メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『私は負けない』 モニカ・セレシュ/著 徳間書店(1)

2018-12-31 14:04:59 | 
原題:FROM FEAR TO VICTORY

田口俊樹/訳

テニス名試合まとめ

モニカ・セレシュ(ウィキ参照


錦織圭、大坂なおみの活躍により、またテニス観戦に夢中になり、ブログを書いていたら、
私の一番大好きなモニカが本を書いていることを知って図書館で借りた

今では当然のごとく、選手と観客席の間は開きがあり
その間には屈強な警備員が何人も立っているが
そうなったのも、彼女の前代未聞の事件がきっかけではないだろうか

私がテニスファンになった時に活躍していたナブラチロワ、クリス・エバートの時代からグラフ一強時代の転換期

そこに突然現れた天才少女がモニカだった
両手打ちのパワフルなラリー、試合から離れた時の少女の顔のあどけなさ
なにより、私が彼女に惹かれた理由はその精神力の強さ

テニスはコートに入ればたった一人の戦い
圧倒的な強さで勝つ時も、ビハインドの時も
自分を信じきれる姿が羨ましかった

これまで観た試合の中でもっとも素晴らしかったのは
グラフ×モニカの全仏オープン決勝戦
あれほどの死闘は、これからもないのではないかと思うほど

そんな絶頂期に起きた悲劇
当時のテレビのテニス放送は、4大大会の準決勝、決勝戦が深夜に放送されるかされないかくらいで
この大きな事件も新聞の小さな記事で知ったと思う

その後、いつ復活するか待ちに待って
全豪オープンで復活優勝した時も本当に感動した

今回、その事件のことを本人が語るという本書は
最初の章からショッキングで胸が悪くなる
あの小さな記事からは想像も出来ない恐怖との葛藤の日々が克明に語られている

その合間に、テニスを始めた頃の家族との絆の話では癒され
プロ転向後の快進撃では、実際の試合が目に浮かぶようだ

インターネットの時代になり、少女が輝くばかりの美しい女性になり
明るく、ユーモア、思いやり、賢明さを失わずにいる様子を見ると
どうあの悪夢を乗り越えたのかと驚き、安堵する

本書に書かれたプロテニス選手を巡る環境は、今も変わらない部分もあるし
どのアスリートにも当てはまるし、私たちにとっても
大切な言葉、経験がたくさん詰まっている

また内容メモが長くなること必至/謝


【内容抜粋メモ】

「謝辞」

家族の愛と支えがなかったら、テニスをすることは言うに及ばず
今回の困難を乗り越えるに際し、平衡感覚をなくしていただろう
家族は私の光だ

友人、ドクターらへの謝辞・・・

私を応援してくれたファンの皆さんにただありがとうのひと言を言うことしかできない
ありがとう


ナンシー・アン・リチャードソンの謝辞
(これは誰だろう?



PART1 悪夢のはじまり
「あのナイフが私の背中に突き刺さり、引き抜かれた 私は刺されたのだ」




恐怖の幕開け
人生がおとぎ話のようなら 子どもの頃、よくそう思ったものだ

<1993年>

今でも思い出す あの頃は何もかもこれ以上考えられないほど上手くいっていた
全仏オープンの前哨戦 1993年のドイツのハンブルクでのシチズンカップにエントリー
家族全員がいて、兄のゾルタンがヒッティングパートナーとして初めて同行した
1つ心配だったのは風邪をひき練習が不十分で弱気になっていた

以前、ドイツに来た時、いきなり近づいてきた男に裁判所の召喚状を突きつけられたことがあり
トーナメントディレクターにボディガードを頼んだが
彼らは毎回遅刻し、その水曜日は4人のうちようやく1人が寝坊して現れた

その夜の試合に勝ち、車でホテルに戻る途中、運転手が誰かに尾けられていると言い
まこうとしたが諦めた そんなことは生まれて初めてで不安になった
サインが欲しいなら、私は決して拒まないのに


<4月29日>

ボディガードは1人だけ しかも観客席には見物者がいた
練習を見るためにこんなに早起きをするとは奇妙な気がした
そもそも彼らはどうコートに入ったのか 私は集中出来なかった

通路脇にアーサー・アッシュのロゴ入り野球帽をかぶった男が目に入り
アーサーがドイツでもまだ忘れられていないことが嬉しくて微笑むと、彼も微笑み返した
どこかで見覚えがある ゆうべホテルのロビーで見かけた男だ 偶然か
後で分かったが、兄と練習していた時も男がいたのを父が見て声をかけていた

その夜、父が急に体調を壊した
翌日はさらに悪化し、マグダレナ・マリーヴァとの準々決勝の観戦も出来ないほどだった
父の世話で母もホテルに残った
兄は途中から観に行くと言った

試合は17時から 私は6-4で第1セットを取ったが
第2セットは0-3 日没サスペンデッドは避けなければ
午前に続きを戦い、勝てば、午後に準決勝がある

4-3まで逆転し、60秒のブレイクでイスに座った
そろそろ立ち上がろうとした時、背中に信じられないほどの激痛が走った

激しく熱を発し、人間とは思えないうなり声のような悲鳴をあげたが
自分の声とも分からない

振り返ると、野球帽をかぶった男が血まみれのナイフを頭上に掲げ
さらに振り下ろそうとしていた ロビーで見た男だ

背後から警備員が男を押さえ込んだ 私は顔をそむけた
一人の男性が客席から飛び降りて、私の肩を支えてくれた

めまいがして、傷口に触れた手は血でべっとり濡れていた
兄が全速力で走って来るのが見え、もう大丈夫と思った
今思えば、要するに、その時の警備は誰でもコートに入れるくらい杜撰だったということだ

酸素吸入器が欲しいと伝えたいが、息が吸えずに言葉が出ない
私はストレッチャーに乗せられ、コートから運び出された

耳の中で「刺された」という言葉がこだましていた
ナイフまでこの目で見てしまった

救急治療課に担ぎ込まれると、両親は恐怖のあまりなりふり構わず泣いていた


血まみれのナイフ
傷の範囲を正確に調べるためMRIにかける必要があると医師が言った
(いや、痛みを早く止めてくれ!

「あんなところに入れないで! とても痛いのよ」 私はすすり泣いた
それでも看護婦たちは私をシリンダーに押し込んだ
40分が4週間にも感じた

肩甲骨の脇の柔組織と筋肉損傷 傷の深さは1インチ半
脊髄からほんの数ミリで「あと数ミリで、体が麻痺していたかもしれません」

あの男が帰ってきたらどうしよう
病室の前には警備員がつけられたが、家族にいて欲しいと頼んだ

最後に気持ちを落ち着かせ、痛みを和らげるクスリが処方され
急激に眠りに落ちたが、長く続かなかった

数分おきに病室のドアをノックする音がして
マスコミは私のコメントを求めたが話すことなど何もなかった

婦人警官が来て矢継ぎ早に質問した
兄が「まだ話が出来る状態じゃありません 明日にしてもらえませんか」と押しやり
彼女は不承不承出て行った

「犯人は拘束されたそうだ」

私は暴漢がこの病室を見つけてしまうのではないかという不安が消えなかった
不安のためまた泣いた そんなことが、その後、2年続いた


<土曜の朝>

IMG(国際マネージメント・グループ)の私のマネージャー
ステファニー・トールスンが身重の一番大事な時期に駆けつけてくれた
私がユーゴスラビアのジュニアプレイヤーだった頃からの付き合いで家族同然だった

病院はマスコミで溢れかえり、混乱を収拾するために記者会見に応じた
しかし、病院がマスコミに発表した私の傷の程度は、ほんのかすり傷程度と伝えられた

昨日まで頭にあったのは、史上初の全豪オープン4連覇達成
勝機の可能性は充分にあった

私は世界ランキングNO.1だった それが何もかも変わってしまった

ランキング2位のシュティフィ・グラフが見舞いに来てくれてとても嬉しかった
2人のアスリートが互いに見つめあいながら泣いているのは奇妙な光景だっただろう

シュティフィ:
私の国でこんなことが起きてしまったのが残念でならない
あなたならきっと乗り越えられる
そろそろ行かなきゃ もうすぐ準決勝が始まるのよ 電話するわ

私は犯人がシュティフィをもう一度NO.1にしようとしてたことをまだ知らなかった

まだ大会は続いているのか? 私はプレー出来ないのに、どうして?

大会続行に抗議して、数百人ものスポーツファンが集まっているのが病院の窓から見えた
大会組織側は、私の母に電話して、彼らをなだめて欲しいと頼んだ

「即刻試合を中止しろ」というプラカードを掲げた群衆の前に心痛で疲れきった母が立った
優しく抱きしめられ、花など手渡されたお蔭で話す勇気が湧いたと後で話した

シチズンカップを続けるという大会組織委員会の決定は、世界中から強い非難を浴びた
私は選手たちが団結して大会を拒否すればいいと期待していたが
選手たちは、プロスポーツ選手としてどうすべきかを第一に考えた
私なら即座に拒否しただろう

またノックの音がして、ベッドから出て、ドアの陰に隠れようとした時
ビニール袋につまずき、中から野球帽が出て来た どうしてこんなところに?

昨夜の婦人警官が入ってきて
「あなたに証拠品を見てもらわなくてはなりません」

私の血まみれのテニスシャツを取り出すと
乾いた血とすえた汗の臭いがして頭が朦朧となった

「これはあなたのシャツですか?」
「これは暴漢が使ったナイフですか?」

刃渡り9インチほどの骨取り用小型包丁には乾いた血がこびりついていた
知らないうちに「はい」と答えたのか、警官は部屋を出た

私は嘔吐した 胃液が出るまで、何度も胃は痙攣をくり返した
それでも、血の臭い、ナイフは頭から消えなかった

大会も続行した まるでこんなことは大したことではなく
私などはじめから存在しなかったかのように

準決勝後、シュティフィは会見で
「私は怖くありません テニス選手はステージに立っているようなもので
 観客にもっと近づく必要があるのです 恐怖を抱いてはやっていられません」


私は彼女の言葉が理解できなかった
その並外れた精神力に畏怖の念を覚えた

シュティフィは決勝で、ストレートでサンチェスに敗れた


グラフのストーカー
件名:モニカ・セレシュ謀殺未遂容疑
容疑者:ギュンター・パルヘ

「供述」
自分の罪に関して必ずしも警察に話す義務はないと説明されましたが
私は話したいと思います 弁護士は必要ない

私はシュティフィ・グラフの熱烈なファンです
彼女がプロデビューして以来ずっと活躍を見守ってきました

東西の国境がなくなってからは、誕生日に毎年必ずお金を送りました
2年前は100マルク 今年は300マルク
匿名で「チューリンゲンのファンより」と書き添えました

1990年、ベルリンのジャーマンオープンで彼女がセレシュに敗れた時は耐えられなかった
自殺を考えたほどです

全仏オープンでセレシュが優勝してまた打ちひしがれました
その頃には私の心は決まっていました

セレシュが二度と、あるいはしばらくの間はテニスが出来ないように怪我をさせようと
彼女を殺すつもりは全くありませんでした


私はアメリカとイスラエルを熱心に信奉しています
しかしシュティフィ・グラフはそれよりさらに上にいます
彼女は最高の女性なのです

私はずっと計画を練りました
今日、観客席の最前列を歩いてみて、セレシュの後ろに行くのは簡単だと分かりました

試合中のブレイクは約1分ですから、私はセレシュの後ろに立ち
ナイフをつかみ、刺す時は全力を込めはしませんでした

私が彼女を刺したのは、この3年間への罰です
たぶん私は15年の懲役を受けると思いますが
私が出る頃はグラフも現役を退いていることでしょう

私は目的が果たせたことに満足していました
これは彼女の両親に対する警告でもありました
また観客のためでもあったのです
なのでブタと罵られてとても混乱しています


失ったランキング

<事件のわずか4日後>

WTA(女子テニス選手会)は、私のランキングを留保させるかについて
ツアー中の25位以内の選手のうち17名を集めて投票を求め
ほぼ満場一致で留保を認めないと決まった

次の全仏オープンでグラフがNO.1に戻ることを意味していて、私は愕然とした

トールスン:
モニカにとって一番ショックなのはランキングを失うことより、その失い方です
あの男は彼女をNO.1から引きずりおろすために怪我をさせた
その狂気じみた計画は達成されました
ランキングはナイフではなく、コート上の勝利で勝ち取られるものです

私はこれまで対戦相手にずっと敬意を払ってきたが、それが一方的なものだと分かった
グラフまで同意したことにも失望を禁じえなかった

グラフ:
ランキングのことは一切考えていません
犯人が私のファンの一人だと分かっていながら、そんなことを考えるのは無理です

私がなにより驚いたのは、マスコミは投票について取り上げなかったことだ
私がいなくなれば、ほかの選手にとって、とくにトップ5の道はかなり楽になるだろう

ランキングはそれ自体何も意味しない
だが、企業との契約、スポンサーからのボーナスがかかっている

弁護士の話では、事件後の1年、私は推定1000万ドルの収入をふいにした
私と交わされるはずの契約はほかのプレイヤーにいったこともあるだろう
事件後、100万ドル単位で収入が増えた選手もいたという


私を助けて
パルヘの供述は馬鹿馬鹿しいものだ
医師の診断によれば、ナイフがそれほど深く刺さらなかった理由は
私がちょうどその時、顔を拭くため前かがみになったから
彼が私を殺せなかった理由は、警備員に取り押さえられたから


病院で迎えた3日目「家に帰りたい」と泣いた
私は医療用個人専用機まで救急車で運ばれた

フライト時間は長く、燃料補給とトイレ休憩のため2度着陸し
約20時間かけてようやくデンヴァーに着いた

また救急車に乗り、ヴェイルのクリニックのことだけ考えた
1991年、脛を傷めた時も世話になったドクターの
ステッドマン、ホーキンズも大好きな医師で

肩が専門の整形外科医として、アメリカの最高権威で信頼できる
2人はコロラドを離れていたが、予定を変えて戻ってくれた

この時はまだ、これまで信じてきたことがまた1つ
「司法制度」に対する信頼が打ち砕かれるとは思いもよらなかった

多くの有名選手の治療をした理学療法の権威ジョン・アトキンズに迎えられ
同じく権威のトッパー・ハガーマンも立ち寄ってくれて涙が止まらなかった
意味不明のことをまくしたてるのを抑えられず、その夜は一睡も出来なかった

「眠ったら彼がやってくる 私を殺しにやってくる ゾルタン、彼を止めて」

兄がいなかったらどう生き延びれたか想像もつかない

ホーキンズは、少なくとも1ヶ月のリハビリをやってからでないと
プレーにどう影響するかは分からないと言った
数週間は肩を固定し、経過をみることになった

トールスン:
記者会見を開かないと、また1991の二の舞になるかもしれない
憶測だけでデタラメ記事を書かれてしまう

1991 脛の炎症でウィンブルドンを2回戦で棄権した時
記者会見を開かず、タブロイド紙に根も葉もないことを書かれたことを繰り返したくなかった

翌朝、ドクターと、IMG責任者ボブ・ケインとともに会見に臨んだ
ヴェイルに数百人の記者が集まり、生放送のため、恐怖を覚えたが
まだショックで茫然としていて内容についてはよく覚えていない

ただ、いまだ忘れられない質問は
「シャツを脱いで傷痕を見せてくれないか」と言い
ボブは不愉快極まりない状況から救ってくれた

父はまだ本調子ではなく、ステッドマンは内科医の診察をすすめた
父は車内で「別の医師にも診てもらったほうがいいと言われただけだ」とだけ言った

デンヴァーで、父は「前立腺がん」と診断された
私の祖国、旧ユーゴスラビアではがんはそのまま死を意味する
どうしてこんな試練に遭わねばならないのか

医師:
比較的発見が早いのが幸いだが、すぐにも手術が必要です
命に関わる可能性もあるので、ゆっくり考えてはいられません

IMGの会長マーク・マコーマックに助言を求めると
「セカンド・オピニオンを求めるべきだ」と言われた

翌週、ミネソタ州のクリニックから父が電話をかけてきて
「やはり手術を受けなくてはならないよ」
私たちはロチェスターに向かった

父とはいつも強くて健康な存在だと思っていた
だから19歳にして父の病気が奇妙に思われ、病室に入るなり泣き出してしまった
父:私は死にはしない がんは私の友だちなのだから

手術は成功したが、転移の有無は1年間経過をみて
その間、化学療法を受けなくてはならないと言われた

私は母とヴェイルに戻り、自らの治療を続けた
次第に自分の殻にこもるようになった
可能性も未来もどこにも見えなかった



PART2 貧しさの中で
「私たちはもともと裕福な家庭ではなかったが、お金を目標にしたことは一度もない
 人生でほんとうに大切なものは、お金では買えない」




ビヨン・ボルグの試合をテレビで見て、父にテニスがしたいと最初に言ったのは兄だった
私の生まれた町、ノヴィサドには、ラケットを売っている店はなく
父は10時間もかけてイタリアまで買いに行った

父は大学で体育を専攻し、生体力学などの知識は持っていたが
テニスに関してまったくの素人だったため
町中の本屋をまわり、やっと1冊の古いペーパーバックを買い
兄にテニスのやり方を一から教え始めた

兄は14歳で、私より8歳上だが、その頃の私はいつも兄のようになりたいと思っていた
私が重いウエイトを上げるのを見て、父は諭したが、私は少しも重いと感じなかった
父も次第に私にかなりの握力があると気づき始めた

「私もテニスがしたい」
「いいとも」

父はまたイタリアに出かけ、小さな木のラケットを買ってくれた
私はそれを両手で握って振ると、兄が直そうとするのを父が止めた
「このほうがこの子には自然だ」

その時から文字通りほとんどいつもラケットと一緒に過ごした

毎朝学校に行く前、帰るとすぐ、アパートの外のレンガ塀で壁打ちをした
町にはコートが数えるほどしかなく、私たちは駐車場にネットを渡して練習した

テニスで強くなるにはお金がないと無理だという意見を耳にするが大きな間違いだ
私は社会主義国家に住み、お金持ちではなかった

町中の人々が
「あんな小さな女の子にテニスをさせて、セレシュの親父さんは頭がおかしいんじゃないか」
「テニスなんて女の子のするものじゃない うまくいきっこない」と言った

父が私に練習を強制したことは一度もない
私は父が仕事で疲れていようがお構いなし

それほど子どもに協力的だった理由の1つは、父自身が両親に理解されなかったからだと思う
父は農家の一人っ子で、家業を継いでもらいたかったが、
父は大学に進み、最終的に漫画家を選んだことも、親には理解を超えていた

祖母は当然のように私がテニスをすることに猛反対した一人だった
「女の子はお人形や友だちと遊ぶべきよ」
母も最初は同意見だったが最後には諦めたようだった

兄は試合で勝ち続け、1年も経たないうちにヨーロッパでもトップのジュニアプレーヤーになった

父は毎週末に放送される子ども向けのテレビ番組の制作に関わったり
世界中の新聞社にマンガを売ったりしていた

6歳の私には生体力学は分からないため、よく絵を描いて示してくれた
その1つに「リトル・モー」というウサギがいる

パラパラマンガで悪いフォーム、良いフォームを見せてくれ
それは技術の向上だけでなく、苛立ちの解消にもなった

私は最初の頃、ジョン・マッケンローのサーヴの真似をしていた
彼はベースラインに横に体を向けて立つとても珍しい打ち方で
そんなことは彼が最初だったが、私はそれを真似てヒザに大きな負担がかかった

父は私に最も自然なフォームを見つけてくれた
私を飽きさせないための練習メニューも考案してくれた

初めてトーナメントに出たのは6歳半 3位に入賞した
当時はスコアも分からず、試合が終わったのも審判に言われて分かったほど

私はトムとジェリーが大好きで、父はボールにネズミ、Tシャツには猫の絵を描いた
10本サーヴが決まったら、父がビールが飲め、私はアイスクリームが食べられる
もっとも私は決められなくても食べさせてもらえたが

8歳でユーゴスラビアのジュニアNO.1になり
数年後、世界のジュニアNO.1になった
そして、世界中をまわる生活が始まった


自分のスタイル
父は、毎日コートに立ち、違うサーフェスでも練習できる環境が必要だと思い始めた
町のコート数は4面 すべてクレーで、サプリーム、ハードコートは私には不利だった
室内コートは1つもなく、冬は地面が凍ってしまう 雪、雨の日は練習が出来ない

フロリダのディズニーワールドで行われるスポーツ・グーフィーのようなトーナメントに出場するため
アメリカに行き、オレンジ・ボウル・マッチで初めてニック・ボロテリーに会った

ニック:2、3週間、私のテニスアカデミーで練習してみないか? 一度来てみるといい
父:行かない手はないよ、モニカ

ボロテリー・アカデミーで驚いたのは、すべてのタイプのコートが設備されていること
父と私は2週間存分に練習に励んだ 祖母が亡くなり母国に戻った

マイアミのトーナメント後、ジュニアの全米オープンと言われる
オレンジ・ボウルでも順調に勝ち進んだ
ニック:彼女に奨学金を出したい

父:
お前はフロリダで学校に通いながら練習をしたいか?
ゾルタンと2人で行くことになるだろう

私と兄はアカデミーの寮に移り、厳しいスケジュールに身を投じた
兄はアガシ、ジム・クーリエらと練習し、私は兄、ニック、コーチらと練習した

はじめはとても愉しかったが、スケジュールに慣れるにつれホームシックになった
さらに私のテニスの調子が狂いはじめた
コーチは両手打ちをシングルに変えたことで次第に試合に負けるようになった

毎週土曜に両親に電話したが、すべては上手くいっていると話した
私は、小さい頃から、まわりの気持ちを先に考え、ほんとうの気持ちを隠してしまうのだ

父が仕事を辞められないのは分かっていた
母のコンピューターの仕事から得る収入とで、私も兄も養われていて
仕事を辞めれば、子どもに大きなプレッシャーをかけることは父には出来なかった

学校のほうはさらにひどかった
私は故郷で会話も読み書きも厳格なイギリス英語を習ったが
アメリカはスラングが多く、アクセントも全く違う

兄はいつも私の勉強を助けてくれた
兄:新しい単語を5つ覚えるんだ 次の日にまた5つ教えるからね

アカデミーに来て5ヶ月、私はついに音を上げ、
「こっちに来て! 来てくれなきゃ、家に帰る!」と電話口で泣き出した

その時は、自分が両親になんの収入の保証もないまま仕事を辞め
故郷、祖父母、親戚、友だちも捨てろと言っているとは気づかなかった

両親は1週間考えて、
父:とりあえず半年仕事を休み、アメリカでフリーランスの仕事があるか探そうと思う

両親はアカデミーが手配してくれたアパートに住みはじめた

私のスタイルが何もかも変わっているのを見て父は激怒した

父:
お前が生まれついて持ってるもの それがお前のテニスだ
今日から私がまた娘をコーチします

私たちは独自の練習パターンを作った
ほかの生徒は日曜以外は毎日練習したが、私は週2日は休んだ
そのほうがより熱心に練習に臨めた
朝起きた時疲れを感じたら練習をしないこともあった

私の家庭はバランスがよくとれていると思う
父はコートではコーチだが、コートを離れれば父親だ

母は昔からスポーツは大の苦手で、テニスにも必要以上に首を突っ込まない
その代わり、一緒に買い物したり、散歩したり、お喋りしたりする
試合に勝っても負けてもいつも変わらない

兄はアカデミーに1986年までいた
その才能ゆえに練習の必要性を感じず、結果、少しずつテニスから離れていった

両親は私たちをありのまま愛してくれた
私たちがどういう人間になるか期待して愛するのではなく


アカデミーの子どもの親の中には、子どもを怒鳴る親も多かった
「どうしてそんなプレーしか出来ないの?」

私にはそういう親が理解できない
アカデミーには2種類のタイプの親がいたと思う

1つは子どもより自分が勝ちたがる親
もう1つは勝敗に関わらず、常に子どもを支える親だ

幸運にも私の親は後者で、私の調子は完全に取り戻していた


プロへの道
<1988年 ヴァージニア・スリム・トーナメント>

14歳のアマチュアで初めてプロの大会に出た時
1回戦に勝てば、次は当時第3位のクリス・エヴァート

子どもの頃、私がテレビで観たことがあるのは2人しかいない
クリスとマルチナ・ナブラチロワ

チャンネルが少なく、女子テニスの放映は決勝戦に限られていた
私は世界でテニスをしている女性はこの2人だけだと思いこんでいた(w

1回戦ヘレン・ケレシの第1セットを取り、第2セットの途中で
クリスが私を見るためにスタンドに座った

グラフも目に入った
私たちは子どもの頃、ヨーロッパ選手権で何度も見かけたが
彼女は私より年上で、対戦は一度もなかった

さらにガブリエラ・サバティーニ(ガビー)も来た

その試合ほど集中出来なかった経験はない
初めてのウィンブルドンでダイアナ妃から目が離せなかった時くらいだ

私はストレートで2回戦進出
あのクリスと並んで歩いている
結果は2-6 1-6のストレート負けでも満足していた

次はキー・ビスケイン
初戦は楽に勝てた 試合後アガシがコートサイドまできて祝福してくれた(!
アンドレはアカデミー時代からの友だちで、以来、とても親切にしてくれていた
(その後、グラフと結婚て、相当の縁だな、みんな

