完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

ウィンターシーズンの始まり  ~成熟期の日本フィギア~

2006年10月29日 | スポーツ
わたしは中年である。
今秋は例年に無く暖かい。これは私の地域だけなのだろか?
我が地域は日本有数の「豪雪地帯」である。

例年であればこの10月末頃に山に初冠雪し、11月の初めには
里にも「初雪」が降る。それが一旦消えて12月に入って本格的な
「根雪」がくるのだ。

しかし、今年はこの時季になっても昼間が暖かい。
2年続きの大雪も、この調子なら「3年連続」にはならないような
気がしている「中年」である。

私は「フィギアスケート」ファンである。40代半ばの男にしては
かなり珍しいらしい。しかし、テレビっ子だった私は、これからの
寒い季節には、コタツにもぐりこんでスポーツ中継ばかりを見て
春を待っていたのだ。

ここ数年の日本フィギアスケート界は、完全に「一大勢力」を
なしている。

女子は脈々と世界に手が届く位置に数人を置いていたが、
今年のトリノオリンピックで(そういえば今年だったんだねぇ)
ついに「スケート王国」に君臨することができた。

その余勢を駆って「07’シーズン」が始まった。
トリノの金メダリスト荒川静香は引退したが、村主・恩田・安藤
大田・中野・浅田姉妹とそうそうたるメンバーを擁している。

そして、今週末ついにシーズンのオープニングゲーム「スケート
アメリカ」が開幕したのだ。

注目は先シーズンの「グランプリファイナルチャンピオン」
浅田真央。

そして、トリノで完全にコケてしまった安藤美姫。
浅田の姉、舞。の三人の出場であった。


結果はすでに報道されているので割愛するが、感想だけを記しておく。

最大の関心事は、浅田真央の身長が「8cm」も伸びたことへの
驚愕と、安藤美姫の「スリムアップ」の効果である。

人の身体的成長は個人差があるのが当然だが、ただ私の知っている限り
女性で15~6歳で身長が8cmも伸びるのはかなり珍しい。

これは厳しい節制と激しい運動を課されるアスリートでは、特に
珍しいと思う。


浅田はその身長の伸びとともに「幼さ」と「天真爛漫さ」を失い、
さらに「ジャンプの確実性」まで少しだが失ってしまった気がする。

現実に身長8cmの伸びは当然、体のバランスを崩してしまう。
それでもSPの出来は素晴らしいものだった。

曲はショパンの「ノークターン」

ショートプログラムであんなにゆったりした曲を選ぶこと自体が
すごいが、完全に「幼さ」を消すことに成功していたことに驚いた。

しかしフリーでの信じられない失敗の連続は、やはり「伸びた身長と
筋肉のバランス」「身体と精神のバランス」の両方を崩したのが
原因ではないだろうか。


そして、トリノでその名を地に落としてしまった安藤美姫の
シェイプアップされたスタイルにも同じように驚かされた。

今回の安藤は「キレキレ」の演技に、先シーズンの彼女とは、正に
「別人」の感じだった。

ジャンプは元々得意だったが、今回のプログラムでは「ステップ」での
スピードとキレがすごかった。
絞られた体(ホントにシャープになってるよ!)が、失敗を恐れない
大きな演技を可能にしていた。

これでノーミスなら敵う人はいない・・・、ただ心配なのは、彼女は
先シーズンもシーズン当初に「ピーク」が来ていたように記憶している。

この体のキレがシーズン最後まで続くだろうか?

逆に浅田は、これから徐々に調子を上げてくるような気がしている。
若いが彼女には言いようのない「したたかさ」を感じる。

なんにせよ07’シーズンは、始まったばかり。来年3月まで
わくわくしてウィンタースポーツシーズンを楽しむことにしよう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

あ、そういえば男子では織田信成が優勝したんだって、
アベック優勝ってのこれ?

