完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

すでに固まってしまったシステムUp   ~本当のエコロジーって・・・~

2007年10月30日 | Weblog
私は中年である。

守屋元事務次官の証人喚問が行われたが、彼も「キャリア」って奴だろう。

話を聞いていると、本当にこうした上級国家公務員の感覚は「明治維新」以来
変わってないのね。

まあ、私は明治維新から生きているわけではないけれど「証人喚問」という
場所に立った人たちが、判で押したように同じことを言っているところを見ると、
言っていることが変わっていないと断言できる。

しかも、この人は例の「ラーメン大好き小池百合子」との確執で退任した人
だからねぇ。

「規律違反はした。悪いこととは知っていた。」と証言して殊勝に反省して見せ
それが「賄賂性」を持っていないので「法律違反」ではない!と強調する。

「退職金も熟慮して返還するか決める」といっていたが・・・・。

とにかく、こうしたキャリアって人たちは有名大学に入るために、一生懸命
勉強して、国家公務員になるためにも一生懸命勉強したんだろう。

そうして、偉くなったら「少しぐらいのオイシイトコロ」がないとやって
られない!・・・とか思っているんだろうなぁ。

脈々と受け継がれてる「公務員の接待」なんて「ベタ」な問題を「頭に良い」
この人たちが受けるんだから。

これからも、こうした事件は無くならないんだろうなぁ・・・。


マクラが長くなってしまった。

実は、私は「携帯箸」を使っている。

まだ、市場にはなかなか携帯箸は売り出されていない。

やっとの思いで見つけたが、男物は特に2種類しかなくてしかも安い方で
2500円程の値段だった。

女性用には、どちらかと言うと「箸ケース」や「箸袋」が売っていて、結構
いろんなバリエーションがあった。

だいたい女性はハンドバック等を持ち歩くから、箸くらいのものは携帯しても
気にならないだろう。

男の箸はどうしても、持ち運ぶには女性のものより長い。
ゆえにバックも持たないで、その長い箸を持って歩くのはほとんど無理だ。

そこで携帯箸はツーピースになっていて、途中でネジでつなぐようになっている。

あまり、スタイリングは良くない。なんか韓国製のステンレスの箸っぽい。

食堂に入っても思わず「割り箸」を取りそうになることもいまだにある。

しかし、携帯箸を使うたびにホンの少しだが「エコロジー」に貢献している。
って思いになる。

・・・ということで話が終われば良いのだが、ハタと思った。

この携帯箸を使った後に、アルコールのウエットティッシュで拭いておくのだが
この「アルコールティッシュ」を作るのに、割り箸一膳を作るより「お金」と
「自然資源」が使われているのではないだろうか?

話は大きくなるが、日本のODA支援は実は現地に日本製の重機を送り込んで
インフラを整備できるが、日本製の重機だから結局現地の日本法人が儲かるって
寸法になっている。

さらに、近くに重機の出店がないと壊れて転がっているだけだと聞く。

本当の援助は目の前のことでなく、現地を活性化させることにあるのだが、
国際援助といいながらそうはなっていないことも多いらしい。

私のしている「エコロジー」も、実はほとんど意味が無いのかもしれない・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「エコロジー」の本当の意味を理解して実行できます
ように。


                              may

本当は使うたびに家で洗えばいいんだろうなぁ・・。あ、そうすると
多量に水を使ったりして、またムダに資源を使っちゃうか。




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「ほぼ日手帳の秘密」読み終わりました。Up  ~手帳地獄にはまって~

