音楽の喜び フルートとともに

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沖縄

2012-04-16 22:48:17 | 紀行

唐突ですが、沖縄に行ってきました。2泊3日。実質現地一日。
夫は、出張先の韓国から、直行。沖縄で落ち合い、帰宅後、一泊で今朝からまた出張。もうわけがわかりません。

ミサイルも避けられて、少し安心。けれど、首里城の前にある首里高校では、校庭で不発弾がまたみつかったそう。それも、何個も。
5月に、全部閉鎖して処分するそうです。沖縄の苦悩は続きます。

今回は、ここ。沖縄県立博物館。昨年、発掘現場をみた湊川原人の詳しい解説もここにありました。3万2千年前の人類など、沖縄の歴史が詳しく解説されています。

私がみるなら、やはり音楽、三線(さんしん)は、沖縄の音です。三線と一言でいっても、沖縄の中でも各地にさまざまな三線があります。わかります?柄の形がちがうそうです。戦後、かんから三線と言って、空き缶を使ったものなどが波及し、あまり、いいものが使われなくなったそうですが、ここにあるのは、名器だそうです。
1600年代、琉球王国の国内で、権力闘争などが行われ、国が疲弊したときに、貴族は学問や芸術を学び、正しい政治を行うようにと程順則が芸術を推奨したことで、貴族のたしなみとしてひろまったそうです。黒木の竿、インドニシキヘビの胴、絹の糸、黒檀や紫檀の糸巻き、水牛の爪を使った三線は、銘があり、庶民はとても手にできなかったそうです。


ほかにも沖縄には、おもろといわれる無伴奏の歌があります。のろと呼ばれる巫女により、王府で歌われたそう、博物館では録音がありましたが、もう歌える人は一人しかいないそうで、その方にも跡継ぎがいらっしゃらないそうです。

お昼は、じゃーじゃー、沖縄そば、ぜんざい、シークァーサーのジュース。


午後は、世界遺産識名園にいきました。琉球王朝で、国賓をもてなすためにつくられた庭園です。大体は、中国の使者をもてなしたそうです。わざわざ海が見えないところに作られていて、沖縄の都市部が一望できます。これは、沖縄がこんなに広くて、文化が高いということを示すためだそうです。
御殿(うどん)といって、ここで、王や国賓が庭を眺めながら食事をしたりしたそうです。池には六角堂という中国風の東屋、石の橋がかけられていて、舟遊びなどもしたそうでうす。


池で、見つけた草魚。1メートル20センチくらいありました。中国と繋がっていた実感がします。



識名園を出ると、眠り猫。みんなに写真を撮られても平気で寝ていました。

おみやげは、紫芋、伊江島の島らっきょう、へちま、タコライスソース、ピーマン、ふ、それから、3束100円だった小松菜。
昨年見つけた、まきしから、ずっと入ったところにある大平通り商店街。安くて、新鮮。スーツケースの衣料を全部出して、野菜を詰めて帰りました。重かった~。おばあが道で売っていたぐるくんのかまぼこも、もう食べちゃった。もちもちでおいしかった。


孤立を減らそう。

2012-04-12 20:47:35 | 哲学

椿は、庭木として日本人に長く愛されてきた歴史を感じます。これは、紅妙蓮寺。
かわいらしさと、格調。独特の和の空気がする一輪だと思います。

突然ですが、明日から日曜まで、沖縄に行きます。
飢えた国民のために膝を屈することどころか、目線を下げることさえできない誇り高い指導者のおかげで、私たちを含め、世界中が迷惑をこうむっていますが、一番の被害者はその国の国民であることを忘れてはならないと思います。

DV被害者が、基本的人権を保障され、男女機会均等法のある日本でも、後を絶たなく、いつでも逃げられるのに、逃げられない。何年も殴られながらがまんしている。心理構造と同じことが、その国でも起こっているように思えます。

一発殴られてすぐ逃げたら逃げられるけれど、3年我慢すると逃げられなくなるといいます。
束縛され、孤立させられ、殴られると言う時期と、甘い、甘い蜜月、謝り、プレゼントを贈り、下僕のようにつくす時期を繰り返すことで、共依存関係を深め、正常な判断ができなくなっていきます。

