諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

新宿タワマン殺人事件は、警察の初動捜査ミスが響いているのではないか。その1

2024年05月16日 07時17分04秒 | ニュース
私、29歳の時、40歳女性に交際を求められました。断りました。

私、31歳の時、48歳の女性上司にモーションを掛けられました。無視しました。それから女性上司(経営者)は私を馬鹿にするようになりました。バカバカしくなったので退職しました。

芸能界では歳の差婚っと言うのは珍しくないですが、それは相手の知名度と名声、そしてお金に魅力を感じているからです。これは女性の場合。

男の場合もホスト気質の奴はそうなのかもしれませんが、女性が男よりも年上婚は、7分の1です。それも大半は1~2歳の差です。そんなもんです。

男、40代、50代は不惑の歳と言われてますが、裏を返せば何をして良いのか迷ってしまう歳です。自分の人生が分かってしまって、絶望感を背負っているので。

織田信長は「人生50年」とか詠っていましたが、確かに戦時中までは50歳で男は亡くなっていた。男は戦う動物。50にもなれば体力が衰えて敵に敗れ死ぬ。

だから女性は男の代わりに男性化し子供や孫を守る。だから子供が産める期間が短い。夫の死と共に夫の役割を熟さなければならないので。

はぁ~、長ったらしい話をしてしまいました。極論を言うと「50歳男はもう用済み。50男はもう死んでいる」と言うことです。

20代女性から見て50代の男は男ではない。人間とも言えない。生きている肉体を持った幽霊みたいな者です。全然価値がないです。

そんな50男でも地位と名声、そして金を持っていたら話は別。いましたでしょ、「〇力」とか「〇じ〇り」とか言う女性タレントが。

男は純愛で女性を見るけど、婚期に達した女性は付加価値で男を見ます。っと言うか付加価値しか見ていない(見た目もちょっとは・・・)。それを知っちゃうと男はゲンナリします。

「〇力」や「〇じ〇り」も露骨にそれを見せ、男に引かれて捨てられたと思います。男はそう言うの敏感ですから。

でも、やっぱり50男は精神が不安定です。一番自殺が多い年代ですし。

ちょっと前に「頂き女子 りりちゃん」とか言う変な25歳女が、三人の50男から総額1億5000万円も頂いた事件が起きましたが、20代の女性から見れば、50男なんて男とは見ていない。金を持っているだけの馬鹿。

50男が20代女との結婚なんて、よっばど女性に問題があるから可能と言う位に思っていた方が良いです。

真面な結婚は正直、無理でぃす。


続く。






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神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その5

2024年05月14日 10時01分51秒 | 瀬織津姫
続きます。

菊理姫が水神であるとしたら、伊弉諾尊に「阿波岐原で祓い清めをすれば、尊い神々が生まれる」と囁き、伊弉諾尊もニンマリと喜んだとするのも納得が行きます。

ここで疑問なのですが、伊弉諾尊・伊弉冉尊は日本国の創造神です。日本を造り日本に降り立った始祖神と言っても良いでしょう。それなのに菊理姫は伊弉諾尊も知らない祓い清めの方法を知っていたとしたら、何を意味するのか。

菊理姫が境界線の神なのは間違いないですが、古代の境界線は川であります。そして祓い清め。これらの共通点から菊理姫は瀬織津姫と同神と考えられる。この点をどうとらえるか。

私は瀬織津姫は鬼渡神である阿須波神・波比岐神、そしてその親神である大歳神・天知迦流美豆姫の存在を隠す為に創造されたと考えています。

伊弉諾尊は池である阿波岐原で祓い清めをした訳ですが、この阿波岐原、阿須波神・波比岐神の神名を重ね合わせた地名だと思える。それだけ阿須波神・波比岐神は切り捨てられない神だと言える。

菊理姫は神道の始祖神とも考えられる伊弉諾尊に祓い清めの方法を教えたと考えるならば、神道よりも菊理姫の方が古い。或いは瀬織津姫の方が古いと考えられる。

これは鶏が先か卵が先かとなるが、瀬織津姫や菊理姫が人間である水の女・祓いの女がモデルであるのなら、神道もまた人間である水の女・祓いの女から生まれたと言えるのではないか。

