maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



なかなか鋭い内容の本でした。時事ネタの本ですが、

事と次第では今後も残っていく本になるかも。

ちなみに、文庫版が出ていたのでそれを買いました。

以前本屋で観たことがあって、どうせプーチンを

悪の権化みたいに書いてる本だろうと思っていました。

(実際にそういう本は多かった。でもこれは予想が外れた。)

日本でも売れていたのですね。納得です。

最近SNSでみた中で、この本の通りになってるという

指摘があったので、読んでみました。

 

この本では彼を冷静に分析し、もっと警戒しろと言っています。

このような分析がいまのテレビ報道では全く出来てない。

世界のエリートたちの話からも感じられない。

感情論に突っ走り、悪の独裁者は許さないの一点張り。

 

五輪でもロシア(とベラルーシ)は扱いが悪いけれど、

イラクを破壊したアメリカは?

ガザ虐殺のイスラエルは?

経済制裁受けている国と受けない国、

壮大なダブルスタンダードという矛盾を見せられてますが、

これを納得しろというのは、1984の二重思考の世界です。

相対する矛盾と知りながらその両方を受け入れる能力。

強力なビックブラザーの下で生きるための思考法です。

 

因みにウクライナ情勢が始まる前に出た本なので、

その侵攻については書かれていませんが、

現在に至る流れを示唆する内容です。

凄い本というのは、後からジワジワと評価が出ます。

でも、この本のメインはウクはありません。ドル崩壊です。

 

なるほど、確かにプーチンは恐るべき人物として

書かれているのですが、恐怖の極悪人というより、

その能力の高さ・・・視野の広さ、先を見通す力、

冷静(冷徹)な決断力に特に優れた人物として、

書かれていました。まさにそう思っています。

感情諭でみると、単なる冷徹な独裁者ですが、

それこそ危険な発想です。

ですが、それを理解しようとしないアメリカ政府。

米に従う欧州(日本も)と困惑する中東。

ウクライナはロシアの御荷物として書かれています。

 

これまでのプーチンは敵もいた訳ですが、彼のやり方は

冷静に耐えるべき処は耐え、行くべきところで行く。

これは一貫したプーチンの姿勢です。ぶれてない。

ウクライナでも突発的に侵攻したように見えて、

そうではありませんよ。テレビでは分からないけど。

よく侵攻はNATOの結束を固めてしまい失敗だと評論家は

言いますが、逆に反米(欧)がまとまり動き出してる事は

言いませんね。

 

結論はアメリカの稚拙な外交(全世界相手)の隙をついて、

脱ドル決済を進めるプーチンを警戒しろという内容です。

そこに至る過程で、その稚拙さの説明が納得させられる。

イラクやリビアの脱ドル化とアメリカの報復も書いてある。

(未だに知らない人が多い)

 

いまの欧米は感情で外交やってるとしか思えない。

ロシアに一泡吹かせてやるとか、懲らしめてやるとか、

ロシアアレルギーが強すぎる。

もしかすると、それを承知で何か考えているとも思えるくらい。

 

日本人の多くが、これまた感情的な判断しか出来てない。

メディア情報がそうだから仕方ないのですが、

仕方ないで済まない話もありますからね。

こうやって、煽られて敵対心だけを植え付けられていく。

その先は戦争しかないでしょ。いつか来た道です。

 

この手法、よく中国や北朝鮮の説明で言ってましたよね。

国内をまとめる為に敵が必要だから・・・って、

今、欧米日がまさにそれをやってませんかね。

本来、日本はそこに加わる必要などなかったのに加わってる。

敵、敵、敵、憎め憎め憎め・・・・

小説「1984」に出てくる2分間憎悪みたいな報道には

うんざりですが、それでも生きていかなければならない。

目と耳を塞いでも、そこには意志があるから物事は進む。

こういう時だからこそ、芸術は必要なんだなあと思い、

最近はとくにクラシックに戻って色々聴いてます。



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今も昔も

正しい事を知ろうとする人は

とても少ないという事

 

ソクラテスの時代から変わってない

恐らく、もっと過去の記録のない時代でも

同じだったでしょう

 