飢えさせ、自由を奪い、孤立させ、指導者を頼らずを得ない状況に追い込んでおいて、世界にこんなに力を示すことができる国の一員なんだという勲章、ネックレスを与え、国民のプライドを保障する。
時には、お気に入りを取り立てて、甘い蜜を与えて、自分に仕えるメリットを強調する。
親を頼らずを得ない子どものような心理状況に、国民はいます。

支えるものがいなければ、権力者は存在できないと、ジーン・シャープはいいましが、先の指導者がなくなった時の、国民の大仰な涙は長く続く体制の中で、ほかの選択肢への発想もないくらいのところに、国民は追い込まれているように思えます。

DV被害者が、洗脳からとかれ、開放されるのは、さまざまな選択肢への情報を得て、孤立感から解き放たれたとき。
あきらめないで。


ブリチャルディのヴェルディオペラ曲集

2012-04-11 21:34:17 | ロマン派

実家に咲く木瓜の花、ゆめと言う品種です。本当にかわいらしい。


今日は、雨。午後、Sさんとカルメンの楽譜を照合。なんとか、見通しが立ってきました。
時間があったので、ブリチャルディのファンタジー曲集を合わせました。

ブリチャルディは1818年イタリア テル二生まれ、フルートの演奏者として、若くから名を馳せ、世界各地で演奏しました。
ベーム式フルートには、1838年に出会いました。Bキーは、彼の考案によるもので、このキーをブリジアルキーと名づけられ、今もその名で呼ばれています。
184曲もの、オペラや、交響楽、器楽曲を作曲しました。

この曲集は、zimmermann社から出版されている「5paraphrases based on Verdl-operas」

ベルディのオペラをテーマにした下記のファンタジィー5曲が入っています。

Aida Fantajia dorammatica op.134 アイーダによる劇的ファンタジー

La traviata Libera trascrizione 椿姫による自由な、編曲

Il Trovatore Fantasia トロヴァト-レによるファンタジー

Don Carlos Fantasia op.121 ドン カルロによるファンタジー

Macbeth Fantasia op.47  マクベスによるファンタジー

はっきりした製作年代は、判明していませんが、ほとんどヴェルディのオペラの初演から、3年以内に作られています。
録音や、放送などが一般的でない時代であることを思うと、ヴェルディの威力はすごかったのではないかと思われます。
おそらく、劇場に行って、この曲、このフレーズと、気に入ったものを、自分でピックアップして、編曲したのかも。
そのせいか、椿姫といえばこの曲という乾杯の歌が入っていなかったり、ほかにも有名どころではないフレーズが使われていたり。
ブリチャルディの好みが、浮き上がってくるような気がします。

どれもイタリア歌劇らしく、メロディックで、ドラマティック。ご機嫌な曲集です。




子育てサロン

2012-04-10 22:06:50 | 子ども

今朝は、子育てサロン。コミュニティルームは、地域のいろいろなボランティア団体が使っていますが、誰が活けたのか、ロビーの受付には、お花が飾ってありました。
「かわいいね。これは、桜かな?」「いやぁ、梅?」「いやいや、桃じゃない?」
サロンのスタッフで、あれこれ言っていましたが、誰も確たることをしりません。帰宅して調べると、照手水密(照手)という桃の花でした。
照手姫といえば、日本のロミオとジュリエット、小栗判官との悲恋の伝説があります。
桃の名前に照手姫と言う名前の品種が何種かあります。


4月は初めて来る子どもとお母さんも多いです。
小さな弟が生まれた子どももいました。
サロンでは、新しい友達を作るチャンスを、提供しています。
そのためのきっかけつくりで、ちょっとしたゲームや歌を歌います。

Sさんが、ご挨拶とお名前を呼びんで、名札を配ります。
それから、春にちなんで、きょうは、「どこかで春が」「めだかの学校」「おつかいありさん」「おはながわらった」を歌った後、今回は、スタッフのYさんが、自己紹介ゲームをしてくれました。その後、折り紙でつくったお花に、絵や名前を描いて、壁に貼った木に、お花を咲かせてもらいました。
なかなか、上出来。たくさんの楽しいお花が咲きました。

後はゆっくり、子どもを遊ばせながら、世間話や、情報交換をしてもらいます。

スタッフが赤ちゃんを抱いたり、子どもの遊びにつきあったり、時々は、世間話に入ります。
最後は、Tさんが絵本を読んでくれました。
子どもたちは、絵本のすぐ近くまで来て、並んで座って、指差したり、笑ったりして見てくれました。