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野生の大国!?  ~何かの異変~

2006年10月25日 | Weblog
私は中年である。
先回は、いつものパターンを使わず2年前に体験した「中越地震」を
体験したままにUpした。
ついつい、まとまりの無い文章で(え、いつもそうだって?
悪かったね~だ)申し訳なく思っている「中年」である。

さて、私のお気に入りのブログにコメントした。
私の町に熊や猿や狸が出没して大変であることを・・・・。
となると、やっぱり現時点での状況をこの場でしっかりと報告せねば
なるまい。


夏のある日の「猿」騒ぎのことは、8月30日のブログを見て欲しいのだが
今年の秋は、そんなのが問題にならないほど「獣」が出没している。


今年は全国的に「熊」の目撃情報・出没情報が例年の3倍近くに上っている。
私の地域も「熊」のメッカであり、秋に入って何度も新聞記事になった。

最近の一番凄かったのは市街地で徘徊をした末に「国道から数メートルの
ところ」にある空き地の草叢に潜んでいたこと。

近所の人が警察に連絡し「猟友会」が「山に帰す」目的で探し始めたが
結局、一人が熊に「殴られて」顔面を抉り取られ数日後に亡くなった・・・。

そのときの勢子(廻りで熊を追い出す役)に出ていた私の知り合いは、
熊に足を踏まれて長靴に穴が開き、ついでに自分の足にも熊の足の爪で
穴を開けられてしまった。

結局、逃げられたんじゃなかったかな?

知り合いの猟師に聞くと「だいたい、里に出た熊を山に帰そう、なんて
思うほうが間違ってる」とケンもホロロに言っていた。

今年はこの時季にしては気温が高い。

熊ももう少し寒くならないと冬眠できないし、第一、食料が足りない。
幸い私のうちは、山からある程度距離がありまわりはすべて田んぼなので、
熊が徘徊するようなことはあるまい・・・・。(でも思わぬことが起きるのが
世の中だからなぁ・・・)

本当に今年は異常だ。

体重増で本気でまずいと思った私が、夕方のウォーキングに出ると、
黒い物体が暗闇の中から飛び出して、道を横切って行った。

どうも「たぬき」だったような・・・。事実数日前にたぬきが車に
はねられて死んでいたし・・・。

そして、本当に久しぶりに天井を「二十日鼠」が走り回るのを聞いた。
私が中学生の頃に聞いたのが最後だったように記憶している。

つまり30年ぶりにねずみが、大発生しているのだ。
こいつがまた、始末が悪い。簡単に駆除できる方法が無いのだ。

昔は逆に、家にねずみがいなくなると、天災が来る前触れだと言われた
ものだが・・・。

人間にも「モラル」というボーダー(境界線)を少しずつ犯してくる
人間が多くなっているのが最近だが「獣たち」も少しずつ人間との
生活範囲の感覚的ボーダーを犯してきている気がしてならない今日この頃だ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが熊に襲われませんように。

あるぅ日、森の中、くまさんに出会ぁった・・・・。
                  ギャ~~~~!!!
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実録2004 10 23 17:58   ~そのとき震災は起きた~

