完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

目指すべき「先輩」     ~タモリと巨泉~

2015年10月27日 | 
私は初老男である。


今日は変に暖かい。


南風が強く吹いているからだろう。


月はキレイな「満月」だった。


その中で、買いタテの真冬用の上下のジャケットを着てウォーキングをしてきたのだ。



ほとんどクラクラしてしまった。


そして・・・。ついついエールビールと、スタウトビールを飲ってしまってこのブログをUpしている。


困ったことに「しあわせ」である。



大橋巨泉氏が、何度目かの「がん再発」したらしい。


彼はたしか、私の父親と同じくらいの年のはずだ。(調べてみると81歳だった)


先日彼の本を読んだのだが、とても面白かった。


故にさらに彼の執筆した以前の本が読みたくなったのだ。



先日読んだ本の中で、大橋巨泉と言う人の生き方に「激しく共感」した。


それは、その歳でありながら「確固たる人生観」を持っていたからだ。



残念ながら、今の80代の人たちには「確固たる」どころか「ぼんやりとした人生観」さえ感じさせてくれる人を私は知らない。


50代も半ばにかかり、人間を「見た目」で判断できる目ができてきた。


その目で見ても、ほとんどの80代がそうである。


うちの親父などがその代表である。


最近、話をすればするほど自分の父親が「薄っぺらな人間」であることが分かってきて悲しい限りだ。



大橋巨泉と言う人の「凄さ」は「戦中派」でありながら、精神性でなく論理性で生きる方向を変えてきたことだ。


どうやら、彼の父親と言う人がそうした「論理性」と「合理性」を持った人だったらしい。


彼の世代で「英語を学びたい」と言う方向に意識が行くのは、並大抵の覚悟ではないはずだが、人にどんなことを言われてもそれをやり通したことが、今の彼の状況につながっている。


つづく。
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初老男、歳を実感する。      ~桂米朝逝去に思う~

2015年03月21日 | 
私は初老男である。


自分の歳を実感することは、歳を取れば取るほどその機会が増える。


大きな声でいうことではない。


当たり前のことだ。


特に「人の死」は、自分が生きてきた時間と残りの時間を実感させる。


リリーフランキーの「東京タワー」の中に、主人公のおばさんが「男は母親を送って初めて一人前だからね」と言うセリフがある。(ちょっと違った?)


名言である。


しかし、母親でなくても「人の死」は充分人間を大人にする。



            
          「桂米朝」


が亡くなった。



過去のこの人のことを記したのは2009年で、彼が文化勲章を授与されたときだ。


その時でも、たしか彼は高座には上がっていなかったと思う。


そうした意味でも、彼の落語を聞いたことがある人は減っているだろう。


まあ、私とて彼の落語を直接聞いたことがあるわけではないが・・・。


しかし、少しは落語ファンであろうとしている人間として、彼の落語・本・ひととなりに触れてきたつもりだ。


そして改めて思う。


桂米朝と同じ時代を過ごせて幸せだ、と。



何事にも、興味を持ちはじめたときに「根」となるものがある。


落語を興味をもって聞き始めたのは20代のはじめだったが、まずは江戸落語で「圓生」「志ん生」「圓楽」などの名人たち。


そして、上方落語。


落語よりも先に様々な活躍をしていたのが「桂三枝(現文枝)」「笑福亭仁鶴」であり、知ってはいたが、本格的に聞いたのは



           「桂枝雀」


いまだに、落語を聞くときはこの人の物が一番多い。


その枝雀の師匠が誰あろう米朝なのである。



桂枝雀は「時を感じさせない」落語家である。


彼が演じる人たちは、現実に隣にいる存在感がある。


逆に、米朝は「時を感じさせる」落語家だろう。


まるでタイムスリップしたかのように、昔の大坂の問屋の中に引き込まれる感覚。


番頭や丁稚に向かって「しっかりしな、あかんで」っていうセリフが、これほど似合う落語家はもう出てこないだろう。


そう、上方落語を聞くときは、この人が私の「根」になっているである。


高度な情報化社会になって・・・、そんなセリフさえ陳腐になった今の時代だ。


その中で「自分を見失わない」でいることは容易いことではない。


米朝の落語を聴くことには、そのことの効力がある。


これからも、私は米朝を聴きつづけるだろう。


ただ、本人が鬼籍に入ってしまったことで「。」を打たれたような突き放された気分になる。



これこそが、ある意味での「大人」になることだと感じるのだ。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「同じ時間を過ごせてしあわせだ」という人を見つけますように。



