていて受付があり、その先は宿泊者でないと入れないし、トイレを使用するのも料金100円と書かれている。

45年前は柵などなくて、夜になると近隣の方がフルートの練習にきていた。家では思うままに吹けないからだが、湖岸には自由に出入りができたのだ。

今は芝生がはられてテントとタープがならび、キャンプ場もいくつもある。当時をなつかしむよすがはのこっていなかった。それはそうだ45年も前のことだから。

今津浜でトイレによった。ここでは鯉釣りをしている人たちがいる。釣れるのかなとおもっていると、ファンファーレがなりだした。当たりを知らせる警報音で魚がかかったのだ。ひとりがリールを巻いて魚をひきよせはじめ、友人がたも網をかまえてとりこみをたすけようとしていると、友人の竿からもファンファーレがなりだした。友人はたも網をおいて自分の竿にはしってゆく。

鯉はちかづいてきた。私はたも網をとって加勢しようかとおもったが、ゆきづりの人間がやるのはどうだろうかとおもってやめた。魚は3メートルまでよってきたが、そこで針をはずして逃げてしまった。釣り人は足元までよってきた魚をどうとりこむのか迷ったのだ。一瞬糸がゆるんだ隙に、鯉はもがいてにげた。たも網をかまえていたら、そこに鯉をまっすぐに引きいれて、とれただろうとおもわれる。釣り人は、70センチくらいの小物だ、といって悔しそうな素振りはみせない。朝はもっと大物がかかったのだそうだ。

時速15キロのペースをまもってゆく。若いサイクリストのグループと抜きつつかれつしてすすむ。彼らのほうが全然速いが、一度休むと人数がおおいし、女性もいるから長くなるのである。私は休憩せずにノロノロ走行をつづけるので、彼らとおなじペースになった。またお祭りに遭遇して、祭り行列に遠慮する若者を尻目に先行する。

14時半に高島でやすむ。17時の時点で琵琶湖大橋の東岸の堅田まで何キロのこっているか、どのくらい疲れているかで、今日の走行を切り上げるか決めることにする。わずかな距離ならば無理をしてでもビワイチを完走するが、力がぬけるほどのこっていたら、輪行して堅田に行き、ピエリにもどって、明日つづきをすることにした。あと2時間半でどこまでゆけるかだ。今日はどんな結末をむかえるのだろうとかんがえて走りだすと、白髭神社18キロ、琵琶湖大橋36キロの看板がでている。2時間半あれば36キロは十分にはしれる。今日のうちにビワイチは完走できるだろう。力がわいてきた。

若者たちよりも速くノロノロ走行の私が白髭神社についた。

神社にたちよる余裕はもうない。

あと18キロで琵琶湖大橋である。

白髭神社から先がきつかった。ルートは湖沿いから湖西線の横をゆくようになり、いつまで走っても琵琶湖大橋がみえてこない。体力を消耗してしまい、バテバテですすんだ。

ノロノロ走行でねばっていると、堅田4キロの看板があった。もう少しだ。ファミリーマートによって力水をとる。

堅田から琵琶湖大橋をわたり、16時55分にピエリ守山にもどってきた。走行距離は125キロ。ビワイチを完走したのだ。車のとなりにはマウンテン・バイクのグループがいた。かるく挨拶をして、リヤ・タイヤをはずしてゴットンの部分を修正していると、変速機のダブル・レバーがカッコいいですね、カンパですか、と声をかけられた。50くらいの方だ。そうです、40年前の自転車なんですよ、20代のころから乗ってます、とまた話したが、私のオールド・レーサーは50以上の人にうけるみたいだ。若者は古いものはわからんよね。彼らのマウンテン・バイクはEバイクのようだった。

この日は琵琶湖大橋をわたり、雄琴温泉の『スパリゾート雄琴あがりゃんせ』にいった。数年前に家内と利用してよいイメージがのこっていたスーパー銭湯だ。

あがりゃんせの料金は1850円とお高いが、琵琶湖のみえる展望風呂や、リラックス・チェアなどの施設が充実している。

館内で着る服も料金にはいっているのでソファやマッサージ・チェアでくつろぐことができる。

ただ時間がなくてゆっくりできないのが残念だった。

演劇もやっていてこれも無料だ。

あがりゃんせは朝から晩までたのしめる施設だった。

滋賀県にはちゃんぽん亭というチェーン店がたくさんあるので、利用したいとおもっていた。しかしあまり腹がすかないので、コープで買い物をして道の駅『びわ湖大橋米プラザ』にゆく。ピエリ守山と琵琶湖大橋をはさんだ対岸に位置している道の駅だ。カツオの刺身にローストビーフ、それに三輪そうめんで一杯である。

カツオの刺身がうまい。ローストビーフもいい。そして三輪そうめんである。

関東人の私には三輪そうめんがめずらしい。出汁も具も関西風でよかった。2024シーズン16日目の車中泊。ビワイチはきついところもあるが爽快だった。気持ちよく走れるから、癖になりそう。

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2024ビワイチ3

2024年06月03日 18時17分23秒 | サイクリング

5月4日。土曜日。道の駅あぐり栗東の朝。天候は晴れ。GWの4連休はずっと晴天の予報である。

朝食はカップ麺だ。

ピエリ守山の駐車場は7時半からなので時間調整をして、給油もした。燃費は10、1K/L。

7時15分にピエリにつくと駐車場はもうあいていた。気温は16℃。日中はまた25℃を上回る予報だ。

準備をととのえて7時半すぎに出発する。

まず12キロ走行して野洲駅に到着した。足は快調でついついペダルを踏みこんでしまうが、今日は長丁場になるから自重する。しかし不安だった右膝も痛まないから気持ちがかるかった。

野洲駅前で自転車を分解する。

サドルだけ袋におさまらない。輪行袋のショルダー・ベルトを肩にかけて、サドルをもってホームにあるいた。8時30分の電車にのる。

弾丸電車で田園地帯をはしりぬけ8時50分に彦根駅についた。

自転車を組み立てて9時5分にスタートする。まず米原駅にいこうとおもうがビワイチのコースは駅に近づかない。

湖沿いをゆくのだ。時速15キロのマイペースですすんでいると、私よりも年上のサイクリストにぬかれた。その方は時速30キロくらいで走っていたから、速いなと感心した。サイクル・ジャージを着た方だ。私は長袖Tシャツに短パンのサイクリング・スタイルである。