プロツアーでは、試合後必ず記者会見することが義務付けられている
私が更衣室にいると大会の広報係がやって来た
アマチュアのため罰金は免れたが、WTAのルールについて懇々と聞かされた

翌日は第4位のガビーとの対戦
みんながガビーの大ファンだった
無心で戦い、4-1でリードし、もしかしたら第1セット取れるかもしれないと思った瞬間
集中力が薄れ、神経が張り詰め、やっと平常心になったら第1セットを取られていた

私は第1セットを落とすといつも腹立たしくなる
勝つためには次の2セットを取らなくてはならず、容易なことではない
練習と同じようにプレーできればと思うが、そうできたことは一度もない
私はストレートで2回戦敗退したが、1人のアマチュア選手に誰も期待していなかった

当時、トップ10に入るなど頭の隅にもなかった
ただいい試合をすることで満足だったのだ

「プロ転向はいつです?」と最初に聞かれた時、私は焦るつもりは毛頭なかった
一度プロになると奨学金は受けられない

だが、アマチュアでは勝っても賞金は得られない
優勝しても、ホテル代、航空費などですべて消える

自分にとって一番大切なものは何か
私にとってテニスはもはやただのスポーツではなくなったのだ


トーナメント初優勝
<1989年2月 ヴァージニア・スリム・トーナメント 捻挫で棄権>

試合をしたいのは本心だ プロ転向後初の大会 私は88位
準々決勝で第9位マニュエラ・マリーヴァを破った際
足首を初めて捻挫した 以来、捻挫エキスパートになった

その試合は大変な番狂わせだった
たった3つのトーナメントに出ただけでそれほど高いランキングになったプレイヤーは私が初めてだった

次の準決勝は第16位のジーナ・ガリソン
結局、棄権したがトーナメント・ディレクターは慌てた

テニスはビッグビジネスだ
その夜の試合がなくなり、急遽エキシビションを組まなければならず
大会収入が減り、スポンサーを失うことも意味していた

トーナメントの途中で棄権するのは、とても辛いことだ 調子のいい時はなおさら
でも15歳の私は怪我を押してまでプレーする気になれなかった


<1989年4月>

捻挫も癒え、ヒューストンの準決勝でキャリー・カニンガムと対戦
昔、グーフィー・トーナメントでは彼女を楽に負かしたが、
ボロテリー・アカデミーの後はストレート負けした
それから2年後また顔を合わせたのだ

私はいつも試合当日まで対戦相手のことはあまり考えないようにしている
相手の弱点より、ただひたすら自分の長所・短所に集中する
試合のビデオは決して観ない

3度目の対戦は6-0 6-1で勝ち、決勝はクリス!
当時、私にはスポンサーはおらず、精一杯キレイに見られたくて
試合会場の店に行った どこの企業のロゴもない真新しいシャツでコートに立った

第1セットは3-6 第2セットは6-3
クリスから1セット取ったと頭の中で何度もこだました
第3セットも6-4で取った

勝利の瞬間は世界が急にスローになると多くのプレイヤーが言うが
私は逆で、何もかもが速すぎて、それまで想像もしなかった数字の書かれた
大きな小切手をもらい、更衣室で大会関係者にトロフィーはどこかと尋ねた
「小切手がトロフィーの代わりなんだ」
「じゃあ、この大きな小切手をもらってもいいですか?」
巨大なボール紙を機内に持ち込み、乗客に何度も尋ねられた(w

1週間後、トーナメント・ディレクターが親切に私のために特別に作ってくれたトロフィーが送られてきた
私は初優勝に興奮したが、大会は終わったのだ
家では必要以上に大騒ぎもせず、軽んじることもない お金に執着するこもない

お金を目標にしたことは一度もない
人生でほんとうに大切なものはお金では買えないとずっと思っている


わたしの大切なもの
7歳の時、ノヴィサドのデパートで見た分厚くて柔らかいコットンの掛け布団と枕のセット
あれほど欲しいと思ったものはなく、それまでに見た一番美しいものだった

母:あなたの誕生日とクリスマスを一緒にして買ってあげてもいいわ
私は「毛布だけでいいわ」と言った

私は7歳ですでにお金を理解していた
テニスを続けるには多額の遠征費用がかかる

また、ユーゴスラビア国外に行くには交換レートの関係で旅費がかさむ
英語は私のほうが話せたので、航空券の予約、一番安いホテルをとるのは私の役割だった

いくらか稼げるようになってからも変わらなかった
やりくりに苦心していた人が突然大金を手にすると2通りある
1つは浪費家 スポーツカーや宝石を買ったりする

プロテニスプレイヤーには、交通費、ヒッティングパートナー代、
理学療法士代、コーチ代、ホテル代など支出にはきりがない


お金は役立つが、所詮、目的のための手段にすぎない
私のゴールはお金ではない いいテニスをすることだ

「お金には人生を変える力がある」と両親は昔からよく言っていた

私が20万ドルもらうようになっても、私たちはフェラーリを買ったりはしなかった

1991、1992年、私は賞金王に輝いた時も両親は警告した
「お金は入っては出ていくものだと忘れないように」

1993年の事件から2年間 私にはまったく収入がなかった
スポンサーの中には、私を告訴すると決めたところもあった

私は7歳に買ってもらったコットンの掛け布団を今でも持っている
大切なものは何ひとつ変わっていない それが可笑しくてならない


女王たちとの対決
私の自我と母が娘に望むものが徐々に対立した
1989年の全仏オープンのために髪をブロンドに染めたかったが
母:あなたはまだ15歳よ 18歳になったらなんでもしていいんだから

私は母が帰国している間にブロンドに染め、変わったウェアで全仏オープンに臨んだ
子どもの頃、バービー人形などの服を作るのが大好きで
自分のウェアを自らデザインしたいと思った

家の近くのテニスショップを何軒かまわり、風変わりなウェアを何着か買った
全仏オープンとウィンブルドンは、祖国のテレビで見たただ2つのグランドスラムで夢だった

パリに着き、まず誰もいないスタジアムの観客席の一番上に座り
「いつかこのトーナメントで優勝するわ」とつぶやいた

3回戦はジーナ・ガリソン 失うものは何もない
センターコートに向かう途中、両親の知人の子どもが赤いバラの花束をくれた
コートに置くわけにはいかないので、ファンに向かって高く放り上げた

クレーは私の好きなコートで、6-3 6-2で勝利した
試合後の会見で称賛を浴びると思っていたが
「バラを投げたのはどうしてですか?」といきなり質問攻めにあった

私はひどく混乱した
名前が知られるほど、一挙一動が詮索の的になることを初めて思い知った

準決勝 グラフ どんな試合も40分以内で片付け、2年間NO.1
第1セットは3-6、第2セットは6-3
グラフが私を1時間以内で破れないことに誰もが驚いた

試合中、何度もガットを切り、ラケットをかえなくてはならず
新しいガットとグリップに違和感を覚え、3-6で落とした

それでも失望はなく、学んだことのほうが多かった
1つは、無意識の行動がマスコミの的になること
2つ目は、ガットをテクニファイバーに替える時期
最後に一番大切なこと どんな強敵が相手でも充分戦える
いつか必ず勝てるだろうと確信を持った

全仏オープンからウィンブルドンまではたったの2週間で
クレーから芝に調整しなければならない


ウィンブルドンは唯一芝のトーナメントで万全に供えることは不可能に近い
一般的に球足が速いと言われるが、天候、日によって、1試合のうちでさえ変化することがある

私と父が練習を始めると、ピート・サンプラスとコートが隣りになった
「未来の世界NO.1だ」と父は予言した

1回戦は無敵の強力サーヴァー、ブレンダ・シュルツ
長身で、サーヴが決まれば全く打ち返せない
2時間半が過ぎ、第3セットを取った時、疲労の極致だった

プロとしてテニスをしていると、重要な段階が何度かあるものだ
私にとっては全仏オープンの準決勝、ウィンブルドンでベスト16に残れたこと

次の相手はグラフ 0-6 1-6 ストレートで負けて
唯一つのいい思い出は、ダイアナ妃が観戦していて私を見てくれたことだ

その年の全米オープンは、私には最初、クリスにとっては最後だった
彼女はその年いっぱいで引退を決めていた 勝ち進めば4回戦であたる

もし私が勝てば、クリスが全米オープンで有終の美を飾るのを
阻んだ少女として記憶に残るのは耐えられない

クリスの後日談:
あの日、私も本当に緊張していた 前回あなたに負けただけに
また15歳の少女に負けてキャリアを終わらせたくないと思った

私も極限まで緊張していた
クリスはとくにバックハンドはほぼミスがない
私は0-6 2-6で敗れた
いつか私もすべての雑念を振り払い、集中する術を身につけようと思った

クリスは次のジーナ・ガリソンに敗れたが、今も彼女の栄光を奪うことは出来ない

1989年は、その頃の私のヒロイン全員と試合した
グラフ、クリス、そしてついに初めてダラスの決勝戦でマルチナ・ナブラチロワと対戦した
3セットで敗れたがいい試合で、私は誇らしかった

決勝に進んだお蔭で11月のヴァージニア・スリム・チャンピオンシップの出場権を得た
フィリップ・モリス社は、シーズンの終わりにNYマディスン・スクエェア・ガーデンで
世界ランキング16位までのトーナメントを開く

私はプロ転向1年目で仲間入りした
序盤戦でまたマルチナに負けたが「粘り強い」という定評がついたのはそこからではないだろうか

プロ入りして1年目で6位までのし上がった 来年はきっとトップ3に入るだろう」と各紙が書いた
新聞を見るのが怖くなり、極力見ないようになった
しかし期待され始めてから、次第に勝つことが気になりはじめた


躍進の年
<1990 シカゴ>
1回戦で負け、肩関節と回旋筋腱板に炎症を起こした

ボカ・ラトンではマスコミの関心は、13歳の天才少女ジェニファー・カプリアティ
プロとしての初トーナメントに集まった
新聞は決勝戦で私たちが対決することを期待したが、私は3回戦敗退

更衣室で失意していると、元プレイヤーで、今はWTAスタッフのレスリー・アレンが
「少しアドバイスしていい? 調子の悪い日は誰にもあることを忘れないほうがいいわ」
ツアーで誰かに親切な言葉をかけられたのは、それが初めてだ

ジェニファーは決勝戦でガビーに敗れた 私は少しマスコミの関心から解放された

リプトンでは対戦表を見るのをやめ、1試合1試合こなすことだけ言い聞かせた
4回戦は、シカゴで負けたロス・フェアバンクス

私は緊張すると独り言を言う癖がある「落ち着くのよモニカ」
彼女を負かすには効果的なパッシングショットが必要
その日、私は失敗を恐れず、ストレート勝ち

4回戦でジェニファーは敗れ、対戦は実現しなかった
私は優勝し、自信を取り戻すには大きな勝利が必要だった

次のテキサスでも優勝 調子が戻ったことに父と興奮した

フロリダに戻ると
「アカデミーのスタッフは、今後もうあなたたちにはコートを使わせないように言われている」
誰も説明が出来ないまま、公営のコートを探した

ニックの決定はいつも手紙で伝えられる
「申し訳ないと思うが、このまま今まで通りの関係を続ける理由が見い出せないのです」

私は今でも理由が分からないが、ニックの行動は珍しくなかった
アガシですら一通の手紙でアカデミーを追われている
とにかく彼は、テニスを愛する多くの子どもたちに奨学金を与え続けた
それは私にとっても有り難いものだった

それより1ヵ月後のイタリアン・オープンまでに
プライベートのコートがある新しい家を見つけなければならない

サラソタの公営コートはいつも混み、長時間待たされた挙句1時間単位の練習
しかもハードコートで、エッカード・オープンはクレーだったがなんとか優勝できた

近くにプライベートのコートがあるサラソタに小さな家を見つけて喜んだが
周辺の住人が皆テニス好きで午後までコートがあかない状態だった

イタリアン・オープンは1つのターニングポイントだった
決勝戦の相手はマルチナ いつもハードな試合になる 私と同じ左利きだから
これまでの中で最も短い試合になった 6-1 6-1で優勝したのだ

マルチナ「まるでトラックに轢かれたような気分だ」(彼女はほんとユーモアがあるな

私にとって、テニスは数のゲームでしかなかった
サーヴ、ボレー、スマッシュ、エースを何本決められるか




コメント

『私は負けない』 モニカ・セレシュ/著 徳間書店(2)

2018-12-31 14:03:59 | 
PART3 ストーカーの正体




「精神鑑定」
ハンブルク地方裁判所
被疑者:ギュンター・パルヘ
専門精神科医の判定

尋問担当者が即座に気づいたのは、彼が精神障害を負っているという事実だ
その思考はすべてグラフ中心に動いている


被疑者の叔母:
物静かな少年で、精神状態は完全に普通
子ども時代に精神的ショックを受けたことはない
性に関してはほとんど話さなかった

1990 グラフがセレスに負けた時、村人や工場の同僚はからかった
結果、自殺まで考えた(何度もこう言ってるけど、実際はそんなつもりはなかったのでは?
経済的に困窮していないこともあり、仕事を辞めた

サッカーの大ファンだったが、グラフが国際的に有名になった頃、熱狂的ファンになった
生い立ちを調べ、ライバルの情報も相当集めた
「一番キレイな脚をしている」「アスリ-トだけでなく、人間として理想のタイプ」

東ドイツマルクで1万をはたいてビデオデッキを買い、試合を録画し繰り返し見た
旧東ドイツで、グラフの載った雑誌を入手し、写真に撮り、引き伸ばして部屋に飾った

何度もファンレターや花を贈り、誕生日には現金も送ったが
本人と対面したら、心臓が止まるとさえ思っていた

1990 グラフがセレスに負けた時、完全に打ちのめされ、
モニカがNO.1についてから考えたことは唯一つ
グラフのために何かできないだろうか
それが「モニカに思い知らせてやりたい」と思うようになった

当日、腕にナイフが届かなかったため背中を狙った


「所見」
ある種の強迫観念がふくれ上がり、病理学的性格障害は深刻な精神異常に等しいといえる
犯行時に自己制御能力が減退していたことは、刑事責任能力を判定するに際して考慮しなければならない


悪夢
<1993.5>
私はますます殻にこもり、山の中を行き先もなく頻繁に何時間もドライブした
車内では安心できた マスコミに追われることはなくなったが記者はまだ何人かいた

ファンから何通も心のこもった手紙をもらった
マイケル・J・フォックス(!)や、マイケル・ボルトンなどの励ましにも慰められたが
女子テニスのトッププレイヤーからは手紙もなにも届かなかったことに傷ついた

グラフからも電話1本なかった 「連絡先が分からなかった」とマスコミに言っているが
IMGに聞けばすぐ分かることで、とにかく私がいなくてもツアーはこなされていた

私はステッドマンの理学療法プログラムをこなすなど無理だった
妙な瞬間に突然泣き出すのは日常茶飯事で、毎朝ベッドから出るのが死ぬほど辛かった

ステッドマンらも刺傷を負った選手の治療は初めてで
アスリートは普通、一刻も早くスポーツに戻りたくて、トレーニングだけは続けようとするものだと言い
臨床心理分析医ジェリー・メイを診察をすすめてくれた

私は見ず知らずの他人と過ごすのが怖かったがそのままには出来ず
ついに観念して、10日間の診療を受けるため、カルフォルニアに向かった

精神科医にかかるのは初めてで、最初は心を開けず、心に問題があることを自分で認めることも出来なかった

翌週から事件について話し合うことを始めた
悪夢については頑として認めなかった
支離滅裂になり、診療を中止することもしばしばあった

今思えば、私にはまだ自分の記憶と向かい合う準備がなかった

8月 あらゆる噂に終止符を打つため、インタビューを受けることにした
名だたるテレビ界のインタビュアーの中から拒食症に関するテレビを見てダイアン・ソーヤーを選んだ

事件を乗り越えたいため、正直に答えようと思った
質問には容赦がなかった

「刺された時、どんな気分でした?」「復帰の予定は?」
「傷の回復状態は?」「日ごろは何をしていますか?」


収録中、私は何度も取り乱したがなんとか続けた
数日後に放映され、視聴者の反応は好意的で、根も葉もない噂は1ヶ月ほどはおさまった


もがき苦しむ日々
人はいろんな方法を考えて抑うつ状態から逃れようとする
その1つにたえず動き続けるというのがある

ヴェイル行きの飛行機に乗るためホテルのエレヴェーターに乗る時
ベッツィ・ネイゲルセンと再会し、2人ともただ見つめあった

彼女が私のプレーを初めて見た時、私は13歳
どんな球も力強く正確に打ち返すのを見て
その日、私が“it(天賦の才能)”を持っているとすぐ見抜き
「私たちはそろそろ子どもを持ったほうがいいのかもね」と言い
実際、彼女はその後結婚し、今は家事・育児に追われている

1991年 私にダブルスのパートナーになって欲しいと電話をしてきた
私は普段はダブルスはしないが、喜んで受けた

彼女ほど人を愉しみ、エネルギッシュな人はいない
私たちは友情を育てた ツアーでの最初の友だち、プロテニスプレイヤーで唯一人の親友

そうなれた理由の1つは、彼女にはすでに華々しい戦歴があり
出会った頃はもうトップテンプレイヤーではなく、競争心剥き出しにならずに済んだ
もう1つは彼女が私より年上で、キャリアに差があったから

事件後、彼女と夫マーク・マコーマックは連絡をとり続けたが、
マネージャーがプライバシーを尊重して直接かけるのは控えていた

6月に電話で「私が必要ならいつでもそばにいる」とキッパリ言ってくれた

ベッツィに誘われ、私たちはパーム砂漠に行き、マニュアル車の運転を教わり、
それはここ数ヶ月で一番愉しい出来事だった

とはいえ、前触れもなくいきなり憂鬱な気分に襲われることもあった
そんな私をその後もスキー場などに誘い、私たちの友情は固い絆になる

理学療法はこなせても、心循環系強化のトレーニングができない

そんな時、アーサー・アッシュが一現実に引き戻してくれた
ウィンブルドンを棄権した時、支えてくれたのがアーサーだった

<1992.8>
エイズ患者支援の第1回アーサー・アッシュ・デイのエキシビションに出場し
その後、アーサーは1993.2.6エイズで亡くなり、
1993は主人不在の式典となった

4ヶ月ぶりに公の場に姿を現すことになり
まだ腕を上げることも困難で、球は一度も打っていない

マネージャーはマスコミのでたらめ記事を抑えようと
ツアーに戻る予定はないと説明したがマスコミ対策にはならなかった

全米オープンに出ないと分かっていて、フラッシング・メドウズ・スタジアムに入るのはとても辛かったが
観客が気づいて立ち上がり声援と拍手を送ってくれ、久しぶりに感謝の涙がこぼれた

ボックス席まできて話してくれた女子選手はサンチェスだけで、
ミヒャエル・シュティヒも声をかけてくれた
心配で何度も連絡を取ろうとしてくれたディンキンズNY市長も有り難かったが
それ以外トッププレイヤーは誰も来なかった

IMGラケット・スポーツ責任者ボブ・ケインが

みんな記者会見を開いてほしがっている
 マスコミの好奇心を満たすいい機会だ
 開かなければ、大物気取りだと陰口を叩くかも」と言ってきた

私は選手の迷惑にならないよう全米オープン初日に会見を開いた
「グラフは事件後、あなたに連絡を取ろうとしましたか?」
戸惑いつつ、ありのまま慎重に答えた

翌朝、NYのタブロイド紙の見出しは
1つは好意的で、1つは私が「グラフを礼儀知らずと非難した」と
あたかも2人に確執があるようでっち上げていた それで売れ行きが伸びるのだろう
もうこれ以上不運には耐えられそうになかった
試合も見たくない 私はまた逃避したくなった


F1レースを一度観戦したいと昔から思っていたが
F1のシーズンはテニスと重なるため、これまでレース場に行ってみたことはなかった

母とイタリアに飛び、私の大好きなドライヴァー、アイルトン・セナ、インディ・カートらに会えた
本当に素晴らしい人たちだった

アイルトン:
終わりがいつ来るのかは誰にも分からない
だから毎日毎日を生きるのさ


それでも、その時の私はまだほんとうの問題から目をそむけて
わざと自分を忙しくさせる行動パターンに陥っていることに気づいていなかった

ヴェイルに戻り、また新たな治療が始まった
クリニックの地下室にドクターがわざわざコートを作ってくれ、
ラケットを振るトレーニングがプログラムに加わった

私が雇ったドイツの弁護士は、パルヘの公判の準備のため
目撃者らから証言を集めていたが、結局大した役には立たなかった
だが、彼は間違いなく有罪判決を受けるだろうと確信は持っていた


「目撃者の証言」
件名:セレシュに対する重度傷害事件(名前が変わってる

「私はセレシュのベンチのうしろに座り、彼女がコートを広告の看板にかけないよう注意していることでした
(馬鹿馬鹿しい仕事もあるものだ

 男は彼女を殴ろうとしているように見えました
 数人に取り押さえられた時、ナイフが初めて目に入った
 男はナイフを握り、刃は下に向いていました
 セレシュが、襲われた瞬間、少し前かがみになったとほぼ同時だったと思います」


「私はモニカの試合を見るため、3列目に座りました
 男は酔っているのではないかと思いました」


「私はモニカのベンチのすぐ後ろでした 1mか2mぐらいの距離だったと思います
 男はファンらしくなく、カメラも持っていなかった 凶器は私には最初見えませんでした
 モニカが背中から血を流しているのを見たのは、その少し後です」


ストーカーへの判決
<1993.10>
私はコートに入る場面を思うだけで家に戻ることを繰り返していたが
何もせずにいることに耐えられなくなってきた
頭の中で繰り返される声「パルヘがまた襲ってくるぞ」と夜中に叫ぶ声を静めるため、何かしなくてはならなかった

私は父と球を打ち始めた
私の腕は完全に落ちていた
それでも集中するほど事件を忘れることができた
体を動かすことが一番の解決策のようだった

トレーニングは、ジャッキー・ジョイナーの夫でコーチのボブ・カーシーについていた
「前向きに考えるのよ 練習は最後には報われる」彼女は私によく言ってくれた

毎晩、私は疲労困憊し、夢を見る余裕もないほどで
少しずつ体が引き締まってきた

弁護士ゲルハート・シュトラーテから電話があり
公判が3日後に始まり、罪名は「暴行罪」だと伝えた

腑に落ちなかった 私は殺されかけたのに、なぜ「殺人未遂」でないのか
理由は、目撃者の証言に食い違いがあるためだった
12人中11人はパルヘは私を2回刺そうとしたと証言したが
1人だけそういう意志は見られなかったと証言した

ドイツの法律では、被告に有利な証言は必ず認められる
法廷はパルヘの言うことなら何でも信じるのか?
彼は刑務所か精神病院に収容されるべきだ

弁護士「彼はおそらく自由の身になる 覚悟したほうがいい」「まさか」

それでも何千人も目撃していたことは唯一、不幸中の幸いだった
私自身、公判で証言せずに済んだから
パルヘに背中を向けて証人席に座るなんて絶対に出来ない


<1993.10.13>
兄:彼は釈放された 明日は自由の身になる

彼は懲役5年の代わりに、2年間の保護観察処分になった

裁判官:
容疑者が今後、犯罪を犯す可能性は極めて少ないと思われる
パルヘが狂信的なグラフのファンになったのは、過度な報道をしたメディアにも責任がある
自白には充分信憑性がある
彼はすでにマスコミにより社会的制裁を受けた


私は縁石に座り込み、ヒステリックな笑いが止まらなかった
私が主治医に証言を認めなかったことも理由に挙げていた
目撃者の証言は認められたが、誰一人、公判に喚問されなかった

精神科医の証言は、最初の鑑定からかなりトーンダウンした
「彼はただグラフの力になりたかった」

彼は深刻な“人格障害”を持ちながら、自由の身になった
私は再審を求めて上訴訴求するしかなかった

WTAツアー・プレイヤーズはコメントを発表
「この判決はまことに嘆かわしい 一様に衝撃を受けている」


各紙

ドイツでは、怨恨犯罪、性犯罪、ストーカー犯罪に対する意識がアメリカほど高くない
 パルヘは、身の安全のため、釈放第1日目の夜を拘置所で過ごすと希望した
 彼は裁判官より正しく理解している」