多くは、何も考えず権威に従うか

勝手な想像に感情的に反応して

思考停止しながら生きていく

 

戦争も、多くの人は

勢いのまま、自分達が正義だと

信じて疑わずに相手を非難

 

一部の人が反対するが、得てして非国民扱い

悲惨な目に合って、こんなはずじゃなかった

仕方なかったと言う

 

現在進行形で起きている

色々な事象も同じ経過をたどりそう

 

哲学の古典を読むと、回避能力は上がると思う

疑うという事をするから

副作用は疑い深くなるけど

 

そして、一歩引いて、或いは俯瞰して

さらに別角度からも物事を考えようとするから

たぶん、分からない人には見えてこない

違う表象が見えてくるようです



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いま、教育テレビでやってますね。

今月の100分で名著

なかなか、恐ろしいお話で、100分で足りるのかはさておき、

なかなか読む気にならない人は、観てみるといいでしょう。

捏造はないと思われます(笑)

 

 



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この本、なかなか的確に日本(人)の問題点を的確に言語化していて、びっくりしました。
幾つかの医療専門家が良かったとSNSで出していたので読みました。SNSも使いようで、芸能人なんかの自慢話を見るだけなら暇つぶしで終わるけれど、ちゃんとした専門家の発信を見れるのは大きい。

ワクチンを題材にしていますが、内容は全体主義への警戒から政治・専門家・メディア・日本人の特性を指摘していて、自分の思っている事そのままが書いてありました。

この本は、序盤こそコロナ患者数のデータなどを引き合いにだして、そこまで恐れる必要があったのか、ワクチンなどの過剰な対策を見直す事が中心になっていますが、中盤以降はワクチンの是非もさることながら、全体主義への警告の本に仕上がっています。

コロナで過激な事(今ではそう思わないが、そういえば話題になったなあと思い出しました)を発言していたイタリアの哲学者アガンベンを始め、多くの著名な哲学者・・・フーコー、ハンナ・アーレントやオルテガなどの本から引用し、過去・現在の学者が警告していた事が、実際に起きているのではないかと問いかけます。

多分・・・世間を観察していても、そういう危機感を持っている人はまだ少ないと思います。(ただ世界は先に進んでいます。日本が遅れているだけです)

色々な名著からの引用など、あーこれこれっていう感じになって楽しいのですが、古典を読んでいなくても、この本は読みやすいので誰でも読めます。

保守、リベラルについては色々あるのですが、最近起こっているリベラルの暴走の説明は的を得ていると感じました。少数側にいるときは、よさそうな事を言うけれど、多数派になると決まりを守れと上から命じてきて、厳しく取り締まる側になってしまうのがリベラルのコワさというのは納得です。フランス革命でもそうですね。

こういうときに、保守がブレーキを踏み、調整を行うはずなのですが、コロナではブレーキは壊れた感がありました。その原因をフーコーの指摘した生権力という概念を用いて、問題点を露わにしています。

コロナ初期、大勢の人は何の疑問も持たず、いろいろ行動や仕事を制限されても、お願いと言う名の半強制にも、生権力という生きる事に対する執着を利用した見えない権力による世の中の流れにあっさり従いました。

この、見えないけれど確かに感じる力の作用は、システマチックで何か特別な権力者が仕組んでいるようにも見え、陰謀論が出てくるの原因にもなっているという指摘も納得。

だからこそ、国にしろ専門家にしろ、製薬会社がこう言う事や提出されたデータを右から左に言い張るのではなく、ちょっとデータをみて考えれば疑問だらけなのだから、慎重に検討すべきだった。そして納得の行く説明をすればよかった。けれど疑念を持つだけで陰謀論者扱いされる・・・(この本とは別ですが、最近DNA混入疑惑が出ている・・・疑惑ですが・・・スゴイ疑惑です)

実際には製薬会社との契約により、内容は公開しないとか、ワクチンを解析してはいけないという条件があり、メディアもスルーするから、何か秘密を隠していると疑われても仕方ない。

