クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

忘れられぬ日

2008-01-17 04:57:58 | Weblog
6400人余の方々と、統計はありませんが、多くの猫さん、犬さん等家族として可愛がっておられたペットが犠牲になった、阪神・淡路大震災から今日で13年が経ちました。犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。
今日の写真のココの後ろに居るのが、この震災を生き残り、今もビート家の最長老杏さんです。あの震災を経験し、今も元気に過ごしている、猫さん・犬さんは、大都市神戸でも少ないでしょう。一昨年ココを引取りにお伺いした際も、毛艶も良く元気でした。昨年の1月16日の当ブログでも、この震災の事にふれ、ビートさんから当日の様子をコメントで送って頂きました。それによれば、ビートさんご家族はマンションで被災され、お母様が家具の下敷きになり、弟様と一緒に助け出し、当時居たニャンコさんの杏さんと白梅さん(すでに天国に)の姿が見えず、探したようです。白梅さんは押入れから落ちた布団の中から見付かり、杏さんは本棚と壁の間に挟まり、失神していたのを助けたと言う事です。その後ビートさんは、2ニャンと家に残り、配給の食糧を分け合って過ごされたとあります。当時はまだペット専用の避難所設置と言う考えは全くありませんでした。詳しくは昨年の1月16日のブログのコメントをご覧下さい。
僕の父は、神戸・垂水の出身で、神戸の母と慕っている、義理の叔母とその母(神戸のおばあちゃん、既に天国に)や親類が多く暮らしております。テレビの情報も今よりずうっと遅く、携帯電話も前年にデジタル方式が発売されたばかりで、僕は前の月auの新機種を購入しましたが、一般には普及が始まったばかりでした。インターネットは一部の大企業にあるだけで、家庭には普及していませんでした。この年にウインドーズ95が発売され、新しい通信手段の黎明期でした。
安否を気遣い携帯から何回も電話を掛けましたが、何れも不通でした。そんな時公衆電話は生きているとの情報が入り、百円玉を数個握り締め、公衆電話に急ぎました。叔母の声を聞いたのは、地震から12時間以上たった、午後7時前でした。「みんな無事」の声を聞いた時、目から熱いものが落ちました。垂水は震央に近く、ビートさんのお住まいの、神戸市の東部より揺れが小さかったようです。この1月17日は、生涯忘れられぬ日です。