「またもやドイツ司法制度の一風変わった杜撰な側面を露呈した
 女性裁判官は、男同様愚かだと証明した」

「彼の女神がまた台座から落とされたら、彼はどんな反応をするだろうか?」


精神科医ステファン・ラーマー:
裁判所の判断には矛盾がある
パルヘは刑罰の軽減に値する精神障害を有していながら
治療を必要とする精神病ではないことになる


アンケ・フーバー:これでは誰もコートで落ち着いてプレー出来ない


私は兄からクルマのキーを受け取り、その日はどこにも一度も停まらず
1日中走り、車内で叫び続けた 「どうして? どうして?」

真夜中近くに帰宅すると
母:もう二度とこんなことはしないで みんな死ぬほど心配してたのよ



PART4 宿命のライバル、シュティフィ・グラフ




<1990.5 ルフトハンザカップ>
決勝の相手はグラフ 今回は彼女の祖国
ついに祖国統一を果たし、東西ドイツ大統領も見に来ていた

第1セットは6-4で取った もう40分で負かされることはないと思った
第2セット 6-3で取った時、私はただ茫然とした

ネットまで走り「いい試合だったわね」と握手した

私にスポーツマンシップの大切さを教えてくれたのは父だ
勝っても負けても同じこと 父は必ずポイントを取った相手に拍手を送る

テニスなんてただのゲーム 人生のほんの一部だ
 愛、結婚、家族、友だち 重要なのはそっちだよ」とよく私に言う

私は更衣室に座って、ついにグラフに勝ったのだという思いを噛み締めた
その時、グラフが現れ、ラケットを思いきり壁に叩きつけて、壁に大きな穴ができた
試合に負けてあれほど不機嫌になった人をそれまで見たことがなかった

イタリアンオープンに優勝した時、マルチナはわざわざ私のところに来て祝福してくれた
私は負けて落ち込んだ時、ラケットを見つめ
「これはただのゲームだ ゲームは私自身ではない」とつぶやく


<1990 全仏オープン>
ベッツィからダブルスを組まないかと言われ、快く受けた
しかし、以前の私のダブルスのパートナー、ヘレン・ケレンは激怒し
シングルスで私を負かそうと闘志を剥き出しにしてきた

2回戦の相手はヘレン・ケレン
4-6 6-4 6-4で私は3回戦に進んだが、そこで負けた
ダブルスは準々決勝までいけた

「モニカはテニスのやり方が分かっていない」

これは、マリーヴァ3姉妹の長女マニュエラ・マリーヴァのコメントの1つ
よほど脅威だったのだろう 試合が終わるたび彼女は驚くほど否定的な発言をする

マニュエラとの準々決勝 3-6 6-1 第3セット 4-1で彼女がリードし
なぜか脚の不具合を訴え、インジャリー・タイムアウトを取った 攪乱作戦に出たのだろう
私の集中力が途切れることを期待したが、この余興のおかげで私の集中力は増し
7-5で準決勝に進んだ

「2人の子どもの戦い」
マスコミは私(16)とジェニファー・カプリアティ(14)初対戦の準決勝をそう評した
ジェニファーが全仏前に出た大きなトーナメントは2つだけだが、プレッシャーに動揺したようだ

たった10分ほどのインタビューで勝手にレッテルを貼られるのがどんなに奇妙か
私は「強靭な精神力の持ち主」と言われた 人格形成はこれからだというのに

準決勝は6-2 6-2でストレート勝ちした
決勝戦はグラフ 子どもの頃からの夢の舞台で勝ちたいと強く思った

第1セット3-0で雨での中断 その間、たいていの選手はコーチと話をする
試合中は話せないが、たいていのプレイヤーはその規則を犯しているけれども(!
私と父は話さない 試合になれば、頼れるのは自分だけだから

タイブレイクは運次第と常々思う どっちが勝ってもおかしくない
結局、最後のポイントは私が取り、第2セットも6-4

グランドスラムのタイトルを初めてとれた 16歳6ヶ月
1887年に15歳10ヶ月でウィンブルドンを制したロティ・ドッドに次いで
史上2番目に若いグランドスラマーとなった

グランドスラムのタイトルはテニスプレイヤーにとって特別な意味を持つ
通過儀礼のようなもので、もう勝利が運のお蔭だと思うことはない


憧れの選手
「このスポーツにファッション感覚を取り戻すことは別に悪くはないと思う
 スザンヌ・ランランやマドンナのように」

16歳の時に話した結果、自分のコメントと6年も付き合わされた
いい機会だから1つハッキリと言いたい

マドンナは素晴らしい女性だ 16歳の時、大好きな歌手の1人だった
しかし、好きなミュージシャンは他にも無数にいる

スザンヌについて 彼女が初めてトーナメントに出たのは12歳(!
「女は柔順でしとやかでなければならない」とされていた時代にとてもエネルギッシュだった

テッド・ティンリングと大の仲良しで、彼は後に服飾デザイナーになるが
1920年代は女子テニスの審判などを務めていた

テッドがスザンヌのためにウェアのデザインを始めた
女子は皆コルセット、足首までのスカート、長袖ブラウスの頃に
ウィンブルドンで初めて着たのは、膝丈のスカート、袖も肘くらい
それはコートチェンジに飲んだコニャックと同じくらい物議をかもした(試合中に飲酒?!

彼女の父は、子どもの頃から、テニス界のスターになっても
コートの中でも外でもあれこれ口出ししたそうだ

そうしたことで病と狂気の縁まで追い詰められた
39歳の若さで亡くなったのは、悪性貧血のためだが

私は彼女に心から魅了された 強さ、精神力、情熱

テッドの影響もあった 心の底から優しい男性
私は子どもの頃からファッション雑誌に夢中で、自分で服を作ったりもしていた

テッドは1990.5.23 79歳で亡くなった
選手のほとんどは全仏オープンのためフランスにいたが、私は葬儀に参列した
生前はみな彼を称賛していたことを思い出した


“吠えるモニカ”
私は自分を笑うことのできる人間だ
でなければ、1990年のウィンブルドンは拷問同然だっただろう

1回戦の私の試合に「かけ声測定器」が登場した
ロンドンのタブロイド紙が設計したのだ
82デシベルは、“電気ドリルとディーゼル車のほぼ中間”と書かれた(爆

実際、テレビの録画を観るまで自分がどれほど大きな声を出しているか知らなかった
どんなアスリートも瞬間的にエネルギーを噴出させる時は、肺から吐き出さなくてはならない
ジュニアトーナメントでは、皆かけ声を発していた

私は6つの主要トーナメントに連勝していた
記者は何もネタが見つからず、否定的な記事で論議が沸騰すれば新聞は売れる
後に世界中の新聞から“吠えるモニカ”と書き立てられた

「モニカはバターに夢中」
ロンドンのタブロイド紙が書いた最も可笑しな記事の1つ
バターが好きだと言っただけで「バターなしでは生きられない」
「バター中毒」「ピザにもデザートにも塗りたくる」

ウィンブルドン役員から
「かけ声をなくせたら、全身白を着用する規則の緩和を考えてもいい」

マスコミはついに目的を果たした 私の弱点を見つけたのだ
プレイヤーらも次第に苦情を訴えた

世界ランキング3位になった途端、上位選手の中に
私の集中を乱すなら何でも利用しようという人が出て来た

ラインマンのコールは試合の勝敗を左右することがよくある
1989 ドイツのトーナメント決勝戦 メアリー・ジョー・フェスナンデス
第3セット タイブレイク 会心のショットを決めた時
審判はアウトとコール 私は異議を申し立てたが認められず
ベースラインに戻ると審判は2ポイントをジョーに与えた
これには観客もブーイングした

私はトーナメント・ディレクターを呼んだが、その時彼女は見ていなかったし
テレビ中継もされていなかったから、私はタイブレイクを落として負けた

(なんだか、こないだのセリーナ×大坂なおみ戦にそっくり/驚
 まだチャレンジシステムもないもんね

ウィンブルドンでは決勝でジーナ・ガリソンに敗れ、連勝は6で止まった
私と父は全米オープンのためにアメリカに戻った

ヨネックスのラケットの独特な形はまさに私のために造られたと思った
(なおみちゃんもヨネックス!

グランドスラムの前にラケットをかえるプレイヤーは滅多にいない
慣れるまで数ヶ月かかるから
私はラケットをかえて2週間後、決勝戦でマルチナを敗り優勝した

全米オープン 3回戦 リンダ・フェランド
すべて上手くいっていたが、甘いチャンスボールが太陽で見えなくなりスマッシュをミスしたことが
どうしても頭から離れず、集中出来なくなった

世界3位の私が3回戦敗退の番狂わせになった 結局、私の気力が足りなかったのだ
勝者がいれば敗者がいる それがゲームだ

チャンピオンシップの出場権を得て、去年より1ゲーム、1セットでもいい試合をしようと臨んだ
世界で唯一、女子で5セットマッチなのが大好きだった
男子同様、何時間もかけて戦って勝利するのは愉しいものだ

決勝戦はガビー 彼女はグラフを下しての決勝進出だ
(グラフを負かした選手はたくさんいるのに、どうしてパルヘはモニカだけを憎んだのか???

4時間に及ぶ試合の末に史上最年少の優勝者となった
1901ナショナルズ以来初の第5セットマッチとなった
私にとって重要なのはベストを尽くして戦えたことだ


最年少で頂点へ
<1991 全豪オープン>
摂氏56度(!) まだウォーターブレイクがなかった
今では1セット終わるごとに10分のブレイクが取れる

第3セットにタイブレイクがあるのは、グランドスラムは全米オープンだけ
疲労と暑さで朦朧としながらメアリー・ジョー・フェスナンデスを9-7で下した時は
体内には1滴も水分が残っていなかった

決勝戦はヤナ・ノヴォトナ
5-7 6-3 6-1 全豪オープンで初優勝

すぐパン・パシフィックオープンのため東京に飛んだが
体調不良で欠場せざるを得なかった

次はマイアミのリプトン 決勝戦でガビーを破った

さらにサン・アントニオ 決勝戦でグラフはストレートで優勝したが
数週間後、グラフの代わりに私が世界ランキング1位になることが分かっていた
グラフは、NO.1の座を1310日維持していた(!
私とグラフが、かつてのクリスとマルチナに似ていると気づいた
今後、私たちは世界中のセンターコートで対戦し、ビッグビジネスになるだろう

17歳で女子テニス史上最年少NO.1 マスコミ攻勢は無視出来なかった

もし私がパーム・スプリングスで5位以内の選手に勝っていたら
ただちにNO.1になっていただろう
トップ選手に勝てば、ランキングが上がる「ボーナスポイント」がつくからだ

パーム・スプリングスは雨続きで、土曜の初戦を待っていると
母が来て、愛犬のヨークシャーテリア「アストロ」が首輪もロープもない大型犬に襲われたと言った

救急治療室で傷口を縫い、私たちはホテルに連れて帰った
動物病院に片っ端から電話し、24時間営業の病院を見つけ
雨の中連れていくと、傷から感染症を起こし、入院をすすめられた

試合の内容はほとんど覚えていない
私は決勝でマルチナに敗れ、世界NO.1になった
アストロはめざましく回復した

マンガ『宇宙家族』に出てくる犬にちなんで名づけたアストロは
私のランキングなど関係ない いつでも私をNO.1だと思ってくれる

NO.1になることは私の目的ではない
あくまでグランドスラムでいい試合をすることだ
ランキングリストを見てもさほど感動しないが
スタジアムから声援を送るファンを前にトロフィーを掲げることほど心躍ることはない

NO.1になって一番変わったのは、マスコミの要求だろう
NO.1になったら、やることなすことがマスコミの関心を惹くと私にはまだ分かっていなかった


マスコミの詮索

<1991.5 全仏オープン前>
私はマトリックス社とCM契約した
社は私に髪を切ってもらいたがった
ヘアサロンで私のポニーテールはあっさり切り落とされ
写真撮影 私はそのスタイルがとても気に入った

グラフは準決勝でサンチェスに破れ
私はオープントーナメントになって、同じ年に全仏、全豪を制した3人目のプレイヤーとなった

左脚の向こう脛の腫れは酷くなった
体重を減らすためにジョギングをしたが、それが炎症を悪化させた
私の左脚は疲労骨折を起こしかけていた

ウィンブルドンを欠場するつもりは少しもなかった
3年前、グランドスラマーになったグラフに次いで、私も狙っていた

だが6月、トーナメントの3日前に「ちょっとした負傷のため欠場する」と連絡した
その途端、タブロイド紙が一斉に騒ぎ出した 「私が妊娠した」とまででっち上げた
とりわけロンドンのタブロイド紙には兄も心底腹を立てていた
35年ジャーナリストだった父は「それも彼らの仕事の一部なんだよ」となだめた

私はロンドンの新聞とはそりが合わない
タブロイド紙には、この一線だけは越えないという限度がない

刺傷事件の直後にヘリで被害者の家の上空を飛び
父のがん手術後、静養中に、家のゴミ箱をあさったり、塀をよじ登ったり

タブロイド紙は、私の居場所や写真提供者に賞金を出した
家族の友人にまでしつこく取材するようになり、マスコミに話さないわけにはいかないと兄に言った

試合を欠場する時は、会見に医師を同席させ
マスコミとファンに情報を提供しつづける責任があるのだ
でも、私たちのプライバシーも尊重されるべきだと私は信じている

ウィンブルドンが終わり、マワのエキシビションで
主催者が一方的に大掛かりな会見を企画した
プロモーターとして世間の注目を集めたかったのだろう

彼は私にTシャツを渡し、カメラに掲げるよう指示した
それは空港で渡された「ローマ、パリ、ウィンブルドン、マワ」と書かれたものだが
ウィンブルドンのところだけ棒線が引かれていた

その時の会見は動物たちが騒いでいるような状態だった
「お騒がせして申し訳ありません」と私はとりあえず謝り
妊娠とかヨネックスとの契約問題とかの理由ではないと言った

終わりにTシャツを掲げると、また質問攻めにあった
それがウィンブルドンへの愚弄だと取られかねないと知っていればそんなことはしなかったが
それから数週間、マスコミは書きたて、また謝罪しなければならなかった

何度も弁解を繰り返し、私は貴重な教訓を得た
人はそれぞれ異なる目的があり、それがすべて私の利益になるわけではない


快進撃
私はツアーに復帰したが、サンディエゴではカプリアティに惨敗
全米オープンでは誰もがグラフ×セレスの決勝戦を望んでいた

準決勝はその日の最終試合 決勝戦はすぐ翌日
長引けば、次の試合まで20時間ほどしかない

カプリアティはその時、テニス界のアイドル
コートで対戦相手の声援ばかり聞くのに耐えるにはかなりの気力を必要とした
6-3 3-6 第3セットはタイブレイクを制して勝った
「いい試合だったわ」と握手した時、彼女はニッコリ笑ってうなずいた

もう1つの準決勝はマルチナがグラフを下して、決勝戦の相手はマルチナ
(グラフを負かした相手は他にもいたのに、セレスを狙った理由がまだ分からない

ホテルでその日のハイライトをテレビで見ると、
試合後、ジェニファーがコートを去る時、大粒の涙を流していたことに初めて気づいた

マルチナとのタイブレイクを繰り返して「またタイブレイク!」と思った
第1セットを取り、第2セットでリードされた時、私に声援を送るディキンズNY市長の声が聞こえた
気力を取り戻せたのは彼のお蔭だ 私は初めて全米オープンで優勝した
グランドスラムのうち3つを制したのは夢のようだった

しかしマスコミはこう報道した

「ウィンブルドンに出ていたら、同じ年に4大大会を制する偉業を成し遂げた
 3人の女性(モーリーン・コノリー、マーガレット・スミス・コート、グラフ)の仲間入りができたのに」


そんなことは誰にも分からない 無理をして出ていたら勝てなかっただろう
テニス生命を危うくしたかもしれない

もっとも大切なのは、テニスの後も人生は続くと心に留めておくことだ
私は過激なトレーニング、試合のしすぎなどで体を壊して、人生を棒に振ろうとは思わない


次はニチレイ・レディースのために東京に飛んだ
決勝戦はメアリー・ジョーに勝ち、きれいなペンダントをもらった
それを身につけるたび、私は東京で過ごした素晴らしいひとときを思い出す
(日本に悪いイメージがなくて良かった ほっ

11月はヴァージニア・スリム・チャンピオンシップ
決勝戦の相手はマルチナ 彼女の運動能力はおそらくテニス界随一ではないだろうか
6-4 3-6 7-5 6-0で優勝
1年間で10以上のトーナメントを制した7人目という名誉が与えられた

1991年は素晴らしい年で、多くの教訓を学んだ
しかし、私は会見もインタビューもたいてい愉しんできたつもりだ
コートでは見られない私の一面をファンに見てもらえ、
記者とのつながりを深めるいい機会になる
私はマスコミとの関わり方を学んだ



PART5 心の傷痕




「パルヘの手紙」

パルヘがドイツ人陸上選手らに送った手紙で、警察記録に収められている

「ハイケ・ドレクスラー様(ドイツ人陸上選手)」

今日まで私はあなたを高く評価していました
しかし、今はとても失望し、深く傷ついています
あなたがグラフはドイツ語もろくに話せない、などとラジオで言ったのは悪い冗談だと思いました
彼女は天国から我々につかわされたに違いありません
シュテフィの名誉を傷つけようとした者は誰しも
重大な天罰を受けることを知るべきです



「親愛なるグラフ夫人」

あなたの“愛らしいお嬢さん”の誕生日に50マルク同封しました
これで24本の花を買っていただけないでしょうか
彼女はあらゆる理想です


「親愛なるシュテフィ」

私はいくらかお金を同封しました
これでネックレスなど買ってくれたら、とても嬉しく思います
それを試合のたびに身につけてくれたら、あなたとファンを固く結ぶ友情の証となるでしょう
あなたに贈り物をしようと思ったのは、あなたがイギリスで身の回りのものを盗まれたという事件を聞いたからです
永遠の友人より


ガンの再発

<1993.11>
パルヘの2回目の公判が開かれ、今度こそ刑務所に入れられるだろうと言い聞かせた
1回目の判決後、眠りが浅くなっていたが両親には話さなかった
今思うと、自分の弱さを認めるのが怖かったのだろう
パルヘは私をすっかり意気地のない人間にしてしまった
それでも逆境に立ち向かえない自分が悪いのだと責めた

検査のためクリニックに戻る日、父母はミネソタに向かった
2日後、兄から電話があり

「今度は胃がんだ もしかしたら片方の腎臓にも転移しているかもしれない
 父さんはもう手術を受けたくないと言っている」

私はクリニックに電話した 父の声はまるで生気がなかった
「戦わなくちゃダメよ! 父さんがいなくちゃ私は何も出来ない」

父は折れて手術を受けた 10日後、家に戻った時は抱きしめるのもためらうほど痩せ細り
手術痕はまるで内臓を根こそぎ取られたようだった しかし手術は成功だった

私のカムバックは、父が必死ですがりついていたものの1つだったと思う
私が父を必要としていることが、がんと闘う気力を与えたのだと思う


心の中の悪魔

<1993.12>
毎晩のようにハンブルクの夢を見た
スタンドを振り返るとパルヘがいる
審判に「あの男は私を襲おうとしている!」と訴えるが
審判の顔はパルヘに変わっている 前日かぶっていた帽子をかぶって

両親の席には誰もいない 背中に強い痛みが走り、叫ぼうとしても声が出ない
「ポイント、マリーヴァ セレシュ、コートに戻りなさい 警告を受けますよ」
「私は刺されたのよ! どうして誰も気づかないの?」
私の目にナイフの刃が光る それが体に突き刺さり、私は何度も叫び声を上げる

「モニカ、夢を見ているのよ 起きなさい」母の声が聞こえる
毎晩、同じことが続いた

神に感謝したいこともあった
父が順調に回復したことと、迎えられなかったかもしれない20歳の誕生日を迎えたこと

パルヘの上訴も受理され、もう一度裁判を受けることになった
なのに、骨の髄に蓄積されたような疲労感があり、どこにも行く気になれなかった

肩は順調に回復しているとお墨付きをもらい、くたくたになるほどトレーニングをして
フロリダに戻ってから状況は悪化し、私はしばしば激しい憤りに駆られたが
寝室に駆け込み、じっと座り、何事もなかったかのようにまた出てくるのだ

私はパルヘの逮捕に関する警察の記録を何度も読み返すようになった
背中を刺すほど人を憎むなどどうしてできたのか? 繰り返し自問した
書斎にこもり、何時間も事件のことを考えるのだ

ヴェイルに戻って以来、またよく泣くようになった
体をつねった痛みで止めることができた

それがうまくいかないと、バスルームに入り
泣き止むと冷たい水で顔を洗い、微笑みをたたえて出る
それでみんなを騙せていると思っていたが、騙されていたのは自分だった

さらに見知らぬ顔に耐えられなくなった
そして黒っぽいダブダブの服ばかり着るようになった



過食症
「モニカ 1994年 全豪オープンで復帰」
1月早々こんな見出しがあちこちの新聞に載った 私はひと言も言っていない
1.6 出場しないことを正式発表した

テレビをつけると、オリンピック予選のリンクでナンシー・ケリガンが襲われたという臨時ニュースが入った
膝を押さえ、床に倒れているナンシーをカメラが映し、
父に抱き上げられ、泣きながら運ばれて行った

私は恐怖で震えが止まらなかった
またアスリートが競技場で暴行を受けたのだ

その時はまだ脚を金属の棒で殴打したのが
欲にかられた同じスケーターと夫の犯行とは誰も知らなかった

その事件まで、私の刺傷事件を深刻にとらえていた人は誰もいなかったのではないだろうか
スポーツ界でもやっと選手を守るために手段を講じるだろう

事件についてコメントを求める電話があり
私は短く、心から同情し、犯人が早く捕まることを望むと伝えた

それはその夜に報道され
「モニカはこの事件で怖気づき、全豪オープンの復帰を見送った」と見出しを飾った

私は新聞も読まなくなり、親に感情を隠す気力もなくなり、どんどんにはまりこんだ
ソファに寝ていない時は、キッチンで食べ物を探した 食べられさえすればよかった
アイスクリームのカートンを空になるまで食べた 味など全く分からない
(体重をすぐに増やすにはアイスとポテチってことね

母がアイスや菓子を買うのを止めると、私は朝5時に買出しに出かけた
誰にも気づかれずに買うことが出来、2月末には体重が64kgから80kgまで増えていた(!

21歳で私はすでに老人になった気分だった
それでも新聞は容赦なく、私のプライバシーに土足で踏み込んでくる


“城塞”に閉じこもる

<1994 冬>
私はすべてのインタビューを断った
記者は私の裏庭上空にヘリコプターを飛ばし、家の写真撮影を始めた
騒音で、父はよく眠れず、私もそれまで以上に悪夢にうなされた

自宅の敷地のまわりには高さ6フィートの塀がある
家の周りに塀をめぐらせるトップ選手は多い

事件以来、マスコミは私の家を非難するようになった
「塀は10フィート」「カメラや警報機があちこちに取り付けられた」
などとまことしやかに報道された

建築費用、構造などを調べ上げ、
「モニカもいい加減大人になって、人生がおとぎ話でないと知る必要がある」と書いた記者がいる

それを読んで思ったのは、世の中はさまざまな暴力に満ちているが
テニスコートでは一度もなかった それが分かっていたらテニス選手になどならなかった

彼は社会主義国家で暮らすことがどんなことか、
ビザを手に入れるにも、重要人物とのコネがなければどうにもならないことが分かっているのか

13歳で家族と故国を離れ、異国で暮らすことがどういうことか
記者は「父ががんで手術を受けなくてはならない」と聞いたことがあるだろうか?
背中に痛みを感じ、暴漢がもう一度振り下ろそうとしている経験をしたことがあるだろうか?