長浜の入ると大仏がたっていた。

初心者コースは長浜城公園の中をゆく。

城址公園をぬけるとまた湖の横をゆくようになった。

さきほど抜かれた早い方が後ろからやってきた。どこかで休んでおられたようだ。その方に「トーエイ・ロード、いいですね」、と声をかけられた。自転車をとめて話すと、石山に住んでいらっしゃるHさんとおっしゃる方で、私よりも6つ上の68歳とのこと。トーエイ・ロードは40年前に組んでずっと乗っていますと話すと、それはすごい、とおっしゃっていた。Hさんはクロモリ・フレームのロードに心酔していて、オークションなどで古い自転車を買いあつめ、10台も所有されているとのこと。この日の自転車は『クリバラ』というハンドメイドのものだそうだ。10台も自転車を購入するのもすごいが、置いておけるスペースがあるのも家がひろくないと不可能だ。こんどは私が、それはすごい、と言う番だった。10台のうちの8台がビワイチ用なのだそうだ。私の自転車のカンパなどの部品を見て、20代のころにこれを買われたのはだいぶ気張りましたな、とおっしゃる。たしかに何か月もかけて、少しずつ部品を手に入れて完成させたのである。そのおかげで60代になっても乗っていられます、と言うと、元をとらはりましたな、と笑った。関西の方は気さくで人懐こい。関東の人間はシャイでかまえてしまうから、こうはいかない。だから東京の人はつめたいなどと言われるのだろう。そうでもないんだけどね。

H氏は先にいかれた。湖北の木之元にむかう。

事前に情報を得ていた、右側の歩道を通行する狭小トンネルについた。右側にしか歩道がないのだ。

右側の歩道を通行してトンネルをぬける。この後は左側通行にもどって木之元にはいってゆく。木之元では食事をしたいとおもっていたし、サイクリストに人気のパン屋ものぞいてみたいとかんがえていた。しかしコースにしたがってすすむと、旧道に誘導されて、木之元の町にはゆかずに、賤ケ岳への登坂にはいってしまう。この上りがきつい。私のオールド・レーサーは昔の流行でギヤ比が高い。いちばん低いギヤは40×21なのだ。このギヤでは坂でペダルを踏み込めない。足をつきそうになるが、我慢してねばっていった。

上り坂はきつかったが距離はみじかかった。トンネルをぬけるとピークだ。

ここにはビュースポットがあった。

峠からくだって琵琶湖の北部をゆくと、湖にたちこんで釣りをしている人がいる。ビワマスをねらっているのだろうか。琵琶湖には鳥がたくさんいる。水鳥やサギにヨシキリなど。見たことのない黒い水鳥もたくさんいて、なんという名前なのだろうかとかえってからしらべてみると、オオバンという名だった。オオバンは琵琶湖ではふえているそうだが、関東では絶滅危惧種とのことで、どうりで見たことがないわけである。

木之元でちゃんぽんをたべるつもりだったので空腹だった。どこかに店はないかとおもっていると、湖北ほくほく亭をみつけた。たすかった。

ほくほく亭でラーメンとチャーハンのセットをオーダーした。なつかしい感じの、毎日食べられるラーメンとチャーハンだ。980円。

 

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2024ビワイチ2

2024年05月30日 17時57分49秒 | サイクリング

湖岸を北上してゆくと延々とキャンプ場がつづくようになり、たくさんの人たちがバーベキューをやっていた。肉を焼くにおいがただよっている。ヨシ原も点在していてオオヨシキリが鳴いていた。ビワイチのサイクリストもたくさんいる。

13時すぎ。疲れてきたので道の駅草津でやすむことにする。日差しがつよくなり日陰をさがしてやすんだ。ここまで39、8キロ走行したとスマホに記録されている。メモをとり水分を補給してまた走りだした。

すすんでゆくと琵琶湖大橋が見えてきた。琵琶湖は南のほうは生臭い水のにおいがするが、大橋くらいまで北上するとそれがなくなる。出発点の琵琶湖大橋までもどると走行距離は45、8キロで、右膝がすこし痛むがまだゆけそうだ。時刻は13時44分。明日の走行を楽にするために距離をのばすことにする。先までいって、電車にのって守山にかえってくる作戦である。つまり輪行だ。

サイクリストの集団と走っていると、彼らが道をはずれて公園にはいってゆく。なんだろうとおもったら、琵琶湖サイクリストの聖地碑があった。ここはゆきたかったところなのでさっそく写真をとった。このモニュメントはビワイチを達成して喜んでいる様子をあらわしているそうだ。

アルファベットの琵琶湖オブジェでも写真がとりたかったが、大人気なので断念した。ここは守山市の第2なぎさ公園である。

ビワイチは今やっておかないとできなくなるかもしれないとおもってやることにした。60をすぎると、体がどうなるのか自分でもわからない。病気やケガだけでなく、とつぜん死んでしまうことだってありえるのだ。したがってやりたいことはサイクリングにしろ、スキーにせよ、できるうちにやっておくべきなのだとおもう。長命寺の手前でやすんだ。日差しがつよくなりへばってきた。ベンチに座りこんで水分を補給する。

長命寺の手前の交差点で、海岸線をゆく上級者コースと、内陸をまわる初心者コースにルートがわかれていた。ここでなんとなく上級者コースをえらんだ。

するとこのコースはアップダウンのはげしい道だった。

上り下りとくりかえしていた道は、登り、またのぼりとなる。休暇村近江八幡をすぎて初心者コースと合流するまできつい登り坂を10キロほど走行した。初心者コースは楽だったのかもしれないと、上級者コースをえらんだことを後悔した。

15時半。近江栗見新田のセブンイレブンで冷たい飲み物を補給する。バームクーヘンも買ったが喉をとおらない。この時点で今日のゴールは彦根駅か米原駅だと見当をつけていた。どこまでゆけるかは体力と時間しだいだが、おそくとも17時にはいずれかの駅につくようにしようとかんがえていた。そうしないとピエリ守山にもどるのがおそくなってしまうからだ。

北上してゆくと、また上級者と初心者のコースがわかれる地点についた。長命寺で上級者コースをえらんで苦労したので、初心者コースをゆくと海岸にたくさんの人がいる。それでここが『あのベンチ』だと気がづいた。まったく偶然出会うことができたのだが、ここも立ち寄りたい場所だったのだ。上の画像のオレンジの自転車がたてかけてあるのが『あのベンチ』である。

