完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

夏の終わりの不審な物  ~人間の仕業では・・・~

2006年08月30日 | Weblog
私は中年である。
ついに、朝晩にひんやりとした風を感じるようになった。
寝にくい熱帯夜が続いたこの夏は、この感じが
待ち遠しかった・・・。はずなのに、やっぱり寂しさを
感じてしまう「中年」である。

さて、毎朝30分程度の散歩をするのが日課だったのだが、
さまざまな雑事に追われて、たまにしか散歩をしなくなった。
このブログをはじめた頃から、さらにその「怠け癖」に、
拍車が掛かってしまったようだ。

先日もこれではイカン!と、自分の心と体に鞭を打ち、
ひさしぶりに散歩をしようと朝5:30に家を出た。

我が家は住宅地のはずれにあり、そこから先は広大な田園が
広がっている。その中を最初はゆっくりと歩き始める。
実りが始まって色づいて垂れた稲穂を見ながら、
山と川から吹いてくる涼しい風を受けて少々ペースをあげる。


最近、野生の獣たちの人間社会における被害が深刻になって
きていることを、都会に住んでいる人たちは実感できないだろう。

日光のいろは坂近辺の「猿」のことは有名であるが、あの猿が
人間の住む地域に出没するようになったのは、観光客がエサを
与えたのがキッカケだったといわれている。

果たして本当だろうか?
もし、それが本当だとしても正に「キッカケ」であっただけで
本質は猿が「人間を恐れなくなり、簡単に食料を手に入れる方法を
知った」からではないだろうか・・・。

もし人間が川から水を汲んでくるしか、水を手に入れる方法が
無かったとしよう。しかし、すぐ近くに水道の蛇口があってそれが
何なのか知らなかったとする。

あるとき、人間はその蛇口に非常に興味を持ち出す。しかし、
見たことも無い蛇口をひねるには、とんでもない勇気がいるはずだ。
しかし、それでもいつか必ずそれをひねる人間が現れる。

蛇口をひねって水が出ることを、そしてその水が安全だとわかれば、
次の日から川まで水を汲みに行く人間はいなくなる。当然だ。

猿は冬眠をしない。ゆえに、どんな豪雪の中でも群れを維持するために
食料を探さなければならない。
水を汲みに遠くの川まで行くことがいやになった人間が蛇口を
ひねるように、恐ろしい人間に近づく猿が現れても不思議ではないのだ。

そして、恐ろしいと思っていた人間が意外に愚図で自分たちに危害を
加えないことを知った猿がどういう行動にでるか?

人間が「万物の霊長である」というが、思い違いもはなはだしい。
特に「個」に戻ったときの動物としての能力は、余程鍛えない限り
自然の中で生き抜くことなど出来はしない。猿が集団で騒ぎ出したら
普通の人間ではどうすることも出来ない。あわてて家に逃げ込むしか
方法は無い。


散歩も終盤にさし掛かったとき、おかしなものを見つけた。
とうもろこしの芯が道の真ん中に落ちていたのだ。
「まったく!不届きモノが、こんなところに捨ておって!」と
私も思った。

しかし、その芯は葉が付いていた。毛もついていた。
バナナを剥くように葉を剥いて、実だけをきれいに食べて
捨てていたのだ。

      (人間の仕業ではない・・・。)

広大に広がる田園から山まではかなりの距離があり、
まだいくつも人家があり、村がある。しかし、そのとうもろこしを
食べた主は意外に早く、私の家にまで出没するかもしれない。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
「山になんか、喰い物はねえゼ。
   人間様の作ったとうもろこし喰いに行こうゼ。」  may






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老年期のロック ~ローリングストーンズのカッコよさ~

2006年08月26日 | 音楽
私は中年である。
不思議なもので気温の表示が同じでも「秋」を一度
感じて意識しだすと、真夏と違うことは「体」が
反応してしまう。