コメント

『私は負けない』 モニカ・セレシュ/著 徳間書店(3)

2018-12-31 14:02:59 | 
PART6 甦れ、私の魂




ストレス障害との闘い

<1994.3>
私と母はアメリカ市民になれた この時を5年間待った
アメリカ市民になるには、100の問題から市民権審査委員会がランダムに出題するテストにパスしなければならない

私たちはテストを受けるため、マイアミの移民局に行った
偶然、リプトントーナメントが行われていた

私も母も見事テストにパスし、合衆国に忠誠を誓い、美しい証明書を手渡され
パスポート用の写真を撮られた

贈り物には手に触れられるものと、そうでないものがある
父の愛 それは目に見えない贈り物の中で計り知れない価値がある

「こんな状態をこれ以上見ているのは父として辛くてならない
 ただ自分のことだけに気持ちを集中させるんだ」

「毎日しっかりしなきゃって言い聞かせるけど、そのたび恐怖が甦るのよ」

バスルームに走る私を追いかけて父はドアを叩いた

誰も自分の問題からは逃げられない
 もう一度ドクター・メイに会いなさい
 精神科医に行くからといって、お前が弱い人間ということにはならない
 何も恥じることはない 2週間で準備ができなければ、私はお前を飛行機に乗せるからね」

決心して、いざ行動を起こそうとしても、どうしても体が言うことを聞いてくれなかった
「ゾルタンと空港に行きなさい」

前回、メイに会った時、私は心理学でいう「否認」の状態にあった
タホーでは2週間診療を受けた 最初はただ泣いてばかりいたが、次第に信頼することが出来るようになった

メイ:
あなたは生きてはいるけれども、ほんとうの意味では生きていない
(耳が痛い でもほんとうの意味で生きている人間がどれくらいいるだろうか?
どんなことをしている時が一番幸せだと思う?

「やはりテニスをしている時だと思います」

「テニスを楽しみ、競技の世界にいる自分が想像出来ますか?」
「コートチェンジのイスは想像できないけど、裏庭のコートで、誰も見ていないなら」

「ほかには?」
「人と話をして、泣き出したりしなくなったら・・・」

メイ:
すべて出来るようになります
でも、困難な目標に達するのはた易いことではない
あなたが抱え込んでいる理不尽な恐怖を話してもらわなければならない
あなたにはきっと乗り越えられるはずです

今の私は「心的外傷後のストレス障害(PTSD)で、
それはむしろノーマルだと言われるのは私にとってとても意味のあるこっとだった

私はまず「心理学のABC」と呼ばれる治療に入った
A(情動 affect)、B(行動 behavior)、C(認識 cognition)
感情・行動・認識のバランスが取り戻せれば、抑うつ状態を克服できるということだった

同時に外の新鮮な空気を吸い、体を動かすのも恐怖・不安を克服する有効な手段で
毎日庭を散歩することを提案した

メイ:これからはどんどん人のいる所に出て行くように

(同じことを言われても、“やる”か“やらない”かだな
 それには“やろう”と思わせる「動機」が必要になる
 これらはパニ障の「認知行動療法」と同じだが、それを専門とする医師はまだ日本に数人しかいない

診療が終わる頃はすっかり精根尽き果てていた

メイ:
診療ばかり続けることは出来ません
5週間後にまた戻ってきてください
そうして数週間おいて、1日数時間ずつ10日間の診療を続けましょう

ベッツィから電話で誘われ、私と母はオーランドにむかった
裏庭でコートを眺め、テニスがもたらしてくれた素晴らしいことを思い出してみた
それがすべて奪われた憂鬱が甦り、私はまた警察記録を読み直し、1カートンのアイスクリームを食べた

まず両親と裏庭を歩くことから始めた
小さな目標からだと言い聞かせた

(認知行動療法は、信頼できる専門医と少しずつ根気よくやるもの
 そうした人間がそばにいない場合は、一人でこなすのは困難だ


マイナス思考を追い払う
私はまたタホー湖に戻ると約束した 私は約束を破るのが大嫌いだ
メイはオリンピック選手、私と似たような精神状態の人々も
これまで何度も治療し、気づくと驚くほど信頼するようになっていた

実際の事件について話し合うことも始めた
血に染まったシャツ、ナイフ、パルヘの顔、悪夢
コートに出る姿を想像できないことについて話すのは初めてのことだ

その後、「悪夢とマイナス思考を抑制するテクニック」の訓練に入った
基本はプラス思考に切り替えることでマイナス思考を捨て去り、自分を褒めてやること

1.認識すること
2.思考停止法

たとえば、悪夢を見た時など、過度な不安に襲われた時
「ストップ」と行動を止めて目を覚ます
「フォーカス(集中)」と言って、プラスの記憶でマイナス思考を追いやる
それにより悪いイメージがろ過され、いいイメージだけが残るようになった

一番大きな問題は、事件を自分の問題として捉えていることだった(同化しちゃうんだよね
それには時間がかかったので、並行して3番目の習得に入った

3.リラクゼーション(系統的脱感作)(筋弛緩法みたいなものか?
16の主な筋肉を緊張させてから弛緩させる
意識が頭から体に移り、恐怖を忘れさせる
リラックスと恐怖を繰り返すうち、相互に抑制し合い、恐怖が薄れる

メイ:
歩きながら、人の中にいて心地良いと思うようにします
周りの人たちに「こんにちわ」と声をかけてみてください

私の心臓は早鐘を打ちはじめた

翌週、効果を見届けると、メイは不快な状況をイメージさせた
またトーナメントでプレーする姿がイメージできるまでは1年かかった

1週間後、兄とスーパーに入り、私は何度も肩越しに後ろを振り返った
「必要なものを買って出て行くだけだから」
2度目はうまくいった


コートに立つ
メイ:コートで4、5分打ってみてはどうでしょう?
出来ません それはまた競技の世界に戻ることだから

メイ:今、何を考えていますか?
試合のブレイクの時に座るイスを想像すると事件が甦るんです

メイ:
あなたはタホーに来る時いつもラケットを持ってきていると兄から聞いています
あなたはテニスがしたい ここは朝はかなり冷え込みますから
そんな寒い時間にテニスをする人はいませんよ

翌日、コートで私は30分、我を忘れて打ち合った
だが、呼吸を整えるために止まった途端、恐怖が一気に甦った

メイ:
あなたは充分頑張った 今日は30分 次は40分
小さな目標に1歩1歩というのを忘れないで
(完全主義者、几帳面さも関係してるよね 全か無かの考え方も


オーランドにいる間、ベッツィといろいろ話した

「世の中には悪い人はいるものよ でもテニスなんてそれほど大事なものじゃない
 ただの生活の手段 どう自分の生き方を選ぶか、安らぎを見い出すかがずっと大切」

彼女はよき相談相手で、テニスの楽しみを再発見させてくれた

「ダブルスのトーナメントの準備をしなきゃならないの ちょっと私と打ってくれない?」

私たちは1時間打ち合った 気づくと時々、冗談を言うベッツィに笑い声さえあげていた

「これだけは言っておくわ あなたがプロに復帰しなかったら、テニス界の大きな損害
 あなたはやっぱり信じられないほどの才能の持ち主よ」

私はやはり勝ちたかった どうやら人間には決して変わらない性質があるようだ
とても気持ちのいい試合だった


あの日に帰る道
全豪オープンは私のお気に入りのトーナメントの1つだが、
理由はオーストラリアにはコアラがいるからだ

2番目の理由はグランドスラムで一番便宜のいい大会だから
スタジアムまで自転車で行けるし、レストランも揃っている

3番目の理由は、グランドスラムの中で最も静かな大会だから
オーストラリアの観客はとても穏やかで協力的だと思う

4番目の理由は、スタジアムが数分のうちにアウトドアからインドアに変えられること


<1992 全豪オープン>
私にとって比較的楽に勝てたグランドスラムの1つだ
メアリー・ジョーとの決勝戦は3セットにもつれこむのだけは避けたかった
6-2 6-3で破り、2度目の全豪オープン優勝を果たした

<5月のバルセロナ 初出場>
選手はある程度の数の大会に出なければならないが、その数は増やすことができる
私はこの大会を初めて増やした

決勝戦の相手は、バルセロナ生まれのサンチェス
1992年のバルセロナオリンピックがあと数ヶ月で開幕という時期だった
観客は公平だったが地元選手の優勝を望んでいた
サンチェスはあらゆる球に食らいたが、3-6 6-2 6-3で優勝できた

<イタリアンオープン>
決勝戦でガビーに敗れた

負けるのは好きではないが、誰かに負けるとしたら私はガビーを第一候補に挙げる
彼女は勝っても負けても感じのいい人だ たぶん家庭環境が似ているのではないかと思う

彼女の両親も試合の間、いつも静かに座り、両者を平等に応援し
対戦相手の気をそらすような行為はしない
中にはそういうことをする親やコーチもいるのだ


アメリカ在住の選手にとって最も辛いことの1つは、ヨーロッパシーズンが長いことだ
ホテル暮らしでは、スーツケースの中身だけで用を足し、いつも違うベッドで眠る生活が続く

ローマで何件かのインタビューの録画撮りをした
それは全仏オープンに放送される予定で、私の髪はブロンドだったが
直前に私は髪を黒に染めた

パリ在住の友人がブルネットのほうが似合うと言い、私はそれが気に入った
更衣室に入った時、サンチェスはまったく私に気づかなかった

試合後、マスコミは怒り狂った
ローマで撮ったインタビューがすべて無駄になったと言われ
私は平謝りして、撮り直せるかぎりインタビューを撮り直した

全仏で3年連続優勝したのは、ヒルデ・スパーリング(1935~1937)だけだった
スタミナからみれば、1992年の全仏オープンほどきつい大会はなかっただろう

4回戦の雉牟田明子戦(!)では失神寸前になったが
なんとか反撃できたのは幸運としかいいようがない

私は浪費家ではないが、さすがに気晴らしに買い物に出かけた
昔からファッションに興味があり、中でもお気に入りはシャネル

店に入ると、ジーンズにスニーカーの18歳の少女に誰も声をかけなかった
そのうち私に気づき、試着するかと尋ねてきた

一番気に入ったのはグリーンのスーツとヘアバンド
「もし次の試合に勝てたら、母も連れてまた来るわ」

準々決勝に勝ち、母は「小さな車が買えそうな値段ね」と言った

私はツアーに出るといつもその土地の思い出に何か買う
それがいい試合をするための動機づけにもなっている
「もし準決勝に勝てたら、ヘアバンドだけでも買いたい」

準決勝のガビーでは重い疲労感を感じた
こじらせた風邪と、飲んだ抗生物質がさらに悪化させた
その時の私をガビーは会見でこう評した
「モニカは疲れきったように見えましたが、いきなりまたハードヒットし始めた」

私はあのヘアバンドを思い浮かべて、勝つことができ、ヘアバンドを買った
スーツも手に取ったが「明日の試合に勝てたらね」

決勝戦の相手はグラフ(私が観た死闘はこの時かな?
6-2 3-6 第3セットには4回もマッチポイントを握りながら私には分かっていなかった
それほど消耗していた 最後、彼女がフォアハンドをネットにかけ
2時間43分、私は3度目の全仏オープン優勝を果たした

ブティックでスーツを買った 私は人生で何人もの人から影響を受けたが
このシャネルだけは私が自分で決めたものだ
そのスーツを着たのは1度だけ いつかは流行遅れになるが、それでも私はこれを着たいと思う


集中砲火

<1992 ウィンブルドン>
1991年の欠場をマスコミが蒸し返すことは分かっていた
どんな理由であれ、欠場したこと自体が、ロンドンのマスコミへの侮辱なのだ

案の定、タブロイド紙はまた私のかけ声を取り上げ、1つの癖ではすまなくなっていた
数人の選手が苦情を訴えていると書きたてた

どのグランドスラムでも自我、怒り、欲望が爆発しそうになる刺激的な大会だが、
ウィンブルドンは名声、誇大宣伝に翻弄されやすくなる
そこで勝ちたいという強いこだわりが選手の最良のものを殺してしまうことがある


<WTA公式ツアーブック 女子規則4・3・3>
うなり声など、通常のプレーを妨害する行為にはポイントが減ぜられる

最初に利用したのはナタリー・トージアだった
これまでも数々対戦し、一度もかけ声について文句を言われたことはなかった

準々決勝で私が6-1、第2セットで3-3になると、不意にナタリーは主審に話した
「セレス トージアはあなたのたてる騒音に困っているそうです」
私には何のことか分からなかった

プレーを続け、またナタリーは主審に言った
「声を落とさなければ、あなたに警告します」
「私は悪態をついたり、奇声を発したり、コートにラケットを投げつけたりはしていません」

私はそれまでいつもかけ声を発してきた それが今になって突然警告を受け
試合の流れを止められた 私はなんとしても勝とうと闘志がわき6-3で取った
翌朝のタブロイド紙には「セレシュ、かけ声で罰金」などの見出しが躍った

準決勝はマルチナ これまでウィンブルドンで9回優勝という輝かしい記録をもっている
第1セットは6-2で取り、第2セットはタイブレイク

その時、マルチナが審判に向かった
「セレシュ、ナブラチロワがあなたのたてる騒音に苦情を言っています」(マルチナまで!?
タイブレイクはマルチナが取った

第3セット 私が調子を取り戻したその時、またマルチナは主審に言った
「ブタ」という言葉が聞こえた 私はまた忠告を受けたが、その試合に勝った

マルチナの会見後、すれ違う際、

「モニカ、ちょっと話せるかしら? コートで言ったことについて謝らせて
 カッとして我を忘れてしまった ごめんなさい」

彼女は私の声を「ブタの叫び声のようだ」と言ったことが後に知らされた
彼女は、私の集中力をそぐような選手ではない
自分の調子が落ちるにつれて耳障りになったのだろう
きちんと直接謝罪してくれて嬉しかった

それでも新聞にはマルチナのコメントが載った
「彼女が意識的にしてるのは分かりますが、意識的に止めることはできるはずです」

私の味方は誰もいなかった
テレビでは私に罰金を科すべきか、試合出場を禁止すべきか議論を戦わせ
これ以上耐えられず、打ち方を変える決意をした 打つ時に息を止めるようにしたのだ
それは私の人生最大のミスの1つだった

決勝戦の相手はグラフ
雨の3度の中断で5時間半に及んだが試合時間はたったの58分
2-6 1-6で負けたことより、決勝戦では誰も私の声をやめろとは言わなかった
やめたのは私の決断だ

父は試合前に言った
「自分のテニスのスタイルを守らなくてはいけない 全員の意見に耳を貸すことなどできないのだから」

私はまだ18歳で、誰からも好かれたかった
約1ヶ月、私は方々から叩かれ、崩壊寸前だった

タブロイド紙の餌食にされたのはグラフも同じだ
でも、彼女の記事は父親の問題だった


ほんとうの強さとは

<1992 全米オープン>
私が落ち込み、スタジアムの観客席でほかの選手の練習を見ていると
アーサー・アッシュが横に座り、いろいろ話した
彼にはなんでも話せた

「タブロイド紙のことを考えるのはもう止めなさい
 ただ、自分のテニスのことだけ考えて、突き進めばいい

彼こそこれまで数え切れないほどの困難を経てきた人だ
1943年に彼が生まれた当時は、人種差別が法としてまかり通り
黒人というだけでどのジュニアトーナメントにも出られず
陳情活動を経て、1961年全米学校対抗トーナメントに出て優勝し
UCLAに進学し、大学の代表チームを全米学校対抗選手権シングルス優勝に導いた

プロ転向後も、彼を認めたがらない人々と戦い
1975年ウィンブルドンを制し、世界ランキング4位になった
マスコミが彼の病名をエイズと突き止め、世界中に報道してからも
優しく実直な性格は変わらなかった

その彼からの言葉がどれほど意味があったか
おかげで私はサンチェスを下して再び全米オープンを制した

肝心なのは、自分の考えなのだ
それが出来て初めて人はほんとうに強くなるのだ




PART7 恐怖から勝利へ




<1993 全豪オープン>
20時間以上の飛行機内で首を寝違え、トーナメント・ディレクターから
カイロプラクティックをすすめられ、いきなり反対の方向に首を回した
骨の鳴るすさまじい音がして、痛みが取れるまで3日ほどかかり
それだけ経てば良くなっていたのではないだろうか(w

今回は家族全員が一緒で、終わってみれば、これまでのグランドスラムで一番楽しめた大会だった

NO.1になると、自分の地位を守らなければと思いながら留まるのはとても難しいことだ
ハシゴを登るほうが、一番上にいて、誰かに蹴落とされるのを待つよりずっと易しい
私は守りのテニスをしていたが、また自分本来のテニスを取り戻せた
3度目の全豪オープン優勝に興奮した

今回はシカゴでも優勝できた

パリでは疲れが出たが、ダブルスにはぜひ出たかった
試合は23時にやっと始まり6-4 4-6 私もベッツィもとにかく負けず嫌いな性格
握手するまで諦めるつもりはさらさらなかった

勝利したのが午前2時 準々決勝はその日の11時から
その日のことはほとんど覚えていない

決勝戦はマルチナ 第3セットでは吐き気さえ覚えたが勝ち
フロリダに戻ると、診断は悪性のウイルス感染
休養を指示され、兄とジャマイカに行き、砂浜に横たわると
たび重なる移動と試合でどれほど自分が疲れていたかやっと分かった

前人未到の全仏オープン4連覇の前にバルセロナに出たかったが
まだ体調が万全でなかったため、ハンブルクのシチズンカップにした

1つ気になることがあり、1991年以来ドイツには行っていなかった
ホテル前で車を降りようとした時、知らない男がいきなり裁判所からの召喚状を突きつけ
男は英語が話せず、私はドイツ語が分からない
まだ私にはボディガードはおらず、運転手が間に入った

私がまだユーゴスラビアのジュニア選手の頃、代理人だったドイツのエージェントからの書類で
アメリカに移り、別の代理人を選んだことに告訴する内容だった

トーナメントが始まる4日前に「ワイルドカード」を申請した
出場予定のなかった選手の出場を認めるもので、一定数設けられており
ランキングは低くても人気のある選手や、上位選手などに適用される


セナの死
1993年に学んだのは、永遠に勝ち続けることは誰にも出来ないということ

<事件から1年後の1994.4.30>
私はベッツィらと過ごしていた
ベッツィの兄が言った
「悲しい知らせだ アイルトン・セナがたった今レース中に事故で死んだ」

1993年にイタリアの彼のトレーラーで話したのを覚えている
「あなたは運がいいわ 自分が大好きなことをして、今の私のように恐れる必要もないから」

セナ:
僕はレース中に刺されたりした経験はないからどんな気持ちか想像できないけど
マシーンに乗ってコーナーを曲がる時に感じる恐怖はよく知っている
それを乗り越えれば、素晴らしい気分が味わえる

彼は一瞬一瞬がまるで人生最後のように生きて死んでしまった
事故から1年たっても私はまだ人生を生きていなかった
来年までには人生をほんとうに生きられるようになろうと強く思った


メイ:あなたは自分のためにテニスをしなくてはなりません
毎晩ナイフが夢に出てきて、血まみれのシャツの臭いがして・・・

メイ:前進するためにはそれを受け容れなくてはいけない 診療を受けているのもその第一歩です

11月、1年を通じて最も勇気ある若いアスリートに与えられる
アレテ・アウォードのプレゼンターとして授賞式に招待された

マネージャー:
受賞するのは、ソニヤ・ベルという13歳の盲目の体操選手で、あなたは彼女のヒーローなのよ

その少女は目が不自由にも関わらず、平均台で宙返りをしたり出来るのだ
人々の前に姿を現すのは約1年ぶりだが、とにかく行くことにした

少女と彼女の両親のいるテーブル前を通り過ぎると

「あなたがモニカ? あなたのことはいつも見てる
 すぐに分かるわ だってかけ声が聞こえるから」

とうとう私のかけ声を評価してくれる人が現れた!
本当に素晴らしい夜だった


今を生きる

<1994.11>
私は友だちを訪ねてシアトルにいた

その男の人は、大きなデパートの雨よけの下で歩道に座っていた
傍らには中型犬がいて、とても可愛らしく口にカップをくわえていた


ホームレスとして生きるのはどんなに厳しいことだろう
履歴書に書く住所もなく、連絡をとる電話番号もなく、どう職につけるのか

私はおずおずと声をかけ、コーヒーを2杯買い、男の隣りに座り話し始めた
私は普段それほど人に簡単に心を開くタイプではないが、
その時はとても自然に感じられた

「私はテニスプレイヤーだったんです でも、試合中に刺されたの」

「オレはヴェトナム帰還兵で、今も戦争が頭から振り払うことが出来ないんだ・・・」

私たちは1時間近くも話した 最後にいくらか現金を差し出した

「私は明日ここを離れるから、もうあなたに二度と会えないと思う
 だからお金は受け取ってくっださい ただ1つ約束して欲しいのは
 これでお酒やタバコを買わずに、あなたの犬になにか美味しいものを買うってこと
 ほんとに可愛くて、連れて帰りたいくらい」

「約束する できるならこの犬をあげてもいいが、こいつはオレの命綱なんだ
 オレが話しかけ、抱きしめることのできるただ1つのものなんだよ」

私はこれからもっと現在に心を向けなければ
もう二度と“明日から”という言葉を口にすまい “今”から始めるのだ
そろそろまた人生を始めてもいい頃だった


事件のビデオ

<1994.12.2>
21歳の誕生日 もはや誰も子どもだと大目に見てくれなくなる
私の気持ちはまた次第に下降線をたどった
明日から1日5000kcalも食べるのは止めよう 明日から、明日から、明日から・・・

家族は私の誕生日を祝いたがり、ケーキが用意された
「願いごとをして」

私は小さい頃、とても迷信深い子どもだった
だが、今は願いごとなど信じないと叫びたい

父が私に家族からとシンプルな金のブレスレットを渡した
「来年はもう面倒なことなんて何も起きないよう、みんなで祈ってる」
私の気持ちはまた少し軽くなり、実際、いいほうに向かい始めた

クリスマスの日、両親はもう1つブレスレットを買いたいと言い
亀とてんとう虫のどちらかと聞いた
亀は長寿、てんとう虫は幸運のシンボルだ
私は亀を選んだ 長生きができればどんなことでも乗り越えられると思った


<1995.1>
メイ:
そろそろ事件のビデオを見るべきでしょう
そうすることで、あなたはその叫び声を本来の場所に返して、次の段階に進むのです

私は両親とともにハンブルクの試合の録画を再生した
見たのが夜だったため、不気味な悪夢のような雰囲気になった

コートチェンジ 悲鳴が聞こえた それは傷ついた動物の鳴き声のように聞こえた
私はヨロヨロと前に進み、背後に男性が現れ、その人に肩を抱かれて倒れこんだ

私ははじかれたように立ち上がり、部屋を出た それ以上見るのは耐えられなかった
とても辛い夜だったが、私にとって前進するきっかけになった


「クラブハウスのコートで打ってみたい」ある朝、私は父に言った

その夜、他にもテニスをしている人が何人かいて、
「どうか試練を乗り越えて復帰してください」と言われ
私は初めて泣かなかった


幸運のブレスレット

<1995.2>
マルチナから電話があった
「私は長いこと練習してないの 少し相手をしてもらえない?」

彼女は愛犬KDと一緒にきた キラー・ドッグの略で
ある年の全米オープンで、彼女は試合中、更衣室にKDを残していた
私が入ろうとするとKDが今にも咬みつきそうな勢いで立ちはだかり近づけない
最後に係員を呼んで出してもらった(w

その日、マルチナとラリーをした後、トランポリンで飛び跳ねた

「私たちはみんな、あなたにツアーに戻ってほしいと心から思ってる
 決めるのはあなただけど、みんなが歓迎することは知っていてね」

帰る際には、美しいブレスレットを外して、私に渡し

「これは私にたくさんの幸運を運んでくれたものよ」
「もらうわけにはいかないわ」

「それじゃ、あなたがカムバックした時に返してくれたらいい」
「カムバックしなかったら?」

「返さなくてもいい それでもそれはあなたに幸運を運ぶはずよ」

マルチナはとても寛大な人だ
そのブレスレットをなくしたらどうしようと数ヶ月に1度しか身につけなかった
悪夢で眠れないような夜には眺めた 少しずつ自分のカムバックについて考えるようになっていた


カムバック
3月半ば、私は初めてカムバックのことをベッツィにほのめかした
どうツアーに復帰すればいいか 問題はいくつもあったが
彼女の夫マークはうってつけの人物で喜んで手を貸してくれた

「私たちは過去を追いやり、前に進むべきと考え、
 IMGの責任者に手を貸していただきたい
 スポンサーとの訴訟、ドイツテニス協会と係争中の警備の不備に関する訴訟
 この2年間の費用を弁済したい」


マーク:
計画の第一は練習の強化
第二は、2年間公式戦を離れていたから、エキシビションから始めるのがいいと思う
カムバックは1995.7に考えてみよう 4ヵ月後には君はコートに姿を現す

警備の規準が話題になった

父:
モニカは2つのボタンのついたイスに座っているようなものだ
1つのボタンを押すと100万ドルが入る
もう1つを押すと彼女は死んでしまう


それは見事に言い当てていた 私はバスルームに駆け込み涙を止められなかった
私は彼に負けてないことを示したくて戻るのではない
テニスがしたい欲求を抑えがたいからだ

早速、毎日、練習し、ダイエットに励んだお蔭で3月末にはかなり調子が良くなった

パルヘは2度目の公判に臨もうとしていた 今度こそ罪を免れないと確信していたが
ドイツのマスコミは前回と180度論調を変え、再公判の支持の代わりに、私に攻撃した
私は哀れな子羊を糾弾するスタープレイヤーにされた

弁護士「あなたにもドイツで証言してもらったほうがよさそうです」
私を刺して、自白しただけでは有罪に不十分だというのだ
証言の間、パルヘに背を向けて座るのだけは絶対に耐えられなかった

ドクター・メイはその役目を快く承諾してくれ、私の精神状態についてはっきり証言してくれた
その後、電話で「今の君にはかなりの負担だったろう」と認めた

マネージャーから電話があり、「パルヘはまた無罪になったわ」
2年の保護観察付きの執行猶予という最初の判決が二審でも支持された

「これ以上重い刑罰は不適切 我々の法律は“目には目を”の原則ではない

弁護士は最終上訴の準備に取り掛かったが、私は自分の恐怖しか考えられなかった
タクシーに乗り「どこでもいいから走って」
何時間もタクシーに乗っていた

もう正義は勝ち取れそうにない テニスに戻るか、ほかのことをするか
とにかく、これを乗り越えなければ先には進めない

エキシビションの相手にはマルチナが決まった


新しい人生
6月の全仏に合わせてフランスに行くことになり

マーク:
その前に身体障害者のためのスペシャルオリンピックの国際大会がある 1995年最大のスポーツイベントだ

私の試練の2年間、ヨネックスは企業として驚くほど協力的で
思いやりのある人たちだった(!