2007年10月25日 | 
私は中年である。

先のブログでも触れたけど、「食品の衛生」ていうのはむずかしい。

少し前に中国の食品の衛生について、世界中で騒ぎになったけれど、こんな状況じゃ
日本も偉そうにモノを言えた義理ではない。

ホンの少しだけ、日本人の衛生観念が中国の人たちのそれと違うだけって気がする。

だからと言って中国製品を率先して買う気にはなれないけどね。


さて、そろそろ年末が近づいてきて「手帳」の心配をする時期になってきた。

今年は「ほぼ日手帳」を中心に使ってきたのだが、その使い方を表した

      「ほぼ日手帳の秘密」

と言う本を読み終わった。・・・今頃になって。

まあ、初めて読んだわけではなく何度か拾い読みをしていたのだが、全編通して
読んだのは初めてだ。


手帳というアイテムには、少なからず「憧れ」を持っている。

颯爽とジャケットの胸ポケットから手帳を取り出し、万年筆でメモしていく。

なんて姿に「あこがれ」たのだ。

しかし、私はジャケットを着て仕事をしていないし、メモしなければならないことも
そんなにありはしないのだ。

それでも「あこがれ」を捨てることなくいろんな手帳を使ってみた。

昔は「手帳の使い方」など、人に聞いたりするものでなく「日記」に近い感覚で
皆が使っていたような気がする。

だから、ほとんど数ページしか使っていない手帳が年末に捨てられることになる。

横線紙・方眼紙・スケジュール帳・こづかい帳・地下鉄路線図・カードホルダー
・ペンホルダー・電卓etc

これら全部をバインダー式の表紙に挟んで使おうと思ったら、分厚くなって
ポケットに入らなくなったりもした。


最近はハウツー本としての「手帳の使い方」は、今の時期にたくさんでている。

いい時代になったものだ。

しかし、私の手帳に対する結論を言おう。
 
         「すべてを一冊の手帳で叶えることは出来ない」

と言うことである。すべてはその手帳をどういう風に使うかと言う、本人の問題
ではあるが、いくらやってみても、一冊の手帳で自分の思ったことを叶えることは
出来ない。

そして、2冊以上の手帳を持つと、それはそれでとても使いにくいのだ。

結局、どこかで折り合いをつけて使い分けることになる。

今の私の使っている手帳を紹介して締めくくろう。

まず

         「ほぼ日手帳」

前出のこの手帳は、糸井重里がプロデュースしただけあって
かなり細部に工夫が施されている。

一日の時間を「完全24時」に割り振っていあったり(深夜仕事の人たちには
非常に使いやすいと評判)、180度に開いて閉じない「糸かがり」という製本
法。カバーに多くのホルダーがついている。等々、今まで使ってきた中では
かなりの使いやすさを誇る手帳だ。(詳しくは「ほぼ日刊イトイ」のHPを参照)

そして

         「超整理法手帳」

これも、結構評判になった機能的な手帳だ。
A4の紙を横に1/4に折り込んだ大きさになっていて、リフィルを自分の
アイディアで作って挟むことが出来る。

スケジュール用紙は8週間分を基本としているので、ひろげると「時間の量」を
実感できる。普通の手帳のスケジュール欄は一ヶ月を単位としているので、
月末と月初めの日数の感覚がずれやすい。それが、この手帳は感じにくく、
長期の計画を進めるのに使いやすい。

最後に

      「モールスキンの手帳」

この手帳は、前出の2冊と全く違ったコンセプト。というより完全白紙のただの
ノート型の手帳だ。
この手帳の最大の特徴は「とにかく書き易い!」と言うこと。少々値が張るが、
どんな筆記用具でも見事に「筆走り」が良い。そして、頑丈。開かないように
ゴムバンドもついている。白紙だから、使い方も自分の好みに使える。

私はモールスキンにこのところハマっていて、罫線の違う種類を3冊もっていて
使い分けている。

さらにもうひとサイズ上のノート型のモールスキンも2冊買ってしまった。
これらの使い方も、そのうちにブログUpしようと思っている。
(結構おもしろいよ!)

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが手帳を使うことで、過ぎ行く時間の短さを感じ取れます
ように。


                              may

10月23日に「中越大震災」のことをUpしようと思ったが、昨年以上の
内容のブログをUpできそうにない。もしお暇なら、昨年の10月23日の
ブログを読んで見ていただきたい。
 
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「伝統」と「信頼」Up     ~赤福の不思議~

2007年10月22日 | Weblog
私は中年である。

自分でもビックリしているのであるが、今履いている靴が「5年」になるのだが
履き潰れない。

さすがに見た目は「新しく」はないが「ボロボロ」ではない。(自分だけが
そう思っているのかもしれないが・・・)