かなり暑かったのに、外で過ごすことが
それほど辛くなかった「中年」である。


・・・もしかしたら、今の若い人たちはビートルズを
知らないのかもしれない。

「LET’IT BE」を聴いたことの無い人が
いるのかもしれない。

ジョン・レノンの奥さんが日本人だということを
知らない人がいるのだろう・・・。

村上春樹の「ノルウェーの森」という小説が
同じ題名のビートルズの歌を引用していることを
気にもしていないだろう・・・。

ビートルズは偉大だった。

・・・これだけビートルズの話を盛り上げておきながら
今回のUpは「ローリングストーンズ」の話。

今までのUpを読んできた人たちは、中年男がヒネクレ者で
あることはご存知だと思うが「ビートルズを嫌い!」と
言えたのは20代の後半までだった。

しかし、いまだこれは本音でビートルズより
ストーンズの方が好きだ。
前にDVDを買う基準が何であるかをUpしたことがあるが
それは「リピート」を何度もすること、である。

ありがたいことにワーナーブラザーズからストーンズの
ライブDVDが980円で発売されている。
1998年と既に8年前の映像ではあるが、非常によい!

メンバーも今は全員が60を越えているし、うわさによると
ミックが喉を痛めているらしい。まあ、還暦を過ぎて
ロックボーカルを現役でやっていれば、衰えが出ないほうが
どうかしている。

パワフルなのに浮かれていない。「貫禄の演奏」とは
こういうステージのことを言うのだろう。
皆「中年」どころか「老年」になっているにも拘らず、
さまざまな「悪ガキ」の部分を引きずったまま、
歳を取ったメンバー・・・。

観客もそれらしい人ばかり。歌っているミックに投げつけ
られたのは・・・ブラジャー。ミックもあわてることなく
「なんか飛んできた・・・。ブラだ。飛行機の中で試着する」
といってポケットに押し込んでしまう。
・・・なんとも「大人」のコンサートではないか。

わからない人には全くわからない話なのだが珍しく彼らが
人の曲をカバーしている。それもボブ・ディランの
「ライクア・ローリングストーン」(転がる石のように)だ。
まるで彼らのバンド名を説明しているかのような曲だ。

私の好きな曲の「ブラウン・シュガー」なんてのもまずくないか?
(カルビーから発売しているコーンフレークの名と同じだが
 直訳すると「精製していない砂糖」・・・勘のよい人は
 分かるよね・・・It’s ドラッグ!)

偉大なことを誰もが認める「ビートルズ」は、かなりいかがわしい
過去があるようだが、結局「坊ちゃんらしさ」が消せないバンドだ。
(あくまでも私の捉え方だが。)
仲間割れをして解散へと追い込まれてったのは必然だったろう。

しかし、ストーンズはどう考えてもすぐにバラバラになりそう
だったのに、30年以上も活動を続けている。そこには、
「心からの不良少年たち」の結びつきの強さを感じる。

60を過ぎたポール・マッカートニーが「ヘルプ」とかを
歌っても様にならないが、ミックが「ダイスをころがせ!」を
今歌うのは、逆に重みが加わって説得させられる。

同じイギリス・ほぼ同じ年頃・同じエレキギターを抱えた4人組。
だが、これだけの差が30年後に出てくることに「人生」の
面白さを感じつつ「スターツ・ミー・アップ」を聞いている・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

「ブラウン・シュガー おまえは何でそんなに美味いんだ?
 ブラウン・シュガー おまえは若さではちきれそうだ・・・」     may



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リリー・フランキー著「東京タワー」読み終わりました

2006年08月22日 | 
私は中年である。
季節というものは残酷なもので「徐々に」は
変わらず「いきなり」変わってしまう。

そこに「時の流れ」を、突きつけられる気が
している「中年」である。

私にとって今、最高の贅沢はエアコンの効いた部屋で
ゆっくり本を読むことである。

前のブログでもUpしたが、自分の部屋にはエアコンが
無いわけで、先日同級会を欠席して健康ランドに行き
真昼間から湯に浸かり、ゆっくりと本を読んだ。
昨年の「本屋大賞」を受賞した「東京タワー」である。