ほかの数社の代表者との会見も希望したが、会う機会は持てず
結局、約1年半係争することになった

2人のカメラマンが走り寄ってきた
これで世間はセレシュがパリで姿を現したと騒ぎ始めることだろう
計画がしっかり固まるまでは秘密裏にことを運ばなければならない


復帰第一戦
<1995.7.25 モニカ、コートに復帰 対マルチナ戦 CBSで生中継>

記事:
事件前までの戦績は、出場した8大会中、7度の優勝
マルチナは1994年11月にシングルスから引退したが
グランドスラム優勝18回、通算167優勝の記録を誇る
男女問わずテニス史上最も総合的な力のあるチャンピオン
また、シングルス、ダブルスとも最多の連勝記録保持者
今月のウィンブルドンではグラフと組む予定もある(!


スペシャルオリンピック国際大会で、私はできるかぎり選手の指導に努めた
トニーは、私のためにソニアと話せる手配をしてくれ、素晴らしい再会だった

その日は1日中、父、トニー、広報担当のリンダが付き添い
世界中から集まった300以上のマスコミが私の動向を逐一追った

出会った選手一人ひとりに私は心を揺さぶられた
その数週間後、私は「今月の真面目なアメリカ人女性」に選ばれ
その賞金はスペシャルオリンピックに寄付した


エキシビションまで3週間 まだ決まっていないのは会場だけ
大きな会場は数ヶ月先まで予約が詰まっていた
ようやくアトランティック・シティ・コンヴェンション・センターに取ることができた

スタンドの数千人の観客、世界中のテレビ視聴者の前でいいプレーができるのか?
2週間前になり、両膝が痛みだし、歩くのも苦痛になった
診断は腱炎 休養はムリなため、内股を強化する運動をして、ランニングはすぐ止めるよう言われた

車から降り立つと歓迎のセレモニーが始まった
「彼が来たらどうしよう? また襲ってきたら?」
「シーザーズ・パレス・ホテルは最高水準の警備を誇る」とマークが言った

コートには大勢の記者が待ち構えている
ベッツィとマークで夕食に出かけたが、極度の緊張で食べられなかった
ベッツィ「ただ愉しむことだけ考えて」

奇妙な夢ばかり見た コートに向かうのに何度もつまずき
怪物の顔が現れ、あっという間に朝になり、気づくとコートに向かう時間

父はコーチではなく父親としてアドヴァイスをくれた
「ただコートに行って愉しんでおいで お前にはもうそれが出来るんだから」

更衣室ではマルチナが

「人生にはいろいろなことが起きる でも、肯定的にとらえることね
 私も最後のシングルスの試合ではとても緊張した
 人の期待に応えようなんて思わないこと

コートに入った途端、割れんばかりの拍手と歓声が起き、総立ちになった
これがどれほど意味があるか、どう伝えられるだろう? もう大丈夫と自分に言い聞かせた
私は復帰最初のサーヴをダブルフォルトして笑わずにはいられなかった

素晴らしいショットもあったが、酷いミスもして6-3 5-2となった時
突然どうしてもゲームを終わらせることが出来なくなった
マッチポイントを握りながらダブルフォルトを重ね、
なんとも弱々しいサーヴでマルチナはリターンエースを狙ってきたがわずかにラインを割り
私の勝利が決まった

マルチナ:見事に復帰を果たしたわね あなたは立派に復帰したのよ



PART8 私は負けない




ランキング問題
私はどこまで順位が落ちていようとツアーに復帰するつもりだったが
私の順位は1つも落ちなかった

WTAツアー・プレイヤーズ協会会長マルチナのおかげで
グラフと同じ1位にすべきだと提案してくれた
彼女の主張は周囲の猛反対を受けた

WTAから書類が送られ、私はただサインした
残念なのは、その後ウィンブルドンでトップ選手が話し合いの場をもち
マルチナの提案に同意できないと声明を出したことだ

WTAと選手の間で数週間話し合われ、結果提案が通った
私はその地位に恥じないプレーをして、みんなに示したいと思った

WTAの決定には別の思惑もあった
復帰すれば私がいいプレーをすることは分かっていた
彼らは私をワイルドカードで出場させたくなかった
序盤戦でトップ選手と当たる事態を避けたかったのだ



孤独なプレーヤー
事件後、さまざまな記事を見たが、中には「セレスはマスコミの馬鹿騒ぎを愉しんでいる」
「ツアーを離れたのは保険金を手に入れるため」など根も葉もないものが多々あった

記者やコメンテーターの中には、自分たちの目的のために利用する者もいた
「大した怪我でもないのに、世間の注目を浴びたいために大げさに騒いだ」など

トップテン選手はツアーの同じレヴェルの選手と友だちにはなれない
友だちは互いに秘密を打ち明け、弱さを共有し合うものだが
ツアーでは誰にも弱味を見せることはできない

それに対して下位の選手同士は緊密な友情が生まれやすい
遠征の費用を分担し、部屋やレンタカーを共有しなくてはならない
少しでも稼ぐためにダブルスを組むこともある

トップ選手は友情を育てる時間がないのも実状だ
たとえば全米オープンで、試合が13時から始まるとする
朝食、ストレッチ、会場で30分の練習、試合に向けて集中

試合後、シャツを着替えて会見、ホテルに帰り休息
その後は、ツアーに関係ない家族や友だちと過ごしたくなるものだ

トップ選手と唯一愉しく過ごす機会はエキシビションマッチぐらいだろう


確かな勝利
世の中には決して人に害悪を及ぼさないものがある
「レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」
(アメリカのテレビ司会者によるトーク番組)もその1つ

私はレターマンのファンで、事件前にトーク番組に出演したこともあった
事件後もスタッフから依頼が来ていたが、私は何も話すことはないと思っていた

1995.8 ようやくデイヴと会う心の準備が整った
私は番組では道化になろうと思った
それがスタジオに入るなり、聴衆は総立ちで、番組が終わる頃には
私はまた人生の流れに乗りはじめたとはっきり思えた

私はツアーに復帰したが、エキシビション以来左膝の腱炎が悪化しており
8月のカナディアンオープンを選んだ
ベッツィはスポーツチャンネルESPNのコメンテーターをする予定で心の支えになり
大会初日の夜、みんなで復帰祝いパーティを開いてくれた

最初の試合は8.15 観客が一斉に立ち上がりウェイヴをつくり拍手した
6-0 6-3 で勝利を収めた

3回戦はナタリー・トージア
私のかけ声で何度も審判に抗議したのが最後の試合だ
それも過去のこと 祝いの言葉はなくても、挨拶ぐらいはしてくれるのではないかと期待したが
彼女は何も言わず私の前を素通りした
6-2 6-2 で勝利 かけ声の抗議は一度もなかった

トロント滞在中にはベッツィらとヴァン・ヘイレンのコンサートにも行った

準々決勝はアンケ・フーバーを6-3 6-2で下した

準決勝はガビー 私は大きな試合を前にするといつも悲観的になる
それは事件の前も後も変わらない
6-1 6-0 48分で勝利し、2年ぶりの公式戦で決勝戦まで進んだ

決勝戦はアマンダ・クッツァー
彼女は1回戦でグラフを破ったが、試合は51分 6-0 6-1で圧勝した

試合後、私はしばらく茫然としていた 父は泣いていた
私は、家族の絆の強さ、友だちの大切さをほんとうの意味で理解する人間になっていた


グラフ戦ふたたび

<1995 全米オープン>
2年ぶりのグランドスラム ベッツィの姿が見えない
6-3 6-1で勝ち、1回戦突破でこれほどの達成感を味わったのは初めてだった
父はまた泣いていた

ベッツィ:
私、ボックスを間違えちゃったの 自分ではちゃんと座っているつもりが
反対側を見たら、あなたのご両親がいるじゃない
でもスタジアムを周ってる間、試合を少しでも見逃すのがイヤだったから、ずっとそこにいたの
私を見つけた時のあなたの顔ったらなかったわね

翌日、セントラルパークを散歩していると、行く先々で「復帰おめでとう」と声をかけられた
ローラーブレードをつけた少年まで、ハイタッチしてくれた
MTVミュージック・アウォードのプレゼンターも務め、フットボールの試合も見た

4回戦 アンケ・フーバー 左膝が痛みはじめ、サポーターをして消炎剤を飲み
理学療法も受けたが悪化するのは目に見えていた
それでも6-1 6-4で勝利

準々決勝 ヤナ・ノヴォトナ7-6 6-2
モニカは必ず準決勝まで勝ち進むだろうと誰かが言ったとしても
私は決して信じなかっただろう 体重はいまだ超過気味で、充分な練習も出来ていなかった

準決勝 コンチータ・マルチネス 6-2 6-2のストレート勝ち
試合開始は17時 夕食後は、すぐに眠らなくてはならない

決勝戦 シュティフィ・グラフ
マスコミもファンも私たち2人の世界NO.1の対決をなにより待ち望んでいた
私は過去の出来事をなるべく考えないようにした
1ポイント1ポイントが接戦だった

第1セット シュティフィはリターンミスをして、私はガッツポーズし、完全にセットを取ったと思ったが
主審がラインパーソンのジャッジを覆した 「サーヴがラインを割っていました」
ラインに乗っていたと私は抗議したが、主審は一歩も譲らない
結局、第1セットを取られ、私の心は打ちのめされた

割り切って第2セットに進むことが出来なかった あのコールは不公平だと私は今でも信じている
(今の映像技術なら、当時の荒い画像でも分析可能じゃないかな

第2セットは6-0で取り、第3セットもまだ忘れることができないでいた
私の気持ちを変えてくれたのは観客だ 大きな声援を聞いて、私がほんとうに勝つかもしれないと期待していると知った

2-2 またもや主審はサーヴィスエースにアウトコールした
抑えようのない怒りがこみ上げ、すっかり集中力を失い、
シュティフィは全米オープンを制した

私は対戦相手に祝福の言葉をかけようとネットに行くと
シュティフィはボックス席に走り、母親を抱きしめた
かつてそんなことがあったか思い出すことができない
まず握手を交わしてから、家族らのところに行くのがマナーだ

後、シュティフィがその決勝戦を彼女の人生最大の勝利だったと言っているのを知った
だがそれ以上考えないことにした
トップ選手らが私は世界ランキング1位に値しないのではという疑念があってもそれは充分解消されたはずだ


あなたがいたから
選手の中には勝った時しかサインをしない人も多いが、私は勝っても負けてもサインすることにしている
負けた時もファンの温かい気持ちが伝わり、苦い敗北感を和らげてくれる
子どものファンを見ると、マルチナやクリスにサインを求めたつい数年前の自分を見ている気になる

私は卓球の世界選手権で中国選手にサインを求め、あっちへ行けと拒否されたことを覚えている
最後の一人にサインし終えるまでコートに残るようになったのは、そういう経験をしたからだ

ジュニアの頃、ジョン・マッケンローと一緒にカメラでポーズをとってもらったのもよく覚えている
彼は気さくにホテルのロビーに立ってくれた その写真は今でも大切にしている


事件前にもらったファンレター

「僕は9歳です あなたのようになって、両手でボールを打てるようになりたいです
 あなたのようにかけ声をあげたいです スコット」

事件後は、私の力になりたいという手紙がきた

「私はドイツ人だけど、どうか私を嫌わないでください ほんとにごめんなさい
 もしまた私の国に来てくれたら、私があなたを守ります バーバラ 8歳」


暴行、レイプされた女性など他人に話しづらいことを打ち明けるファンも増えた
重い病気をもつ子どもの親が、ハンディキャップを克服できるよう話をしてくれないかと訴えてくることもあった
事件後は、ボランティア活動に関わる機会が増えた

「私の息子は11歳で白血病ですが、治療を受けようとしません
 このまま息子が死んでしまうことを恐れています
 息子に電話して話していただけないでしょうか?」

治療を受けるようにという私の言葉に子どもたちは真剣に耳を傾けてくれた

ヒューストンの少女は、テニスが上手だったのに、事故で片腕をなくし、理学療法を拒みつづけていた
私は彼女と話し、治療の大切さ、またテニスができるようになると話した

試合に勝つか負けるかはどうでもいいこと 自分が好きかどうかがなにより大切なのだと話した
少女は治療を受けるようになってくれた

私はまだ若いので、子どもたちが心を開きやすいし、アスリートだからということもあるだろう
ファンは私のためにあるのではない 私もまた彼らのためにあるのだと分かった

また、テニスは人生の最初の通過点にすぎないことも分かった
引退後は、子どもに関わりのある仕事に就き、ファンが私に与えてくれた幸せを
私も与えられたらどんなに幸せだろう


光の中へ

<1996.1 ピーターズNSWオープン>
全豪オープンの前哨戦でシドニーに飛んだ
ピーターズ、全豪、東京 1ヶ月で3つの大きなトーナメントに出る野心的なスケジュールだった
体調も万全、プレーしたくてしかたないという気持ちだった

リンゼイ・ダヴェンポートとはピーターズの決勝戦で初顔合わせ
4-6 7-6 6-3でピーターズを制したが、鼠径部の筋肉を伸ばしてしまった

サンチェス×チャンダ・ルビン戦は、第3セットでチャンダが16-14で取り
女子テニス史上2番目に長い3時間33分で準々決勝を制した

翌朝、左手が肩より上にあがらないと気づいた
サーヴの時に鋭い痛みが走り、鎮痛剤を飲んでも効果なし
試合中は痛みをこらえる様子は見せず、6-7で第1セットを落とした

オーストラリアの誰もが私がこの大会を制することを期待している
1991~1993まで3連続優勝しており、
事件がなければ女子テニス史上前人未到の記録になっていたかもしれない
マスコミはこぞって、今大会で私が優勝するだろうと報じていた
すなわち私は勝たなくてはならないということだ 2年のブランクなど関係なく

第2セットは6-1 第3セットでマッチポイントを取られたが連取した

決勝戦 アンケ・フーバー 6-4 6-1
とうとうグランドスラムを制することができた
これが1996ではなく、1994のような錯覚に襲われた


「またドイツのトーナメントに出場しますか?」

「私にとって何より辛いのは、あなたも私の立場なら、私と同じ気持ちになると思いますが
 犯人が自由に暮らしている場所をまた訪ねて、身の安全を感じるのはとても難しいことです」

その2週間後、フェデレーションカップ監督のビリー・ジーン・キング
アメリカチームはドイツで戦うのを拒否すると発表した

「またドイツで試合をして初めて完全に回復したと言えるのでは?」男性記者はさらに突っ込んだ
「今はそのことは考えたくないんです」

私は不意に激しい感情に襲われた さっきまで悪夢とは無縁の気分だったのに
涙がとめどなくあふれ、野球帽を目深にかぶり隠そうとすると、激しいカメラのシャッター音が聞こえた
(マスコミはこの涙シーンが欲しかったのね

「このまま会見を続けても意味がありません」私は会場をあとにした
グランドスラムの勝者が会見途中で席を立ったのは2回連続のハプニング
全米オープンではシュティフィが父親のことで涙を流し、会見場を去った

私はドイツの人々も少しも恨んでいないと説明したい衝動に駆られた
いつか克服して、何人も友だちのいるあの美しい国でまたプレーがしたいと

メルボルンに「ヤング・エルダーズ」というバンドがあり
数年前に私の歌を作ってくれ、トニーの計らいで、スタジオを訪ねることができた
彼らはフライ、モニカ、フライ を歌ってくれた

夜はトニー、アンケ・フーバー、メアリー・ジョーでディスコに出かけ、ただ純粋に音楽を楽しんだ

この数年で私が学んだことは、何事も自分の思ったようにはならない
テニスを始めた頃、私は何かを自分に証明するために勝ちたいと思っていた
マスコミが私を優勝候補に挙げると、それに応えるために勝ちたいと思うようになった

だが、今はただコートに出て、いいテニスをすることしか頭にない
闇に包まれていた時、何より恋しく思ったことで、誰も私から奪えないものだ



【訳者あとがき 内容抜粋メモ】
久しぶりにモニカの勇姿をテレビで見た
全仏の準決勝 相手は今をときめくマルチナ・ヒンギス

両者のプレー態度は対照的だった 表情豊かなヒンギスに対して
見ていて息苦しいまでにプレーに集中し、表情を変えないセレシュ
逆転負けしてしまったが、コート外で奔放な言動が目立つヒンギスに勝負の厳しさを教えてほしいなどと
解説者が繰り返していた

試合後、イスで放心したようにいるセレシュが印象的だった
その時、父の健康状態が思わしくないことを伝えていた

本書は彼女の半生 まだ23歳の若さを思えば、1/4生を綴った自伝の全訳だ
事件後の800日の記録、トップに上り詰めるまでの生い立ちを巧みに織り交ぜたドキュメント

我が国でも地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災などに巻き込まれた人々のPTSDが昨今問題になっている
日常に入り込んだ圧倒的な暴力に人生を狂わされた人々の
驚き、恐れ、怒り、哀しみ、不安、孤独、絶望はいかなるものだろう

彼女にはどうしてそれを克服できたのか

何より決定的だったのは、自分にとって何が一番大切か問いかけた答えが家族だと気づくことで
「ために」何かをするという、我々現代人が自らに課した束縛から解き放たれた
勝つためではなく、楽しむために始めたのだと改めて自覚するのだ

自分にとって何が一番大切か
この問いかけ自体、日々の仕事、家事、雑事に追われる我々が
忙しさの中で、案外見過ごしていることではないだろうか

1996.6








改めて、この本の出版年からして、彼女が20代前半で出版されたということに驚く
まるで、今、現在の成熟した大人になった彼女が、10代、20代を振り返って書いたようだ

人によっては、あまりに若いうちから人生の大半のことが詰まっていて
実年齢より、魂の年齢のほうが高い人がいるが、モニカもその一人なのだろう

「書いた」と言っても、こうした小説家ではない人が本を出す場合
インタビューを重ねて、ライターが文章としてまとめて構成、編集する場合も多い
最後に本人が読んでOKを出して、出版されるという形ではなかったかと思われる

読んでいると、早口で、表現力の高い彼女が、聞き手に向かって
あたかも今起きているかのように情熱的に話している様子が浮かぶ

そうなると、「自伝」とはいえ、他人の手が入り、出版社の思惑も入り、
モニカの嫌うタブロイド紙ほどの酷さはないにせよ、人々が最も知りたくて
本人が最も話しづらいことも多々あったことだろう
本人の記憶違いすらある可能性もある

ほんとうの「事実」とはどこにあるのか?
その時起きたこと、もう過ぎてしまった時間にしかないように思える

これは、裁判所や警察署にある記録ではなく、あくまで1人のアスリートである女性が受けた
想像を絶する事件をどうあがいて乗り越えたかという物語で
他にも同じテーマであらゆる記事が書かれた中で、最も「事実」に近いと思われる本だと信じるしかない

たとえ「自伝」にしても
「ここは、こんな風に話していない」「今思うとそう意味で言ったのではない」
と思う箇所もあるのではないか

時間はどんどん進んでいる

本書は全豪オープンで優勝した華々しい復活でめでたしめでたしで終わっていて、ホッとする反面、
このつづきのまたいろいろあったであろうテニス人生も本人の口から聞きたくなるが
彼女自身はもうこれっきり、詮索に終止符をつけるために
出版社からの依頼を止む無く受けたのかもしれない

人の好奇心、詮索心は尽きない性なんだな

モニカとグラフの数奇な縁も深いものだったとフシギな気がするとともに
私の中でグラフのイメージがだいぶ変わった

とても賢明であるとともに、国柄か、家庭環境の違いか、テニスに対する考えの違いなのか
とにかく、本書に書かれているグラフは、人間的に冷たく感じるけれども
みんな20代のテニス漬けの少女たちだったということか

トップの座を長年維持し、数多のとんでもない記録保持者の孤独、辛さは
私たちには計り知れない





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「LIFE!スペシャル 忍べ!右左エ門」(2018.12.19)

2018-12-30 12:47:56 | ドラマ
出演:
内村光良 右左エ門 元忍者
薬師丸ひろ子 宿の女将 お滝
古田新太 紅前屋主人・長次 元忍者
中川大志 息子ヨスケ
永野芽郁 ヨスケの許婚 お琴
堤真一 九兵衛 三吉
ムロツヨシ 日向 甲賀 頭領
伊藤健太郎 桔梗カズマ 甲賀 一番組頭
國村隼 殿
シソンヌ・じろう 小金の方
シソンヌ・忍 飛脚
田中直樹 ゲス
塚地武雅 ゴウハラ
ほか


この番宣のためにゼネラル・ エグゼクティブ・プレミアム・マーベラス・ディレクター兼
『LIFE!』のスーパーバイザー三津谷寛治さん
「あさイチ」に生出演したとか 見れなくて残念




『LIFE~人生に捧げるコント』まとめ に追加しました


【内容抜粋メモ】

【江戸中期 熊本藩】

(『西郷どん』つながり?と思ったけど、ウッチャンは熊本の応援大使だね

いきなりウッチャンのアップ 城に侵入する忍者
巻物を盗むとここが見どころの殺陣ね






外に出ても敵に囲まれ、枯れ葉を舞い上げるとウッチャンが2人 「分身の術」
3人目がいて、敵を全員倒したと思ったら、訓練か

殿(國村隼)から呼ばれる右左エ門(ウッチャンだから右左エ門?



殿:
この泰平の世に、ただ訓練ばかりしていても、財政困難で召抱える余裕がない
よって忍者衆を解任する


【10年後 江戸】

薬師丸ひろ子さんの時代劇って初見かも! 貴重すぎる




お滝:家賃もまともに入れられないならいっそ畳んじまいなよこんな店
ウ:あっしに居酒屋のおやじ以外にどんな生き方が!?

お滝が立ち上がると忍者の絵葉書が落ちる
今日観た歌舞伎だと言う




お滝:明日までに払えないなら、出て行ってもらうよ

矢文が刺さり、忍びからだが読み方が思い出せないw


「呉服物品 紅前屋」

主人・長次(古田新太)からの手紙だった 彼も元忍び
せがれのヨスケ?(中川大志)が嫁をもらう 相手はお琴(永野芽郁)
両親がいない話でものすごい鼻をすするヨスケ




チョ:お琴の父親を見つけて欲しい
ヨスケ:オレが探す オレは商売なんてまっぴら 忍者になりたかったんだ!

銭を出すと言われ、仕方なく引き受けるウ

名前は九兵衛 別れたのは小田原 渡された人相書きは堤さんっぽい
特徴は左胸に富士の形のアザがある

「父はこんな仕事をしているかも」という怪しいイメージだけで小田原中を探し回るウ
冬になり、震えていると飛脚(シソンヌ・忍)から声をかけらる
チョウジからの手紙で「九兵衛 江戸にいた」 思わず泣き出しちゃうウw
(なぜここにいるって分かった? 芸人チームは1シーンずつだけなんだっけ? 短い






ゲスさんが瓦版を配ってる 「下衆屋西之丞」って爆








ゲス:
大事件だ! 三吉は幕府のヒミツを手に入れて
幕府をゆすって、江戸城に捕らわれてるんだとさ!
人のものを盗んでゆすって、芝居が観れるなんてい~い仕事だなあ!

警備員に連れて行かれるが、戻って来て「いい春画があるけど、どう?」
(ほんとにいそう、ゲスの祖先ww





【江戸城】






日向(ムロさん)らに拷問されている三吉
ヒュウガ:書状をどこに隠した?
三吉:私はただのスリです
カズマ:腕1本くらい切り落としてもかまわん




長次:店の看板に傷がつく 破談だ
(江戸時代のジョウロ? 面白い! 「植物ベランダー」にも教えてあげたい

ウ:父はなにか事情を言ってなかったか?
お琴:いえ、何も


<子どもの頃の回想>




お琴が起きると父がいないと母に言うと泣いている
橋の上で「ワケあって旅立たなきゃならなくなった」と去る父

その話でまた鼻をすするヨスケ
お琴:充分なお金は届いていた

長次:(号泣しながら)必ず見つけてやる!

宿に戻り悩むウ
殿から「穀潰し」だと言われたことを思い出す

家賃を取りに来たお滝から逃げるとお琴と出くわす
父からもらった雪のかんざしを見せる
「しょんなかねん」と引き受けるウ




江戸城の図面を見せられる




長次:
どこも守りが堅いが例外がある
「西桔橋門」は跳ね橋で上がりっぱなしで警備がいない

ウ:伊賀と甲賀が守ってんだぞ

長次:
伊賀は頭領・服部半蔵が死んで後、すっかり腑抜けになった
総力をあげて作り上げたオレたちの戦闘服!




ウ:目立つ!

着て、外に出るとすぐにお滝に声をかけられて笑われる
逃げてもすぐに息が切れて、お滝に追いつかれるw
お滝:家賃が払えないなら店を明け渡すって証文だよ 名を書いて持って来な




江戸城に忍び込む長次、ヨスケ、ウ








跳ね橋に縄をかけて必死にのぼると、橋が下りて来て壕に落ちる あんなデカい音で!w
図面も濡れて開かず、字が消えてるww

長次:あっちだ!
ウ:何を根拠に?

満月の夜 見張りがいるのに忍者に夢見て磨いた技をみせると意気込むヨスケ
チョは煙玉を投げて注意をそらそうとするが失敗
ヨスケが勢いよく投げると岩にぶつかって戻って来る

ウは久々に分身の術を使うが霊魂のように薄い
「化け物!」と恐れて逃げる警備員


石の刑を受けてる三吉




ヒュウガ:
限られた者しか知らないこの地下牢 わめいても届かぬわ! ありったけ乗せろ!
と石を持とうとして上がらない




今度はロウソクを持って「どうしてくれようか?」(妖怪どうしたろかしゃん!?w
笑ったら炎が消えてしまいつけ直す「もう1回だ」 今度は三吉が吹き消す




ヒュウガはゴウハラ(塚地武雅)に呼ばれる
チョ「紫の服、あれは甲賀だ」(忍者ってあんなに堂々と廊下を歩いてるもの?




ゴ:たかがスリの口を割るのにいつまでかかっている?
カズマ:書状は取り戻しますゆえ、ゴも我らの待遇の件、ゆめゆめお忘れなきよう
(ほんとだ、いちいち色っぽい!

ゴ:死人に口なし どうにもならなければ、殺してしまえ

屋根裏で話を聞き、勝ち目はないとモメてるチョらの声が下に丸聞こえww

ゴ:誰かおるな

カズマ:お主らどこのしのびだ
煙玉で目くらましをして逃げるがカズマが立ちはだかる

ウは女とぶつかったと思ったら黄金原聡子さん! 思わず大きな声出しちゃった/爆×5000




小金の方:
そのお声、ヒュウガさま あなたが来るのをどれだけ心待ちにしていたか 嬉しい!
あなたはおなごの部屋まで来ておいて、ちゃんとして!!
(出た、決めゼリフ! このシーンだけのために脚のムダ毛処理したの?ww


牢に入れられる長次、ヨスケ 隣りの牢に三吉がいるのに気づく

ヨスケらを助けに行くウもすぐに見つかる 手裏剣は当たると思ったら妄想で柱に刺さる
キックもコケる 「なんせ10年ぶりなもので」

この戦いぶりは、なんだかんだ無敵の男?!w
廊下で出たり入ったりドリフみたい 忍者が普通にケンカしてるし

九兵衛と呼ばれて否定する三吉
長次:お琴の前でもしらを切れるか? お琴はこの男と祝言をあげる
三吉:お前らそんな大事な日の前日になんでこんなところにとっつかまってんだ

そこにウが助けに来る
長次が錠を開けて、キュと一緒に逃げて怪しい部屋に入り、また閉じ込められる
そこは仕掛け部屋で左右から岩が迫ってくる すごい歯車仕掛け

縄を切るために手裏剣を投げるが届かない 最後の手裏剣でモメる

キュ:オレがやる
ヨスケ:キュだと認めるか
キュ:そうだよ




キュが投げると見事に縄が切れて部屋が開く 何者?!
キュ:お前みたいな卑怯者に娘はやらん

4人を逃がして書状のありかに案内してもらうというカズマ




キュは「水本を暗殺スベシ」と書かれた殺しの依頼状を部屋の床に隠していた

水本は善人の大目付 キュも忍びでゴの罪を明るみに出すのが仕事と去る
ウ:不正が暴かれたら、忍者の人減らしが始まる 命を賭けても所詮忍びは使い捨てよ

そこにカズマらが来る
ウ:忍びを捨てて早10年 正しい店仕舞いの仕方教えてやらあ




ここも見どころの殺陣シーンか
長次は飛び道具が得意なのね 爆弾いっぱい持ってる
ヨスケは逃げるばかりだが父が助ける

堤さんさすが 画が違う




ヒュ:頭領自ら相手をしてやる 有り難く思え






ヌル~ンのシーンね 実際の大河では商人の役だったからなあ
ウとどっこいどっこいで「あっ」と目をそらして襲いかかるw
顔を舐めたりって術じゃないし

ヒュ:甲賀忍法「慈愛の術」って、にゃんこだあ! かあいい!




ウ:き・・・斬れねえ!/爆
ヒュ:相手の慈愛の心に訴えかける忍術だ 自分の術に酔ってるw




花嫁衣裳を眺めるお琴
雪のかんざしが壊れてしまい嫌な予感が走る




長次、ヨスケ、ウが捕らわれ、カズマとキュの一騎打ちになる
いきなり数倍のスピードになってるのは編集?!






カズマはキュを服部半蔵(伊賀の頭領)だと言う
チョ:死んだってのはウソだったのか
カズマ:オレが相手なら死んでも名に傷はつかない

急に姿を消して上から来るキュ
右腕を斬られたカは左に刀を持つ

ヒュ:そこまでだ とウに刀を向けて気がそれたところを刺されるキュ
書状を取り戻すが「余計なマネを」

斬れと言われて覚悟するウら キュは生きていた 分身の術!
本物の書状もある 渡したのはウの家賃滞納の証文w




ヨ:ひと目でいいからお琴に会ってくれないか
胸には随分ハッキリとした富士のアザ




ウ:忍びの合言葉さ
山、川 海、潮 富士、雪

ウ:
富士と雪はきってもきれない間柄 しょんなかねえ
オレが書状を届ける あんたは娘の花嫁姿を見届けろ

キュが殴られただけで書状を取られるかねえ


チョ:お琴の中ではお前は猟師で、マタギなんだよ
キュ:いるかそんな奴!




花嫁姿のお琴:おとっつぁん 雪のかんざしをつけている
思わず駆け寄るキュ










ウが祝言で泣いてる アザだらけで書状を渡してきた





また橋の上で別れる親子
お琴:今度はどちらへ?
何も打ち明けられないキュ

お琴:
別にいいけど(『半分、青い。』入ってる?
元気でいてさえくれれば

キュ:なにか困ったことがあれば言え
お琴:心配いりません 私にはヨスケさんがいるから

キュ:娘をくれぐれも頼む
ヨ:江戸一番の幸せ者にしてやります!

ウ:あんた、オレの当て身をわざと食らったんじゃないかい?
チョ:まさか、あの服部半蔵がなあ
お琴:服部?

去るキュ

お滝の好きな忍者芝居に出ているウ
お滝:忍術は人に見せるもんじゃないなんてゆってたくせに

見得を切ってみせるウ




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LIFE!人生に捧げるコント(2018.12.18)

2018-12-29 13:27:16 | テレビ・動画配信
LIFE!人生に捧げるコント(2018.12.18)

出演:内村光良、田中直樹、ムロツヨシ、塚地武雅、中川大志、じろう・長谷川忍(シソンヌ)、池谷のぶえ、江口のりこ
ゲスト:永井芽郁、伊藤健太郎

『LIFE~人生に捧げるコント』まとめ に追加しました

番組始まる予告部分に♪Somebody To Love/Queen が流れた



【内容抜粋メモ】

私が働く理由
収穫を手伝うメイちゃんにお礼を言う村の人



「あんた普段は女優さんなんだろ?」
「朝ドラやりながら農作業も頑張ったね」
「メイちゃんと会えるのも今日で最後なんだな」
「せっかくだからみんなに言いたいことはないか?」

「LIFE!スペシャル 忍べ!右左エ門」の番宣をするメイちゃんw




「番宣?! おかしいと思ったよ」
「番宣なら納得だね」
「絶対に観ますから」
「あすこにカメラあったんだ 1年分からなかった」(w


君は冬のビアガーデンを知っているか?
すごい寒そうなのに震えながら半そでで店番する4人
「今夜、この冬一番の冷え込みらしいですよ」




江口:お客さん、もう4ヶ月以上来てないよね(w
ムロさんの手の震え、尋常じゃないww

田中:夏になれば、お客さん戻ってくるから
(冬でも飲んでる人は飲んでるよね?

ノリノリで出て来たアフロっぽい店長




店長:
みんなお疲れサマー! 心はいつでも夏らしく
お客さんいつ来てもいいようにビールいつでもキンキンに冷やして

6月に入ったばかりの新人が冬にやる意味があるのか聞く

店長:
本物のビアガーデンを目指すなら通年営業は避けて通れない
6~8月は確実に儲かる
ほかの月は休むのを果たして夏が許してくれるだろうか?

ムロ:冬はあったかいものを出すのはどうですか?
江口:ひざ掛けやストーブもあれば・・・
店長:そんなのビアガーデンじゃねーよ!

新人:オレ辞めます いくら時給がいいからって




田中:
お前その高い時給どう払ってるか分かってんのか?
なんで1200円維持出来てるか 店長がほかにバイトしてんだよ!

ちょっといい雰囲気になるが、ものすごい吹雪いてくる/爆
店長が倒れて「昼間も深夜もバイトで寝てねんだ」

ムロ:時給1170円でもいいんで(ビミョーw
店長:あと5ヶ月で夏が来る それまで頑張っていきまっしょい!

(ほんとにこんな店がありそうで怖い



とどろけ!! ファミレス塾



深夜0:30 サミーズ店の売り上げが落ちてるという先輩
客は池谷さんだけ

先輩:
解決策をどう考えるだすか?
あんさんは、ここの覇権を握りかけてる存在 責任があります!

鈴木:関係ないですよ
先輩:そんなこと言ったら、またあの方々がっ! 来るだす!

オープニングスタッフルームから出てきたのは、「まあちゃん」
ま:僕が売り上げを伸ばします(ネタ切れ大丈夫?w まことちゃんっぽい




先輩:
伝説のオープニングスタッフ 永遠の4歳児 まあちゃんだす!
深夜の売り上げ最高記録を持ってるだす

ま:
なんで売り上げ悪いんですか?(たどたどしい喋り方に笑いそうな大志くん
正解はオモチャを売ればいいです(そういやファミレスにあるね、オモチャ




鈴木:あれは昼間の子どもには売れるけど、深夜のお客さんには売れないでしょ

ま:僕たくさん売ったよ ウソじゃないもん/泣
鈴木:子どもじゃなくて、オッサンじゃん
ま:てめえ、二度とオッサンて言うんじゃねーぞ!!

オモチャの売り上げ対決になる
先行はまあちゃん 池谷に技を見せる 「童心乱駄」








「これ買ってー!」とだだをこねるまあちゃん
「もうしょうがないわね1個だけですよ」

鈴木はホスト風に2個で迫る
鈴木:オモチャは何個あっても困りません とくにあなたほど美しいお方であれば
トキめいて、2個買う池谷




ガラの悪い客に「これ、全部買って」と迫りだだをこねるまあちゃん
客:いい加減にしろ、このとっつぁん坊やがあ! とキレられ




先輩:死んでる!
ま:死んでないです 僕もう眠いから早上がりだもん!

また時給10円UPして
鈴木:新しいバイト探すか


<「LIFE!スペシャル 忍べ!右左エ門」のマスコミ向け試写会>
真剣に観るメンバーら




「ある記者の感想」 ってゲスさん!



ゲス:
これ、あれ? いい感じの意見をみんなに言ってもらって
編集して、いい感じの感想をまとめるやつでしょ
いい感じの俳優さん使って、大河でも使うようなロケ地でできるなんて、いい~ドラマだなあ!
いくらくれるの?


「あるファンの感想」は、黄金原聡子さん! さすがチェック早い!w




黄金原:
すごい初めて見る感じのムロさんで
日向役なんて見たことなかったんで、すごく面白かったです
顔のおっきいムロが私はやっぱり好きなのでよかったです
やっぱり私も今年は戸田恵梨香さんのポジションを狙っていきたいなって思ってて(w



<スタジオトーク>

こちらも番宣 てか、どうしたムロさん、そのヒゲ面は!?




田中:もうまさに先ほど 我々完成披露の作品を見たばっかりですよね 試写会で
内村:お客さんが笑ってくれた時にすごくホッとしました ウケてる、ウケてるって

田中:4人で結構殺陣の稽古とかをして 基礎から学んだりしたので

内村、ムロ、中川、伊藤の4人は撮影の1ヶ月前から殺陣の練習をしていた

伊藤:僕そのアクションシーンを見るとうわっすげーなと思って
内村:めちゃくちゃカッコよかった
中川:ムカつく、本当に かっこいい芝居 カッコよすぎて




田中:すごく色っぽかった
中川:そこもムカつくw

田中:いよいよ明日ですから ドラマのほうも是非見ていただきたい

田中:ビアガーデンのコント コント自体は初めて? どうだったですか?
伊藤:昨日の夜ぐらいからドキドキしました

内村:ちょっと今回のコントはちょっと濃厚でしたね もっと軽いイメージもあるんですよ
伊藤:そっちも味わってみたいな

田中:
もう年末ということで、今回も事前にアンケートをとらせて頂いて
1年を振り返るテーマを答えて頂いてますので見てみたいと思います


Q:「俺ってまだまだだなあ」と思ったこと

A:僕出てたのに by 中川

中川:
2年ぐらい前に、大河ドラマ『真田丸』で豊臣秀頼役を演じて
真田のゆかりの地は長野県上田市で、当時「真田まつり」とか
毎年やってるパレードだったりとか出させて頂いて
その時に「殿~!」って呼んでいただいたりとかして、すごく嬉しくて

つい最近、久しぶりに映画の撮影でまた上田に行ったんですよ
タクシー乗って、その運転士さんが「真田丸」の大ファンで
全然僕に気づいてなくて、「実は僕も出てたんですよね」なんて言って
「あーそうなんですね」ぐらいな エキストラかなんかで共演したぐらいに思ってて

おかしいなと思って「豊臣秀頼っていう役で出たんです」て言ったら
その運転手さん「えーーー!」って振り向いて
やっとそこで気づいてくださって
やっぱり気づかれるぐらいにならないと まだまだだなと

田中:
時代劇だから、雰囲気が違ってたのでは?
街歩いてたらめちゃくちゃ気づかれるでしょ?

中川:全然です 一緒に伊藤くんと飯を食ったりとかプラプラしてますけれども

内村:「今日から俺は!!」の髪型で行けばいいんじゃない?

伊藤:そうですね あのドラマをやってからはちょっと ちっちゃい子たちからは


A:寂しくて by ムロ




ムロ:
もう42歳で、一人の時間を有効に使うべきだって考えて
考え事したり、本読んだり、一人の時間を使おうと思うんですけれども
一人でいざ家にいると、寂しい、寂しいばっかり思うんですよ

覚えることもあるんです、台詞とか 読まなきゃいけない本もあるのに
そのまま手付かずで これどうしてますか、みなさん? 一人で過ごせるよね?

伊藤:過ごせない 僕もすぐ誘っちゃいます
中川:僕も寂しいです

伊藤:
(中川くんは)本当にやばいですよ
本当に寂しがりや 濃いめです くんくんくんくん

内村:全然一人で過ごしてたよ ヒッチコック3本とか観てた

(ムロさんは「ずっと独身でいる」ってゆってても
 なんだかんだでみずがめ座さんたちは淋しがり屋だから、そろそろ結婚するのでは?
 テレビに出る人たちは、人に見てもらいたいからで、基本、淋しがり屋だと思う


A:つい忘れて by 伊藤

伊藤:
2日前に新幹線で移動してて、ちょっとトイレ行きたいなって、トイレに行って
入って20秒ぐらいですかね ガラッて扉が開いたんです
男の人がこっちを見てて そのお兄ちゃんが僕よりも焦って
向こうでダダダッと音がして そっと扉を閉めたって感じです

田中:中川君から見てどういうタイプ?
中川:ちょっとヌケてるところがあるなっていうのはある そのヌケが好きが可愛いみたいな
またジェラシーw


俺たち神メンツ



旅行代理店員・江口さん:この日の成田ホノルル便があと2席しかございません
ムロ:オレら3人この日しかムリなんすよねえ
塚地:この神メンツ揃うこと、まあないんすよ

どんだけ日焼けしてるんだ塚っちゃんたち/爆
ムロさん前髪触りすぎw

ムロ:オレら大学の時からいつも一緒で
じろう:この3人揃ったら絶対何か起きるんすよ

塚地:3人揃えば奇跡が起きる、オレたち 神メーーーーンツ!




江口さんの冷めた顔!w




ムロ:
じゃ、こうしない?
オレとモッチ?が席に座って、キーマをスーツケースに隠して預ける

モッチ:キーマが荷物のところから出て来たら超面白くないっすか?

ムロ:超おもしれー YouTubeにあげよーぜ



(キーマ、すごい引き笑い

真顔で登場するシーンを見せる
Tシャツに“DON'T WORRY BE HAPPY”て書いてある いい奴かもv




江口:1週ズラせば3席確保できます
じろう:この前3人で行った大阪、超ヤバかったよな
ムロ:あと正月の鬼怒川、伝説じゃね?(海外は初めて?

江口:
割りと揃われてるんですね
(素っ気無い 手とかいじってるし また舌打ち出た!
この航空券をビジネスにすれば3名様でお取り出来ます
1人様26万8000円です
神メンツ3名様で80万とんで4000円です

止まる神メンツ なにかぼそぼそ相談して
神メンツ:1週間ズラします
江口:では、超お得、7980ツアーで


私が結婚する理由(これも番宣?
新郎からの挨拶でしみじみする全員
新婦からの挨拶 メイちゃん可愛い

メイ:
ここで皆さんにお知らせがあります
私が出演するドラマ ぜひご覧ください




ウ:番宣かよ!

田中:
おかしいと思ったんだよ
こんな変な感じの奴が女優のメイちゃんと結婚なんて絶対あり得ないから!

塚地:なんかおかしいなとは薄々気づいてましたけど

『卒業』のダスティン・ホフマンばりに入って来る大志くん




大志:
やっぱり君のことが忘れられないんだ 一緒に行こう!
オレが幸せにしてみせる 結婚しよう
・・・という感じで、僕とメイちゃんが恋人役を演じるドラマ ぜひご覧ください




塚地:結局、番宣なんかーーい!
田中:絶対観ますから

塚地:僕との結婚は?
メイ:末永くお願いします なので必ず観てください

司会・池谷さんまで番宣
ウ:最近の番宣は凝ってるな!






<「忍べ!右左エ門」出演芸人大集合!>

芸人の中にムロさん入ってるけど、いい?w




田中:みなさんお疲れ様でした
塚地:我々がそう言われていいものかどうか

田中:我々のチームは本当に1日だけ
ウ:爪痕残してね

芸人チームは全員1シーンの出演だがドラマの絶妙なスパイスとなっている

田中:じろうくんも普段したこともないムダ毛の手入れとかね

じろう:
びっくりしましたもん 僕のすね毛の刈られた量を見て
「こんなにあったの!?」みたいな 山盛りのすね毛が

内村:チャック・ノリスの胸毛をむしり取ったくらい
じろう:チャックも結構濃いですもんね

田中:ゲスも楽しかったです ゲスの祖先って演じたことがないんでw
忍:一緒でしたけど あそこだけタイムスリップしてた

田中:どうでした 完成した作品を改めて見て

忍:
面白かったです アクションがすごかった
堤さんのアクションは背筋が伸びました
ムロさんとか、内村さんとかがたまに動いてる時、スローモーションに見えている 5回に1回ぐらい

ムロ:うるせえな 演出だよ

忍:
よける時、みんなシュッシュッてよけるのに
ムロさんだけヌル~ンてよけてたから それをキャラにしてるみたいな

※ドラマのオープニングは内村の忍者アクションから始まる

内村:
あれ、本当はもっと長いんです 倍ぐらいあった いつか完全版をお送りします
試写会で見たときに「あれ???」て目をこすった



<質問コーナー>

Q:俺ってまだまだだなあと思ったこと

A:たこ王子と言われた by 塚地

塚地:
この番組におきまして、僕の代表作 イカ大王 あるじゃないですか
九州で営業があって、福岡に着いたら「たこ王子!」って言われて
訂正するべきなのか 大きくは外れてないし

寄ってきて「いつも見てますよ 『内村に捧げるコント』のキャラクターで
内村さんがまるで亡くなったかのような
内村さんに向けてみんなで捧げてるみたいな(爆

イカ大王ってタコって言われるとキレるみたいなことあるじゃないですか
すごい見てくれてるって言うから、ちょっとサービスというか
「わしにタコと言ったらイカんぞ!」みたいなことを言ったら
「すいません・・・」て謝られて ガチで俺が怒ってるみたいな サービスなのに






A:僕だけ紙 by じろう

じろう:
コントが始まる前室 横にあるテーブルでみんなで読み合わせするじゃないですか
1回ちょっと読んでから本番行きましょうみたいな

(もう爆笑しているムロさん
 じろうさん見てると黄金原聡子さんにしか見えなくなってきたw



みんなちゃんと台本 製本されたやつで こうやってるんですけれども
僕だけペライチなんですよ、いつも

僕も多分2年ぐらい出させてもらってるんですけど
台本がほぼほぼもらえないんです

いつもデータだけマネージャーから送られてきて
自分でコンビニでネットプリントで自分で刷って
自分で持ってって参加するっていう
僕まだジュニアなんですよ LIFEJr.




田中:番組サイドは送ってるわけですよね?
塚地:マネージャーにわざわざ持って行くのが面倒臭いみたいな

ムロ:ライフとシソンヌの間で止まってるんだよな
じろう:そこに多分ジュニアかどうか選別する人がいるんじゃないですか

忍:
僕ももらったことないです、1回も
僕もたまに出るときにペライチです それかデータ

じろう:
終わった時に2冊くれるんですよ、なんでか
コント撮り終わった後に2冊くれるんです




A:オンエアを見たら by 田中

田中:
ライフと関係ない話になってしまって申し訳ないんですけど
ロッチと一緒にロケに行って楽しくやってたんですけど
画面に映ってないオフのところで「ちょっと待ってよ!」みたいなことを僕が喋ったのに
オンエア見たら、ロッチのコカドが「ちょっと待ってよ」って喋ってることになってた

この前、アンケートみたいなのを書いてたら
「何言うてるんですか」て聞こえてきて、
俺出てるわと思って見たら、またコカドなんですよ
自分でも分かんなくなる

内村さん最後になりますが、何かありますか?

内村:
まだまだだなと やっぱり今日、試写会見て、堤さんがカッコよすぎる
同い年ですよ で、この差 あの立ち回りのカッコよさ

忍:でも前半のオープニングの内村さんのアクションめちゃめちゃカッコよかったです
内村:半分来られたんだぜ 堤さんは全部カットなしだよ

忍:やっぱり殺陣のシーンを見ると、ギャグ漫画と劇画みたいな




「忍たま乱太郎」とのコラボまであったの?!