        May



芸の伝承と言う意味において、落語家たちはほとんど形を受け継ぐのではなく「精神性」を受け継ぐモノなのだろう。米朝の弟子たちは、少しも彼の形を受け継いでいないように見える。









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頭の中を「リフレイン」している・・・。      ~「横浜いれぶん」って知ってる?~

2014年07月08日 | 
私は初老男である。


・・・ブログにUpしたいことがいっぱいあるのに気力と時間がない。


と言いながら、大した内容でないことをUpすることにする。




頭の中に、ある曲が「リフレイン」することがないでしょうか?


わたしにはある。




それも、古い古いアイドルの曲だ。



        「横浜いれぶん」 木之内みどり


                         である。


・・・・・・・・。



      「横浜いれぶん 横浜いれぶん あんたのキズを癒すのは~」


      「横浜いれぶん 横浜いれぶん あんたのキズを癒すのは~」



鼻にかかった拙い歌声が、何度も何度も頭の中をリフレインしている。(あ、何度も繰り返すからリフレインか・・・)



私が愛聴・出演経験を持つラジオ番組「あの頃青春グラフティー」で、最近聴いたのがその原因だろうか?



それも、車のシートに横になってウツラウツラしながら聴いたのが悪かったのか・・・。


全曲で4分ほどしかない曲なのに、グルグルぐるぐる頭の中を回っている。


朦朧とした意識の中で聴いた「横浜いれぶん」・・・。



どうしても、しっかりと聞きたい!








そして、最終手段。


「Youtube」の出番である。



「木之内みどり」でサーチすると・・・・。



あるわあるわ「ドラマ」に「オリジナル」「カバー」と木之内みどりのオンパレード!(表現がふるい?)





我々世代の初老男にとっては、この時期の「テレビアイドル」は本当にまぶしい。


1973年…浅田美代子、桜田淳子、山口百恵、キャンディーズ
1974年…浅野ゆう子、林寛子、伊藤咲子、太田裕美、松本ちえこ、相本久美子、早乙女愛、リンリン・ランラン
1975年…片平なぎさ、岡田奈々、岩崎宏美、ザ・リリーズ


木之内みどりは1974年組である。


私のようなヒネクレ者は、彼女以外の「王道のアイドル」に思い入れは薄い。


中でも信じられない「去り際」を演じた彼女は、ボクサー「大場政夫」を髣髴とさせる。(って、50歳以下の人にはまったく分からないでしょうなぁ。興味があったら調べてみてね。)



「横浜いれぶん」が発売されたのは、1978年2月25日。


その7か月後に、彼女は忽然と私等の前から消え二度と姿を見せなかった。


その頃私は17歳。ニキビ面の高校生だった。


一瞬のフラッシュバックで、ショーケンに向かって「おにいちゃん!」とふくれっ面をしている彼女が浮かぶ。



・・・・いい時代である。


それもYoutubeで確認できた。


「前略おふくろ様 Ⅱ 第六回」

「前略おふくろさまⅡ 第八回」

「前略おふくろ様 Ⅱ 第十六回」


・・・この3連発は、初老男KO必至である。


伝説のドラマの中で、彼女のこの演技を超えることのできる女優は存在しない。


ちょっとしたシュチエーションの違いで、彼女はトンデモナイ大女優になったのではないかと思う。


しかし、かたくなに「事件」以降人前に出ない彼女が残してくれた映像は、初老男にとって「diamond」以上に輝きを放って色褪せない。



今も「凛とした女性」のままだろうなぁ。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、心の中に輝き続ける「diamond」を見つめますように。