著者のリリー・フランキーとは私と同じ「中年」である。
(私と2・3歳しか違わないらしい)そのため、自然に
感情移入して読めた。

時代の流れと本の内容が、ほとんど自分の体験と一致して
いることの不思議さを味わうのは「ちびまるこちゃん」以来だ。
(ちなみに、さくらももこも私と2・3歳しか違わない)

読書を趣味にしてくると、文章に通して著者がどんな経験を
して来たかおぼろげながらわかってくる。

読み始めて最初に感じたのは、リリー・フランキーはこうした
長編をあまり書いたことが無さそうに感じた。

独特の雰囲気がそこここに漂い。非常に力が抜けていて「力み」が
ない。実に淡々と進んでいく。しかし、淡々と進みすぎて、次に
話をつないでいく力が弱く感じるところがあった。

          !!!注意!!!
これからあとは、本の内容にかかわる事柄についてUpしています。
     本を読むつもりの人は注意してください。

内容はこれから読む人がいるから詳しくは記さないが、著者の
完全なる「私小説」であり、自分の半生を母親(オカン)との
関係を中心に描いている。結果的の誰もが一度は経験する
「別れ」の時まで・・・。

私も6年前に母を亡くした。
交通事故だった。親父の運転していた買ったばかりの軽トラは、
彼女を乗せたまま、高速道路の側道のコンクリートウォールに
激突した。死因は失血性のショック死だった。

その朝は私が早く出勤したせいで、母とは顔を合わせなかった。
だから、彼女と交わした最後の言葉さえ覚えていない。

前の晩に居所寝をしている彼女に「風邪ひくぜ」と声をかけた
私に「ウォ」とも「ウェ」とも聞こえる返事を返したのが
最後だったように思える。

そのため、この本のような母親が苦しむ様を見ることは無かった。
それは幸運であったろう。母自身もほぼ即死の状態だったことは
苦しまなかったことを意味する。そして、他に被害者がいなかった
ことが、最大の不幸中の幸いだった。

だが、その代わりに母が亡くなる原因を作った親父に対する「近親
憎悪」に今も苦しんでいる。

著者は、私とは逆に「苦しむ母」を最期まで看取り、その中で
母に対する思いと自分の人生を重ねて小説を進めている。
その壮絶さには、やはり鬼気迫るものがある。

同世代のリリー・フランキーのこの「東京タワー」は、内容としては
瞠目すべき点は無い。壮絶であるが「平凡」だ。

そして、この小説が良い出来であればあるほど、次回作に苦しむことに
なるだろう。なぜなら「私小説」ほど書きやすいものは無いからだ。

しかし、そうした点を差し引いても、彼の感受性に時代的ノスタルジーを
プラスして、淡々とした独特の文章に仕上げたことに「賞賛」を送らずには
いられない。是非、一読をお奨めしたい。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
「男は母親を亡くして初めて一人前だから・・・」     may













コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同級生はどうしてる? ~行かなかった同級会~

2006年08月19日 | Weblog
私は中年である。
今日の暑さはまた格別だった・・・。
しかし、今までの暑さと微妙に違うような・・・。
と感じ始めた「中年」である。