堤真一:
(「もふもふモフモフ」のナレーションやってる人とは思えないお姿
内村さんは体動くし、古田もアクションずっとやってるし
おっさんが頑張ってる姿を楽しめるし
でも結構、真面目に、真剣に面白いと思います




古田新太:
本当に内村さん及び堤さん おじさん達めちゃくちゃ頑張ってますので
テレビで見ると1時間ちょいの番組なんで、あっという間に終わっちゃいますけど
めちゃくちゃ苦労して作ってます
本当に面白いものを作ろうと思って、みんな頑張ってるんで
温かい目で見てあげてくださいw


ナレ:これはコントではない! 割とちゃんとした時代劇!


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topics~天皇最後の会見 ほか

2018-12-29 12:39:33 | 日記
天皇最後の会見
妻への感謝の言葉では声を震わせる場面もあった

「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵しています」

(ずっと戦争はあちこちであったけど、内戦やらは“戦争”のうちに入れてないのか
















「結婚以来、皇后は常に私と歩みを共にし
 私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました

 天皇としての旅を終えようとしている今
 私はこれまで象徴としての私の立場を受け入れ
 私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに

 自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり
 60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を
 真心をもって果たしてきたことを心から労いたく思います」












「心に残るのは災害のことです
 多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに
 言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます」


年号が「平成」になったと発表されたのも、ついこないだみたいな気がした




いわさきちひろ生誕100年「Life展」@ちひろ美術館





作家で、母で つくる そだてる 長島有里枝
【会期】2018/11/03(土) ~2019/01/31(木)
【会場】ちひろ美術館・東京 〒177-0042 東京都練馬区下石神井4-7-2
【入館料】大人800円、高校生以下無料
【開館時間】10:00~17:00(最終入館16:30)









母・長島さんを撮った写真を見せる息子を撮った写真




『母さんはおるす』



“1965年から1975年まで続いたベトナム戦争では、100万人以上のベトナムの人々が犠牲となり、
 そのおよそ半数が子どもだったといわれています。

『母さんはおるす』はベトナム戦争のさなか、アメリカ軍によるベトナム全土への無差別爆撃が繰り返される1972年に出版されました。
 原作はベトナム人の作家、グェン・ティ。ベトナム戦争のなか、祖国を守るために日々戦場に出かけていく母親と、
 その帰りを待ちながら、たくましく生きる5人の姉弟の生活を描いた物語です。”


「戦争ごっこ」(1972)




ちひろ:
平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで
そういうものをこわしていこうとする力に
限りない憤りを感じます



会場には、現代の人に千人針を体験してもらい、その作品と映像の展示もある



水彩絵の具のやわらかく、温もりのあるタッチが、
白い紙の上ににじむ1筆1筆まで愛おしいちひろさんの作品は
ぜひ生で観て欲しい




発見! 北朝鮮の歩き方 マイケル・ペイリン
Michael Palin in North Korea



“2018年、韓国と北朝鮮による南北首脳会談が11年ぶりに行われた頃、
 英コメディグループ、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリンもまた北朝鮮を訪れていた。
 歴史的ニュースに注目が集まる中、マイケルは現地のガイドと共に、首都平壌や南北の軍事境界線、
 そしてカメラがほとんど入ったことのない地方都市まで様々な地を訪問し、全世界の脅威として恐れられ、
 多くの謎に包まれた国に暮らす人々の、生活やその胸の内に迫る。 ”

1.9~ 毎週水曜日 22:00~23:00


エリックの犬もインスタにアップされていた






「世界の終わりに柴犬と」増版&続巻決定




漫画家古賀新一さん死去「エコエコアザラク」代表作



“ホラー漫画「エコエコアザラク」などで知られる漫画家の古賀新一さんが3月1日、
 病気のため死去した。81歳。福岡県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
 1970年代に「週刊少年チャンピオン」で連載した
 代表作の「エコエコアザラク」は、映画化やドラマ化もされ、大きな人気を集めた。”


小さい頃からホラー漫画が大好きで、「エコエコアザラク」もハマった1つ
学校のテストで全然問題が分からなくて、思わず呪文をつぶやいたことがあるw




ここ数年、これまでハマったものを回顧する中で、
私が読んでいた単行本の全巻を読みたくなって
全19巻買おうか、借りようか迷っていたら
古賀さんが今年亡くなられていたと知って驚いた

テレビ版もあったなあ
「EKO EKO AZARAK エコエコアザラク」(1997)
佐伯日菜子ちゃんは黒井ミサ役に似合うと思った
観たと思ってブログ内検索したけどヒットしなかった

最初はほんとにブキミな謎の転校生だったミサが
巻が進むごとにフツーの女子高生のように明るいキャラになってフシギな感じがした

普通に両親が出てくる場面もあるけど、巻によっては、
黒魔術によって小さいミイラ人形のようにされて
カバンに入れている場面もあったり

怖すぎるシーンもいっぱいあるから、今読めるかは不明




長谷川博己さんCM








オードリー・ヘップバーン@ザ・プロファイラー












初めて彼女を映画雑誌で観た時、名前も出演作も知らなかったけれども
世の中にはこんなに美しい存在があるものかと魅入ったことが昨日のよう

彼女も世界の貧しい子どもたちのために、さまざまな活動をした


正月には『風と共に去りぬ』や『カサブランカ』などの大作が
字幕スーパーでテレビ放送されるから今から楽しみ

今年も新幹線に乗れないため、帰省出来ず
十数年前に帰省した時、母と長時間の『風とともに去りぬ』を
0時過ぎまで真剣に観たことを思い出す



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「LIFE!人生に捧げるコント」(2018.10.5)

2018-12-28 12:24:23 | テレビ・動画配信
「LIFE!人生に捧げるコント」(2018.10.5)

出演:内村光良、田中直樹、ムロツヨシ、塚地武雅、中川大志、じろう・長谷川忍(シソンヌ)、池谷のぶえ、江口のりこ
ゲスト:玉木宏、飯豊まりえ

『LIFE~人生に捧げるコント』まとめに追加しました


【内容抜粋メモ】

引き出してください



婚活パーティ 会社の社長をやっていると自己紹介する軽い男コミカド
挙動不審なキタガワから声をかけられる

キ:こうした場所は初めてで、お喋りが上手だから、席に入れてください
カメラやスイーツの話にも乗れないキはコを引っ張る

キ:会話の内容があれだと入れない クラシックなどの話題にしてくれると有り難い
クラシックに超詳しいと紹介したらそうでもなく、席を離れる女性

キ:
あなたの会話の運びが良くない 私の良さを引き出して欲しい
はい、いいえだけの質問にしてほしい

古い映画が好き いろんなジャンルを聞いて
ラヴストーリーの作品名まで引き出すのは難しく、また女性が去る




イタヤガイ



ホテルで予約が取れないと怒る男性客
レディースプランに申し込もうとしている
パックプランをすすめるベテラン 池谷さんさすが だが高額だとまだ怒る

「ちょっといいですか?」とシルエットで現れる
池谷:人じゃないわよね? 貝が何のご用ですか? って/爆



イタヤガイ:
イタヤガイはこのプランが利用できますか?
イタヤガイにはオスもメスもないんです 「雌雄同体」
いい加減なことを言ってるとパッ   カーンですよ



(すごい汗かいてる 震えながら貝を閉じる

生きとし生ける者みんなが快適に利用できる
それこそが真のホスピタリティではないでしょうか!?


納得する池谷:レディースプランと同様に使える男性プランも用意しましょう!

最初の客は喜ぶが

池谷:当ホテルは、そもそもペットのご利用をお断りしておりまして

イタヤガイはまた怒って開く



<スタジオトーク 玉木宏>








ウ:コントというのは初めてですか?
タ:初めてですね

ウ:よく『ライフ』に出てくれましたよね
タ:人気番組ですしね NHKのやる気と本気を感じる番組です

田中:1本目のコントは内村さんとサシでしたが

ウ:
ドライ(1回目のリハーサル)の時点で玉木くんのを見て
この人5年、10年やってる人じゃないかなと思った

田中:カツラとか全然抵抗はなかったですか?

タ:
ないです むしろそれはやりたいなと思ってたんですけど
今日、4種類用意して頂いていて、一番気持ちが悪いやつを選びました

※個性的なキャラクターのカツラは複数用意して収録日に選んでもらう

ウ:
あれを選ぶと思いませんでした
台本読んで、絶対俺はこっちの役だと思ってたので 盲点でした


【恒例の質問コーナー】

Q:もしも俳優じゃなかったら?
A:スキージャンパー

田中:これちょっと意外じゃないですか?

タ:
やったことはないんですけど、見るのが大好きで
冬季のスポーツだったら、これを必ず見てる
人間が跳ぶんですよ あんな高いところから

ウ:やってそう 12年ぐらいボクシングもやってるんだそうです
田中:だからこのシャープな!

ムロ:
この上着を脱ぐと、ほとんどスウェットみたいなんですけど、全然違いますよ
玉木宏はカッコいいんですよ
かたや我らが座長は・・・はい

田中:
本当に申し訳ないです 見せていただいてよろしいですか?
確かに中の色味もも似ていますし

モデル立ち



田中・ムロ:それわざとでしょ! 完全に意識してますよ

ウッチャンも脱ぐ



田中・ムロ:お父さん! ありがとう 塾に迎えに来てくれて(爆
ウ:お父さんとは何事だ 失礼だな


おふくろ刑事





犯人:人質がどうなってもいいのか? クルマ用意しろ あと5分だ!
大志:ここはもう突入するしか




塚地:あの人が間に合ったんだ
田中:オレたちの切り札さ

池谷さん大活躍!
池谷:非番だけどチャーシュー麺でチャラにするわ




田中:お前に会いたいという人を連れて来た
犯人:誰だお前? 知らねーぞ、こんなババア


(なんでおふくろは割烹着なんだろ 喋り方まで全然違う!


おふくろ刑事:
これはへその緒だよ 絆だよ 母ちゃん、鍵かけて金庫にしまってんだ
こんなもの誰も盗まないのに あんたは母ちゃんの幸せそのものだった
一生守ってみせると誓ったんだよ!
刑事さん、私を撃ってください! 私はあのコの母ですから!

泣いてる刑事たち



ナイフを落として「おふくろーーー!」と駆け寄るシーンは自前のスローw

田中:確保!
犯人:騙しやがったな! おふくろじゃない!

ヤヴァい・・・♪人間の証明 テーマ曲 泣ける また観たくなった

塚地:ああ見えて独身だ


自撮り
「東京LIFEバスターミナル」でお別れを言うウ






じろう:落ち着いたら福井に遊びに行ってもいい?
まりえ:お世話になりました
ムロ:最後にみんなで写真撮りましょう




ムロさんの顔が見切れて、もう1回撮ると
今度はじろうが目をつぶっている

3回目は、まりえが「すっごいブス あり得ない!」
チッて舌打ちする江口さん/爆

4回目はじろうがまた目をつぶっている 慌てて戻るテ
じ:わざとじゃないスから

すごい険悪な雰囲気になり、仕事のことでムロとケンカになる
今度は江口さんとまりえちゃんがケンカ

江口:
あんたやってよ! こんなこと好きでやってんじゃないんだから(ww
こういうの下っ端の仕事じゃないの?

ウ:ほんとに時間ヤバいんで・・・
ムロ:うるせーな、出て行く奴は黙ってろ!

そのまま行くウ 6回目の自撮りは完璧だった




怪人二重面相




今どきいない紳士風の田中さんw
探偵というとベージュのトレンチコート+チェックの帽子のムロさん、なぜかセリフ棒読み






娘がつけている3億円のティアラが危険だという
急に電気が消えて、つくとティアラが盗まれた

怪人二重面相が笑っている
紳士:早くあいつを捕まえろ!






娘:あ、あった 床に落ちてた
探偵:だとしたら、怪人二重面相は何を盗んだんだ?

ポケットから赤いハンカチを出してスティックにかえるマジック?
スティックを花にかえる ベタだが、拍手が起きる

なぜか仮面をチラっと取る
紳士:なんでいきなり素顔をさらしたの?!






花を娘にあげて、ティアラを取る
探偵:しまったあ!

また赤い布を出し、ティアラを入れると、なくなる
指を打つと紳士の頭に乗ってる
笑いながら去る怪人二重面相

探偵:捕まえろと言われても、奴は何も盗んでいません
紳士:じゃあ、何しに現れたんだ?

探偵:まさか! 真の狙いはこのパーティで一番目立つことでは?
紳士:どうでもいいよ!



<スタジオトーク 玉木宏 2>

田中:
怪人二十面相のコントは、また1本目とは違う
あの手品があって、今回セリフ的なものはなかった

タ:
手品をやりながら、セリフがなくて良かったなと思いました
あそこにセリフがあったら多分無理でした

田中:マジックのシーンがあるじゃないですか 午前中に入られて
ウ:誰よりも早く入った

田中:
ちょっと先生にお聞きしたんですけど
スティックを使うマジックってマスターするのに丸1日くらいかかるんですって
玉木さんは15分でそれをマスターした めちゃくちゃ才能があるって言われてました


タ:初めてやりましたけどね
田中:5年、10年やってませんか?


Q:玉木宏の弱点は?
A:カミキリムシ

タ:
純粋に気持ちが悪くて嫌い
まず触覚の長さと、ちょっと硬そうな甲羅 紫色の斑点というか
バッタやカマキリは大丈夫です

田中:斑点が駄目なんですかね? ヒョウモンダコとかどうですか?
タ:ヒョウモンダコはどうだろうな
ウ:田中タイムに入った

田中:
確かにカミキリムシってすごい種類が多いですもんね
世界中で見ても 日本でも700~800種類いますから
もっと言いだすと、地球上の7割は昆虫ですから(耐えられない・・・
(静かになって)もうこの辺でやめたほうがいいですか?


Q:最近 慌てたことはありますか?
A:慌てない

タ:
もともとマイペースっていうのもあるんですけど
慌てそうになっても いやいやだめだ

ムロ:すぐにブレーキで戻れるんですね 平常のほうに 田中さんは?

田中:
最近だと、下北を歩いてたら、前から自分とそっくりな人が歩いてきたんですよ
俺じゃないの!?っていう人が出てきて 本当にカメラを探したんですから
嘘でしょ!?っていうぐらいに感じたんですけど

こう歩いてきて、お互い偶然同じ雑貨屋に入ろうとした(爆
これあかん!、恥ずかしいと思って
俺はタイミングをずらして違うお店に行ったんですけど
これは結構本当にびっくりしました

ウ:なかなかないわ 俺に似てる人は
田中:俺もそんな経験なかったんですけど ムロくんはありますか?

ムロ:
最近じゃないですけど、今日久々(玉木さんと)再会して思ったのは
初体面の時に慌てました 知らなかったんですよ、来ることを

家で友だちと飲んでたんです
友だちが「友だち呼んでいいですか?」って「いいよ」とは言いました
で、来たと思って、ピンポン鳴らして、玄関開けたら玉木宏だったんですよ
びっくりしました 慌てました!



安さの向こう側
引越しをワンコインでやってるというおじいさんのウ






じろう:どこも3万円はかかるって聞いたんで
ウ:全部込みで頑張らせていただいてます

じろう:じゃあお願いします
ウ:27日1軒入ったぞ!

妻が出てきて、奥に呼ばれて耳打ちするのが聞こえてくる

ウ:トラックのガソリン代がない? 正月の温泉旅行の金を使うしかない
妻:それもとっくに使って・・・

場所は今の家から3駅隣りと聞いて「台車なら頑張れるかも」と話すのを聞いて

じろう:ムリされてます?
妻:大丈夫です ただ引っ越し完了まで3日待ってください
じろう:まさか手で運ぶつもりじゃ?

息子の大志:ずっと貯めてたお年玉を使って(お年玉って
じろう:ムリしないでください




大志:オレ、大学諦めて、この仕事手伝うよ 頑張らせていただきます
じろう:500円止めればいいだけの話で

荒っぽく田中が入って来る



田中:
てめえんとこで頼んだら、皿は全部割れてるわ
モノはなくなってるわでどうなってるんだ!!

妻:税込み540円いただきます
じろう:ちょっと考えさせてもらいます



●「LIFE!スペシャル 忍べ!右左エ門」の番宣
みんなの宣材がいちいち可笑しいw
この撮影所はもしや・・・時代劇といえば、「東映太秦映画村」?!










え、こんなのもある/驚

「ゲゲゲの鬼太郎 ゲゲゲの森であそぼう!!」
太秦とどんな関係が!? 鬼太郎もカッコよくなってるが、猫娘、別人・・・




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topics~フィギュアスケート 世界選手権出場者決定 ほか

2018-12-28 11:51:24 | 日記
フィギュアスケート 世界選手権出場者決定
男子は、羽生結弦、宇野昌磨、田中刑事
女子は、坂本花織、宮原知子、紀平梨花








こないだブログにも書いたとおり、高橋大輔は辞退した
若い世代にチャンスを与える気持ちに応えられるよう
男女とも思いきり実力を発揮する姿が観たい!


宇多田ヒカル VRライヴを体験
こちらも以前ブログに書いた久々のライヴをVR用にも撮影していたというニュース
「VR」無いはずの景色が目の前に広がる

全身、ステージ全体、アップから好きな映像を選べる
本人も体験してみて「近い!」とビックリ










で、これは誰用? まず、このデカいゴーグルが必要だものね
映画も不況だから、音楽ライヴ映像を流したり、いろいろ趣向を凝らしているけど
劇場でみんなこれ着けて生ライヴを観ているような体験をしよう的な?

一度VR映像にハマった時があったけど、ゴーグルが重過ぎて偏頭痛がしたのと
「VR酔い」したことを思い出す 画面が激しく動いたりすると特に


KUWATA CUP 日本ボウリング競技 公式ソング
桑田さんがボウリング大好きで、すごく上手いなんて知らなかったあ/驚
歌詞とMVには昭和のプロボウラーが次々と出てくる

中山律子さんは、私も小さい頃に真似をしていたと母が言っていたが覚えていない
実は、この中に私の知人つながりの方がいらっしゃってビックリ
思わず、メールしてしまった




















東京タワー 開業60周年 還暦の赤
歴代の制服のファッションショー、夜には還暦の赤にライトアップ(もとから赤いけどね












開業当時から60年間お土産屋「東隆堂」を営んでいる冨美子さん(96):
もう60年なんてすぐに過ぎてしまいました
お手紙をくださったり、外国の方との触れ合いは忘れないことがあります
100歳まで生きたいけどどうか分かりませんよ

96歳とは思えないハツラツとした方/驚

東京タワーは、何度か行ったけど、お土産屋さんは時代が変わっても
昭和のかほりがするヴィレヴァン風

レアなロッカーの蝋人形館が閉館してしまったのは残念だけど
いろんなイベントで、まだまだ盛り上がってるよね

蝋人形館@東京タワー


スカパラ×宮本浩次@スカフェス in 城ホール
みやじくんほかのコラボゲストも集結したって貴重
どの写真もものすごい楽しそう






ヒグチユウコさんの実店舗「ボリス雑貨店」オープン



開店日:2019年1月8日(火)*期間限定ショップではございません
営業時間:11:00~19:00
定休日:毎週水曜日 *2018年1月9日水曜日は営業いたします
店舗住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-16-2
最寄駅:東京メトロ表参道駅 徒歩8分


また混むだろうなあ!
でも、期間限定じゃないから1度は行ってみたい

店長さん、HPからもう可愛い!!




カネコアツシ 初原画展 破壊の軌跡へ 『SEARCHANDDESTROY』



2018年11月23日(金・祝)~12月29日(土)
会場:東京都 銀座 ヴァニラ画廊 展示室A、B
時間:12:00~19:00(土、日、祝日は17:00まで)
料金:500円

こちらはひやむんが行ったとつぶやいてた展覧会
初めて聞く方だけど、ダークな感じはヒグチさんとちょっと通じるものがあるかも?!


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topics~国際捕鯨委員から日本脱退へ ほか

2018-12-27 16:16:44 | 日記
また、私の家の横でだけラヴソングを歌う青年が通るようになった
一時期止まっていたから、もう通らないと思ったのに
怖いよ・・・


国際捕鯨委員から日本脱退へ 
今年9月ブラジル IWC総会にて
日本はクジラを商業目的で捕獲する「商業捕鯨」の一部再開などを提案
反捕鯨を掲げるオーストラリアなどに反対され、提案は否決された






日本政府:
加盟したままでは商業捕鯨再開の見通しが立たないため
IWCから脱退する方針を固める
脱退後は南極海などでの調査捕鯨はできなくなる

「脱退後の商業捕鯨」
日本近海やEEZ(排他的経済水域)内で行う方針で調整







そんなにクジラ肉が食べたいのか? それとも伝統芸能にでも使うの???
個体が激減して、カンタンに養殖も出来ないのに
それを押してまで獲る理由が分からない・・・


ミスユニバース 大会史上初トランスジェンダー
優勝はフィリピン代表 カトリオナ・グレーさん








アメリカ代表のサラさんは、カンボジア代表の女性に対して
からかうような発言をSNSに投稿し、その後謝罪文を書いた

「ミスコンテスト」自体がもう古い


東京・日本橋「2018年 報道写真展」
羽生結弦、大坂なおみらの写真が展示








会期:2018年12月18日(火)- 24日(月・振休) ※最終日は午後6時終了。
場所:日本橋三越本店 本館7階催物会場 [入場無料]

もう終わってた
今って百貨店は催しもので呼び込まないと、ブランドや福袋の時代でもないものね


プラネタリア TOKYO in 有楽町マリオン コニカミノルタ
演劇や生解説などとプラネタリウムの融合など新たな趣向が凝らされている
ナレーションは夏帆、中村倫也








●音楽アプリ「Spotify」をインストールしてみた

以前、バンバンラジオで知って、アプリをインストールって
個人情報をいろんな場所に撒き散らすイメージがぬぐえず悩んでたけれども
実際使ってみるとやっぱり無料でこれだけフルで聴けるのは画期的/驚



1.無料ver.に新規登録

2.好きなアーティストを3人以上選んでください
検索して4人登録したら次の画面になった



3.あなたにピッタリのプレイリストを作成
いきなり出てきたのは「ヤプーズ」!
知世ちゃんのこないだ聴いた♪銀河絵日記も出てきた!




うり友さんに聞いたら「アーティスト」を選ぶと
好きなアーティストの曲をランダムにずっと聴けるそう
まだよく分からないけど、興味津々


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三谷幸喜@あさイチプレミアムトーク

2018-12-27 14:33:11 | テレビ・動画配信
三谷幸喜@あさイチプレミアムトーク

VTRゲスト:
大石静さん(脚本家)、中井貴一さん(俳優)、川平慈英さん(俳優)、シルビア・グラブさん(俳優)、荻野清子さん(作・編曲家)

いきなりどアップ/爆




三谷:
今日、朝ドラ初めて観たんですけど
本当に申し訳ないんですけど、朝ドラを見る習慣がないので かなり重い話だなと思って

皆さんご存知ないかもしれないんですけど
僕は皆さんがこの番組を始める前から
この番組には長く出演させていただいているので

大吉:そうらしいですね 早速、視聴者の方からそういう FAX が来てまして





三谷:まあ、前のほうが良かった

大吉:そりゃそうですよ 僕らもうっすらそう思いながらやってるんですから

華丸:反対意見はないです 新しい番組として受け入れていただくしかない


VTR 古畑任三郎 第2シリーズ(1996) 脚本:三谷幸喜

近江:
古畑任三郎シリーズなどでおなじみ
エンターテイメント界の最前線を走り続ける三谷幸喜さん

2004年 大河ドラマ『新撰組』

2016年 大河ドラマ『真田丸』 2度も大河ドラマを執筆
華丸さんも出てたんだ/驚




2006年 大河ドラマ『功名が辻』 大石静さん脚本の時は、将軍足利義昭役で自ら出演も果たしています




そんな歴史大好き三谷さんが次の舞台に選んだのは「日本の歴史」
1700年間の日本の歴史を2時間半のミュージカルにする





一体どんな内容なのか キャストの皆さんに取材した


川平慈英さん



川平:
本番中になんとなく僕の右側から圧を感じたんですね
パッと見たら、ちょうどセットの隙間から三谷さんが覗いてるんです
びっくりして「えっ!?」て言ったら「頑張れ!」て
演出家が本番中に役者に対して隙間から「頑張れ! エンジョイ!」


中井貴一さん



中井:
袋の中にリンゴが入っていて、画家がそれを描くシーンで
ある日、袋開けたらバナナが出てきた

そこにリンゴだっていう台詞があって
皮ごとりんごを食べるという設定の人もいるんです
その人は皮ごとバナナを食べました

そんな割と大事なシーンでそういうことする
今回そんなことをされたら舞台全体が壊れるぐらい大変なんです
絶対にイタズラしないで


三谷:
イタズラっていうかですね
公演って長いじゃないですか
1か月ぐらいやるので、途中ダレる瞬間がある
そのカンフル剤と言うか 僕なりのエールと言うか

大吉:でも、そのまま皮ごと食べる役の方は食べなきゃいけない

三谷:バナナもかじってました よくやるなと思ってました

大吉:どなたですか?