         
               May



「どうせ私はペチャパイですよ…。趣味なんでしょ!」

「わぁ~~、すごいんだ!おにいちゃん…闇夜の鉄砲数うちゃ当たるんだぁ!」

「どうして耳噛むのぉ?」



「あんたの傷を癒すには、海鳴りよりもどしゃ降りがいい……わたしは気のない生返事……今夜はどこでもついてくつもり」












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桂米朝という落語家    ~文化勲章受賞~

2009年10月28日 | 
私は中年である。

前回Upしたダイエットアイテムの「カラダトレーナー」

そのものの機能や効力は満足しているのであるが、ちょっと調べてみてビックりした。

近所のドラックストアーでそれ自体は購入したのであるが、その時の値段が5980円の約20%offの4980円。インターネット販売では・・・・・1500円。

前々から家電品などは店頭でそのものを確認してネットで買うようにいわれていたのであるが、今回は魔がさしたというべきか・・・・。

まあ、金は天下の回り物である。損をしたようでも、回りまわって私のところに戻ってくるだろう・・・。


さて、桂米朝といえば関西落語・・・と呼んではいけないな。「上方落語の重鎮」だが、このほど文化勲章を受賞した。

この文化勲章というのは、文化に貢献したというのはもちろんだが、かなりの高齢(80歳以上くらいではないかな)でありながら、更に「現役」の人でないと受賞できない。(らしい・・・)

数日前の新聞の社説で「米朝と同じ時間を過ごせてしあわせだ」と言った文化人が居たという。

私はついぞそこまで彼のこと「偉い落語家」と思ったことはなかった。

私の知っている米朝は、その容姿と低く抑えられた口調から、大阪の上品なおじいちゃんって感じで見ていた。

そして、若い頃の聞いた彼の落語は面白いとは思えなかった。


私も歳を取り、ホンキで落語を聴くようになってまず、ハマったのが「桂枝雀」だった。

この人は本当に落語における「笑い」を突き詰めた人だと私は思っている。この人の落語を聞いてからは、江戸落語にしばらく興味をもてなかった。

ゆえに私のコレクションの中でも枝雀のCD・DVDが一番多い。

そして、その枝雀の師匠が米朝なのである。

その枝雀の訃報を聞いたのは本当に突然だった。

笑いを突き詰めるとそこにあるのは「頭の良い人」である。

現在のお笑いブームにおいてもこの構図は生きている。

お笑いブームの中心に居る人は間違いなく「頭の良い人」だ。(まあ、たまに例外は居るけど)


「頭が良い人」というのは、困ったことに往々にして物事を突き詰めて考えてしまう分、精神を病むことがある。

枝雀はそのタイプだった。


米朝が現役でいることの一つの理由に、あとを任せるべく育てた枝雀を失ったことがあるのではないだろうか・・・。そんな話を聞いたことがある。

まあ、現役と言っても高座に上がることはない。一線を退いたのも確かなのだろう。

一線を退く間際に見たドキュメンタリーで、米朝の素顔が垣間見えた。

普段の米朝は好々爺そのものだったが、芸に関しては「鬼」そのものだった。

雑談においては好々爺であるがこと話が「芸」に及ぶと、別人となりレポーターに食ってかかることもしばしば。

聞いている客には全く分からない「百年目」のミスを、自分自身が許せず、理由を説明もせず弁当を頬張り「弟子に聞いとくなはれ!」とレポーターを突き放す。

そこにまさに消え行きそうだった上方落語を立て直した「芸の鬼」の姿を見た気がする。


今、米朝の上方古典落語を聞くと、その時だけタイムスリップして「大坂の商いのその場」に居るような錯覚を覚える。「お客さん、なに差し上げまひょ」って声かけられそうな・・・。

これほど時を超越させてくれる「芸人」は居ない。いつまでも元気でご活躍されますように願って止まない。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。米朝はやはり「同じ時間を過ごせて良かった」といえる人である。


                              may

その弟子だった枝雀は全く逆に「時代を感じさせない落語家」だった。まさに笑いを追及した結果だろう。それを育てた米朝の「深さ」にも感嘆。


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逝ってしまった二人の男優Up    ~ポール・ニューマンと緒形拳~