5月は、8日です。気楽にお立ち寄りください。
スタッフもその日だけのお手伝いでもかまいません。随時、募集しています。





カルメン作成中

2012-04-09 21:48:30 | 音楽

母が植えたヒヤシンスの鉢。いい色です。今日は暖かかく、いいお天気。

今日は、Sさんと、うちでカルメンのピアノ譜つくり。
7月8日に向けて、Kさんがブルガリアとロシアにコンサートに行っている間に、準備です。帰国したときに、すぐ合わせられるように。

Kさんは、明日キエフで本番。どうしているかな?
きっとうまくやると信じています。

カルメンの合唱譜、ボーカル譜、器楽譜をつき合わせて、Kさんが作ってくれたフルート2重奏譜に、ピアノ伴奏を合わせます。
これが、大変。
合唱譜だけで500ページ近くあります。あっちを使い、こっちを切り取り。一部は創作と言う感じで、ばらばら。
以前やったピアノ譜を紛失したらしく。
適当に作ってということで、Sさん一人では大変なので、お手伝い。
というのは、口実で、楽しいから。

自分でもおかしいくらい音楽が好きです。

妹とままごとをしていたときと同じ。遊んでいるだけ。
時間はあっという間に過ぎます。
付き合ってくれるSさんは大変かも。

重箱の隅をつつき、細かく、大きく、ねちっこく。
おかげで、ピアノへの理解も進みました。

次は水曜日。待ち遠しい。






学び方を学ぶ

2012-04-06 21:59:47 | レクチャー、マスタークラス

今日は心と体のセミナー。島本町にあるセミナー会場にいくのには、枚方から木津川、淀川、宇治川の合流地点を渡って行きます。
川の中州にある瀬割り堤は、桜の名所。
信号で止まった時に、撮りました。見えるかな?
手すりの上の白いかすみのようなのが桜。まだ、1割くらいしか咲いていないように見えますが、もう、花見の人たちが、ちらほら。
待てない気持ち、わかります。

心と体のセミナー。
演奏のフィードバックに夢中になって、気がついたら、人間関係が最悪。
そんなことが、よくあります。

思春期の頃を思い出してみると、高校の頃、吹奏楽クラブにいて、先輩のフルートがとてもうまかったので、どうやったらあんなにうまくふけるんだろう?とすきさえあれば、じっと見ていると、「ちょっと、来て。」と先輩に呼び出され「じっと、見られて怖い。何考えてるの?」
と言われ、黙ってしまった。と言うことがありました。

そのとき、自分の欲しいものだけを見ていなかったか?物欲で見ていなかった?
それをする人を、賞賛と憧れで見ていれば、そういう結果にはなっていなかったかもしれない。

短期目標=そのものだけを見ていると、結局それは手に入らない。
たとえば、音楽をする目的は何か?技術だけを上げていて、それは手に入るのか?
音楽をするのは何のためなのか?

学び方が間違っていないか?
問題を見つけて、不安を解消する、解決するために時間を費やしてはいないか?
あるいわ、競争に勝つために、関心をあつめたいために使ってはいないか?
所属感のために使ってはいないか?

研究したり、発見したりする喜びや、楽しさがないということはそのいずれかかもしれない。

「動物に比べれば われわれに本能なんてないに等しく、ただ学習能力だけがある。
学ぶときに大事なことは、なにを学ぶかではなく いかに学ぶかなのです。
レッスンをやらないで 学ぶことはできない。
レッスンには、自分にとって 何が正しいかを感じ取り体験させてくれるプロセスがある。」モーシェ・フェルデンクライス






出会う

2012-04-05 21:43:30 | 音楽

アプリコットローズにつぼみがつきました。嵐、晴天という、上がったり下がったりの天候の中、芽吹きはやってきています。

いい季節がやってきました。今日は、ピアノを再度調律してもらいました。
ピアノは、まだこの家の温度や湿度になじんでいないようで、12月3日、2月17日に調律してもらいましたが、すぐに狂ってしまいます。
前回の後も、一週間もたたないうちに、狂っていましたが、さすがにたびたび呼ぶのもためらわれて、今まで我慢していました。

