完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

ミスキャストと言うには言い過ぎか・・・・。    ~佐藤健に見る時代劇のむずかしさ~

2013年07月31日 | テレビ
私は初老男である。

・・・疲れた。

昨年のような「猛暑」が続くわけではないが、逆にゲリラ豪雨のつづく歳も体に負担が来る。

さらに、精神的なプレッシャーが重なり、身も心も両方が疲れている。


本当は終わらせなければならない雑務もあったが、出来なかった。

そんな日曜日の午後である。



さて、初老男は「時間」も「金」も、さらに近くに「映画館」もない。(すごい「田舎」でもないんだけど・・・ってやっぱ田舎か?)


だから、ここ数年映画を見ていない。

そういえばって感じで忘れた頃にBSとかで映画をやる。


そんな中で昨日「るろうに剣心」が放送された。


人気漫画が原作である。


初老男は、そうしたマンガあることは知っていたが読んだことがなかった。

ただ、幕末の侍ものであることらしい。


「斎藤一」が出てくるらしい。


とすれば・・・。


どんなことがあっても、見ておかなければいかない。



と言うことで、映画を見てみたのが・・・。


感想は

 
     「モッタイナイ・・・」


                 の一言だ。


吉川晃司・綾野剛・江口洋介・須藤元気・香川照之・・・。主な脇役たちである。

女優陣は

武井咲・蒼井優。

数は少ないが、かなりのレベルだ。


こうした脇に囲まれての主演が「佐藤健」では、残念ながら彼では「力不足」だ。(役不足って言いたいが、最近これは「役」の方が演者に不足って意味だと知ったので使いません)


同じことが、今見ているBS大河ドラマアンコール「龍馬伝」でもいえる。


佐藤健の演じているのが「岡田以蔵」そう「人切り以蔵」である。


奇しくもこの役も「剣豪」(?)だ。


演出のせいだろうか?彼が演じている緋村剣心は、今一つ「明るさ」に欠ける。


そして、これも演出のためか、彼の演じている岡田以蔵は逆に「暗さ」に欠けている。


「るろうに~」は原作を読んでいないので、彼の演技で正しいのかもしれない。


しかし、映画の中では、あまりに周りのわき役たちが「濃すぎて」彼が生きていない。


「龍馬伝」での彼は、もっともっと鬱屈した人間だったはずだ。つまりは、彼では岡田の心の闇を表現しきれていない。


更に言えば「るろうに~」の武闘シーン(チャンバラだぁな)は・・・つらい。


格闘であれば、見ていて「カッコイイ」って感じになるが、剣術の武闘は「斬った斬られた」で殺伐とした感じになってしまう。


その殺伐感に彼は「ノれて」いないのだ。


龍馬伝はその武闘シーンに重きが置かれていないだけに、殺伐感は薄いがやはり彼の「軽さ」が気になる。




佐藤健は24歳。仮面ライダー電王でデビューして今「新進気鋭」と期待されているのは分かるが「緋村剣心」「岡田以蔵」ともに彼にはまだ重すぎる役に思える。


まだまだ、先のある彼だから頑張ってほしいなぁ。


だいたい、今この両方をやれる若い役者は・・・ちょっと思いつかないよ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、期待できる俳優を見つけますように。



        May



・・・言い訳がましいですが、多分に「演出」によってかなり違ったものになったはずだよねぇ・・・。




コメント (5)
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やっぱり「中選挙区制」復活してほしい!   ~参院選総括しましょ~