2008年10月10日 | 
私は中年である。

・・・私の家から1kmくらい先の河川敷の林に・・・熊が出た。

夜のウォーキングも怖くて出来ない。

これから夜は歩いて出かけることが出来ない。

熊って冬眠するから絶滅することはまずありえない。

これからなんて、熊が里に下りてくることが多くなっても少なくなることは無いんだろうな。


「緒形拳」が逝ってしまった。

見事に「役者道」を極めた人生だった。

この人の映画は「復讐するは我にあり」「鬼畜」の2本でとどめを刺すだろう。

・・・ていうより、彼の映画はその頃にしか見ていない。

しかし、それで充分この人を理解できた。

後の彼の演技は、この2本の映画での「狂気性」の「凡庸性」に裏付けられている。


「ポール・ニューマン」の偉大さは、私などが語る必要は無い。

ただ、私の知っているポール・ニューマンは「ハスラー」(決して2でなく1の方)での演技がすべてだ。

すでに「古典的映画」(なんたってモノクロだかんね)であるが、その若々しい風貌と
演技は、感動的である。

その演技を見ると、彼のその後が成功したかどうかなどあまり意味が無い。

自分が若い頃の名優たちが次々に亡くなっていく・・・。

歳を取ると言うことは「素晴らしい」物をたくさん知る事でもある。(まあ、
一生懸命に自分で吸収するつもりがないと「知る」ことは出来ないけどね)

そして「素晴らしいもの」を知れば知るほど「素晴らしくないもの」が多いことにも
気がつかされる。

だから、どうしても「昔は良かった」なんてセリフが多くなってしまうんだろう。

モノクロームの映画を見ていたのが普通だったときからカラー映画を見たときの
衝撃。

ステレオ放送を聞いたときの驚き。

そんな技術の進歩に接するたびに逆に古い技術の中での出来事が強く印象に残っていることに
気がつくのだ。

緒形拳とポール・ニューマンもそうなのかもしれない。

人間は歳をとる。

そして、その時代背景の中で自分自身の存在理由を示すかのごとく生きていく。

俳優という職業の彼らの存在理由は「演技を見せる」ということだった。

自身の「年齢」における演技を充分に見せ付けて彼らは逝ってしまった。


私たちの存在理由の中にそうした役者たちの演技を「見る」て、心に焼き付けること。

同じ時代を生きることが出来たことを深く感謝しよう。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながいろんな「素晴らしいもの」を心にきざみつけますように。