暖房のせいで、弦は伸びて下がりやすいそうです。高音がくるっているような気がしていましたが、調律師さんによれば、高音はそのままで、中音域が下がっていたそうです。

夏場になって、冷房を入れだすと、弦は縮み、音が上がるそうです。だから、440hzに合わせてくれました。

6ヶ月を過ぎると、有料になるそうです。次回の調律まで、何とか持って欲しいものです。

今週中、タブレットの仮想空間で吹いてきた曲の中から一曲選んで、印刷してみました。
クーラウの12のフルートソロヴァリエーション。
試奏した時に、いいと思った「うつろな心の変奏」第11番 を印刷しようとしていたら、なぜか、印刷ボタンの押し間違いで、全部印刷に入ってしまった。

驚いたものの、全部。どれも、美しいから。

昨年クーラウのトリオをやったのをきっかけに、クーラウを好きになりかけています。

長い年月やっていても、まだ新しい出会いがあります。本当に幸せ。

見たり、聞いたりして、出会ったと思っていたけれど、それは違っていました。
出会うと言うのは、じっくり、相手を知ること。
いろいろな方向から、深く出会うこと。
クーラウとの出会い。まだ始まったばかりです。




ボーンズレッスン

2012-04-04 21:02:42 | レクチャー、マスタークラス

ハイドンのSix Qutuor 2番adagio 電子図書館の楽譜。
タブレットに取り込んだ楽譜を、USBに取り込んで、テレビ画面に映して演奏してみました。
液晶画面で、平面なので、一ページを近寄って吹いていると、下のほうを読むときになると、自分もひざを折って視線を下げないと読みにくい。いすを使うか、テレビを上げればいいのだけど、今日のところはこれ。
表示は1ページごとで、譜めくりは、本に準じるくらい。
何よりいいのは、表示が大きいので、目が悪くなってきたけれど、読みやすいこと。

今朝は、ボーンズレッスン。
長い年月練習していて、最近気づきました。
初心者のときに読んだ、教則本に、いい例、悪い例と言うのが載っていて、この悪い例というやり方を自覚して使ったことがなかったことに。
試してみると、体が楽。音もいい。
なぜ、試さなかったのだろう?

良い悪いという二極的な見方は、音楽や、人間を表現することとは、なじまない。

昔は音楽とは見られなかった、ホイッスルトーンや、フラッタータンギングも今や、作品の中で使われ、フルートの可能性をどんどん広げている現代において、芸術は、表現の多様性を保障するものであるというのに。

未だに、はまっていることがたくさんあります。
今回、見つかってよかったけど、試さなかった自分の過ぎ去った時間が残念。

自分の体の内的感覚を味わっていて、それを相手に伝えようとした途端、その内的感覚を手放してしまうことがあります。
たとえば、相手がティッシュを必要としていて、相手のためにと探して、ティッシュを渡そうとした瞬間。手が震えたり、不安な様子で渡そうとしている自分がいます。それは、相手と対峙した瞬間、相手への貢献感が一番の目的ではなく、関心を得ようとすることに目的がすり替わったことを示しています。
不安の表明は、人の関心を得るためにとても強力は方法。しかも、言葉が介在せず、暴力もないということは、矯正されない。
けれど、本人以外には、わかっていて、人を遠ざけてしまいます。

内的感覚を飛ばさないで、相手と対峙することがコミュニケーションをとるためには不可欠ですが、まず、飛んでいる自分を自覚すること。それから、はじめること。

芸術家とは、その内的感覚を飛ばさない人のことで、しかも、人とつながれる人のことです。
自覚してバランスをとり続ける人のことをいいます。

子どもの自分を失わないで、なおかつ社会的にも動けるということかな。
まだまだだなぁ。レッスンレッスン。



暴風雷雨警報

2012-04-03 20:54:16 | Weblog

姫こぶしの花です。ロイヤルスターと言う品種だそうです。この時期、モクレン科の花が、梅と桜の間に咲きます。

春の嵐。
3時頃、車が乗れなくなった両親の買い物に付き合って、スーパーのはしごをしていたら、大雨、大風、晴天、雷雨とめまぐるしく変化。
帰りは、大風で、冷蔵庫でも入りそうな大きなダンボールが車の前をゴロンゴロンととおり過ぎていきました。
危ない、危ない。どうか、みなさんに被害がありませんように。

小学生の頃、家で3歳下の妹と二人でお留守番。
雷がなり、大雨が降り。

妹を見ると、もう泣きそう。私だって不安なのに、ここで泣かれたら、もっと怖くなる。
「あー。えーっと。見てごらん、雷さんのおしっこだよ。おかしいなぁ。ははは・・・。」
こんな、ベタなネタで、笑えるわけないけど、とりあえず、出てきたのはこれだけ。やけくそ。
ところが、
「ぎゃははは・・・。かみなりさんのおしっこ。」
『・・・お、おお。笑った。おかしいんだ。』
「そうや。雷さんのおしっこ。バリバリってほら、おなかこわしてる。ははは。」
「かみなりさん、おなかこわしてる。あははは。」

それから、雷が鳴る度に、二人で大笑い。
テンションが上がって、大盛り上がり。

母がいない不安。雷の不安。雨の不安。こころぼそさ。
いつの間にか、消えていました。

状況は変わらないけれど、感じ方次第で、同じ出来事も、不安から、楽しい出来事に変化させることができる。
私は、妹の感じ方を変えることができたけれど、あそこで妹が笑わなかったら、いつものように泣かれていたら、その泣き顔で、不安を増幅していたかもしれない。
妹も笑顔で大きな変化を私に与えました。
人には天災にも負けない大きな力があると、感じたできごとでした。



無駄使い

2012-04-02 23:23:24 | 音楽

サンシュユという名前が、どうも言いにくい。中国名の音読みだそうです。山の赤いぐみという意味がもともとの字にはあるそうです。春はハルコガネバナ、秋は赤い実がつくので、ヤマグミという名前で呼ばれることもあります。

日曜日、例のタブレットでダウンロードした楽譜を読みながら、吹いていたら、夫が、「へー、おまけだのに、使えるもんだ。」と、興味津々。
「楽譜が、小さくて目が疲れて読みにくいわぁ。」と言いながらやっていると、息子が「USBで、テレビに接続できるかも。」と、テレビに接続してみたら、できた。でも、残念。画像も、写真も読めるのに、PDFは読めない。

すると、「大きいのがいいなら、買おうか?」と横から夫。
『なんて、ふとっぱら。』
「えーでも、あるのにもったいない。」と言うと、「これ、ナビもできるかな?」大丈夫、GPSで、設定しておくと、車において走っても大丈夫。
「ふーん。結構使えるなぁ。これなら、仕事で持っていってもいいなぁ。」
「返そうか?」と言うと、「これ使う?」とかばんの中から、もう一つ。acerと書いてあるB5版の大きさのタブレット。
「何で、そんなんぼこぼこ出てくるの?」というと。
「これは、仕事で使おうと買ったんだけど、重すぎて使わない。そっちは、おまけだから、おもちゃかなと思ってたんだけど、」
B5バンは750g。
「私は、外に持っていって使わないから、大きいほうがいいよ。」と、いうわけで、楽譜は、B5版タブレットに昇格。
これは、テレビにつないで、PDFも読めます。

1ページ、丸々画面に写して、譜面台の上において読めます。早速、今日もやってみました。

ハイドンの6つのフルートカルテットop5 なんともかわいく、華麗。

ドルメルスマンの協奏曲 第3
メロディがあまり魅力的でない。
同じく4番
華麗で技巧的

クーラウのop101l’opera Iessonnda Variations Brillantes
ロマンテッィクで華麗な一曲。長いカデンツアを含んだイントロと8つのバリエーションからなっています。

シューベルトのフルートトラヴェルソのための協奏曲 
アレグロ アダージョ ロンドからなっています。

ドルメルスマン ファンタジーオリジナル
短いテーマをこれでもかと言うほど、変奏。華麗です。

これだけやると、いくら、B5版でもやっぱり目に来ます。
次はテレビに映してやってみたい。

それにしても、さっさと次々と、買っている夫。
結婚してからずっと緊縮財政で、やってきた私の感覚と、あまりのずれにあきれて
「私がつかっているICレコーダーは何年も使っているから、サポートがXPまでで、新しいパソコンに対応できないでいるのに。」と愚痴ったら、「1万円までだったら、買ってもいいよ。」さすがに気がとがめたのか。
ネットで、中古のオリンパスを頼んでくれた。夫婦の経済バランスも時には埋めなくては。

私はタブレットとICレコーダーを手に入れてバンザイ!・・・てよく考えたら、夫はB版タブレットは必要ないのに買った=来年は次男の学費も最高潮に達するというのに、全く無駄使いって。これどうよ?