ところが、専門家・メディアも国も、アーレントの言う「凡庸な悪」になり下がり、命を守るため、あなたの健康のためと称して、人々の自由であり人権を奪ってきたのがここ数年の出来事。

この異常な出来事に惑わされなかった人は、とても息苦しい感覚で生きているはずです。どう考えても正しいそうな事が、陰謀論扱いされてしまうのだから。そして、周りの人はテレビ情報を自分は正しいと思って信じ切って話が合わない。

コロナの恐怖やワクチンの意義、マスク社会の不愉快さで他人と意見が合わないという事を経験していたら、この本を読めば、いろいろ納得させてくれます。

ただ、これからも大変ですけどね。これは以前ここでも触れた本ですが・・・「責任と判断」の中でアーレントの言う、ナチス下のドイツを引き合いに出し、全体主義社会でも従わなかった人がいた事を紹介していますが、不利益があっても、自分を裏切らないという姿勢を持てるかどうかです。

自分を裏切って生きると、表面上楽に生きられるのは分かっています。その場合、どこかで後悔しそうかなと思っているのですが・・・スピノザの生き方も、自分を裏切らない生き方を貫いた・・・ソクラテスも同じですね。

東京駅の丸善で買いましたが、この本が並んでいたのは、医学倫理とか、医学読み物というコーナーでしたが、そこには、何故人はワクチンデマを信じるのか?みたいな本が多いのですよ。ああ、なんと言う事か・・・

これから、こういうコロナを振り返っての、哲学者・社会学者からの批判本が増えてくる事を期待します。

先月読んでいた、「ニーチェのふんどし」という表紙が面白い本があるのですが、これはコロナだけでなく広い意味で似たような主張でした。行過ぎた見た目至上主義のルッキズムやポリコレ重視の生きにくい偽善社会(ホワイト社会)について、ニーチェを引き合いに出して書かれています。

全体主義に飲み込まれ畜群・末人となるか、超人となる道を選ぶか。そういう選択を突き付けられる気がします。



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最近読んだ本

脳は世界をどう見ているか

結構前から本屋で見かけていて、いつか読んでみようと思っていた本です。あのワクチンで一部から冷ややかな目でみられているビルゲイツも満足した本ですが、目的はそちらではなく、仏教の唯識思想との兼ね合いで、読んでみようかなと思った訳です。

唯識の考え方では、人間が物事を見ると、その映像が人間に入り込んできますが、そこには意味もなにもなく単なる映像であって、心の深層部分にある阿頼耶識がそれに対して情報を追加、さらに末那識が利己的な味付けをする事で、判断していく・・・まあ、大きくとらえるとこうなるかな・・・と。


同じ花を見ても、綺麗だと思う人もいれば、単なる花で特に印象も持たない人もいる・・・カントの純粋理性批判も似たような事を言っており、さらに脳科学の研究で似たような事が分かってきたのは知っていたので、本で読んでみようとなるわけです。

脳内の情報処理でも、目で見たものは単なる電気信号で、しかも歪んだ映像になっていて、そこから大脳新皮質へ送られ、そこでの神経ネットワークで色々な情報や判断が追加されていメカニズムは、非常に興味深かったです。

新皮質の構造や、神経ネットワークの話から、物事を予測する仕組みや、座標系を持って行動するメカニズムなど、最新科学の雑学本としても楽しい。脳は新しい部分の大脳新皮質が70%を占め、知性や理性を担い、残りの古い部分は欲望や本能みたいな原始的な部分を担っている。

そして、今のメディアでも大きく取り上げらている人工知能はまだ不完全なもので、人間のように新たな情報が入ってきても、さらに自分で考えて処理できるようなものではないので、これからの課題だという事です。そこまでなら、知的好奇心を得られてよかったなと言う本ですが、そこから先の後半部分では読む人によって判断が分かれてきそうです。


人工知能を完全なものにする為に、まさしく人間の脳をリバースエンジニアリングで再現するのが目標で、人間にとっても役立つ事だと考えています。最新の脳科学者が考えている事が、これでした。疑似脳を作る・・・

