完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

歴史感のピースを埋める ~本の読み方~

2006年07月29日 | ライフワーク
私は中年である。
毎日「疲れた疲れた」と口にしているが
本当のところ「疲れている」中年である。

さて、最近本のことのUpが滞ったが読むことは、
少々ペースが落ちたが着実に進んでいる。
今回はある本を取り上げながら私の「本の読み方」を
Upしようと思う。

      「落日燃ゆ」(城山三郎著)

この本は非常に面白かった。城山三郎という作家は
非常の文章が淡々と進む。抑揚があまり無く、ドラマチックに
物事を進めることをしない。

小説というものの考え方には、エンターテイメント性の
高い物を求める読者は多いと思うが、私はこのごろ虚構の中の
小説に限界を感じている。(・・というほど小説を読んでは
いないが・・・)

しかし、現実に起こったこをそのまま書いたのでは、
小説ではなくルポルタージュになってしまい生々し過ぎる。
知識として取り込むにも人の「感情・感覚」がまったく無い
文章は苦痛に感じることが多い。

そこで、歴史小説のようなものが多くなる。
厳密に言えばこの「落日燃ゆ」は歴史小説に分類されない
かもれないが、内容は非常に壮大だ。

私のライフワーク
「日本は何故、勝てる見込みのないアメリカに
                    戦争を挑んだか」

という疑問を埋める「ひとつのピース」がこの本にはある。

太平洋戦争を軍事的なことから見ている本は非常に多い。
時の流れの中でどういう戦術をとり、いかに失敗したか。
そうした分析は何度も成されてきている。

しかし、「そうしたときに政治家はどう動いていたか」を
書いた本はとても少ない。

軍部が中心に国が動き出した時に「政治」は、
無力化してしまう。その中でも、政治家たちはその
パーソナリティにおいて、風見鶏的動きをした者。
ひたすら頭を下げていた者。完全と立ち向かった者。
様々居たはずだ。

そのことをこの本はA級戦犯の中で死刑になった
ただ一人の文官「広田弘毅」を中心に書かれている。

この時代の政治家は、陸軍の振り回す打ち出の小槌こと
「統帥権」に苦しみ、ほとんど自分の思ったことが出来なかった。
そうした意味においても、文官がA級戦犯になることは
無いはずだった。

にもかかわらず、広田がそうなった理由の大部分は、
「本人が弁解をしなかった」ことにある。

この本の最大の面白さは、終戦後の近代日本の大部分を
担った「政治家 吉田茂」が外交官として随所に登場して
「同期だった」広田とその運命の変転を対比されていることだ。

吉田茂が総理大臣となってからの物語は「小説吉田学校」に
詳しい。「落日燃ゆ」から「小説吉田学校」を読むと、
完全なる太平洋戦争の開戦から中曽根総理の時代までが
わかってくる。政治の歴史に興味のある方にはお奨めだ。
(もっとも、全部で文庫にして10冊以上になるが)

終戦までの「政界」の状態という私の歴史観のピースを
またひとつ埋めることが出来た。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
歴史のことがつながって分かってくると本当に
目から鱗が落ちるって感じなんだなぁ・・・。          may








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パソコンの「クラッシュ」とその後

2006年07月26日 | Weblog
私は中年である。
雑務に追われ、時間の経つのが
「あっという間」と感じている「中年」である。

さて、パソコンがクラッシュしたことは、前に
Upしたが、その後の経過を報告したい。

結果的に言うと・・・「全快」した。
(これを読んでいる皆さんは、良いパソコンを
 お使いのことでしょうから、なかなか「クラッシュ」
 なんて したことないでしょうね。しかし、いつ何時
 パソコンは壊れるか分からないですよ~。)

パソコンは、最終的に工場出荷時の状況に戻せる
「リカバリー」と言う機能がついている。
最近のパソコンは起動時にどこかのキーを押し続けて
いればよいらしいが、私のパソコンはまだ「リカバリーCD」を
起動時に入れるタイプだった。