2006年10月23日 | Weblog
その日は曇っていて、秋にしては少々寒い感じだった。

土曜も3時を回り、私は日頃の運動不足を解消するために
マウンテンバイクにまたがり家を出た。

風よりも雨がひどかった台風が数日前に通り過ぎた町は、
秋に色付いて残っているはずの木々の葉が無残に散らされている。

今年は本当に天災が多かった。特に雨風の強い台風がいくつも
この地域を通り過ぎていった。

自転車を走らせるのは、少々久しぶりで更に休日の午後。
思い切って25kmほど走って隣町の家電量販店に行く。

前々から気になっていたパソコンの動画編集ソフトを買って、
少々気合を入れてわざと遠回りをして家に帰る。行き帰りで
1時間半ほど走ったろうか。

すっかり汗まみれとなって、少し早いが風呂に入る。
風呂の中で本を読むのが私の日課となっている。

明日は日曜日、朝を気にせず買ってきたパソコンソフトを
いじれる。そんな風に思いながら、ゆっくりと風呂を出た。

天気の良い中秋の夕方はゆっくりと暮れようとしていた。

台所では、下の娘が女房と一緒にカレーを作っている。
その匂いが二階まで漂い、食欲をそそられる。

少し早いが、寒さに耐え切れず出されたコタツに、上の娘は
もぐりこんでマンガを読んでいた。

テレビでは夕方のニュースが流れていた。5時58分の表示が
画面に出ている。

すると今までに聞いたことの無い不気味な音が響いてきた。
地の底から湧き上がってくるような「唸り音」だ。

突然、見ていたテレビが中に浮き、そして、そのテレビが
幼い子供ようにヨタヨタと歩き始めた。中の人物はなんの変化も無く
ニュースを読んでいる。

そして、突然電気が切れた。

二階の部屋は、まるで掻き回されているかのように上下左右に
揺らされるている。

私はそれが地震であることをしばらく認識できなかった。

ただ、コタツの娘にむかって「もぐり込め!」と叫んだ記憶はある。

私は立っていたのだろうか。それとも座っていたのだろうか。

言いようの無い不安感・恐怖感が腹の底から湧き上がってくる。

かろうじて薄暗い部屋を見回すと、倒れた家具は無いがすべて微妙に
向いている方向が変わっている。

コタツに飛びつき娘を名を呼ぶと、なんともヌーボーとした娘の返事が
帰ってきた。どこにも怪我が無いことを確認してほっとする。

しかし、台所の女房・下の娘・親父が急に心配になる。

「火を、火を消せ~~!」何度も同じセリフを繰り返しながら
私は階段を下りる。しかし、腰が引けてうまく降りれない。

カレーの匂いが漂う薄暗い台所で、娘と女房は呆然と立っていた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

家には怖くて帰れない。少しずつ外は暗くなっていく。

一度帰ろうとして、玄関を入ったとたん「余震」が来た。実際
この余震のほうが怖かった。

必死の思いで皆の布団を持ち出し、車に詰め込んで一夜を過ごす。

私は一睡もできない。外をうろつきながら布団と一緒につかんできた
ウィスキーのバーボンをラッパのみにする。

町のはずれにある私の家の前の道を少し上ると、町全体が見渡せる。

放射冷却の起きた夜は、とても冷えて寒い。

しかし私は、その寒さも忘れて二度と見ることのできない、
「漆黒の闇」に包まれたわが町を呆然と見詰め続けていた。


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どこの家にも・・・  ~身内の変人~

2006年10月21日 | Weblog
私は中年である。
このごろ本当にまずい。言い訳になるがとにかく
運動不足と栄養過多で、動きが鈍くなった。
「適度な運動」というが、そんなものができるか?
中年の私に・・・。

まずい!このままでは・・・。何かせねば・・・。
本当にそう思っている「中年」である。


私の父方の叔父は隣の町に住んでいる。

独身である。

70歳になった。

×一である。

一人で古いマンションに住んでいる。


世の中には「どうにもならない」人がいる。

彼がそうだ。

一人では、電話もできない。

東京に住んでいたことがあったが、そこからは一人で実家の
我が家へ帰ってくることができなかった。

車の免許も持っていない。

うまくできていて、こうした人ほど「酒」好きだ。

どうにもならないほど酒がすきなのだ。

これがホンの少し前の時代なら、古い言葉だが「身上」をつぶしただろう。

時代が良かったのだろう。今の時代なら、結婚はおろか半障害者
扱いを受けても仕方がない。

しかし、それなりの就職をし結婚をした。娘も二人もうけた。

基本的にそうした男が「良い父親」や「良い亭主」ではありえない。

50才を少し越えたときに離婚した。

離婚して20年近くだが、元女房は別として娘たちとは連絡くらい
取ってもよさそうなものだが示したとおり電話をかけることができない。
(市外局番という観念を理解できないのだ)

