完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「判断」の基準。その3       ~どこまで「介護」できるか??~

2023年07月26日 | 家族・肉親

 

 

 

 

私は前期高齢者寸前男である。

 

 

 

暑い夏である。

 

 

 

これからは、夏は40℃を超える日が多くなるような予想もある。

 

 

 

前期高齢者寸前男は、ますます外に出なくなるなぁ。

 

 

 

 

取り繕う気は無いのだが、親父は私に「お前は本当にいい倅だ」と本心からよく言っていた。

 

 

 

何しろ「単純な人」なので、そういうセリフを軽く言ったりしない。

 

 

 

確かに本人が「欲しい」というものは、時を置かずにそろえるし、こまめに悪いところはないか?と尋ねたりと細かく気を使ってはいた。

 

 

 

 

それはそれはストレスのたまることだったけれど・・・。

 

 

 

ではなぜそんなに気を使ったかといえば。

 

 

 

「親父を大切にしていた」のではない。

 

 

 

 

「父親(親父ではないです)は大切にしなければならない」と思っていただけだ。

 

 

 

結果的には同じことかもしれない。

 

 

 

だが「大嫌いな親父」にネグレクトに近い対応をするのは「自分自身が許せない」のである。

 

 

 

だが、そんな私が「絶対できない世話」がある。

 

 

 

「下の世話」だ。

 

 

 

私にはどうしても、それは無理だ。

 

 

 

やってみたことはない。

 

 

 

だから、できるのかもしれない。

 

 

 

だが、やっぱり「無理」だ。

 

 

 

親父をグループホームへ入所させたのは、その「下の世話」が目の前に迫ってきたからだ。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんもしっかりした「判断の基準」を持ちますように。

 

 

 

              May

 

 

 

正確ではないけれど、ここに至るまでの経緯を次回からもUpしていきます。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「判断」の基準。その2          ~「父親の性根」の分析~

2023年07月19日 | 家族・肉親

 

 

 

私は前期高齢者寸前男である。

 

 

 

前回のUpの最後の一文。

 

 

 

『「肉親の情」というのと「介護」というのは、たぶんあまり相関関係はないんじゃないかなぁ。』

 

 

 

これを読んでいただいた諸兄は、どう受け取っただろうか・・・?

 

 

 

 

肉親というのは厄介なもので、私の場合「言いに言われぬ嫌悪感」が常にうっすらと漂ってしまう。

 

 

 

私にはそんな気持ちにさせる親兄弟・親類が多かっただけだろうか・・・。

 

 

 

それとも、私が男3人兄弟の次男だからだろうか・・・。

 

 

 

わが地域の長男というのは、将来その家の惣領となるため「アニ・アニ」と持ち上げられる。

 

 

 

それが将来のための「帝王学教育」のようなものなら納得もするのだが。

 

 

 

単純に「甘やかす」だけの育て方なのである。

 

 

 

「お前は、細かいことはやらなくていい」「そこでドンとしていればいい」ざっくり言えばそういう育て方である。

 

 

 

そうするとどうなるか?

 

 

 

なんの根拠もなく「自分はエライ」「自分は何もしなくていい」「めんどくさいことは誰かがしてくれる」と考える「ボンクラな男」が出来上がる。

 

 

 

そして、長男以外はそれに平伏す者という扱いをされる。

 

 

 

あまり考えないそれ以外は「アニはエライものだ」と素直に受け入れ、私のようなヒネクレ者は「なんでアイツがエライんだ?」と思いながら育つ。

 

 

 

「そんな馬鹿な!」と笑われる方も多かろう。

 

 

 

しかし、程度の違いこそあれ令和の現在も、わが地域の長男共には深層心理として組み込まれている。(間違いない)

 

 

 

そうした中でわが父などは「昭和一桁」である。

 

 

 

どれくらいの「大ボンクラアニ」であるか想像していただきたい。

 

 

 

親父が私の物言いに歯向かわなくなったのは、80歳前後だったと思うのだが・・・。

 

 

 

それは、私がその「アニ意識」が「間違っている」と分からせたことと、本人自身の衰えからくる「自信の喪失」だったと思う。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、今につながる「性根の分析」をしてみますように。

 

 

 

 

                 May

 

 

 

・・・・そして、その「アニの教育」の裏側には、実は「嫁・姑の権力争い」があると私は気が付いた。(いずれこのことはUpしたいネタですな)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「判断」の基準。            ~親父がいない理由~

2023年07月17日 | 家族・肉親

 

 

 

私は前期高齢者寸前男である。

 

 

 

このブログのカテゴリー「家族・肉親」は、2018年8月20日「この歳になっても。。 ~たぶん「父現病」~」

 

 

 

が、一番端的に私の親父への意識を表している。

 

 

 

それから今回までの経緯を何回かを費やしてUpしていこうと思う。

 

 

 

まず、結論。

 

 

 

親父は5月1日に「グループホーム」へ入居させたのだ。

 

 

 

グループホームとは、軽度の認知症の老人がスタッフの助けを借りて「自立的生活」を行うための施設である。

 

 

 

 

男の90歳というのは、かなりの高齢であるらしい。

 

 

 

調べてみると、日本男性の平均寿命は約81.5歳。

 

 

 

 

平均寿命よりすでに10年近く長く生きているのである。

 

 

 

 

自分もそうなのであるが「老い」というものは、徐々に現れてくるものではある。

 

 

 

しかし、時に階段を上る(下る?)ように突然、顕著に表れたりもするのだ。

 

 

 

 

ちょうど前回の「家族・肉親」のカテゴリーをUpした時が、親父の「顕著な老い」が現れた時だった。

 

 

 

眼はもともと良くなかった。黄斑変性症を発症していた上に白内障でちょうどその頃手術をしたばかりだった。

 

 

 

更に「耳が遠く」なった。

 

 

 

50型のテレビに近づくこと1m。

 

 

 

そして、音量は40以上で平気で横になっている。

 

 

 

 

2階の私の部屋にいても時代劇のケタタマシいセリフが聞こえてくる。

 

 

 

そして、23時を過ぎてもその音は止まない。

 

 

 

下手をすると午前2時までテレビが点いている。

 

 

 

「部屋に乗り込んで、テレビを消せばいい」って思うでしょ。

 

 

 

しかし、それはしないことに決めていた。(後述?あれ?前にUpしたような気もする?確認します)

 

 

 

(早く寝やがれ!バカヤロー)と毒づきながら耳をふさいで寝入る。

 

 

 

なんてことがそれ以前を含めて最低7~8年は続いていた。

 

 

 

それはつまり「会話においても然り」なのである。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、近親憎悪の面倒くささを忖度しますように。

 

 

 

 

            May

 

 

 

「肉親の情」というのと「介護」というのは、たぶんあまり相関関係はないんじゃないかなぁ。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふわふわな日常。        ~激変した毎日を報告~

2023年07月16日 | 家族・肉親

 

 

 

私は前期高齢者寸前男である。

 

 

長いお休みを頂いていたのだが・・・・。

 

 

その間にあったことをUpするだけで、途方もない時間がかかりそうだ。

 

 

とりあえず今の「ふわふわの日常」をUpしよう。

 

 

 

 

毎日6:00に起床。

 

 

6:20 部屋の窓2ヵ所を全開にして空気の入れ替え。

 

 

6:30 目玉焼きとヨーグルト。豆乳・野菜ジュース+ごはん・納豆・のりなどで朝食。

 

 

7:45 身支度を整えて出勤。

 

 

17:30 帰宅。

 

 

18:30 自分で作った夕食+缶ビール。(もしくは日本酒・ワイン等⦅たまに無⦆)

 

 

23~24:00就寝。

 

 

 

これのどこが「ふわふわ」なのか?「激変した」のか?

 

 

そうなんです。

 

 

わかんないと思います。

 

 

 

行動そのものは、この5月以前とほとんど変わっていないのであるが・・・。

 

 

 

家に「90歳の父親」が存在していないのだ。

 

 

 

それまであった「嫌悪感」と「制限された空間」が無くなった。

 

 

 

「日常的にあったプレッシャー」から解放されたのだ。

 

 

 

それが日常が「ふわふわ」した一番の理由なのです。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「解放される」ことの爽快感を感じますように。

 

 

 

 

         May

 

 

 

「90歳の父親」がなぜいないのか?という経緯を次回からUpします。

 

 

ちなみに「亡くなってはいない」ですよ。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たいがいにして欲しい・・・!       ~「父親」という馬鹿者~

2021年11月07日 | 家族・肉親

 

 

私は中老男である。

 

 

 

たぶんであるが・・・・人間には。

 

 

 

「考える人」と「考えない人」の二種類が居る。

 

 

 

それも・・・。

 

 

 

「考える人」は「考え過ぎ」

 

 

 

 

「考えない人」は「まったく考えない」

 

 

 

 

もちろん、その中間という人も多々いるのだろうけれど。

 

 

 

 

幸か不幸か。

 

 

 

 

我が父親は「全くかんがえない」人で、

 

 

 

 

 

私は、どちらかと言えば「考え過ぎる人」である。

 

 

 

 

 

 

親父は御年89歳。

 

 

 

 

 

ひと月ごとに病院に連れていく。

 

 

 

 

血液検査の結果は、私より数段「良好」である。

 

 

 

 

本人はずっと以前から「若い」と言われることが自慢だった。

 

 

 

だが「若く見える」ということと「若い」ということは、

 

 

 

 

当然だが「違う」

 

 

 

 

 

89歳の人間は、見た目がどんなに若くても「89歳」なのである。

 

 

 

 

 

ここ一年、特に耳が遠くなってこちらが「大声」を出さないと聞こえない。

 

 

 

 

血液検査の結果が上々であって、日常生活に支障が無いと言っても。

 

 

 

 

89歳の老人が、60歳の息子と同じ意識でいてもらっては困るのである。

 

 

 

 

自分は30歳そこそこの時に52歳の父親を病気で亡くしている。

 

 

 

 

だから「分からない」のも、仕方のない部分はある。

 

 

 

 

 

親父に言ったことがある。

 

 

 

 

 

「確かにあんたは、父親が早く亡くなって大変だったろう。だけど、60になってもワーワー言う父親がいることのメンドクささは分かんないだろう!」

 

 

 

 

「うん、そうだな。お前も大変だな~~~。」

 

 

 

 

自分のことを言われていることに・・・気が付いていない・・・・。

 

 

 

 

やはり例の「まったく考えない」性格である。

 

 

 

 

今日は休日でありながら「村内の共同作業」だった。

 

 

 

 

 

朝8時から11時の間、私も参加したのであるが・・・。

 

 

 

 

 

日頃やらない作業で、クタクタになった。

 

 

 

 

 

だが、家回り片づけなどもこのタイミングでないとできない。

 

 

 

 

 

それも、どのタイミングで何日でやるかは・・・。

 

 

 

 

 

 

「考え過ぎる人」の私は完璧にシミュレーションしたあった。

 

 

 

 

 

昼過ぎにやっとおわりシャワーを浴びていると・・・。

 

 

 

 

 

 

親父が風呂場に来てこう言った。

 

 

 

 

 

「なんで『あこ』を片づけてねぇがだ」(なんで「あそこ」を片づけてないんだ)

 

 

 

 

思わず怒鳴る。

 

 

 

 

「うるせ!おれがちゃんと考えてるがだ!」(うるさい!俺がちゃんと考えている!)

 

 

 

 

 

親父も60歳過ぎまで毎年1度のこの作業をやってきた。

 

 

 

 

 

 

どれくらい大変だったか。どれくらいの時間で終わったかを知らないわけではないはずだ。

 

 

 

 

 

 

その後、わたしのやっている家回りの作業も「こっそり見ていた」(そうしたことを我慢できる人ではない)

 

 

 

 

 

私が泥のようになっているのも、分かっているはずだ。

 

 

 

 

 

 

せめて。・・・せめて「お疲れ様」の一言があってからなら、私も「大声」を出したりしなかっただろう。

 

 

 

 

 

私の怒鳴り声にも、親父は「なんだ?」と聞き返した。聞こえていないのだ。

 

 

 

 

 

力いっぱい風呂場の戸を閉めて鍵をかける。

 

 

 

 

それでも彼はドアの外で「ブツブツ」と何か言っていた。

 

 

 

 

 

自分ができなくなったことに対して、いかに言いたいことあっても「口を出すべきではない」

 

 

 

 

 

口を出すなら「それなりの対価」を払うべきである。

 

 

 

 

 

いわく「金を出して口出さず」が理想。

 

 

 

 

 

 

「口を出すなら金を出す」のは普通。

 

 

 

 

 

 

「口を出すが金を出さない」のは最低。

 

 

 

 

 

しっかり、心に刻み付けておこう。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「自分の年齢」というモノと真剣に向き合いますように。

 

 

 

 

 

         May

 

 

 

 

 

彼をキライなのは、そのことだけじゃないんです。もっと許せないことがあるのですが、それはまたべつの機会に。       

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こういうことだったのね。      ~年寄りが「子供に帰る」の意味~

2019年09月01日 | 家族・肉親



私は初老男である。





猛暑の夏が突然終わった。





話はお盆の時の話。







毎年兄が帰省して、父親と私で飲む。







父親は86歳。





充分な高齢者である。






特に昨年末から今年初めにかけて衰えが目立つ。






元々おしゃべりな人である。






残念ながら昔から「意味のあること」をあまりしゃべらず、ただ言葉を「垂れ流す」人であった。








いまもその「垂れ流し」を続けるのだが、息子の私でも2割程度は何を言っているのか分からない。








3人で飲んでいる中で、近年特に3人共通の話題というモノが極めて少なくなっているが・・・。






その中で「東池袋の事故」の話になった。






丁度事故の当事者である運転手と父親はほぼ同年齢である。







以前のUpで記したと思うのだが、私の母親は父の運転する車の運転ミスでコンクリートウォールに激突する事故で亡くなった。








そうした彼に聞いて見た。







          「あんた、車の運転できる?」








すると






               「今でも、充分できる」






                            と答えたのだ。






軽度の認知症というのもあるが・・・。











つまり「高齢者が子供に戻る」というのは「阿呆」になる言うことなのだ。(まあ、それが認知症か)








だが、本人の人間性を親子であるからよく知っている。







認知症の部分を除いても、彼はそう答えたはずだ。








それこそ、若い時から人間性が良く子供である私たちに尊敬されるような人物であれば、その「阿呆」を許容することもできるのであろう。







しかし、彼はそういう人ではない。







ただただ呆れ、腹立たしく、自分がいずれなるその歳になる時の教訓にしようと固く思った。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「阿呆」になる覚悟をしますように。







                May





私も車では辛酸をなめてきた。免許なんて今すぐ返納したいのだ・・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この歳になっても。。。    ~たぶん「父源病」~

2018年08月20日 | 家族・肉親



私は初老男である。





初老男と名乗っているが、私は現在57歳である。






これを「初老」と名乗ってい良いのかどうかは微妙なところであろう。






しかし、この歳になっても。。。。。








         「家にいるのが辛い」







読み間違った人がいるのではないだろうか。






            「辛い(つらい)」




                     のである





            「幸い(さいわい)」




                        ではない。







農家の次男として、生まれて57年間。







思えば少しも、家にいて「心から安らんだ」ということが無い。







今日も今日とて、日曜日だというのに9時には家を出た。









大した用事があるわけではない。









家に居たくないだけだ。







       「何時からこうなったか」








たぶん「気が付いたら」である。








気が付いたころには、休みの日には父親の私を呼ぶ声に舌打ちをするようになった。










「百姓仕事」を手伝わされるからだ。








昭和40年代のことだから、やっと農作業のすべてが機械化されたことだ。










しかし、それは人間の手を必要としなくなることを意味していなかった。







「家にいる」ということは「百姓仕事を手伝わされる」ということを、深層心理に刷り込まれたのだ。







私が農業をリタイアして3年。







農作業は無くなった。








86歳になる親父が、私を呼びつけることも・・・・・。たまにあるが。






もちろん、百姓仕事をさせられるわけではない。







しかし、50年以上にわたって刷り込まれた「嫌悪感」は、親父という存在そのものに転嫁されて未だに私を怯えさせる。






それも「怒り」を伴った「嫌悪感」だ。







近親憎悪というモノは、とても厄介だ。







今「夫源病」なるモノが話題を呼んでいるが。






そうした意味で、私は間違いなく「父源病」だ。





そして、それは「家源病」につながっている。






親父はいつかは亡くなるだろう。






しかし、私の意識の中での「父現病」と「家源病」は、そう簡単に治らないだろう。






もしかすると・・・・。






一生治らないかもしれない。。。。。。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、根の深い厄介な病気になりませんように。






           May





彼のことを「尊敬できないが、軽蔑はしない」思っていたのだが、今は「充分」軽蔑している。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつまで出せばいいのやら・・・。     ~年賀状の「定年」は?~

2016年12月04日 | 家族・肉親

私は初老男である。





さて、もう気が付けば年賀状をださねばならぬ時期だ。





なんにも用意していない・・・・。







しかし、親父がやかましい。







      「自分は目が悪くなっているし、手が震えて字が書けない。」




  

  
     「だから、代わりに表書きだけていいから30枚ある年賀状を書け。」







・・・・。





今正月、恩師から





        「御年80歳となり、来年より年賀状をご遠慮します」





                              という年賀状をもらった。






年賀状のやり取りというものを、どういうものとらえるかの問題。







恩師にとっては「自分自身がちゃんとした年賀状が書けなくなった」のであれば、もうやり取りをする意味がないと感じたのではないだろうか。








親父は84歳。。。。。。。







自分の「信念においての行動」というものがない年寄は、見苦しいだけだ・・・・。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、信念ある歳を重ねますように。






              May





ただ単に「もらったから返す」ってことで、年賀状を書いてることに何の疑問も持ってないんだね。



















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大いなる「勉強」なのだろう。    ~爺二人とともに~

2016年11月26日 | 家族・肉親


私は初老男である。




人間は歳を取る。






確実に1年に1歳ずつ歳を取る。





これが「物理的」に歳を取るのだが「精神的」に歳を取るのはむずかしい。





           「精神的に歳を取る」





ということの中には「間違える」ことは、あっても「衰える」ことはない。








だが、限りになく「衰え」に近い「間違い」を起こすことは少なくない。







80代の爺さん二人と1日過ごすことになった。








加齢臭は、歳を重ねる度に強くなる。






しかも、一人は一人暮らしで、かなり生活自体が怪しい。







厄介なことに「匂い」というのは「本人だけが」分からないようにできている。








車で移動すること2時間。







その加齢臭の充満する中で、一人は延々としゃべりまくる。







それも、内容にほとんど意味が無い。







言葉を「垂れ流している」に等しい。







もう一人は、手に持った鍵の束を「ジャラジャラ」と鳴らして弄んでいる。







この二人を連れて会議に行った。






帰りに昼食となる。







食堂に入る。







まず、席に着くのが遅い。







注文を決めるのが遅い。







いざ、注文を決めると品書きに無い「刺身定食」などと言い出す。






冷の酒と生ビールを注文する。






酒が来ると、注文した品と一緒方が良かったとブツブツ言う。






注文の品が来ると「注文のしていない」と言い出す。





ビールが終わってしまって「酒が足りない」と言い出し、コップでの酒を追加する。







私より、遙かに早く来た品を、私が食べ終わってもまだ食べ終わらない。






日本酒2合を飲んだ彼は、私の車を発見できずほかの車に乗ろうと必死になっている。






ビールを飲んだ方は、会計の後トイレに行ってきたといって10分以上私等を待たせた。








日本酒の彼は、車に乗った当初は威勢が良かったが徐々に声が出なくなる。







      「人に迷惑をかけなけりゃ、何してもいいんさ!」






抱えるようにして、彼を家まで送っていった最後に彼が言い放った言葉だ。








歳を取れば、動きが遅くなる。






耳が遠くなるから、返事をしない。








それは仕方のないことだ。








しかし、問題なのは・・・・・。






それは「仕方がないことだ」と本人が開き直っていることだ。






「無自覚」に、歳を重ねてきたことだ。







         「人に迷惑を、かけなきゃいいんさ!」






この言葉は、いかにもその「無自覚さ」を証明している。







人間は生きていれば誰であっても「人に迷惑」などかけているのだ。






生きている時間が長くなればなるほどそうなのである。






人に迷惑をかけている人間ほど、そして、長生きをしてその迷惑をかけた時間が長い人ほど、こうしたセリフを吐く。







今私はそうした意味で、自分が年を上手に取る「勉強」をさせてもらっているのだろう。






こうした「反面教師」としての、年寄たちの世話をしながら・・・・。









もう、お気づきだろうが、この二人は私の「父親」と「叔父」である。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、身の回りの老人たちが自覚を持った生活をしているかを確認しますように。







            May






こうした、勉強をして自覚しようとしている人間は・・・・・。老人になる前に死んじゃったりするんだよね。私はすくなくとも彼らの歳まで生きていないだろうなぁ。
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イヤになった自分の先々Up  ~祖母葬儀に際して~

2007年08月14日 | 家族・肉親
私は中年である。

ついに「差し歯」が入ったのである。

私の数か月分のこづかいに相当する「84000円」の「歯」である。

ちゃんとしたこの歯が入るまで、プラスチックの仮歯だった。

それはそれで一ヶ月も入っていて、口の一部になっていたので、
逆にちゃんとしたこの歯の方が、今は「違和感」がある。

たしかに、とても自然でよほどよく見ないと他の人には分からないだろう。

前にもUpしたが、こうして「自分自身」を失いながらそこに「人工的
スペア部品」を付け足しながら歳をとっていくのだろうなぁ・・・。


さて、私は母を事故で亡くしたのだが、その母の母(つまり、祖母)は存命して
居た。

それが、9日の未明に逝去した。93歳。

4年近く入退院を繰り返し、最後は呼吸不全を起こして亡くなった。
最後は顎が外れて元に戻らなくなり、その顎が気道をふさいでしまい呼吸困難に
なった。それを近親者達が手で支えて三晩をすごし、小康状態になって
安心した途端の訃報だった。

入院する前から「アルツハイマー」が進んでいて、私を見ても多分誰だかは
分かっていなかったろう。

長生きするのは「幸せ」なことばかりではなく、同じくらい、いや人によっては
それ以上「不幸せ」なことも味わうこともある。

彼女は「幸せ」なことの方が多かったと私は思っている。

「中年」になって良くそう思うのだが、自分の身の回りの近い人たちが「老年」に
なり、様々な「見苦しさ」を露呈すると、私は間違いなく自分の「行く先」を
垣間見る。


祖母は「大正」生まれ、私の親たちは「昭和一桁」生まれ、そして私は
「昭和36年」生まれである。

どの世代でも、劇的な変化が起きた中に身をおき、経験を積む形になるが、
自分が若い時に培った「価値観」は容易に変化するものではない。

しかし、問題なのは時代に合わせた「感受性」をいかに持つか、である。

そうした意味でも親父とどこまでいっても、意見の交わることがないのは
分かりきっていた。そして最近決定的な一言を親父の口から聞いた。

       「誰が育ててやったと思っている!」

・・・私も親になり、まがりなりにも「親とはどうあるべきか」とかも随分
考えた。その中でこれだけは言ってはいけない、と思っている言葉が、正に
このセリフだった。

たしかにこのセリフを言いたくなることもあるだろう。しかし、こういわれたら

私はこう答えるしかない。

        「誰が育ててくれと頼んだ!」

更に言いたい。
        「誰が産んでくれと頼んだ!」
と。

SEXが出産につながっていることを、知らない奴はいないがそれを実感する
男は女に比べて圧倒的に少ない。だから、こんなセリフを吐きたがる。

そして、実際子どもは「親を選んで」生まれては来れない。逆もまた真なり。
親は生まれてくる子を「選べない」。

だからこそ「偶然という奇跡」の重みを受け止めて一生懸命子育てをせねば
ならないのだ。そこに疑問を持ってはいけないのだ。

これは世代が変わろうとも絶対に変わらないと私は思っている。

それを、いとも簡単にこういうセリフで子どもを失望させる。

・・・しかし、その親父に似ている部分を自分に多く見つけているのも
事実なのだ。

すると私も子どもに対して、そんなセリフを吐く時が来るのだろうか?

そんなことの無い様に気合いを入れている今日この頃なのだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「血脈」の偉大さにオノノキ、更に逆らう気力を
もてますように。

                      may

長らく「停滞」申し訳ありませんでした。
                          
                          
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする