ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

24回目の震災記念日

2019-01-16 20:20:32 | 日常のこと
今日は24回目の震災記念日。


今日は友人たちと岡本でランチの約束がある。
また、ウイルスに侵されたパソコンを持って、パソコン教室へ行った。
何とか直してもらって、重たいパソコンを斜めがけして、岡本に向かった。

天上川沿いに、スミレが咲いているのを見つけた。
今日は、寒いのに頑張っているんだね。けなげだね。



10時には、防災神戸の訓練放送が鳴った。
その後、緊急地震速報の訓練放送もあった。

24年前の朝も、今日の様に晴れていたなぁ・・・。

昨日、毎年書いている1月17日の記事を読み直して、色々反芻してしまった。

今まで書いていなかったことも、この際だから書いておこう・・・。

地震の後、ねこ吉のマンションはとても住める状況ではなかったので、たぬ吉の実家のある甲子園避難していた。

いつも子供を連れて遊びに行っていただけのたぬ吉の実家に、親子4人が地震で転がり込んできたんだから・・・。

お祖母ちゃん、義弟、たぬ吉、ねこ吉、子供二人。水も、お風呂も無い生活。

ねこ吉は、水の配給に並びに行かなかった。

お祖母ちゃんに、「戦争中はこんなもんじゃなかった。」と怒られた。

お祖母ちゃんもへたれてるねこ吉に不満があったと思うけど、ねこ吉は、お祖母ちゃんの本当の姿を見た気がした。
たぬ吉は息子。子ども達は孫。ねこ吉だけが感じる疎外感。自分だけが血がつながってないと思った。

今まで、気は強い人だけど優しい人だと思っていたのに、ずけずけモノを言い、随分意地悪だと思った。

嫁姑問題勃発!

長男の嫁とはいえ、同居したことがなかったから、地震での突然の同居はきつかった。

京都の叔父が訪ねてきてくれて、ねこ吉達をお風呂に入れてくれると京都の家に連れて行ってくれた。
確か、3泊4日したと思う。

いつまでも叔父の家にはいられない。甲子園の家に帰るのが嫌だった。
仕方なく帰ったけど、ギクシャクしていた。
生活費を渡しても受け取ってくれないし・・・。

子ども達も、学校が閉鎖されているので、甲子園の学校に編入した。

松戸から中古のマンションを買って、リニューアルして入居したのに、マンション全壊。
何もかも無くしてしまった。
このままずっと、同居生活が続くのか・・・。


本当は、転勤が出たとき、家を建て替えて甲子園で同居という話が出ていたらしい。

影では、「嫁が決めて買ったマンション」と言われていたことが発覚。ねこ吉は何も知らなかった。



その内、マンションは全壊だけど、大規模修理をすることになり、電気が開通した時点でボロボロのマンションに帰って来た。

子ども達も授業は無くても、今までの学校に戻った。


それからは、以前のブログで書いたように、義援金、見舞金をプールして、ローンも借り換え、1円でも多く税金を返してほしいから必死で計算して税務署に持って行った。

数学が苦手なねこ吉が、少しでも貯金を減らさないように、悪い頭をフル回転させたと思う。

誰も言ってくれないから、自分で言う。「本当によく頑張った。」

震災を境に、ねこ吉の中にはお祖母ちゃんとは、わだかまりができた。
どんなに嫌でもお祖母ちゃんと喧嘩はしなかった。

お祖母ちゃんは、亡くなってしまった。もうすぐ3回忌。

お祖母ちゃん、ねこ吉に不満があったと思うけど、ねこ吉もお祖母ちゃんに言いたい事は一杯あったんだよ。
我慢してたんだよ。

阪神大震災は、たくさんの建物を壊した。
知りたくないものも知ってしまって、人間関係も壊れたり、ヒビが入ったことは間違いない。



ここに書いて、憂さを晴らしておくわ。


「BRIDGE」を見た。

2019-01-16 19:41:03 | 日常のこと
(万華鏡アプリを見つけたので・・・。何でも万華鏡にする。)

昨日、カンテレ開局60周年特別ドラマ 井浦新主演「BRIDGE」を見た。

大阪から神戸へと東西を繋ぐ要所となるJR六甲道駅は、線路ごと崩落したが、わずか74日間で再建したという、実話をもとにしたドラマらしい。

阪神大震災の瓦礫の街の様子が随所に出てきて、ねこ吉は当時飽きるほどニュース等で見せつけられて辟易していたのに、24年も経つと忘れている部分があった。

見ると思い出す当時の事。トラウマ、フラッシュバック、PTSD。
そんな言葉も阪神大震災で、覚えたような気がする。

「六甲道駅」現在は綺麗な駅だ。
最近では、ねこ吉がボタンホールをしに吉岡さん宅に向かう駅だ。

たった74日間で駅を再建したことなんて知らなかったわ。

ドラマでも言ってたけど、

ブルーシートと瓦礫だらけ、ひしゃげたビルや家。歪んだマンションを見ると頭がクラっとしたものだ。
水もガスも電気も無い。

そんな神戸から30分も電車に乗れば大阪。

地震の被害を全く受けてない。
地下街では、レストランも営業していたし、デパートも普通に営業していた。
前にも書いたけど、娘の私学受験の願書を出しにいった帰り、梅田に出てランチを食べた。

大阪は別世界。

電車に乗れば、尼崎辺りからブルーシートがかかった屋根が増えてくる。

娘は、4月から高校に入学したが通学が大変だった。

LINEで、「アンタどうやって高校に行ってたかなぁ?」と聞いたら、

最寄り駅のJR摂津本山から、住𠮷まで乗る。住吉で降りて、阪急御影駅まで歩く。
御影駅から王子公園駅まで阪急電車に乗る。

降りてから、学校まで通称「地獄坂」を上る。

大変な通学だったようだ。

買ってやった革のコインシューズの底がすぐに横に割れた。

その後、JR六甲道が開通して、摂津本山駅から灘駅まで乗って、延々坂道を上ったそうだ。

娘は井浦新ファンなので、昨日はドラマを見ていたと思う。
感想は聞いていないけど、懐かしい思いもあったことだろう・・・。

約3時間、ねこ吉も色々思い出しながら見ていた。


今朝6時前、まだ空が暗かった。
4時頃目が覚めて、またウツラウツラ・・・。

突然のカラスのギャーギャーという不気味な鳴き声で目が覚めた。
1羽や2羽ではない。何羽というカラスたちが電線の上で鳴き、マンションの上で鳴き・・・。

ねこ吉は、震えながら窓を開け様子をうかがった。

一体何があったの!カラスが騒ぐのは縁起が悪い。



24年前、震災の3,4日前、たぬ吉は遅い朝食を食べていたとき、カラスがギャーギャー鳴きながら飛びまわっていた。
その時もねこ吉は、窓を開けて見ている。
何羽ものカラスが、クスノキの並木の間を飛び回っていた。

今朝24年前のことを思い出し、背筋が寒くなった。

明日は24回目の震災記念日です。

どうぞ、何事も起こりませんように。