完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

小ネタを幾つか。     ~気になるいくつかのこと~

2012年08月29日 | Weblog
私は初老男である。

「小ネタを幾つか」と銘打ってみたが、実は気になっていることは一つしかない。

とりあえず初めてみるが、一つきりで終わってしまったらゴメンナサイ。


まったく何の脈絡もないのだが、今現在に限らず「政局が乱れ始める」と評論家たちが言う決まり文句がある。


     「こんな『政局』ばかりで争わず『政策」を重視してほしいですね」


こんな風である。

少し前まで、私も「そうだ、ソウダ!」と思っていたのだが・・・。

よく考えてほしい。

「政局」と言うのは「政治家たちの仲間内の駆け引き」のことだ。


「政策」は行政におけるその「手法・方法」のことだろう。


「政策」を示すこと、提言することはもちろん大事である。


しかし、政策は「実行」されなければ意味がない。


そして、その政策を実行するためには「群れを成さねば」ならないのである。

なぜなら、そうして「群れを成す」状態を「政党」と呼ぶのだから。


「議会制民主主義」というのは、そうした「政党」の集まりによって行うことになっている。

「政党」に入らない政治家もいる。「無所属」と言う人たちだ。しかし、そうした人は残念ながら今の政治制度の中では、ほとんど力を発揮できない。


さらに言えば「議会制民主主義」というのは、突き詰めると「多数決」と言うこと。

「数」が「すべて」なのである。


だから「政策」を実現するためには、まず「群れ」の「仲間」の数を増やすことが大前提になる。

「政局」が安定しなければ「政策」を行えない。

だから、政治家は「政局」を読み、群れを成すことに躍起になるのだ。


評論家の言う政治家が「政局」より「政策」という形をとるのは、ある条件を満たしていない限りあり得ないことなのだ。

・・・その条件とは・・・「政局が安定している」状態。

と言うことで、以下はループ。(そうした状態中でしか「政策」は論じられないのである)



一日経ったら、小ネタが見つかったので続けます。


「田中真紀子」を民主党の代表選挙に推す動きがあるという。

・・・民主党の混迷もここに極まった。


「民主党代表選挙に野田代表の対抗馬を模索する動きがあるが、知名度の高い田中氏であれば、こうした動きを一本化できる」と踏んだ民主党員がいるとい。たとえば民主党の中はそれで一本化できるかもしれない。(かなり期待は薄いが)

しかし、もし民主党代表が田中真紀子にきまったら=総理大臣候補に彼女を立てることになる。

・・・党内はそれでよいかもしれないが、国民は・・・。考えただけで「そらおそろしい」。


当然そこまで考えて彼女を対抗馬に押すんだろうね。

でも、そんなことを本気で考える党員が一人でもいるのなら民主党も「もう終わり」だ。


田中真紀子の政治家としての「賞味期限」はとうの昔に切れている。

彼女の地元の私でさえそのことにはだいぶ前に気が付いている。


国民も他の党の政治家も、すでに「第三局」の橋下政党を中心に動こうとしているこの時期に・・・。

・・・ああ、切ない。


続けてもう一発。

「島田紳助ショックから一年」

本当のところ、まだ一年しかたっていないことに驚いた。

そして、彼がまだ「逮捕」されていないことにも。

はたして彼が芸能界に復帰することはあるのだろうか?


日本人は「忘れっぽい民族」だからなぁ・・・。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、小ネタをいつも探しますように。

                    May


やっぱ「小ネタ」にしないで、一つ一つ掘り下げた方がよかったか?