さて、お盆は「同級会」の最盛期である。
「中年」の私も久しぶりに同級会の案内のはがきが一ヶ月前に
届いていた。

・・・しかし、私はそのはがきの「出席」に○をつけずに
投函した。


私は男3人兄弟の2番目である。この境遇に育った男は
少なからず上から押さえつけられ、下から突き上げられるという
状況を経験する。

親も「兄に逆らうな」「弟をかわいがれ」と上下に対する抑制の
言葉を浴びせられて育つ。

そうすると、自分自身のアイデンティティ(自分で使いながら
どういう意味か良くわからんが・・・)を確立するのに微妙な
影を落とすことになる。

自分自身に対する「自信」が持ちにくくなり本当のことが
何なのかに「自信」をもてないままに思春期を過ごす。

そのためどうしても、それを確立するまでに他の人より
長い時間がかかってしまうのである。

その「自己の自信の確立」までの間で起きる学生時代のやり取り
は、本人にとって「恥ずかしさの塊」になってしまう。

子供とは残酷なもので、他の子供の弱みを徹底的に刺激することで
主導権を握ろうとするものだ。

わたしは学生時代のすべてを、こうした「主導権を握られた」ままに
すごしてきたのだ。

軽い「いじめ」らしきものも経験した。それがまた「自己の確立」を
遅らせることになる。

そして、その「自己の確立」を手にしたのは、私の場合ほんの
数年前でしかない気がする。

容姿が変わっても、同級生たちは同じ時間を同じ空間で過ごし
「確立していない私」を覚えている。(それは、私の思い込みで
現実には覚えていないかもしれない)
しかし、口の中に残る「苦さ」を私は甘受できる自信が無い。

ゆえに、私は「同級会」が殊更に好きになれない。

当日はゆっくりと一人で健康ランドに行き、汗をさっぱりと
洗い流し冷房の効いた部屋で、読みたかった「東京タワー」を
読んで過ごした。

私が本当に気兼ねなく「同級会」に出れるのは、級友たちが
私の学生時代を忘れた時・・・いや、違う。
「私自身」が学生時代のことを忘れた時だろう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
本当は昔に仄かに恋心を抱いた「彼女」がどうなっているか
だけは知りたかったけど・・・「知らぬが仏」って気もしてる。     may











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漁師にとっての「密漁」

2006年08月17日 | Weblog
私は中年である。
ひどい暑さである。
冷房の無い部屋で、冷静にパソコンに向かって
ブログをUpなどしていられない「中年」である。

さて、ロシア日本国境で悲しい事件が起こった。
海で接した国において「国境」は非常に微妙なものだと
思う。実際、ロシアとは海域どころか北方四島の帰属さえ
はっきりしていない。

「排他的経済水域」などと、素人の私らにはよくわからない
取り決めがあるらしいが、簡単に目で確認出来ないもので
あることは理解できる。

もっとも、漁師たちにとっては車の「カーナビ」以上に
必需品の「シップナビ」が付いていたはずだ。
自分がどの海域にいたのか知らなかったという言い訳は
通らない。

今回の事件が、カニかご漁船「第31吉進丸」の密漁であることは
ほぼ間違いないと私は思っている。


私の住んでいる地域は、日本海側で「例の」北朝鮮・韓国・ロシア
等々の国と海を隔てて対峙している。
地域ニュースでも第九管区海上保安本部の「密漁」取締りの状況が
よく取り上げられている。

特に韓国・北朝鮮の船が「密漁」目的に領海侵犯をして、ひどい
やり方で逃げていく様子も、何度も見ている。

逃走していく様を見て「なぜ、実力行使をして海上保安庁は
無理やりにも拿捕しないのか!?」と憤ったことは数知れない。

そのドキュメントを見ながら、日本が逆に「違法な密漁を
していることは無いのだろうか・・・・」と、考えたことが
無かったわけでは無い。

残念ながら、人間の考えることは時代や土地を選ばないと
いうことが今回の事件で立証された。

今回の事件のニュースを見て、少なからず溜飲を下げた
ロシア人がいたであろう。

しかし、とにかく死者でてしまったことで、事態はとても
「まずい」方へ向かおうとしている。

もちろん、ロシアの沿岸警備隊が船員を狙って発砲したとは
思えないが、どういう形であれ「死者」が出たことだけは
間違いが無いのだ。

国境を海で隔ててしか持っていない「日本」にとって、
そこに存在する「海洋資源的経済権」というものを外交と
切り離せないのは「外交下手」な、日本においてかなり
つらい状況であり続ける。

