電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

母屋のリフォームの進行状況~床下に歴史あり

2016年03月21日 06時07分07秒 | 料理住居衣服
母屋のリフォームの進行状況は、内部の解体が終わり、床下が見える状態になりました。おもしろいもので、ふだんは目にすることができなかった床下の構造を見ることができます。



写真は、客間にあったらしい客用の囲炉裏の跡です。撤去するのにだいぶ難儀をしていたようで、写真だけでは切石かコンクリートか判別できませんが、そうとうに丈夫なものだったらしいです。コンクリートであればおそらくは大正期~明治のものでしょうし、切石だとすれば江戸時代後期まで遡る可能性があります。



また、居間の掘りコタツの跡もはっきりとありました。穴の中には灰が入っており、ここに炭を入れます。足を下ろすところは木製で、木枠の上に布団をかぶせ、その上にコタツ板を置いてテーブル代わりに使うのでした。家族が一つのコタツに足を入れると、暖かさが感じられて良いものでした。



床下の遺構の中で私が特に注目したのは、子供の頃に記憶がある、高畠石という耐熱性凝灰岩でできたかまどの跡です。二基あるかまどは、薪や藁などを燃やして燃料にしますが、燃焼をコントロールするには、その前に座って火の番をする必要があり、その役目はたいていは小学生くらいの子供のものでした。そのそばには、後から付設したと思われる籾殻を燃料にする鉄製のかまどもあり、こちらはいったん着火してしまえば火の番は不要で、子どもながらにありがたいと思えた、作業効率のよいものでした。灯油やガスなどの恩恵を受けられるようになったのは、たしか昭和30年代後半から昭和40年前後で、それまでの熱源の苦労がまるでうそのようでした。



一方、水に関しては、嫁(母)が手押しポンプで水汲みをする苦労を察して、昭和30年代に大叔父が日立製の電動モーターポンプを送ってくれたため、我が家では井戸水を利用した自家水道の設備を設けることができました。たしか地区内で一番早かったのではなかったかと思います。



台所と居間と客間とをぶちぬいて、基礎を増設しています。母屋の骨組みを生かしたままのリフォームですので、耐震補強の点からも、柱と床を受け止める石にあたる構造がずいぶんたくさん増えました。これから床下が組み上がるところです。









床下に断熱材が貼られ、その上に床ができつつあります。もう床下の遺構を見ることはできません。

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