三谷:寺脇さん


三谷:
歴史大好き、大河ドラマ大好きなので
シルビアさんが舞台でラップしているのを観て、織田信長役をやってほしいと思って書いた

大吉:
僕は、映画『12人の優しい日本人』をみて、この世界に入ろうと思った 相方にもゆってない
(ちょうど観たいなって検索してた後で、リンクした


小さい頃から演出?!

三谷:
20代から構成作家 「お笑いマンガ道場」の問題を作ったりとか
その前は「欽ドン!」のはがきのリライト ものすごいたくさん来るので
それを選んで、ちょっと直すみたいな
そっから始まって舞台とか脚本を書くようになった

もう小学校の頃からです
クラスで劇をやったりとかするのが大好きで、自分で本を書いて演出してました

もっと言うと4歳、5歳ぐらいの時、一人っ子だったんで、一人遊びが好きで
自分で人形を使って話を作ってみたいなことして遊んでました

(以前見た長塚圭史さんと同じこと言ってる

長塚圭史×舟越圭@SWITCH インタビュー 達人達 アンコール


キャスティングが一番好き

三谷:色んな人形に名前をつけたり、キャラクターをつけたりとかして


【その頃の映像】

祖父と叔父と遊んだりする映像
ガメラと飛行機が戦う円谷風特撮映像は自分で撮った!














大吉:こんな映像どうしてあるんですか?

三谷:本当に自慢になるのでこんなこと言いたくないんですけど 結構裕福な
大吉:じゃないと残らないですよね

近江:どうやって子育てすれば、三谷さんみたいな天才が生まれるんですかね?
三谷:母に聞いてみないと

大吉:芸能一家ってわけではないですよね?

三谷:
違います 裕福だったんで
これでいいのか? このままじゃ駄目になっちゃうんじゃないかと思ってました


ミュージカルは好きじゃなかった

三谷:急に歌いだしたり、1分で済むセリフを3分歌ったりとかして
大吉:以前、三谷さんが関わった2003年の『オケピ!』でも歌っていますよね?






三谷:
とことん嫌いだミュージカル
何で急に踊り出すのか 普通に歩けば30秒でたどり着く距離じゃないか
何でオッサンが綺麗に踊れるわけ? なんで猫が立って歩けるわけ?

ここだけ取るとすごくミュージカルを否定しているように見えますが
ミュージカルはいいよっていう結末なんです

大吉:
中井貴一さんも「自分は歌が下手だから本当はやりたくない
でも新しいことに挑戦しなければいけないから」とおっしゃってましたけど

三谷:
歌が下手だっていうのは謙遜です ものすごく上手い レコードも沢山出してるし
踊りは、あまり踊ってるイメージがない

大吉:たまに着ぐるみと一緒に押し洗いしてるぐらいですよね(w

三谷:
今回すごいですよ!
それこそ共演が香取慎吾さんとか、皆さん踊れる中で
中井さん、すごく一生懸命頑張ってます それだけで見てて笑える 泣けると言うか


メールで『ザ・マジックアワー』の佐藤浩市さんが印象的な役だったと来た

『ザ・マジックアワー』(ネタばれ注意)
これは本当に爆笑して腹がよじれた! ナイフを執拗に舐めまわしてたシーン/爆×∞

三谷:
俳優さんがギャングのフリをしなきゃいけない
あれは佐藤さんがご自分で撮影の前の日に家で色々考えて鏡を見て考えた
撮影の時に僕の前でやってくださって、何パターンか
「どれがいい?」みたいに 「じゃあ3番目にしましょう」みたいな

大吉:幻のA案、B案も見てみたかったですね


メール:
三谷作品といえば大泉洋さんでしょう
お二人の掛け合い 三谷さんに振り回される洋ちゃんがとても面白いです

三谷:あんまり好きじゃないんですよ 面倒くさい(w


三谷さんにとっての良い役者とそうでない役者

三谷:
優しい人 目が綺麗な人 いい匂いがする人
一緒に作っていく上でやりにくい人って怖い感じで苦手なんですよ
友だちになれそうだなっていう匂いを出してくれてる人がいいです


大吉:
じゃあこのミュージカルのキャストの皆さんはいい匂いがする 誰が一番いい匂いがします?

三谷:中井さんですね

近江:華丸・大吉さんはいい匂いがしますか?

三谷:正直大吉さんはあんまり好きじゃなかったんですけど
大吉:何でですか?

三谷:
前に番組一緒に出させていただいた時に
なんか酷いことを言われたのがトラウマになってて

大吉:十何年も前にクイズ番組で それ僕じゃないんですよ

三谷:
絶対そうなんですよ
あれからずっとあなたがテレビに出ると消してたんです
でもさっき『12人~』の話をされたので、ちょっといい匂いがするぞ

華丸:13年ぐらい前ですよ


華丸・大吉さんのキャスティング もし芝居にするなら?




三谷:
その前にちょっと言いたいことがあったんですけど ずっと思ってたこと
もしかしたらもう語り尽くされていることかもしれないですけれども
華丸・大吉さんて名前が逆のような気がするんですよ 言われません?

大吉:よく言われます

三谷:
やっぱり だってどう見ても(華丸さんに)大吉さんじゃないですか
だって顔も大吉さんだし 腕まくりもそうだし 褌一丁で頑張ってるみたいな

で、なんかこっちはシュっとして 都会的で
なんでこんなことになっちゃったんですか?

大吉:
この名前は会社が決めたんですけど、その時に華丸が「僕が華丸がいい」って
こいつが先に言って、会社の人が「じゃあそれで」って自動的にそうなっちゃった

三谷:変えたほうがいいですよ 本当に 僕の周りの人間も分かんなくなっちゃって
大吉:まとめて「博多さん」って呼ばれたりもします 「大丸さん」とか

三谷:華丸さんにやってほしい役が1つ 前々から思ってたんですけど アライグマ(爆




華丸:どう受け止めていいかわからないですけど 何でですか?

三谷:
見た目というか 雰囲気というか
アライグマ知ってますか?
こう見えて結構熱いものを持っている 人ではないけど動物なんです
この中に秘めた熱いものを隠しつつ、りんごを洗うみたいな

大吉:じゃあ、アライグマのドラマがある時は
三谷:是非w

華丸:絶対メインじゃないですよね 分かんないですけど
三谷:そういう人にこそドラマがあるので
華丸:分かりました 頑張らさせていただきます


三谷:
大吉さんは木の精霊(爆
森の中に行くと、こういう精霊がいるじゃないですか 木のイメージがあります




大吉:
キャスティングってそういうことですか? ほぼシルエットクイズみたいな
見た目が大事なんですね

三谷:すごい木彫りの感じが
大吉:確かに、はい いつか僕も年を取ってクリスさんみたいになる夢はあるので

三谷:クリスさんと一緒に木の精霊を
大吉:役作りの仕方が分からないんですけど

三谷:役作りいらないです 立ってるだけで

大吉:
せめて『ロード・オブ・ザ・リング』でも見直したいと思います
だってこれ一晩考えてくれてくれたんですよね?

三谷:
思ったのは、今のこの落ち着きがいいなという理由の一つとして
『オズの魔法使い』ってあるじゃないですか あれもうまくフィットする

ドロシーさんがいらっしゃって(近江)、かかしがいらっしゃって(華丸)
ブリキがいて(大吉)、ライオンは後で青木さやかさんが出てくると思いますけど
すごくいい感じだなと思って

大吉:
そう例えてもらうと新生「あさイチ」もいいスタートを切れそうです
もうスタートして半年以上経つんですけれども 今日から

近江:『オズの魔法使い』はどこかで・・・
大吉:やんないよ 忘年会でも滑るパターン

三谷:これもちょっと危なかったですけどね
大吉:全然 滑る滑らない関係ないですから

近江:
逆に 三谷さんをキャスティングした大石静さんにもお話を伺っております
現在民放で放送中の『大恋愛』や『セカンド・バージン』など
数々のヒット作を手がけてきました

ドラマ『大恋愛~僕を忘れる君と』 (2018 全10話) 1~5話


脚本家の大石静さん



大石静さん:
三谷さんは特別な才能で、手の届かない人だと思います
なんかあの人は本当に選ばれた者として
そういう星の元に生まれてきた
私とは全然違うなって思います
別に謙遜をしている訳じゃなくて そういう実感ですね

私が30代で三谷さんが20代で、お互いにマイナーな演劇人だったんですね
超マイナーなその頃に 下北沢の「駅前劇場」っていうのがあって
その廊下で紹介されたんです
なんか無愛想で、感じ悪いなみたいな感じでしたw

初めて会ったか、2回目ぐらいの時に三谷さんのお父さんが早くに亡くなって
お父さんの遺品の白いスーツの中から拳銃が出てきて
お父さんはその筋の人だと理解したんだけど

それから長い時間が経って、日大の芸術学部のキャンパスを歩いていたら
ある日強面のおじさんが3、4人来て、いきなり僕の周りで土下座して
「若に帰ってきてもらわないと組は潰れてしまう」みたいな話を

私が喋ると面白くないけど、すごい面白おかしく話してくれたんですよね(『セーラー服と機関銃』?w
私はそれを本当に信じて、20年後に大河に出て頂いた時に対談したら
全く覚えてないんですよ 「そんな話はしたはずがない」

私は20年間も信じて、いろんな人に喋っちゃった
まだ信じている人もいるかもしれないんですけど


三谷:100%嘘ではないですけれども かなり嘘は入ってます
大吉:本当だと困ります 虚言癖でもあるんですか? ちょっと話を盛るじゃないですか

三谷:
嘘はつきますけれども、自分が得になるような嘘はついたことがない
僕のプライドとして 信じるほうがおかしいですよ

大吉:白いスーツは本当ですか?
三谷:いや嘘ですね
大吉:1個目から嘘じゃないですか

三谷:
大石さんはもうテレビを書かれていて、僕が初めてお話を頂いた時に
「振り返れば奴がいる」を書かないかとテレビ局に言われた時に相談したんです
「どうしましょう?」 大石さんが「やったらいいわよ」って言ってくださったんで
僕は初めて連ドラを書かせていただくことになったんです
それが今までずっと続いているわけですが
本当に大石さんがあっての僕っていう感じです

大吉:すごい大役じゃないですか

三谷:
医学のこととか何も知らないで、準備期間もなく始めてしまったんで
『ブラックジャック』しか読んでなかった それであれを書いた

初めてテレビ局のドラマの打ち上げにも出たんですけど
商品を出してみんなでくじ引きするみたいなのがあって 海外旅行があったりとか
僕は自分が選んだ『ブラックジャック』を出したら、ものすごい引かれました

「駅前劇場」って小さいんです 150人くらいしか入らない
とにかく1000人を超えるっていうのは1つのステイタスだったんで
お客さん1000人超えるまで頑張ろう そういう世界です


メール:
三谷さんは眼鏡との付き合いが長いと思うんですが
メガネのこだわりエピソード、執着などありましたらぜひ聞かせて欲しいです

三谷:
今日かけたメガネが、息子がまだちっちゃいんですけど
僕が知らない間に多分いたずらしたみたいで、すごい開いてるんです
だから落ちてきて落ちてきてしょうがない

メガネをかけた芝居をする俳優さんがいるじゃないですか
そういう方って必ずこんな風にする




あれ、絶対メガネかけてる人はしない 直す時はたぶん両手で直します(そうかなあ?
なんか気取った感じで あれはやめてほしい

大吉:コンタクトにはされないんですか?
三谷:もうずっと眼鏡ですからね 今更コンタクトって

大吉:僕はコンタクトです 華丸も近江も 唯一の眼鏡派です
三谷:ちょっと腹が立つ メガネから逃げやがって 俺は踏ん張ってるんだ、これで

近江:いくつくらい持ってますか、メガネ?
三谷:そんなに持ってない 年が変わると今年の眼鏡って決めて買ったりしますけど

華丸:勝負メガネとかありますか?
三谷:勝負コンタクトはあるんですか?

華丸:いや使い捨てなんで、ないです
近江:私はキャスターになってからちょっと高いコンタクトにしました


スーツへのこだわりは?

三谷:
僕自身はあまり洋服にこだわらない人間なので、妻が「これを着て行きなさい」
「ネクタイをして行きなさい」「ダブルにしなさい」みたいに言われます

大吉:スタイリストではなくて?
三谷:スタイリストさんの時もありますけれども 今日は奥様が


どこでも自転車で

大吉:今日は自転車で来られたんですよね ?

三谷:
僕はだいたい自転車でどこにでも行きます
今日は駐輪場が表の有料のとこにとめなくてはいけなくて

近江:
私も時々お散歩している三谷さんをお見かけします
髭を生やしていらした時期がありませんでした?

三谷:大河を書いてる頃、ゲン担ぎてやってました
近江:「大河が面白いです」って話しかけようかなって思って話しかけられずに
三谷:なんか覚えてる気がする


子どもの時の「将来の夢」

三谷:
ずっとこの仕事をしたいと思っていました
こういう仕事があるのは分からなかったですけど
こういうことをやりながら大人になっていきたいなと思ってました

夢が叶った 本当にラッキーな人生だなと思います
仕事っていう意識があまりないので 趣味というか、楽しみでやってるみたいな

大吉:演出もなさってご自身も出演されると
三谷:出るのはちょっと遊びみたいな部分ですけれども 基本は脚本家だと思っています

華丸:幕が開いた時が一番ですか?

三谷:
書き上がった瞬間 今回すごいの書いたぞ!っていうときめきがあって
それを役者さんに渡して、本読みした瞬間に
うわーなんて酷いの書いちゃったんだろうって1回落ち込む 客観的になって

稽古していくうちにだんだん面白くなって、今回はすごい作品が出来たと思って
幕を開けた瞬間に、うわ、しまった 変なの作っちゃったって、また落ち込む
繰り返しですね なんでもっと前に気づかなかったんだろうって

初めてお客さんの前でやった時に、お客さんの気持ちで見ますから
そしたら見えてくるんです ここは分かりづらかったんじゃないかとか
これじゃ笑えないなみたいな もっと早く気づくべきだったといつも思います

大吉:執筆が遅いって言われますけど、書き直してらっしゃるんですか?

三谷:
つまらないものでよければ早く出しますけれども
そんなの渡されても困ると思うし
だったらどんなに遅くても、面白いものと思いませんか?
でも僕は満足しても、役者さんは困ってしまう


最近ハマっている マイブーム

三谷:
息子が生まれて、その影響を受けて「ダンゴムシ」を子どもが飼ってるんですけれども
かなりデカくなって、ピスタチオぐらいになって(

餌はほとんどいらなくて 新鮮な枯葉と、コンクリートの塊を置いておくと
下に潜って食べる 彼らに限界はないです

息子は独楽が好きで、いろんな独楽を自分で作ったりもするし、
買ってあげたりもするんだけれども、結構面白いと気づいて、今持ってきてます

ものすごい精密な独楽 日本の町工場は本当にすごい技を持ってる
止まっているように見えて、まだ回ってるんです

(ポケットから出して、台の上で回す




次のはどういう独楽かと言うと、人生もうだめだ!と思ってからが勝負だと
この独楽から教えてもらいました 日本の独楽です

(ゆらゆらして倒れてからも回って花模様に見える




弱点は何?

三谷:
感情が激昂することがあまりないので
逆に腹が立った時に怒り方に慣れてないというか
嫌な感じになってくんです 自分でも嫌なんですけど

怒った後に「じゃあ、みんなで飲みに行こう」みたいな
そういうことができないんです 恥ずかしくて
みんなで河原に行って石投げたりとか(w

華丸:言われたほうは結構引きずりますけどね

三谷:
よく言われます 「こういう風に言われた」とか
僕はあんまり覚えてないんですけれども


もし、また大河ドラマを手掛けるとしたらどんな題材を選ぶ?

三谷:
歴史大好きなんで 大河も大好きなんで 本当にやらせてもらえるなら毎年やりたいぐらい
結構「会議」が好きで 『清洲会議』って映画もやりましたけど(観た気がしてたけどまだだった
今年の『西郷どん』でも「征韓論」とか先にやられちゃいましたけれども
西郷さんやりたいかな 2年連続

華丸:来年もう「いだてん」に決まってますからw
三谷:数年おきに西郷さんw

華丸:鹿児島の人は喜ばれると思います
三谷:あと源頼朝も好きなんです


今までの作品でこの人物のキャスティングが一番ハマったのは誰の何の役?

三谷:
『真田丸』の朝日姫というのやった清水ミチコさん(スタッフから笑いが起きる
素晴らしかったですね!

大吉:数々のキャスティングを押さえて!

三谷:
お願いしたんですけれども、条件として
「大河に出てやってもいいけれどもセリフはひと言も言いたくない」
それは飲みました それで一切セリフを言わない役を作ったんですけれども

大吉:すごく話題になりましたよね



特選エンタ 映画

青木さやか:
三谷さん、一つ映画のエピソードでちょっと話してもいいですか?

私も舞台に立たせて頂いたことがあるんですけれども
その時、三谷さんが映画がすごく好きで
「この映画の、このキャラクターを参考にするといいですよ」ってよく言ってくださるんです

私の時は「『カッコーの巣の上で』の看護師さんの役を見るといいですよ」って言って
やらせていただいたんですけれども

三谷:
どの俳優さんにも言うわけじゃなくて
この人にはどう言っても伝わらないと思った時は
分かりやすく「これを見てください」と




青木:
三谷さんって凄くて いろんな人にいろんな演出をするんです いろんな言い方で
音で伝える時もあるし 全然違うんですよね、それぞれ

三谷:
それは演出家の仕事の一つだと思うんです 分かりやすく伝える それぞれ違いますから
「音を2度ぐらいあげて喋ってもらえませんか」とか
「あの作品を見て」っていうのは最終手段です

青木:一番好きな映画って何ですか?
三谷:日によって違ったりするんです 今日のベストは『大脱走』

華丸:逃げ出したいんですか?w
三谷:そういうことじゃなくてw むしろずっといたい 一番繰り返し見たのは『大脱走』

大吉:僕は『12人の優しい日本人』です
三谷:本当にありがとう
大吉:次が『ラピュタ』です(w


『search/サーチ』




『いろとりどりの親子』

24カ国で翻訳された世界的ベストセラーのノンフィクションを映画化したドキュメンタリー作品

原作者のアンドリュー・ソロモンさんはゲイで
母親に受け入れてもらえなかったという経験があります

彼はそれをきっかけにダウン症や自閉症など様々な困難を抱える子どもと
その親との関係に迫っていきます

<内容を紹介>



母親:
「そういう子どもは、愛情が湧く前に施設にやるのが通例です」と言われました
でも夫のチャールズと決めたの ダウン症を理由に息子を見捨てるまいと
彼は学べるはずだと




自閉症の息子の母親:
ある日ジャンボ機が飛んでいた 教えても息子は反応なし




自閉症の息子の父親:
モーツァルトによる音楽療法や理学療法 言語療法士のもとにも何年も通った
息子のストレスは頂点に達した 全て効果なしだ






自閉症の息子の母親:
私は全てを責めた 妊娠中に飲んでいた薬、使っていた寝具
もっと健康的な妊娠生活を送るべきだったと




アンドリュー・ソロモン:
過去40年ほどで起こった社会の変化は想像を遥かに超える大きなものだった
僕はその変化のプロセスに興味を抱いた 我々はいかにここまで来たのか
私はリサーチを始めました




“欠陥”という考え自体、曖昧なものだと気づきました
みんなが視点を変えただけで、同性愛は「病気」から「個性」になった
似た例は他にもあるはずです

治療すべきものと、祝福すべきものの境目とは?



(同意 今、「こころの病気」と言われている人は、「これが現実だ」「常識だ」という多数派に対する少数派に過ぎない
 多数派のほうがよほど歪んでいないか?
 ヒトは群れる習性があるから、少しでも違った要素があると
 レッテルを貼って「隔離」「排除」してきた長い歴史がある


青木:いかがでしたか?

三谷:
息子がまだ4歳なんですけど 「親子」って字を見ただけでグッとくる感じです
観たらどうなっちゃいますか? 自分がどうなってしまうのか

アナ:
6組の親子を通して、親の葛藤や、子どもの自立を描いていて
僕はまだ親ではないので子どもの目線で見てたんですけど
お子さんがいる親の世代だと見方がまた違ってくるのかなと

青木:
中には子どもが殺人を犯してしまった家族も取り上げている
その殺人を犯してしまった男の子の兄弟は、
「自分は子どもを持ちたくない」と 親の苦労を見ているから
でもその母親は「どうしても息子を愛している」という言葉がとても印象に残りました

私は親目線として観たんですけど、自分のことでいうと
自分の子どもがよその子とちょっと違ったりすると
それだけで自分を責めたりとか、なんでだろうと悩んだりする
それを「個性」として受け入れるということは難しいなと思ったんですけど

この映画を観て思ったんですが、「自己肯定感」てすごく大事だなと思って
子どもに自己肯定感を持たせるということが大事で

その子どもの個性も一緒に愛するってことは
自分に自己肯定感がないとやっぱり子どもを愛することは難しいだろうなと
この映画を通して改めて感じました

でも、私が今まで知り合った人の中で
一番、自己肯定感があるなと思ってるのは三谷さんです

三谷:肯定しまくってますからね

青木:
自己肯定感を持ってるから、色んな役者さんに自信を待たせてくれるんですよね
それはすごいことだなと思って

三谷:
ちゃんと母の顔になってますね
ここで描かれた親子の葛藤とは比較にならないかもしれないですけど
この間うちの息子が初めて立っておしっこしたんです もうそれだけで感動じゃないですか

ドアが開いてたんで「立っておしっこしてるね」って言ったら
振り返っちゃってびしょびしょです

青木:
でもこれはハッピーで 愛に溢れた 障害があるとかないとかそういうことじゃなくて
重い話じゃないです 明るい気分になる映画です
親が見ても、子どもが観ても 普遍的な物語なので



<FAX コーナー>



三谷:
これは嘘ですね 私ではない 上海撮影所には行きました
僕の映画をたくさん上映してくださって 1回行っただけです
上海蟹は、その時食べましたけど1回だけです
そういう感じで映画は撮ってないですw




三谷:
見て欲しいのはやっぱり平清盛
後ろでバックダンサーが踊るんですけど
それを中井貴一さんとか、香取慎吾さんが一生懸命後ろで盛り上げて踊るっていう
平清盛のソロっていうのも珍しいと思うんですけど

苦労したのは、日本の歴史ってエピソードが山ほどあるから
そこからどこをチョイスするかは結構苦労しました
ここも面白いのに、ちょっとはまらないからやめておこうっていうのはありました





三谷:
最終回といっても僕は脚本なので、僕が書き上げたのは多分夏の終わりぐらい
今回も多分そうだと思うんですけれども

その時は最終回を書くのが辛くて
自分が手塩にかけて育てた登場人物が最後死んでしまうシーンを書くのは
結構辛いものがありました

華丸:それをご覧にはなるんですよね?

三谷:
もちろん その時は客観的に見てますから それで泣くっていうのはあんまりないですけど
2年半ぐらいかけて書きますから しかもそこに華丸さんを最後に入れなくちゃいけないw

漫才師の方って、どっちか一人はすごく役者さんとして秀でてる
もう一人の方はそうじゃない 例えばバラエティとか司会とかってパターンが多いですよね

だから本当にいいお二人だなと

華丸:見なきゃいけない映画はないですか?
三谷:とりあえず僕の作品・・・ もういいですw
華丸:置いてかないでください、先生!(爆






三谷:
本当に僕、大学の時に自転車に乗ってたんです
古畑が持っていたシェリール(?)っていう自転車なんですけど
ちょっとオシャレだし、変わってるし
これはぜひ古畑にも乗ってもらおうと思って あんまりない自転車だったんです

大吉:長セリフで現場も大変だったんじゃないですか?

三谷:
僕は現場にはいなかったんで
僕は田村さんにやらないようなことをやらせようと台本で書いてましたから
ストッキングかぶるとか

田村さんは何でもやってくださるんですよ
台本に書いてあればやってくれる
これは面白いぞと思って 色々遊ばせていただきました

華丸:結構無理させるのも好きなんですか?
三谷:そうですね だって田村さんがストッキングかぶるの見てみたいじゃないですか

華丸:今後、誰かをこんなものにしたいとかは?
三谷:どうですかね (華丸さんをみて) ないなw

近江:新生「あさイチ」ここまでいかがだったでしょうか?
三谷:本当に楽しかったです でもやっぱり前がいいな(w


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