しかし、漁師たちにとって「密漁」とは、それほど魅力的な
行為なのだろうか・・・。今回の事件からも、それは「死」を
かけた行為になりつつあるのに・・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
どんな理由でも、人が「死」んではいけない。     may


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週末の酒 (4) ~ビールの遍歴~

2006年08月13日 | 
私は中年である。
最近、ちょっとしたことに過敏に反応して、
浮き沈みの激しい「中年」である。

さてシバラクぶりに「週末の酒」についてUpしようと思う。
実は週末の酒は、ほぼ毎週飲ってはいたのだ。
なかなかUpするような酒を飲んでいなかっただけだ。

今時の中年男でストレスの溜まらない奴はいない。
そして週末ともなれば、それを発散させねばなるまい。
それは人それぞれ「ゴルフ」だったり「ギャンブル」だったり、
「家出でゴロゴロ」だったりする。

私の場合、仕事帰りの「コーヒー」と「週末の酒」である。

夏も真っ盛りのいまの時季は、やはり「ビール」を飲まねばなるまい。
前のブログでもUpしたことがあるが、発泡酒はかなり改良が進み、
味は良くなっているのだろう。

「第3のビール」と呼ばれる1本100円を切るものまで出てきている。
よ~く冷やせば、それなりに飲めることは認めよう。

しかし、すでに人生の半分以上を過ぎたであろう「中年」には、
もう飲める酒の量もそう多くはあるまい。「ならば良い酒がのみたい」と
思うのは贅沢だとは思えないのだ。

そうした意味で「高級ビール」が出現してきて、私のような「こだわり中年」
にはうれしい限りだ。

その中でも矢沢永吉がCMをやっている「プレミアムモルツ」が
私の今のお気に入りだ。

私が酒を飲み始めたことは、ビールと言えば「キリン」ビールであり、
「ラガー」とさえ呼ばれていなかった。そして、他のビール会社のCM
であってもCMを流せば、キリンビールが売れたという奇妙な時代だった。

信じられないかもしれないが、サントリーはまだビールを売り出して
いなかった。「本生」に「純生」「樽生」や「黒ラベル」懐かしいCMと
ともに味がよみがえってくるようだ。

そのビール界に「激震」が起きたのは「スーパードライ」の登場だった。
アサヒというビール業界では、忘れ去られようとしていたメーカーが
少々変わった「ドライな風味」を売り物にしたビールを売り出したのだ。

実際にスーパードライというビールがおいしかったのか?といわれると
はなはだ「おいしかった!」と言い切る自信がない。

ただ、間違いないのは今の巨人軍の人気が落ちたのと同じように
キリンのラガービールの味に、皆が飽きていたところに鮮烈に
スーパードライが現れたのだ。

信じられない人も多いと思うが、スーパードライブームの中で
他のキリン・サッポロ・サントリーのビールメーカーもすべて
「ドライ」の名の付いたビールを出していた。

結果的にアサヒはラガー系ビールを製造しなくなり、いまでも
アサヒといえば「スーパードライ」であり数年間はビール売り上げの
トップを走り続けた。

社会の変動に合わせるように次には「モルツ戦争」そして、
第二の激震「発泡酒戦争」「第3のビール戦争」と続いて現在に
いたっている。

もはや「晩酌は発泡酒or第3のビール」という人がかなりの数に
上っていて、ビールの売り上げより「発泡酒・第3のビール」の
売り上げのほうが上になっている。

そうした意味でも現在では、ビールは、ある種「贅沢品」に
なってしまっている。だが、それを逆手にとってビール会社は
「プレミアムモルツ」や「プレミアム」等を売り出し始めている。

真夏の今、思い切りこだわってグラスを冷凍しておき、グラスの周りの
結露を感じながらのどを通っていくビールに「人生を感じる」とまで
いうと大げさだろうか。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
今夜もいっぱいやっか?                    may




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しまった。もうお盆が目の前だ!

