完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

なんか私は分からなくなってきてます。    ~総選挙を前に思う~

2017年10月21日 | 時事ネタ




私は初老男である。




選挙である。





もう、何がなんだか分からなくなってきた。






政治における手法としては




「決められる政治」




が良いのか、




時間がかかっても






「旧態然とした政治」






が良いのか・・・。







安倍政治というは、政治家・官邸の権限が強く「決められる政治」の最たるものだっただろう。








故に解散前に官僚・役人の反撃にあって「モリカケ」問題が発覚した。








独裁政治ギリギリの今の安倍政権は、ブレーキが利かないからちょっとした間違いを訂正できずに、取り返しのつかない自体に突っ込んでいく気がしてならない。








自民党は安倍一強のもとで党内パワーバランスが崩れ、保守本流としての「党内浄化」がなされず、今に至っている。






僅かに声を上げたのが、次の総理を狙う石破元防衛大臣というところか。








官僚がいれば、政治家が大したことなくても「ことなかれ」で進む政治・行政がいいとは思えない。








しかし、一強体制でことが危うくなっていくのも困る。






この歳になって思う。







つくづく、先のことはわからない。





今の体制のまま、進んでいくことが正解であるかなんてわかるわけはないのだ。







ただ、誰しろ望んでいなかったはずの「戦争」とかに、いつのままにか進んでいく可能性があるなら、なるべく排除していくべきだろう。








それには今の体制を変えるしかないと、私個人は感じている。








派閥のあった自民党の時は、派閥が国民の意識を代弁している部分があって、右にも左にも振れ過ぎないようにしていた気がするのだ。








どなたかのブログで言っていた。









今の小選挙区比例代表並立制は、国民の意識を反映していな「憲法違反」なのだと。







まったくその通りである。





この制度は、死に票が多すぎるのだ。





しかし、この制度で圧倒的に有利な自民党が、この制度を変えるわけがないのである。







やっぱり、このままあぶない方向に政治・行政が向かっていくように思えてならない・・・・。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、歴史における
「正解」など無いことに気が付きますように。








               May







なんだかんだで、やっぱり自民党が勝つんだろうね。しかも安倍さん、自民公明両党で過半数さえ取れれば(つまり、自民党が大敗してもってこと)総理首班指名に立って勝つつもりなんだよね。
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来るべきものがやって来た・・・。     ~探し物は出てきたけれど~

2017年10月16日 | いま興味のあること



私は初老男である。







ふと忘れものに気が付いた。








小さなものでは無い。









薄手のバックが見当たらない。










中にはタブレットと本が一冊。








一週間ほど前に手にしたのは思い出したのだが。。。。








気が付いて探すが。








あるであろう処は「3か所」しかない。











自宅で2か所。









どちらにも無い。









車の中というのがあるが。






勿論一番最初に調べた。







無い。








そして、書斎。








無し。







衣装部屋。







無い。








こうなると。。。、







ありそうなのは、仕事場しかない。









しかし、気が付いたのは土曜日の朝である。









仕事場へは月曜までいけない。








悶々とした2日間を過ごした。









そして、今日出勤してみると。









果たして、あるであろうところにバックは無かった。








すでに覚悟はできていたが、やはりショックだ。











と思って、ロッカーに貴重品を置くために扉を開くと。









果たしてそこにバックはあった。









若い時には、こうした時に






           「あったー!」



                     となったのだが。







今はその安堵感よりも「喪失感」の方が大きい。








当然、全く無意識にそこにバッグを置いたのは私自身だ。






たぶん、認知症になるとこれくらいに無意識であれば「誰かがやった」と疑うようになるのだろう。






そして「家族の誰かがやった!」と言い出す。








こんなことは、数年前には考えもしなかった。








探し物は見つかったけれど、ついでに自分の衰えの「種」も見つけてしまった。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、探し物他に何かを一緒に大事なものを見つけますように。






           May





ヒタヒタと迫ってくる「老い」が怖い。










          






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寒い一日      ~秋の日曜日~

2017年10月15日 | Weblog



私は初老男である。




急に寒くなった。




人間というのは、寒くなると動かなくなる。







それでも、やらねばならないことはそれなりにある。







町を車で走っていると、ひどく耳障りな人の「ガナリ声」が聞こえてきた。








来週の日曜日は衆議院議員選挙であるが、我が地域では市議会議員選挙も同時に行われる。








そう、その市議会議員選挙の立候補者が街頭演説をしているらしい。









立候補当日の3時過ぎで、すでに声が枯れている。









私はこうした立候補者で感情的な大声を発する人に信頼を置かないことにしている。









政治家において、何よりも必要なものは「冷酷さ」であろう。







立候補当日に声を枯らすほどの大声を上げる人に、その冷静さを求めることができるだろうか・・・。









道の角を曲がって信号で止まった時に気が付いた。








歩行者用の信号の横に付いていた「残り時間表示」の表示灯が無くなっている。






何時なくなったのだろう?







残り時間を表示していてあとどれくらい待てばいいか分かった表示灯である。







あれって結構便利だったのに・・・。






交通法的に問題があったのだろうか?









しばらく行くと田んぼが続く道に出る。









そして・・・・。







未だに刈り取りがされていない田がいくつか目に付く。







私が稲作農家をリタイアして2年が経つ。






だが、この気温が最高気温が15℃を切るようになるまで稲刈りをしないのはちょっと意味が分からない。






どんな作り方をしようと、おいしくなるのであればそれは「生産者の勝手」である。





また、どんな味の米であろうと「売り切れ」ば利益がでるし、もし利益が出なくても本人が納得できればなんの問題もない。









米の本当の旨さというものは、本当はまだまだ理解されていないのかもしれない。

















夕飯に鍋をしようと思い。









こんな寒い日は鍋をつつきながら日本酒を飲りたい。









我が地域の酒を引き立てる鍋は、あまり味の濃いタイプのものは合わない。







醤油か塩味の海鮮鍋かなんかがいいだろう。







幸いに、我が地域は海鮮もおいしいものがそろっている。








酒は端麗辛口。






飲み飽きないのがいい。







日曜日にこんな気分で過ごしたのは・・・・。






56年生きてきて初めてだったかもしれない。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、幾つになっても出会える気分に期待しますように。








         May









初老になるってことの意味は、ある意味「無責任」になるってことなんだろうってこの頃思う。













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本当に「コミック」がそんなに売れているの?    ~大型書店の衣替え~

2017年10月11日 | いま興味のあること



私は初老男である。






昨日の連休最終日に大型書店に行った。







「読書」というのは、私にとって趣味ではない。






息をするようなもので、取り立てて趣味と呼ぶレベルのものでは無いのだ。







前にもどこかでUpしたよう気がするのだが、読書家と呼ばれる人は私が思うに最低年間100冊くらいは読んでもらわないと、そうは呼べまい。





・・・・ハードルが低すぎますか?






まあ、それでも年間100冊というのは「3日半」で1冊読まねばならない計算だ。(365日÷100冊=3.65)







仕事をリタイアしたとかゆう人ならそんなにむずかしい数字では無いかもしれないが、仕事を持って、読書以外にも興味を持っている人なら、それなりに厳しい数字だろう。








昨日のクイズ番組に出演してた光浦靖子は、年間180冊の本を読むと紹介されていたと思うのだが、つまり2日に1冊の計算になる。






彼女があの仕事をしながら、その数の本を読むとすれば、ほとんどスマホなどを見ている時間は無いはずだ。





そうなれば「読書家」と呼んでいいだろう。






そうした意味でも、私は「読書家」などと名乗るのはおこがましいと思っている。








何の話だったっけ?








・・・・そう、大型書店に行った話。











大きな店だが通いなれた書店で、どこになにがあるかほとんど迷うことが無い店だった。










欲しい本があったので探す。








「町田康」と「山下澄人」の本である。







なぜ、この二人の本を探していたのかは、いずれUpしよう。









それは、やはり簡単に見つかった。









大型店は、やはり探しやすいレイアウトになっている。









・・・・・しかし、・・・・・様子がおかしい。







探すべき本を見つけられたが、それ以外の本が棚に無い。









本の並んでいない棚がかなりの目立つ。







そう「本の再配置」が行われていたのだ。







壁に貼ってあるチラシに、こう書いてあった。









「現在、ご要望の多かった『コミックコーナー』増設のため、ご迷惑をおかけします」










私は目を疑った。








今のこの時代に「コミックの需要」が、そんなにあるとは思わなかったからだ。








自分自身は、たしかにこの頃コミックを読まなくなっている。








「ゴルゴ13」くらいしか、真剣に読むコミックはない。










週刊誌の売り上げは下落の一途をたどっていると聞いて、それはコミック市場も同じだと思っていたのだ。









ただ、つまりはコミック以外の本のコーナーが減るという事実は、個人的に由々しき事態である。










店内の検索システムも「1」からプログラムせねばならないことを考えれば、それすらも厭わないほどコミックの需要が大きいということか?









実際、コミックを購入するのはネットが中心なのではないのだろうか?








そうした中でもコミック売り場を増やす必要があるのだろうか?







大型店の中で本を選ぶ楽しみが、かなり制限されることは・・・・。







非常に残念だ。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の思わぬ方向に事が進む切なさを感じますように。










            May





・・・・・コミック好きの人たちは、逆に本好きはネットで本を買えばいいって思ってるかもしれないけど。
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初老になってたどり着いた。   ~「政治」というものへの幻滅~

2017年10月09日 | 時事ネタ



私は初老男である。








初老になるということは、単純に時を重ねてきただけではないはずだ。







ただ、その「重ねた時」というものを「いかに使ったか」は、個人個人によってずいぶん違った人格を作ることになる。








特に「政治」をどうした物と認識するかには、個々によってあまりに差があるように思える。







政治というもの自体が「歴史の積み重ね」であるから、50を過ぎた男はそれなりに政治を語っても良いだろう。











単純に思う。









         「政治に『品』が無くなった」







私の子供のころから国会でも「野次」が飛び交っていた。







しかし、その野次にもウィットやユーモアがあった。








すべてのことは「劣化」することは免れない。それは知っている。







だが、まさか「総理大臣」自身が野次を飛ばす張本人になるとは思わなかった。







政治家がウソつきだってことも、知ってたけど、以前は今ほど「厚顔無恥」にウソをつかなかった。









もうちょっと、恥ずかし気にウソをついたものだ。








そして「政治的信念」みたいなものが、少なからず生きていた。









そう、与党も野党もである。









「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」







私が子供の頃の政治家、大野伴睦の名セリフとされる。







明日公示される総選挙では、その大野のセリフを地でいったような現象が起きている。









政治的信念より政治家であり続けることが大切とばかりに野党が混乱している。










希望の党なる政党も何がしたいのかわからない。










すべての事の始まりが「小選挙区制の導入」だった気がする。









特に日本人の感覚の中には「白か黒か」の選挙制度は向いてないのだ・・・・。






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、日本に正しい政治を取り戻すことを願いますように。











            May






なんか嫌な予感がするなぁ・・・・。安倍という人が、自民党という政党の良かった部分を壊してしまっている。
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落語は「ライブ」ですな。    ~春風亭昇太独演会に行く~

2017年10月08日 | Weblog


私は初老男である。






初老男の「落ち込み方」は「深い」のである。






背負うものがやはり重く大きくなるのに、衰えが目立ってくる、






ゆえに精神的な部分が大切になるのだが・・・・。







余程、若い時からしっかりとその部分を鍛えておかないと。








結構「折れそう」になる。










ここ1ヵ月ほど、その折れた状態だった。











今もそこから立ち直っているとは言い難い。










しかし、そのど真ん中であってもグズグズしていても何も解決しないことも良くわかっている。









ということで、ブログを更新することにした。









        「春風亭昇太の独演会」






に行ってきた。








地方に住んでいると、この「笑い」のライブ的なものにはなかなか触れることができない。








特に落語は機会がない。







私もLIVEの落語聞いた機会は4~5回である。






ハッキリ記憶しているのは、先代三遊亭円楽の独演会。






「長命」と「文七元結」の二席を聴いた。






ずいぶん前のことだ。ブログの何処かUpしたような気が・・・。






彼の一番「ノッていた」時で、とてもよかった覚えがある。






ちょっと間違えてたけど。






閑話休題。








春風亭昇太は今や落語家の中で、一番ノッている噺家だろう。









もう当たり前になっているが、例の「笑点」の司会。








実は私は前任の歌丸も前々任者の円楽も、司会は「ヘタ」だと思っていた。








円楽の前の司会者が、あまりに良かったからだ。







誰だか知ってます?







三波伸介という人。






落語家ではない。





てんぷくトリオというコミックトリオ出身である。(ちなみ、伊東四朗も在籍していた)







落語家でないが故のしがらみの無さや、コミックトリオとして磨いたツッコミの技が、十二分に生きていた。







今の昇太は、逆に噺家でありながらタレントに近い活動をしている。







そのことが笑点での司会に役立っているのだろう。








いきなり派手な私服でステージ中央に現れた彼は、俗に言う「前説」をやった。







彼の前説はすでに次に作ろうとしている新作落語の種が、含まれているような出来だった。








前座に現れたのは弟子の春風亭昇昇。






32歳だという。






当然であるが、二つ目らしい「初天神」だった。





若手の特徴である「声の押さえ方」が分かっていないところが露骨に出ていた。





本人も言っていたが、あの歌丸の師匠の米丸も「現役」の世界だから、落語家としてはホンのひよっこであろう。





うまく育ってほしいものだ。






昇太の出番である。





一番はやはり今の話の通り、声の響かせ加減が見事である。






メリハリが効いている。





マクラがとても長い。





どこからがネタであるかわからない。






しかし、それこそが新作落語家の真骨頂であろう。






「ストレス」というネタ。多分、そのネタそのものの時間は10分もないであろう。





休憩をはさんで、二席目は「茶の湯」古典の名作である。





小僧とご隠居の二人が中心の噺である。





そうした中で彼の歳であれば、普通は「ご隠居」の方にリアリティが出てもおかしくない。





しかし、彼の若々しさとキャラクターが「小僧」の方を際立たせていた。





ずいぶん田舎の客でやりにくかっただろうけれど、本当に見に行った人たちを大切にしていたのがよくわかる。







古典落語はCDでそれなりに聴いているから「比較」のきき方になる。






その噺家がいかに捌いたかを聴くのが楽しい。





しかし昇太のような新作落語家の実力は、その場にいないとわからない「LIVE感」が勝負であろう。





やっぱり、もっともっと演芸場に通わなきゃ・・・。






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「LIVE感」のすばらしさに触れられますように。






         May






実は、私は聞きたかった話がある。「壷算」である。ちょっと残念だった。



























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