                          may

峰岸徹もなくなったってね・・・。寂しい限りだ。






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小さな訃報記事Up   ~ジェイムズ・クラムリー逝去~

2008年09月21日 | 
私は中年である。

本当に「稲作農家泣かせ」の秋の空である。

九州地方から中部地方へと「豪雨」をもたらした台風は、日本一の米どころの
我が地域には、ほとんど何の影響も与えずに太平洋に抜けていった。

「コシヒカリ」という品種の米は、とても栽培しにくい米である。

草丈は長いし、病気にも弱い。

特にこの時期の天候で最後の仕上げの部分を大きく変えられてしまう。

昨日の土曜日は「台風一過」の置き土産でひどく暑かった。

そのときに「稲刈り」をしてしまえればよかったのだが、一手違いで刈り取れ無かった。


近頃の米は、とにかく「品質」を問われる。

少し前ならブランドで売れた米も「食味」を強く言われる。

そのため、今はその刈入れの期間を厳しく読まねばならない。

しかし、それはこの台風の来る女心のように変わりやすい天候を相手にせねば
ならぬのだ。

天気さえ良ければ、二日を見ればおわる作業に「眠れぬ夜」をいくつも過ごさねば
ならない・・・。

こうした「生みの苦しみ」に、このごろ辟易している中年である。


さて、今日の新聞の三面記事のスミッコに訃報が出ていた。

アメリカの作家

          ジェイムズ・クラムリー

                       が亡くなったという。

享年68歳・・・。

実際、このひとの歳がいくつだったかはこの死亡記事ではじめて知った。


単純の私の感想だが「アメリカ文学」と言うのは、当然のことながら
日本のそれとはずいぶん違っている。

状況描写が多くて、心理描写も直接的な表現が多い。

日本文学における「行間を読む」と言う行為ができない。

その分本の「雰囲気」と酔えるととても心地よい。

あまり考える必要が無く、頭を空っぽにして読めるからだ。


そうした中でもアメリカ作家は「韻を踏む」とか、好きな作家に対する「リスペクト」や
「オマージュ」を書いたりする。

実はクラムリーの本は2冊しか持っていないし、読んだ本は「さらば甘きくちづけ」だけだ。

この本はチャンドラーの「長いお別れ」のオマージュ的小説だ。

結局「文学」というのも「文化」なわけで、書いた人の国の生活が身についている人間で
なければ理解できないことが多分にある。

そうした意味では、その本の深い部分は他国の人間には分からないような気がする。

しかし、チャンドラーの「長いお別れ」もクラムリーの「さらば甘きくちづけ」も
雰囲気に充分酔える。

是非二冊とも読んでみて欲しい。


もう一冊読んでいない「酔いどれの誇り」 読まねばならないな・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが、本を読むことが楽しいことに気が付きますように。

                          may

「ファイヤーボールロバーツも彼女とともに死んだ・・・」






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名脇役の死    ~深浦加奈子 逝去によせて~

2008年08月28日 | 
私は中年である。

中年になって思うことは「先のことより、昔のこと」に感慨深くなることが多いって
ことだ。

自分の感性において「時代に乗り遅れる」ことには、あまり恐怖心を覚えない。

乗り遅れても困らないからこそ「中年」なのだろう。

しかし、それは感性を「鈍らせる」ことではない。


感性を鋭く持っていながら、昔の感慨に浸る。・・・わかんねぇだろうな。


さて、その感慨に浸るような訃報がまた聞こえてきた。


「深浦加奈子」といってピンとくる人がどれくらいいるだろうか?

非常にはっきりとした容貌を持った「名脇役」だった。


Wikipediaで調べてもらうと分かるのだが、本当に数多いドラマに出演して
いて、顔を見れば誰でも「ああ!あの人」って分かるはずだ。


この人のすごいところは「シリアス」「コメディ」の使い分けが、絶妙にうまいところだ。

「ナースのお仕事」という観月ありさの主演した病院を舞台にしたドラマでの深浦の
演技は秀逸だった。

婦長である彼女が、仕事場で倒れてその職場である病院に入院するというエピソードが
あった(気がする・・・定かではない)

いつもは朝倉(観月)に意地悪ばかりしていて、どの位仕事ができるのか一切わからないのだが、
その回での婦長は患者のナースコールに的確に熱を下げる方法を伝授する。

そのときの婦長(深浦)の顔は、まさに「素」の彼女の「演技」にかける熱意そのままの
顔つきになっている。


それを見た後に強烈に彼女のすごさをさらに感じたのは、NHKの朝の連続テレビ小説で
主人公の恋人を奪い取るという役のときだ。(田畑智子の主人公のときだった。なんて
ドラマだったか忘れた)

とんでもない「悪女」役なのだが、その結果に単純に喜べず苦悩する姿を見事に演じている。


人間は残念なことに誰もが皆「一番」になれるわけではない。しかし、2番目以下の
人がいるからこそ一番が輝くのである。

そして、その2番目以降がすばらしいければ、なお一番の輝きが一層増すのだ。

人間の業における「凄み」は、一番でも2番以降でも変わりが無い。


深浦を見ているとその「凄み」を放ち続け、燃え尽きたように思えて仕方が無い。

彼女がいないドラマ界は、かなりスパイスが効かなくなるような気がするなぁ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが自分の「凄み」を自覚しますように。

                          
                               may

彼女は昭和35年4月生まれ・・・。私と同じ学年じゃないか・・・。
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「女優」の質Up      ~沢尻と竹内~

