「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

建築をめぐる3つの職業(続)

2008-10-04 09:44:56 | 本/音楽/映画


画像は、東京大学建築デザイン研究室編集の「建築家は住宅で何を考えているのか」(PHP新書カラー版)である。高名な建築家の作品たる住宅が数多く紹介されている。編集者の一人、東京大学大学院建築学専攻難波教授は、この本の冒頭で建築家が考える住宅について「・・・クライアント(建主)の要求と同時に・・・さまざまな条件を考慮しながら設計を進める。しかし建築家はそれでけでは満足しない・・・独自のヴィジョンを持ち、それを設計の中に盛り込もうとする・・・ヴィジョンが生み出すテーマは、現在を脱却して未来へ向かおうとして・・・」と書いている。これを読んだだけで、私などは「普通でないなぁ、危ないなぁ」と感じる。やはり高名な建築家になるほど、普通に建てるだけでは満足出来ないようだ。

本の中を見ると、私も好きな「建築探偵」こと藤森先生がつくったニラ・ハウスを除くと、四角いほとんど箱のような家ばかりである。素材もコンクリートや金属や樹脂、ガラスを多用するものが多い。それはそれで美しい。発想もユニークだし、何より深い考察を感じることが出来る。ひとつひとつの家が離れているような辺鄙なところ、あるいは逆にビルも混じるようなところであれば、こうした住宅も良いかと私も思う。

しかし平均的な戸建住宅が立ち並ぶ都市あるいはその郊外の住宅街に、これらの住宅は合うのだろうか。普通の住宅街では家々は小さな土地に目いっぱい広がり、軒を並べている。屋根には角度があり、多くは木造建築である。そこに金属やガラスやコンクリートを主体にした四角い箱のような外観の家がいきなり入り込んだ場合、少なくとも通りの景観のリズムは狂ってしまうだろう。私が以前住んでいた住宅街では法律と同じ効力を持つ地区計画があり、建物の中心から両側に下がる普通に傾斜をもった屋根でないと、建築が許可されないようになっていた。家並みのリズムが重視され、そうした内容の地区計画が制定されたのであろう。

我が住宅街を見渡すと、私の家も含めて、仮に戦前であってもまったく違和感ないであろうと思われるような住宅は皆無である。残念ながら日本では、景観の歴史的連続性という意味での「普通」の基準はもはやないとも言えるのであるが、それにしても、多くの高名な建築家の家は「普通に美しい」とは私には見えないのである。
コメント
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