神道で鶏と言えるのは高天原でしょう。日本の始祖神と言える伊弉諾尊・伊弉冉尊は高天原から地上に降りた。つまり高天原が故郷であり、高天原で生まれたと考えられる。

神道の三貴子である天照大神、月読尊、素戔嗚尊を含め、多くの尊い神々は地上の阿波岐原で生まれた。

天上の高天原、地上の阿波岐原。この関係は何を意味しているのか。

神道は祓い清めの宗教です。つまり神道の源流には祓い清めの神が中心に存在する筈。

しかし、古事記にも日本書紀にも祓い清めをした神は、伊弉諾尊しか出てこない。

ここでまさかのどんでん返しですが、菊理姫は古事記・日本書紀の正伝には出てきません。出て来るのは日本書紀の異伝にのみです。

何で菊理姫は記紀の正伝に載せられなかったのか。瀬織津姫に関しては記紀の異伝にさえ載せられていない。それは何故か。

これは記紀を編纂した寵てや天皇家にとって、菊理姫や瀬織津姫は都合が悪い神だからなのでは。

しかし無視は出来ない神なのは間違いない。

菊理姫を祀る白山神社は全国に3000社も鎮座している。瀬織津姫は神道の根本の祝詞である大祓祝詞の筆頭に詠われている。

その回答はどこにあるのか。

天皇家としては、神道の最高神である天照大神の家系であることに意義がある。天照大神の家系だから尊い。そしてその信仰が現在も続いている。

天皇家でも「お湯殿の上の女房」の儀式を続けている。祓い清めをしている。しかしながら、菊理姫や瀬織津姫の直接の接触は避けている。それは何故か。

古代人であっても身体の汚れを水で落としていた。それが祓い清め信仰として登場した。多分、縄文時代に。神道よりも早く。それが神道の源流となった。

そう考えれば神道の源流は、縄文時代と思われる祓い清めの儀式の手伝いをしていた、水の女・祓いの女と呼ばれた名もない女性への信仰から始まっているのではないのか。

そう考えると全て辻褄が合うと思います。まっ、神道や天皇家を敵に回してしまうかも知れませんが。

はぁー、しどろもどろになって書いて参りました。

私も断言なんて出来ませんが、半分はそう考えています。私は真実を追求したい男なので。


ではでは。











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神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その4

2024年05月12日 15時04分31秒 | 瀬織津姫
続きです。話を黄泉の国に戻します。

逃げる伊弉諾尊。追う伊弉冉尊。二人は黄泉の国の出口である黄泉比良坂で対峙する。そこに菊理姫が現れた。菊理姫とは一体何者だろうか。

私は伊弉諾尊と伊弉冉尊のそれぞれの話を聞いたからキクリヒメと発音していますが、伊弉諾尊と伊弉冉尊の縁を取り持ったからククリヒメと読む人もいます。

私的には伊弉諾尊と伊弉冉尊は最後、喧嘩別れしているので、二人の仲を再びククリつけたククリヒメと呼ぶのは違和感があります。

それは兎も角、菊理姫とは何者なのか。

私的には黄泉比良坂と言う、この世とあの世の境界線に現れた神なので、境界線の神であると断言します。

そして伊弉諾尊に何かを囁いた。これは伊弉諾尊よりも上位とは言いませんが、知識がある神だと言えます。

しかし、最初の死者は伊弉冉尊なのです。何で黄泉比良坂に現れたのか。伊弉冉尊の一霊四魂の神なのか。

現世の伊弉冉尊は和魂だと考えられる。怒って伊弉諾尊を追いかけて来た姿は荒魂。黄泉醜女を呼んだのは奇魂。そして伊弉諾尊に何かを囁いた菊理姫の姿は幸魂になるのか。

黄泉比良坂。坂の境界線は谷。谷は川が流れている。だとしたら菊理姫は水神であり、川神ではないのか。

菊理姫は白山信仰の女神として知られていますが、修験者・泰澄が白山で瞑想をしていた時、十一面観音の本地垂迹である九頭竜王が現れて、自分を伊弉冉尊の化身である白山明神・菊理大菩薩であると名乗っています。

仏教や修験道と神道は違います。それを肯定してしまえば、菊理姫も伊弉冉尊もインドのコブラになってしまいます。インドからニョロニョロと地を這ってやって来たなんて私は信じません。

しかし、その話を一部肯定するのであれば菊理姫は伊弉冉尊の一霊四魂の神であると考えられますが、そうなると何が何だか訳ワカメになってしまいます。今回はその話は置いときます。

白山信仰は加賀、越前、美濃に跨る白山の山岳信仰です。雪山だから白山なのでしょう。

私は以前、白山は吐く山。山が吐くのは溶岩か泉であるが、白の字を当てている点を考えてみると泉ではないかと考えました。

そして白山は長良川、手取川、長良川の水源となっている。その川が水神・農業神として崇められている。

そう考えると菊理姫は水神・川神と考えられます。


続く。







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神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その3

2024年05月09日 12時20分46秒 | 瀬織津姫
続きです。

さて、重度HSPの私は死者の国を何で黄泉の国と言うのか気になります。本居宣長が色々考えたみたいですが、答えは出ていないみたいです。だったら私が考えてみたいと思います。

3.11の東日本大震災の時、「もしかしたらこれが黄泉じゃないのか」と考えた泉があります。

宮城県の岩切に三光信仰の青麻神社が鎮座しています。ここでは二か所の泉が涌いています。

今の神社には手水舎がありますが、元々神社には祓い川が流れており、その川で身を清めてから参拝していました。

例えば奥州一之宮である志波彦神社・塩竃神社の真正面には、今は干上がっていますが祓い川が流れていました。祓戸社が鎮座しています。

祀られている神は瀬織津姫、速秋津姫、伊吹戸主、速佐須良姫の祓戸四神となります。

青麻神社正面には小川が流れていますが、昔はここで身を清めてから参拝していたのは間違いないでしょう。

また、青麻神社には手水舎はありません。必要ないのです。泉が涌いていますから。この泉で手と口を清めて参拝します。

因みに神社の中には人工の池や川を造り、橋を渡らせる神社がありますが、これは元々の手水舎は川だった名残です。

話を青麻神社に戻します。青麻神社には二か所の泉が涌いていますが、3.11の時、境外の泉は土が混じり黄色く濁っていました。地震で泉がシェイクしたみたいです。正しく黄泉でした。

