趣味と健康日記

清野明子(民謡歌手)の応援、登山、スポーツなど趣味と日々の健康を記す日記です。

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民謡の話 Vol.2 「民謡の思い出」

2007-10-29 16:34:01 | 民謡の話

今日はレトロな話をします。私が社会人となった年は「東京オリンピック」が開催された年でした。その頃は新年会、忘年会、歓送迎会などは殆ど座敷で行なわれておりました。会社には全国から人が集まっていましたから北海道から九州まで(沖縄はまだ返還されていなかった。)地方色豊かな人材構成でした。宴が30分も経過すると幹事が誰か唄えと言う訳で、手拍子を打ちながら歌合戦が始まります。そのうちチャンチキオケサに変わり、ドンチャン騒ぎになって「お開き」になると言うのがお定まりのコースであったように記憶しています。中でも秋田、山形民謡は酒席にピッタリの感がありました。我が清野明子さんの得意とする秋田民謡については懐かしい逸話があります。一人秋田民謡に長けた人がいて、その方が小さい頃には秋田県の村々では唄の上手なグループを結成し、「各地を回ってお金を稼いだ。」と言う話でした。故高橋竹山師は家々の門前などで三味線を弾き歩く「門付け」により生活の糧にしたそうですが、北の地方では多分、仕事のない農閑期などには現金収入を売るために、そう言う事が行なわれていたのかなと昔友人が語ってくれた事を思い出しました。加えて九州の民謡「鹿児島おはら節」ですが、地元の方が唄うと東北地方以上に何を言っているのか判りません。だけど面白さは伝わってきます。いつも宴会の折には「カゴンマ出身」の方に「鹿児島おはら節」をせがんだ事が思い出されます。江戸時代に幕府隠密の進入を防ぐために故意に鹿児島弁を「不可解」にしたと言う説があります。今日は懐かしい座敷宴会の話を致しました。それに比べるとカラオケ全盛の今日(こんにち)はちょっと味気ない気がします。何が足りないのでしょうか?きっと日本人のDNAに含まれる農耕民族の血が薄れてきているからではないでしょうか。もっと自給率を上げるために民謡を盛んにし、日本を食料外国依存体質から食料自給体質に変えて行きましょう。ちょっと飛躍しすぎかな!「次回は民謡の話 Vol.3」です。今日の(清野)アッコは町田市の方で唄ったようです。清野明子さんのブログはブックマーク「今日のアッコ~何してる」からお願い致します。

200710291645i   Writ by issei

※ (i )はインディアと読みます。グリニッチをA(アルファ)とし、東経を15度づつ分けると日本時間(JST)東経135度は(i)になります。