完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

いろいろあった年だった。     ~2014を振り返る~

2014年12月31日 | Weblog
私は初老男である。


2014年ももうすぐ終わる。


つれづれなるままに、今年1年を振り返って今年最後のUpにしようと思う。



まずは政治の事


毎度のことであるが、私は「日本の国民」と言うものがわからない。


自分がその内の一人だというのに・・・。



何のことを言っているかと言うと「自民党圧勝」である。


日本国民は本当に今の政府の行政状況が支持できるものだと感じているのだろうか?


しつこいようであるが何の世界にも必要なのは「緊張感」である。


特に政治においては、為政者が「何でも思うとおりになる」を思わせたら必ず好き勝手をやりだすのだ。



細かいことは割愛するが、すでに安倍自民党は、かなりきわどい内容の法律を作り、政策を行ってきた。


これもすでに言われ続けていることではあるが、実際自民党大勝の裏には国民の20%弱の支持しか得ていないのだ。


自分の意思を示しもしないで(投票に行かなかったこと)いざ「何か」があったとき文句を言うのは「筋違い」である。


多分であるが、そうした「日本国民」がほとんどなのだろう。


来年あたりその「何か」がはじまると思うよ。




次に、スポーツ界。


スポーツ界には、本当にいろいろあった。


その中で、私の選ぶ「ベスト1」は、



      「バドミントン トマスカップ優勝!」

                         である。


・・・初老男らしいでしょ。


自分がバドミントンをやっていたからと言うのもあるけれど、これは世界的にみて「驚異的な出来事」なのである。


この優勝は「スポーツ界の巨人」中国の牙城が、ついに崩れたことを意味する。


中国が世界のスポーツ界に復帰してから(文化大革命以後に復帰したって覚えてる人の方が少ないか)バドミントン・卓球の二つのスポーツの世界一の称号を手放したことは無かった。


実は私が生きているうちに、この二つのスポーツの世界一が中国から離れることは無いと思っていた。


しかし、ついにそれを奪い取る国が現れたんだ!そう、しかもそれが我が日本だった!


この喜びは、ちょっと言い表せない。


マイナー競技には、マイナーである理由がある。


しかし、その競技には得も言われぬ「中毒性」があったりする。


バドミントンには、まさに「それ」があるから私がこんな風に興奮したのだと思う。


最後まで「ベスト1」を争ったのは、錦織君。USオープンに優勝していたらこっちが「1」だったんだけどね。



最後は私自身の事。


まずは、体の事。


これは私の持論であるが・・・。


この毒々しい様々なことに侵されている環境において、50代半ばになった男が「完全健康体」でいるとしたら、それは「ロクな奴」でない。


勘違いしてほしくないのであるが、そんな人がいれば「うらやましい」のである。


しかし、現代社会において様々な「誘惑」「欲望」「誇張」「不正」のある中で「完全健康体」であるというのは、聖人君子か逆に大悪党のどちらかって気がする。(大体「完全健康体」って、どういうものであるかが問題だけどね)


そうした意味でも、私は絵にかいたような初老男である。


一昨年右膝に水が溜まったのだが、今年は左ひざが壊れた。水は溜まっていないが痛みを感じて半年以上たった今もかなり不安な状態だ。


元はと言えば、ウォーキングが講じて軽くジョギングに移行したときに無理をしたのが悪かった。


今、もしライオンに襲われたら・・・。走って逃げることができず、すぐに喰われてしまうだろう・・・ってそんな状況があるか!


他にも、血液検査の数値はあれやこれやチェックされて、2年ぶりの「メタボ指導」を受けることになった。(これも前出の膝が原因でもある)


まあ、すべては「自己責任」受け入れるのは初老男の裁量のうちだろう。



精神的な面の話。


3月で地域の下役が終わったのは良いのだけれど・・・。


7月から職場の下役が回ってきた。


50代の男にとっては、こうした煩わしい役員と言うものが切れ目なく巡ってくる。


しかも、7月からの方が数段面倒臭い。


県レベルでの集まりもあり出張も多々あった。


細かいことは示さないが、こうしたときに人間の真価が問われる。


まあ、私のような「小物」は小さいことが気になってこの程度の長以上のものは務まらないと再確認した。


それとて、結構本人的には悩みもした。


最後の最後で「開き直った」部分も多いけれど・・・。


何とは無しに一年の時の流れを「加速度的」に早く感じた2014年であった。


今年1年も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんがよい年を迎えられますように。



               May



来年はせめて1週間に1度はUpすることを「目標」にしたいと思います。







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見応えのある1年だった・・・。     ~「軍師官兵衛最終回 乱世ここに終わる」

2014年12月28日 | テレビ
私は初老男である。


先日わが地域に「大雪」が降った。


初老を名乗る私は、50余年をこの豪雪地に暮らしているが・・・。


一晩で1m以上の雪が降ったのは、生涯で初めての経験であった。


降る雪に「憎悪」を感じたことは多々あるが、「恐怖」を感じたのは初めてだ。



豪雪地域に住む者の愚痴を、最初に持ってきてしまった。失礼失礼。




と言うことで、いま録画していた大河ドラマ「軍師官兵衛最終回  ~乱世ここに終わる~」を見終わった。



良かったね~~~~~~~~~。



やっぱり出たね!


何のことかって?


先回の私のUpを読んでいた人なら分かるはずだ。


関ヶ原の後、息子長政が家康が手を取って感謝したときの話。


そう「どちらの手を握った」と如水が長政に聞くやつね。


これが聞きたかったのさ。



歴史において「事実」は、変えることができない。


しかし、見方によって「事実は単に事実」でしかないことが、様々なドラマとして成り立つのである。




今回の大河ドラマは、歴代の大河の中でも屈指の出来だったと思う。


主役の官兵衛の岡田准一は、実はずいぶん「不安」だったのだが回を重ねる毎に良くなってきた。まあ、演技力には定評がある人だから大丈夫だと思ってはいたけれど・・・。


ジャニーズ系の役者は大河ドラマにおいて何人かが主役を務めているが、遂に力不足の感が否めなかった。


しかし、岡田においては杞憂に終わった。


彼は完全に「役者」であった。




他のキャストも秀逸。


キャストにおいて重要なことは「バランス」である。


そうした意味では「光(テル)」の中谷美紀と息子の「長政」の松坂桃李は、ちょっと違和感あった。まあ、個人的に好きでないってのもあるけど。


信長の江口洋介・秀吉の竹中直人・家康の寺尾聡・淀殿の二階堂ふみ・おねの黒木瞳・千利休の伊武雅刀なんてのは今の俳優の中では、ほぼベストのメンバーだ。

逆にある程度の小物感を持たせるべくキャスティングされた三成の田中圭・小西行長の忍成修吾・小早川秀秋の浅利陽介も、よい意味で目立っていなかった。



久しぶりに堪能したのに乗じて、少々苦言を呈しておきたい。



と言うか・・・。



私の見たかった「黒田官兵衛」私のイメージにある「軍師官兵衛」を語ってみたい。



そもそも、男と生まれたのであれば「天下」を狙わずして何の生涯なるか。


しかし、どこかのヒット曲ではないけれど「No.1」になるのは、まさに一人だけある。



故に、裏方に回ることを「喜び」とする男も少なくない。


「No.1」になるのは、様々な要素が必要であり、最後の最後の厄介な「運」というものを持っていなければ、その場所にたどり着けはしない。


冷静なる頭脳を持っている「軍師」であればあるほど、自分がそれであるかないかを理解するのは早い。


黒田官兵衛は、そうした類の「頭脳」を持っていたのではないかと思う。


しかし、だからこそ「ダークサイド」(暗黒面)が前面に出たドラマになって欲しかった。


本編でもそうで終盤から最終盤にかけて、追われるかのような「急ぎ足」感が強いが、その部分に黒田官兵衛の「ダークサイド」の部分が隠れているような気がするのだ。



結局最終的に、極々当たり前の「万民の為の天下統一」がテーマとしてまとめてしまった。



しかし、官兵衛を筆頭とした武将たちの「野心」は、もっともっと自分勝手なものであったと思う。


大河ドラマと言う枠の中では、無理なのかも知れないが黒田官兵衛という「頭脳」と「長い監禁生活」という二つを持った武将を「ピカレスクドラマ(悪漢ドラマ)」にして欲しかった。


武将の心の奥底にある「魔性」を感じさせるような壮大なドラマに。


今回も最後までお付き合い頂きありがとう。これを読んでいる皆さんも、1年を通して見れるドラマを楽しまれますように。


             May


終盤に見せた岡田の迫力があれば、いい悪漢ドラマになったと思うんだけどなぁ。
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いよいよ終末!    ~「軍事官兵衛」最終盤~

2014年12月08日 | テレビ
私は初老男である。



とうとう雪である。


今の時期としては「かなりの量」である。


・・・長い冬になるなぁ・・・・。



と言うことで「軍師官兵衛」が、あと2回で終了。


明日(あ、もう今日か)が「関ヶ原」であろう。



実はこのドラマを見ていたら、どうしても司馬遼太郎の「関ヶ原」が読みたくなった。


上・中・下巻の3冊であるが、司馬遼太郎物はさすがにあっと言う間に読み進むことができた。




この「軍師官兵衛」というドラマは、今までの歴史小説を集大成的にところどころちりばめている感がある。



「千利休・山上宗二」のこととか「のぼうの城」のエピソードを知っていると、オモシロさが倍化した。



細かいことを言えば、朝鮮出兵の折の官兵衛と某大名が碁を打っていて、使者としての三成をナイガシロニしたという話はレアな歴史好きなら知っている話だし、黒田の女性たちが細川忠興の屋敷の火事に乗じて脱出した話は、その火事の原因(細川ガラシャ夫人の死)とともに一つのドラマにできる。



小説「関ヶ原」は、石田三成と架空の美女「初芽」の関係を背景に豊臣への忠誠を「義」とする西軍(三成派)と満を持しての「天下取り」を狙う東軍(家康派)の、両者の内情を中心に描かれている。



頭脳明晰な石田三成の観念的な「義(正義)」は、この時代のことを理解していないと勘違いしやすい。



孫子の代まで「誰々の家来」という大名はあまり存在していないのである。


地方の豪族たちが「群雄割拠」の乱世をのし上がり、生き残って行くには本音として「信じられるのは自分だけ」という意識があったはずだ。


そうした時代に石田三成の「義」の意識は、ある種「欺瞞的」な物として他の武将たちに見られたと考えた方が正しいはずだ。


司馬氏は、その「義」の意識を先駆者的なものと捉えて小説「関ヶ原」を書いたのであろう。




歴史においての「事実」は、変えることができない。


しかし「事実」の認識は、視点が変わると解釈が変わる。


今回の「軍師官兵衛」における三成は本当に「小賢しい若造」に描かれていて、豊臣に対しての忠誠を尽くしているように見えている。


ドラマ官兵衛の三成にとっての「忠誠」とは、秀頼への忠誠であり「=淀殿への忠誠」であろう。


これが小説「関ヶ原」の三成における「義」と、果たして「=(イコール)」と捉えられるかどうか・・・。



そして、永遠のテーマである「人間の行動は『感情』で決まる」ということ。


東軍に加わった福島正則・加藤清正を筆頭にする秀吉子飼いの武将たちは「三成憎し」の感情が「秀吉に受けた恩」より大きく作用している。


結果的に後年に我々が持っているイメージの「忠誠心」を、関ヶ原の時点で色濃く持っていた家康派(東軍)が、忠誠の逆の意味の「裏切り」をキーワードに勝利することになる。



丹念に読み込むと、この「関ヶ原」の中でもポイントとなった武将たちに共通しているのが「卓越した頭脳派」であり「忠誠心の強い家臣がいる」ことの二つだ。


そして、小説「関ヶ原」の結末は、まさに大河ドラマの主役官兵衛(如水)と美女初芽のシーンで終わる。



長々と綴ってしまったが、大河ドラマ「軍師官兵衛」が決まったときから見たいシーンがあった事を吐露しよう。


それは息子黒田長政が、あたかも自分の策謀で家康に天下を取らせたとうぬぼれ「あの家康殿が我が手を三度押し頂きかれました」と如水(官兵衛)に報告する。


それに対し苦い顔の如水が「その手は、右手であったか左手であったか」と問う。


問われて長政「されば拙者の右手でござる」


さらに如水「ならば、その時そなたの左手は何をしておった!」


(蛇足ながら、つまり「なぜその左手で、家康を刺さなかったか」と如水は言いたかったのであろう)


関ヶ原が「たった一日」で終わったりしなければ、如水は家康に最低でも決戦を挑むことができたはずだ。


人生において、最後は「運」が決めてしまうものなのか・・・。



歴史小説の集大成としてのこのドラマには、このシーンをまず欠かして欲しくない。


まさかこのシーンがないなんてことはないよね?



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも大河ドラマの終盤に想いを馳せますように。



           May



・・・・なんて言っていたら、軍師官兵衛・第49回が録画されてなかったんだよね~~~。

来週土曜日までお預けじゃ~~~~。
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