火星に人間を送り込むのは寿命のある人間だけだと大変なので、進化した状態のロボットを使えば、何か問題が起きても対処できるし、管理する人は必要かもしれないけれど、作業効率も上がるという例を引き合いに出して、人間の未来(著者は恐らく近い将来に地球に住めなくなる事を想定している)に役立つという訳です。

さらに、地球文明の記録という面から、宇宙に情報発信するにも役立つと。確かにそうなんですけれど・・・そこまで人工知能が発達した場合の、社会的・経済的な影響については、スルーしていたので物足りなかったです。後の事は経済なり他の専門家が考えてという事でしょうか。

与える影響の大きさから考えると、ちょっとコワイ話ですが、著者は楽観論の立場です。脳科学者の立場からは、自分の関心ある分野を突き詰めていきたいのは分かりますが、それが与えるポジティブな影響だけしか見ていない(これ、ワクチンにも言える)。科学者という存在が、自分の立場から未来を考える時、得てしてネガティブな影響については過小評価してしまう典型に思えるのです。

著者曰く、人間の世界で戦争や権力争いのようなものが終わらないのは、脳の古い部分が持っている欲望や本能があるからだという。この研究に警鐘を鳴らすのも、古い考え方であって、著者の考える新しい脳の部分を使えば問題ないという考え方のようです。少しは反論も認めているようではあるけれど、大筋こんな印象でした。

気付くと、自分の思考と違う人を排除しようという最近の思考パターンが目に浮かんでしまう。そのうに、古い部分を人工的に制御する方法なんてのを考えるんじゃないかな・・・今の世界をリードしているリベラルっぽさが全面に出ている気がする。

人間にとって、脳の機能が分かるという知的好奇心は抗えないものがあるのですが・・・人間の体について、何もかも科学で丸裸にする必要があるのかな?とか思ってしまう。

ただ、進化を止める事もできないし、難しい。現代になって、科学万能主義みたいな世の中になり、文系分野は終わった感がありますが、科学は万能ではない(と分かっているのに、科学を信仰してしまっているのが今の世界)です。科学の進歩に哲学や思想が追い付いていない今は、危険がいっぱい。著者がオルテガの言うような科学者の大衆でない事を祈る。

この著者の言うような未来が来たら、人間幸せになれるのか? 違う気がします。これは科学ではないので、話が合うはずもない・・・
読み終わったときに感じたのは、そんな事でした。ますます、生きるとは?みたいな事を考えてしまう・・・



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古典ではありませんが、

「ストーリーが世界を滅ぼす」ジョナサン・ゴットシャル著

 という本を読みましたが、並行してスピノのエチカ(今回は畠中訳)、そして「唯識の思想」も読んでいて、先に唯識の本を終わり、エチカに専念しようとしたけれど、こっちの本を先に読んだ方がいいという心の声に従って、順番を入れ替えて読みました。

エチカは違う訳者ですが3回目で、途中からでも読める。そして、エチカの感情について書かれている部分に相当してくると思ったので。

人が物事を認識するとき、ストーリーに感情を揺さぶられてしまう事が、色々な問題・分断を引き起こすというお話です。

単に事実を述べられるよりも悪役や被害者、そして正義の味方がいるという物語にすると、人間は思い切り引き込まれて当事者のような感じになる。歴史も同じ。三国志の正史より、三国志演義の方が、善玉劉備に悪玉曹操と引き込まれてしまいますからね。(個人的に曹操が好き)

善と悪の戦い・・・今の世界をみても分かりやすいですね。アメリカを考えると、トランプ派と反トランプ派(民主党などポリコレ派)に分かれて戦ってます。ロシア・ウクライナも、西側とロシア・中国グループ(まとまりは弱いけれど、その他多数の国が集まる)に分かれてきていて、双方プロパガンダ合戦に入ってます。特に西側は勧善懲悪の世界観です。どちらかが消えるまで決着がつくわけがない・・・

