音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

弦楽四重奏曲「菊」オペラに流用

2023-06-29 21:00:00 | ロマン派
実家に母が活けたポンポンマム。

丸くてかわいい。

巨大レモンのポンデローザの実もできていました。まだ赤ちゃん。3センチ位。

ジャコモ・プッチーニ(1858-1924年)トスカーナ大公国ルッカ生まれ、ベルギー ブリュセル没

ルッカで長く続く宗教音楽家の家系に生まれました。
父ミケーレは5歳の時に亡くなり、叔父フォルトゥナート マージより音楽教育を受けます。
教会オルガニストの道を歩み始めますが、ヴェルディの「アイーダ」を見てオペラを志します。

1880年、ミラノ音楽院に入学、アルミカレ ポンキエッリ、アントニオ バッジーニに師事します。
1882年ソンゾーニ出版社の作曲コンクールに「妖精ヴィッリ」を出しますが入賞しませんでした。
しかし、この作品は1884年舞台化され、それを見た楽譜出版のリコルディ
の社長ジュリオ リコルディにより評価され、作品を委嘱されるようになります。
1889年、オペラ「エドガール」
を完成させ上演するも不評で、リコルディからも要請され改訂しています。

プッチーニも作品に満足できず翌年には、オペラ「マノン・レスコー」

を書き始めています。
このオペラはプッチーニの出世作になりました。

1890年1月、彼のパトロンの1人だったアオスタ公アメーデオ1世

1870-73年にはスペイン王でもありましたが、政治的混乱に自ら退位し、アオスタに戻りました。2度目の結婚はナポレオンの末弟の孫娘で姉の娘マリー レティシア ボナバルトと結婚しています。享年43歳病没
が亡くなり、急遽追悼のために弦楽四重奏曲「菊」を書きます。
プッチーニの数少ない弦楽四重奏曲です。
この曲は、一晩で書き上げたと言われています。

そして、この中の主題の一つが「マノン・レスコー」で使われています。

弦楽四重奏曲「菊」

「マノン・レスコー」
「君の重みをすべてかけ給え」