そこで考えたのですが、泉は黄泉の国の入り口ではないのか。泉の底は土や砂で黄色なのでは。だから黄泉の国は穢れていると考えたのではないか。

本来の井戸は泉を桂の木の股で泉を囲ったものでした。桂の葉は甘い薫りを発する。甘い薫りは土に分類される。陰陽五行では土は水を制する。土が泉を清める。だから桂の木股で囲っていると思われる。

泉は土で清められて出てくる。清められていない水は土と混ざっている。

井戸の神である御井神の別名は木股神です。水は木を育てる為もあるかと思いますが、地中の水、地の底の水は穢れている。そう考えていたのではないだろうか。

大祓祝詞で出てくる祓戸四神の祓い清めも川の上流から、中流、河口、そして海の底に流れて祓い清めが完了する。

アイヌでは川は一匹の蛇であると考えられている。そして蛇は脱皮する。祓い清めは穢れを祓う。

つまり脱皮。祓い清めは一時的な死。人は死んで穢れを祓い生まれ変わる。その簡易的なものが川や泉、そして現在の手水舎。

神社は簡易的な山です。山は霊場。死者の国とも言えます。その死者の国に入るには身を清める必要がある。それだけ手水舎等で身を清めるのは大事なことの様に思えます。


続く。




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神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その2

2024年05月07日 08時39分13秒 | 瀬織津姫
続きます。

上記のタイトルを解明するにはやはり、伊弉諾尊の祓い清めがキーワードになると思います。

伊弉諾尊は加具土命を生んだ時、女性器を大火傷して亡くなった。悲しんだ伊弉諾尊は我が子でもある加具土命のり首を剣で刎ねて殺した。

それでも諦め切れない伊弉諾尊は、伊弉冉尊を追って黄泉の国に旅立つ。

伊弉冉尊は既に黄泉の国の食事を取り、身体が腐って蛆塗れになっていた。そこに伊弉諾尊が現れる。一緒に現世に帰る様に促す。

そこで伊弉冉尊は、「しばし待たれよ。絶対にこっちを見るな」と言い、隣の部屋から出て来んなかった。

「見るな」と言われれば、見てしまうのが男の性。蛆だらけの伊弉冉尊は恥じて怒り狂い、伊弉諾尊に襲い掛かる。逃げる伊弉諾尊。

伊弉冉尊は黄泉醜女(別名・泉津醜女、泉津日狭女)に伊弉諾尊を追わせた。伊弉諾尊は山葡萄や筍を投げつけ、黄泉醜女達が食べている間に黄泉の比良坂まで逃げて来た伊弉諾尊。追いつく伊弉冉尊。

そして二人は口論を始める。伊弉冉尊は「現世の人間を毎日1000人殺す」と言うと、伊弉諾尊は「それでは私は1500人の人間を生む」と言い返す。

そこに菊理姫が現れ、伊弉諾尊の耳元で何かを囁く。伊弉諾尊はニンマリと笑い、菊理姫の言葉に気を良くした。

その後、伊弉諾尊は阿波岐原まで行って、水で身体を祓い清め、伊弉諾尊の目から現れた天照大神、月読尊、鼻から生まれた素戔嗚尊の三貴子を筆頭に、多くの尊い神々を生んでいます。

そこから考えると菊理姫は伊弉諾尊に対し、「阿波岐原で祓い清めをすると、尊い神々が生まれる」と語り、その話を伊弉諾尊はニンマリと喜んだと考えるのが辻褄が合うと思います。

ここで疑問。日本最初の死者は伊弉冉尊です。それなのに黄泉の国には伊弉冉尊に仕える黄泉醜女達がいた。この黄泉醜女とは何者なのだろう。

神道には一霊四魂の考え方がある。一つの霊には和魂、幸魂、奇魂、そして荒魂の4つの魂があるとされています。黄泉醜女は伊弉冉尊の4つの魂の一つなのか。

それはチョット考えられないでしょう。黄泉醜女達は山葡萄や筍に群がった。伊弉冉尊の四魂が食べ物に群がる。そんな他愛もない存在な筈は無い。

だとしたら黄泉醜女達は何者なのか。私としては伊弉冉尊の眷属と考えます。

眷属を分かりやすく説明すれば、神社の拝殿を守る様に両脇に鎮座している狛犬が眷属と言えます。眷属は動物だから人の知性は無い。忖度は出来ない。神の命に忠実に従うも、食べ物があったりするとそっちに行ってしまう。

その点から黄泉醜女は、伊弉冉尊の眷属であると私は考えます。


続く。









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