しかも悪い物語ほど、人々は食いつきがいい。

本の中でプラトンがキーワードで登場しますが、有名な古典「国家」を引き合いにだして、彼が言葉で人を惑わす詩人を良く思っていない話など織り交ぜながら進みます。

が、この著者はコロナ対策は有効だという認識らしく、対策に従わない人を非難したりする。Qアノンを否定するのは分かりますが、じゃあ今のバイデンUSAはどうなのよって感覚はないらしい。これでは著者自身のストーリーが偏っていると感じてしまう。個人的にはその中間を意識しないと危険だと思っていますが、そこはなかった。悪を憎むという点では、厳しいコロナ対策=善という考え方の方が、ストーリーに浸ってる。おそらく書いていたのがアメリカがコロナで酷かった頃というのも影響してますが、それでも・・・です。こういう本を書くなら、疑問に思って欲しい処は残念でした。

身も蓋もないお話なんですが、結局は自分が信じたいものに惹かれてしまう(信じたくないものを忌避する)。自分が好きな人に良い事が起こると嬉しいし(悪い結果が出ると悲しい)、嫌いな方が酷い目に遭うと嬉しい(うまいことやると妬ましい)・・・スピノザが言っている事そのまんま。

でも、言わんとしている点は同意です。今の世の中をみていると、何でもストーリー仕立てで出来ている。手法として、こうやるとウケると分かっている。ラジオ、テレビのメディアが発達し、プロパガンダにも磨きがかかり、人々を誘導するには善悪と道徳に従って感情に訴えかければよい。カルト宗教でも同じ。自分達は被害者、○○する権利がある、相手は道徳に反しているので非難されるべきとかの論調が多くなる。

まあ、分断はメディアによって作られる。感情や道徳心に訴えかけてくるストーリーには要注意ですね。

ところで、唯識の話は難しいのですが、超簡単に言えば、主観が全てで、世の中の事は自分で決めているだけ。この世界には、確固たるものはなく、自分のこれまでの経験などが生み出した世界。一人ひとり違う。カントの悟性(理性)みたいな感じですが、末那識という働きもあったり、分かったような分からんような・・・そういう思想的な知識が必要になってくるんじゃないかなあ・・・余計なストーリーに惑わされないためにも。



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ダグラス・マレーが書いた、「大衆の狂気」という本を読んだ後、別の本を読みながら、もう一冊同じ著者の「西洋の自死」という本も読みました。

500ページの厚みは重厚感あります。電子書籍では重さは分かりませんね。重さも読書に影響する。読み終わった後の達成感とかも違うだろうなと思います。

この本は2017年販売され、2018年に邦訳が出たもので、主に難民・移民問題を、中心に欧州の抱える闇を深くえぐる・・・ある意味リベラルな欧米人が見たくない・聞きたくない問題を露わにしています。

両著とも、差別問題が絡む話になりますが、差別はいけないという世の中の流れに対し、問題提起するだけで差別主義者や極右とかのレッテルを貼り、問題を直視しなかったばかりに大問題が沸き起こったという内容です。問題をはぐらかしたり隠蔽する側が非難されず、実は正論を言っていた人達が非難されまくるという状況(コロナでも同じような感じ)・・・のスケールの大きさに目がくらみます。

おそらく、極右や人種差別主義者のいう事と似ているから、自分たちはリベラルは絶対に差別しないぞ!みたいな意地で何が何でも正義を貫き、一度決めた事を撤回するとそいつらに攻撃されて不利になるからと、方向転換できずに自らドツボにハマっている感じがします。

まあ、確かに一部の差別主義者もいますよね。でも同じ事を言っているから、同じグループとは限らない。今の世の中こういう事が多いです。

自虐史観というと、日本独特の空気だと思っていましたが、欧州でも結構強烈だというのも驚きでした。まあ、そらそうです、植民地支配にしろ、差別にしろ、中東・アフリカなど自分達の都合で国境線引いたりで好き勝手やってる印象もぬぐえませんからねえ。日本の方がマシだったりする。欧米人としては自分達が世界の最先端で他の地域は遅れた人達と思っていた訳で・・・

その反省もあって、難民は積極的に受け入れるべしというのが、コンセンサスになっており、気づけばそれが度を越えて、元々住んでいた人たちを脅かすようになったとき、どうするのか?という問題が露わになります。自分たちの国のアイデンティティに係る問題です。