『あのベンチ』はただベンチがおかれているだけなのだが、なかなか出会うことができないので、幸運のベンチとよばれているそうだ。NHKのドキュメンタリー番組の72時間の舞台にもなったから来てみたかった。

滋賀には暴走族がいる。タイヤを八の字にしたシャコタンや族仕様のバイクがはしっていた。いまどき族ははやらないが、それがカッコいいとおもう悪い子が、一定数いるのだろう。そんな男の子を見ると、年をとったせいか若いなと微笑んでしまった。ほどほどにしとけよ、と。

今日のゴールは彦根駅にした。米原までゆきたいが、彦根から6キロもあってもういけない。できれば明日の自分にこの6キロもプレゼントしたいが、体力がのこっていなかった。

湖岸から彦根駅にゆくのに3キロほどある。この距離がつかれた体にきつかった。上の画像にちいさく彦根城がうつっている。

17時前に彦根駅についた。

駅前で自転車の前輪をはずして輪行の準備をする。輪行ははじめてなのだが、一度家で練習をしてきたのでスムーズに袋につめることができた。

17時5分にホームにゆくと、17時22分の快速があった。この電車は弾丸のごとく疾走する。ピエリは野洲駅でもその先の守山駅からでも距離がおなじくらいなので、手前の野洲でおりた。彦根から3駅だが駅間がながい。17時47分に野洲駅について料金は590円である。3駅でこの料金なので距離がわかるとおもう。

明日はまた彦根駅からスタートするので野洲駅の時刻表をチェックしておいた。

野洲駅前で自転車をくみたてる。スマホでピエリまでの距離を確認すると、12キロもあった。彦根でゴールした気になっていたのでショックである。ピエリ守山まで5キロくらいだろうとおもっていたのだ。12キロを走るのは小1時間かかる。気落ちしたままで18時に走りだした。

電車にのっているうちに休めたので、おもっていたよりも足がかるかった。2週間前に100キロ走っておいてのもよかったのだとおもう。これが足慣らしになって足がつくれたし、膝もいたまないですんだのだ。それでも12キロはとおい。18時39分に車にもどってきた。本日の走行は100キロだ。

ピエリにあるスーパーマーケットのトクヤで買い物をして、やはりピエリにある守山温泉・水春で入浴する。料金は1090円。風呂の施設は充実していたがは混雑していた。

名神の栗東ICからピエリにはしってくる途中に道の駅『あぐり栗東』があった。近くだとおもったのでそこで車中泊をしようとおもってゆくと、これまた12キロくらいあった。21時半に道の駅についてわかさぎの南蛮漬けと豚の生姜焼きで一杯である。スーパーにめぼしいものはこれしかなかったのだ。

道の駅あぐり栗東は小さな道の駅たが、駐車場は車中泊の車でほぼうまっていた。新幹線が横をはしっているので、ゴォッと音がするが飲んでしまえば気にならない。2024年シーズン15日目の車中泊。

明日はまたピエリに車をとめて、自転車で野洲駅まではしり、そこから彦根駅まで輪行してビワイチをつづける予定だ。しかしピエリから野洲駅まで12キロもあるのがひっかかる。琵琶湖大橋もまたわたらなければならない。それらが余計な走行になるのだ。車を琵琶湖大橋の西岸にある堅田にとめて、そこから野洲駅までタクシーに自転車を積んでゆけば、ロスはないが金がかかる。タクシー代は払いたくないので、12キロと琵琶湖大橋をまた走ることを、あまんじてうけいれることにした。車できてビワイチを効率よく走るのはむずかしいことである。

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2024ビワイチ1

2024年05月25日 09時33分52秒 | サイクリング

2024年のGWに、サイクリングをはじめた10代のころからやってみたかった、ビワイチ(琵琶湖一周サイクリング)にゆくことにした。

GWの5月2日。木曜日。平日の夜に車で第2東名をすすみ駿河湾沼津SAで休憩する。時刻は20時過ぎだがフードコートは混雑していた。

今夜のうちにできるだけ琵琶湖に近づきたい、少なくとも渋滞ポイントの音羽蒲郡は通過したいとおもっていると、その先の岡崎で車の流れがとまってしまった。時刻は22時だ。30分停滞したが、車7・8台がからむ事故だった。

23時に岡崎SAについた。今夜はここで泊まることにする。鯛とイサキの刺身、鳥の唐揚げで一杯である。2024年シーズン14日目の車中泊。

5月3日。金曜日。岡崎SAの朝。6時前に起床した。天候は晴れ。スーパーで買ってきたおにぎりとなめこ汁の朝食をとる。今日からGW後半の四連休のスタートでSAの駐車場はすでに満車状態だ。6時半に出発する。琵琶湖大橋の東岸にある、守山市の『ピエリ守山』というショッピングセンターやスーパー銭湯のある施設にむかう。ここの駐車場がビワイチ用に開放されているのだ。ナビによるとピエリには9時につくとのことだった。

名神をすすみ伊吹PAで休憩する。

ここも混雑していた。

栗東ICで高速をおりて、9時半にピエリ守山の駐車場のE区画に到着した。E区画がビワイチ用に開放されているのだが、この区画はピエリよりも琵琶湖大橋よりにあるので、場所がわからずにいったりきたりしてしまった。でも駐車場をつかわせてもらえるのはありがたいことである。

今回の相棒はロードバイクだ。走行中は車内にねかせ、車中泊をするときには右にたてかけてやってきた。

このロードバイクは約40年前に組んだ自転車で、もうクラシック・レーサーになっている。クロモリ・フレームにチューブラー・タイヤ仕様だ。自転車については『ロードレーサーの紹介』をどうぞ。

10時に出発した。ピエリは琵琶湖大橋のすぐ横にあるのでまず大橋をわたる。今日は大橋の南側50キロを走行し、余裕があれば守山から北の琵琶湖東岸を北上したいとおもっていた。大橋から南の一周は約50キロで、北側は150キロだ。つまりビワイチは200キロである。明日だけで150キロを走るのはきびしいから、今日のうちに距離をかせいでおいて、翌日の走行を楽にするつもりなのだ。若いころは200キロくらい1日で走るのはなんともなかったのだが、60をすぎた今は無理だ。100キロは先々週も走っているから(2024緑のヘルシーロードサイクリング)自信があるが、スキーで痛めた右ひざが不安だから、2日目の距離をすこしでもすくなくしておきたいとおもっていた。