離婚を期に東京のとあるお寺の「寺男」として、60歳まで働いた。

そうした意味では「酒」さえ与えておいてテレビでも見せておけば
ほかに何も必要ないという、扱いやすい男でもある。

うまく社会保険に入れてもらい、働いた給料を貯金して定年を迎えた。


問題なのは、この叔父をこうした人間にしてしまったのは誰なのか?
ということだ。

もちろん大元は「本人」が一番悪い。しかし、わたしの父や叔母・叔父
そして婆様が「あれは何もできないから・・・」といって大事な事を
させなかった。みな、それらの人たちが段取りをつけてしまった。

就職も、結婚も、離婚も、その後の寺男のすることも、更にそれを
やめた後の隣町への引越しも、すべては廻りが要らぬ世話をしたのだ。

思えばかわいそうな人だが、結局それも「自業自得」それ以外の
なにものでもない。

私が若い時から「本人にやらせろ」と言い続けたのだが「愛する」ことと
「甘やかす」ことの意味が分からない回りの人間たちは、とうとう
本人が寝たきりになるしか無いところまで世話を焼き続けた。

家族なんて、兄弟なんて、親戚なんて他人よりタチが悪い。

単純に血がつながっているからという理由で、ケツの拭けない人間の
尻が回ってくる。

やることの無くなった70歳の男やもめが、何もせずに酒を飲み寝転がって
テレビなど見てばかりいれば、体を壊さないほうがどうかしている。

言い過ぎるかもしれないが、そうした人はとっとと「ノタレ死」んで欲しい。

親父たちが見に行ったときだけ、包丁を取り出して「イザとなったら、
これで腹を切って死ぬ!」とノタマッたそうだ。

それを見てまた親父たちはうろたえたらしいが「死ぬ死ぬ」といって
ほんとに死んだ奴など居やしない。

単なる「パフォーマンス」以外のなにものでもないのだ。

・・・それでも、彼は「運」が良い。

結局、廻りが最終的に一人きりの老人に一番必要なもの「お金」を
貯めておいてくれたのだから。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

しかし、本当に彼は「生きた」と言えるのだろうか・・・。
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リーダーの素質  ~カリスマ性って?~

2006年10月17日 | Weblog
私は中年である。
私の地方の秋は、あっという間に寒くなる。
雨が続き、朝晩がグッと寒くなる。

そうすると、あっという間にホームセンターの店頭にスタッドレスタイヤが
並ぶようになる・・・。なんと時の移り変わりの速いことか・・・と
実感している「中年」である。

「リーダー」というモノは、いかに選ばれるものか・・・。
たとえば5人の人間が集まった中で、リーダーを選ぶことになったとする。

不思議なもので5人だと初対面であっても、その中でもリーダーに
なりそうな人間がなんとなく分かる。

「人間見た目じゃない」というが、こうしたことは見た目、いや
正確に言えばプラス纏ったオーラによって決まってくる。

そして、大抵はそのオーラの通りリーダーはリーダーの資質を持っている。
中年になると、このことが非常に身近なことに感じるようになるのだ。

最近はとにかく何かというと「団体」を作って活動することを
余儀なくされる。

団体というのは人数・目的・予算などをしっかりした形で物事を進めないと、
すぐにグループ自体が巧くいかなくなるし、対外的な部分で摩擦が多くなる。
中年以上の歳の人間が集まるグループなら尚更だ。

それらを巧く処理していく人間は必要不可欠なのだ。
だがそれは「リーダー」ではない。

そうしたことを頭に入れておく必要はあるが、それ以上に
「人を惹きつける魅力」が必要なのだ。

男の欲の中には「名誉欲」「権力欲」というものがあり(女性もそうか?)
それを欲する人が、そうした「カリスマ性+オーラ」を持っていれば
何の問題もない。

しかし、残念ながらそうしたものを持っていない人ほどそれらを欲する。
「やりたい人」より「やらせたい人」というのはこうしたことを意味する。

だから、逆にことの大きさを考えたときに「できる人」ほどやりたがらない。
そして思うのだ。私はどれくらいの「器」だろうか・・・?