2013年07月25日 | 時事ネタ
私は初老男である。

さて、参院選が終わってみんなが忘れたころに、その話をするのは私の常套手段である。

今回の参院選の結果は・・・。

「まあ、しょうがないかな・・・」ってとこだすね。


民主党のこれ以上ない「ドヘタな自滅」から、うまい具合に「世代交代」できた自民党が政権取って、最初の選挙を「波乱なく」を順当に勝ったってこと。


今回の選挙程「見所の無い」選挙もめずらしい。


本当のところ「原発廃止」「TPP参加」など争点は、今までの選挙以上に大きいものだった。


しかし、その争点を「担うべき政党」が無かったのだ。

民主党は論外。

政権を失った理由がどこにあったのか、この党は分かっていない節がある。

はっきり言って、この党が再生するには他の政党との連合ないしは政界再編による消滅しかないだろう。


「政党」と言うもののむずかしさは、我々国民から見ると雨後の筍の如く乱立している政党であるが、主張している「政策」に大して違いがあるとは思えないことだ。


まあ、そうした「細かい」部分に目をつむってできた「民主党」がああしたテイタラクだったから、分からなくもないけど・・・。

政治的なことをUpするときは、いつもこの話になってしまうのだが・・・。


55年体制の自民党は、その細かい部分を「派閥」というもので納めてきた。

「派閥」を「政党内政党」に言い直して見るとわかりやすい。


主流派・反主流派に対立しながらも党を割ることなく、政権を渡さずに「与党」であり続けるしたたかさは、小泉純一郎という稀代の「壊し屋」が現れるまでつづいた。(まあ、彼だけの「功績」ではなく、いろんな条件がそろったんだけどね)


自民党が政権を奪還した理由も、その55年体制時代に築いた「党の分裂」を最小限度に抑えるシステムが生きていたからだ。

本当の意味においての「権力」を党の誰にも「独占させない」というシステム。

逆にそのせいで「だれの責任か?」ってこともいい加減になるけど・・・。


派閥の長も「脱党」を武器にしたりはしなかった。それは結局自分の政治家としての価値を下げることにしかならないことを良く知っていて子分たちをまとめていたしね。


なにより、今回の選挙の結果の最大の要因は・・・。




         「現行選挙制度の盲点」


                      だろう。


比例代表制は論外。弱小政党は絶対に勝てない制度だもん。


問題なのは衆院選とは若干違うが、都道府県の定員1の選挙区が31もあるということ。


そうした「小選挙区」に似た状況では、対抗する「力のある政党」が存在しない限り与党が圧倒的に有利なのだ。

また、与党に「大きな失点」があれば「風」を起こすことができたかもしれないが、少なくとも今回はその「風」が起きなかった。


選挙制度に「完全」は無い。

しかし、現在のこの制度が民意を反映しているといえるだろうか?

もともと、この制度は政権を失う前の自民党が、自分に都合のいいように成立させた選挙制度だ。



本当のところ、国民はこれほど自民党を勝たせるつもりがあったとは、私には思えないのだ。

政治において「安定多数」を確保するということは「法律を作る」ことは容易になる。

しかし、それは政党が「好き勝手」にやれるようになることを意味する。

だから、ギリギリ安定多数に届かないくらいに留めておけば、その政党も必死で政治をやるようになる。

だが、この選挙制度はそれを許さないようにできている。

余程、計画的に「投票する側(国民)」が「操作」しないとそんな結果にならない。(ってことはつまりは、あり得ないってこと)


中選挙区制度の頃を良く知っている初老男にとっては、中選挙区の方が「民意を反映していた」気がして仕方がないのだ。

現行制度では「死票」が多すぎる。

落選候補の得票がみんな「死んじゃう」制度は、不自然だもの。


中選挙区制度に戻ってくれないかな~~~。


・・・ところが、現行で勝っている政党がその制度を変えるわけがない。


一つだけ可能性があるのは、例の「1票の格差」問題だ。

まあ、これとて少数野党が皆してバラバラな是正制度を主張してばっかじゃ望み薄だけど。

これから、自民党に「大失態」がない限り、しばらく自民党の天下がつづくってこと。

残念ながらそういうことだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、中選挙区制度に戻ることを夢見ますように。


          May


選挙速報も中選挙区制での「最後の一枠」争いなんて、今の選挙速報番組のぬるさからは信じられないくらいドキドキしたからなぁ・・・・なつかしい!
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究極のゲームって?      ~それは「○様」になること~