琵琶湖大橋の最高地点についた。すばらしい眺望だ。当日は気温が25℃になるとのことで、長袖シャツに短パンで走行した。

琵琶湖大橋をわたると県道558号線で南下する。道路上には上級コースのペイントがあった。初級コースもあり、そちらは山の手をゆくのでこちらのルートをえらんだ。

ビワイチは右回りでも、左まわりでもよいのだが、反時計回りがよいとされている。自転車は左側通行だから、反時計回りだと琵琶湖の横を走ることのなる。すると湖がよく見えるのである。それで私もそのように走行した。

ビワイチははじめてだが、琵琶湖には二度来たことがある。一度目は高校二年生のときのサイクリングで、能登から下ってきてマキノサニービーチでキャンプをした。二度目は大学生のときに紀伊半島ツーリングにきて、帰りに大津の皇子山(おうじやま)ユースホステルにとまったのだ。そこにたちよりたいとおもっていた。

皇子山公園はすぐにみつかった。スポーツ公園で野球場などの施設がある。

ここに滋賀県立スポーツ会館があり、これがユースホステルの跡地だろうと考えて受付の方に聞くと、以前は宿泊もできたが、現在はできないとのこと。ここにちがいないとおもったのだが、かえってからしらべてみるとちがっていた。そもそも名前が皇子山ユースではなく、大津ユースだったのだ。大津ユースホステルは皇子山公園ではなく、すぐ近くにある皇子が丘公園に隣接していた。私が泊ったのはびわ湖毎日マラソンの前日だったが、マラソンに出場するという方と話をした。その人は30くらいの青年だったが、フルマラソンを3時間で完走するというので、それはすごいですね、とこたえたことをおぼえている。マラソンの前日にユースホステルに泊まるのというは、1980年代でもストイックな行為だとかんじられたが、一般参加の選手の費用は自腹だからそうしたのだろう。そのびわ湖毎日マラソンの発着点が皇子山陸上競技場だったから、記憶ちがいをしたようだ。

当初は由緒のあるお寺を拝観していこうかと考えていた。しかしそんなに寄り道をしてはいられない。行きたいところを限定することにして、先にすすんだ。大津駅前を通過してゆくと昼時となった。丸源ラーメンがあったので入ることにする。

丸源ラーメンは関東にもあるが、利用するのははじめてなので、イチ押しの肉そばと半チャーハンのセットにした。肉そばは背脂のきいたこってりスープに豚バラがのり、もみじおろしで味変するラーメンだ。ボリュームもある。体をうごかしたときにはこういうのがいい。

チャーハンは鉄板に薄焼き玉子を敷き詰めた上にのっている。これをよくかきまぜてたべる趣向だ。いいね、丸源、気に入った。1034円。

滋賀県のドライバーは自転車にやさしい。ビワイチが認知されているようで、交差点や右左折では何度もこちらを優先させてもらった。

ビワイチの南端の瀬田の唐橋にやってきた。琵琶湖大橋の南側一周の折り返し点である。

瀬田の唐橋から琵琶湖方向をみる。

東岸を北上してゆくとボートの競技大会がひらかれていた。

高校生と大学生の競技のようでたくさんの人が観戦、応援にきていた。

ビワイチのコースには青いラインがひかれているからわかりやすい。

時に橋をわたってゆくと琵琶湖がひろがる。ペダルをふむ速度は時速15キロだ。還暦すぎの私にはこのペースがちょうどよい。このスピードだと2時間で30キロ。4時間で休憩をいれて50キロという進度で、クランクをまわしていった。

 

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2024緑のヘルシーロード・サイクリング

2024年05月01日 17時02分41秒 | サイクリング

 

埼玉県南部の川口市から、北端の行田市までサイクリング・コースがはしっているのを知った。緑のヘルシーロードという名前のサイクリング・コースだ。山のない平地をゆくコースなので、今シーズン初のサイクリングでここを走ることにした。

 

 

4月20日。土曜日。車にロードレーサー(この自転車を組んだ40年前はロードバイクということばはなかった。ロードレーサーとよんだのである)を積んでゆき、さいたま市のさぎ山記念公園からスタートする。緑のヘルシーロードは片道57キロで、往復するのは足慣らしとしては長すぎるから、ここまで車できたのだ。ここからだと片道40キロほどで、往復すると80キロになる。サイクリング・コースは見沼用水路沿いをゆく。すすんでゆくと見沼弁財天があった。素朴な弁天様だ。

 

 

道端にはたんぽぽが咲いている。

 

 

緑のラインがひかれた自転車専用コースをすすむ。

 

 

上尾市瓦葺で丁字路にぶつかった。

 

 

ここに案内板があったがよく見なかった。上の地図の緑のコースを左から右へときていて、この丁字路は右にゆくのである。しかしサイクリング・コースの看板が見えたので左にいってしまった。こちらは支線なのだ。

 

 

左にゆくと橋があり、サイクリング・コースはなくなってしまい、先にすすむと栄東高校の前にでた。

 

 

ここを行ったり来たりし、橋をこえたりもどったりしていると、字の消えかかったサイクリング・コースの終点の案内をみつけた。ここにいたってようやく道をまちがえたことに気づいてもどるも、本来のルートがみつからない。そこで自分の知っている県道と国道をつかってゴールの利根大堰にむかうことにした。

 

 

交通量の多い国道17号線を北上する。若いころはかならず車道を走ったもののだが、今は怖くてできない。歩道をゆく。鴻巣市から県道に折れて利根大堰に向かうが、この間ずっと向い風でかなり消耗してしまった。どこかで休みたい、食事もしたいと考えているとラーメンショップがあったので、ここに入ることにする。

 

 

ネギラーメンの中800円と、

 

 

餃子200円を注文した。ラーメンはラーメンショップにしては味がうすく、脂もすくない、パンチのない味。店主は知人の客とおしゃべりをしているが、それがご近所さんのDVの話なので、おもわず聞いてしまった。ご主人が奥さんを怒鳴りつけているとのこと。よく我慢しているなと。ラーメンよりもこちらにほうがパンチがきいていた。

 

 

食事をおえて走りだす。ルートは武蔵水路の横をゆく。

 

 

道を間違えたせいで15キロほど余計に走ってしまった。まだ折り返しの前だが、左ひざが痛くなってきてしまう。こんなことははじめてのことだが年のせいだね。

 

 

ゴールまで2キロほどの地点で緑のヘルシーロードに復帰した。

 

 

食事をしたいとおもっていた川魚料理の大漁苑の横を通過する。なまずの天ぷら定食があるそうなのでためしたかったのだ。それは次回にとっておくことにする。

 

 

利根川にぶつかり、ゴールの利根大堰に到着した。この堰から取水された水は東京都の上水道の40パーセント、埼玉県の70パーセントをまかなっているとのこと。利根川は埼玉県と群馬県の県境でもある。

 

 

こちらは取水した水を分水する水路。ここの水を毎日のように飲んでいるわけである。

 

 

利根大堰から折り返して、緑のヘルシーロードをもどってゆく。行きはずっと向かい風だったので、帰りは追い風だ。それはよいのだが左ひざがいたむし、疲れてしまってペダルが連続でふめない。5・6回クランクをまわしては足をとめて、惰性で自転車をはしらせてゆく。途中で秩父鉄道の電車がはしっていたので足をとめた。

 

 

ツバメがとんでいる。クロアゲハも群れるようにたくさんいた。クロアゲハはなかなか見られないよね。帰りは左ひざがいたむし、疲弊してしまってヘロヘロになってすすむ。コースわきに誰かが設置してくれたベンチでやすんだ。

 

 

この日の走行距離は100キロで予定よりも20キロもおおかった。メロメロでゴールしたが、1日で100キロは走れることがわかったのが収穫である。幸いにも左ひざは翌日にはよくなった。

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2023つくばりんりんロード・サイクリング

2023年08月24日 18時57分09秒 | サイクリング


8月11日。金曜日。茨城県の筑波山麓をはしる、つくばりんりんロードにサイクリングにでかけた。車に自転車をつんでゆき、北関東道の桜川筑西ICちかくの桜川ロードパークからスタートする。当日の最高気温は32℃の予想だった。



桜川ロードパークから3キロほどはなれたJR岩瀬駅にゆく。ここがつくばりんりんロードの基点だ。



つくばりんりんロードは、廃線になった関東鉄道筑波線の軌道跡を利用したサイクリングコースだ。筑波線は昭和62年に廃線になったとのこと。平坦路なのでロードレーサー向きのコースなのだが、前回ロードにはのっているから、今回はランドナーを相棒とした。



岩瀬駅前に案内板がたっている。



今回は土浦駅までの40キロを往復する計画だ。



岩瀬駅を出発してすぐにコースをはずれてしまった。JR水戸線の線路をわたって北にむかうようなのだが、桜川ロードパーク方向にいってしまい、軌道修正した。サイクリングコースは自転車専用の走りやすい道である。走りだしたころは、太陽は雲にかくれていて暑くはなかった。



桜並木をゆく。650B×35Bのタイヤの柔らかい感触が心地よい。そして使い込んだ革サドルがしっくりとくるのだった。スキーでじん帯をいためた右ひざが、前回のサイクリングでは違和感があった。しかし今回は気にならなかった。



やがて太陽の強烈な熱波がふりそそいできた。顔をさらして走ると真っ黒にやけてしまうので、バンダナをかぶったが、かなりあやしい人になってしまった。



筑波山につらなる山が前方に見えているが、りんりんロードは山をよけてすすむ。ルートは平らかで走りやすい。岩瀬・土浦間の高低差は60メートルだそうで、ほとんどアップダウンはかんじなかった。20キロ走行して筑波休憩所でやすむ。旧筑波線のホームがのこっていて、そこが休憩所になっていた。ここまでほどよく汗をかいて走り、爽快な気分である。



今年はじめて聞くツクツクホウシが鳴いている。都内ではミンミンゼミやアブラゼミの声ばかりを聞くようになった。これも温暖化の影響なのだろうか。33キロ地点の藤沢休憩所でも一休みする。30キロをすぎてやや足にきだしていた。



藤沢休憩所の水道でたっぷりと給水する。水場とトイレが整備されているのがとともありがたかった。



つくば霞ヶ浦りんりんロードの案内図。りんりんロードは霞ヶ浦一周コースにもつながっている。カスイチは140キロの距離である。霞ヶ浦は過去に一周している『2012年霞ヶ浦一周サイクリング』からもういかないとおもう。



土浦まで5キロの地点までくるとレンコン畑がひろがっていた。



レンコンの花と葉は蓮にそっくりだ。農家の方がレンコンを収穫していたからそれとわかったが、見分けがつかないほどにている。帰ってからしらべてみると、蓮もレンコンもおなじ種類だということがわかった。レンコンは漢字で書くと蓮根だ。花を鑑賞するか、根を食用にするかのちがいだけで、おなじ蓮なのだそうだ。



蓮根の花弁。つまり蓮の花。



60をこえても知らないことはあるものである。



土浦駅が近くなってきて、らーめんの山岡屋やすき家のある大通りにでた。大きな中華料理店も見えている。ここの路面に駅は右とペイントされていたのだ。それを見おとして直進し、霞ヶ浦一周コースにすすんでしまい、これは間違えたときづいて駅にむかうと、霞ヶ浦側の土浦駅についた。エレベーターで2階通路にのぼり、自転車をおして駅の反対側にゆく。通路には輪行してきた自転車をくみたてるスペースが用意されていた。ここはナショナル・サイクリング・ルートだけに自転車にフレンドリーだ。



エレベーターで駅の1階におりると大きなサイクル・ショップがある。



駅ナカにこんな店があるなんて、すごい。



土浦駅は大きな駅だ。自転車の左奥にサイクル・ショップがある。



昼食は帰路の真壁でたべたかった。昭和レトロな店があるからだ。しかし土浦で11時50分となり、真壁までは30キロもあるから、さきほど見かけた大きな中華料理店にゆくことにする。地元の店『中華料理ゆきむら』だ。



ゆきむらにはお得なランチ・セットもあったが、豚肉薄切りラーメンをチョイスした。それに半チャーハンセットだ。



豚肉とピーマン、タケノコのあんかけのかかったラーメン。麺は大盛り。細めんでゴマ油がきいていておいしかった。またくることがあったらこれをたのみたい。



チャーハンは平凡。つぎは餃子にしようかな。料金は1485円。



食事をすると体がだるくなる。力が入らないのでゆっくりと走行をした。これを私はノロノロ走行と名づけているが、体力をつかわないようにペダルをふんで、距離をかせぐ作戦なのである。前方には山塊がみえているが、コースは山の左をまわりこんでゆく。