2007年10月06日 | 
私は中年である。

くすぶり続けている「大相撲」の相撲協会だが、前回のUpでも取り上げた
「巨人」の人気凋落(正確にはそうではないのかも知れないが・・・)と
似ている部分がある。

本人達は「なぜ凋落したか?」と言う理由を、甘く甘く考えている。

そして、それがある「極み」まで達した時にきっかけとなる事件が起き
右往左往してしまう・・・。

まあ、人間誰しもそうなのだろうけれど「組織」として、権威ある大きな団体
程、そうしたドタバタがヒドイ気がする。

先回も書いたが、プロ野球の今年のチャンピオンが決まったあとに、この
大相撲問題とからめてUpしようと思う。お楽しみに。


さて、ずいぶん有名になった「エリカさま」について・・・ではなく、
同じ事務所の「竹内結子」についてUpしたい。


先日のワイドショーで彼女が出演する映画「ミッドナイトイーグル」の
アメリカプレミアでのスピーチが放送されていた。

その様子をどう見るかは人それぞれだろうが、私にとっては「ああ、この人は
本当に『女優』なんだなぁ」と確認した。


現在の芸能界において「女優」は、本当にむずかしい職業だろう。

次々に新人達がデビューして自分の地位を脅かされる中で自分自身の
「年齢」とも闘わなくてはいけない。

業界関係者との「甘い罠」をかわし、マスコミの「追及」をごまかして
生き残っていく。

そんな女優は一握りしかいない。

選び方がミーハーであるが、現在の若手女優たちを揚げるて見ると

「沢尻エリカ」「堀北真希」「長沢まさみ」「綾瀬はるか」「上野樹里」

こんなところだろうか?

この世代の女優達は「イキのよさ」だけで充分使い道がある。

この若手の少し上に位置する20代後半から30代後半までの期間が、
女優にとって非常にむずかしい「季節」と言える。

本当に「演技力」が無ければいけないのは当然だし「花」がなければ
主演女優にはなれない。

その数少ない中堅女優も、若手の「突き上げ」とベテランの「圧力」の
間で苦労しているのが見ていても分かる。

それを乗り越えた人たちが、大御所的な存在になっていく。

「米倉涼子」「松嶋奈々子」

あたりの苦しみ方は、みていて痛々しく見えるのは私だけだろうか?


そうした中で竹内結子の英語のスピーチは「演技」としてのそれに見える。

本当にアメリカ人にウケるスピーチは「言葉」でなく「表情」や「身振り
手振り」の部分なのだ。

どうしても、言葉としての部分ばかりを練習して正確に喋ろうとする俳優を
良く見る。

彼女は、まず人に伝えることを「演技」としてその場に居た気がしてならない。

そうした意味では、彼女は女優となってから「素」を我々に見せたことは
ないのだろう。

その姿に腹の据わった「プロ意識」を見た。

今回は、素人以下の事務所の「後輩」の女王様が隣にいた時のイメージのまま
時を置かずして、このスピーチを聞いたので尚一層その感が強くなった。

散々問題になった「エリカ様」ついてだが、一言。

         「バ~カ」

                   それ以外にコメントはありません。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「女優の旬」が長くないことを知り、その時を見逃し
ませんように。

                                may

・・・しかし、そんな彼女が中村獅童なんていう男と結婚・離婚してしまう
のは、素は意外に「カワイイ」女なのかもしれないなぁ・・・。



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中年の自覚を呼ぶもの  ~鬼籍に入った芸能人~

2006年09月29日 | 
私は中年である。
すっかり、田んぼに稲が無くなった。
「ワクワク」するようで「うんざり」する。

不安で不安で仕方が無いくせに気分が高揚して
仕方が無い。そんな、初秋がおわり中秋に
なろうとしている今日この頃だ。

そんな中で人生でも「秋」を迎えようとしている
「中年」である。

さて、私たちにとっては非常に「懐かしい」存在、丹波哲郎が
逝去した。「ボス」という呼び名が一番似合っていた男優は彼だろう。
(私らより数年年嵩の人たちにとっては「石原裕次郎」だろうけれど
 ・・・けど、裕次郎より丹波さんの方が年上か?)

