音楽の喜び フルートとともに

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ロッシーニの悲劇

2023-08-12 21:00:00 | ロマン派
「今日は、見た目で選んでしまった!」と、川原久美子さん。
「なにが入っているのか?知らないの。」
開けてみました。
すいかの形のおかきでした。
かわいい🩷

明日演奏するジュリアーニの「レントラーの6つの変奏曲」
9月に演奏するカルッリの「2つのデュオ」の1を合わせました。
レントラーは原曲ヴァイオリンなので、フルートで演奏するのはどうかな?というところが何ヶ所かあります。
フルートの巨匠ペーター ルーカス グラーフ編曲です。
カルッリは何度かやったのでこなれてきましたが、段々こう演奏するものだ。という予定調和みたいな感じになってきたので、少しテンポを上げたり、揺らしたり、強弱を変えたりしてみました。
音楽は生ものだから、予定調和になるとおもしろくなくなります。

ロッシーニの歌劇「セミラーミデ」「なんと悲しげなうめき声が」もやってみようということになりましたが、楽譜が無い。明日ぶっつけ本番になりました。

ジョッキアーノ ロッシーニ(1792-1868年)教皇領ペーザロ生まれ、フランス帝国パリ没
1823年フランソワ マリー アルエ ヴォルテールの悲劇「セラスミス」を、元に歌劇「セミラーミデ」を書きます。

ロッシーニは1822年ウィーンに滞在し、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を聴き、彼に会いに行きます。
その時にベートーヴェンから
1820年シュティーラーによるベートーヴェンの肖像画
「君はオペラ ブッファ(喜劇)を書いたほうがいいよ。」と言われました。
この言葉に発奮したロッシーニはドイツ音楽に影響を受けて、重厚で色彩豊かな管弦楽法を取り入れました。

ロッシーニはこの頃通常は1ヶ月でオペラを仕上げていましたが、「セミラーミデ」は4ヶ月をかけて、並々ならぬ力の入れようだったと思われます。

ヴェネツィアのフェニーチェ劇場
1792年創建時の建物は1836年焼失、再建されるも1992年再び焼失。2003年再建するにあたって忠実に再現されました。
で初演されました。

歌劇「セミラーミデ」

古代アッシリア王国では、15年前、バビロンの女王セミラーミデ

の夫ニーノ王は何者かに暗殺され、息子のニーニャ王子は行方不明です。

バール神の神官たちが「国王を選ぶ時がきた。」とセミラーミデに告げます。
自分を候補にとアッシリアの王子アルサーチェ

は思っています。

アッスール

も、ニーニャ王子のかつての婚約者アゼーマ姫を助けたことがあり、彼女と結婚するものが王になれると思い込み、彼女との関係を深めようとしています。

群衆や朝貢国の王子イドレーノが待つ中、セミラーミデが現れ、次期国王の名前を言おうとした瞬間、雷が落ち、一同パニックになり群衆は四散します。

セミラーミデはアルサーチェを愛し、アルサーチェはアゼーマ姫を愛し、アッスールとアゼーマ姫は、相思相愛のようです。

セミラーミデはアルサーチェと自分が結婚し、アゼーマ姫はイドレーノと、結婚するようにと宣言します。

驚愕する一同を押し切り、婚礼の準備をさせようとすると雷が鳴り、ニーノ王の亡霊が現れます。
「なんと悲しいうめき声が」が歌われます。
ニーノ王はアルサーチェに「王位を継ぐ前に、自分を殺した者を打たなければならない。」と言います。
「誰が殺したのか?」と聴くと亡霊は消えます。

神殿で神官がニーノ王の遺言書をアルサーチェに見せ、彼こそがニーノ王の息子ニーニャ王子で、王を毒殺したのは母のセミラーミデとアッスールであると言います。

アルサーチェはセミラーミデによそよそしくなり、その理由を問い詰められ、仕方なく遺言書を見せます。
セミラーミデはアルサーチェが息子だったことを知り、「自分を殺してニーノ王の敵を取りなさい」
と言いますが、アルサーチェにその気はなく二人は和解の喜びを歌います。

神官に守られ、ニーノ王の霊廟に入ったアルサーチェはアッスール殺害を誓います。
そこへ、アッスール、続いてセミラーミデが入り、暗闇の中、手探りで殺し合いになります。

アルサーチェはアッスールを見つけたと思い剣を振り下ろします。
灯りが照らされると、そこには、セミラーミデが倒れて死んていました。
アルサーチェは母を殺したことを嘆き、自殺しようとするところを止められます。
その時、何も知らない民衆たちの新王アルサーチェを歓迎する歌声が響くのでした。

「なんと悲しいうめき声が」