往路では通過した小田城跡にたちよった。



小田城は鎌倉時代から戦国時代にあった小田氏の居城だそうだ。



近くに小田城歴史ひろば案内所もあったが、こちらには入らなかった。入場は無料だそうだ。



力がよみがえったり、しぼんだりしてノロノロ走行をつづけてゆく。



田んぼにサギがいたので写真をとった。白サギとグレーのサギがいた。青サギだろうか。



筑波山をバックに写真をとる。



フォトスポットと案内がでていた。



かなり疲れて真壁休憩所に到着した。真壁には古い町並みがあるとのこと。500メートルと看板がでている。体力を消耗してしまっているのでかなりまよったが、古い建物を見にゆくことにした。



500メートルいってみると古い建物が2・3件あるだけだった。



これならわざわざゆくほどでもなかった。



ラストの10キロをきざんでゆく。案内看板を見ながらのこりの距離をなんとかこなす。



そして桜川ロードパークにもどってきた。



アプリによると走行距離は90、6キロ。かかった時間は7時間17分。このコースは走りやすいのでとても気にいった。定期的にかよいたいとおもう。桜の季節はとてもいいだろう。
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2023荒川サイクリング

2023年08月13日 16時41分30秒 | サイクリング


7月30日の日曜日。最高気温が37℃になる予想だがサイクリングにゆくことにした。公私ともに多忙なので、ゆけるときにでかけないと、やりたいことができないのである。むかったのは埼玉県の荒川沿いにのびる荒川自転車道、さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道だ。



ほとんど平地をゆくのでこの日の相棒はロードレーサー(ロードバイク)である。出だしはスキーでいためた右ひざに違和感があったが、10キロもはしるとなじんでくれた。



サイクリングは1年ぶりだが思っていたよりもはしれる。荒川の土手の上をゆく。気温は朝のうちは30℃ほどだった。



直射日光が強烈だと予想されたので上着は長袖にした。そうしないと腕が火ぶくれのようになってしまうからだ。それに半ズボンにしたが、長ズボンにするのが正解だった。



日差しが強烈になってきたが、パラソルで日をよけながらヘラブナ釣りをしている人たちがいる。油照りだが、エアコンのきいた室内でテレビを見ているよりも健康的だろう。



川島町のホンダ・エアポートの先にゆくと、道路の名前が川島こども動物自然公園自転車道になった。道なりにすすんだのだが、看板の地図をみると荒川自転車道からそれたようだ。



それでも土手の上の道をすすみつづけると、



ジャリ道になってしまった。チューブラー・タイヤで未舗装路はきついから、土手の下の舗装路をゆくことにする。やがて県道にぶつかったので左にゆくと、国道254号線の古凍交差点にでた。ここで引き返そうとすると、吉見百穴まで3、3キロとある。吉見百穴は何年もいっていないので、そこまでいってみることにした。



吉見百穴はいつも間にかフェンスにかこまれていて、300円の入場料をとるようになっていた。前に来たときはこんなではなかった。20年以上前のことだが。当然中には入らずにひきかえす。



水が切れたのでコンビニで補給する。ここで十二分に給水した。



国道254号線を川越にゆくとステーキ宮がある。株主優待をつかってそこで食事をとろうとおもったが、持っているはずの株主カードがない。じつは帰宅してよく見ると財布の中にあったのだ。暑さで頭がやられていたようである。そこで、らあめん花月嵐にはいった。らあめんの大盛りと餃子、ライスのセットをチョイスする。餃子はジューシーで、白いごはんの上でバウンドさせて飯をかきこむと、うまい。



嵐げんこつらあめんの大盛り。980円。それにぎょうざライスのセットが330円だ。



つかれた体に嵐げんこくらあめんの背油スープがしみる。パンチのきいたスープに細めんの大盛りだ。餃子ライスがいらないほどのボリュームだった。でも次回もセットにするとおもう。



食事をとると体がだるくなってしまった。体力ものこっていないことにきづく。日差しも強いので、日影で休みながらすすむ。最後はゆるやかな坂も上りきれないほどにつかれてしまった。この日、吉見の北にある鳩山町で39℃が観測された。80キロほど走行。半ズボンで走ったので、右足のふくらはぎだけ火ぶくれのように日焼けしてしまった。しみるから風呂にはいれなかった。
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2022那須サイクリング

2022年10月13日 18時29分24秒 | サイクリング


10月1日。土曜日。自転車を車にのせて出発し、栃木県喜連川の道の駅で泊まった。翌日に那須でサイクリングをする予定で、夜はセブンイレブンのサンドイッチと焼き鳥で一杯である。2022年シーズン20日目の車中泊。この道の駅には温泉が併設されていて人気があるのだが休業中だった。



10月2日。日曜日。道の駅きつれがわの朝。天候は快晴。朝方は冷え込んだ。毛布を2枚もかけたほどである。



道の駅は荒川沿いにある。



鮎料理がいろいろとあるが、朝がはやくて店はあいていなかった。



国道294号線を北上し、道の駅東山道伊王野にやってきた。道の駅ではフリーマーケットの開店準備がされていた。



道の駅の裏に第2駐車場があり、空いているここに車をおいて、8時に自転車ではしりだした。今日は那須の丘陵地をゆくので、ギヤ比のひくいランドナーが相棒である。40年物のランドナーの詳細は『ランドナーの紹介』をどうぞ。



ランドナーの太いタイヤからつたわる、やわらかい感触がここちよい。朝の空気のなかを自転車でゆくのもきもちがよかった。県道60号線から県道34号線とつないで黒磯にむかう。



道は上りだ。ギヤを前後ともローにおとして坂をのぼる。途中にはそば畑がひろがっていた。



黒磯駅にむかうとガラス張りのモダンな建物がある。これが駅かとおもったら図書館だ。黒磯は文化度がたかいね。



こちらが黒磯駅。電車の行き先として黒磯はよくきくが、やってきたのははじめてである。



黒磯駅のちかくには古い建物がのこっている。こちらは洋風の風格のある建築物だ。



和風建築もある。大きな商家だろうか。



塀のつづくおおきなお屋敷もあった。古い町だからいろいろと由緒のあるものがあるのだろう。



黒磯の駅から県道369号線で板室方向にすすむ。道はずっとのぼりだ。フロントはトップギヤ、リヤはローギヤでペダルをふむ。黒磯駅から8キロで道の駅明治の森・黒磯があったのでたちよった。ここには明治の政治家の別荘がのこされていた。



