音楽の喜び フルートとともに

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赤い色

2023-03-02 20:55:00 | 近代
うちの裏庭の小さなプランターに、夫が植えていた植物ができました。
「食べた残りを植えたん?」
「うん。」
「これ何?」
「わからん。」

GoogleLenzで見たら赤蕪でした。
そういえば食べたような?
包丁を入れてみると…。

あれ?まっ白!
ビーツといえば、

こんな感じだと思ってました。
土が違うのかな?鉄分不足?
自然は予測不能ですね~。

セザール キュイ(1835〜1918年
)ロシア帝国ヴィリニュス生まれ、ソビエト連邦ペトログラード没

フランス人の父アントワーヌはナボレオンのロシア遠征(1812年)
のときにリトアニアに侵攻してきた兵卒でした。
リトアニア人の母ユリアと結婚し、リトアニアに住みました。
現在のリトアニアの首都ヴィリニュスで5人兄弟の末っ子として生まれました。
リトアニア語ではツェーザリウス キュイです。

仏語、露語、ポーランド語、リトアニア語を話し、ニコライェフスキー工学アカデミーで学び、卒業後は堡塁建築術の教師として1875年軍役につき、門弟を育てました。
陸軍士官学校の教授として教え、露土戦争(1877-1878年)で、活躍し、1906年には工兵大将の肩書を得ます。

堡塁建築術に関するキュイの著作は数多く幅広く利用され、版を重ねた教科書も含まれています。

ロシア国内における軍事教育家としての業績の反面。西欧ではキュイは余技の作曲活動によって知られていました。
ピアノを演奏し、14歳で最初の作曲を始めました。ペテルブルクに送られる数ヶ月前にポーランド人作曲、モニーシュコに音楽理論の手ほどきを受けています。1856年バラキレフとの出会いによって変化し始め一層真剣に音楽に関心を寄せていきました。

1859年アントン ルビンシュテイン指揮のもと、ロシア音楽協会サンクトペテルブルク支部の賛助を得て、上演された管弦楽曲スケルツォ作品1によって作曲家として公的なデビューを果たします。
1869年以降オペラや喜歌劇を何作か上演しますが、なかなか成功には至りませんでした。存命中に成功した舞台
作品は喜歌劇「マンダリーナの息子」と歌劇「カフカスの捕虜」、「マドモアゼル フィフィ」児童歌劇「長靴を履いた猫」

ギュスターヴ ドレ「長靴をはいた猫」
でした。

ロシア楽団でマリンスキーオペラ劇場

のオペラ選定委員会の委員職も含まれていました。
しかし、1883年にムソルグスキーの「ホヴァーンシチナ」

1682年銃兵の反乱を描いたドミトリ オレンブルグスキーの絵画(1862年)グレムリンに乱入する銃兵。中央の自分を指さす人がイヴァン5世、その右に立つのがピョートル1世、その後の混乱をホヴァーンシチナと呼びます。

の受理を拒否すると、抗議の意味からリムスキー=コルサコフと共に辞職しました。
後、ロシア音楽協会ペテルブルク支部の支部長に就任しました。

キュイはフランツ リストを大変尊敬していて、著作「ロシアの音楽」や「ピアノ曲作品21」はリストに献呈されています。

1857年アレクサンドル ダルゴムイシスキー 宅 で声楽の弟子マリヴィーナ ヴァンベルクと出会います。
58年に2人は結婚し、長女リディアと長男アレクサンドルの2児をもうけました。

1894年にはアンブロース トマの好意的な提案により、チャイコフスキーの急死によって空席となったフランス楽士員に選ばれました。
レジオン ド ヌール勲章を授与されています。1896年にはベルギー王立文芸アカデミーの会員にも選ばれました。

1916年に失明しますが、口述で作曲を続けました。
1918年脳卒中により他界しました。

ロシア5人組(バラキレフ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキー・コルサコフ、キュイ)の1人とされていました。独創的な姿勢に肩入れするあまりに評論家としては毒舌で知られ、そのため、上演したものをなかなか認められなかったと言われています。

キュイはシャルル ペローの原作による児童オペラ「赤ずきん」

を作曲しています。1911年に台本を作りスコアは1912年に出版され、ロシアの皇太子アレクセイ ニコラエヴィチに献呈されています。

第1幕、第1場赤ずきんは病気の祖母のもとへケーキを届けに出かけます。出かける際、母親は森の中で遊んだり、見知らぬ人と話したりしないように言います。

第1幕第2場
不気味な森できこり達が木を切る音が聞こえてきます。
茂みの中から赤ずきんが現れ、花を詰もうと立ち止まります。
その姿が狼の目に留まり、赤ずきんの行く手を防ぎます。

ギュスターヴ ドレ 「ペロー童話集」挿絵
狼はどちらが最初に祖母の家まで辿り着くか勝負を持ちかけます。赤ずきんは了承し、それぞれ別の方向へとかけていきます。

第2幕
最初に祖母の家に着いた狼は3日間なにも食べていません。
赤い頭巾をかぶり、家に押し入り祖母を飲み込んでしまいます。

オオカミはベッドの中に潜り込み、赤ずきんが現れます。赤ずきんが祖母の見た目の変わりように驚いていると、

ギュスターヴ ドレ「ペロー童話集」挿絵
狼は正体を現し赤ずきんを飲み込みます。

そこへ漁師と木こり達が現れ、家の中へと入ってきます。狼が眠っているのを見て、彼らは腹の中から赤ずきんと祖母を救い出します。

そして狼の腹を再び縫い合わせ、悔い改めさせます。狼は善良になることを約束し、約束を守り続ける限り、森の中で生きていくことを許され、幕は閉じます。

赤ずきん、赤かぶ、赤色ってエネルギーがありますね
ダイジェスト版オペラ「赤ずきん」