土曜の夜は、まず「まんが日本昔話」そして「巨泉のお笑い頭の体操」
(もしくはクイズダービー)お待ちかね「8時だよ全員集合!」を見て、
トリは「キイハンター」(もしくはGメン75)だったねぇ・・・。

本当のところ、時空のズレがあるかも知れませんが「中年」の皆さんは
分かりますよね。その雰囲気・・・。
まだ、世間のみんなが同じテレビ番組で話を共有できた時代の話。

僕らにとっての「ボス」丹波哲郎に合掌。

最近、歳をとった芸能人が逝ってしまうことが多くなった。
(まあ、当然といえば当然なのだが・・・)
そうしたことを、若いときはたいしたこととは思わなかった。

こうして肉親以外では「一番身近な存在」の芸能人たちを
送ることで、自分の「歳や死」について意識するようになっていく。

「中年」になるって、こういうことの積み重ねなんだってこの頃思う。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

丹波哲郎はスピード違反で捕まりそうになったとき、窓を半分開けて
「Gメンだ!」と言ってその場を逃れたことがあるそうだ。

                        may










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久しぶりに、腹が立った  ~子猫殺しの顛末~

2006年09月23日 | 
私は中年である。
冷ややかな、秋の風がいつも以上に私を
「メランコリック」にする。
少女の物思いに耽る姿は絵になるが、
中年のオジさんの物思いは、借金の返済に悩んでいるようにしか
見えないから、考え込むのはやめようと思っている「中年」である。

さて、こんなブログを続けている「中年」おじさんは、やはり
どこかに「物書き」になりたい願望があった。

「小説家」という響きに「憧れ」を持ち続けて、この歳まで来た。

現実に私の弟の同級生が、高校の美術の教師をしながら、
小説家になった。(このことは、そのうちにUpします)

しかし、どんな仕事も「理想と現実」があるわけで、よい事ばかりの
職業などありはしない。

ただ、中年のおじさんにしては「大それた夢」ではあるが、
1冊でよい。本が出してみたいと思っている。(おそらくは無理だろう)


そんなことで様々考えてみたが「物書きになること」は、結局
自分の「恥部を晒す」ことなのだ、と考えるようになった。

現実、いやらしい読書家の私は、小説におけるSEXシーンは、
作家の現体験だと思って読むし、おそらくそれは間違いあるまい。

そのことを踏まえて、世間を騒がせた「子猫殺し事件」のことを
Upしようとおもう。この事件のことを知っている人も多いと思う。

知らない人は「坂東眞砂子」で検索してみて欲しい。
そして最後は、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060922-00000058-mai-soci

にアクセスして欲しい。

つまりは、作家と呼ばれる人(それもかなり有名な賞を取った人)が
自分の「本当の恥部」を本に載せてしまったことが、思わぬ騒動を
巻き起こしたというところだろう。

私はペットを飼ったことは無い。それは、自分のことさえチャンとできない
自分がどういう生き物であれ「自分以外の命」に責任を持てる自信が無いからだ。

様々な理由と事情でペットを飼っている人に「意見」をする気は、
さらさら無いが「坂東眞砂子」にだけは言ってやりたい。

「御託を並べて子猫を殺した言い訳をするな!」

偉そうに言うが「子猫」も「ねずみ」も「プランクトン」も「雑草」も
命の重さに差は無い。

だから、ハエを追うときも蚊を叩くときも、田んぼの畦の草刈を
するときも一生懸命心の中で謝らなければならない。

私もついついその「心」を忘れることがある。だからこそ
言い訳をし続ける「坂東眞砂子」が許せないのだ。

どんな言い訳をしても「子猫を殺した」という事実は変わらなく存在
している。(それさえも嘘だったというなら、ただのにぎやかしか?
それも許せんけど・・・)

これだけは言える。ペットの命に責任を取れない奴にペットを飼う
資格は無い。

猫を飼えば新しい命が生まれることは分かっていた筈だ。
その新しい命に責任がもてないなら、その命が生まれない様にするか、
新しい命を生み出す動物を飼わないかのどちらかしか無い。

様々な言い訳をして、矛先を変えよう変えようとする姿はあまりにも
見苦しい。

いっそ「これが私のホラー小説の源だ!」と言い切るほうがまだ
納得できるって言うものだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

酩酊気味だったので、少々過激だったろうか?
                        may

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