県道369号線の戸田の交差点から先は、斜度がたかまるため右におれるつもりだった。しかし当日は国体のトライアスロン競技が開催されていて、右方向は通行止めになっており、直進させられた。交通整理の警備員は、大きくぐるりと迂回してください、と簡単に言うが、自転車はたいへんなのである。しかも迂回路の案内はでているのかとたずねると、わかりません、だって。坂道をジリジリとのぼり、案内の係員はいないので、勘で右にまがると別荘地にはいった。出発からここまでずっと上りだ。別荘地をゆくと道は平坦になったがジャリ道になった。



通行止めがあったりして別荘地をジグザクにすすむ。



案内人がいたが要領をえず、すすむとトライアスロン競技のコースにでてしまった。しかしそこはコースの端ですぐにコース外にでることができた。



西岩崎ポケットパークで休憩する。水分補給をしていると、地元の71才のクロスバイクの方がやってきて話しかけられた。話好きの方で那須や板室、サイクリングコースなどの会話をする。自転車と山登り、それにゴルフが趣味なのだそうだ。私は自転車とバイク・ツーリングとこたえておいた。そして車で伊王野まできて、そこから走ってきたとつたえると、それは優雅だねと言われたが、車中泊をしているとはつたえなかった。



クロスバイク氏がでたあとで西岩崎ポケットパークを出発し、池田の交差点にむかう。レストランがあるが昼をすぎていてどこも混んでいるし、ソロでサイクリングの私は場違いではいりづらい。



県道17号線からりんどうラインにはいって伊王野にむかう。伊王野まで18キロとでている。



りんどうラインに食堂はない。



ルートはほぼ下りだが、たまに上りがあると、ヘロヘロになってしまう。



大した坂でもないのに上りきれず、年をとったなと痛感させられた。



田んぼは稲刈りの直前だった。



14時に車までもどってきた。走った距離は52キロだ。



道の駅には蕎麦屋がある。ここは亡くなったDR650クラブのいけぴさんの推薦のお店だから、利用したいとおもっていたが、まだ行列しているからあきらめた。



道の駅で梨と栗おこわをかってきた。



今年はじめての栗である。



栗おこわとカップ麺の昼食とあいなった。走り終わって疲労困憊。ヘロヘロである。
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ロードレーサーの紹介

2022年09月15日 17時34分56秒 | サイクリング


長年のってきたロードレーサーの紹介をしたいとおもう。この自転車を組んだのは1986年か1987年だ。バブルの最中で、ゴルフの会員権を買うのか、ロードレーサーを手に入れるかでまよい、自転車をとったのだ。当時安いゴルフ場の会員権は50万から80万していた。会員権を買えば儲かったかもしれないが(損をしたかもしれない)、ゴルフはやめてしまったから正解である。



フレームはトーエイのスタンダード・ロードである。オーダーではなく、シートパイプのサイズと色の指定だけができたもので、サイズは520mだ。シートポストとステムのつきだしを長くしたいので、小さ目のサイズにした。色は華やかなブルーをたのんだのだが、窓口のショップのオヤジさんのミスで落ち着いた青になった。1988年8月号のニューサイクリングの広告をみてみると価格は76500円だ。このころは消費税はない。東叡社の住所も当時は埼玉県である。念のために書くとフレームはクロモリ鋼をつかった鉄フレームである。この当時にカーボンのフレームはない。アルミはあったが非常に高価だった。クロモリのフレームが趣味やレース用の自転車につかわれるのが一般的な時代だったのである。



当時社会人だったが、株などに資金をまわしていて、一気に組み上げることはできなかった。部品は順次かいそろえてゆき、組みあがるまでに半年はかかったと記憶する。



まずはフレーム。つぎにハンドルとステムを手にいれた。ハンドルはチネリのジロ・デ・イタリア。ステムもチネリでレコードである。ステムは前述のようにつきだし量を考慮して、サイズは80mmほどだったとおもう。ハンドルとステムはこれと決めていた。



つづいてホイールを買った。フレームだけでは押し引きができずに不便だからである。リムは当時の人気の品、スーパーチャンピオンのアルカンシェール。スポークはステンレスの段つき。タイヤは当時のレーサーの必需品、チューブラー・タイヤである。



そしてハブはケチった。カンパなどにしたいところだが、金の重さがわかるサラリーマンになっていた私は、目立たないハブはサンツアーの廉価品にしたのだ。この組み合わせにするとショップで依頼すると、若いアルバイトは、こんな部品をつかうの? フレームがもったいないよ、と言ったが、オヤジさんは、それでいいんだよ、と世間知らず君をさとしてくれた。


 
つぎに手に入れたのは自転車の顔といわれるチェーンホイールだ。当時自転車趣味の部品としてはカンパニョロが絶大な人気があった。カンパのコンポーネントでフルセットにする、オール・カンパということばがあったほどだ。しかし私はレースでつかうのではなく、サイクリングに使用するから、より凝った部品構成にしたくてストロングライト49Dをえらんだ。50×40である。アウターとインナーのバランスをみてこの歯数にした。このときはリヤのフリーホイールをワイド・レシオにするつもりだったのだが、そうすることはできなくなってしまい、いまとなっては48×38にしておけばよかったとかんじている。



フロント・ディレイラーはカンパ・レコードである。変速機はカンパにしたかった。レバーもカンパ・レコードだ。



フリー・ホイールはサンツアー・ウィナーである。当初は14から24までの6段としたが、リヤの変速機にカンパ・ラリーを組み合わせると、キャパシティーがオーバーして、フロント・ディレイラーがうまく変速してくれなかった。前後の変速機のキャパシティーをしらべてえらんだのにである。そこでフリー・ホイールを13から21までのレーサー仕様にかえ、リヤ・ディレイラーもカンパ・ラリーからカンパ・レコードに変更した。14から24のフリー・ホイールとカンパ・ラリーは、オヤジさんが買った値段でひきとってくれたのでたすかった。



シート・ポストはシマノ・デュラエース。カンパにしたかったがショップに在庫がなかった。オヤジさんがだしてくれた品のなかからこれをえらんだのだ。

サドルはユニカにしたかった。ロードのサドルはユニカのバックスキンといつの間にか頭にすりこまれていたのだ。オヤジさんは、あなたの頭の中は10年前のままになっている、といったが、倉庫のなかをさがして、ひとつだけのこっていたユニカのサドルをみつけてくれた。デッドストックだ。ユニカなのだが製品名はわからない。プリントされた文字が当時から判読できなかったからである。このロードは私の10代から20代前半までのあこがれを形にした。したがって当時としても時代おくれの部品で組んだのである。