しかし、それを実行するには中のデータをバックアップして
おかないと何も個人情報の入っていない「買ったときと同じ」
になる。

最低メールの設定(アドレス・メールの内容等々)・インター
ネットの設定(接続・お気に入り等々)フリーソフトのパスワード
等をバックアップしておかないと、ひどく苦労することになる。

今のパソコンは、うまくできていてコンピュータの記憶領域を
大抵2つ以上に分けていて(ローカルディスクC:D)リカバリー
する領域を片方に限定してくれる。(通常はシステム用のCドライブ)

だから、もうひとつの領域に移しておくだけでリカバリー後も
戻すのは簡単だった。
しかし、大抵「なにかバックアップ忘れしている気がする・・・」
とリカバリーを躊躇するものだ。

残念ながら、心配どおり大抵なにかをバックアップし忘れるが、
いつまでもそのままってわけにいかないので、思い切って
リカバリー開始!

リカバリーCDは3枚。それはあっけなく7~8分で終わる。
すると見事に「出荷された状態」の画面が現れる。

ここでも、自分が「中年」であることを実感することがあった。
まず「画面の字が細かくて読みにくい」買ったばかりのときは
3年近く前だったのだが、そのときは何ともなかったのに・・・。

この画面の設定が一番苦痛だった。(実はこの設定がいまだに
よくわからず四苦八苦)後は、プリンタドライバ・スキャナーの
ドライバ設定。通信の設定は有線LANなのですぐにパソコンは
認識した。

あと、私がパソコンにどうして入れおかなければならない
ソフトは「MP3変換・CD/RWドライバ(いまだ内蔵式じゃない?!)
デジカメのドライバ」くらいだろうか。(おっと、忘れてた
ウィルス対策ソフトは必須だ。今回もそれでやられたのだ!)

今はパソコンでDVDやテレビの録画などをするのがあたりまえ
らしいが、基本的にテレビ・動画を見るときはパソコンの電源を
入れておくのが私の流儀(というより両者を同時に使わないと
いけないことって多くないか?)なので、その機能をパソコンに
求める気がはじめからない。

リカバリーは、時間さえあればそれほど難しいものでないし、
慣れると、ちょっとでも調子が悪ければやった方がよいことも
多々あるようだ。

実はクラッシュする前のパソコンにもほとんど使わない
くだらないソフトが、かなり入っていたことは否めないのだ。
画像もいっぱい入っていたし・・・。

リカバリーには、私の「生きたヘルプ」女房に大変世話になった。
女房は編み物の達人の娘だ。コツコツと集中力を切らさずに
物事に取り組むことに苦痛を感じないタイプなので、私のように
「やんなったーーー」などと投げ出したりしない。
感謝、感謝である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
持つべきものは良い女房である。           may















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いまさら松田優作考

2006年07月22日 | 
私は中年である。
パソコンは壊れるわ、雨は降るわ、
さまざま雑務に追われるわで、調子が悪い
「中年」である。

さてそうした中でも、実はUpしたいことが山ほど
あったのだ。

「東京タワー」を書いたリリー・フランキーが某国営放送の
番組で松田優作について話していた。それに触発されて
われわれ中年男の憧れの男「松田優作」のことについて、
今回は考えてみたいと思う。

「松田優作」という名を聞いて心躍らぬ中年男は居るまい。
我々よりも一世代前の男たちには、裕ちゃんこと、
「石原裕次郎」がいたように、われわれには彼がいた。

中年男の青春時代に鮮烈なイメージを残したまま夭逝した
ヒーロー「松田優作」の歴代の映画を三本続けて見ることが
出来た。(もっとも、レンタルビデオだけど・・・)

まずは「もっとも危険な遊戯」
これは実は今回初めて見た。
さすがに彼も若い!非常に青臭い部分を感じる。
若い体力にまかせて演技も荒い。しかし、そこに
我々があこがれた松田優作の原点が垣間見えた。

(しかし、この映画はストーリーもひどいし、
 主演女優の演技が幼稚で見るに耐えない)

そして、「蘇える金狼」
この映画は何度も見たが、かなり強引なストーリー展開で
「そんなわけないジャン!」と思わされた部分も多いのだが
「もっとも危険な遊戯」に比べると格段に内容が濃く、
雰囲気もハードボイルド感が非常にたかまっている。

松田優作自身の「狂気性」が後半に色濃く出てきて
「もっとも~」の主人公「鳴海」がただのチンピラに
見えてくる。
(この狂気性が「野獣死すべし」の伊達につながっていく)

この映画の主演女優が風吹ジュンなのだが、今の彼女からは
想像できないほどエロティックで女優いや、女の「怖さ」を
十分に感じさせてくれる。テーマ曲も非常に良い。

そして、「野獣死すべし」
私はこの映画を松田優作の日本における「金字塔」だと
思っている。

ストーリーには、実は矛盾した点やオカシイいところが
多々見えるのであるが、圧倒的な「伊達」(松田)の
存在感にそうしたディティールは意味が無くなっている。
松田優作のたどり着いたアクション映画の頂点といえる。

共演者も、鹿賀丈史・室田 日出男・阿藤海・小林麻美
そのすべてのシーンが前作・前々作がウソの様な緊張感が
満ちている。

室田 日出男との列車でのシーン・小林麻美とのシーン
そして、ラストシーン。非常に印象深い。
(実は、泉谷しげるがワンシーンだけ出ているのだが
 何の意味があるのか分からない・同じく岡本麗の
 ストリップシーンもあまり意味が無いような・・・)

私には悪い癖があって現時点で活躍している「人物」を
あまり認めようとしない。
山口百恵の凄さを認識したのは数年前だし、この松田優作の
凄さも死んだ後何年も経ってからしか分からなかった。

中年になったのだから素直に「良いものは良い!」と
いえるようになりたいのだが、何しろ中年だからなぁ・・・。

そして、松田優作の最後の作品「ブラック・レイン」を
今夜は見ようと思う。
青臭いかっこよさをかなぐり捨てて、高倉健や
マイケル・ダクラス、アンディ・ガルシアを喰ってしまった
彼の「凄み」を目と心に焼き付けようと思う。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
「なんじゃこりゃ!・・・俺は死にたくないよぉ・・・」
彼の科白が胸を打つ・・・。           may





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パソコン故障の顛末

2006年07月21日 | Weblog
私は中年である。
最近、何かと調子の出ない中年である。

パソコンが壊れた話は、前にUpしたが、
その後の顛末を報告することにする。

パソコンは・・・変わりなし!
気力の充実したときなら、すぐにバックアップを取って
リカバリーするのだが、若いときのような情熱と
時間が無い。

とりあえずこうしてブログもUp出来ることだし、
本当に困るまでは、パソコンが復活しないような気が
する・・・。って他人ごとみたい。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
今回は、報告のみってことで。

                 may
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祭りに「浮かれなくなった」理由

2006年07月18日 | Weblog
私は中年である。
現在の私の生活の中心には「パソコン」が
あるわけで、その「パソコン」の調子が悪いと
「生活全体」に支障が出てしまう。
これは現代人の宿命だ。

そのパソコンの調子の悪さが「気分の悪さ」に
直結してしまっている「中年」である。

さて、梅雨の最中であるが、わが地域では毎年、
この時期に夏祭りが行われてる。
7月14~16日に我が町。17~19日に隣町がお祭りになり
金曜日から3連休をはさんだ「6日間」私も浮かれた気分に
浸っていた。・・・と言いたいのだが、実はそんな気分に
最近あまりならない。

笛太鼓が「ピィ」と鳴れば「心」が躍る。
これは男と生まれてこの感覚が身についていないやつはいない。
そうでないとするならば、それは単にその感覚を知らないだけだ。
度合いの違いがあるにしろ、あの「開放感」に魅せられない
人間はいない。
(詳しくは3/12「非日常としてのアルビレックス」参照)

では、なぜ「そんな気分になれない」のか?
つまりは私は「おみこしを担げなくなった」のだ。
笛太鼓の音にあわせて、心を躍らせる術を無くしてしまったのだ。

お祭りというのは、基本的に「縁起物」であるわけで、
身内に不幸があれば、その年のお祭りには参加できない。
私は25の歳から「おみこし」を担いでいたのだが、
数年前、おみこしを担ぐことが出来なかった。
おふくろを事故で亡くしたからだ。

区切りの意味もこめて「四十で引退」とひそかに
心に期していた私に、神様は「もう潮時」と突然、
引導を渡した。
一度無くした「情熱」を次の年に取り戻すことは、
年齢的に無理だった。

人間望んでいたものが永遠に届かないものになって
しまうと、とても心に大きな「わだかまり」になる。

残酷なことに、そのわだかまりを思い出させる祭りは
毎年必ずやってくるのだ。
私と同世代の人間は、おみこしの現役でいる者は
ほとんどいなくなり、わたしも本当に四十の歳に担ぐことが
出来たかどうかは疑わしい。

それでも、その「わだかまり」が毎年この時期を迎える度に
チクリチクリと私の心を刺すのである。

やはり「中年」の最大の問題点「いかに現役を退くか」が
さまざまな形で、この「完全無欠の中年」である私に
迫ってきている。(おみこしからの引退は「アルビレックスの応援」
という副産物を生んだ気がしないでもないが・・・)

今の私のお祭りでの楽しみは、隣町の神社の境内に出ている
おばあちゃんがやっている「おでんとカキ氷の屋台」で買う
一皿のおでんと冷えた日本酒だ。

こんな梅雨時・初夏の暑さの中でも、なぜか毎年欠かさず
「おでんとカキ氷の屋台」は神社の境内に出ている。
数年前からその屋台では冷酒をださなくなってしまい、
わざわざ通りの酒屋でそれを買って、神社に向かうことに
なっている。それでもそのアツアツのおでんが楽しみなのだ。

完全無欠の中年も、その「年齢という階段」を上るのにひどく
哀愁を感じているこの頃である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
雨に祟られた今年の6日間の最後は明日の花火大会。
せめて花火がきれいに見えるように、雨がやんで
欲しいものだ。

                        may














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梅雨はつづくし、気分は良くにゃあ!

2006年07月16日 | Weblog
私は中年である。
このブログを始めるに当たり、
自分が中年であることを「実感」したから
という理由を挙げていたが・・・。

本当に最近「実感」するようになってきた。
「容姿」の点では「腹が出た」「額が上がった」
「髭が濃くなった」「顔の肉がたるんできた」
・・・・。

そのことは、そのことで気になるのだが、
一番気になるのは「見た目」でなく「心」の
問題だ。

様々な出来事が、中年になるまでにあったわけだが、
歳をとるごとに突き当たる「壁」が「大きく・高く・強く」
なるような気がするのだ。

それは、残り時間が多くないことを自分自身が意識して
しまうからだろう。

昔は「漠然」としていた不安が少しずつ「実感」できる
不安になってくるからだ。

大した意味も無く気分が落ち込む日が続いている・・・。


ということを、Upして終わりにしようと思ったら、
皆さんに情けない「お知らせ」がある。

実はメインのパソコンが故障した。
まるでユーザーの気分そのままにCPUが暴走をして、
何のプログラムも実行させていないのに、常に90~98%の
使用状況になってしまっている。

パソコンを始めて20年以上になるが、こんな事は初めての
経験で様々やっているが直りそうに無い・・・。

Upしたいことが山ほどあるのに、サブのパソコンでUpしなければ
ならない状況で、あまり多くない私のブログRaederの皆さんには
ご迷惑かけることになりそうだ。誠に申し訳ない。

メインパソコンは、思い切ってリカバリーしようと思っている。
ことの顛末もUpしようと思っているので、こう御期待。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
あなたのパソコンは大丈夫ですか・・・・。
                        may





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ヒネクレ者のスポーツ観戦

2006年07月10日 | スポーツ
私は中年である。
台風が「北朝鮮」目指して北上している。
かの国の人民に災難の無いようにと
祈らずにいられない「中年」である。

さて、先日ウィンブルドン06’の杉山戦ことを
ブログにUpしたのだが、今、男子シングルの決勝を
見ながら今大会と最近のテニス界を総括する気に
なった。

先日もUpしたよう、私は70年代からテニスを
見てきた。(本当のテレビっ子だったからね)
そして、テニスは80年代で「劇的」に変わった。
何故だか知っている人は「中年」の資格がある。

それはラケットメーカープリンス社が
「ラージフェンスラケット」を作ったことだ。
俗に「デカラケ」と呼ばれて、スイートスポットが
大きく初心者にも楽にボールが打ち返せるように
なった。(今や、小さいサイズのラケットを
見つける方がむずかしいっていうか、まだあるの?)

これ以後、急激にテニスが日本人にとって身近な
ものとなりブームがやってくる。

この当時は、非常に個性的な選手が多かった。
コナーズはステンレス製のウィルソンT2000という
レギュラーサイズのラケットで、フラット系の
ボールをガンガン打ってきたし、
ボルグは木製のレギュラーラケットでトップスピンオンリー
マッケンローはサウスポーでサーブ&ボレー。

女子だって、エバートは正確無比なストロークで冷静、
「アイスドール」なんてニックネームがあったし、
パム・シュライバーは長身で「デカラケ」を使って
サーブ&ボレーでダブルスを得意にしてた。

そして、チェコから亡命してチャンピオンの名を
ほしいままにしたナブラチラワ。「脆さ」を持った
女王で、だからこそ「ワクワク」させてくれた。

マッケンローvsレンドルのUSオープンのビデオは
いまだに私は再生させる。その面白さは、今の
試合の比ではない。

エバートvsナブラチロワの4大会連続決勝戦
なんてのも忘れられない。

・・・それが90年代を迎えた頃から、突然
面白くなくなった。

プレイヤーで言えば男子の「ピート・サンプラス」と
言う選手が出てきたのがターニングポイントだった。

彼は俗に言う「オールラウンド・プレーヤー」
昔は、このタイプのプレーヤーは「特徴が無い」と
言う意味で使われたのだがサンプラスは違った。

今回引退したアガシに勝って17歳でUSオープンで
優勝すると、あっという間にランキング1位になった。

しかし、ヒネクレ者の私は言いたい。
「オールラウンドプレーヤーのランキング1位なんて
ちっとも面白くない!」

何でも出来る人が完璧なプレーをしたら、まるで
ロボットがテニスをやっているようで「人間臭さ」を
感じないのだ。

そして、サンプラスの系列を今のランキング1位
「ロジャー・フェデラー」が受け継いでいて、
特に芝コートのウィンブルドンを得意にしている。

女子は男子と違った意味で面白くなくなった。
それは「強さ=パワー」になってしまったから・・・。
アガシの奥さんグラフまでは、まだ「しなやかさ」を
「優美さ」「華麗さ」を持った女王だった。

アメリカの「ウィリアムス姉妹」の出現が、それを
打ち砕いた。
圧倒的な「パワー」で相手を叩きのめすテニスは
優雅さの欠片もなかった・・・。

男子は「完璧さ」を手に入れたことで「面白み」が
無くなり、女子は「パワー」を手に入れたことで
「優美さ・華麗さ」を失った。

今回の女子決勝も、小柄ながら片手のバックハンドを
得意とするアーデンと南米系パワーヒッター・
モレスモの対戦。「優雅さ」の香りはどこにも無かった。

しかし、男子決勝に一筋の「光明」見えた。
完璧なオール・ラウンダーに負けはしたが
「人間らしさ」を若さの中に秘めた、スペインの
20歳ラファエル・ナダル(世界ランキング2位)が
「ロボット」フェデラーから1セットを取って、
そのロボットの破壊される時の近いのを
予感させてくれた。

世は「スローライフ」ブームであるが、プロスポーツも
良い意味での「スロー」さが残って欲しい願ってしまう、
「中年」のオジサンなのだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
今回はちょっと長すぎたなぁ・・・・。
                        may

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今年の蝉と蛍

2006年07月09日 | Weblog
私は中年である。
この間3ヶ月ぶりに散髪に行った。
「白髪になる人は禿げない」というのが
「うそ」だと言うことを確認した「中年」である。

さて、この地域にも先週の中頃から「セミ」が
鳴きだした。
私の住み地域は、田舎なので立ち木が多く
セミにとっては天国のような所だ。

セミは気をつけていないと、いつ鳴きだしたか
分らない。

いつかのブログにUpしたように、今年のカエルは
「例の地震」以前に戻って鳴き出したし、
雨の日は元気に道に飛び出してくる。

さて、そして問題は「ホタル」なのだが、
・・・今年は、昨年以上に姿が見えない。
7月の初旬がホタルの一番の時期なのだが・・・。

梅雨に入っているにもかかわらず、この地域には
あまり雨が降らないし、さりとて「カンカン照り」に
なるわけでもない。

中年になったせいなのか、こうした「自然」の
少しの変化が、なにか大きなことへの予兆のように
感じられてならない。
沖縄・九州地方には一ヶ月分の雨が三日で降ったと
いうし・・・。

心安らかな夏をすごしたいと、切に願う今日この頃で
ある。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
今回はちょっとショートバージョン。次は
長めのUpをします。
                        may
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久しぶりのスポーツ

2006年07月06日 | Weblog
私は中年である。
中年になると様々な「悩み」が増えるのだが
困ったことに、中年になればなるほどそれに
対する「免疫力」が減ってきて、ドンドン「弱気」に
なる。こうして中年から高年・老年になるのだろうなぁ
と、ガッカリしている「中年」である。

さて、私は実は20年来のバドミントンプレーヤーである。
先のブログで、若いときにテニスに夢中になったことは、
・・・書かなかった。(下書きの時点ではあったのだが、
あまり長くなったので割愛したのを今、思い出した)

80年代にあった「テニスブーム」にのり、随分
コートに通い詰めた。しかし「ブーム」には終わりが
あるわけで、こんな田舎の地域にも多くあったクラブ
チームがあっという間につぶれていった。

スポーツの倶楽部というのは、最初に出来たものから
細胞分裂的に増えていくパターンが多いように思う。

純粋に「スポーツ」を楽しむものから、「勝ち負け」が
気になりだしハードな練習をつむようになると、
タラタラやっている人が気に入らなくなる。

すると「その気」のある人たちが、集まって違う倶楽部を
作る。もしくは全く逆に「その気」の人たちのハードさに
ついていけず、気楽に楽しむ倶楽部を作る。

このようにして、一時期はひどく倶楽部が乱立するので
あるが、結局は「ブーム」の中では「アダ花」であり、
本当のレベルが一番高くモチベーションも高く持った
倶楽部しか残ることは無い。

そうした中で私は「プレー」そのものよりも、人間関係に
嫌気がさしてテニス自体をやめてしまった。基本的に
レベルの高いプレーをする人たちは、必須の条件として
「意地の悪さ」や「気の強さ」を持っている。(もって
いなければそう簡単に勝てない)それが私には耐えられな
かった。

そうした中でであったバドミントン倶楽部は「ブーム」で
できたスポーツクラブでないことで、基盤がしっかり
していたし「勝負にこだわること」と「バドミントンを
楽しむこと」が両立していた。

そして、なりより自分の中の「波長」とバドミントンが
ぴったりと合っていた。

そして、テニスからバドミントンに転向して早20年。
小さな大会だったけれど「優勝」したことも数回あるし
アキレス腱も切って手術してみたりで、体のそこここが
ボロボロになった一つの理由はバドミントンのせいだが、
それでも、やめようとは思っていなかった。

昨年の秋に腰とふくらはぎの故障をしてから、半年、
ついに数日前にラケットを握ったのだ。しかし、
これが本当に「恐かった」のだ。下半身の故障が非常に
多かった私は、一歩踏み出すのが非常に恐い。

実際、体の衰えは若いときと比べるべくもないが、
体より「精神的」な部分がついていけなくなる。
「怪我をしたらどうしよう・・・」ということに
精神的プレッシャーを大きく受ける。

正に中田英寿の気持ちそのままに、バドミントンを
一生辞めるつもりは無いが「現役」は引退だな・・・。
中年には「こうしたこと」が増えていくのである。

まあ、さりとて今の「中年時代」を悲観するつもりは
ない。人が等しく通る「道」なのだろうと楽観している
今日この頃だ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
バドミントンって本当に「ハード」なんですよ。
                        may
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なかなか見れないものを見た! ~06ウィンブルドン~

2006年07月03日 | スポーツ
私は中年である。
ブログが楽しいことが、身に染みているのだが
いかんせん「時間」が無くて、一向にUpできず
地団太を踏んでいる「中年」である。

さて、世はワールドカップのベスト4が決まったが、
ヨーロッパ勢ばかりが残って面白くない。
これで「ドイツの優勝」なんてことになったら、
まったくの拍子抜けだ。

現実的に優勝する力があるのだから仕方が
無いのだが、なにか日本の「国体地元優勝の歴史」
みたいな感じでガッカリする。

ということで、もうワールドカップは「終わった」も
同然であまり興味が無い。
それより驚いたことが、そのワールドカップ中継の
後の深夜番組であったのだ。

それはドイツvsアルゼンチン戦の後に中継された
ウィンブルドン06の女子シングルス3回戦のことだ。

私は完全無欠の「中年」であるが、その強みは80年代の
テニスブームを知っていることだ。
キミはビリージーン・キング夫人を、クリス・エバートを
マルチナ・ナブラチロワを知っているか!ジミー・コナーズを
ビヨン・ボルグをジョン・マッケンローを知っているのか!

・・・興奮してしまった。とにかく、伝説のウィンブルドン
「ボルグvsマッケンローのタイブレーク」をリアルタイムで
見ているのだ。

その当時から日本選手は海外に本格的に挑戦し始め、女子で
頭角を現す選手が出始めた。その第一号が「井上悦子」という
選手だ。その当時にしては、手足が長くオールラウンドの
プレーを得意としていた。たしか、最高ランキングは26~7位
だったように記憶している。

そしてその後に続いたのが、覚えている人もいるだろう。
今回のウィンブルドン中継の女子の解説をしている「伊達公子」
である。

今回、男子シングルスで残念ながら3回戦で破れ引退が
きまったアンドレ・アガシの奥さん「シュテフィ・グラフ」と
同時期に選手生活のピークがぶつかってしまったのを、
「不運」と見るべきか、逆に「幸運」と見るべきか・・・。
(グラフは絶えてなかった「グランドスラム」を達成した歴史的
 女王です。念のため)

そして、その伊達の後塵を拝し続けたプレーヤーが居た。
今回の主役「杉山愛」である。伊達のような抜群のテニス
センスも無く、井上程の華麗さも無い。しかし、その泥臭く
しぶといプレーは私には「才能を持たないものの絶頂点」を
感じさせた。(もちろん、才能が有り余っていないという
意味で、無いという意味ではない)

元世界ランキング1位マルチナ・ヒンギスは、今シーズン
4年ぶりに現役復帰した「台風の目」である。元天才少女の
彼女は今大会第12シード。杉山は第18シードで名前から
いっても「格上」といえるし、シード順から言っても
杉山は勝てないだろう・・・と、誰もが思ったはずだ。

しかし、フルセットの末、泥臭いしぶといプレーで
最終セット0-3から逆転勝ちした。後に知ったことだが、
杉山は自分の体力が限界に来ていたが、そのときヒンギスも
自分以上に疲れていたことをラリーの途中で感じたという。

年齢は5歳上の杉山は現役を続け「ある種の緊張感」を保ち
続け、復帰したばかりのヒンギスは「その緊張感」を失った。
そんな感じに見えた。

テニスというスポーツは、本当に「番狂わせ」が
起きにくいスポーツだ。その中で杉山が見せてくれた
「泥臭くしぶといプレー」は
  
    「才能を持たないものの絶頂点」

そのものだった。本当に「なかなか見れないものを見た!」
のだ!

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
こういうのがあるから「深夜テレビ」にハマって
しまったりするんだよなぁ・・・。
                        may







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