身に着けるものは、時が過ぎれば過ぎるほど馴染んできて手放しにくくなる。

特に「靴」と言うアイテムは時に「衣類」よりもその人の行動を制約することに
なる。

おととい雨の中を歩いたら、さすがに靴の中が濡れたきた。

・・・いよいよ「お役御免」にしなければならないかかぁ・・・。
まあ、惜しくはないけどさみしいなぁ・・・。

いつか「靴供養」でもしてやろう。


と言うことで、例の「赤福事件」についてである。

昔は、中小から零細な工場でしかありえなかった「信頼失墜事件」が、数年前の
「雪印乳業」事件あたりから状況が変わってきた。

結局「人間」の考えることに時間的に「大きな差」は無いということだろうか。

組織が大きくなれば「相互監視」が効いて、安全性が高まってもよさそうなものだと
思うのだが・・・。

しかも、経営者と言うものは類似の事件から何も学ばないのだろうか?

「悪事」が後から後から出てきて、それを小出しにされれば「ああ、この会社は
ズブズブなんだな」と思わせるだけだ。


最近読んだ本に「ほぼ日手帳の秘密」と言うのがある。
(手帳のことについては近日ブログUpします)

その中に、こんな話が出てくる。

  11月、予約分の手帳を全部発想し終わった頃、印刷会社の担当者が、
 編集部に現れて、こんな言葉を口にした。
 「職人と話していたら、『こんなに分厚いと、背の部分の強度が心配だ。
 乱暴に扱うと半年くらいでバラけちゃうのもあるかもしれない』って
 言うんですよ・・・」。

糸井重里氏が提唱して作られた「ほぼ日手帳」を使っている人もいると思うが
そこでの2002年版の手帳の話である。

さて、この問題をどう解決したか?

 すでに1万冊以上の手帳は、購入者の手に渡っている。そのすべてが
 不良品になってしまう可能性があるということだ。青くなったスタッフは
 すぐに糸井氏に報告。

 下った判断は「本の少しでもバラけてしまう可能性があるなら、全員に
 対してもう一冊ずつ、手帳を送りなおそう」というものだった。

どの経営者も同じ判断が出来るわけではない。そのことによって「倒産」の
可能性もある。

しかし、「製品を提供する」側の人間としての「良心」が「誇り」があるはずだ。

その「良心」と「誇り」が、どの程度であるかが、その会社、その経営者の
「信頼」を反映する。

ここに来て「比内地鶏」製品も同じような話が出ているが、全く同じことである。

「赤福」の経営者を見ると、とても若い。かれがこの偽装や隠蔽をしようと思って
はじめたわけではなかろう。たしか十数代目とかにあたるのだろう。

しかし、経営者となった人間は過去のことにおいても「背負わなければ」ならない。

昨日の比内地鶏の社長の会見で分かったことがある。

人は容易に「一線」を越えてしまう生き物だと言うこと。

自分にとって守るべき「一線」は、人それぞれ違うだろうけれど、その線の
設定位置と絶対に越えない意識を持たないと、一度それを越えてしまうと
後はズルズルと先に進んでしまう。

皆さんも、その一線だけは越えないでほしいと思う。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「人間の弱さ」を認めたうえで一線を越えない覚悟を
持てますように。

                              may
「食品の衛生」ってむずかしいよなぁ・・・。

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いよいよクライマックスに!Up    ~「風林火山」最終盤~

2007年10月18日 | テレビ
私は中年である。

遅ればせながら「肉体改造」に着手した。

1日5000歩のウォーキングと腹筋朝晩30回、ストレッチング15~20分。

「ゆる~い」とかいわれそうだが、ほとんど「なにもしてない」状態だった40代
半ばの人間にとっては、これでもずいぶん「きつい」内容なのだ。

これに伴って「食」についても「良く噛む」「腹八分目」を目指すようにした。

なぜ今ごろかというと「人間ドック」が12月初旬にあるからだ。

やっぱりなって思った人も多いと思う。

しかしそれだけではない。

プライベートのことなどにおいても「余裕」が出来たからだろう。

残暑の日もなくなり、農業も終わった。仕事にも慣れてきた。そうしたことで
精神的に余裕ができたと言える。

・・・でも、そうすると逆に日が短くなって「時間」が無くなるんだよねぇ。


さて、いよいよ大河ドラマ「風林火山」の残すところ7~8回となった。

ヒロインの「由布姫」も亡くなって、最終盤にかかってくる。

この終盤にかけて非常にドラマの演出のキレが良くなってきた。

出演者が一人一人しっかりとしていて、45分のドラマがダレない。

この頃の大名が、一人一人強い個性を持っていることを表現することに成功
している。

武田・北条・今川の「三国同盟」の回では、谷原・松井・市川の三人の個性が
いい意味で競合している。その後の勘助(内野)と雪斎(伊武雅刀)の会見も
同様。

この大河ドラマでは「衣装」がその人物の「性格」を表すのに効果的に使われて
いる。

長尾景虎(ガクト)が、一昔前の公家衣装であったり今川義元がその当時の公家衣装
であったり、武田が非常にざっけ無い質素な衣装を着ていたりと、そこら辺にも
演出の妙がある。

さらにこの当時、今川が対立している「美濃・織田信長」を出演させていないのも
うまい。

この場に織田信長を出してしまうと、これだけ出演者の多くなっているドラマの
中で、いかに目立たない役者を使ったとしてもその人物が勝ち残って行くことを
視聴者は知っているから、そうした眼でその役者を見てしまう。

そして、コソッと松平元信(後の徳川家康)を元服したばかりの青年として
登場させている。

ここら辺のバランスはとてもむずかしいと思う。

それをとてもうまく演出していた。

何度もこのことは書いているが、この「風林火山」原作の小説はとても
短く、ほとんど由布姫と勘助・武田晴信の微妙な関係のことを中心にした小説で
「恋愛小説」と言っても過言でない。

それを1年間50回のドラマにするに、色々な「肉付け」をしなければ持つはずが
ないのだ。

そうしたことで小説の中心であった山本勘助の「心の動き」みたいなものが
ドラマで描ききれなかったと思う。(由布姫が死んじゃったから、言い切っちゃって
いいよね)そこはとても残念だ。

しかし、その分小説に書いてなかった「歴史的壮大さ」や武将達の「苦悩」が
充分に際立っていたと思う。それでこそ「大河ドラマ」と言うものだ。


由布姫が死んだ後の勘助がどうなっていくか?

残された7回で昇華されることを願っている今日この頃だ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「大河ドラマ」を見ることで一年の流れを心に刻みこめます
ように。
                             may

由布姫役の「柴本幸」の演技をもう少し見たかったなぁ。


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シモーネ・ペドローネ「ゴルード・ベルク変奏曲」を聴きました。Up ~鳥肌立った!~

2007年10月14日 | 音楽
私は中年である。

・・・亀田関係の話は、やめようと思っていながらついついもう一言。

みんな同じように考えているのだと思うのだが「興行・ビジネス」としての
ボクシングは客を呼んでナンボである。

しかし、そこに「虚構」であろうと「ロマン」や「サクセスストーリー」「夢」を
見たいと思ってお客は入るのだ。

選手に感情移入し、疑似体験としての格闘を楽しむ。

だからこそ、そうした中に「わざとらしくないアウトサイダー」は必要なのだ。

「非日常」という名の「日常」を楽しむために。

戦った相手に敬意を示せない、示すことを教えられない親・コーチ・ジム会長
放送局は、非難されて当然なのだ。

相撲界でも同じことが起きている。すべては「日常」と言う「常識」の中で
処理されるべきことが、逆に自分達の「身勝手な意識の中」で行われた時、
非日常的な「事件」が起こる・・・。

どの世界も、閉鎖された意識の中では限界があるのだ。


さて、人には一つ二つ「こだわっている音楽」があると思う。

このブログでは、意識したわけではないのだがほとんど「クラシック音楽」に
ついてUpしてこなかった。

20代の半ば頃から廉価版のレコードから始まって、最近までに集めたCDは
700枚を越えた。

そうした中でこだわった曲が幾つかある。

「ボレロ」(ラヴェル)「ピアノ協奏曲第一番」(チャイコフスキー)
「交響曲第3番・第7番・第9番(合唱)」(ベートーベン)
「交響曲第40・41番(ジュピター)」(モーツァルト)