ブレーキはカンパ・レコード。カンパニュロの50周年を記念するモデルのようだ。



ブレーキ・レバーもカンパ・レコードでブレーキとセットだ。これもユニカのように、長いこと店頭に展示されていたパーツだった。何年も買い手がつかなかったのだ。これがほしいとオヤジさんにいうと、あなたこれを買うの! とおどろいて、そしてよろこんでくれた。レバーのパッドは生ゴム色のものがついていたが、劣化してしまい、白いものにかえている。元のカラーにしたかったが、手にはいったのは白色だけだったのだ。



ペダルはランドナーとレオタード・プラットフォームを共用していたが、後になってヤフオクでみつけた三ヶ島のユニーク・ロードにした。三ヶ島の軽合のトゥクリップに皮のストラップだ。



40年前の1980年代はランドナーの全盛期だった。自転車が100台あつまれば95台がランドナーだった時代だ。MTBはまだ存在していない。そして金のない学生は1台しか自転車を手に入れられなくて、2台目のロード・レーサーがほしいが、買えるのはこごく一部の人間か社会人だったのである。



当時自転車雑誌はサイクルスポーツとニューサイクリングの2誌があった。そのなかでもニューサイクリングの発信力と影響力は絶大だった。ニューサイクリングに書かれていることはすべてただしいとされたのである。そのニューサイクリングの影響を私もうけていて、ロードレーサーのアッセンブリーに反映されている。ランドナーもだ。



1979年5月のニューサイクリング臨時増刊号。スペシャルメイドサイクル総覧のトーエイの広告である。当時ニューサイクリングは趣味性のたかいロードレーサーをクルスルートとよんでいた。それにならった広告だ。レーサーをクルスルートとしている。



フランスのルネルセというフルオーダー・メーカーの自転車がもてはやされていた。そこの女主人の愛車はクルスルートと紹介されている。女性は元全仏チャンピオンで、現役当時にのっていたがこのレーサーだ。



当時コレクター兼マニアとしてよくニューサイクリングに登場されていた、大阪の花田尊文氏のクルスルート。ストロングライトにレオタード・プラットフォーム。

オールカンパや国産のデュラエース、シュパーブなどのレース用部品でかためた勝つためののレーサーではなく、趣味性のかたい部品で装飾したのがクルスルートだろうか。私もロードレーサーではなく、クルスルートをイメージしてこの自転車をくんだのだ。
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2022渡良瀬サイクリング DR650RSをみつけた

2022年08月31日 17時50分11秒 | サイクリング


8月7日。日曜日。栃木県にある渡良瀬遊水池を一周するサイクリングにでかけた。自宅から自転車を車につんでゆき、渡良瀬遊水池の右岸、コウノトリの人工巣がみえる堤防の駐車場からスタートする。



時計回りで遊水地をまわることにした。



堤防をゆけば遊水池を一周できるものとおもっていたが、道はとぎれていた。今回の相棒はロード・レーサーである。今はロードバイクとよばれるが、この自転車を組んだ35年前は、ロード・レーサー、もしくは、クルスルート(趣味性のたかい快走車)、とされるのが一般的だったのでそのように記述している。



遊水池沿いにゆけないので、国道4号線、県道261号線とつないで茨城県古河市の市街地をゆく。



この付近は栃木県、茨城県、群馬県、埼玉県の県境地帯で、めまぐるしく県をまたぐのである。



長谷観音の看板にひかれて見にゆくと、古い日本家屋が保存されていた。



古河藩の家老で蘭学者でもあった鷹見泉石という人物の記念館だそうだ。



別棟の建物は奥原晴湖という女流画家の画室だった。この人物も古河の出身とのこと。



長谷観音にもたちよった。



観音様はご開帳されていなかった。



古河をでると埼玉県にはいった。国道の横の遊水池の堤防をはしれるようになり、遊水池がよくみえる。



北上してゆくと、道の駅きたかわべの手前で、遊水池の中を道がはしっていた。



たくさんのランナーや自転車がゆきかっている。遊水池の中心にある島までいってひきかえす。ここは栃木県だ。



遊水池の先に古河の町と高層マンションがみえていた。



堤防沿いを北上し、藤岡から県道11号線にはいる。



遊水池をはなれて国道50号線の先、静和までゆく予定だ。



県道をはしっているとバイク・ショップがあった。オフロード・バイクがたくさんある。通りすぎようとしたが、見慣れたフォルムにきづいてもどると、私が長年乗り続けているバイクと同型の、スズキDR650RSがあった。



ラリー仕様に改造されているが、もう何年もうごいていないようだ。



ノーマルのオイル・クーラーは大型のアルミ製にかえられている。ワンオフのパーツだろうか。



シートはシングル・シートにされている。エジプト・エアーとファラオ・ラリーのステッカーがはられているから、ファラオ・ラリーを走ったようだ。



ハンドルの上にはラリー用のマップホルダーが装備されていて、マフラーもかえられていた。



シートカウルの中は予備のガソリンのタンクだろうか。



店の方と話がしたかったが、昼休みなのかだれもいなかった。DR650RSはオーナーズ・クラブでしか見たことはなかったので、なんだか縁をかんじてしまった。



昼食に予定していたラーメンショップは休みだった。ラーメンショップは利用したことがないので、たべてみたかったのだ。残念。



しかしすぐ先に昭和レトロな食堂があったのでここに入ることにした。食事処なかむらだ。



たのんだのは天丼とそばのセット950円。



天丼の天ぷらは浅草の老舗のように真っ黒だ。見た目のとおりの濃い味つけ。



そばは手打ちで細切り、且つ繊細。味も喉越しもよく、量もたっぷりだ。なかむらは地元の人の利用する人気店だった。



食事をしておいてよかった。この先に店はない。県道252号線で南下する。渡良瀬遊水池をおおきく一周しているのだ。



水田と畑作地をゆく。



県道50号線で間々田方向にすすみ、野木方面に転進する。



車までもどってきた。



走行距離は47、8キロ。かかった時間は4時間4分だった。自転車ではしるのは気持ちいい!
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