完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

・・・腹立たしいこと。      ~スポーツにおいて二件・・~

2014年09月28日 | スポーツ
私は初老男である。


最近腹立たしいことが目につく。


まず・・・。


アジア大会の「柔道」競技。



だいぶ前から、日本古来の武道としての「柔道」は消滅してしまった。


良くも悪くも、日本人にとってのすべてのことにおいて「精神性」がかなりの地位を占めているといえる。


しかし、柔道は世界中に普及していく中で「武道」から「スポーツ」に変化し、一番重要であった「精神性」を無くしてしまった。


日本人にとってはスポーツであっても「精神性」がかなりの部分を占めるのに対して、日本以外の国にとっては勝つことの「技術」の方が大事なのだ。


今の柔道は、私のような初老男から見ると「見苦しい」だけだ。


柔道着は着ているがやっているのは「レスリング」なのか「サンボ」なのか、はたまた「モンゴル相撲」なのかわからない。


そして、なにより「審判」の質が限りなく下がってしまった。


今回の大会も、不可解なジャッジがとても多い。


もう、これからは柔道の試合は見るのはやめようと思う。


腹立たしいだけだ。



さらに「バドミントンの『風』」騒動。


これは、バドミントンを競技としてやったことのない人には分からないと思う。


5gしかないバドミントンのシャトルは、信じられないくらい風の影響を受ける。


しかし「バドミントン関係者」なら「常識」である。


まして、韓国。


今や力関係が逆転しつつあるが、バドミントンにおけるアジアでの序列は長らく日本より、韓国の方が上であった。


そんな、国の関係者がこの「常識」を知らないわけがない。


それが、都合よく韓国vs日本戦に「冷房設備」が壊れて「スイッチを入れたり切ったりしていた」と言う説明。


さらに冷房は固定されており、風速、風向きを調節するシステムはないとくわえて説明。


・・・「やってない」と言わないのね。


こういうのを「開き直り」っていうのさ!


私は猜疑心の強い初老男だから、すでに韓国チームは冷房が入ったり切れたりする中で練習してたんじゃないかと疑う。

そうしていながら、韓国代表・李竜大は「風の影響でゲームがしづらかった。こんな風が吹く体育館は世界にはあまりない」とコメントしたという。


その練習をしていたことのカモフラージュ的発言と取ってしまうのが、猜疑心旺盛初老男である。



筋の違う話で、異論も出るだろうけれど・・・、韓国と言う国にどうしても好意を持てない。


自国の前途ある高校生たちを見殺しにした「セウォル号沈没事故」を起こしたかの国の体制なら、勝つために何でもやりそうに思えてしまうからだ。


最後はスポーツと離れてしまった感がある。が、逆に言えば「スポーツに政治を持ち込んではならない」などと言うセリフがむなしく聞こえる。


なぜならこうした大会において各種目の金メダルを獲得するには「国(政治)」の後押しが大きいからだ。


もちろん、表立って「ナショナリズム」を発言したりはできないだろうけれど。


さらに言えば、その国の「品位」というものがスポーツにおいても大きな位置を占めていると思うのは私だけだろうか。


その意味で日本は「金メダル」以上の物をすでに手に入れている気がしないでもないけれど・・・。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも腹立たしいことがあっても、簡単に爆発しませんように。


         May


やはり、国々において「スポーツ」の置かれる地位は微妙に違うものらしい・・・。
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ふる~い、ふる~い話       ~錦織準優勝おめでとう~

2014年09月09日 | スポーツ
私は初老男である。


「嘘」だと思われてもいいのだけれど。


私は「テニス小僧」だった。


自分が19歳の時に、あるスエーデンのテニス選手が偉業を達成した。


伝説のチャンピオン「ビヨン・ボルグのウィンブルドン5連覇」である。


「ウィンブルドン史上最高の戦い」と称される「ジョン・マッケンローとの決勝戦」である。


タイブレークのないファイナルセットを制したボルグが、芝生のコートにひざまずくシーンはいまだにまぶたに焼き付いている。



その当時のテニスと言うスポーツには「上流家庭」の子女たちのスポーツと言うイメージが、少なからず残っていた。


しかし、その感覚を完全に打ち砕いたのが・・・・そのボルグが6連覇を阻まれた次の年のウィンブルドンだった。


相手は同じ「ジョン・マッケンロー」


カーリーヘアーに、仏頂面。サウスポーで、極端なクローズドスタンスからの切れていくサーブと、あっという間のネットダッシュ。


すべてのテニスプレーヤーが「オールラウンド」に向かっている現在には、絶対に存在しないタイプの存在だ。


その彼が、ボルグの6連覇を阻み初優勝を勝ち取った。(これは衝撃的だったなぁ)