等々が代表的なそれである。

そして、今回

     「ゴールドベルク変奏曲」

を生演奏で聞くことが出来た。

私はこの曲のCDを12枚持っている。もちろん、全部演奏者が違う。

バッハと言う作曲家は厳格なキリスト教徒であり、その作品には宗教的な意味を
持たせたものがほとんどである。

この曲はそうした中では珍しくあまりそうした意味を持たせていない。

ある人物の「不眠症」を癒すために作られた曲と言う。

一つの主題を元に30曲の「変奏曲」を次々に演奏していくので、交響曲や
ソナタなどの形式に慣れた人には違和感がある。

この曲の名演奏として名高いのが「グレン・グールド」であろう。

このCDは、バッハ好きな人なら必ず持っているはずだ。持っていて絶対に損はない。

彼はこの曲を2度録音しているのだが、どちらも音楽界に衝撃を与えた演奏だ。

今回のコンサートは「シモーネ・ペドローネ」イタリア人である。

普通は70分以上休憩なしで演奏される演目であまり演奏会の題目にのぼり
にくい。

ピアニストにとってもかなりきついプログラムといえる。しかし、今回は彼自身が
「休憩なし」を強く希望したという。

その演奏は最初に話したのとは逆に1曲1曲に宗教的意味を反映させていた。
(バックの壁にその主題を文字で提示していた。これも珍しい構成だ。)

クラシック音楽になんの興味も沸かない人は多いと思うけれど、何百年も前の
異国の人が作った音楽が、今だ伝えられこの日本で聞けることの「重み」を
大きく感じることが出来る。

3000円で6枚組とか10枚組のクラシックCD。100均のクラシックCD
などで入門しても良いけれど、本当のよさを感じるにはある程度の出費を覚悟
しなけれぼならない。

もし少しでも興味があるなら、やみくもにCDショップに行くより入門書の本を
幾つか立ち読みで良いからしてみた方が良い。


コンサートで序曲と言うべき「アリア」が、流れた時。わたしは全身に鳥肌が立った。

思わず涙腺が緩んでしまった。クラシック音楽には、それだけの力が間違いなくある。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながスローライフとしての音楽がいかに人生を豊かにするか
感じ取れますように。
                             may

・・・と、凄く感動しながらも「ゴールドベルク」の本来の目的「不眠症の慰め」の
効力か、途中で何度か船を漕ぎそうになった。




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あんまり書きたくないけれど・・・Up    ~内藤大助vs亀田大毅~

2007年10月12日 | スポーツ
私は中年である。

このブログを初めて一年半・・・。

タイミングよく本当に「中年度」が増してきている。

とにかく、ことにおいての「気力」がなくなってきている。

若い時は「無駄」なことであろうとなんであろうと、一つのことに
「集中」できたし「気力」も萎えなかった。

今はやりたいことがあっても、そのことの「意味」とか「価値」とかを
先に考えてしまう。

あれだけ「おもしろい」と思って続けていたバドミントンも、もう1年近くも
ラケットを握っていない。

転勤になり通退勤時間が長くなったのも、それに拍車をかけている。

そして、体の「衰え」がそれを後押しするのだ。

バドミントンに行かなくなったのも元はといえば怪我が原因で、治っても
「また、怪我をするんじゃないか・・・」という不安が頭をよぎる。

若い時はそれより、スポーツそのものの「おもしろさ・魅力」の方が大きかった。

そして、その体の衰えの一つ。今や持病といえるだろう右手薬指の「腱鞘炎」が
また痛み出した。

・・・これから寒い季節に、これはつらいなぁ・・・。


さて「内藤大助vs亀田大毅」であるが、いろんな人がいろんな評論をしているから
書くべきことはないんだろうなぁ。

と思いながらも「中年」としての見方をUpしようと思う。

まず、亀田大毅というボクサー自身であるが、実は彼のファイトは初めて見た。

そこでの感想は「顔面にパンチをもらうのを本当に嫌がっているボクサーだな」
というイメージ。

内藤に対して頭を下げて前に出てくる様子は、すくなくともプロで10戦を
闘ったボクサーの姿ではない。

というか、最近の「ボクシング」とか「柔道」がとくにそうなのだが本来の競技と
しての主たる目的(相手にパンチを当てる・相手を投げる)より、その逆(相手の
パンチをもらわない・相手に投げられない)を中心に組み立てている。