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日本映画の転換期    ~「タンポポ」に物思う~

2012年08月27日 | テレビ
私は初老男である。

数日前に「タンポポ」が、BSで放送された。

そう、伊丹十三監督である。

放送の中で、この映画は「喜劇」の分類にされていたが「?」である。

私はこの映画が大好きで、以前は一年に一度は見返したものだ。


公開当時の1985年は、私は24歳。

調理の仕事を初めて5年目。

この映画を見て、自分の仕事の奥の深さに改めて気づかされた。


伊丹十三監督の2作目の作品で彼の作品はこれ以降、具体的な内容の物が増えていく。、

初作品の「お葬式」そしてこの「タンポポ」までは多分に「よくわからない」描写が盛り込まれている。


わたしが、ちょっとした「変わり者」であることは、ブログの読者諸氏はすでにお分かり頂いていると思うが、特にこの「よくわからない」ところに魅力を感じるのだ。


具体的な部分ではない部分。「よくわからないもの」を理解しようとすること。自分自身の解釈によって見方を変えることができること。これが私の好奇心を煽るのだ。

うがった見方はわたしの得意のところだが、本当のところ彼はラーメンのことなど興味がなかったのではないかと思う。

たしか、生前の伊丹監督が言っていた「ラーメン」が面白いのではない。「ラーメンを面白がっている人」が面白いと思っていると。

当然と言えば当然なのだ。映画監督が興味があるのは「オモシロい人間」だけだろう。


そうは言っても食べ物に対しては、この当時では革新的な内容がふんだんに盛り込まれている。

しっかりした記憶でなくて申し訳ないが「タイユバン」とか「コルトン・シャルルマーニュ」のことを、聞いただけで分かった人は当時そうはいなかったと思う。

山崎努と宮本信子の焼肉を食べるシーンでも「骨付きカルビを、はさみで切ってサンチュに巻いて食べる」と言うやり方は、韓国風な正当な食べ方とは認識されていなかったよう気なきがするしね。
その場に日本酒がおいてるあたりがやっぱりその当時らしい。今なら「韓国焼酎」か「マッコリ」がおいてあるだろう。


それから、やはり伊丹監督といえば「エロチックな表現」だろう。

この人のこの感性は、本当にこの当時「群を抜いて」いた。

ゴローがケンカでノサれてしまった翌朝、ゴローを抱き起すタンポポがゴローの顔に胸を押し当てるシーンには「そんなことをする意味があるのか?」と思いながらも、若い私はドキドキしたものだ。

牡蠣を取る少女(洞口依子)もとても良い。海から上がってきた彼女の体にまとわりつく海女着によって幼い胸元が張り付いてはっきり見える。

それだけもずいぶんエロチックだが、その少女が白服の男(役所広司)の唇の血を舌で舐めとるシーンには、若い私は(しつこい?)ドッキリした。

歯痛の男(藤田敏八)が、歯科治療を終わった後で異常に「体をくねらす」歯科助手(南麻衣子・この人私と同じ歳なのね・・・!)とかね。


白服の男(役所公司)とその愛人(黒田福美)の「絡み」の数々などは、直接的なSEXシーンよりも「数段エロチック」だ。

「乳首に塩とレモンを振って味わう」「柔らかそうな女性の腹部にボールを伏せ、生きたエビを入れて紹興酒を入れじっくりと『酔っ払い海老』を作る」「横を向いた女性の唇と舌を通った蜜が男の口に流れ落ちる」

どれもこれも、若いときは(しつこいって!)ドキドキしたものだ。今見ても、いや、逆に今見るとさらに「いやらしい」・・・いや、失言でした。とても「エロチック」だ。

とどめは「卵の黄身の口移し」だろう。・・・これは凄い!

生卵をより分け黄身だけにして、口にする男。割れないように慎重に女の口に・・・。何度か「行き来した黄身」を最後は女が潰して口から溢れさせる。恍惚の表情で・・・。

この演出だけで、未来永劫この映画は記憶されてよいと思う。・・・力が入りすぎてますか?

私が、この「エロチック」にこだわるのは、そうした演出ができると他の演出にも必ず良い影響を与えるからだ。

だから、歯痛の男の治療のシーンの「男の足に力が入って重なる」演出とか、雨に濡れてびしょ濡れになったゴローが脱いだブリーフを取ろうとするタンポポの「逡巡する手」とか、そのあとの来々軒の二階の明かりが消えるとことか・・・(その後のゴローとタンポポはどうなった・・・?)とか・・・。


私には、とにかくそうした感性がそれ以前にあった映画と「まったく違って」見えた。

大袈裟に言えば、私にとってこの映画は「日本映画のターニングポイント」になった気がするのだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んで切る皆さんも自分にとっての「ターニングポイント」が、どこであったかを忘れませんように。


                      May


これだけ何度も見た映画なのに、最初の映画館でポテトチップを食べている男と一緒にいるのが「松本明子」であることに、今回の放送で初めて気が付いた。



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ウラシマ太郎の気持ちがわかる   ~当世青年漫画雑誌考~

2012年08月23日 | Weblog
私は初老男である。

暑い日が続いているが先日農作業の帰る途中、道端に何やら異物が見えた。

近寄ってみると、雑誌が2冊。

そのままほおっておくと、排水に流れ込んだりして様々な障害を起こすので、持ち帰って捨てることにした。

決して「読みたい」からではない。


さてその2冊とは・・・。


「ビックコミックオリジナル」と「ヤングジャンプ」の2冊である。


初老男と名乗るようになって、それ以前の「完全無欠の中年男」を通算して6年余り。

この間でも、マンガを読んでいなかったわけではない。


ただ、思い返すにこうした「週刊誌・月刊誌」のマンガ本はほとんど読んでいない。

大体多くて20ページに満たないマンガを読んでも全然理解できないではないか。


たいていは文庫になっているか、コンビニコミックスのようにまとまっていないと我慢できない初老男である。


「ヤングジャンプ」を一通り読んでみて、「煙を浴びた浦島太郎」のような気分になった。

聞いたことのある、知っているマンガが一つもない。


煙を浴びたばかりの浦島太郎は、まわりの景色が変わって見えたという。

・・・そんな感じだ。


そして「ビックコミックオリジナル」

こちらは全く逆だった。


もちろん知らないマンガもたくさんあったが、いまだに「浮浪雲」「あぶさん」「赤兵衛」などが連載を続けている。「釣りバカ日誌」「三丁目の夕日」も健在。


「浮浪雲」のジョージ秋山・「あぶさん」の水島新司・「赤兵衛」の黒鉄ヒロシいずれもすでに漫画界の「大御所」たちが、まだまだ元気なのがうれしい。


浮浪雲なんて、昔渡哲也の主演でドラマになったからね。(ちなみに相手役「かめ」は、あの桃井かおり!)ちょっと、想像できないでしょ。

まあ、さすがは小学館、余裕の布陣と言うところですな。


前々から言っていることではあるが、日本人の感性の中において「マンガではマンガでしかできないことをやる」からこそ、世界に冠たるマンガ大国になれたと思う。

昨今のマンガはドラマの原作になることも多くなった。

つまり、原作としてのマンガは脚本を越えつつあるということだ。そう、それは日本だけにとどまらない。

・・・日本マンガは永遠なり。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんが、3Dでないが故の素晴らしさの極みが「マンガ」であることに気が付きますように。


               May


・・・ここまで書いておいてなんであるが、先に読んだ「ヤングジャンプ」は「週刊誌」だから、「ビックコミックオリジナル」とは、当然コンセプトが違う。そして「一つもわからなかったマンガ」は、ビックコミックオリジナルが持っていた「不変の美学」とは逆の「開拓精神」に溢れたマンガであったことこそが、私を「ウラシマ太郎」の気分にさせたことを最後の記しておく。
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野村克也4連発    ~新書4冊読み終わりました~

2012年08月17日 | 
私は初老男である。

最近本が読める。

やはり波のようなものがあって、本が切れ間なく読める時もあるが、遠ざかってしまうと1ヶ月くらいまったく読めないときもある。

まあ、本を読むといってもどんな内容で、どれくらいの厚さであるかなどの条件で単純に数をどれくらい読んだかは、あまり重要ではない。


そんなことで、野村克也氏の書いた「角川Oneテーマ21」シリーズの4冊


          「巨人軍論」

        「あぁ、阪神タイガース」

          「野村再生工場」

           「あぁ、監督」


を、続けて読んだ。


プロ野球自体の人気が低下して久しいが、見方によっては単純に「低下している」とは言えない。

このブログの中でも、ずいぶん前にジャイアンツ中心のプロ野球界が崩壊したことをUpし、新しいプロ野球の形を予想・提言した。

クライマックスシリーズのあり方の奇妙さ、それの解消法なども勝手に考えてUpしている。

そして、少なくとも巨人中心のプロ野球の低下は「ある意味」よかったと思う。

今のプロ野球ファンは、旧態然とした巨人ファンのように、単純にマスコミに躍らせてはいないだろう。


別に居てもいいのだが、今の巨人に私たちの子供のころのような「強烈な魅力」があるとは思えない。

戦い方・選手の魅力等において「盛者必衰」である。


そして、今のプロ野球ファンは完全にフランチャイズ制(ローカル・地域中心)である。

もちろん、日本海側の雪深い地域に私のようなホークスファンがいることもあるが、やはり地元の福岡のファンのように身近に選手を見ているのでは、そりゃ盛り上がりが違うわな。

昔のプロ野球ファンと言うのは80%が巨人ファンだったろう。


わたしがその形が「おかしい」とわかったのは、アルビレックスと言うプロサッカーチームを見てからだ。

プロ野球は、一時1リーグ制になる危機にさらされた。

あの時に1リーグになっていたら・・・・。

すっかり衰退していたろう。


話が、少々逸れてしまった。


野村克也という人に興味があるのは、どう考えても彼が「ヒーロー」でないことだ。

彼の王・長嶋に対するライバル意識は、私の持っている劣等感によく似ているって野村氏に失礼か。

天才的に、求道的にのどちらであっても自分が上である自信があっても、認めてもらえない。

このジレンマは、強烈なパワーを生む。


専任監督となった彼の成功は、そこから出てきたものだろう。

いつかどこかでそのヒーローを超えるためには、自分の頭脳すべてを使うしかないのだ。

私はどこまで行っても、そのヒーローを超えることは出来なかったが、彼はそれを成し遂げた。


もちろん、野村氏が監督として王・長嶋を超えたかどうかは分からない。

しかし、この4冊の本を読んでわかったことがある。


それは、野村氏が選手を野球選手として「だけ」では見ていなかったことだ。

そしてそれは、そのことが球団自体を強くしていくことにもなった。


ほとんどの監督が、自分が監督をしている時の成績のことしか考えないのに対して、彼はプロ野球自体のことを考えている。

まあ、あの風貌と態度はその情熱と偉さを、感じさせることはできにくいだろうけれど。


今回も最後までおつきあい頂きありがとう。これを読んでいる皆さんも「コンプレックスの力」を侮りませんように。


            May

・・・実際にはこの4冊の本の内容は、ほとんど変わらない。でも、4冊とも読む価値はあるなぁ・・・。










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みんなドサクサ。      ~イ・ミョンバク竹島訪問~

2012年08月12日 | 時事ネタ
私は初老男である。

先回やってみて、やっぱり「マクラ」は必要ないな。

ついついそのマクラの方に力が入って、そっちの方が本編より面白くなってしまったりするからね。

って、これ自体がマクラになってるやん。


と言うことで、イ・ミョンバク大統領が竹島を訪問した。

韓国の現役大統領が竹島の地を踏んだのは史上初だ。


・・・このタイミングでのこの行為には、いろいろ解説がなされているが私の勝手な分析を披露しよう。


     「ロンドン五輪 バレーボール・男子サッカーへの自国選手への激励」

これに尽きる。


ということで、両競技の結果がでた。


      「サッカー 0-2」 「バレーボール 3-0」

である。

盛り上がりから言ってサッカーで負けたのが印象としては「分が悪い」かな。

まあ、それが大統領の訪問と関係があるか?と言われれば・・・・。

あるのかなぁ・・・。


ただ、思った通りのことが起きた。


MFパク・ジョンウが「独島は我々の領土」とハングルで書かれたメッセージボードを掲げた。

ちょっと考えるだけでも、オリンピックにおいて政治的なことを持ち込むのは「ご法度」だろう。


最近、様々なソースによる韓国のことを調べてみたが、やはり世界的に見て東アジアの中でモラルや精神性で成熟しているのは日本だけだということ。



中国の「事故少女放置事件」や今回の「独島領土問題」を見ても強く頷いてしまう。

つまり「言ったもん勝ち」「強く主張したもん勝ち」「恫喝勝ち」なのである。

自分の国の中でのことを、すぐに国際的にも通用すると思い込んでいるのである。


大体、領土問題は世界大戦時代ではあるまいし「実行支配」をしている中で、居住民を追い出すための武力行使なんてできるはずがない。

そんなことが今の国際状況においてあったら、とんでもないことになる。(中国民の中には、本当に北京のドまん中に自衛隊のパラシュート部隊が現れる可能性があると思っている人がいると聞く)


つまりは経済的・民間的つながりのことを考えれば、国家間においてはお互いに「刺激しない」という形を取らざる得ないはずだ。

ただ、何かを起こすとすれば、相手方の「国内情勢」と日本自体の「国内情勢」だろう。

先日のロシアのメドべージェフ大統領が国後島を訪問したのも、今回の竹島の件も自国の国内情勢を刺激して自分の権力基盤の強化を狙ったものだ。

そして、日本の政局が今その行為に出ても国内がドサクサで大した報復が帰ってこないと「足元を見られた」結果だろう。

それぞれの国において一時も止まらず政治・政局はうごいている。

そのもの良し悪しは、それぞれの国民がどこかで「結論」を出さなければならないが、他の国はともかく我が日本においては、相変わらず「外交下手」だなぁとあきれるばかりだ。

さらに問題なのは、我が国の将来はこのままさらに「ドサクサ」が続きそうだということ。

そして、そのドサクサは情けない我が国の政治家たちの成せる行動による・・・。

この・・・大バカども!。   ハッ、思わず失言をしてしまった。

読者のみなさんお許しを。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんがこんな程度の政治しかできていないのが自分たちの責任だということを自覚しますように。

 
             May

しかし、韓国の人と言うのはなんでハングルでなく漢字で名前を付けるのだろう?って大体漢字読めるのか?







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どこまで行ってもわからない。    ~野田泥鰌は泥の中~

2012年08月10日 | 時事ネタ
私は初老男である。

今回は、速報なのでマクラは無しで。

野田総理が、自民公明両党首で会談し「消費税増税法案成立後、近いうちに国民に信を問う」ことで決着したという。

もともと「消費税増税法案」というのは、民主党がマニフェストを反故して上程した法案だ。

野田ドジョウが「政治生命をかけて」法案を通すと言う。

この法案を通すために自民・公明と三党合意を取り付ける。


前にもどこかでUpしたが、この人はただこの法案が通れば民主党自体がなくなってもよいと思っているような気がしてきた。

すでに、この法案に異議を唱え党は分裂。

そして、その三党合意のバーターで「衆議院の解散」を要求する自民党。

民主党の残った政治家たちは、マニフェストを破ったことの反感による「落選」が怖いため、その解散の確約に反対。

・・・「政治生命」をかけて増税を実施するのはよいけれど、この法案が通ってもその法によって入ってくる税金を予算として使える政権は、自分でないのは確実だ。

それどころか、民主党自体が消滅している可能性さえ、自分のこの行動によりましている。


私のような「深読み」する人間には、結局民主党の残党がこの法案を通したことを手土産に自民党と組もうとしているように思える。


なにが計算違いかと言えば、民主党がこれほど「民主的でない」政党だったこと。

民主的と言うのは、討論を勝手に切って自分の言うことをきけと言って恭順を強要することではないはずだ。

しかし、そのまま討論をし続けるだけではどこまで行っても政策をきめることができないことになる。

ゆえに、俗にいう「落としどころ」をさがし、どこかで裏取引もやり、わざとらしくあっても言い訳のできる程度の「体裁」を整える。

それが、前政権党「自民党」のやり方であった。

木を花でくくったように「多数決だから、決まったことに『党議拘束』がかかります」なんて言って、政治家が言うことを聞くわけがないではないか。そんなことをきいていたらそいつは「政治家」ではない。

はっきり言って、自民党よりはましだろうと思って期待した民主党だったが、これほど幼稚だとは思いもよらなかった。

現在の日本は、基本的に政党を選挙で選んで、その政党が政権与党となり政治運営を行う。

しかし、選んだ政党がコロコロと分裂を繰り返すのでは、選ぶ国民はたまったものではない。


今回の党首会談でも「近い将来」を「近い内に」に言い換えたことで、あっさり妥協。

当然、自民・民主両党の反主流派(古い言い回しだな~~)は、反発して物議を醸している。

昔の政治家もひどかったけど、今ほど幼稚ではなかった。

まあ、これで消費税増税法案が成立したが、本当にこのまま制度化されるだろうか・・・。

まだ、一波乱二波乱あるんじゃないかなぁ。あってほしいなぁ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、本当の政治のあるべき姿を忘れませんように。

                    
                        May


泥臭くっていうより、泥の中から出てこないから、いるかいないか分からない総理だね。
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様々な意味で「スポーツマンシップ」     ~無気力試合ってどういうこと?~

2012年08月08日 | スポーツ
私は初老男である。

ラジオのニュースでも、今回のオリンピックの裏話をやっていた。

おもしろかったので紹介しよう。

開催国のイギリスでは首相のキャメロン氏があしげく各競技に激励に回っているという。

しかし、キャメロン氏の激励に回る先々の競技での成績が・・・・・。

いわく「キャメロンの呪い」と呼ばれ、恐れられているという。

やっぱり、政治家が下心を持って行動するとえてしてそんなことになるんだゾ!


さて、今回のロンドンオリンピックでは「審判」「競技」ともに信頼が揺らいでいる。

いわく、「柔道での2度の旗判定」「ボクシングでのカウント取らず」「体操での技の難度判定ミス」。

そして今回のテーマであるバドミントンにおける「無気力試合」。

同じ時期に、なでしこジャパンの佐々木監督が選手に「引き分け狙い」を命じていたらしきこともあって物議を醸している。

まず、よく考えてほしいのだがスポーツにおける「スポーツマンシップ」というのと「無鉄砲・無計画」と言うのは違うということだ。

目の前のプレーに「全力を尽くさない」と言うことと「わざと負ける」ことも。


いつのオリンピックであったか忘れてしまったが、野球の日本代表がオーストラリアに負けてメダルに届かなかった大会があった。

覚えている方もいるんじゃないか?

あの時日本代表は、まさに「無計画」で「目の前の敵に全力で勝ちに行く!」形で試合に臨み、メダルに届かなかった。

ピッチャーの起用や、日程、対戦チームの状況等をほとんど加味しなかった結果だった。

これを「スポーツマンシップ」と呼ぶのか?


そうまで書いておきながら話をひっくり返して悪いのだが、大体同じオリンピック種目と言ってもサッカー・野球・バドミントンではでその「無気力試合」をおなじ意味で語ることはできまい。

まず、問題となったバドミントンの件から話を進めてみよう。


・・・と、ここから再開しようと思ったのだが、こうして文字にしてみると最初に言いたかったことに対する「確信」が揺らいできた。

しっかりと読んでいる皆に自分の思いを伝える自信が無くなった・・・。


そうして少々時をおいて考えてみた。

この問題は、もしかするとこれからのオリンピックを揺るがす問題なのかも知れない。

そのため、他のブログや記事を様々読んでみたが、やはりその思いが強くなった。


柔道で先に「有効」を取ったとする。

そのあと、時間いっぱいを逃げ回ったとする。

これは「無気力」ではないのか?

今回のサッカーでも問題になった、同点のまま得点を狙わないのは「無気力」か?

柔道の場合は、それこそが「作戦」であるし、サッカーの場合は、そのまま同点を守ることはもしかしたら得点を奪うことよりむずかしいかもしれない。

サッカーにおいては、引いて引いて守り抜くのは「無気力」か?


そして、競技そのものの、オリンピックそのもののあり方を懐古的な「参加することに意義がある」などとホンキでいっている選手には、こうした問題は無用であろう。

しかし、スポーツの本質が「勝利」(金メダル)である限り、それに向かって最大限の努力をするのがアスリートの本能であるとするなら「作戦」として「手を抜く」ことは「失格」を受けるほどの罪悪だろうか?

バドミントンという競技だから、あんなふうにわざとらしくなったが、他の競技であればもっと上手に「演技」できたかもしれない。


バドミントン競技においての、今回の大会形式「予選リーグ・決勝トーナメント」方式は、実は珍しい。

バドミントン競技はほとんどが、トーナメント一発勝負で行われる。

もし、そういう形式であればこうした問題も起こらなかったであろう。


これから益々スポーツにおいてこの「無気力」問題は、重大なものになっていくだろう。

金メダルの価値はドンドンあがるばかりなのだから。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんもスポーツの本質は「勝利」至上なのか考えて見ますように。

        May

バドミントンの中国ペアの無気力試合は、彼女達だけの考えじゃないんじゃないかなぁ・・・。これが原因でリタイヤってのは、悲しすぎるやね。
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すでに「JUDO」     ~それは武道ではない~

2012年08月03日 | スポーツ
私は初老男である。

以前にここにUpしたと思うが、日本人が世界に誇るモラルの高さをもっているのは「羞恥心」だろう。

それは「他人の目」を、気にするところにある。

これが「これをやったら『マズイ』よなぁ・・」って感覚につながっている。


大津市のいじめ問題のことで、加害者側の写真や氏名が流出しているらしい。

それを受けてメールその他で、直接意見や非難をする人が多数いるらしい。


これこそ「これをやったら『マズイ』よなぁ・・・」って思わないのだろうか。

その直接の意見や避難こそが「いじめ」であることに気が付かないのだろうか?

しかも、勘違いで「それらしい人」にそうした行為をしている人も少なくないという。


その行為は、自分が思っている以上に相手を傷つける。しかも、たいていは自分が何者かであるを明かさずに行っているらしい。

それはもう「犯罪」のレベルになる。


これを読んでいる皆さんは、まさかそんなことをしていないでしょうね。

いずれにしても、デジタル化している今の世の中では、非常にデリケートに扱わなければならないことがあるのだ。



さて、オリンピックの柔道の話。

日本伝統のメダル獲得のお家芸であることは疑うべくもない。

しかし、大会二日目を終わって「金メダル」なし。

男子軽量級で銀・銅ともに1ずつ。

女子の48kg・52kg両軽量級でメダルに届かなかった。


いま、柔道は完全に「過渡期」に差し掛かっていると思う。

まるでプロテニスのように世界中で大会を巡り、ポイントを重ね、ランキングを上げないとオリンピックに出られない。


スポーツとしての柔道は、着々と「整備」されている。

・・・しかし、その分、日本人の精神的根底にある「何か」を失ってしまいつつある。

こうしてオリンピックを見ていると、この「柔道」というものが、いかにも日本的な教義であるかと言うことがわかる。

その日本的なものとは「曖昧さ」である。

同じオリンピック種目の格闘技でもレスリングは、ポイント制でどういう形になると何点であるかがはっきりしている。(バックを取ると1点とかね)

ボクシングなんて言わずもがな、アマチュアはナックルで確実にヒットした数ってことにはなってるけど、結局KO(アマチュアではRSC)方の勝ちだからね。

柔道の「有効」と「技有」「一本」の差は、結構審判の「感覚」にかかっている。

まあ、副審が2人もいるのも、逆に言えば曖昧だってことの証明でもある。

関係ないが同じく日本の代表的な格闘技「相撲」なども、とても曖昧な所がある。

そう「立ち合い」である。

あれは、お互いの気持ちが合った時にしか試合が始まらないということだ。

今はテレビ中継の関係で「時間イッパイ」と言うのがあるが、それ以前は平気で10分くらいお互いに仕切っては直しを繰り返したという。

そんな競技はほかにあるだろうか?

そしてその「曖昧さ」の正体は、日本人の美徳とする「精神性」だ。

その精神性の中に「潔さ(いさぎよさ)」が芯にある気がする。

これこそが柔道を、日本人が単純な「スポーツ」と思うことができない理由だろう。


そこはかとない「武道」の匂いを残している格闘技が「柔道」なのだ。

しかし、今オリンピックで行われているのは、競技としては充実して世界中に広がっているスポーツとしての「JUDO」であり「柔道」では、なくなっていることにそろそろ我々も気が付き始めている。

いまさらこんなことを言っても意味がないのだが、本来柔道に「有効」などと言う判定は無く「指導」などという通告もなかった。

もちろん、ゴールデンスコアなる延長戦もない。

どこまでも日本的美意識を根底にもった「柔道」は、すでにどこにもなくなっているのだ。


今回のオリンピックで、そのことを完全に私は理解した。

日本の関係者も、「柔道」から「JUDO」への変更を決断しない限り弱体化は進むばかりだろう。

・・・ってもう変更していて、それでも勝てないってことか。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを見ている皆さんは「有効」と「技有」の違いって明確にわかります?


             May

本当の「柔道」が、行われていたの「山下泰裕」選手までじゃないかな・・・。

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