果たして、自国民が少数派になっても自分たちの国なんだろうか。

 

こっから、また長くなるので読みたい人だけどうぞ。

 

各国で共通しているのは、政治指導者や人道主義者は、難民はお金を稼いだら自分の国に帰ると思っていたという事です。途中から、自分の国に同化し自国民として生活する、納税者になって国に貢献すると説明するに至る(この辺、いまの日本ですね)。でも実際は永住化し子供が増え、かつ母国から家族を呼び寄せるし、出生率も高いので、人口比率がくるってくるという問題に直面します。

そして人種問題という枠を超え、実は重要なのは宗教問題だったと分かってきます。日本の場合、宗教には寛容だからお互いに好きにすれば・・・という人は多いでしょうが、一神教の国ではそうはいかない。おらが神様を侮辱すんのかコラ! となるのは必至です。永住化しても、イスラム教の人達がコーランを捨てる訳もなく、お互いに軋轢も生じます。もっと言えば、恨みを持っている人や、侮辱されたらテロも辞さない人たちもいる。いずれ同化して自国民になると言っていたリベラルな人は、自分勝手な思い込みをしていたに過ぎなかった。

さらに、難民かと思ったら実は経済移民だったり、とにかく人道主義を掲げ押し寄せる人々を受け入れるも、実際問題として移住した先で、そこの文化を尊重し、あたかもその国民になりきるような真似はしないけれど、優遇されたりするので、元々の国民は何故自分たちより優遇されるのか?という問題も起こる。分断の始まりです。

移民業者も熱心にポンコツ船に押し込めて移民を送り出せば、イタリアなどの警備隊が助けてくれる。だから燃料も片道分でOKみたいになり、もっと粗悪な船で・・・となる。確かに移民の人達も大変ではある。

けれど、いざ生活して不満が高まれば、ギャングと化したりで治安もかなり悪化する。(2019年に私はドイツに出張しましたが、ドイツの空港での検査は厳しかった。10年以上前は、そんな感じは一切なかったのに。)

ところが、実態は報じられず・・・政権批判に向かうから・・・でも被害者は出てきて・・・でも隠蔽され・・・

政治家は、受け入れる難民(移民)は高い能力を持つ専門の人とか知識人とか説明するそうな・・・明らかに人数は異常で、実態は欧州では不要な単純労働者が大半という。

性被害(白人への復讐と思えるような、明らかに計画性を持つ集団的なものもある)も増えるが、警察も本気にならず(差別と思われるからか政府からの要請でしょう。アメリカでも似た動きがあります)、反論すると差別はいけませんとメルケルなど指導者に言われ、エリート知識人も後押しする・・・そんな訳で、実態が明らかになるに従って極右政党と言われる政治家が躍進する結果になっている。日本のニュースでは実態は分かりませんね。

この流れを知ると、本当にメディアの言う極右は極右なのか?差別主義者の政党なのか?という疑問が沸きます。単に、このままでは自国の安全やアイデンティティが脅かされると思っているだけなのでは? もちろん、当初は移民反対と大声で叫んでいただろうし、怖い思想の極右と思われてしまうのも無理は無かったかもしれませんが、世界は右傾化しているという決まり文句が出てきて久しい。思想の争いが起こってます。自分の直観で今は左傾化が激しいと思います。

重要なのは、右も左もバランスを欠いたらダメで、難しいけれどバランスを保つことが大切だと思っています。

正直コロナでもそうですが、リベラルという人達の多くは、患者を隔離せよとか、全国民にPCR検査とか、平気で言ってましたからね。理想を高く掲げるあまり、無茶をするのがリベラル思考のいけない部分な気がします。(これに科学技術信仰が加わって、専門家を妄信してしまう。)

難民・移民に戻すと、何が何でも来るなとか、肌の色が違う人は出ていけとか、こんなのが悪いのは当たり前。そんな当たり前の事はもういい、分かっているよと思うのです。今の問題は、そいうい次元の事ではない。大問題なのは善意には違いない移民受け入れが失敗したとき、これに対する答えを我々が持っていないという事でしょう。