それを戦法の一つと見る向きもあるが、防御としての方法は「見切る」とか
「間を外す」ことであり「逃げ回る」ことではない。

亀田は頭を下げて前に出ていながら確実に内藤から「逃げていた」と見える。

日本人は基本的に「ストレート」より「フック」の方が力が入るように出来ている。
(日本のノコギリは引いて切るけど、外国人のノコギリは押して切るって知ってた?)

だから、内藤のように「ノールック」のフックは非常に対応しづらい。

世紀の一戦といわれた「モハメド・アリvsアントニオ猪木」の試合で
猪木が寝転がってアリの足への蹴りを入れようとしていたのに似て、亀田の
ボクシングは顔を打たれずに相手を倒そう「セコイ」戦法にみえる。

大体ランキング14位の選手がチャレンジャーになること自体、いかにも
裏でテレビ局やら何やらが暗躍したであろう感が否めない。

大相撲の時もUpしたが、その競技のトップというのは「つよさ」はもちろんだが
「品格」とか「人格」さらには「頭の良さ」(インテリジェンス)が求められる。

亀田家の人々には「インテリジェンス」が微塵も感じられない。

亀田三兄弟などはもっと上手にプロデュースしていけばうまくいけば、もっと
もっと大きなビジネスになったのに・・・。

結局、亀田父の単純な「夢」「思い込み」が優秀な素材をつぶしてしまったように
思えてならない。

亀田大毅がこれから再起するのなら、まず一番にやらなければならないことは、
「亀田ファミリー」から「抜ける」ことだろう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながこの試合に「親子のあり方」がいかに人の人生に影響を
及ぼすかを認識しますように。

                                may

・・・でも、この亀田のおとっちゃんは私より若いんだよなぁ・・・。
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子母澤寛著「新選組物語」読み終わりました。Up   ~発想の原点~

2007年10月09日 | 
私は中年である。

「ノリック」こと阿部典史が死んだ。

最近のモータースポーツにはしばらくご無沙汰で、どんな勢力地図になって
いるのかほとんど知らなかった。

しかし、バイク界の「異変」くらいは知っている。

MotoGPで「ドウカティ」が総合優勝して、日本の「4大メーカー」の連覇を
止めたという。(知らない人はいないと思うけど「ドウカティ」はイタリアの
小さなバイクメーカー。「日本の4大メーカー」はホンダ・ヤマハ・スズキ・
カワサキ」)