自分も男であるから、その「名誉欲・権力欲」が無いわけではない。
自分の指令で何人の人が動かせるか「興味」はある。

だが、その器も無いのに、その地位に座ったものの「悲惨さ・哀れさ」は
外から見る人間には「滑稽」でしかない。

そのため、ついつい前に出ることをためらう「中年」の私である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

ちなみに、リーダーの資質はほとんど遺伝しない。
野球の一茂・カツノリ。丹波哲郎の息子・落語家のこぶ平
(今は正蔵か・・・偉くなったものだ)なんて人たちを見てると
納得してくれると思う。

なら、安倍ゾウリは・・・。
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またひとつ・・・知る   ~身近な人の急逝~

2006年10月13日 | Weblog
私は中年である。
今週はひどく忙しかった。
思わぬ出来事で週の半分がつぶれたからだ。

その出来事で、またひとつ自分自身の歳を認識させられた「中年」である。

さて、その出来事だが・・・すぐ近所の親父さんが亡くなったのだ。

酒に酔って風呂に入っての溺死だった。

ことわざにある。「遠くの親戚より、近くの他人」・・・その通りだ。

私の兄弟たちは年に2度、5日ほど顔を合わすだけだ。
そんな兄弟たちより、近所の親父さんとの関係の方が、余程日頃の
生活に影響を及ぼしていた。

もちろん、近所うちが気分の良いことばかりではない。
たいしたことでもないのに波風が立ち、腹立たしいこともあった。
だが、この土地に暮らすということに欠くことのできない存在だった。

誰しろ自分の家庭において様々起こる事例が、一般的に「どうしたら
良いのか?」と不安になることがある。

それを自分の中で認識するためには「近所」というのは、とても
身近な「物差し」になる。

もちろん単位となる「ご近所・町内」を見回して微調整をしなければ
ならないが・・・。

我が地域では、いまだ葬儀を自宅で行うことが多い。

近所・町内うちが集まって葬儀を手伝うのだ。

私もすぐ隣ということもあり、その中心として手伝わせてもらった。

日頃の仕事と全く違う作業は、とても疲れた。

忙しいのではない。ある種まったりとした時間だが、それを過ごさないと
身近いた「親父さん」を「故人」として受け止めることができない。

また、そうした非日常の中で「中年」である私でさえ、初めて
体験することも少なくなかった。

「人間の感情」「本音と建前」「日頃見せない人間の裏側」等々
本当に人間が「悲しい生き物」だということ。

それを再確認した。

私にも経験があるが、家族はこうしたときに事の重大さを認識できない。
また、今回のように「突然の死」はそれに時間が掛かる。

そして、徐々にその死を認識するのと同時に、今までと違った「責任」を
背負わされたことに気がつく。

人間の脈々と続いている「いとなみ」に畏怖するしかない「中年」の
私である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに突然の不幸が訪れますせんように。

「寿命」なんて信じない。必然の中でしか「終焉」を迎えたくない。

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プロ野球が面白くなくなった理由   ~シーズンも大詰めなのに~

2006年10月09日 | スポーツ
私は中年である。
10月の中旬に掛かると、冗談を抜きに我々の地域では
「コタツ」の心配をしなければならなくなる。

私がこのブログをはじめたのは、今年の3月10日・・・。
まだまだ寒かったのだが、もうまた寒くなってきている。

そう思うと、本当に寒くなく動ける時季は半年有る無しなんだと
思う「中年」である。


さて、私のブログをはじめた時とほぼ同時に今シーズンのプロ野球も
シーズンインしたのだが、そろそろ大詰めを迎えようとしている。

セ・リーグは中日のマジックが2となって、今日明日にも優勝が
決まりそうだ。
そして、パ・リーグは「プレーオフ」のファーストステージで
ホークスとライオンズが1対1で、今日セカンドステージ進出が
決まる。