2013年07月23日 | テレビ
私は初老男である。


今年はちゃんとした「梅雨」がある。

どころか、地域地域においては「豪雨」の爪痕まで残った。


それでいて関東地方は「渇水」に悩んでいる。


たった数百キロ離れたところでは、洪水被害。

それになす術のない我々・・・。



こんなシビアな話で始めるような内容でなくて恐縮です。


「タモリ倶楽部」の話はたまにしている。


長寿番組だ。


タモリと言う人と、テレビ朝日の深夜番組のキーワードは


 
         「ゆるさ」


               だろう。


しかし、である。


テレビ朝日の「ゆるさ」はともかく、タモリの「ゆるさ」は瞬間的な「緊張」が時折垣間見える。


「緊張感」の正体は、彼自身の子どものような「好奇心」だと思っている。


彼自身に子供がいないので尚更なのか本当に様々なことに興味を持ち、それを「知識」のレベルにまで彼は昇華させている。



数回前のタモリ倶楽部での話。


「孤高の地図マニア ~ひとり国土地理院大集合!」


と言う企画があった。


これはスゴかった!



つまりは「存在しない、自分の頭の中だけにある街も地図を克明に描く」人たちの紹介した回である。


こういう人がいるのである・・・。


普通の人間が、子どもの頃にドライブに連れて行ってもらえば、その風景を「絵」にかいたり作文にして残すだろう。


しかし、それを「地図」に残すという子が極々少数だけれど存在するのだ。


すごいですよ!

細かいディティールにこだわり、国土地理院が作るように「等高線」を書き(知ってます?等高線。)バスの路線図まで書き、未成線(将来できるはずの鉄道)がなぜ未成線なのか?(実は土地の買収に失敗した?)とかも細かく細かく書き込んでいる。

コンビニさえも、架空のメーカーを4社考えロゴを作り不自然の無いように配置している。


そうなのだ。

その地図を描きながらも、彼らは描いた土地に住む市民の生活がはっきり思い浮かんでいるのだ。


その回の中での「空耳アワー」(タモリ倶楽部内の名物コーナー)のMC安斎氏も、似たようなゲームに熱中したことを吐露していた。

それは「陸上競技ゲーム」

トラックを升目にして、サイコロでゲームを進めるというゲームらしい。

これに熱中して、受験勉強をやらずに父親にそのゲームの「禁止」を言い渡されたという。



ここまでUpして、ハタと思いだした。


今は亡き阿佐田哲也氏の話。

彼も、そうしたゲームに熱中したという。


野球ゲームなのだが、つまりは「全部」自分がやるのである。


カードを数多く使い、あとはサイコロを用意。

チームを複数造り、選手を作る。

監督を任命して、本拠地を決める。

試合の日程を考え、その日の天候もサイコロで決める。

つまり「雨天ノーゲーム」なんてのもあり得るわけだ。

選手はカードにして、各チームのピッチャーのローテーションを考え、現実に1シーズン試合をやり、各選手の打撃成績をだして、全員と「契約更改」する。


もちろん、各試合の観客数もサイコロで決め、入場料を計算する。その収益で球団と選手の契約交渉も・・・・。


もうええわ・・・。


このゲームをやって、彼は文字通り「寝食」をわすれ、最後は苦痛でのた打ち回ったがやめられなかったという。


いまや、ゲーム業界は「隆盛」を極めている。

しかし、それは結局人のかいた筋書きをたどっているに過ぎない。

もちろん、様々なゲームにおいて、他に代えられない「醍醐味」があるがゆえにそれらのゲームが流行することに意味は大いにある。


だが、最高のゲームは、縷々述べてきたように、自分が全能の存在になる

 
         「神様ゲーム」

                  なのである。


結果となる部分だけは「運(サイコロ)まかせ」で、それ以外は自分が「神」になる。

これなのだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、あまり「神」になりすぎませんように。


            May


そう言えば、ダウンタウンの松本がシュミレーションゲームが、オモシロくないって言ってたことがある。「王様の言うこと聞いてないで、その王様失脚させて自分が王様になったらええやん・・・」この人も「神様ゲーム」にハマるタイプではないだろうか?