信じられなかった。

ノリックも31歳。この名ライダーも、MotoGPに参戦するには、少々
年老いた感があり、ことしから日本GPを中心に活動していたと言う。

加藤大治郎と言いF1のアイルトン・セナと言い、限界を見極める力が
ある人間ほどその限界に近づこうとし、それゆえ死に近い気がしてならない。

しかも、公道での事故というのが本当に悲しい。

これでまた、ひとつの「時代」が終わった気がする。



さて、久しぶりに本を読み終わって読書日記をつけてみて驚いた。

なんと前に本を読み終わったのが、7月31日・・・。

8~9月の2ヶ月間本を読んでいなかったことになる。

現実にはチョコチョコといろんな本に手をつけて読んでいる。しかし、
読み終わっていないのだ。現実に読みかけの本は4冊ほどある。

年間50冊を最低目標にしている私としては、今年はこの目標を達成するのは
むずかしくなってきた。


と言うことで、子母澤寛著

           「新選組物語」

読み終わりました。

今や新選組に関する本は「星」の数ほど出版されているが「元祖」というか
「本家」というか・・・。

まず作家として新選組ものを書こうという人は、読んでおかなければならない
本だろう。


内容としては、目新しい事実はもちろんない。

と言うより、この本で紹介された出来事がいろんな人によって脚色されて
今の星の数の小説郡になっていったと言うべきだろう。

わざわざ「物語」と名づけられているだけあって、おなじみの登場人物が
わざとらしいセリフと行動で話を進めている。

その文体と解釈はさすがに「二世代」ほど前の感覚だ。古臭い感じは否めない。

子母澤氏の新選組ものは、このほかに「新選組始末記」「新選組遺聞」の
2冊があり、本著を含めて「新選組三部作」と言われている。

なぜ、新選組物を書く人間がこの本を読まねばならないのか・・・。

それは、子母澤氏が「新選組の生き残り」に「直接取材した」部分が含まれている
からだ。

前出の「~始末記」「~遺聞」は、その題名通りルポルタージュやドキュメント
に近い文章で読んでいてストーリー性が薄いのでおもしろくない。
だからこそ、資料としての価値が高いともいえるのだ。

黒鉄ヒロシ著の「新選組」などは、ほとんどこの本の内容をマンガにしてある。
「文字キライ」の人は手っ取り早くこちらを読むのも、新選組を知るには
良いかもしれない。その分、コクが薄くなるけどね。

私の感覚では、この「新選組」は、これ以後に現れる日本における「軍隊的の組織」の
原点があるように思える。

ゆえにこの集団に興味を持つことは、人間の心理と組織のシステムを学ぶことに
なる気がするのだ。

是非一読をお勧めする。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「人間心理」と「組織」が密接なつながりを持っている
ことを認識しますように。

                                may

土方歳三と沖田総司。どっちが好き?
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「女優」の質Up      ~沢尻と竹内~

2007年10月06日 | 
私は中年である。

くすぶり続けている「大相撲」の相撲協会だが、前回のUpでも取り上げた
「巨人」の人気凋落(正確にはそうではないのかも知れないが・・・)と
似ている部分がある。

本人達は「なぜ凋落したか?」と言う理由を、甘く甘く考えている。

そして、それがある「極み」まで達した時にきっかけとなる事件が起き
右往左往してしまう・・・。

まあ、人間誰しもそうなのだろうけれど「組織」として、権威ある大きな団体
程、そうしたドタバタがヒドイ気がする。

先回も書いたが、プロ野球の今年のチャンピオンが決まったあとに、この
大相撲問題とからめてUpしようと思う。お楽しみに。


さて、ずいぶん有名になった「エリカさま」について・・・ではなく、
同じ事務所の「竹内結子」についてUpしたい。


先日のワイドショーで彼女が出演する映画「ミッドナイトイーグル」の
アメリカプレミアでのスピーチが放送されていた。

その様子をどう見るかは人それぞれだろうが、私にとっては「ああ、この人は
本当に『女優』なんだなぁ」と確認した。


現在の芸能界において「女優」は、本当にむずかしい職業だろう。

次々に新人達がデビューして自分の地位を脅かされる中で自分自身の
「年齢」とも闘わなくてはいけない。

業界関係者との「甘い罠」をかわし、マスコミの「追及」をごまかして
生き残っていく。

そんな女優は一握りしかいない。

選び方がミーハーであるが、現在の若手女優たちを揚げるて見ると

「沢尻エリカ」「堀北真希」「長沢まさみ」「綾瀬はるか」「上野樹里」

こんなところだろうか?

この世代の女優達は「イキのよさ」だけで充分使い道がある。

この若手の少し上に位置する20代後半から30代後半までの期間が、
女優にとって非常にむずかしい「季節」と言える。

本当に「演技力」が無ければいけないのは当然だし「花」がなければ
主演女優にはなれない。

その数少ない中堅女優も、若手の「突き上げ」とベテランの「圧力」の
間で苦労しているのが見ていても分かる。

それを乗り越えた人たちが、大御所的な存在になっていく。

「米倉涼子」「松嶋奈々子」

あたりの苦しみ方は、みていて痛々しく見えるのは私だけだろうか?