私も長くプロ野球を見てきたし、ここ数年は年に2度くらいは球場まで
足を運んでいた。しかし、今年は球場はおろかテレビ観戦さえ一度も
しなかった。

今年の野球といえば「高校野球」の年だったろう。桑田が巨人を追われる
と限らないのに勝手にHPでやめるといったり、松井秀喜が左手首を
折ったり、イチローがまた200本以上のヒットを打ったりしたが、
それより「ハンカチ王子」の方が、印象深いんだから。

前にもプロ野球の話は、ここでUpしたことがるのでヒマな人は読んで
もらうと分かるのだが、身にあった形でプロ野球が発展してきたので
あれば、2006年の今頃こんな風に人気が落ちてくることは無かったろう。

そして、身にあった形とは「地域密着」しかないと今でも思っている。
昨年あたりがその転換点だった。そして、その形が少なからず
定着してきたのが今年だろう。

特にパ・リーグにその形がはっきりしてきた。
(このブログをUpしていたらパ・リーグプレーオフの結果が出て
 ホークスのセカンドステージ進出が決まった)

埼玉のライオンズ・福岡のホークス・北海道のファイターズ
千葉のマリーンズ・東北のゴールデンイーグルス・大阪のバッファローズ
地元とのつながりの薄いのは、セ・リーグに絶大な人気を誇る
阪神タイガースのバッファローズくらいか。(あくまで印象です)

この形が定着すれば、プロ野球はまた違った形で盛り上がるだろう。
四国にはアイランドリーグ。我が地域には北陸リーグが立ち上がる
予定がある。

政治はどんどん地方分権が進んでいるが、スポーツの世界は
一歩先んじて、その方向が現れているのだ。

プロ野球における「巨人盟主」の時代は、考えようによっては
実態にそぐわない「バブル」の時代だったかもしれない。それにしては
少々長すぎた。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
しかし、本当に巨人の選手の名前がわからなくなったなぁ。
                           may








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スポーツの小ネタを少々・・・(2)  ~亀田とディープ~

2006年10月06日 | スポーツ
私は中年である。
この土曜日にアルビレックスの試合が、聖地「ビッグスワン」で
マリノスを相手に行われる。
そして、私はそれを観戦する予定だった・・・。

しかし、年に1・2回しかない土曜出勤日に、その日が
あたってしまった・・・。

人間そんなアンラッキーが「たまに」でなく「ちょくちょく」あるのが
人生だ、とつくづく思う「中年」である。

さて、前回Upしきれなかった「ディープインパクト」のことについて
Upしようと思うのだが、前回の私のUpと同じような記事を
見つけたので、お暇な方はアクセスしてみて欲しい。

http://www.zakzak.co.jp/top/2006_10/t2006100530.html

人間、やはり見る目はそんなに変わらないものなのだなぁと思う。


私は「馬券」なるものを買ったことは無い。

競馬場へも行ったことはない。

そんな私が言っても重みは無いかもしれないが「断言」する。
ディープインパクトは、間違いなく「史上最強の日本馬」だ。

フランスの凱旋門賞といえば、サッカーにおけるワールドカップにも
匹敵する競馬の重賞だ。

その凱旋門賞の今回のオッズ(掛け率)が1.1だったのが
ディープだった。(競馬を知らない人のために説明・オッズ1.1とは
100円買って110円の配当がもらえることを意味する。つまり
ド本命ってこと・・・)訂正・後日調べたところ最終オッズは1.4に
なったそうです。それでもやっぱりダントツの低いオッズ也


ほかの馬からは完全にマークされていた。

もし、これほどの熱狂振りがフランスに伝わらなかったら・・・。
これほどのマークはされなかっただろう。
そうすれば、ディープは勝てたような気が・・・。

凱旋門賞には負担重量がある。(負担重量は3歳牡馬は56キロ、
3歳牝馬は54.5キロ、4歳以上の牡馬は59.5キロ、4歳以上の牝馬は58キロ
と定められており、他の競走よりも3歳馬が有利な設定になっている。
そのため、近10年では勝馬のほとんどが3歳馬である)