移民を強制送還するのか?なんてできっこないし、それこそおかしい。世の中には、逆に戻れない決断が沢山あるのですが、理想に燃えすぎて現実が見えなくなったり、お金に目が眩むと道を間違えてしまうようです。

既にいくつかの都市では白人が過半数割れしており、今後そういう都市が増えていくのは間違いない時代がきており、短期的には混乱するんじゃないかなあと・・・長期でみれば、もしかすると良い結果になるかも・・・しれません。これは誰にも予測がつかないのですが、国境も人種も宗教もなくなるジョンレノンの世界は、現段階では少なくとも現実的ではありませんから・・・とはいえ、このインフレやら戦争やらが起こる不透明感満載の現在の出来事というのが気になります。



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もう先週になりますが、都内に本を買いに行きつつ写真を

撮っていた訳ですが、どっちが主か分からないと・・・

丸善に行って、国分巧一朗著の「スピノザ」と、マレー・ダクラス著の

「大衆の狂気」が目に入り、次に読もうと思っていたのを先延ばしにして、2冊買いました。

有名なオルテガの大衆の反逆と名前が似ているのもありますね。

本との出会いです。買って帰れってオーラが出てました。

こういう感性を無視する事はしないようにしています。

 

自分の直感として、今後の世の中の流れ、それも悪い方向への流れを

この権利の強すぎる主張に感じています。

反差別という名の差別が横行し、ちょっとした差別的発言を批判され、

謝罪に追い込まれる人が続出しそうな世の中。さらに、各マイノリティーが、

個別に主張を強く訴えていけばいくほど、分断がひどくなり、

収集がつかなくなる事になるのでは?という事。一枚岩ではないのです。

世の中そんな単純ではないし、差別が無くなるのは理想だけれども、

違いを認めないような話には無理があります。

 

それが欧米では議論も少ないまま進み、日本も飲み込まれつつあります。

普通の人の理解だと、LGBTQとかの少数者に理解を示す事は、未来に対して

ある種の希望を抱ける事だと思います。

これからの世界はそうでなくちゃみたいな軽い感じ。

マイノリティーの人達を差別しないのは当たり前なのですが、

このまま行くと意図しない方向に向かって猛進していきます。

読んだ後、たぶんもう引き返せないと思いましたが・・・

個人的に思うのは、権利がどうのこうのより、差別されない社会の方が

大切で、みんなが普通に暮らせればそれでOKなのでは?という事。

 

この本を、特に宗教保守派の人が書いただけなら、たぶん差別主義者の

レッテルを貼られて非難され、業界から追放みたいな事になるでしょう。

ところが、著者自信がゲイであり、今まで自分が戦った差別や偏見と、

いま世の中で注目のLGBT運動について勇気ある問題提起をした本で、

ベストセラーになっている(日本ではマイナーかも)。

とにかく、時代の先を見据えた凄い本だなと思いました。

 

 

 

 

ここから先は長いので、読みたい人だけ。

 

 

 

 

差別主義者と言われておしまいと、さっき書きましたが、現状では

LGBT運動や彼らの存在を批判する気はなくとも、揚げ足取り的な告発によ

り、謝罪に追い込まれたりするのが今の欧米にみられる傾向だそうです。

謝罪に失敗すれば抹消されます。

 

空気に支配されるのは日本だけでなく、海外でもややこしい問題では、

かなり空気に支配されてるようです。逆に商売や選挙運動にも利用もします。

とにかく、今はマイノリティーが正義という空気が圧倒的に支配しています。

日本はもっとどーでもいい事まで空気に支配されますが。

 

この本では、その運動の陰に隠れる矛盾や欺瞞を、ゲイの立場から

観察して書いてある訳ですが、でも良く考えるとおかしな要求だったり、

イメージ戦略で流れに乗るだけだったり、何でも差別問題に絡め、

凄い昔の話を蒸し返し謝罪要求したり、ちゃんと正しい議論をせず、

糾弾するのが目的と化しているようです。どうも、目的を一つ達成しても、

さらに次の目的、さらに次の・・・と、運動自体が目的になっている。

 

