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ジプシーの母

2023-03-07 20:57:00 | ロマン派
母が苔テラリウムを作りました。

赤玉土、富士土、燻炭を4:3:3で混ぜた土を敷き詰め
水をスプレーして、湿ったら1分置きます。

それから苔を植えて、白砂や石で飾りつけ

出来上がりのはずが、
「空いたところに木を植えたい。」と言い出し、また、買いに行くことになりました。
どこまでも自由な母です。

アントニン ドボルザーク(1841〜1904年)オーストリア帝国ネラホゼヴェス生まれ、オーストリアハンガリー帝国プラハ没


1880年「我が母が教え給えし歌」を作曲しています。

肉屋と宿屋を経営する父親はツィターの名手でした。

ドボルザークの生家
飲食店を始めた両親はドヴォルザークに手伝わせようとしましたが、伯父が経済的負担を負いオルガン学校を卒業しました。

ビオラ奏者としてホテルやレストランで演奏を行っていましたが国民劇場のオーケストラに入団

プラハ国民劇場
少しずつ作曲作品を世に出していき、楽団をやめ作曲に専念しだします。
結婚して子どもをもうけますが、初めの子供達2人は幼くしてなくなります。

ようやく作品も売れだし、他の作曲家にはないチェコを題材としたテーマを取り上げます。

「わが母が教えたまえし歌」は「スラブ楽曲集」チェコの詩人作家のアドルフ ハイドゥーク(1835〜1923年)による一連の詩をもとに作曲された7曲の入った歌曲集を作っています。

「ジプシーの旋律」、「ジプシーの歌」などとも表記されます。



もともとチェコ語で書かれていましたが、ドイツ語に翻訳して歌ったものが広がりました。


ジプシー歌曲集
1.わが歌響け
2.聞けよ。トライアングル
3.森は静かに
4.母が教え給いし歌
5.弦を整えて
6.ゆったりと軽い服を着て
7.鷹の翼は

「わが母が教え給いし歌」
母が歌を教えてくれた時
時々涙を浮かべていた
今ジプシーの子らに歌を教えながら私の褐色の肌にも涙がこぼれ落ちる