完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

09’大河ドラマ「天地人」に決定!  ~ほとんどの人が知らない直江兼続~

2007年04月25日 | 
私は中年である。

北朝鮮が1年半ぶりに「軍事パレード」をやったという。そして、15年ぶりに
ミサイルを公開した。将軍様も「お見え」になったらしい。

「極東アジア史」は私のライフワークとしての興味の対象だが、この「北朝鮮」の
ここ数年の動きは、数々の予想を裏切って「崩壊」に進んでいるように見えない。

「崩壊=革命」には内部からの胎動が不可欠なのだが、それが少なくとも
あるようには見えない。それが、進まない主たる原因ではないだろうか。

「自由」を知ってる人間はそれを迫害されることは最大限の「抵抗」をするものだ。

しかし、「規制された生活・不自由が当たり前の生活」を長く続けている人間達は
その狭い空間・地域の中で「抵抗」することの意味は時が経てば経つほど「薄れて」
いく。(あ~~~~、むずかしこと書きすぎた)

私の生きているうちに「北朝鮮の民主化」が見ることができるのだろうか・・・。
その時が早く来ることを願わずにいられない「中年」である。


さて
           「直江兼続」

という人を知っているだろうか・・・。知っている人は全国的には3%も
いないだろう。

人によっては「四国かのどこかの県の知事候補」とか答えられそうだ。

ニュースをよく読んでいる人なら分かったかもしれない。

2009年のNHK大河ドラマに決定した「天地人」の主人公が「直江兼続」
なのだ。

この人は一般人に名前が知られていない割には、主人公にした小説が多い。

有名なのは童門冬二著「直江兼続」だろう。
(この話は、それよりも先にベストセラーになった「上杉鷹山」の内容に
 つながるので、もし読む気のある人はお奨めである)

しかし、今回選定された原作は別人の小説だった。

よく「大河ドラマ原作」と銘打った小説が書店に並ぶが、同じ人物を扱っても
内容はまるで違ってくるから気をつけたほうがいい。


我が地域の地元歌(盆踊りとかに使われる歌がどの地域にもあると思う、それ
のこと)に、この直江兼続の幼少時代の名前「樋口与六」がなまった「お六」の
名の付いた「お六甚句」なるものがある。

他にも「お六饅頭」なんていうものは、大河ドラマが始まる前から商品化されて
いる。(これが結構好評なのだ)

大河ドラマファンとしての私としてはこれから2年間、この「天地人」の
世間へのアピールをすることができることに喜びを感じて打ち震えている。
ブルブルブル・・・。

ということで「直江兼続」のことで一番の有名なことをお知らせして
今回のUpを締めようと思う。


直江兼続が一番有名なのは「天下分け目の闘い・関ヶ原」の引き金となった
一枚の書状にある。

会津藩主「上杉景勝」の家老であった直江は、徳川家康を挑発し会津に
呼び込むために一枚の書状を書いた。

後年「直江状」と呼ばれたこの書状は挑発を目的としていたとはいえ
時の実力者に対し「オチョクリ」や「本音」を思い切りぶつけたものになっている。

これを読んだ家康が「呆然」としたとも「激怒」したとも伝えられ、
「生涯でこれほど無礼な書状を読んだことが無い」と言わしめたという。

あ~~~、はやくそのシーンが見てみたい!ワクワク。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「直江兼続」の名をちょっとでも覚えてもらえますように。

しかし、誰が「直江」をやるかが一番問題。
                                                                    may








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ザッピングブログ(Cancel)  ~だめだこりゃ~

2007年04月24日 | Weblog
私は中年である。

ブログにおいて「時事ネタ」を書くのは、一番簡単な方法と言える。
読む方も今一番皆が関心のあることを、他人がどんな風に考えいるかを聞いて
見たい。

しかし、周りの人間が皆同じことに興味を持っているとは限らないし、
聞いてみても大した意見でないことも多い。

「ブログ」の最大の利用価値は、この部分ではないかとことごろ思う「中年」である。

さて、そうした意味でも私も「時事ネタ」について言いたいことは多い。
しかし、大多数の意見と同じことならUpする意味がないと思っている。

Yahooのニュースには、ひとつひとつのニュースに対するブログをすぐに
立ち上げる機能が付いているので、主要なブログにはたくさんのブログUpが
並ぶ。

それらのヘッドラインを読んでみても、やっぱりほぼ同じ意見のものが多い。
だから、よほど興味のあるニュースとか、時間があるときでないとほとんど
ヘッドラインだけでやめてしまう。