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お見逃しなきように。     ~大河ドラマアンコール「龍馬伝」第16回~

2013年07月18日 | テレビ
私は初老男である。


参議院選挙がこの日曜日(7月21日)に迫ってきた。

・・・本当のところ「言いたいこと」が山ほどあるのだが、単純に自民党が圧勝しそうな今のこの状況に何を言ってもむなしいので、あえてなにも示さないこととしよう。

選挙後に、もしその気になったらなにかUpするかもしれない。



さて、このブログを読んでくれている奇特な貴兄は、もしかするとご存知かと思うのだが、私のこのブログの中で一番読まれているUpが




      「近藤長次郎」の話   ~大泉洋の好演~(2010年8月22日)


                                                                            なのである。


ありがたいことに、このUpはずっとほぼ首位を守っている。


さらに、あまりコメントをもらえない私のブログにコメントまで頂いている。


自分で言うのもなんであるが・・・・、


結構いい文章だね。(馬鹿野郎メ!)



実は、今某国営放送BSの土曜日PM6:00から「大河ドラマアンコール」をやっていてそれが「龍馬伝」なのだ。



そして、次の土曜日(7月20日)が、この「近藤長次郎」のUpの内容とリンクしている第16回の放送日である。


ブログの内容に出てくる、当時私が選んだ「龍馬伝」のベストシーン。



        「私にも『志』がありますきに!」


                         これは名セリフである。



是非ご覧いただきたく、今回のUpを広報に使わせていただきました。


こうした文章と言うのは、やっぱり、具現化されたその「瞬間」を逃さずに見てみないと、本当の感動は伝わらないからね。



あれから3年。


大泉洋氏は、ますます役者としての幅を広げて「探偵はBARにいる」という名作に主演したり、着実に自分の足元を固めていますな。


コメントでも指摘されたように、その当時「芸人」と思っていたことを改めてお詫びしたいと思う。


        「大泉さん。大変すいませんでした~~~。」


結語に書いた酒井若菜さんは、もっともっと評価されていい「女優」であると今でも思っている。頑張ってほしいなぁ。


改めて思う。


「龍馬伝」は、本当にいいドラマだった。


しかし、「今現在の福山雅治」だったら、もっといいものになっていたのではないだろうか?


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「たかがドラマ」に「何か」を見出しますように。


         May


人生もドラマも「主役でない」部分が大部分であり、自分がそちらであることに気が付いても・・・・落ち込む必要はないよ。人は元々、特別な・・・・・ONLY・ONEなんだから。



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「解脱」への道     ~私はこうして「無」から脱却した、ってか~

2013年07月17日 | Weblog
私は初老男である。

さて、先のUpで私が「無」の状態にあったことをお知らせした。


今はどうか?


それがまた、あっけなく「脱出」したのだ。



話の経緯は簡単である。


「予期せぬ問題」ではない「来る時がきた問題」が意外に簡単に「解決」したのだ。



しかし、それは「簡単」ではなかったのかもしれない・・・。



まずは「解決」した経緯を説明しておこう。


「無」から脱出する方法は「営業」と書いた記憶がある。


「営業」と言うのは、私の場合単純に「物を売る」ことではない。


つまりは、日頃やっていない他人との「コミュニケーション」を広げ「理解してもらう」ことを意味する。


私はひどく我儘な父親と、この歳になるまで生活している。


彼は私が子供のころから、自分の感情にまかせ私を怒鳴りちらし時には拳を上げた。(別に虐待されたわけではなく、私の子どもの頃はそれが当たり前だった)


そうすると、どうなるか?


兄も弟もそうはならなかったが、私は父の「顔色をうかがう」ことで自己防衛をはかるようになった。


これはそのまま今の私の性格に反映されている。


話が持って回ったが、こうした性格の人間は「ゴリ押し」などが絶対できないと言いたかったのだ。


人の顔に少しでも「困った感」や「イヤな雰囲気」が見えると、それ以上の「営業」をできない。



こうしたときに若いときはあわてて、騒ぎまわって自分自身を追い込んでしまう。


気持ちは追い詰められていくが、最近はこうしたときには「時」を待たねばならないことを学んだ。


曰く、私は


      「迷った時は『動くな』」



                  というモットーを手に入れたのだ。



今回もジリジリとした「焦り」の時間をしばらく過ごす。


それは精神的には、ずいぶん辛いことだ。


しかし、その時間で「冷静さ」を取り戻し、様々な方向性を判断する。


一大決心をして「営業」に出た。




・・・・すると、


自分の予想では「97%」の確率で失敗すると思われていた「一番候補」が手に入ったのだ!


様々な角度から言っても、実は一番「美味しい」その営業が成功して、まず・・・呆然としてしまった。


最近、この歳になって「最悪」の状態にならないことが多くなった。


それは、その出来事を「最悪」と意識的に思わないことであり、経験からくるリスクマネージメントに対する方向性がしっかりしてきたからだろう。




やはり、この結果を手に入れたのは「簡単」であったと結論付けるわけにはいかないな。


それさえ、様々な細かいディティールの積み重ねの中で、ちょっとしたタイミングで同じ結果にはならなかったはずだから。


「解脱」と言うものの定義を知らない私であるが、それがすべての物からの「解放」であるとするならば、私のような人間には未来永劫訪れないだろう。


もしそれが訪れたとすれば、それは自分の意識の喪失。つまり「死」の時だけだ。


生涯生きているうちに「解脱」できないことに、それほどの不満を持つことのない初老男である。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「悩み」の本質が最終的に「自分の深」にあることを認識しますように。



             May



若いときには、こうした追い詰められたことから解放された時は「ぱぁ~~~っと」気分が晴れたものだが、今回はホンの一瞬「ホッ」としただけで、新たな「悩みにタネ」が芽を出した。





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追い詰められています。    ~焦燥と酩酊と感性と絶望感~

2013年07月14日 | 酩酊
私は初老男である。


人生においては「予期せぬ出来事」と言うのがある。

実際において「予期せぬ」ではない場合もある。


つまりは「来る時がきた」と言うことだ。


この歳になると、ある程度の「未来」と言うのは予測の範囲内になる。


しかし、人間誰しろ自分にとってあまり「ありがたくない未来」のための準備など疎かになりがちだ。


そして、その「来る時」は、たいてい突然やってくる。


そうするとどうなるか?


とりあえず「止まる」


思考停止だ。


日頃から偉そうに言う。

こうしたときに「冷静な対応」ができるはずだと。


しかし、こうしたときに訪れるのは間違いないく「無」なのだ。


問題は、その「無」の先だ。


どれくらいでその「無」を脱するか。


だ。


困ったことに、自分にとって一番の「苦手な分野」のことが、先に待っている。


そう

・・・・「営業」だ。














既にお気づきのことと思うが、カテゴリーである「酩酊」をとうの昔に脱している。


だが、逆に一週間経ってまたウィスキーをやっていて「酩酊」になったので再開しよう。



「無」の話。


つまり「無」とは・・・・・。


「放心」とか「茫然自失」とかいう状態だ。


その事柄の重みにおいて、その「無」の時間は変わってくる。


自分の許容量を超えるような大きな問題に突き当たると、人間は「放心」し、さらに最後は「逃避」してしまう。


若いときにこの「逃避」が続くと「引き籠り」になるというわけだ。


この歳となれば、まさか「引き籠り」になることは無いだろうが(あるかも?)早くその「無」のところからは抜けださねばならぬ。



その「無」からの「脱出」は、また次回に。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、はやく「無」から脱しますように。


        May


人生も後半に懸っているのに、こうしたから脱する術をそれほど得ていないなぁ・・・。








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「本質」を見極めれば、自ずと答えが・・・   ~時事ネタ二つ~

2013年07月04日 | 時事ネタ
私は初老男である。


先のUpが途中であるが、ついつい取り上げたいネタが2つ見つかった。


まず、当然の


     「安藤美姫、出産後ソチオリンピックを目指す」


                             である。


女性が「子どもを産む」という神に与えられた行為は、他の何にも比べようのないものである。

そのことに男である私は恐れおののくばかりだ。


このことをマスコミが「スキャンダル」と扱っていないように感じるのは私だけだろうか・・・。


まあ、彼女は芸能人でもないし、繰り返すが「出産」はそれ自体はとても「尊い」ものだ。


先ほども本人からのFAXが公開され「愛娘の父の名前は明かさない」との内容だった。


私などは、どこまでいっても「ゲス」であるから「誰が父親だろう・・・」とか「自分が妊娠していたことがわからなかったのだろうか」とか、考えてしまう。


母親となった彼女に「祝福」と「心安らかな生活」を願う私は「意地悪」だろうか?


娘二人を持つ「親」として言わせてもらえば、今は「母親」に専念してほしいと思う。


今の状況で「アスリート」に戻ることに、世間の人たちは「拍手」を送るかもしれない。

しかし、不特定多数の人たちの「愛される安藤美姫」でなく、世界でたった一人の「ひまわりちゃんの母親・安藤美姫」になるべきだ。


失礼かもしれないがこうした形でアスリートに戻っても、その演技に「すべて」が反映してしまう。

・・・・推して知るべし。



さて、もう一つは原子力規制委員会の田中俊一委員長の「この」発言。


「(新潟知事は)他の自治体の首長が納得しているなか、かなり個性的な発言をしている」


単純の私の意識であるが・・・。

「他の自治体の首長が納得している」ことの方が、わたしには「奇異」にしか感じられない。


京都大学原子炉実験所助教「小出裕章」氏の講演を聞いた人間としては、この田中俊一と言う人は、原発に反対している人間を初めから「小バカ」にしているように思えてならない。



地方自治において「地域経済」の問題は、いまの日本と言う国において「死活問題」である。


しかし、だからこそ「目先のお金」より、本質的な人間の「尊厳」を守る意識が必要だ。

前のUpで示した通り「うんこ(核廃棄物)」の処理をできないまま「美味しいもの(電力)」だけを手に入れれば、そこにあるのは「歪んだ身体」だけである。

それは「突然死」をも招きかねない危ういものだ。


泉田知事は「極々普通の」態度を取っただけに見える。

それは批判する「田中俊一」と言う人や、目先のことに捕らわれて納得している「ほかの首長」という人たちは体だけでなく「心」まで歪んでしまっている。

そのことに、本人たちは「気付かないフリ」をしているような気が・・・。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。このブログの読者の皆さんもマスコミの報道や人の意見じゃなくて、自分自身で物事を判断しますように。



      May


女性には「いい選手」になることより「良い母親」になことの方が大事だ。「命」を守るためには「文化的な生活」を捨て去る覚悟が必要なのだ。





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出来不出来はあるわなぁ・・・。    ~司馬遼太郎「世に棲む日日」読み終わりました~

2013年07月02日 | 
私は初老男である。


この頃は、若いときの半分くらいしかい本を読めない。


年間に何冊の本を読んでいるか?

皆さんもちょっと思い出してみて欲しい。


今私は大体30~40冊くらい読めているだろうか・・・。


これは前から言っているのだが、週刊雑誌は年間に52冊発行される。


だから、一週間に1冊の本を読むと年間52冊読んだことになる。


年間100冊以上読もうとおもうえば、ほぼ三日で1冊読まないとそれを達成できない。


現代人がこの数をこなすのは、かなり高いハードルではないだろうか。


私の若いときの最高で110数冊読んだ記憶がある。



と言うことで、



      司馬遼太郎著  「世に棲む日日」(全4巻)


読み終わりました。


この小説は、前半を「吉田松陰」後半を「高杉晋作」この二人を中心とした幕末ものである。

しかも吉田と高杉と言えば、まさにその明治維新のキッカケとなった長州藩の二大巨頭だ。


司馬遼太郎も、得意の「見てきたような言い切り(思い込み)」で二人の性格と行動を、バッタバッタと進めていく。

この人の小説の最大の魅力は、この「見てきたような~」である。


小説と言うものはどこまで行っても作家自身の「想像の産物」でしかない。そこに小説家自身にケレンがあったのでは説得力も何もあったものではない。

もともと「想像」なんだから、説得力がないのは当たり前なんだけどね。

それを信じさせることこそが作家の腕であり、信じさせられることが読書家の楽しみなんだ。



・・・とここまで書いておきながらなんであるが、この小説は彼の小説の中では「イマイチ」に感じてしまうのは私だけだろうか・・・。



つづく





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