人種の問題でも、あのアメリカで、キング牧師が夢見ていたはずの、

肌の色で差別される事のない世の中が、欧米などはかなり進んだところまで

来ていると著者は言います(内面はまだ差別は無くならないでしょうが)。

しかし、現在は今まで差別されてた人達が、逆の意味で肌の色や性的区別

などを重視する世の中に戻している事に驚き、嘆いています。

 

寛容にみえて、滅茶苦茶不寛容な運動が展開され、それを大衆は良かれと思い、

深く考えもせず、一緒になって批判しまくる結果になり果てている。

寛容な社会を求めているはずの人達が、権利を主張しまくる余り不寛容になる。

無差別や平等、自由を求めているのに、排他的だったりと何かがおかしい。

 

環境保護を訴えて、なぜか芸術作品を汚すのもそうですが、

原理主義になって不寛容になると怖いのです。とにかく意見が合わないと

見るや、相手を排除する方向に簡単に向かってしまう。協調も何もない。

 

さらに、一番難しいのはトランスジェンダーで、自分の心と体の性別の不一致に悩む

人達という新しい概念ですが、彼らにに対するケアが十分でない一方で

金が目的ともとれる治療や性転換手術への勧誘のような活動が特に米で凄くて、

警鐘をならしています。ただ、これも批判すると差別者扱いになる。

今までの世の中で定義されていない物事を定義する事によって、

新たな問題ができてしまう。(コロナもそんなもんでしょう)

 

世界は単純にならないのでしょうかね。どんどん複雑になっていく。

ある意味、ちょっと絶望感すら感じる。きっとこの動きに反対する人達が

出てくるでしょうが、トランプ的な力で反対するみたいな感じになりそうで、

そうなるとお互いに恨みあうしかないという・・・袋小路のようです。

 

とにかく、感情的にならない事でしょうね。知性と理性で考えて、

感情を脇において思考停止しないようにする事くらいしか思い浮かびません。



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おもむろに、カントの小論、啓蒙とは何かを読みました。
凄く短いので、あっという間に読める。
純粋理性批判のように、難解じゃない。

けれど、その最初の最初から、
現代人の多くに、ぐさりとくる言葉で始まる・・・

啓蒙とは、自らまねいた未成年の状態から抜け出る事・・・
その状態とは、他人の支持が無ければ自分で理性を使う事ができない。

という事だという。

そんな啓蒙を促す標語としては、
知る勇気を持て、
すなわち、自分の理性を使う勇気を持て、という事である・・・

今の日本人、殆どその勇気がないように思えます。



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ディストピア小説で有名な1984の同じ著者ジョージ・オーウェルの作品。
これも同じく全体主義社会を描いていますが、
農場の動物達が人間に反乱を起こし、
豚がリーダーになって成功させるも、
やがて豚が動物達を支配するという救いようのない御伽噺のような本。
ピンクフロイドのアニマルズはこの本から着想をえている。

この中で、賢い豚は、ライバルを追い払い、
他の家畜を重労働でこき使い、
最初に決めたスローガンをちょこちょこ書き換えたり消したり、
疑問を唱える他の動物達は嘘で丸め込んだり、処分する。
丸め込まれる動物達は、物事を深く考える事が出来ないとくる。

今の日本でも、
マスクは感染予防になるとか言ってみたり、パンツと言ってみたり、
文化とすら言ってみたり、
都合に合わせて、ワクチンは感染対策と言ってみたり、
重症化予防と言ってみたり、
飲食店が諸悪の根源と言ってみたり、
無症状感染者を犯罪者の如く扱ったり・・・
マスク警察になったり、
そしてマスクを手放せない人が大勢いたり・・・

そんな政治家、専門家、マスごみ、豚と一緒です。
マスク警察は犬、何も考えず儒淳なのは羊。

ついでに、統一教会との関係でも同じ事が言える。
政治家などズブズブなのに、シラを切るばかり。

物語に出てくる、人間から動物達を開放した豚どもは、
最後は人間と飲み食いして贅沢三昧暮らしていくのですけどね。


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