まあ、そんな風に思ってもやっぱり自分も参加したくなるときもある。


ということで、今回は「小ネタ」を幾つかUpしようと思う。

まず「長崎市長選挙戦の結果」について

結果はもうみんな知っていると思うので割愛。市長銃撃殺人については、前に
Upしたが、私のような「猜疑心」の強い人間には、もっともっと「深い裏」が
ある気がして仕方がない。

それはともかく、結果的に「娘婿」が市長に選ばれなくてよかった。
「事件」と「選挙」は、まったくの別次元の話だ。死亡した市長を推していた
人たちにとっては、代替候補を立てねばどうにもならなかったのはよく分かるが、
やはりこの人選には賛成できない。(まあ、みんな立場があるからねぇ・・・)

しかし、彼の得票が少し多すぎる・・・。仕方がないか・・・。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・・・・サーバーメンテナンスが入ったり、アイディアが浮かばなかったりで
今回この内容はCancelすることにしました。こうした内容のときは、
一気にUpしないとだめですね。

今回もお付き合いしていただいてありがとう。
これを読んだ皆さんにシアワセが訪れますように。   

長崎市長選のことについては、Upしたいことがいっぱいあるんだけど、
形を変えてUpすることにします。
                         may
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エキスパートとユーティリティ  ~外人の名前じゃないよ~

2007年04月20日 | Weblog
私は中年である。

長崎市長が銃撃され死亡した。

アメリカで言うところの「第一級殺人」日本で言う「殺意のある殺人」は、
刑としては非常に重い。常識的な認識。

犯人は暴力団幹部。そんなことは当然知っていただろう。
それでも犯人は逃走する気配も見せずおとなしくつかまったと言う。

もし、市長を殺すことだけが目的ならもっと自分が危うくない方法があったはずだ。
(暴力団幹部なら、俗に言う「鉄砲玉」をつかうのが常套手段)

つまり犯人は捕まることを「前提」にしていたのだ。犯人の口から「動機」が
語られ限定されることが必要だったのだろう。

こんなに単純に分かりやすいことでも日本の警察機構において、これ以上の「背後
関係」を追い詰めるのは「むずかしい」のだろうな・・・。


さて、ちょっと気分が沈んでしまったが、元気を出していこう。

私はこの4月から「人事異動」が発令されて、出勤時間徒歩3分のところから
車で35分の職場に配属された。

これは私のような「運転嫌い」の人間には、非常に苦痛だ。

しかし、その運転中にも非常な便利なものを見つけた。

その便利なものとは・・・

       「ボイスレコーダー(スティック)」
   
                       である。

なぁんだ・・・。と思った人も多いだろう。
しかし、これはとても重宝しているのだ。ボタン一つで喋ったことを録音できる。
再生もボタン一つ、内容をそのままパソコンにもインプットできる。

通勤「35分」というのは、「3分」だった人間にしてみると「気の遠くなる」
時間なのだ。

本を読めば約30ページ、ウォークするれば4000歩、ブログにすれば1回分
になる。(わたしのペースでは短い時それくらいだ。ってならもっとこまめに
Upしろ! ・・・ノリツッコミでした)

それを朝晩に繰り返すのである。

知らなければ当然と思っていることも、知ってしまうと「苦痛」となるのが
人生の常と言うものだ。


若い時は「思いついたこと」を覚えていたり、思い出すのがそれほど大変では
なかった。(というより、思い出さなくても大事じゃなかったんだね)

しかし、「完全無欠の中年」は本当に重要なこととかを「アッサリ」忘れて
しまうようになったのだ。

そこでしばらく前に買っておいた「ボイスレコーダー(スティック)」を
通・退勤に使っていろんなことを録音しておくことにした。

特に「ブログネタ」はこれに限る。(いま、だいたい10数件ネタがある)

今の若い人は「いちいちそんなもん使わなくて、携帯やMP3プレーヤーに
ボイスレコード機能がついてるじゃない」って言いそうだ。

その通りだろう。私も携帯もMP3プレーヤーも持っている。(録音機能付きの
プレーヤーなら3個ほど・・・)

しかし、それらは少なくと車を運転しながら使うには操作がむずかしすぎる。
だいたい現在の道交法では、運転しながら携帯を操作することは違反だ。

MP3プレーヤーより携帯の方が少しはましだが、やはり録音するまでの
手順が多すぎる。

今は「多機能・調整機能」(ユーティリティ)全盛。野球選手で言えば「イチロー」
走・行・守にそろった選手がエースの時代だ。

専門家(エキスパート)は活躍しにくい時代といえる。野球選手で言えば・・・
「川相昌弘」(巨人から中日に移籍した「犠打」の世界記録保持者。ホント
「送りバント」はうまかった。)・・・なんか地味でしょ。(松井秀喜と
言いたかったけど、彼は完全なる「エキスパート」じゃない気がする)

世間的にはどうしても「イチロー」の方が注目されるし、人気も出る。しかし、
チームの中にはどちらも「重要」な存在なのだ。

グッズにおいても同様。適材適所。ボイスレコーダーは今も限定的だがよく
使われている。(特に政治家の発言の時、記者達が差し出すのはマイクでなく
これのことが多くなった)

中年の私としては人間として「エキスパート」を目指しながら、結局中途半端な
「ユーティリティ」になってしまった感がある。(しかも「地味」な・・・)

このブログを長く読んでくれている人には分かってもらえると思うけど・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「エキスパート」でも「ユーティリティ」でもいいから
豊かな「知的生活」が遅れますように。

中途半端にいろんなことが気になるからなぁ・・・。                                          may





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やがて悲しき親の顔    ~血は水よりも濃いって・・・つらい~

2007年04月17日 | 家族・肉親
私は中年である。

三重県北部の亀山市で震度5強の揺れを観測した。

「震度5強」と言えば、ちょうど私が中越地震で体験した震度だ。
経験のない人のほうが多いだろうが、その恐怖感はやはり自然に対する「畏怖」を
覚えられずにいられないものだ。(詳しくはこのブログの06’10月23日を
読んで欲しい)

あれから2年を経たずして被害の大きい地震が頻発している。
中越地震の時に日本中の注目の的となった「妙見の土砂崩れ」(雄太ちゃん救出
現場)が、ホンの先月復旧したばかりだというのに・・・。

「天災」はただ受け入れるしかない。そこから立ち直るには「個」としての強さ、
地域としての「集団」の強さが求められる。

被災地の皆さんのその強さが発揮されんことを「経験者」として願っている。


そんな天災の後にホントに個人的なことで申し訳ないが、我が父について
少々Upしたい。

私の父は昭和7年生まれの75歳である。

「昭和一桁」と言う世代は、大げさに言えば「生きた化石」である。

この週末にまたやらかしてくれた。(まあ、たいしたことではないが・・・)

先週末の夜は、あれこれ忙しく会議が重なったり夕食が外食になったりで
親父と顔をあわせる機会がなかった。

遅くなって帰宅しホッとした。そして「週末だから酒でも飲もうか・・・。」と
風呂上りに缶ビールをチビリチビリとのんでウツラウツラしていた。

居所寝は気分のよいものだ。

しかし、午前0時を回って部屋をノックする者がいる。
嫌な予感がした。ロックを外すと案の定である。

いきなり「あのそう・・・。(あのさあの意味)」

新潟弁のきつい早口の言葉がポンポンと続く。

内容をまとめると「自分が歳を取り思ったように農業をやれなくなった。
だから、耕作している田んぼの面積が多すぎるから縮小しよう」という話。

・・・夜中の0時を回っているのである。

・・・何かとてつもなく緊急の用事かと身構えていたのに・・・。

実際、農業の話は数年前にそんな話が出たことはあるのだが、今と状況が
まったく違う。更に今4月の時点では、今年の耕作の予定は確定しているのだ。
今年いっぱい、もしくは来年の春までに決めればよい話である。

なぜ、こんな夜中に・・・・。答えは簡単である。

「自分が思いついたから」である。・・・半分ボケているのだろうか。
年寄りになると「自分」のことしか考えなくなると言うが、今回のことも
まさにその通りだ。

前にUpしたことの繰り返しになるが、親父は25歳の時に父親を亡くし
その時以来、「家長」として家を支えてきた。

それはよく分かるし大変だったろうと思う。しかし、根が単細胞でワガママだ。
「人がどう思うか?」とか「人を思いやる」という意識が欠落している。
(特に家族に対してはその感覚がひどい)

彼は「親子の情」などを持ち出して私をなじるが、行動や生活態度にそれを
持ち出すのは「筋違い」と言うものだろう。
行動や生活態度は親子と言う部分でなく「人間」としての部分なのだから。

彼については、これからまだまだUpすることが増えると思う。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが親と「よい関係」を築けますように。

ちなみに親父の血液型はB型である。私はB型ではない。                                          may
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村上龍著「共生虫」読み終わりました  ~心の奥底を覗かせる作家~

2007年04月15日 | 
私は中年である。

「300日問題」の特例法案が見送られたと言う。

なにごとにおいても政治家や政府と言うのは「現実」より「建前」や
「事務的秩序」の方が大切らしい。

人間の「誕生」という尊厳を、こうした事で進められることに「強く憤り」を
感じる。

こんな形でウダウダしているうちに、次々にこの問題の対象となる子ども達が
「誕生」していると言うのに・・・。

私生活においてもストレスが溜まっているのか、腹を立ててばかりいる「中年」で
ある。


さて「作家」と名乗る職業の人が、日本にどれくらいいるのか分からないが、
「村上龍」と言う人ほど中年男の持っている感性の「ある部分」を刺激する
作家も居るまい。

彼の割と新しい本
            「共生虫」 
                  を読み終わった。

彼は人間の中にある「影」の部分を常に暴き出す小説を書くタイプの小説家だ。

デビュー作の「限りなく透明に近いブルー」を読んだ時、私は高校生だった。
当時の高校生としては衝撃を受けた。

彼は私より幾つか上の50代のはずだが「中年」という括りに入れて良いと思う。

若い人から見れば、40代半ばと50代初めの違いをほとんど見出さないかも
しれないが、現実にはこの数年には大きな違いがある。

特に村上氏の場合、九州佐世保出身というのが彼の小説に色濃く影響を与えている。

「佐世保バーガー」が有名だが、それもなぜ有名なのかの理由を探ると村上氏の
小説の根本にたどり着ける。(・・・わかんないかなぁ・・・。佐世保って
米軍基地があるんだよね・・・。あとは「限りなく透明に近いブルー」を
読んでみて)

「共生虫」は一人の「引きこもり青年」がインターネットを通して、引きこもりを
克服していく話なのだが、果たしてそれが「克服」と呼べるかどうか・・・。

この人の本は、読者にとって「読みやすいかどうか」など全くといっていいほど、
考えられていない。
そのためページいっぱいに活字が並んでいるし、理解しやすいように文章を
噛み砕いて表現をする気がほとんど感じられない。

そうした意味では読書慣れしていない人には、読破するにはむずかしい。
しかしそれでも、この人の本の「ひきつける力」は圧倒的だと私は感じる。

この人が海外でも高く評価されている理由は、日本人よりも外国人にこそ
「奥底にあるもの」が理解されやすいからではないだろうか。

同じ海外に人気の高い「村上春樹」がどちらかと言うと女性向なのに対して
この「村上龍」は完全に男性向きだ。(だから彼の本を女性が読むときは
ちょっと覚悟がいると思うよ)

読書慣れていない人は、映画にもなった「69」(彼の自伝的小説)当たりから、
活字に自信がある人でも、出来れば少々昔の本からはじめた方が楽しめると
思う。(主演も妻夫木聡だし・・・。けど、この小説は彼の小説の中では
際立って「駄作」だと思うけど・・・ってブログのどっかで書いた気がする)

村上氏のことについては、これからもブログにUpする事が多いと思っている。
ある意味「男にとっての文学」の最先端を突き進んでいるのが彼だから・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながたまに、ホントにたまにでよいから本を読んで人間の
「奥底にあるもの」を垣間見る機会を持てますように。

読書について偉そうに書いたけど、この本の中間部はほとんど読み飛ばしち
まっただ。
本においての「本質」が理解できれば、一言一句読む必要なんてないと思う。                                                                      may

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ハマッた『アニメ』  ~GyaOのアニメはおもしろい~

2007年04月10日 | Weblog
私は中年である。

松坂大輔が初登板で7回6安打1失点10三振で「見事なピッチング」だっ
た・・・と言われている。

しかし、これは「見事なピッチング」なのだろうか?

昔から私の悪い癖なのだが、その時(現在)の「スター」と言うものに
やっかみ半分実力を認めないところがある。

「山口百恵」「北の海」「桑田真澄」なんて人達(若い人にはわかんないか)は
その活躍したときからかなり経ってからしかその「凄さ」を確認できなかった。

そうした意味でも「松坂大輔」の凄さはこの人が引退してからしか私自身は
理解できないのだろうなぁ・・・。もっとも彼が引退する頃は、私は「老年」に
なっているか。

とかんがえている「中年」である。

さて、パソコンでインターネットを楽しんでいる人で「GyaO」を知らない人は
いないと思う。(もし知らない人は「GyaO」でサーチすればすぐで見つかります)

無料で数多くのスポーツ・ニュース・映画等々が視聴できる解説した時には
「画期的」なサイトだった。

それから次々とおなじ「無料番組」のサイトが増えたが、やはりGyaOの
優位は動くまい。

ここ数ヶ月そのGyaOのアニメで、欠かさず見ていた番組がある。

         「幕末機関説 いろはにほへと」

である。

このアニメを見ることになったのは、ある有名ブログで紹介されていたから
なのだが、このアニメを見ていてやはり私の「アニメ論」が間違っていなかった
ことを確認した。

毎週金曜日に配信されるこのアニメは「壮大な歴史アニメ」である。

幕末から明治維新にかけての「史実」に沿った「裏ストーリー」的な話なのだが
その設定と謎解き(?)のバランスが良い。

幕末と言えば中心になるのは「旧幕府vs維新軍」「坂本竜馬・西郷隆盛・勝海舟」
「横浜・江戸・奥羽・蝦夷」などであり、この部分がしっかりしている分だけ
物語を展開していく"遊び”の部分が少ないものなのだが、その中でうまく
「庶民の生活・チャンバラ・恋愛・物語性」を融合されている。

現在25・26(最終回)を配信中だ。

前半13話を期間限定で配信したこともあったので、後半13話も是非配信して
欲しいものだと期待している。(かなり評判が良かったからDVD発売もにらんで
やらないかも・・・)

そこで「中年男」のアニメ論の話だが、「アニメ」は「実写」で出来ることを
「アニメ」にしても意味がない、と言うことである。

あまりに「破天荒」では説得力がない。「現実的」過ぎれば実写で作った方が
よくなる。(子ども相手のアニメではこの限りでない)

この比率がむずかしい。

大人が「見れる・支持される」アニメはこのバランスが良く取れている。

その少しの比率の違いによって「大人向き」「子ども向き」のアニメの差が出る。
大人向きの代表的なのは「ルパン3世」「あしたのジョー」「巨人の星」etc。

子ども向きは「その他いっぱい」・・・。

「中年」を辞任する・・・違った自認する私だが(できればしたいわ!)
日本アニメの創成期からアニメを見続けてきた私(なんたって白黒の「鉄腕アトム」
を見てたんだから!)は、アニメに関しても決していいかげんに考えて
きたわけではない。

ただ、あるときから自分が評価・評論できる量とそれを鑑賞することの出来る量が
釣り合わなくなってしまった。

なにごとにおいても「歳を取る」と言うことはこうして「需要と供給」(知りたいと
思う欲求とそれを満たす時間)のバランスが崩れることを意味するのだ。

そのため、どうして自分の好みを優先してしまうワガママがでるから「頑固」なんて
いわれるんだろうな。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが質の良い「大人のアニメ」を堪能できますように。

さて、また何か面白そうな「アニメ」を見つけなきゃ・・・。                                         may





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城繁幸著「若者はなぜ3年でやめるのか?」読み終わりました

2007年04月02日 | 
私は中年である。

ついに4月になった。まずいことに1日が日曜日なのであまり実感がないが
間違いなく新年度である。

様々なことにおいての「区切り」がついて新しいことが始まる。
平成18年度の総決算の意味の「総会」なるものが大小いくつもある。

中年の私であるが田舎の農村の「行政」や「隣組」においては「若手」なのである。

参加する人たちの平均年齢は50歳代初めくらいだろうか・・・。

私もかなり「言いたいことを言う」人間なのだが、そうした人たちの
中で「したり顔」でモノを言えるほどのつよさを持ってはいない。

それでも、そうした所に顔を出しておく必要がある。

これから更に歳を取って本当に「言いたいことを言う」ためには、そこに
顔を出し、大して面白くも無い話を聞いたという「実績」が必要なのだ。

こんな風に考えるのも「中年」なのだからだろうか?


さて、昨年の後半に出版され話題になった

 「若者はなぜ3年でやめるのか?」~年功序列が奪う日本の未来~

                              城繁幸著

を読み終わった。

この本を読んで、漠然としていた「不安感」の理由がかなりしっかり見えて
きた気がする。

我々中年はある意味本当に「良い時代」に生きてきたと言える。
「高度経済成長」の最大の恩恵を受けた世代だろう。

もちろん今ほどの「利便性」がある時代ではない。そのかわり政治・経済的な
逼塞感と言うものなど「微塵」も感じなかった世代だ。

そう「明るい未来」しか考えなかった。

職に就き結婚をし、子どもを作り悠々自適な老後を迎えることに
疑問を抱いたりはしなかった。

もちろん、頭の良し悪しでもらえる給料には差があるだろうことは
仕方の無いことと割り切って・・・。

江戸時代からの「封建制度」の中での「滅私奉公」の意識が戦時中に
受け継がれ、更に高度成長期の日本にも重要な「武器」となったのだと私は思う。

その武器の源流に流れるものが「年功序列」であり、ある一定時期の日本において
それは非常に効果的だった。しかし、それはずっと同じ成長が続かないと「破綻」
してしまう脆弱なものでもあったのだ。

実はそれは随分前に「破綻」する予感があったはずなのだ。(これは「年金制度」
の運用に酷似している)

政治にこのことを期待しても無理なのだろうけれど「国民の生命財産を守る」
ことが政府の役目だとしたら、もっと早くに自国の「将来」を考えて欲しかった。


この本には、その「年功序列」の功罪と現時点の崩壊する「年功序列」から
「その先にあるもの」について、非常に冷静に分析している。


私にも娘が二人いる。彼女らの「将来」に不安を抱きながら、ならばどういう
「経済的、労働条件的新秩序」(アア、漢字がいっぱい・・・)が必要なのか?
正しいのか?と不安を募らせていたところだった。

人間・・・いや、生物は皆「変化」を欲しながら「安定」を求める。

この矛盾することを上手に解決できれば「発展」していくが、現代のように
高度な要件を満たしながらの「変化」は少しのミスが、すぐに「不安定」に
繋がってしまう。

この本では、我々「中年」世代以前の日本人の感覚の鈍さ・狡さが今の
日本全体の「不安定」をもたらしたのだと結論付けている。

実感としてその結論に力弱くもうなづいてしまう私なのだ。
この本は、いまこそ読んでおくべき本だとお奨めする。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが日本の「明るい未来」を信じれる日が早く来ますように。

春になってせいもあるけれど、慣れない職場で疲れるためか眠くて眠くて・・・。                          may

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