2006年08月11日 | Weblog
私は中年である。
今が「真夏」で、どうにも暑さから逃げられない。
そんなことは、わかっているがついつい、どこか
涼しいところはないか・・・。捜し歩いている
「中年」である。

さて、暑い暑い部屋のなかでブログUpするのは
とても無理なのはわかっていたのだが、ついつい
途中までUpして「下書き」に入っているネタが、
七つほどある。

政治・本・酒・東アジア史・格闘技の話等々。
このお盆休みのうちに次々Upしようと思う。
交互期待じゃなくて乞うご期待ということで
今回は予告編のUpでした。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
あっちぇえねぇ。                       may

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大反響のタイトルマッチ ~弘毅くんかわいそう~

2006年08月04日 | スポーツ
私は中年である。
毎日暑い日が続く。しかし、ここ2週間が
暑さのピークで、それ以降になれば昼間は
ともかく、朝晩が涼しくなる・・・ことを
信じて耐えている「中年」である。

さて、先日行われたボクシングのライトフライ級
タイトルマッチの結果のことで、世の中が騒然と
しているが、わたしも判定直後は思わず笑ってしまった。

そして、テレビのスイッチを切ってすぐにパソコンに
向かったのだが、案の定今の状態を予測させるブログ等が
次々と立ち上がってきた。

それから数日経ったわけだが、話はさらに「タイトル返上」
までに広がっている。

私は「亀田弘毅」という人物が大嫌いである。
中年という年代の人で「ああした行動」の人間に好意を抱くと
すれば、自分の中にある「ノスタルジィ」を投影している人
だけだろう。

あるコメンテーターが「ボクシングを教える何分の一でもいいから、
口の利き方を教えてやれば、もうちょっとマシな人間になると
思うんですがね。」とコメントしていたが、中年にとっては
まさに言い得ている。

プロボクシングが「興行」であり「見世物」である限り、そこに
大きな「利権」が発生していることは誰でも知るところであるが、
サーカスやお化け屋敷のようなものから、プロレス・K-1の
ような格闘ものまで「興行・利権」という意味ではあまり違いは
無い。

しかし、それも見ている「観客」の側からいればそこにで発する
「権威」や「迫力」「重み」をもってランクが発生していると
思う。

個々のイメージ的な部分も多いが、そのなかでも近年の人気で
いえば「K-1」「プライド」などが上位だろう。しかし、
「権威」という意味ではやはり「プロボクシング」がさらに
上であることに同意しない人はおるまい。

今回のようなことが、世界中のボクシング興行の中では、
珍しくない。しかし、日本人は「権威」に「正義・正当性」を
強く求めるタイプの国民だから、こんな現象が起こる。

たしかTBSが社運をかけて「お金」をばら撒いたように見えるし、
その裏に893がらみのことがあったように見える。(ボクシング
興行には元々セットされている。これは常識)

12/31の「レコード大賞」が30日になったのも、この亀田の
試合を組むためだといわれている。そうすれば、すべてのことは
辻褄が合うわけだ。

そして、今私のだした結論は・・・・。

            「弘毅君カワイソー」

ということだ。

かれは、どちらにせよ裏で行われている利権や金のことについての
「核心」までは知らないだろうし、知っていたところで
「猿回しのサル」に「考える権利」を与えられてはいない。

最大の功罪は彼の父親にあるのだが、彼は私より3歳年下だ。
中年の域にいたった男が、息子に「夢」を託す。などといえば
ドラマ性があるように見えるが、ここまでの騒ぎを引き起こした
「猿回しの親方」でしかない。

自分が望んだこととはいえ「猿回しのサル」を演じ続けなければ
ならない弘毅「少年」は本当にかわいそうだ。しかし「サル」に
譬えるのがこれほどぴったりハマルのでは、身から出た錆では
あるが・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
能ある鷹は爪を隠す。猿回しのサルは頭の悪さ隠さない。                                      may






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする