完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

困ったものだ・・・   ~尖閣湾中国漁船衝突事件~

2010年09月21日 | 時事ネタ
私は中年である。

私はテレビの番組を5分と続けて見ることが出来ない。いつもカチャカチャとリモコンでチャンネルを変えながら見ている。

昨日もそんな風にテレビを見ていたら、ある番組で木村拓哉と沢村一樹が平泉成のモノマネ合戦をしていた。

そしてヒョイと隣の局に変えたら、そのモノマネをされている平泉成が真剣な顔で演技をしていた。

思わず笑ってしまった。  ・・・ただそれだけの話。


さて、政治的な話はこの頃Upする気がなかったのであるが、そろそろ頃も良かろう。

まずは「尖閣湾中国漁船衝突事件」について少々・・・。


事象が私達に伝わる時に、ホンのちょっとしたことで違った印象で伝わることは良くあることで、そうした意味では「事実」や「真実」が純客観として届くことは、まず無いと言ってよい。

そうしたことを受け取る側として冷静に受け止める感受性を磨いていかないと、今の世の中では大変なことになる。

今回の事件でも、ことが中国がらみであると心して受け止めねばならない。


歴史的に見て東アジアの人間は「力」に媚びる傾向がある。

「権力」にも「暴力」にもだ。

唯一日本がそうでない。・・・といいたいところだが、あの太平洋戦争の状態をみると、あまり説得力が無い。

歴史的に東アジアは、儒教的意識と近代的デモクラシーの中で揺れ動き互いに牽制・対立して近代国家となった。

その中で武力衝突・経済的協力・政治的融和が現代も続いている。


それらの事象を一つ一つ調べていくと、面白すぎて他のことなど出来なくなってしまう。

今回の事件の伏線になっているのが「領土問題」であることは明白。

もともと中国はアヘン戦争以降「植民地政策」という煮え湯を散々飲まされてきた。

その中で西洋諸国はともかく、自分達より格下の国と認識している「日本」に攻め込まれ、あまつさえ満州国という傀儡国家まで作られた過去を未来永劫忘れることは無いだろう。

そうした中で「国土・領土」(チベット自治区などを含む)のことになるとミサカイがなくなっている気がする。(まあ、分からなくはないけれど・・・)

尖閣湾(魚釣島)の問題も、近代になってから領有権を主張してきた中に資源問題が見え隠れすることは、報道でも言われていることだ。


中国の現状で私が一番危惧するのは「知的所有権」に関する意識だ。

音楽・文学・論文などの心や意識に訴えかけるものに対する価値をあまりにも軽く扱いすぎる。

上海万博における岡本真夜の曲然り。北京五輪における口パク事件然り。

そうした事件・問題における「人間の心を傷つけること」に対する意識の低さは、結局民度に低さに直結している。

経済・軍事大国になりつつある中国がこの部分を改善していかない限り、世界的に「同じ話」をすることは出来ない気がする。

結局この事件においても、国と国レベルの対立である限り「面子と面子」がぶつかり合う。

そうなると中国のこれまでの対応の通り、事実・真実を別にして「ゴリ押し」をしてくるだろう。温家宝首相も本当のことを知っているにも関わらず「即時開放」を要求したしね。(知っているかどうかは憶測ですがね)そして、これをきっかけに春暁油田の件なども進めることは充分に考えられる。

事において「既成事実」を作ることは、個人においても国レベルにおいてかなりの強みになるからなぁ・・・。

とにかく日本は、すでに「司法」という段階に入っているからどうにもならないし。(これが外交上手の国なら、何らかの「カード」に使うだろうな)


最終的には、今回の事件の真相・真実はあまり問題ではなく、中国はこの事件をいよいよ日本に取って代わり「アジアのリーダー」になるキーポイントの事件と捕らえて動き出しているということだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。ただ、民度が上がらない限り政府の思いとはウラハラに「国民の幸せ」はやってこないんじゃないかな・・・。

                                                     may

日本が「アジアのリーダー」と思っている日本人がそれほどいるとも思えないし、リーダーってのがそれほどありがたいものでもないと思うけど、中国からすると許せない部分ではあるんだろうなぁ・・・。

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中年の同級会   ~欠席の理由~

2010年09月07日 | Weblog
私は中年である。

二週間近くも雨が降らなかったが、急にどしゃ降りの雨が激しい雷と共にやってきた。

それでいきなり空気の感じが変わったように思う。

まだ、相変わらず暑いのではあるが・・・。


先日「同窓会」があった。

私は欠席した。


これまでの同窓・同級会では、幹事に名を連ねる常連であったが今回はその声もかからず、またその会自体にも出るのをやめた。


すでに50歳を目の前にして「ハーフ100歳を祝う!」と称して全員が揃えば360人になろうかという同級会。

本当は出ようかとも思った。

懐かしい顔を見たい気持ちも少なからずあるにはあったのだが・・・。


欠席の理由は幾つかある。

メタボが心配なこと。参加費が高いこと。(セコイな)etc

しかし、同級会を欠席した最大の理由は、・・・自分の「老い」を確認したくはなかったからだ。

いまでも街をちょっと歩けば、中学時代の同級生と顔を合わせる。

悪いことに私の同学年は、360人近くもいる。

すると、小さい田舎町だからすぐに同級生と顔を合わせることになる。

その瞬間(歳を取ったなぁ・・・)と思ってしまう。

困ったことにこちらがそう思った以上に、向こうもこちらをそう思っているのがアリアリとわかるのだ。

同級会ともなれば、右を向いても、左を見てもそんなふうになる。

つまり「自分が老いてしまった」ことを今以上に自覚することになる。

それは、とても「危うい」ことだ。もちろん、「自覚しない」ことも充分危ういのだが。

わたしのように「生きていること、そのものが苦痛」な男は、勘違いであっても「まだ若い」と思っていなければ、生きていけないのである。

どうやら「同級会大好き!」という人達は、全く逆にその古い友たちとの一夜の宴を「パワー」に変えられる能力に長けているらしい。

だから、そういう人たちは毎年同級会をやっている。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これから、いつか同級会に出るときがくるのだろうか・・・。

                                                     may

後で聞いた話だが、欠席した別の人間が「せっかく幹事が頑張ってくれているになぜ出ない」とか「この間の同級会になぜ出ない」と次々に言われたという。

こういう事を言うのは、特に気の良い男に多い。そうした奴らには、私の欠席の理由などとても理解できないだろうなぁ。


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