更にテニスにおける「一大改革」が起こった。


「デカラケ」そう、ビックフェイスラケットの登場だ。ナブラチロワが使っていた「ヨネックスR7」をなけなしのこづかいで買ったっけ。


夢中になった。


最長記録は16日間ぶっ続けでコートに通って練習をした。


5年ほど、そんな夢中の時を過ごして私は別のラケット競技に転向するのだが、それからずっとテニス中継は見続けてきた。


錦織のコーチのマイケル・チャンなどは「ジュニア」の時代から知っている。


嘘ではない。


日本で行われたジュニアの国別対抗戦で、彼が14歳でシングルスに出ているのを記憶している。

チームメイトは、のちの世界ランキング1位のジム・クーリエだった。


チャンがフレンチ・オープンで優勝したときに紙のメモを見ながら、優勝コメントをしたのを覚えている。



・・・・こんな話をエンエンと続けると、終わりがない。


先を急ごう。


私が忘れられないウィンブルドンがある。


「ケビン・カレン」という選手の話。


ウィンブルドン1985年、4回戦でステファン・エドベリ、準々決勝では第1シードのジョン・マッケンロー、そして準決勝ではベテランのジミー・コナーズを破って自身2度目の4大大会決勝進出を果たした。


まさに「快進撃」だった。


しかし、・・・・・・。


決勝で当たったのが「ボリス・ベッカー」西ドイツの超新星。


それまでの快進撃をおもえば、当然カレンが優勝するべき大会だった。


現実は残酷だ。


快進撃を続け、本人人生最高のプレーができた大会に「それ以上の好調さ」をもった選手の引き立て役に回らされてしまう。





今回の錦織選手が、ケビン・カレンだと言っているのではない。


むしろ逆だと思っている。


長身選手のビックサーバーは「大成」しない。


「波」が大きすぎるのだ。


ただ、こうした選手の「爆発力」は大波となって呑み込んでしまうことがおおい。


チリッチは、そうした選手だ。(デルポトロもかなり近いイメージ)



錦織の安定感が増していけば、必ず「次」が来る。


・・・・しかし、かれが「ケビン・カレン」にならないとも言えない。



ただ、思う。


私が生きているうちに「グランドスラムの決勝」の進む選手が現れたのだ。


それだけで、少しでもテニスを齧った者として「至福」を味わうことができた。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、初老になったときに味わえる「至福」が存在しますように。



             May



連日のUSオープン中継のレポートしてたテレビ朝日の横地明子レポーターが、雉子牟田明子(往年の女子テニスプレーヤー)だと思ってた。(どうやら別人らしい)
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やっぱり「名作」だ。    ~「カーネーション」アンコール放送~

2014年09月02日 | テレビ
私は初老男である。


ずっと、Upしようと思いながらやらなかったことを今後悔している。



某国営放送の伝統番組「朝の連続テレビ小説」の話。



そう


        「カーネーション」


                  のことである。



だいぶ前に、このドラマの最終盤のことをUpした。(2012年3月13日「賛否両論?!」参照)



そう、今日から始まった夏木マリの「小原糸子」の最晩年の事である。



初老男を名乗って、つくずく感じるようになった。


この「朝の連続テレビ小説」を言うのは、私のような年頃にならないとわからない部分が多々ある代物だということ。



時代が変わっても人の世の「時の流れ」に対する畏怖、と言うようなものに変わりがないからだろう。


特に今回の「カーネーション」においてはそのことを強く感じた。



今ここに至って一度もこのドラマを見たことのない人には、絶対わからないことばかりを連ねることになるがご容赦いただきたい。



このドラマの一番の特徴は、主たる場面が「一貫して主人公の家」であること。


岸和田にある「小原呉服店」が大正から平成まで時を経て「オハラ洋装店」に変わっていく。


時を経てドラマの展開が少しずつ変わる度に、まるで「まちがいさがし」をしているような気がしてくる。



私も同じような人生を過ごしてきた。


実際には11歳の時に現在の家になってからだが、そこから53歳の現在まで積み重ねられた「まちがいさがし」のような少しずつの変化を、フラッシュバックさせたのはこのドラマを見たせいかもしれない。



ドラマの中のヒロイン糸子がふとつぶやくセリフが、またとても感慨深い。


母親の両親(宝田明と十朱幸代)の「老い」をみて「いつのまにか、守ってもらう側から守ってあげる存在になったんや・・・」


長女が美術学校を受験するのを「ホンマに行きたかったら、うちの言うことなんか聞かんでええねん!」


尾野「糸子」の最後のシーン「ヘタレはヘタレで泣いとれ。ウチは『宝』抱えて生きていくよって・・・」


若い人には分からないだろう。


年を経て様々なものを得て、そして失ってみないとこうしたセリフの意味は感じ取れない。



キャストもいい。


祖母「ハル」役正司照枝は本当にハマっている。もはや演技をしているのでは無いように見える。


糸子の母親「千代」役の麻生祐未。この人は完全にこのドラマで女優として完成したと思う。


ところどころに出てくる「食べ物(特にケーキなどの菓子類)」への演出も、長いドラマの中でうまく伏線にしている。


「笑っていいとも!」が終わったときに「タモリロス」になる人がいたらしき話があるが、私は間違いなく「カーネーションロス」を体験しつつある。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ロスになるようなテレビドラマに出会いますように。



             May


最初に記したように夏木マリになった今日から最終回までは「別のドラマ」と思った方がいい。
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