完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「今」の自民党と「昔」の自民党   ~政治は面白いねぇ~

2009年02月20日 | Weblog
私は中年である。

少々酩酊しながら、ひさしぶりにUpしている。

しかも「必殺仕事人2009」を見ながら・・・。

私はこの「必殺仕事人」のファンである。

古くは三田村邦彦・京本政樹・中条きよしの活躍したドラマの頃からのファンだ。

今回の「必殺仕事人2009」は、その頃の香りを非常に色濃く残した仕上がりになっている。

その話を始めると長くなるので、今回のシリーズで気になったことだけ記して「マクラ」としたい。

今回のシリーズの中でも「経師屋の涼次」役の松岡昌宏は非常にいい役だ。歴代の仕事人の中でも屈指の名仕事人って感じ。

だけれども・・・・。松岡はジャニーズ出身のタレントの中でも、特に好きなのだがなぜか「最後の脱皮」を出来ないでいるように見て仕方が無い。

過去にはテレビ朝日の年末時代劇で2年連続で主役をやり、大河ドラマでは準主役までこなした。(武蔵の時の「佐々木小次郎」)

しかし、やっぱり「さわやか」過ぎるのだ。

意識してそうしてる気がしないでもないが、もうそろそろ最後の脱皮をして役者に本腰を入れた方が大成する気がしてしょうがない。

期待してるよ!松岡くん!!


さて、混迷を極める日本の政界。

ほとんどこうなると「笑える」状況だけどね。

今更「中川ショック」の話をしようとは思わないけれど、一つだけいえるのは麻生総理の「盟友」と言われるのがこの程度の人しかいないってところがやっぱ「類は友を呼ぶ」ってゆう感じね。

今のこの状況は今までの自民党には無かった状況だと思う。

これほど世論を無視して「政治」を進めていくことは「記憶」に無い。


それでは「今」の自民党と「昔」の自民党はどこが違うか?

それは「昔」の自民党は、一つの政党と言いながらも「派閥」と言う名の「小さな政党」の集まりだった。

「今と変わらないじゃないか」という人がいると思うが、昔の自民党内の「派閥」は、今の「派閥」と比べ物にならないくらい「結束力や政治信念」が濃厚にあった。

領袖である派閥の長も「党首」と変わらないくらいの威厳と力があったのだ。

つまり、小さな政党に分かれて選挙をやって、その度に「連立内閣」を作る。
と言うようなことをするより、大きな「自民党」と言う中で権力を維持することを「保守本流」と言う名の下でやることを選んだのだ。

それの方が「政治においての主導権」を維持することができるので不本意ながら(それには複雑な理由があるのだがここでは割愛)1955年に「自由民主党」が生まれたのである。

だから自民党の中には昔は「主流派vs反主流派」の争いが絶えずあった。

逆に言えばだからこそ、政治におけるバランスをその争いの中で取っていた感がある。

派閥政治が良いという気はサラサラ無いが、自民党が政権を維持していたのはその絶妙なバランスが機能していたからだ。お互いが「国民の声」を意識しながら・・・。

「派閥の長」の器が小さくなり、政治的信念が薄れてきたことで「主流vs反主流」の争いが無くなり、国民の声を無視して「自分らの都合」だけで政治を行い始めたのが今の自民党である。

つまり「自浄作用」がなくなって、自分たちのことしか考えていない政党になったのだ。

いや、正確には「自浄」ではない。主導権の「たらい回し」だろう。まあ、何でも良い。とにかく結果的に昔は「国民の支持を得た形」になっていた。

今の自民党は「国民の支持を得るシステム」が壊れてしまっている。

こうした政党は「政権の座」から滑り落ちることしか残されていない。

今の日本の「モラル」も「人情」も「治安」もすべてが同じようにゆっくりゆっくり壊れてきてしまった。

前々から示してきているが、私は「民主党」が政権を握ったら良い政治をやるなどと短絡的に考えてるのではない。

ただ、長期に渡り政権を握っていた政党には緊張感が無くなり、その能力が落ちてしまうのは当たり前だと思っているだけだ。

「いつ政権を失うか分からない」「いつ選挙に負けるか分からない」からこそ政治家は真剣に仕事をするのだ。

その「緊張感」を与えられるのは、我々「国民」だけなのだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが今度こそ「国民の怒り」を自民党議員に突きつけますように。
                          
                          may

支持率が一ケタになっても「平然」としているって、結局そのことの意味がわかっていないからなんだろうなぁ・・・。「ハダカの王様」か?
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ことしの冬は・・・    ~記録的な「小雪」~

2009年02月11日 | Weblog
私は中年である。

今、サッッカーのワールドカップ最終予選のvsオーストラリア戦が終わった。

ご存知と思うが0-0のスコア・レスドローである。

ワールドカップ予選と言うのは独特の雰囲気があり、観戦するにも緊張感がある。
(もちろん「テレビ観戦」だが)

やっぱり、日本はこのレベルのチームにはなかなか勝てない。


ホームでもあるし日本に有利な要素も多々あったと思うが、それでも勝てなかった。

短く感想を記そう。

日本は昔からそうだが「どこからでもゴールを狙ってくる」という怖さが無い。

組織力を生かしたパス・サッカーを目指しているのは分かる。

しかし、瞬間的なひらめきでゴールを狙うと言うことが出来ない国民性なのだろう。

今の日本の実力と言うのは、前々から感じているのだがワールドカップにはほぼ毎回出場できるが「予選リーグを勝ち抜く力」は無い。

もっとも、それだって一昔前のサッカー事情を知っている者としては「大変な進歩」なのだが・・・。

今回もワールドカップにはいけると思う。

問題なのは次回の開催国が「南アフリカ」であることだ。

極東アジアの気候・条件がまるで違う中でのゲームになる。素人が考えても「厳しい戦い」になることは容易に想像できる。(当たり前だが、アジア勢の躍進が著しかったのはアジア地域で行われた「日韓共催」の時である。)

まあ、最終予選もまだ半分残っているわけだから「楽観」は出来ないけど。

結局日本には「釜本邦茂」以上のストライカーが現れていないと言うことだろう。


話変わって、モータースポーツから日本メーカーが次々に撤退していると言う話。

「ホンダはF1から撤退」「スズキもWRCから撤退」「スバルはWRCから撤退」「三菱、パリ・ダカ撤退」

世界的な自動車業界の不況下においては、当然の結果だろう。


F-1は、日本のホンダが参戦して連勝するまで「職人芸の集まり」のようなレースだったと聞いたことがある。

そこのホンダが参戦してハイテクを導入。全く別物にしてしまったと言うのだ。

日本の産業はちょっと前まで「サルマネ」と揶揄されていた。

その一因はその「技術力」によって発明されたばかりのプロトタイプを、格段に進歩させてしまうからだろう。

そして、モータースポーツの本場がやはり「ヨーロッパ」だと言う証明が、この世界的不況においてもヨーロッパのモーターメーカーが、ほとんどそれらのレースを撤退しないことだ。

ヨーロッパにおいて「モーター・スポーツ」とは完全に「文化」になっている。

日本ではまだ、その領域になっていなかったと言うことだろう。

戦後、いや明治維新以後、日本は西洋文化に「追いつく」ことを最大目標として躍進を続けてきた。

それは日本人の「勤勉さ」と「技術力」があることで、肩を並べることが出来た。しかし、それは正に「技術」と「外見」であって、その「精神」までを身に着けたかといえば「?」である。

私もごく一般的な「日本人」であるから、モータースポーツにおける日本メーカーの撤退を残念と思いながらも「仕方ない」と割り切っている。

そういう風に聞き分けよく考えてしまうこと自体が、私の精神に文化としてそれが身についてないということだ。
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不況下のスーパー・ボウル   ~劇的逆転勝利の意味~

2009年02月03日 | スポーツ
私は中年である。

昨年末の人間ドックで「白内障の恐れあり」と言うことで「精密検査」を言い渡された私である。

ドキドキで眼科にかかってきた。

その診断は・・・。

「異常なし」であった。

人間ドックの検査器具はそういう意味ではあまり「精密」ではない。

だから「疑わしい」物には、すぐに「精密検査」を言い渡す。

診断してくれたドクターは若いいかにも優秀って感じの人だったが「ドックの写真ってのは写りが悪いからすぐに怪しいって判断するんだよ」と言っていた。

ホッとした~~~。

まあ、なんと言ったって眼底を良く見る為に「瞳孔を開かせる目薬」をさされたらすごいね!

本当に瞳孔が閉まらないから光を全部目に入れてしまう。眩しくって眩しくってどうにもならなかった。


と言うことで最新のスポーツネタ「スーパー・ボウル」について。

「スーパー・ボウル」といっても、ゴムで出来たおもちゃのボールのことではない。

アメリカン・フットボールの全米No.1を決めるアメリカスポーツの一大イベントだ。

アメリカン・フットボールの面白さは、そのルールを知らないとほとんど分からない。

似たようなボールを使う「ラグビー」の曖昧さと分かりにくさを、アメリカ風に構成し直したのが「アメリカン・フットボール」で、近未来的スポーツで試合展開も「いかにも」アメリカっぽい。

たまに中継される時は「副音声」でルール説明をしているので、是非覚えて欲しい。

サッカーよりスピィーディーな動き、野球より複雑なゲーム展開、バスケットより激しい肉弾戦が見られるのだ。

ことしのスーパー・ボウルは初制覇を狙うアリゾナ・カージナルスvs6回目の優勝を狙うピッツバーグ・スティーラーズの対戦だった。


今は世界中のいろんなスポーツが観客を熱狂させている。

勝敗があるスポーツにおいては「逆転勝ち」は大きな見せ場であろう。

今回のスーパー・ボウルにおいては、その「逆転」がお互いに何度も起きてアメリカンフットボールの面白さを本当に堪能させてくれた。

アメリカンフットボールの勝敗を決めるファクターは「得点力と時間の使い方」

今回のゲームほどそのことが示されたゲームもあるまい。

カージナルスは最後の得点を上げて逆転したが、残り時間を2分30秒ほど残してしまった。

解説でも言っていたが、これが2分以下であったらカージナルスが勝っていた確率が50%を超えていたろう。

ちょっとアメリカンフットボールを知っている人なら、再逆転があるかもしれないと思ったはずだ。

それ位に2分以上の残り時間と言うのは危険な残り時間だ。

なぜ、もう少し時間を使って得点しなかったのか・・・。

いや、確実に得点できる保障はどこにも「無い」

ならば、少しでも早く得点して逆転しておくことは間違いではない。

ただ、これがもし逆の立場だったら・・・。

過去に5回のスーパー・ボウル制覇の経験のあるスティーラーズであれば、もっとギリギリまで時間を使って逆転タッチダウンを狙ったのではないだろうか・・・?

それに対してスーパー・ボウル初出場のカージナルス・・・。

ありきたりだが「経験」が足りなかったのではないだろうか・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながスポーツの決定的瞬間を見逃しませんように。
                          
                          may

これほどのアメリカンフットボールでの劇的勝利は日本の「ライス・ボウル」第37回(1983)の京大ギャングスターズvsレナウンローバーズ戦以来だ。って、知ってる人はほとんどいないだろうなぁ・・・。

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