そうした中で竹内結子の英語のスピーチは「演技」としてのそれに見える。

本当にアメリカ人にウケるスピーチは「言葉」でなく「表情」や「身振り
手振り」の部分なのだ。

どうしても、言葉としての部分ばかりを練習して正確に喋ろうとする俳優を
良く見る。

彼女は、まず人に伝えることを「演技」としてその場に居た気がしてならない。

そうした意味では、彼女は女優となってから「素」を我々に見せたことは
ないのだろう。

その姿に腹の据わった「プロ意識」を見た。

今回は、素人以下の事務所の「後輩」の女王様が隣にいた時のイメージのまま
時を置かずして、このスピーチを聞いたので尚一層その感が強くなった。

散々問題になった「エリカ様」ついてだが、一言。

         「バ~カ」

                   それ以外にコメントはありません。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「女優の旬」が長くないことを知り、その時を見逃し
ませんように。

                                may

・・・しかし、そんな彼女が中村獅童なんていう男と結婚・離婚してしまう
のは、素は意外に「カワイイ」女なのかもしれないなぁ・・・。



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小ネタを少々Up    ~時津風・サッカー・プロ野球~

2007年10月02日 | スポーツ
私は中年である。

一つ一つじっくりとUpしたいのであるが、時事ネタは時を過ぎると
インパクトが薄くなる。

そのため、小ネタとして早めに短めにコメントしていこうと思っている。


まず、「時津風親方」の話。

「朝小龍包」騒ぎの時にも書いたが「大相撲」と言う団体のは、ある種の「
特権」を持ったもの集団だろう。

いまだ「ちょんまげ」なんてものをして「堂々」としていられるのだから。

閉鎖的な部分も多いので「親方」と呼ばれる人の権限が、非常に大きい。
独裁的になる部分も多いだろう。

「世間一般常識」に少し位外れていても、自分を頂点として物事が進むから
判断が甘くなる。

物事は「成長」の後に「爛熟」を迎える。今の大相撲界が正にそうだ。
一大改革が必要な時期に来ているといえる。

時津風親方は「殺人罪」に問われてもおかしくないと思う。


サッカーのACL準決勝が行われる。浦和レッズがベスト4に勝ち残ったからだ。
もう1チームが日本から出場していたのだが、準々決勝でPK負けしてしまった。

川崎フロンターレである。

何が問題なのかと言うと「日本サッカー協会」の「キャプテン」(この言い方も
なんかマヌケだなぁ・・・)が、川崎を「特別仕立ての飛行機をチャーターして
やったのに負けた」といって(正確にはそういう言い方ではないが)怒っている
のである。

日本サッカー協会というところは、私から見るとやっぱり「サッカーバカ」で
サッカーに実績のある人間が会長になるらしい。

まあ、全く関係ない世界の人間を連れてくるわけには行かないから仕方ないのだ
ろうけれど、歴代の「会長」にはロクなのがいない。

フランスワールドカップの時の会長が「長沼」と言う人だった。
タイミング良く辞めなかったと言う意味では安倍ゾウリにも匹敵する人だった
ことを覚えている人もいるだろう。

今回の問題も「オシム監督就任うっかり発言」と同じで、タイミングの悪いこと
この上ない。頭に浮かんだことは口に出さないと気がすまないらしい。

大相撲の「北の湖理事長」と同じく、トップでいるには人間の器が小さいねぇ。

早くちゃんとした、物事を深く考えるタイプの人格者が各協会のトップに
なってもらわないとどの業界も衰えていくばかりだよぉ・・・。


プロ野球セ・パ両リーグの優勝チームが決まった、らしい。

今年ほど、そのことに興味の沸かなかった年も初めてだ。

私が野球に興味を失った理由は、幾つかあるが最大の理由は「巨人」という
チームが「自滅」してしまったことだろう。

この話をすると長くなるので、日本シリーズが終わった頃にもう一度Upしよう
と思う。

とにかく、日本のプロ野球界は不自然な形で「畸形的」に発展してしまった。
それが「1リーグ制」「球団消滅」騒動の時から、違う流れになった感じがする。

とにかく、セ・リーグで「巨人が優勝」したことが「へー」って言うくらいに
しか感じなかった。

プレーオフ(じゃなくて、何とか言うらしいけど知らない)も、システムとして
おかしいと思うけど、いいのかなぁ。




今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながちょっとしたことに幸せを感じることが出来ますように。

                         may

・・・「小ネタを少々」といいながら、毎日1つずつしかUpしないんなら、
毎日Upしたほうがいいよなぁ。なにやってるんだろう。

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