そして、芝は日本のそれと違い「フカフカ」のじゅうたんのようだった。
もし日本の芝のようだったら・・・。

海外で戦うということは、そうしたことなのだ。全く、経験したことの
ない状況で戦わなければならない。

これが「ジャパンカップ」(日本唯一の国際戦)であったら・・・。

「世界で勝つ」ということは、どんな状況でも、どんな不利なルール
でも打ち破らなければならない。

今年6月にサッカーワールドカップがあったことは、私には
とても昔に感じるが、日本が惨敗したことだけはしっかりと覚えている。
日本代表が世界に伍して戦うには、もっともっと図太くならねばならない。
もっともっと海外で戦うことに慣れなければならないだろう。

日本代表は「思ったとおり」結果だったが、ディープは勝つと信じていた。
それくらいに彼は強さを感じさせる馬だった。

馬券を興味のない私でさえ「熱くさせる」馬は、これから何頭出てくる
だろうか・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

ディープは現役を続行するという。怪我をしなければ良いが・・・。
                           may









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スポーツの小ネタを少々・・・  ~亀田とディープ~

2006年10月03日 | スポーツ
私は中年である。
最近はコンビニで、昔のマンガの復刻版を廉価で売っている。
私は小さいときから「テレビっ子」であり「マンガっ子」であった。

しかし、親に毎週毎週週刊誌を買ってもらえるほど裕福な家庭では
無かった。(今聞くとすごい貧乏みたいだけど、言い訳じゃなく
廻りのみんなもそんなものだった)

だからその当時のマンガのバイブル「巨人の星」も「あしたのジョー」も
リアルタイムで最終回まで読んだ記憶がない。

また、微妙に幼くてマンガの内容をイマイチ理解していなかった気もする。
その反動なのか、今日も「あしたのジョー」の復刻版「悲願のプロ進出、
ライセンスへの道!編」を買ってきてしまった「中年」である。


マクラが長すぎた。さて今回は小ネタ2つでお茶を濁そうと思っている。

その2つとは

   「亀田興毅練習中に8針を縫う怪我でタイトルマッチ延期」

   「ディープインパクト凱旋門賞で無念の3着」
                         である。


さて、まずは「疑惑の判定チャンピオン」亀田興毅がらみの話だが、
先日久しぶりに亀田の父親が、テレビに出てしゃべっていた。

それを聞いていて思った。結局この人も興毅も単純な馬鹿でもっと
頭のいい誰かに踊らされているのだなということ。

プロのボクサーが「大ボラ」を吹くのは、昔からあまり珍しくないが
それは、基本的に「感情」にまかせたものでなく、裏に計算された
「したたかさ」を持っていなければならない。

この父親にも興毅自身にも、そうした「インテリジェンス」が全く
感じられない。その単純さが彼らの「向かい風」になっているのに・・・。
(もっとも、亀田ファンは逆にそれが魅力なのかもしれないが)

今回の「8針縫う怪我」ってのも少し、おかしくないか?

ヘッドギアをつけてスパーリングをしていた時に摩擦で切った
というが、そうした怪我をしたボクサーを私は聞いたことがない。
(本当は当たり前にあることなのかもしれないので、断言できないが)

私も体の何箇所かを縫ったことがあるが、一発でざっくりと長く
深く切らない限り8針も縫うことはありえない。

大体、そんな傷ならとても痛く血も吹き出たはずだ。本人がそこまでの
傷になるまで誰にも言わないものか?廻りの誰も気がつかないものか?

これが普通のときなら、これほどツッコミを入れるつもりは無いが、
タイトルマッチを目の前にしての今の時期では「恣意的」なものを
感じざるを得ない。

中年男の猜疑心の強さだろうか?あの単純さしか持っていない亀田親子で
無く、裏にいる「猿回しの親方」が、興毅の調子やほかの不利な状況をみて
画策しているように思えてならないのだ。

それもこれも、前回の「疑惑の判定」があるから、なおのこと疑ってしまう。

話によると、これにより年末までタイトルマッチは延びるらしいが、
やっぱりこれも「TBS」の画策か?とついつい邪推してしまう「中年」
なのだ。

小ネタで2つで1300文字にしようと思っていたのに、結局「亀田」の
ことでそれくらいになってしまった。ディープのことは、次回に持ち越しに
します。申し訳ない・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

「あしたのジョー」を読んだら、なおさら「かめだのコーキ」は
ホンマにあほやナ~・・・、と思うんやわ~!(何で京都弁?)
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A級戦犯のこと   ~歴史認識の危うさ~

2006年10月02日 | ライフワーク
私は中年である。
先週の終わりに、この秋初めて「おでん」で一杯やった。
某コンビニのおでんだったが、おいしかった~~。
こんなことに、しみじみと「しあわせ」を感じてしまう、
たわいもない「中年」である。

            「A級戦犯」

これほど、意味が一人歩きした歴史的言葉も少ないだろう。

当然、AがあればBがあり、Cもある。
これは、その戦争における責任の重さではなく、担当した方向性に
対してつけられた「カテゴリー」的な意味が強い。

刑の重さによっててランク付けされたものではないのだ。

ゆえに、B級戦犯・C級戦犯にも「死刑」なった人がいた。両方で
約1000人が死刑判決を受けたとされる。(後の減刑された人も含め)

前に、どこかにUpしたが「東京裁判」なるものは、戦勝国が敗戦国を
一方的な屁理屈で「復讐的」な、こうした判決を導き出すべく裁判を進めた
前代未聞の裁判なのだ。

安倍ゾウリが、ゾウリになった途端にA級戦犯の戦争責任について
「政府として具体的に断定することは適当ではない」とか、
「東京裁判に意義は無い」自らの靖国参拝に関しては「参拝したか
しないか宣言し明らかにするつもりはない」として、公表しない考えを
重ねて示した。

まあ、ゾウリ大臣になったならこうした発言になるのは、仕方がないか・・・。

しかし、靖国神社に参拝したかしないか宣言し明らかにするつもりはない
ってのは、子供の言い分みたいだ。
なら、こっそり行ってお参りしてくるけど行ったか行かないかは教えて
あ~げない!としておけばほかの国のエライ人たちにも怒られないって
思っているわけだ。

政治に「本音と建前」は必要だが、このレベルでは「芯」とか「根」がないと
思われても仕方がないだろう。

A級戦犯の人たちは、たしかに「戦争に負けた責任」はあるだろう。
負けた結果から「責任」を追及したともいえる。

その当時の「列強帝国主義」から言えば、他国に侵略することも
今の私たちが語るような酷い行為ではなかった事を認識して欲しい。

話がそれるが、子供の給食費を払わない親が増えているという。
これだけ、騒がれているのに飲酒運転をやめない奴らがいる。
子供に虐待を加えてほうっておきながら、ペットの犬を病院に
連れて行く奴もいる。

こんな酷い状況を生み出していることは、いままでの日本には
無かったはずだ。「時代」が変わってしまったのだ。

この現象を踏まえて考えれば、ソビエトの侵略を恐れて先に中国大陸に
侵略していくことが事の規模が違うにせよ、あったことに非難を
する権利は現代人は無い気がする。酷いことの意識が「個」にあるか
「国」にあるかの違いだけだ。

しかも、中国・韓国が「中華思想」で見下した態度をとっていたなら
新興軍国主義を旗印にした日本が「それなら一丁・・・」と思ったと
してもおかしくは無い。

「日本は何故、勝てる見込みのないアメリカに
                    戦争を挑んだか」

ひとつの答え「自分の身に余るモノを日本人の大部分が欲しがった」
これは真実だと思う。

だが、その上で先の世代の人々を野蛮だと決めつけるのは、
あまりに短絡的ではないだろうか。繰り返すが、他国を侵略することは
今の世ほど「大罪」ではなかった時代なのだ。逆に「気後れしていると
食われてしまう」時代だったのだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

今回は、少々キレが悪いです。纏まらなくてすいません。
                           may

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